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迷歩録  みちくさ

2016-04-05 14:58:59 | 日記
 菜種梅雨  雲よ流れず  桜散る  短き時を  艶やかに行く

                          ひのひら  ろくべえ





    道草、寄り道、遠回り、われわれが幼き頃は学校帰りの定番の行動である。今の時代このような行動は

   とんでもないことになる。子供誘拐事件がマスコミから流れるたびに、時代と言うか殺伐とした社会の病

   を見る思いだする。

    道草、人生には道草も必要、社会人になって、ひたすら仕事仕事と生活するのも大事だがそれ以上に道

   草は大事ではないだろうか。目的や目標と言ったことにまっしぐらもいいが、私は道草や、遠回りが好き

   だ、特に目的なしの寄り道なんて言うのは最高である。長い長い人生、今日で終わるかもしれないいつ

   まで生きれるかわからない。そんな人生なのに、あくせくあくせくするのでなく、道草をしながら、のん

   びりと、旅を続けるのもいいのではないだろうか。人生とはそのような楽しみながら、道草をしながら進

   む旅であろう。

    精神的にあくせくしているよりはいいのではないだろうか。人間の精神はあくせくする事よりも、の

   んびりすることを好む。こののんびりをクライアントに伝えることができ、クライアントが実行できたな

   らば、素晴らしい精神療法である。共に愉しみ共に暮らすそんな社会を目指したいものである。

    今朝、テレビで高齢者施設の取り組みで、おむつゼロ作戦なるものを放送していた。素晴らしい取り組

   みをしてる施設のドキュメントであった。おむつが企業の開発で紙となり、手軽に使用するようになった

   が、それだけに軽々に使用されるようになった。施設によっては、使用することが当たり前となっている

   所も少なくないと聞く。人間らしい生活の中に排泄行為のコントロールというのがある。そのことをおむ

   つという、物によって援助する側の論理性だけで進めることで、さらに高齢者はコントロールできなくな

   る。援助という行為がその人のためにならない、本末転倒の行為なのではないだろうか。

    排せつ介助というものは、道草、まわり道、寄り道なのかもしれないが、本人にとってはとても大切な

   ことなのである。一人前の人間として認められる最低限の限界線なのである。おむつを簡単に施すのでな

   く、如何にしないで暮らすことができるかを模索するのが援助というもの、遠回り、道草、寄り道、結構

   なこと、そのような行為が認められる介護報酬であってほしいものである。

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