ヒーメロス通信


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道元「山水経」に見る「水の現成」 小林稔評論集『来るべき詩学のために(一)』より

2016年01月26日 | 井筒俊彦研究

連載/第十三回

小林稔

 「水、水を見る」。道元が「山水経」に説く「水の現成」とは。

 

無「本質」的分節なるものが、いかにして「本質」抜きで成立するのか。

以下、井筒氏の言説を追ってみよう。(P168~180) 

 「本質」とは元来、存在の限界付けである。存在界を一つの全体と見て、これを現実と呼ぶ。その中の一つの部分を他から切り離して独立したものと見立てる。これが「本質」である。こうして局所的に措定された「本質」をめぐって一つのものが組み立てられる。コトバによって名指しされるものは、このような形で私たちの意識に現前する。これが分節Ⅰである。このような経験的世界を大乗仏教は妄念の世界、空華、と呼ぶ。分節Ⅱを真の現実(真如)と考えるからである。分節Ⅱが分節Ⅰと分かつのは無分節である。存在の究極的無分節態は、存在(存在=意識)のゼロ・ポイントであり、意識と存在の二方向に分岐して展開する創造的活動の発出点である。しかも無分節者が最高度の存在充実である。

 「無」に瀰漫する存在エネルギーが発散してものを現出させる。

 分節Ⅱにおいてそのものを覚知する。この次元の意識にとって、経験的世界(現象界)の事物の一つ一つが、無分節者の全体を挙げての自己分節なのである。「無」全体がそのまま花となり鳥となる。局所的限定ではなく、現実の全体が花であり鳥である。つまり無「本質」的なのであると井筒氏はいう。この存在の次元転換(分節Ⅰと分節Ⅱの転換)は瞬間的出来事であるから無分節と分節は二重写しになる。すなわち「花のごとし」である。

 すべてのものが無分節者の全体の顕露であるがゆえに分節されたものが他のものを含む。

  「しるべし、解脱にして繋縛なしといへども、諸法住位せり」(道元)

 水は水の存在的位置を占め、山は山の存在的位置を占めて、それぞれ完全に分節されてはいるが、しかしこの水とこの山とは「解脱」した(無「本質」的)水と山であって、「本質」に由来する一切の繋縛から脱している。ところが、分節Ⅰにおいても水が低所に向かって流れるだけと見るのは偏った見方である。地中を流通し、空を流通し、上に流れ、下に流れ、川となり、深い淵となり、天に昇っては雲となり、下っては流れを止めてよどみもする。しかしこのような分節Ⅰの境地にとどまっている限り、水の真のリアリティーはつかめない。分節Ⅱでは無分節者が全エネルギーを挙げて、自己を水として分節する。 

「水のいたらざるところあるといふは、小乗声聞教なり。あるひは外道の邪教なり。水は火焔裏にもいたるなり。心念思慮分別裏にもいたるなり。覚知仏性裏にもいたるなり」

「一切衆生、悉有仏性」という根本命題の存在論的意味である。一滴の水の中にも無量の仏国土が現成するとも言われる。しかし、水の中に仏土があるのではなく、水すなわち仏土なのである。水の所在は過去、現在、未来の別を超越して、どの特定の世界にも関わりがない。しかし水は水として存在する。したがって「仏祖のいたるところには水はかならずいたる。水のいたるところ、仏祖かならず現成するなり」。

 『正法眼蔵』第二十九「山水経」の中で、道元は無「本質」的分節の自由性を、彼独自の先鋭な論理で考究しているが、「山水経」の主題は、有「本質」的分節のために枯渇している存在を、無「本質」的次元に移して、本来の生々躍動する姿に戻そうとすることにある。無分節者が自由に不断に分節していく。私たち人間が感覚器官の構造とコトバの文化的制約性に束縛され行なう存在分節は分節様式の一つに過ぎず。例えば、天人の目になり、魚の目になって、新しく分節し直してみればわかるということを道元はいっているのだと井筒氏は解釈する。しかし道元の存在分節論はさらに続き、先に挙げたような視点を含めた高次の視点に表われる「髄類の諸見不同」を超えて、「水、水を見る」ところに跳出しなければならないと道元はいうと井筒氏は説明する。

「水が水を見る」に至って、分節Ⅱは幽玄な深みを露にする。水が水そのもののコトバで自らを水と言う。水の自己分節。水が水自身を無制約的に分節する、これが水の現成であるが、水が水自身を水にまで分節するということは分節しないのと同じであり、分節しながら分節しない、それこそが無「本質」的存在分節の真面目であると井筒氏はいう。

 井筒氏は、「本質」否定論に対立する「本質」肯定論の第一の型である、宋儒の「格物窮理」を説明するついでに、正反対の.禅の無「本質」論を取り上げ、より明確にしようとしたが、その他これから井筒氏が述べようとするであろう肯定論の第二型においても対立を明確にするという理由があってのことなのだという。

それでは、その肯定論の第二型とは何か。井筒氏の言葉を下記に引用すれば、

 {詩的想像力、あるいは神話形成的想像力によって深層意識のある特殊な次元に現われる元型(アーキタイプ)的形象を、事物の実在する普遍的、「本質」として認める一種の象徴主義的「本質」論の立場である。グノーシス、シャマニズム、タントラ、神秘主義などなど。東洋哲学の領域において、顕著な位置を占め、その広がりは大きい。何処からともなく湧き起こって、意識の仄暗い深層にうごめきつつ、そこに異様な心象の絵模様を描き出す元型的「本質」。その世界を、無「本質」主義の禅はまったく知らない。あるいは知っていても、全然問題にしない。}

 Ⅷ P180~

 ここから第二型の肯定論に入る。(第一型の肯定論は、宋儒の「格物窮理」であった。)

 人間の表層意識に出没する怪物たちの棲息地は深層意識内である。ふだんは姿を現さない。この内的怪物たちが深層意識領域にとどまる限り、あるべき形で働く限り、それぞれの役割があり、時には幽玄な絵画ともなり感動的な詩歌を生み出すものをもっていると井筒氏は指摘する。チベット・ラマ教美術の不気味な空間に浮かぶ異形のものたち、胎蔵界マンダラの外縁、外金剛部院を充たす地獄、餓鬼、畜生、阿修羅など輪廻の衆生。本来の深層意識の観想地域を離れて、表層意識に出没し、日常世界をうろつき廻るようになるとき、人間にとって深刻な実存的、あるいは精神医学的な問題が起こってくると井筒は解説する。心理学では、イマージュ形成こそ、人間意識の、他の何物によっても説明できない、最も本源的な機能であるといわれていると井筒氏はいう。ここで井筒氏が言おうとするのは、イマージュの場所は、深層意識だけではなく、表層意識にもあって、イマージュの性格も働き方も根本的に違うということであり、どう違うのかが、これからの論点になる。

 

以下、第十四回につづく

 

 

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「真の生と生存の美学 小林稔評論「自己への配慮と詩人像」(十五)より

2016年01月26日 | 連載エセー「自己への配慮と詩人像」からの

長期連載エセー『「自己への配慮」と詩人像』(十五)

小林 稔

 

43 自己への配慮において結びつく、真の生と生存の美学 

  「真理の勇気」という問題

 ソクラテスの創始した真理陳述のパレーシア様式は、他の三つの真理陳述の様式、つまり預言の様式、知恵の様式、教育、テクネーとその伝達の様式とははっきり区別された。『ソクラテスの弁明』『クリトン』『パイドン』というソクラテスのパレーシアをめぐる三部作に、原則や規則の識別特徴がはっきり現われていたとフーコーはいう。フーコーは他のプラトンの対話篇にも見出されるソクラテス的真理陳述のなかでも『ラケス』を取り上げようとするが、その四つの理由を挙げて説明する。以下、フーコーの説明の要約である。

一、『ラケス』にはパレーシア協定が対話の冒頭で明白に述べられていて、ソクラテスが、パレーシアを用いる権利を有する者として対話者たちに認められているということと、ソクラテスの真理陳述の特徴としてエクセタシス(吟味の原則)があり、エピメレイアという概念(配慮という概念)があるということがその理由である。ソクラテスこそが若者たちへ配慮すべき者として現われ、親たちはソクラテスに頼み、子供たちに配慮してもらおうとし、子供たちもまた自分自身に配慮しなければならなくなるようにしてもらおうとすることになる。つまりパレーシア、エクセタシス、エピメレイアが結合して登場するということである。

二、この対話篇が政治的舞台を維持していることが理由でもある。若者たちへの教育についての議論は特異なことではないが、この対話篇でソクラテスが対話している直接の相手は成人たちである。その成人たちは政治的な役目を果すことのできる人々、例えば、あるいは都市国家で重要な役割を果している政治家であり、シケリア遠征の指揮官を務め、シケリアで戦死した実在した人物である。ラケスは軍隊の指揮官で、ポ

ティダイアの戦いで戦死した、重要な役割を果した人物である。彼らに問いかけるソクラテスの姿が描かれている。このように政治的活動に直接接続しながらも、政治的な形式を持たない一つのゲーム、つまりパレーシアをソクラテスは提案し、政治家たちを巻き込んでいくという興味深い点が、この対話篇を取り上げる二番目の理由である。

三、この対話篇が、勇気とは何かというテーマに貫かれているということもその理由になる。対話者たちが政治や軍隊に関わっている人物であるということ、つまり戦場で身体的勇気を示した人物であるという特異な点である。『ラケス』では、「真に勇気あるこれらの人物にとって、勇気の真理とはいったい何だろうというか」という問いをめぐって展開される。つまり、真理の勇気に関する問題が、真理の問題および勇気の真理の問題に立ち向かう勇気を持つ人々によって提起されているということである。この「真理の勇気」(このフーコーの講義録の題でもある。)は、西洋哲学全体においてもたいへん稀なテクストである。勇気と真理のあいだに横たわる倫理的関係。一人の主体に対し、真理に接近すること、真理を語ることを可能にする道徳的諸条件に関する問題は、この対話篇の中心に置かれているといえる。西洋的反省の最も大きな表面を占めてきたものは、「主体の純化」の問題における、真理をめぐる問題であった。「ピュタゴラス主義以来、近代西欧哲学に至るまで、真理をめぐる浄化の一式を見出すことができる」。つまり、「真理に接近するためには、主体が、感性界、過ちの世界、利害と快楽の世界対し、真理の純粋さと永遠性に対して不純なものの場を構成する世界全体に対し、ある種の拒絶を保ちつつ自らを構成しなければならない」という考えである。「不純なものから純粋なものへ、曇ったものから澄んだものへ、かりそめのものや儚いものから永遠なるものへの移行」、こそが「主体が自らを真理の可能な主体として構成することができるようになるための道徳的経路であるという考えである。こうした浄化の全体は、ピュタゴラス派以来見出され、近代哲学にも見出される。デカルトの手続きも浄化のそれである。それは、「いかなる条件のもとで、主体は自らを純粋な視線として構成し、個別の利害と関係を断って、浄化された真理の把握のなかで普遍性を得ることができるのか」ということであった。しかし、浄化は真理をめぐる倫理の一つの側面に過ぎない。もう一つの側面、それが「真理の勇気」なのだとフーコーは主張する。真理の到達のために不可欠な、「いかなるタイプの決意、いかなるタイプの意志、いかなるタイプの犠牲さらには闘い身を投じることができるだろうか」という問いがある。この闘いは浄化とは別のものである。真理のための浄化の分析ではなく、真理への意志に関する分析になるであろうとフーコーはいう。『ラケス』にはそうした分析の出発点のうちの一つが見出される。それが三番目の理由である。

四、最後の理由として、『ラケス』のうちに、西洋哲学の発達におけるいくつかの道筋のうちの一つの出発点がしるしづけられているということである。それは『ラケス』と『アルキビアデス』の両者に共通する問題、近親者あるいは保護者が施すことができなかったためにいっそう必要とされる若者の教育の問題がある。『アルキビアデス』では、「教育すること、なおざりにすること、配慮すること」からなる、古典的な一つの問題、すなわち、「専念すべきは魂である」という問題に導かれる。それでは「魂とは何か、魂の本性はいかなるものであるか」。魂に専念すること、それは、「魂にとって、自分自身を見つめることであり、「そのことによって真理を見ることを可能にする神的要素を識別することである」。そうして最後には魂の神性というテーマへと到達する。これに対して『ラケス』では、何に専念するのかは問われず、自分たち自身に専念するような若者たちに教えなければならないというテーマがある。何に専念すべきか、魂ではなく、生(ビオス)、すなわち「生き方」である。生存の方式、この生存の実践であるとフーコーは指摘する。

 パレーシア協定

『ラケス』と『アルキビアデス』を比較検討すれば、哲学の反省と実践の発達における二つの道筋の出発点が見出せる。一方には、魂の認識のしるしのもとに置かれるべき哲学、他方には、生の試練、ビオスの試練としての哲学があり、プラトンにおいて結びついているものであるとフーコーは指摘する。彼はチェコの哲学者パトチカの『プラトンとヨーロッパ』というテクストに言及し、エピメレイア(配慮)に重要な場所を与えている唯一の書物としながらも、エピメレイアを、自己への配慮としてではなく、魂の配慮と考察しているので、生の試練、生の問題化、生の吟味、せいの検証としての自己への配慮という概念は消え去っていると指摘する。配慮の対象としてのビオス(生)のテーマは、後のキュニコス主義の哲学の出発点として、『ラケス』から読み取ることができるのである。つまり、「『ラケス』は、生の試練としての自己への配慮の問題の出発点である」とフーコーは明言する。その対話篇の構成を分析しテーマを明確にするため、フーコーは三つの契機を挙げている。

 一つ目の契機は、冒頭部の対話の準備が整えられる箇所(『ラケス』178‐180)である。まず、『ラケス』の訳者、生島幹三氏(岩波書店「プラトン全集7」)の解説を頼りに要約してみよう。対話がなされた場所は、アテナイのとある体育場であり、銃武装して戦う術をそれぞれの息子に学ばせることを勧められた二人の老人、リュシマコスとメレシアスがいる。二人とも子供の教育に心を悩ませている。相談する相手は、ニキアスとラケスである。先述したように、ニキアスは、ペロポネソス戦争でのアテナイの将軍で、保守貴族派を代表する政治家であり、ラケスは、ペロポネソス戦争中、アテナイがシケリアに派遣した船隊の司令官であった人である。要するに軍隊を指揮したことで著名な人たちである。息子の教育について相談する前に、二人を体育場に連れてきて見物させようと目論んでいた。そこにはそれぞれの息子とソクラテスも連れてきていた。対話篇の冒頭でリュシマコスの長い話が始まる。話の内容を要約すると次のようになる。リュシマコスは、メレシアスと自分の祖父の名を揚げ、前者の息子は祖父の名をもらってツゥキディデス(同名の歴史家とは別人)といい、後者つまり自分の息子はやはり祖父の名をもらってアリスティデスと命名したという。祖父、つまりリュシマコスやメレシアスの父親はそれぞれ政界で名をなした人たちであり、息子に語ることができるが、彼らは、自分自身のしたことは何も語ることがなく、世に知られるようなことは何もしてこなかったので、息子たちには語ることが何もないのだという。それは父親が、子供たちの教育をせずに、他人のことばかりに精を出していたからだと父親をとがめたりもすると告白する。子供たちが、私たちのいうことを聞かず自分自身に対する心がけを怠るようであれば名もない人間になるであろうが、その心がけを忘れなければ、名をもらった祖父のように立派な人間になり、その名に恥じない人間になるのだ。つまり、リュシマコスのいいたいことは、自分の父親が公務に忙しいあまり子供たちの教育をしなかったこと、そのように育てられた自分がその子供たちに、自分たちのようにならないためにも、祖父のように立派な人間になるためにも、父親としてどのような教育をしたらよいのかを相談しようとするのである。(フーコーの講義録『真理の勇気』の草稿には次のような記述が見られると、訳者、慎改康之氏は註に加えている。それによると、「政治的形態における他者への配慮と、自己および他者に対する倫理的配慮とのあいだの」緊張、つまり「自己および他者に対する倫理的配慮を非常に困難にするように思われる政治的配慮とのあいだの緊張が古代道徳のなかに見出されると書かれている。」

 この対話篇の冒頭でフーコーが注意を喚起しようとするのが「率直さ(パレーシア)の協定」と呼ぶものである。パレーシア(率直な語り)と配慮の概念が結び合わされているとフーコーは指摘する。なぜニキアスとラケスをこの体育場に連れてきたのかを打ち明ける場面である。

 

 ニキアスとラケス。あの男が銃武装してわたりあっているところを、ご覧になったわけですが、何のために私と、

このメレシアスが、いっしょに見てくださるようにお願いしたのかということは、さきほどいいませんでしたが、

いま申しましょう。皆さんには何でもお話すべきだと、私たちは考えていますので。といいますのは、このよう

なことを馬鹿にしている人たちがあり、それにまた、人が相談しても、自分の考えていることをすこしもいわず

に、相手の考えをおしはかって自分の心にもないことをいう人がありますのでね。しかし、みなさんは、すぐれ

た判断力をおもちになっているばかりでなく、判断したうえで、考えることをそのままいってくださるだろうと

思いまして、それで、これからご相談しようとする問題について、ご意見をうかがうためにお呼びしたわけです。

(『ラケス』178)

 

 引用にある「あの男」とは武闘術の教師ステシレオスであり、フーコーによれば自分にできることを言葉で説明するだけでは満足できずに、他の対話篇で現われるある種のソフィスト、すべて実行に移すことが困難なことを言葉で説明し、それだけで満足せず実行に移す。ステシレオスは実際に自分ができるかということを示す。それによってリュシマコス、メレシアス、ラケス、ニキアスは自分の目で判断できる。言葉による提示とは別次元の、視覚的で直接的な試練の次元であるとフーコーはいう。ここで大切なことは、リュシマコスの語りのなかで表現される、「みなさんに何でもお話すべきだと」考えていることを述べ、相手にもそれを求めているということである。自分たちが父親のなおざりで何も教えられず、「月並みな生を送ってしまい」、名をなす人間にならなかったことという恥ずべきことも率直に語っているのである。さらにニキアスと

ラケスに体育場でのステシレオスの実演を理由も告げずにつれてきたことにどんな意味があるのか。フーコ

ーは、ラケスとニキアスが軍事的責任を果してきた人であり、この方面に通暁していること、もう一つは自

分の考えを隠さずにはなす人であると思っていたからであるという。つまり、〈真なることを語ること〉を語る場所の保証から、言説にあって人を欺くかもしれないものを払拭しておく必要があったということを指摘する。そしてそれらは、「子供たちに与えるべき気配りであり、子供たちに専念するやり方に関する問い」にとって重要事であるということを意味するとフーコーはいう。リュシマコスはラケスとニキアスに尋ねる。あなた方に子供がいたらどのように専念するか。「自分の息子たちを、その試練と訓練を私たちが直接見たばかりのあの戦闘術の教師に託すことが、本当に必要であろうか。息子たちが彼から授かることのできる教え、彼が息子たちに与えることのできる教えは、はたして受ける価値のあるものだろう、と。」なぜそのような質問をするかということは先述したように、自分たちは息子に対して模範例とされるべきものではない、父親たちは他の人々の事柄に専念し、多忙であったのだとリュシマコスはいう。

 子供たちへの配慮について、リュシマコスとメレシアスはまず「自分自身の配慮に関する説明を行なうために、自分自身の恥辱、自分自身の気詰まりを克服しなければならない。」それはパレーシアによってなされることになる。「子供たちに対してなすべきエピメレイア(配慮)のテーマと、パレーシアのテーマが結びついている」、つまり「子供たちに対する気配りの問題を提起するために、パレーシアに、真なることを語る自分たちの勇気に訴えなければならない」ことをフーコーは指摘している。

 政治的モデルから技術的モデルへの移行

 二つ目の契機は、それまで聞いているだけであったソクラテスが対話する場面である。依頼されたニキアスとラケスはステシレオスという武闘術の教師の実演についてそれぞれ対立する見解を述べる。ニキアスとラケスの二人の意見の対立が、政治的形態をとることにフーコーは注目する。「二人の相手が連続的な一つの言説のなかで自分自身の意見を交互に展開することになる場所としての民会のアナルゴンがある」。ニキアスは武闘術の教師による授業が有用であると考えている。なぜならそれは、「武闘術は戦略に関するすべてを学ばせてくれるからである。」さらに祖国をやがて守ることになる勇気および大胆さという精神的資質を与えてくれるからであるとフーコーはいう。ラケスの言説は反対に訓練を批判したものになった。理由は二つにまとめることができる。一、どんな術でも知っておくことはよいことである。武闘術(翻訳では「重甲術」)が一つの術であれば学ばなければならない。しかし重大なものでなければ学ぶ必要がない。もし価値あるものであるとするなら、ラケダイモン(スパルタ)の人々が気づかないはずはなく、むしろ重武装して戦う人はラケダイモンに出向いて行くべきである。つまり、「彼ら武闘術の教師たちが、本当に鍛え抜かれた兵士がほとんどいない都市国家のなかでしか、自分たちの能力を示さない」というフーコーの説明がこれである。第二の理由は、ラケスは実際、戦闘の場面でステシレオスの本当の腕前を見てしまっていたのである。原文のテクストからの引用は割愛するが、フーコーの要約を引用すると、「自分(ステシレオス)がたいした勇気を持ってはいないことを示すと同時に、とりわけ非常に不器用であることを示した。つまり彼は自らの教えを自分では実行できず、それを見た兵士たちが腹を抱えてわらいころげるほどだった」とラケスは述べた。先述したように、ステシレオスは一種のソフィストであるというフーコーの考えが浮かび上がる。このような二つの意見の対立を解決すべくソクラテスに対し、助けが求められることになる。

 ソクラテスの介入によってもたらされる三つの変容をフーコーは指摘する。一つ目は議論が政治的モデルから技術的なモデルへと移行したことである。意見の不一致がある。ソクラテスはどちらの意見に一票を投じるか迫られる。ソクラテスは直ちに拒否する。ソクラテスの言説は次のようになる。ここでは一体何が問題になっているのか、それはテクネーであり、多数派による支持ではなく技術なのである。多数の意見ではなく、「すぐれた体育科のもとで教育をつんだようなひとのいうことに従う」ことを選ぶであろう。したがってそのような人、つまり体育に関して最も技術をもっている人をどのようにして選ぶのか。ソクラテスはいう。「その人は、まさにそのことに関するよい先生であった人について、そのことがらを学びそれについていつも従事していた人ではありませんか。」(『ラケス』185B)さらに「われわれの中の誰が技術者であるか、そして当の問題に関して先生を持っていたか、また誰がそうではないか、ということを審議していながら、いったい何の問題を審議しているのかという点を、最初にわれわれのあいだで同意しておかなかったように私には思えるのです。」(185C)

ソクラテス 人が或るもの―つまりそのためを考えてやっていた当のもののほう―についてなされるのであって、その何かのほう―つまり、他のもののためにもとめられていたもののほう―についてではありませんね。

 ニキアス まったくそうです。

 ソクラテス ところでいまわれわれは、若者たちの魂のための学びごと(術)について、調べているのだ、といったものでしょうか。

 ニキアス ええ。

 ソクラテス そうしますと、われわれの中に誰か、魂の世話に関して誰が技術をもち、りっぱにそれの世話ることのできるひとがいるかどうか、そして誰がよい先生についたことがあるか、このことを考えなければなりません。(185E)

 テクネーに関して力量のある人かどうかを判断する基準は何かを考えるとき、ソクラテスは、その人がどのような教師について学んだのか、さらにその教師がよい教師でありよい生徒を育成したかがわかるときであると考える。また、よい教師を持っていただけでなく何か価値あることをなすことができたのかという二つの基準を必要とする。もちろん教師なしで何か価値あることをなしえることも可能であるとソクラテスはいう。

 

 ソクラテス では我々もまた、ラケスとニキアス、―リュシマコスとメレシアスは、この二人の息子さんたちの

魂ができるだけすぐれた)よき)ものになることを願って、この人たちのことでわれわれを相談に及びになった

のですから、―このかたがたにわれわれの先生たちを見せるべきです。もし見せることができるというのであれ

ば――つまり、自らがよき人であって、数多くの若者たちの魂の世話をしたのちに、われわれをも教えてくれた、

――ということがあきらかに認められている先生たちとは誰々であるか、ということを示さなければなりません。

(186)

 

 フーコーは、ここには政治タイプの真理陳述から技術的真理陳述への移行を指摘する。前回の考察で四つに分けた真理陳述の、技術の真理陳述のことで、教育の真理陳述も含まれる。それは、教師から弟子へ伝達され、作品によって表明されるような「本質的に一つの知の伝統性に依拠していること」であるという。

 第二の変容は、魂に関する技術が問題となるところで、ソクラテスの教師像とはどのような人をいうのか、その人の作品とはどのようなものかを問われるところでソクラテスは身を引く。なぜであろうか。ソクラテスはいう。「私個人は一度も教師に教わったことはない」。教師に謝礼を払うほど裕福な家ではなかったからであり、「かといって自分でその術を見つけ出すことは、いまなお、できないでいます。」(186C)つまり、私には他の人々に教えることができないとソクラテスはいっているのである。ニキアスとラケスは教師に教わるほど裕福な家庭であったので若者たちに教えることができるだろうとソクラテスはいう。ソクラテスはニキアスとラケスに尋ねる。あなた方の教師は誰だったのか、また彼らと同じ技を持つ人をいってください、謝礼をして面倒を見てもらうようにという。ソクラテスの言葉を受けてリュシマコスは、ニキアスとラケスにソクラテスの質問を投げ返す。

 第三の変容はフーコーによると、ソクラテス的パレーシアの出現の端緒になるという。二人の話し相手を技術の領域に引き入れ、教師による知の伝達において彼らの役割や働きがいかなるものであるのかを尋ねる。しかし、ソクラテスは別のことをたくらんでいるのだとフーコーはいう。それは政治的ゲームでもなく、技術に関するゲームでもなく、パレーシアと倫理のゲーム、つまりエートスの問題へと向けられるパレーシアのゲームであるとフーコーは指摘する。

 パレーシアと倫理ゲーム

 これまでのソクラテスが発言をしたことで起こる変容を整理しよう。まず、政治的真理陳述から技術的真理陳述に移行したことがある。技術的真理陳述は一つの知の伝統に依拠していることを明らかにする。つまり、誰に教わったのか、教師は誰であどのような作品を残したのかが問われる。それは、魂の「治療法」というよりもむしろ]魂への気配りの技術者)(フーコー)を求めていることを意味しているのだ。このように述べてソクラテスは身を引く。なぜならソクラテスには教師がいなかったので他の人々に教えることはできないとソクラテス自身によって語られる。それ以後は、ラケスとニキアスという世に認められた立派な二人の人物に対して、彼らの教師は誰でありどのような人であったのかを問う展開になる。ニキアスは以前からソクラテスとの対話に加わったことがあり、ソクラテスの対話法を知っている。彼は次のようにいう。「誰でもあまり近づいて話をしていますと、はじめは何か他のことから話し出したとしましても、彼の言葉にずっとひっぱりまわされて、しまいにはかならず話がその人自身のことになり、現在どのような生き方をしているか、またいままでどのように生きてきたか、をいわせられるはめになるのです。さていったんそうなると、その人のいったことを何もかもきちんと吟味してしまうまで、ソクラテスは話してくれないでしょう。」

この言説から理解されるように、「エートスの問題へと方向づけられたパレーシアのゲーム」(フーコー)にさらに移行する。先述したようにフーコーは、ソクラテスの言説には別のたくらみ、政治的ゲームでもなく、技術的ゲームでもなく、倫理のゲームの場を用意しようとするたくらみである。それは何より作者プラトンの作品構成の手腕である。さらにもう一人の人物、ラケスを用意する。ラケスはソクラテスと対話したことがないが、前四二四年のデリオン戦でソクラテスと従軍していたことが知られている(訳注)。

 

 ラケス ……ところでソクラテスはというと、私は彼の話(言葉)のほうを経験したことがありませんが、さき

に行為のほうを経験したようです。そして、行為のほうで私が知った彼は、どんな美しい言葉(話)をどんなに

遠慮なく言っても、それにふさわしい人でした。したがって、もし言葉のほうもりっぱにできるとすれば、彼こ

そ私の望みにぴったりの人です。このような人にであれば、喜んで吟味されましょう。いやがらずに学びたいと

思います。私も、ほんの一つだけ付け加えますが、ソロンの言うことに賛成です。つまり、「年をとっていくと

ともに、多くにことをー―ただすぐれた人たちからだけ――教えられ」たいのです。……(中略)……あなたが

私と危難をともにし、あなた自身の徳を、まさに人の模範とすべき仕方で、証明して見せたあの日以来、私はあ

なたに対してそのような気持ちでいるのですよ。(189)

 

 右の引用からわかることは、ラケスはソクラテスという人の言動と行為がぴたり一致していることを実際に見て知っていることである。フーコーは、ソクラテスのゲームが対話の中でどのように提示されるかを次のように指摘する。まず相手からどのように受け入れられるのか。ソクラテスの方法がソクラテス自身によって前もって提示され素描され定義される。ゲームの相手がそれに抵抗することもあるが、『ラケス』では一人(ニキアス)がソクラテスの方法を熟知していること、もう一人(ラケス)はソクラテスの方法を知らないがそれを受け入れようとすることに特徴がある。先述したようにここにはパレーシア協定が成立しているということがわかる。「私の年齢のことなど気にせずに、気がねなく話してください」とラケスはソクラテスにいう。(訳注によると、ソクラテスは四十五歳、ラケスやニキアスは五十歳前であり、ほぼ同じ壮年である。)先述したように、ニキアスの言葉からわかること、それはフーコーの説明によれば、「ソクラテスは、彼の話し相手が導かれて、自分自身について説明するまで離さない。自分自身について説明するということは、彼自身とロゴス(理)とのあいだにどのような関係があるかを示すことであるとフーコーはいう。ここまできると、教師でもなくその作品でもない。問題は人が生きるやり方である、つまり、あなたは今をどのように生きており、過去の生をどのように生きたか、であるとフーコーは指摘する。

 生のトポス、生のスタイル

 フーコーによれば、『ラケス』で問題になっているのは、試金石と呼ばれるものに自分の生を委ねることであるという。つまり、生存のなかでなされたよき行いと悪しき行いとの区別を可能にする試練に自分の生を委ねることであるという。ラケスはその言説で、ソロンの生涯を通して学ばなければならないという言葉を述べる。技術的力量はいったん獲得すれば後はそれを使うことに費やすが、ソクラテスの試練は生涯にわたって身を委ねるべきものである、つまり「生存の全体にわたる生の試練とその吟味を支えるある種の関係を設立することが問題となる」とフーコーは指摘している。それではソクラテスがそうした倫理的パレーシアの役割を果すことの正当性は何によって認められるのかとフーコーは問う。

 一般的には右に引用した言説にあるように、ラケスはソクラテスがデーリオンの闘いで勇気を示したことを実際に見ているので、言葉と行為を一致させている人であると理解している。従って自分を吟味してくだ

さいとソクラテスに申し出たと考えられているが、フーコーは異論を唱える。テクストの動きに注意をはらうならば、まだ勇気は問題にされていないのであり、この段階では子供たちにステシレオスに彼らを託すべ

きかどうかを問題にしているだけである。勇気を示す言葉(andoreia)が出てくるのはテクスト190Dからである。ここではアレテー(徳)について語っているのである。それではラケスは何を語っているのか。語り手が語っていることと、語り手がそうであるところのものとのあいだの調和であるとフーコーは指摘する。語り手の生が見事に調律されたものであるとき、ある人物の言説と彼がそうであるところのものとのあいだに協和(シンフォニー)があるとき、そのとき私は受け入れ、ピロロゴス(言説の友)となるのだということであるとフーコーは注意を促す。ソクラテスが語る内容、語り方、彼の生き方のあいだに、協和があり、調和があるから、ラケスはソクラテスに吟味されることを受け入れたとフーコーは読み解くのである。

 この対話で大切なのは、フーコーによると、第一にエピメレイアとソクラテス的言説のある種の方式とが結びついていること、第二に、ソクラテス的パレーシアは生存の様式、生の様式について語るものであり、それを試練にかけて、生の様式の中でも良いものとして認められるものは何かを定めようと試みるものであるとフーコーはいう。まさしくこれが倫理的パレーシアと呼びうるものである。

 ニキアスとラケスに、彼らの教師は誰でどんない人であったのかというソクラテスの質問は方向を変え、結局は同じことになり、そのほうが根本的に考えることになるというソクラテスの庭園を受け入れることになる。「どのようにすれば、徳が息子さんたちの魂に生じて、魂をまえよりよきものすることになるだろうか」という相談に、われわれを呼んだのではなかったのか」(190B)とソクラテスはいい、徳とは何かを知らずに、人の助言者になることはできないのであるから、われわれはそれを知っていると認めていることを確認する。徳といっても範囲が広いので、ここでは重武装術が問題になっているので、勇気とは何かを考えてみようとするソクラテスの提案にラケスも同意する。ソクラテスはラケスに尋ねる。勇気とは何か。「戦列にふみとどまって敵を防ぎ、逃げようとしないとすると、その人は勇気のある人である」というラケスの答えにソクラテスは、「逃げながら、敵と戦う人のばあいはどうか」と神話や歴史上の人物の例を挙げて尋ねる。騎兵はそういう戦い方をするが、重甲兵は逃げずに戦うのだとラケスはいう。ソクラテスは個別のことではなく、すべての人々、例えば病に対して、貧乏に対して、政治上の事件に対して、欲望や快楽に対してなど、それらの人々を含めて、勇気と臆病について訊きたいのだとソクラテスはいう。ラケスはソクラテスのいおうとすることがわかりかねている。〈迅速〉とは何か、という別の例を挙げ、「短い時間に多くのことを仕上げる能力」であるという答えを求めていることになるように、勇気とは何かをいってみてください」とソクラテスは問いかける。すると「魂の一種の忍耐づよさ」とラケスは答えた。忍耐心のすべてが勇気であるということはできない。なぜなら〈勇気〉とは非常に美しい(りっぱな)ものの一つであるからである。「思慮をともなった忍耐心」は美しいものではないかというソクラテスの問いかけにラケスは同意する。「思慮のある忍耐心が勇気である」と二人は認め合うことになったが、何に関して思慮ある忍耐心といえるのかを検討する。しかし思慮深い行為とそうでない行為の境界が明確ではないことがわかる。ソクラテスはニキアスに救いの手を求めることになる。「勇者がよき人であるとすればあきらかにその人は知者である」とニキアスはいう。それに対してラケスは反論する。知と勇気は別々のものである。例えば医者は病気の恐ろしさを知ってはいるが、医者を勇者とは呼ぶことができない。また「勇気とは、恐ろしいものと恐ろしくないものとの知識である」と主張するニキアスに、「ライオンや豹などの獣たちは恐れを知って勇敢であるのではない。無知のために何も恐れない小さな子供たちを勇気ある者とはいえないと反論する。ここではラケスもニキアスも勇気とは何かについて説明することができなかったのである。フーコーによれば、ラケスは、勇気のある人物でありながら、自分自身の行動様式について説明することができなかったし、ニキアスは、勇気を単に知、能力、力量、エピステメーという観点からのみ説明しようとしたので失敗に終わったのだという。つまり、現実に勇気のある二人が勇気を語ることができなかったことをフーコーは指摘する。

 私たちはロゴスという教師を必要とする

 このように進行した対話が中断されようとするテクストの末尾で何かが起こったのだ、それを対話の中に見出される三つの結論の重ね合わせのなかに探し求められなければならないとフーコーはいう。

 第一の結論。「あなたはまだダモンのもとへ赴いて教えを受ける必要がありそうだ」と、ラケスはニキアスを揶揄していう。ダモンはニキアスが師事されている音楽教師である。つまり、「テクネーの世界、一つの知が教師から弟子に伝達される伝統的な教育の世界へ送り返されることである」とフーコーはいう。

 第二の結論。ニキアスとラケスが退場するとき、ラケスはリュシマコスに助言を与える。「あなたの子供たちをソクラテスに託すべきである」。彼(ソクラテス)が彼ら(子供たち)に専念してくれるようにするためであり、彼が彼らをより優れた人物にしてくれるようにするためだ」と説明する。ニキアスも同意見である。しかし、ソクラテスは断る。なぜなら勇気とは何かをわれわれは見けられなかったのである以上、私をこの仕事に呼び出すのは正しくないであろうからという理由であった。しかし、「われわれ自身のためにも、つぎにはまた、この若者たちのために、金銭も他の何ものも惜しまずに、できるだけすぐれた先生を探さなければならない、……中略……誰かが何かを言おうとするならほうっといて、われわれ自身ととこの若者たちとの面倒を、いっしょに見ることにしましょう。」(201)とソクラテスはいう。フーコーは、技術的教育と伝統性に戻ろうと提案しているようであるが、そこにはソクラテスのアイロニカルな結論でしかないという。出費を控えないようにしよう(金銭も他の何も惜しまずに)、新しい教師の元へ戻ろう、というソクラテスの言葉にフーコーは注意を喚起している。「教師とはダモンやステシレオスのような、報酬を支払うべき教師のことでは」なく、「誰一人として勇気の定義に到達できなかった以上、全員が教えを請うべき教師、それはもちろん、ロゴスそのものであり、真理に道を開いてくれる言説である」とフーコーは主張する。『ソクラテスの弁明』のなかで、神々によって与えられたソクラテスの使命とは、市民や道ゆくすべての人々に専念し、彼らがより優れた人物になるようにすることであるという言説を思い起こさせるとフーコーはいう。「人ができるだけすぐれた人間になろうとしているときに、加勢しようとしないのであれば、それこそ恐ろしいことでしょうからね」とソクラテスは結局はリュシマコスの子供たちの教育を引き受けることになる。

第三の結論。「私はあなたと同様、完全に無知なのだ、私たち全員が一人の教師を必要としているのだとソクラテスが語ったとき、リュシマコスは別の言葉をそこに聞いたのだとフーコーは指摘する。それは「本当の教師のもとへ導いてくれる教師は、ソクラテスであり、ソクラテスだけである」という言葉であるとフーコーは指摘する。もちろん、本当の教師とはロゴスである。リュシマコスは息子たちだけでなく自分自身も、自らの生存、自らの生存のスタイルを絶えず試金石に委ね、「自己に配慮しロゴスに耳を傾ける道へと先導」してもらうためにソクラテスを家に招こうとする。ソクラテスは、「もしそれを神がお望みなのであれば」と承諾するのであった。この平凡な儀礼的な言い回しに、プラトンは二つのレヴェルの言葉を込めた、それは実際、「神がそれを望んだ」こと、つまり「神がソクラテスに対し、人々のもとに赴いて彼らに自分たちの生き方を説明させること、自分自身に専念するよう人々に教えることを命じた」ことを想起させるためであるとフーコーは指摘している。真の教師は学校教師でロゴスであり、ソクラテスも他の人々同様にロゴスに耳を傾けなければならない。ソクラテスはこの時点で他の人々と同等である。そして自分自身に専念し、他の人々に専念しなければならない。フーコーによれば、ロゴスに耳を傾けることに関してそれを先導する者、自分自身に耳を傾けなければならない、そのためにロゴスに耳を傾けなければならない、と絶えず口にする者としてのソクラテスはやはり特権的な立場にあるという。ソクラテスが教師であることを拒絶したのは、テクネーの教師の役割であり、誰もが自分自身に専念し、他の人々に専念すべきであるという、ソクラテス的共同体における同等性が見られるものの、他の人々を自分自身への気配りへと、あるいは他の人々への気配りへと先導する者として、他の人々とは異なるとフーコーは主張するのである。

 西洋哲学を通じて辿る二つの大きな道筋

 ソクラテス的実践によって道を拓いた倫理的パレーシアは都市国家の政治と救済の必要性から出現したものであるが、政治的パレーシアとは異質のものになった。フーコーは『ラケス』において、その倫理的パレーシアの実例を明らかにしようとしたと述べ、その実例が注目すべき二つの点を挙げる。一、真理を語る勇気というテーマが、勇気の真理というテーマに結び付けられていること。二、もう一つの結び付き、パレーシアの使用と、自己自身に専念すべし、自己に配慮すべしという原則とのあいだの結び付きであるという。フーコーの意図は、ソクラテス的真理陳述の特徴が『ソクラテスの弁明』『クリトン』『パイドン』の三部作に見られるソクラテスのパレーシアに明確に示されているのを確認した後で、『ラケス』にそのパレーシアが行使されている実例を見ようとすることにある。さらにフーコーが主張しようとすることは、『アルキビアデ

ス』と『ラケス』を比較対象することで見えてくる二つの流れ、「プシュケーへと赴きつつ、可能な形而上学的言説の場所を指し示すもの」と「生存としてのビオス(生)へと向かう自己自身の説明、自分自身に関して理を示すこと」がある。前者は魂の形而上学、後者は生存のスタイル論へと向かう。『アルキビアデス』ででは、「魂を発見することが問題になるときの〈真なることを語るときの勇気〉があり、『ラケス』では、生に形式とスタイルを与えることが問題になるときの、〈真なることを語るときの勇気〉がある。〈真なることを語るときの勇気〉を考えるとき、われわれが注視すべきことは、フーコーがいうように「いかなる代償が必要かを語るリスクである。「身体とは別の魂なる現実を置くという形而上学的リスクではない」とフーコーはいう。「西洋哲学を通じてソクラテス的真理陳述の発達が辿る二つの大きな道筋の出発点」が『アルキビアデス』と『ラケス』にはあるとフーコーは重要な指摘をしている。ソクラテス的パレーシアが追及しているのは、これらの両義性、つまり「魂の存在」と「生存のスタイル」は「魂の存在を見出しそれを語ること」ともまた「生存にスタイルを与える任務」であるとも理解されうるのであるが、西洋哲学において、この二元性が深く刻まれていくことになった。いま『アルキビアデス』と『ラケス』を比較検討することによって、プラトン哲学における両義性と、その後の西洋哲学に見られる二元性を考察できるのではないだろうか。

 フーコーがこの講義録で浮彫りにしようとするのは、「生存の美学」と呼びうるようなものの歴史を見出すことであるが、フーコー自身もいうように、生存の技法を単に研究することではなく、「ソクラテス的パレーシアの出現とその創設によって、生存が、ギリシャ思想のなかで、どのようにして一つの美学的対象として構成されたのか」ということなのである。さらにはもう一方の「魂の形而上学の歴史研究」の必要性も述べている。フーコーによれば、「生を一つの美学的形式の対象として構成するものとしての主体性に関する歴史研究が、魂の存在論が創設され打ち立てられたやり方に関する歴史研究によって覆い隠されてきた」し、「美学的形式に関する研究の特権化によっても覆い隠されてきた」という。フーコーが何より強調したいのは、「人間が存在し行動するそのやり方、人間の生存が他の人々の目および自分自身の目に対して出現させる様相、さらには人間の生存が死後に他の人々の記憶のなかに残すことができるであろう痕跡といったものは、人間にとって、美学的な気遣いの対象であった」し、「それらは人間に対し、美しさ、輝かしさ、完璧さへの配慮をかき立てたのであり、少なくともその同じ人間が神々や神殿や歌に形式を与えるための絶えず刷新される継続的な作業を生じさせた」ということであろう。「美しい生存への配慮がすでにホメロスやピンダロスにおいて完全に支配的なテーマとして現われていた」といい、美しい生存、輝かしい生存、記憶されるべき生存への配慮と、〈真なることを語ること〉への気遣いとのあいだに、ある種の関係が打ち立てられた契機である」とフーコーはいう。つまり、「〈真なることを語ること〉が、西洋哲学の始まりにおいて、ソクラテスとともに現われる倫理的方式のもとで、可能な限り完璧にこしらえるべき作品としての生存という原則と混交したのはどのようにしてか」ということである。生存の技法と真なる言説、美しい生存と真の生との関係、真理のための生というものを把握したかったとフーコーは告白する。

〈真なることを語ること〉の要請と生存の美学の原則が自己への配慮のうちで結び合わされた契機をソクラテスのうちに見出そうとしたし、そこを出発点として、「魂の形而上学の発達と生の美学の発達という二つの発達がどのように現れることができたのか示そうとした」ともフーコーは述べる。例えば、四、五世紀のキリスト教修徳主義のスタイルは、形而上学は恒常的であるのに、大きく異なり、また、ストア主義は、ローマ時代から十七世紀に至るまでほとんど不変である生存のスタイルを定義したし、ストア主義はキリスト教と結びついたりしたとフーコーは指摘する。フーコーはこの後の講義で、キュニコス主義にかなりの時間を費やしている。理由は、キュニコス主義に実践において、一つの生の形式が、〈真なることを語ること〉の原則にしっかりと連接されていることであるとフーコー自身がいう。キュニコス主義的実践にも理論的枠組みがある。しかし、プラトン主義やストア主義、エピクロス主義の理論的枠組みと比べれば、重要性においては限りなく劣るが、キュニコス主義は、生の様式と〈真なることを語ること〉とが無媒介的に結びついた哲学の一形態であるとフーコーは解釈する。ヘレニズム時代やローマ時代の古い形態のキュニコス主義、つまりディオゲネス・ラエルティオス、ディオン・クリュソストモス、エピクテトスに認められるキュニコス主義、ルキアノスあるいはユリアヌスによって書かれたテクストに見られるキュニコス派が、パレーシアの人、〈真なることを語る〉人として特徴づけられているとフーコーは指摘する。

 (次回はキュニコス主義について考察します。)参考文献・M・フーコー『真理の勇気』(筑摩書房)二〇十二年二月刊


「藁と臓器」 小林稔詩集『遠い岬』より

2016年01月26日 | 小林稔第8詩集『遠い岬』

小林稔第八詩集『遠い岬』2011年以心社より

 

藁と臓器 ――鳥たちの囀りについて

 

物たちをきしませる夕暮れ

消え入りそうな 平たく薄い胸のうちに

血の臓器がしまわれているのを

どうして信じられようか

その弓なりに反った体軀から

いかなる矢が飛ばされるのか

 

夢の痕跡のように

棄てられた貝殻を踏みしめ

海藻が打ち上げられた岸辺を歩く

私をすり抜けていった〈時〉の断層に

夏の少年たちが見え隠れしている

くず折れる体軀を胸にとどめ

彼らが墜ちてきた空を仰ぐが

どうして想起できようか

すばやい動きをする鳥たちが

見えない翼をバタつかせ

一番高い樹の上で鳴いていたのを

 

詩句は流れやまぬ〈時〉に刻印された足跡

恩寵のように到来する詩句は私の記念碑

老いた肉の破片から

郷愁のようによじ登る私の性

すべてが失われた すべては失われていない

振り返ればペンは動きを停止するだろう

いまだ名づけられない事象が 記憶の底で

私の生きるべき道に

絨緞を広げようと待ち構えている

――思い出よ、これらの言葉に讃えられてあれ。

〈時〉が私を滅びへと導いていくが

藁をつかむように言葉をつかみ

風を呼び起こし 歳月に勝利し

詩を求め彷徨い出た人生は夢であったと

とつぜん眠りから醒めたようだと呟くのだろうか

いまは放蕩の終わり 鳥たちのさえずりは

老境の閾を跨いだ私を 彼方への羽搏きに誘う

疾走する少年たちの脚の乱打を遠くに聞きつつ

忘れられた岬へ歩みを進めていく

 

 

     註・〈思い出よ、これらの言葉に讃えられてあれ。〉

プラトン『パイドロス』(250-C)の一節。天空の彼方の思い出

であろうが、なぜか天空から地上を追憶しているような郷愁に

かられる。過去という鏡に反射した光線が未来という鏡に反射

して私の視界を貫いたように。

 

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