1969/04/09に生まれて

1969年4月9日に生まれた人間の記録簿。例えば・・・・

心の闇

2007-11-26 19:06:14 | ライブの記録
今日の記録に、昨晩見た夢やJリーグの問題を書いたわけだけど、それを読み返して思うことがある。

やっぱりボクの心には暗い闇があるのだなと。


先週はいろんなことがあった。
チームのゴタゴタに始まってチーム主催の野球大会、Jリーグの問題、学校の10周年記念事業。記念事業が終わって家に戻った夕刻、チームのコーチ二人が辞任したとの連絡、監督はシニアのコーチに。突然のことで子供達は大泣きだったそうだ。

各方面から、お礼、労い、お褒め、慰めの言葉を頂いた。言葉を掛けて下さった全ての皆様に、この場を借りて心から感謝の気持ちを表したいけど、「有り難うございました」という言葉の他に何も見つけることができない。


こんなことを書いたら、有り難い言葉を掛けてくれた方々や読者のみんなを裏切る結果になるかもしれないけど・・・
・・・・今、ボクの心には冷たい風が吹いている。
心の闇が冷たい風を送りこんでいるのかもしれない。
ざっくばらんに言えば「燃え尽き症候群」ってことなのかもしれない。
そうじゃないかもしれない。


いずれにしても、心を闇に支配されることは良いことではない。


この歳になって、ようやく心の闇に勝利?する方策を2つ見つけ出した?。


ひとつは、十分な休息をとること。
ひとつは、正しく生きること。


だけど、心の闇が迫ってくると、この方策も疑わしくなってくる。


心の闇とはそんなもんだ。
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チームドクターその後

2007-11-26 13:15:20 | 雑談の記録
J1川崎のFW我那覇選手(27)がJリーグのミスによってドーピング規定違反とされた問題について記録しておきい。

経過

4月23日
練習後、高熱と下痢の症状を訴えたFW我那覇選手に、ドクター(熊本県出身、39歳)はビタミンB1入り生理食塩水の点滴を行った。

5月8日
Jリーグは正当な医療行為に当たらないとして、我那覇選手に公式戦6試合出場停止、川崎に制裁金1000万円の処分を科した。このとき、Jリーグのドーピングコントロール委員会のアホ木委員長は「五輪では静脈注射を打った選手が永久追放になった例がある。それと同じ(行為)と考えてもらっていいと」とロクな調査もせずにアホ丸出しで話す。

5月18日
J31クラブのチームドクターは川崎のドクターが行った行為は正当な医療行為だったとして、違反基準の明確化とドクターの名誉回復を求める文書をJリーグに提出。

8月11日
日本アンチ・ドーピング機構(JADA)は今回のケースが世界アンチ・ドーピング機関(WADA)の規約違反にならないと判断した。

8月21日
J31クラブのドクターはJリーグ理事会に処分撤回を求めたが、Jリーグは応じず。

8月23日
世界アンチ・ドーピング機関(WADA)がJリーグのチームドクター連絡協議会に「我那覇はドーピング違反とはみなされない」と解答。

11月2日
日本スポーツ仲裁機構に処分取り消しの申し立てを行おうとしていたドクターに対し、川崎は「クラブの席を離れて主張するのは構わない」と伝える。

11月6日
ドクターは辞職。ドクターの代理人が処分を取り消しを求めて日本スポーツ仲裁機構(JSAA)に申し立てを行う。

11月12日
国際サッカー連盟(FIFA)に申し立てる機関はないのに、Jリーグは「ドーピングが否かを問うのであれば、国際サッカー連盟(FIFA)に申し立てるのがふさわしい」として、JSAAの仲裁手続きには応じず。

11月14日
我那覇選手は、日本スポーツ仲裁機構(JSAA)に処分取り消しを自ら申し立てるかについて「現時点ではそこまで考えていない」と話し、川崎側も「(追加制裁の)リスクがある限り、動くことはない」と、現段階ではその意思はないという。しかし、「自分がドーピング違反を犯したとは、どうしても思えなくなった。真実を明らかにしてほしい」と我那覇選手は語った。
11月15日
参議院文教科学委員会でこの問題が取り上げられる。

11月16日
文部省はJリーグから事情を聞くと決定。

11月21日
日本サッカー協会の専務理事、Jリーグの事務局長が文部科学省を訪れ事情説明を行った。その中で「サッカー界全体のことを考えて、なるべく早い解決の道を探ってほしいと強く求めた」という大臣官房審議官の要請に従い、22日に川崎側に再度、異議申し立ての意向があるか確認することを明言した上で、事務局長らは、日本スポーツ仲裁機構に我那覇選手の処分取り消しを求めた川崎の前チームドクターが処罰の対象外であることから、仲裁に同意しなかったなどと説明。
そして、この件がドーピングに該当するかをFIFAに確認した上で、我那覇選手や川崎が望むなら国際機関のスポーツ仲裁裁判所(CAS、スイス)による仲裁を受け入れるという高いハードルを課した。


この一連の流れから、Jリーグの腐敗臭を感じる読者は多いはず。
最初にミスを犯したJリーグのドーピングコントロール委員のアホ木委員長は、ドーピングの権威で私大の学長を務めていて、近々、世界アンチ・ドーピング機関の委員だか理事に推薦されているこの世界の重鎮とのこと。
つまり、アホ木委員長とJリーグに、これ以上のキズは困るのである。

日本代表の中にドーピング疑惑の選手がいることは、多くのJリーグ関係者が知っているところである。
つまり、つまり、Jリーグは「サッカー界全体」のことを考えて解決の道を探っているとそういうことなのでもある。
組織ぐるみの隠蔽と箝口令。

しかし、しかし、腐敗液は完全密閉の状態であっても周囲を腐らせて漏れ出すものである。
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朝は・・・

2007-11-26 10:08:30 | 雑談の記録
毎朝、サッシからの冷たいすきま風で目が覚める。
窓ガラスに付いた水滴が流れおち、ガラスは毎朝泣いている。

6畳一間のボロアパートの一室、そこで毎朝3人の男が目覚める。
ボクと同僚の山ちゃん、そして課長だ。

7年前、熊本県はついに財政破綻した。
公共事業だよりのボクが勤めていた小さい会社は、熊本県の財政再建団体の指定とともに解散。
技術部にいたボクと山ちゃんと課長は、派遣労働者として関東地方の大型都市土木現場の地盤変位計測で食いつないでいる。


毎朝、ボクらは無言で重たい体を起こす。
煎餅布団をたたみ、作業着に着替える。
人が良くて事務員の女性に人気があった山ちゃんは、スッカリ不機嫌な中年男になっていた。
課長はもうすぐ60歳だ。頭はスッカリ真っ白で、酒もズイブン弱くなった。


アパートの階段の手すりは錆びが酷く、その用途をなしていない。
3人の男は、そのボロ階段を降り、近所のコンビニに寄って現場に向かうのが日課になっていた。
空は灰色だった。


リョー坊と最後にキャッチボールをしたのはいつだったろうか。
小学校の10周年記念事業で司会を務め、感動とともにラストを迎えたあの日のことを思い出す。
遠い遠い昔のことのように思える。充足していた日々だった。
本当に懐かしい。あの頃、世話になっていた人々は元気にやっているだろうか。
・・・カミさんに会いたい。

こんな呟きや思い出に何の意味があるというのだろう。
ボクだってスッカリ荒んだ男になってるじゃぁないか。


大通りには、仕事や学校に向かう人と車。
その光景が歪んでいった。そして、熱いものが頬を伝っていった。
アスファルトに、黒い染みが浮かび上がった。

・・・・あの日々が本当に懐かしい。


目が覚めた。
夢だった。朝だった。
カミさんが起こしてくれた。
布団が暖かかった。
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