三流読書人

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ドングリ小屋住人 

馬鹿の番付

2007年11月14日 09時04分41秒 | くらし

  昨日、11月13日付毎日新聞』のコラム「発信箱」、
  論説室、玉木研二氏。
  
  「番付
 九州場所で東京の両国かいわいに今力士たちの姿はなく、少々寂しい。相撲博物館で「番付の250年」展を見た。
 力士の番付のほか、人気商品などのランク付けをする「見立(みたて)番付」が古くからある。時代の空気を伝える貴重な史料だ。「馬鹿(ばか)の番付」といういささか異様な、興味深い番付を見た。明治初めごろ、佐田介石が編集したという。熊本の人、舶来の思想と品を徹底排撃した僧侶である。
 現代仮名遣いにして一部を紹介すると--。
 東の大関は「米穀を食わずしてパンを好む日本の人」。小結に「輸出入の不平均を論じて西洋料亭に懇会を開く議員」。前頭には「馬の小便でも舶来の瓶にさえ入れたれば、結構な薬だと思う人」とか「国産の凧(たこ)を捨て、ふくれ玉を弄(もてあそ)ぶ日本の童」……。
 ふくれ玉とはゴム風船のことか。子供にまで容赦ない。西の前頭には「ペロペロと洋語で国家の経済を論じて、我が一身を修めかねる演説先生」。今の世にも痛烈な皮肉の矢に使えそうだ。
 時津風部屋の騒動で急ぎ前頭時津海が親方を継いだため九州場所番付表は1行空白に。相撲字は押し合う力士の姿と客の大入りの願いを込める。空白は目に染み、今日の角界の危機を無言で語る。
 「馬鹿の番付」が作られた明治の初めころ、鹿鳴館の猿まね舞踏にうつつを抜かす欧化主義者たちは、伝統の相撲興行を「野蛮な裸踊り」と排撃したがった。近代相撲界最初の危機だった。
 その後何度も危機を乗り越えた。今度もできるはず
、と異形の「空白番付」は気合を入れていると思いたい。

 相撲のことはとりあえずおいといて、似たような馬鹿の番付作れそうだ。
 喰う馬鹿、しゃべる馬鹿、脱ぐ馬鹿、何かにかぶれる馬鹿、本当の馬鹿、馬鹿と気づいていない馬鹿、勉強のよくできる馬鹿など。


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