ヒーメロス通信


詩のプライベートレーベル「以心社」・詩人小林稔の部屋にようこそ。

つのぶえ学習塾、小林稔第三詩集『白蛇』(旧天使舎)以心社1998年刊より

2012年07月31日 | 小林稔第3詩集『白蛇』

小林稔第三詩集『白蛇』(旧天使舎)以心社1998年11月刊より


つのぶえ学習塾
小林稔


 鶏の鳴き声と羽音が聞こえたので、もうすぐだな、とアキ

オは思った。

 農家が左右にまばらに建っている細い道。

 アキオの家と一キロメートルと離れていないのに、ずいぶ

ん遠くへ来てしまったように思う。そこは養鶏場も経営する

幼稚園。夕方、中学生を教える塾に、と園長は考えた。

 道の真向かいに教室があった。アキオは急いでブレーキを

引いた。砂利にタイヤを取られ自転車は傾いた。その場にア

キオは手をついて倒れてしまった。

 初めてはめた鎖の腕時計のバンドに血が少しついていた。

左の手首に、ひりひりと痛みが走った。

 このまま帰っちゃおうかな、とアキオは思った。とにかく、

道に散らばった教科書とノートを拾わなければならない。

 アキオはちょっと顔を上げた。

 鶏舎の方から 女の人がやって来るのが見えた。屋根に落

ちた夕陽が、その人の着ている木綿の衣服に注いで 薄紫色

に染めていた。

「アキオくんね。先生が教室で待っています」

 その人はアキオをしばらく見ていたが、また歩き出し ア

キオの近くに来て言った。

「そんな細い腕では、折れてしまうわ」

 女の人はアキオの腕をそっと持ち上げた。背が高く、瞳が

薄い青色をしている。園長の奥さんだろうと思った。

 アキオの手首の傷口から血が滲み出ている。

 きれいな人だ、とアキオは思った。大人の女性を感じたの

は 初めてのことであった。

 アキオはさっきから 一言も言葉を発していなかった。そ

の人は消毒液をアキオの傷口に浸し、包帯を巻いた。

 消毒液が傷口にしみていたが、その女性の優しさに包み込

まれ、アキオは幼子(おさなご)のように立っていた。




copyright 1998 以心社 無断転載禁じます。

連載エセー⑧『意識と本質』第八回、宋儒の脱然貫通。生の源泉において絶対的虚無に出会う。

2012年07月30日 | 井筒俊彦研究

連載エセー井筒俊彦『意識と本質』(精神的東洋を索めて)解読。
連載/第八回


宋儒における脱然貫通。生の源泉において絶対的無と出合う。
小林稔


ここまで『意識と本質』を読んできて、いくつかの課題を見出せたように思う。
 東洋哲学の根底には「本質」否定が前提となっているということ。
 禅においてそれは徹底した形を見出せるが、東洋哲学にはさまざまな「本質」否定があり、ヴァリエーションがあることが興味深い。龍樹の中観思想の影響を受け、大乗仏教には「縁起」の存在があることがわかった。禅の「本質否定」はそれで終わらない実践があり、テクストを読んで深く理解する必要があろう。ヴェーダーンタの「不二一元論」、イブン・アラビーの「存在一性論」などももう少し追求してみたいと思う。それとともに華厳経がイラン思想に与えた影響、華厳経が空海の思想に与えたであろうものを原典に当たりながら時間をかけて読み込むことが今後の課題である。その成果は、いずれ季刊個人誌「ヒーメロス」やこのブログで公表したいと考えている。しかし、ここまでの読解で何より私の興味を引いたのは、サルトルやフッサールの哲学もさることながら、リルケ、芭蕉、マラルメを東洋哲学思想から解き明かしていることである。私の研究は、以前にも記述したように、詩学の確立に活用しようとするものであり、このブログにおいても少しはポエジーについて思うままに書き込むことをしたいと考えている。

ポエジーについて①
 
原初的な詩の概念から記述され読み手に啓示をもたらすエクリチュールとしての詩までをポエジーと呼びうるならば、限りなく遠い彼方から、「私」のいる日常世界に、いわば恩寵のように足許に降りてくるのがポエジーである、というのが私の持論である。そうした構造は、井筒氏の提唱した「言語アラヤ識」と類似的な構造として説明できるように思う。彼方といいアラヤ識といい、実在する場所ではないのであるから、両者とも深層意識の構造として捉えることができよう。
 詩人は日常空間に生きることが免れない以上、ポエジーを表層意識で受け止めるしかないのであるが、言葉=詩として成立することから、言葉に始まり言葉に終わる詩人の生は必然的に表層で捉えた言葉は普遍的「本質」=言語の実在に高められていくであろう。言葉とは表層意識において私たちにものの存在を示すのであるが、普遍性をもたされているという言葉の特質において、この現実の存在は見かけのもの=虚妄であることを思い知らされる。しかし井筒氏がリルケについて解いたように、ほんとうの詩人であれば、「切れば血を流すような」手ごたえのある存在を求めている。日本においては中原中也という詩人の詩もこのような視点から解釈できるであろう。詩歌の世界に視線を転じれば、「『新古今』的幽玄追求の雰囲気のさなかで完全に展開しきった形においては、{眺め}の意識とは、むしろ事物の{本質}的規定性を朦朧化して、そこに現成する茫獏たる情趣空間のなかに存在の深みを感得しようとする意識主体的態度でなかったろうか」と井筒氏が要約し、目前の事物を認知すればすぐに普遍的「本質」を見てしまうので、意識の尖端をぼかすことによって「本質」の存在規定性を回避しようとする態度であると井筒氏は説いていた。存在規定性を越えたところに存在深層の開顕があるのだという。しかし明治時代に西洋の詩概念を取り入れ始まった現代詩においては詩歌の世界とは独立した詩概念を私たちは求めている。だが、芭蕉の世界は詩歌の世界に収まらず、現代詩を根底で支えるものがあり、井筒氏が『意識と本質』で解読している芭蕉論は、これから私が確立しようとする詩学に貢献するに違いない。
 詩人は表層においてポエジーを受け取る。そして詩は「眺め」で終わらず、「行為」が大きく関与することから主体が問われてくるだろう。ここでは、私がここ数年関心を寄せ読み解いている、ミシェル・フーコーの「自己への配慮」はより多くの示唆を与えてくれるように思う。具体的には、「配慮すべき自己」とは何かを主体が探求するとき、改心が起こり(ソクラテスでは「無知の知」)、今ある自己を捨て去らなければならないのである。井筒氏のいう「主体の意識の空化」つまり「存在解体」、ミシェル・フーコーが「哲学と霊性」で述べる「代価」というべきものを必要とするのである。無疵ではいられないのだ。私の長期連載エセー『「自己への配慮」と詩人像』の後半のテーマである。さらにそこから詩人像をいかに表出させるかは私の今後の課題である。
 

 さて、『意識と本質』を読み進めよう。
P80~99
脱然貫通。すべての「理」の形而上的側面を究極の一点において一挙に見ること。
 
「中国宋代の儒者たちの理学」と井筒氏は書き始める。儒者とは儒学者のことであり、儒学といえば孔子を始祖とする教えであろう。「理」については筆者による説明がある。
「理」とは、普遍的「本質」のことであり、「理学」とは、その探求である。前回までに論じてきた二つの本質のマーヒーヤ、つまり普遍的「本質」に実在性を見て、深層意識的に把握しようとする探求であろう。我々の生は日常世界を基底にして営むことは避けられない以上、このような探求、「意識の深層機能を発動させるためには、それほどの(神経衰弱に落ち込んでしまうほどの)緊張と専心を必要とする」ことであるが、「宋代儒者たちのなんと静謐で、澄明の気に満ちていること」と井筒氏は述べている。
 「意識の深層機能を発動させる」ために、彼らはいかなる実践をしたか。それは「静坐」と「格物窮理」であるという。井筒氏の説明を負ってみよう。
 「静坐」とは「心内のざわめきを鎮め、同時にそれと相関的に、心外すなわち存在界のざわめきを鎮める修行」である。「窮理」(格物窮理の略)は「次第に静まり澄みきった心の全体を挙げて経験的世界の事物を見つめつつ、それらの事物の本質を一つずつ把握していき、ある段階まで来たとき、この本質追求のいわば水平的な進路を、突然、垂直方向に転じて、一挙に万物の絶対的本質の自覚に到達しようとする本質探究の道」である。井筒氏の長い引用をしたが、水平方向や垂直方向の説明がないのでここではわからないのは当然である。本書(『意識と本質』ではこの後に詳細な説明がなされている。
 「静坐」も「窮理」も『中庸』の「未発」「已発」の概念に基礎を置いていると井筒氏はいう。心の未発動状態(意識のゼロ・ポイント)は全存在界の未展開状態(存在のゼロ・ポイントを意味する。「已発」は意識のゼロ・ポイントから発動した状態であり、同時に存在のゼロ・ポイントから様々な事物事象として展開した存在界のあり方を指すという。意識と存在、内と外の相関関係に注意しなければならないし、東洋哲学に共通する特徴であると井筒氏はいう。
 宋学は、(宋学に限らず東洋哲学に通低する特徴であるが)意識と存在、内と外は密接な相関関係にあり、究極的には一つであると、井筒氏は指摘する。実践的には、心が鎮静すれば存在界も鎮まる、反対に心が動揺すれば事物も動揺するということを意味し、心の処理から入り込むようになる。
 「静坐」における内的構造を井筒氏は次のように説明する。表層意識では、心はいつも未発状態にある。感覚、知覚が外界の対象を追い、欲望が刺激され、感情が起き、想念が渦を巻く。このような絶え間ない内的状態を通常、意識という。「絶え間ない」意識を微視的に見れば実は、連続ではなく断絶であると考える。一定期間の緊張の後に弛緩が起こる。つまり「心は動から静に移る」。それを繰り返すのである。動から次の動の間に瞬間、静が起こる。これを「未発」と呼ぶが、普通の人はそれがあることに気がつかない。訓練によってはっきりと捉えることができるのだ。さらに訓練によってその間隔を、つまり「未発」
を長びかせることができる。経験的世界において心の動の中に心の静を求めることを宋儒たちが求めるのはこのことであると井筒氏はいう。
 「未発」は表層意識を越えて深層意識に及ぶ。表層意識の領域では多くは「已発」状態にある中にわずかに「未発」があるが、修行するにつれて「未発」上体の占める割合が多くなる。そうすると「已発」は微力な動になり、「已発」でありながら全体が「未発」という状態になる。さらに「未発」が深層意識領域に入り込んでいき、意識のゼロ・ポイントに究極すると井筒氏は説く。しかしそれで終わない。「今度は逆にあらゆる心の動きがそこに淵源しそこから発出する活発な意識の原点として自覚しなおされなければならないからである」と井筒氏はいう。ここにおいて「未発」は「已発」の根源、「喜怒哀楽」の源泉と考えられるのであると井筒氏は指摘する。つまり意識のゼロ・ポイントの極点がどうじに全存在界のゼロ・ポイントである、意識「未発」が意識{已発}の源泉であることによって、全存在界生起の源泉でもあると井筒氏は説く。形而上的「未発」が形而下的「已発」として発動する一点に、全存在界を統合的に基礎づける形而上的「理」が成立、自己分節を繰り返して、無数の個別的「理」(実在する普遍的本質)となって経験的世界の事物に「本質」的根拠を与えていく。表層意識で捉えられた事物を深層意識で無化し、それらを一者として基礎づける唯一絶対の形而上的「本質」があり、それが千々に分れ、特殊化し、存在の形而下的次元で無数の「本質」を形成する、それらを下次元の「本質」を考究し、それぞれの「本質」に還元しつつ、上次元の「本質」(唯一絶対の「本質」)まで追求することが「窮理の道」であると井筒氏は説明する。
 「窮理」(格物窮理)とは、経験界にある事物、事象を観察し、それらに内在する先験的「理」を窮め、突如として万物の唯一絶対の「理」に翻入する道を意味すると井筒氏はいう。一見、禅と区別のつきにくい修行において、宋儒は「心の動の重要性」を強調するという。彼らは禅の無心、「何事も知らず何事とも見ず」という禅の境地に批判的であった。だが、「窮理」において禅とは明確に異なると井筒氏はいう。「窮理」とは、最後の飛躍の前の段階で事物の綿密な観察を旨とし、「事物に内在する永遠普遍の<理>、すなわち永遠普遍の「本質」を求めることであり、悟りに至る修行道程として、表層意識にひろがる事物の「本質」を探究するのに反して、禅は悟った後に「無心」の目を持ち経験的事物に実践的に接していくが、事物の本質を求めたりはしないと井筒氏は指摘する。
 「存在界の事物には必ず本質がある」という宋儒の確信は、プラトンのイデア論と同じであると井筒氏は考えている。そこで重視されていたのが『孟子』であったと井筒氏はいう。孟子の「物あれば則あり」。宋儒は物あるところ、必ず「理」があるとした。全存在界は無数の「理」の織りなす網の目、整然たる秩序を持った構造体であるという考えがあり、孔子の正名論につながると井筒氏は指摘し、「表層から深層に及ぶ存在界の真相(「事物」の「本質」)を探究する」ことを「格物窮理」と呼ぶのだと彼はいう。
 また井筒氏は次のようにもいう。「理」は我々の経験的世界と根源的に関わっていて、「形而上的「理」が必然的に形而下的姿で現われる。つまり「理」は形而上的であるとともに形而下的でもあると。井筒氏は朱子や周氏などの人物の名を挙げて説明しているが、ここではなじみがないので省略する。井筒氏のいおうとすることは十分理解できたように思う。普通の人の目には、「経験的事物の存在の深み」は見えない。表層意識には「理」は表層的存在様式である形而下的側面だけを示すのである。「窮理」の道に入る人は個々の「理」がばらばらに見えるが、ほんとうはひとつの「理」しかないのである。つまり形而下的側面だけしか見えない。それを手がかりに「窮理」の道をさらに進めていくうちに「脱然貫通」、すなわち「理」の形而上的側面を究極の一点において見てしまう、意識の最深層の突如たる開示であると井筒氏は説明する。しかし万有の唯一の究極的「本質」である「太極」は、あらゆる事物の「本質」が無に帰して消滅する無「本質」の一点、全存在のゼロ・ポイント、つまり「無極」でもあると井筒氏はいう。
 宋儒の「窮理」はマラルメの本質探究と違わないと井筒氏は考える。コトバの音波の振動となり空しく消える経験事物の消滅に続き、その「忘却」の向こうに、経験的世界の死を背景にして立ち現われる事物の永遠の「本質」を見ることがマラルメにとっての本質探求であったし、「本質」の凄絶な自己顕現こそが、「虚無」(Néan)の絶望の超克であったと井筒氏は宋儒の「脱然貫通」の体験を比べている。マラルメが知らずしてなぜそこまでの経験をしてしまったのか、やがて文学行為の観点からも解明されなければならないが、マラルメのように死や忘却の彼方においてではなく、存在の経験的次元において躍動する生命そのものの中に探求したのであり、修行の果てにはあらゆる「本質」の高次の宋儒は形而上性において「絶対的無」と出合う。そこには絶望の影もないという。なぜなら経験的事物の死による成立ではないからであると井筒氏は説く。むしろ生の源泉であったのである。経験的事物を無化する形而上的無本質を、あらゆる「本質」の実在的原点を己の形而下的自己限定として見たのである。無極であり太極、無・即・有。「理」の形而上的無限における無と有。その矛盾的相即のうちに、宋学的「本質」把握の東洋的性格を見るべきであろうと井筒氏は主張する。以上、井筒氏の解説を読んできたが、解説それ事態は決して難解なものではない。
 ここ(Ⅳ)まで読んできて、井筒氏が『意識と本質』の初めの部分でいう、東洋的哲人のあり方、つまり表層意識と深層意識を同時に機能させることができる一例を、今日の読解で知ることができた。それは「本質」否定から理解されることである。仏教ではこの経験世界を「名と形」の世界と捉え、それが呼び起こす形姿があるだけで実質はないとする。今もう一度読み返すと以前より深く理解できたように思えた。もう少し先を読んでいけば今回のことが深く理解されるであろう。

Copyright 2012 以心社
無断転用を禁止します。

海よ、小林稔第四詩集『夏の氾濫』(旧天使舎)以心社1999年刊より

2012年07月30日 | 小林稔第4詩集『夏の氾濫』
小林稔第四詩集『夏の氾濫』(旧天使舎)以心社1999年より

海よ
小林稔

海よ、私の身をどこへ連れ出そうとしているのか。
私が生まれて間もない頃、世界は重油で浸されていた。
今また、私は揺籃の海に漂う流木のようではないか。
君の声が舞い上がる蝶のようで、
いくつもの海原を渡ってくる気がしてならないではないか。

(音を消したテレビの画面で、ビルが崩れ落ちていく。炎が上がり、民家の外
壁が厚紙のように舞い、倒壊した家の人々が泣き叫んでいる。盛った砂山が、
打ちつける波に壊されるように、私の心が霧散する音、を聴き取っていた。見
えていたものが見えなくなる。)

生命が物質に宿るとき何が起こっているのだろう、
と、初めてこんなことぼくらは話したね、と言いながら
きらめいた君の瞳の奥に、
宇宙の塵のような君と私の、危うい結びつきの糸のようなものを私は見たのだが、
それが真実結ばれていたか知れなかった。

真昼の青の海は私の細胞に染み亘る。
岸辺に泡と消える波のように
私の想いが寄せてはまた滅びて寄せる。
やがて時が経ち、私の肉体と君の肉体がばらばらに失せ、
土になり岩になり樹木になるだろう。

私は今日、曲がりくねった道を曲がりくねって
一握りの人と会い、君に遠くから叫んで
いくつもの顔のバリケードに阻まれ、
封印されて今は私も解読できない伝言を君に伝えようとする、

海よ、私の想いをどこへ漂着させようとするのか。
私が見て、聞いて、触れて、味わったこの世界への欲望と断念、
その言葉と意味をどこへ辿り着かせようとするのか。




copyright 1999 以心社
無断転載禁じます。

パレーシアステースとしてのプラトン、季刊個人誌「ヒーメロス」18号から

2012年07月29日 | 連載エセー「自己への配慮と詩人像」からの
長期連載エセー『「自己への配慮」と詩人像』(十)

37 パレーシアステースとしてのプラトン(中篇)
小林稔


真理を語る三つの審級とロゴス
私がここで論じようとするのは、古代ギリシアにおけるロゴスという概念である。神とロゴスとの関係はどのようなものであったか。『A.BAILLY DICTIONNAIRE GREC‐FRANCAIS HACHETTE』で「ロゴス」を調べると、言葉、発言権、理性、論理など多くの意味があるが、その中のrévélation divine(啓示)という項目に関心をもった。使われた例として『パイドン』(78D)が記載されている。「おのおのの存在の本来的なもの、すなわちわれわれが問いかつ答える過程を通じて、それのまさに何であるかを、言葉において示す(定義づける)そのものについてみてみるのだ」。つまり定義づけられるような言葉がロゴスであろう。日本語訳で読む限り、直接には神的な意味は伝わってこない。上記の辞書のすぐ後で、そのこと(啓示)からréponse doracle(神託の答)という意味がありピンダロスの「ピュティア」(4,105)で使われているとある。ロゴスが言葉や理性を意味するよ
うになる以前の原初的な意味として、私は神から示される言葉、または巫女や預言者が人間に伝える神の言葉を想起する。例えばデルポイの神託「汝自身を知れ」やオイディプスに示された予言である。しかし神々が運命の支配権を掌握するホメロスの時代から抒情詩の時代に個の意識が芽生え、やがて悲劇では神々と人間との対立・葛藤が主題になる。『賢者と羊飼い』で中山元氏は古代ギリシアにおける真理の三つの審級を論じている。中山氏は、フーコーの行ったカトリック・ルーヴァン大学の講演「悪を行い、真理を告白する」を基にして、古代の世界では、真理は神が明らかにするものだった分析する。神から告げられ、あるいは神から「かすめとる」には「真理の顕示」を必要とした。つまり儀礼的な手続きによって明らかにする必要があった。真理を語るものは権力を行使でき、それらには預言者や、供犠僧、夢占い師などがいた。真理を語る神と預言者、真理を語る英雄、真理を語る市民という時代順に変遷してきた三つの審級があるという。興味深いことに、ソフォクレスの悲劇『オイディプス王』には、このすべての審級が登場すると中山氏は指摘する。つまり、神と預言者の語る真理、そしてオイディプスとイオカステという英雄が語る真理、そして羊飼いと伝令という市民が語る真理である。アポロンは「テーバイの疫病の原因が、ライオス殺しにあることを明らかにするが、動機や犯人については沈黙する。預言者テイレシアスはアポロンの神託を受けて、真理を知っている。最初は真理を語ることを拒むが、「犯人の一味」とオイディプスから疑われたため真理を語る。しかし「あなたのたずね求める先王の殺害者は、あなた自身だ」というテイレシアスの言葉をオイディプスは信じようとしない。コロスもまた同様である。預言者という真理の審級に対しては、ポリスの法的な制度は機能しないのだ。ポリスの法的な機構で証明されるまでは神の語る真理は受け入れないことを意味する。つまり「真理の審級が神と預言者から、ポリスの市民たち(コロス)の審級に、そしてポリスの法的な機構に移行しつつあることを示すものと考えることができる」と中山氏は指摘する。真理を受け入れるには「証拠」が必要なのである。中山氏は、英雄の審級と奴隷と伝令の審級を詳細に論じているが、ここでは割愛し、「真理」を「ロゴス」という言葉で置き換えてみたらどうであろう。神の語る真理は預言者を媒介にして言葉で示される。神の真理で運命を掌握されていた時代から、英雄たちの時代を超えてポリスの市民たちが法的な機構(裁判と法律)のもとで真理を語る者になる。ロゴスが神から後退し、市民たちの場に置かれる。市民たちの中から正、不正に関わる倫理が要請され、真理を語る市民の行為がやがてパレーシアと呼ばれるようになったと中山氏は指摘する。それでは神の語るロゴスは消え去ったのであろうか。否、心の深層で生きつづけ、言葉(ロゴス)の二義的な意味作用として機能できる機会を窺っていたのではないかと私は思うのである。ソクラテス=プラトンの哲学的パレーシアがそれであり、〈善のイデア〉を最高峰とするプラトン哲学の確立ではないだろうか。プラトンが文学(詩)と哲学を峻別した、言葉(ロゴス)の存在意義とは何かをもう少し深く解読してみよう。

 先述した『パイドロス』後半の要約で明確になったように、プラトン(ソクラテス)は二種類の言葉を区別する。弁論(言論)の機能は魂の誘導にある。したがって魂の本性を理解しなければならない。弁論家は「神々のみこころにかなうことを語り、神々のみこころにかなう仕方でふるまうべきだ」という結論が示された。弁論術の内部矛盾が暴かれ否定される。弁論の技術の有無を考察し終えたソクラテスは、次なる話題が、「言論の技術」をいかに伝えるか、いかに書くべきであるかということが残された問題であると告げる。最初に、書くということの立派な条件とは何かを考える。言論の技術を生み出す者が必ずしも書かれたものが使う人に与える害や益をもたらすのかを判断できる人とは限らないという。書かれたものは記憶力を減退させる。文字の使用は記憶するためのものではなく、「自分の力で内から思い出す」想起のために使用すべきである。書かれた言葉によって言論の技術を教えたり、教えられたりすることはできない。書物はほんとうに必要とすべき人だけに話しかけるだけでなく、そうでない人にも話しかける。後者の場合はむしろ害をもたらすであろう。テクストの最終部では、言論(パロール)と記述(エクリチュール)の両者がどのような場合に立派なことであるといえるかという考察に入る。「真剣な熱意に値するものとして話が書かれ、語られることはない」とソクラテスは言い切るのである。「書かれた言葉の最もすぐれたものでさえ、ものを知っている人に想起の便をはかるだけのものである」というのだ。しかし、このような第一の言葉のほかにもう一つの種類の言葉を対置する。それ
は、「学ぶ人の魂の中に知識とともに書きこまれる言葉」であり、それは「生命をもち、魂をもった言葉」である。第一の言葉はそれ(第二の言葉)の影に過ぎないと語られる。第二の言葉においては、書く人も受け取る人(読む人)もたすける力をもった言葉である、つまり「一つの種子を含んでいて、その種子から新たな言葉が新たな心の中に生まれ、不滅の命を保つ」言葉であり、そのような言葉がたくわえられた覚書(書かれたもの)を書くことが立派な行為と考えられている。それを可能にするのが「哲学的問答法」であり、書かれたものに少しの価値しか見出させないプラトンが、対話篇として多くの書物を残した理由であろうと思われる。

 哲学的問答法(ディアレクティケー)
 ソクラテスを師と仰いだプラトンは、ソクラテスの道徳的パレーシアから哲学的主題を見つけ、いわばソクラテスの生き方に哲学的パレーシアを見出し、自ら哲学的パレーシアステースとして生き、より深めたイデア世界を構築したといえよう。「神々のみこころにかなう仕方で言葉を語る」というプラトンには、「哲学的問答
法の技術」のほかに立派な行為はないであろう。「自己に配慮せよ」と町行く人ごとに説いて歩いた実践の人、ソクラテスと、継承者プラトンとの相違は、プラトンにのみ存在する、「書くという行為」にあるだろう。あれほど多くを書きのこしたプラトンに、ハイデガーやデリダのような現代哲学者が、プラトンはパロールを重視し、エクリリュールを否定したという批判はありえないことである。(前回、このエセー「自己への配慮と詩人像(九)で論じたのでここでは繰り返さない。」書くことの全面否定ではなく、いかなる条件のもとに書くかということが問われなければならない。それにしてもプラトンの「第七書簡」にある、「教える者と学ぶ者が生活を共にしながら、その問題の事柄を直接に取り上げて、数多く重ねていくうちに、そこから、突如として、いわば飛び火によって点じられた燈火のように、学ぶ者の魂のうちに生じ、以後は、生じたそれ自身がそれを養い育ててゆくという、そういう性質のものなのです」という、プラトンが自らの著作について語った言葉は魅力的である。(もちろんプラトンは自らの著作という言い方を嫌うであろうが)、ここに哲学的問答法のすべてがあるといえよう。書簡はさらにつづき、上記したような文章を語るのは「私」(プラトン)自身が語ることこそふさわしい、なぜなら下手に書きたてられたら苦痛を感じるのは「私」自身であるからだという。「私」の著作がすべての人たちに伝わるのであれば「人類のために大きな福音」であろうが、実際は少数者に伝達されるであろう、なぜなら「わずかの示唆をたよりに自分で発見できる」者は多くないからである。そうでない人たちには「見当はずれに、この問題を不当に軽蔑する気持」や「何か厳粛なことを学んだとでもいったような、思い上がった空疎な夢想」を引き起こしかねないからである。フーコーによると、プラトンはこの書簡で「哲学は教育され得ない、つまり、ある人々にとっては示唆しか必要ではないのだからそれ(教育)は無益」であり、哲学は共同生活(スヌーシア)を通じて習得されるものであると考えていたという。「スヌーシアとは、共にいることであり、結合や接合のこと」であり、「性的結合という意味すらある」がここではそういう意味は一切なく「共存」という意味に取るべきであるとフーコーはいう。翻訳では「教える者と学ぶ者とが生活を共にしながら」としているが、フーコーは哲学する者と哲学の共存としている。「火の傍らにいる時のように哲学のそばにいて」と解釈している。つまり「哲学は魂自身を糧としなければならない」のである。「哲学が知識系のかたちで書かれ、伝達されるなら」危険なことである、なぜなら、先に述べたように「虚栄やうぬぼれや他者を軽蔑する心を持つようになる」からである。つまり、「哲学における現実は、哲学の実践のなかにある」。プラトンが提起するのは、「単なるロゴスとしてではなくエルゴン(行為)として思考しようとしたとき、一体哲学とは何なのか、という問題である」とフーコーはいう。プラトンにとって哲学は政治と深く関わりをもつものであるが、「人々に法を与え、その理想国家の拘束的なかたちを提示するのとは全く別のこと」である。第七書簡にはいくつかの問題が指摘できるとフーコーはいう。一つは書くこと(エクリチュール)の拒否である。「書くことの拒否は、それ自体onoma(言葉)やロゴス(定義、名詞や動詞の作用、等々)と通じて現れる認識を拒否することとして明らかにされ」、「書くことと、書くことに結びついたロゴスの拒否は、ロゴスそのものではなくtribéつまり実践、労苦、労役、そして自己の自己に対する苦心に満ちた関係のある種の形態の名においてなされ、書くことの拒否のうちに読み取るべきは、ロゴス中心主義の到来では決してなく、全く別のものの到来」、「哲学にとっての現実が、まさしく自己の自己についての実践に他ならないような哲学の到来」なのであるとフーコーは強調する。プラトンには『国家』や『法律』などの政治的な著作があるが、「全体主義的な政治思想の基礎や起源、重要なかたちを見ようとするのは見直さねばならない」とフーコーはいう。政治に対する哲学にとっての現実の試練とは、国家や人々に与える拘束的なあり方の言説ではなく、哲学の真面目さは、哲学にとっての現実そのものは自己が自己に対しておこなう実践のうちにあり、また認識の実践であり、そのあらゆる認識の様態を通じて上り下りし、互いに擦り合わされて、人は〈真実性〉そのものの現実を目の当たりにすることにあるとフーコーは主張する。




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遊戯、小林稔第三詩集『白蛇』(旧天使舎)以心社1998年11月刊より

2012年07月28日 | 小林稔第3詩集『白蛇』

小林稔第三詩集『白蛇』(旧天使舎)以心社1998年11月刊より

遊戯
小林稔


「きたねんだよ」

 少年の怒声(どせい)が飛んで、寝室の壁に 亮一はブチあ

たった。天井の照明が揺れている。

 亮一は 少年にされるがままだった。抵抗はなかった。

「このやろう」と叫んで、少年は亮一の首につかみかかった。

至近距離で 少年の瞳を凝視した。少年の手が緩んだら少年は

の唇が 亮一のそれに、かすかに触れた。あわてて壁に張り付

いた亮一の体から視線を逸らし リビングに駆け込んだ。

 少年の笑い声がする。テレビの音量が増す。亮一は脱ぎ捨て

てあったズボンとシャツを拾い、ゆっくりと身にまとった。自

分の首に指先を触れてみた。熱かった。知らずに少年の息づか

いを 真似ていた。涙が線を引いて足の指に 落ちた。

 亮一がリビングに現れると、カーテンを降ろした暗闇の中で

ソファーから身をのり出して テレビに釘付けになっていたい

る少年がいた。画面から溢れる光が、少年の目鼻立ちを稲妻を

走らせたように映し出した。亮一は肩を並べた。

 許してくれ。亮一は心の中で叫んだ。裸の膝小僧を握ってい

る少年の手の指が 小刻みに震えている。

 亮一が少年を見つめて笑ったのは不覚であった。少年は視線

を乱した。消し忘れた浴室の明かりが廊下を照らしていた。

 少年は歩いていって蛇口をひねり、指を水に浸して、唇を何

度もぬぐった。

「もう、おれ帰るから」

 少年は昨日と同じ言葉を棒読みする。


 亮一は寝室のワードローブから学生服を引き抜いて、少年に

着せ替える。ズボンに少年の脚を通すため曲げると、ギーとい

う音がする。腕を袖に差し込む度に、少年の前髪が亮一の顔に

触れた。ベルトを締めつけると 少年の上体が浮いて亮一の胸

にバタンと倒れた。

 少年はゲームを終えたように体を起こし、うつむいたまま笑

みを浮かべて すたすたと帰っていった。扉の閉まる音が部屋

中に響いた。





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