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ジェームス三木『憲法はまだか』 Ⅰ

2005年11月16日 12時46分35秒 | 教育 
ジェームス三木
小説『憲法はまだか』(角川書店)
冒頭部分
《人はみな歴史の中継ランナーである。祖先から受け継いだ大事なバトンを、子孫に渡さなければならない。私たちはいま、どんなバトンを、次の世代に渡すつもりなのか。
 二〇世紀・・・・。
 人間は空を飛べるようになった。するとたちまち、空から爆弾を落とすことを、誰かが考えついた。なんという浅はかさ、なんという罰当たり、空から爆弾が降ってくるなんて、私たちの祖先の誰が想像しただろう。
 鏡を見よ。自分の目を見よ。私たちの手にいまあるバトンは、大量殺戮に血ぬられている。無分別な軍事力の増強と、ビジネス万能主義は、核兵器、大気汚染、地球温暖化、環境破壊、ダイオキシン、サリン、炭疽菌などを次々に生み落とした。そして索漠とした精神の荒廃・・・。
 二〇世紀の人類は取り返しのつかない罪を犯した。私たちは、祖先に対しても、子孫に対しても、顔向けのできない世代である。土下座しても懺悔しても、汚れきったバトンは隠せない。心を入れ換え、背筋をまっすぐに伸ばし、二十一世紀に向けて、誇らしく渡せるバトンを、いますぐ探さねばならない。
 国家の基本法である憲法もまた、世代から世代へと、引き継がれるバトンである。日本では、明治二十二年に発布された『大日本帝国憲法』が、五十七年後の昭和二十一年に『日本国憲法』変えられた。筆者はいま、この劇的なバトンチェンジが、どんな人々の手で、またどういう状況の中で行われたかを、非力ながら書き始めようとしている。
これも次の世代に渡すバトンの一つとして。》

 と、ここから「大日本帝国憲法」を廃し、現行「日本国憲法」がどう生み出されていったのか、小説として語る。もちろん史実に忠実に。

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