ヒーメロス通信


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蛇と貨幣、小林稔第七詩集『砂の襞』2008年思潮社刊

2012年09月28日 | 小林稔第7詩集『砂の襞』

小林稔第七詩集『砂の襞』2008年 思潮社刊より


蛇と貨幣
小林稔



闇から浮上する他者のまなざしは
解析され 微分されようと触手を展げる
死者と生者がなだれこむロータリー
砂粒のように渦巻き やがて一直線に川辺に急ぐ
その川の泥水でなら覚醒するだろうと信じている彼ら
昨日 老人が一頭の牛を操り 荷車を曳き
今日 牛の曳く荷車が老人の死体を運んでいく
円環する「時」に八百万の神々を統べる太陽神
自らの尾を呑みこむ蛇 われらの命の再生がある
万年雪の岩盤から溶解する それぞれの一滴が整合し
傾斜を落ち 湾に辿り出て海洋に注ぐだろう

貧者は神々にとり巻かれ 片足を引きずり
血の色をした花びらの舞う四つ辻を通る
スコールのやんだ舗道
焼けついた土の肌で
富者に 貨幣の循環を授かるべく
鋼鉄のような腕を差し出す
手のひらの金貨を眉間につける
貧者のまなざしは 天の
青い紙のような空に向けられた

草木も育たぬ対岸の地
行き場をなくした霊たちが浮遊している
朝霧に隠された地平と 空の境から太陽が昇りつめる
群集が泥水に鼻までつかり 礼拝する此岸
焔に包まれた遺体の薪からはみ出した足が 引きつった
親族の嗚咽が煙とともに舞いあがり
川のおもてを滑っていく死者の霊がある
そびえる石の寺院の壁に にじみ出る読経
僧侶の声の数珠が 輪廻から弾かれることを願う
骨は水底に掃き出され 魚たちは灰を食む

(あの石段に棄てられた男の子の
なくなった両手両足を なんとかしてくれないか
切断されるまえの指を返してくれないか)

窓のない部屋の 両開きの扉を開けると
猿が屋根伝いに跳びこんで侵入し 屑篭を狙う
昨夜から大麻の幻覚に
意識の臨界を見えなくした友は
自己をそがれたような痛みに耐え
私を見ては目じりに涙を溜める
どこに還るというのか 旅の道で
抜け穴の見つからぬ悪夢に酔いしれるだけだ
天井の羽目板に吸いついた大ヤモリが
新来者の友と私を威嚇する
耳朶で海鳴りのように繰り返す読経
死体はこの街で焼かれ 川を下り神々に抱かれるという
ならば 生者こそが悲惨なる存在
まなざしの他者が住まう魂の住処であろうか
友と私は暗闇を歩いて渡し場に着いた

 舟には人だかりがあり
 艪の灯火で 眼球が舟底に散りばめられた
 水をゆっくり分けて対岸へ向かった





小林稔・最新の詩「夏の魔物」詩誌『へにあすま』2012年9月15日発行

2012年09月25日 | 詩誌『へにあすま』に載せた作品

       詩誌『へにあすま』2012年9月15日発行より

夏の魔物

小林稔



黄道に焔が上がり

アスファルトが噴き出す舗道

視界をさえぎり飛び交う羽虫を気化させる

射光の傍らで、遠雷がとどろくさなか

男の操る一台の牛車が通り過ぎた

死者を敷居に呼び寄せるこの日

私は西瓜にかぶりつく

焼印を押しつけたように

脳裏に記憶の絵が燃えて

背びれで水を切る青年は沖へ向かう

水際に寄せつづける波が

干からびた流木の破片を転がしている

ブロック塀のとだえた道の角から

少年におそいかかる夏の魔物

死者も歳を重ねているようだ



ひとつの道がふたつに分かれた

あの夏、私の選んだ道は

自らのうちに世界樹の枝をひろげ

迅速に歩みつつ、足跡を置いてきた道端に

言葉を不意に見つけ、ひろい集めて

私の宿命を知ることであった

もうひとつの道では

季節ごとの祝祭に明け暮れ

老いた者は約束事のようにもてなされる

生まれてきたときのように

擦り切れた記憶の手綱をついにゆるめ

すでに見知らぬ者と成り果てた魂は

――輪廻に迎え入れられるだろうか

意識の深みに沈んだ言葉の種子たちは

ふたたび「私」に浮上して大樹の葉を繁らせている



照りつける太陽に野の草が燃えんばかりだ

世界に亀裂をもたらすようにかつて私に訪れた

詩というもの、世界と経験が自らの尾を飲み込んだ

蛇のように、言葉がもたらす魂の薫香

ひとつの夏が黄道から立ち去ろうとしている





copyright 2012年 以心社
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経験的世界の事物の「本質」はどこからくるのか。井筒俊彦『意識と本質』解読。第十一回

2012年09月24日 | 井筒俊彦研究

連載/第十一回
小林稔

Ⅶ P139-153
 経験世界の事物の「本質」はどこからくるのか。


 井筒氏は、「本質」を媒介としない事物の分節なるもの、つまり無「本質」的分節を、形而下的、形而上的全体的側面において構造化し、禅的分節論の全体的構造の中に正確に位置づけ、「禅らしい生命の躍動」を露呈しようとする。
 トーマス・マートンの禅の定義、「禅とは主体と客体の彼方なる純粋有の存在論的意識であり、あるがままの存在を直接無媒介性において、じかに捉えることである」という記述は、根本的に静的であって力動的ではないと井筒氏はいう。深い瞑想に沈みこんだ意識の観照性に究極する。主体としての我もなく、客体としての物もなく、脱自的意識の地平に顕現してくる純粋存在、存在そのもの、に当然として見入る無心の目、マートンの脳裏にはプロチノス的一者観照の恍惚の追走的形象が浮かんでいたかもしれないと井筒氏はいう。
 しかし、それは禅の体験の一部分に焦点を合わせたもので全体ではない。井筒氏は、全体的にダイナミックな認識論的・存在論的過程、あるいは出来事として捉えられなくてはならないという。
 修行道としての禅は、見性体験を頂点とする三角形として形象化される。底辺の経験的世界、頂点に向かう向上道(未悟)と、経験的世界に向かう下降道(已悟)。このプロセスにおいて「本質」は変貌して現われてくると井筒氏はいう。彼は、この未悟→悟→已悟という形で措定したものを、分節(Ⅰ)→無分節→分節(Ⅱ)という形に置き換えてみる。分節(Ⅰ)と分節(Ⅱ)は同じ世界であるが、無分節をへているかいないかによって内的様相を異にするという。分節(Ⅰ)は有「本質」的分節、分節(Ⅱ)は無「本質」的分節であるからである。


 「而今の山水は、古仏の道現成なり。ともに法位に住して、究尽の功徳を成せり。空劫已前の消息なるがゆえに。而今の活計なり。朕花未崩の自己なるがゆえに、現成の逸脱なり。山の諸功徳高広なるをもて、乗雲の道徳、かならず山より涌達す。順風の妙功、さだめて山より逸脱するなり。」正法眼蔵山水経、道元禅師


 而今の山水(今眼前にする山水)は、経験的世界で見る山水(分節Ⅱ)とは同じであって同じでない。而今の山水は、「ともに法位に住して」(一定の存在的位置を占めて)、「究尽の功徳を成せり(全体露見的な働きを示す)。「空劫已前の消息なるがゆえに」、「朕花未崩の自己なるがゆえに」、そのようなことが起こるのだと道元はいう。「而今の山水」は、山と川として分節されていながら山であること、川であることから超出して(「本質」に束縛されずに)自由自在に働いているのだ、ということになると井筒氏はいう。つまり分節(Ⅰ)は有「本質」的に分節された山や川であるのに対して、分節(Ⅱ)は無「本質」的に分節された山や川なのである。(カッコ内の解説は井筒氏による)


「老僧、三十年前、未だ参禅せざる時、山を見るに是れ山、水を見るに是れ水なりき。後来、親しく知識に見(まみ)えて箇の入処有るに至るに及んで(すぐれた師にめぐり遭い、その指導の下に修行して、いささか悟るところあって)、山を見るに是れ山にあらず、水を見るに是れ水にあらず。而今、箇の休歇(きゅうかつ)の処得て(いよいよ悟りが深まり、安心の境地に落ちつくことのできた今では)、依然(またいちばん最初の頃と同じく)、山を見るにただ是れ山、水を見るにただ是れ水なり」(『続伝燈』二十二、『五燈会元』十七)。

 清原惟信が禅者として己の生涯を振り返り三つの段階に分ける。第一段階は、禅の道に入る前の時期。普通の人として自己の外なる世界を見つめる。世界は有「本質」的に分節されている。第二段階は、参禅してあらゆる事物が「本質」の留金を失う。「本質」結晶体が融けて流れ出す。分節線が拭き消される。見る主体はそこにはない。すべてが無「本質」。第三段階は、再び有の世界。無化された事物が有化され現われる。第一段階と同様に分節された世界である。しかし本質は戻らない。山や川には本質がない。このような山水を「而今の山水」といったのである。(井筒氏の解釈)。本質(Ⅰ)では、言語アラヤ識にひそむ「種子」の作り出す「本質」を基に行なわれる。我々の常識的世界、存在的不透明性の世界である。このような「本質」決定は誰が、何が決定するのかが問題になると井筒氏はいう。
 常識的世界では、本質ははじめから各々の事物に備わったものだ。創造主なる神を措定する一神教的世界では「本質」決定は神がする。イスラム哲学では、神が宇宙を創造したとき、まず「存在」という無限定のリアリティーを創っておいて、それを「本質」によって様々に限定していったという論と、それとも第一に様々な「本質」を創っておいて後からそれに存在性を与えたとする論に別れ、スコラ哲学上の大問題になったのだと井筒氏は指摘する。十三世紀以降のグノーシス哲学では、神そのものを無限定的「存在」リアリティーとし、それの様々に異なる自己限定態として事物の存在を考え、そのように限定された形で抽象的に把握し仮構する、と考えるので、イスラムも仏教に近くなるという井筒氏の主張するところは十分納得できよう。(カッコ内の解説は井筒氏による)
 

 仏教は神の創造を前提としない。しかし「本質」を備えている。そうであるなら、事物の「本質」は一体どこからくるのか。(井筒氏)

 仏教では、人間の倒錯した意識の働きによって「本質」は現われると考える。「本質」は仮構であり虚構である。このような表層意識の働きを妄念と呼ぶ。(井筒氏)

 
 「唯だ妄念に依って差別あり。もし妄念を離るれば唯だ一真如なり」(法蔵『妄尽還源論』)

 
 意識が「本質」仮構的に働きさえしなければ、存在は粉々たる分節の様相を消して、その本質的「一」性に返るということでもあると井筒氏はいう。分節(Ⅰ)から無分別に向かう向上道への第一歩は、経験界の事物のすべてはほんとうは無「本質」であると悟るときであり、そこでは意識のどのような深層次元が拓かれ、どのような存在風景が現出するのだろうかを井筒氏は考察していきたいのだと語る。たいへん興味深いことである。
 次回から禅の本格的解明に入る。心して向かわなければならないだろう。




次回、第十二回につづく。

Copyright 2012 以心社
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同人誌評、「八月」柏木勇一、詩誌『へにあすま』43号2012年9月15日発行

2012年09月20日 | 同人雑誌評

同人誌批評
「八月」柏木勇一、詩誌『へにあすま』43号2012年9月15日発行



八月



おまえはこれからどこへ行くのか

地の底を歩くひとからの
年に一度のあいさつ
その人の名は言わない
還らなかった仲間の中でいちばん孤独だったひと
世界のだれもがたどりついたことのないどこかへ立ち去った
世界のだれもがたどりついたことのないどこかへ潜むために
                           「八月」冒頭八行

 
最初の一行は作者に向けられた死者からの言葉だが、読み手の一人ひとりに投げかけられている。次に続く六行は、作者の主観でそう感じたに過ぎないのだが、事実よりも想いの方に私は心が引かれるのだ。このあと二行が下方に並べられている。

                       誘うために
                       導くために
                         「同」九行目から十行目

 
作者の中で、この「いちばん孤独だったひと」は生きて「どこへ行くのか」と問いかけている。人は必ず死ぬ。そこが終わりではなくもう一つの場所の入り口であるなら、すでにこの世から消えてしまった、逢いたいと願う人のいるところへ「私」が行こうとするのはとうぜんであろう。肉体が滅びた後の道行きなのであるから、そこは魂の行き着く先である。「世界のだれもがたどりついたことのないどこか」と表現されていることから、その人の生前の孤独の深さゆえ、他界においても治癒されず孤独のままで、「誰もがたどりつかなかった」ところに、その魂が潜んでいることを作者は伝えている。
 何もかもが不確実な現象世界に私たちは生きている。昨年の東日本大震災以降、生はより危険にさらされている。神戸大震災があり、オーム事件があり、9・11を体験した私のような戦後生まれの人間にそれらは大きな衝撃を与えた。これまでにない出来事が立て続けに起きたが、今回の東日本大震災と原発の問題は格別に日本の未来に不安をもたらしたのではないかと思う。同じ国の人がこれほど大量に亡くなるのは耐え難いことである。その危惧は終わらずに、今後も私たちの、さらに次の世代にも長くつづいていくのである。

   
地の底を歩くひとから
問われるなら答えよう
あなたがたどりついた場所に行きます
これからどこへ行くのか と問われるなら
問われるならそう答えよう
                      「同」第三連


 今回の大震災とこの詩は直接の関係はあるのか分からないが。しかし悲惨な死に方をした人を喪い残された者の思いも同様であろう。「その人」は生前、孤独のうちに命をなくし、その孤独な生ゆえに死後もその人の魂は他の魂と離れてあるということが理解される。日々迫りくる老いを見つめる作者も、自分は「地の底の入り口がちかづいている」と感じ入っている。「知を求めるひとは死にゆくことをつとめとする」(プラトン『パイドン』)や、魂によって使い古された言葉をよみがえらせるのが詩であると信じる私にとって、東日本大震災での死は詩を書くことを躊躇わせもすれば勇気づけもするのだ。


   八月
   水槽の魚の目が乾いている
   青蛙が炎天の草場を踏んだ
   刈り取ったばかりの草がたちまち糸状になった
   逃げ水に映る濃縮された記憶 空虚な現在
   陽炎の奥行が夏ごとに長さを増して
   いよいよわたしは
   地の底の入り口に近づいている
                      「同」第四連


 夏は死者を身近に感じさせる季節だ。この連ではさすが長年書き続けてきた作者の技巧の上手さが際立っている。「魚の目」が乾いているという表現に、私は「行く春や鳥啼き魚の目は泪」を思い起こさせた。死者の旅立ちと自分のみちのくの旅立ちを重ねるこの芭蕉の句の、離別の哀しみを表した「魚の目は泪」も凄い表現であるが、「魚の目が乾いている」という表現も劣らず深みがある。次の四行もまた、夏に忍び込む非日常的空間を案じさせる。私ならここから詩を始めてしまうところだが、この詩の作者は冒頭は平易な言葉で読み手を導いている。私がこの詩にいちばん惹かれるところは、作者の思いを、その決意ではっきり示しているところにある。


   熊蜂が蜘蛛の巣から蝶の幼虫をかすめ取っていった
                      「同」第五連


 「地の底の入り口に近づいている」と書いた後、一行置いて書かれたこの客観的描写は、自然界の営みの残酷さ暗示して、生きるものの業(ごう)さえ思い起こさせ、詩全体を考え深いものにして効果的である。




キリスト教における結婚観と修道士の出現(十二)その2、個人詩誌『ヒーメロス』20号2002年3/25

2012年09月18日 | 連載エセー「自己への配慮と詩人像」からの
長期連載エセー『「自己への配慮」と詩人像』十二(その2)
小林 稔


41 キリスト教の確立における結婚観と修道士の出現

 試練としての生
 キリスト教においては、導かれる者(無知と堕落の次元にいる者と考えられていた)は言うべきことをもっていた。導かれる者が語るべき真理とは彼自身の真理であり、救いにとって必要不可欠なものとして、すなわち、自己練磨や自己変容の技術として司牧制的な綱領に義務として書き込まれたのだとフーコーはいう。西洋の「主体と真理」の関係にとってたいへん重要な意味を持つことになる。なぜなら、「共同体への個人の帰属のために必要な要素」になり、導かれる者が語る権利を持ったのは「告白の義務」によってだからである。それ以前の古代ギリシアやヘレニズム、ローマにおいても忠告を求めようとする人は自分自身について語るということがあったが、「道具的な義務」、つまり「友人に忌憚なく語ったり」、「神や裁判官の寛容を求めること」であった。主体は真実の言説に注意を払わなければならず与えられた真実の言説を聞くことから始まのであり、自分自身についての真実を語ることは必要なことではなかった。「真実を語ることのできる主体としてみずから
を試し、試練にかけるだけ」である。ソクラテスは知っていると思っていることを知っていないと示した。師の言説に真理があることを示すことになる。どのような根拠があって師の言説は正統性を保ちうるのか。それはパレーシアという概念であるとフーコーは述べる。「指導者は、言表行為の主体とみずからの行為の主体の一致として現前して」いなければならない。キリスト教における魂の教導はギリシア・ローマのそれとは厳然と区別されようになったのである。
生とは試練として受け取るべき不幸の長い連続であるという考え方はギリシアにおいて古くからある考え方であり、プロメテウスやオイディプス、古典悲劇や神話に描かれた試練がある。「神々と人間が衝突したとき神々が人間に送る不幸の総体として、試練が現われる」とフーコーはいう。この闘いには敗者である人間がいて「平和と平静さ」を神々はもたらしてくれる。ストア派の試練では神々との競い合いはなく「良き人々を育てるために必要」であり、「保護的な温情から」であるという。「自己を育成すること」、「自己を配慮しながら自らの生を生きなければならない」のだ。「理性的な神は、世界の秩序において、私のまわりにさまざまな出来事や危険と不幸の長い連鎖を配置した」、「私はこの不幸を、自己を完成してくれる試練や訓練として解読する」ということである。ところが、キリスト教においては「生は試練以上のものではない」と考える。信仰のためには死さえいとわない人々とローマ人に思われ、ユダヤ教徒にさえ、そのように思われていた。
中山元氏の『賢者と羊飼い』によると、キリスト教は「ユダヤ教に含まれていた司牧者の思想をそのままうけつぐことで、イエスの死に人間の罪を贖うという意味をつけ加えた」のであり、「キリストの死と復活の目的は、人間の罪の贖いにあり、救済にある」。また、キリスト教では身体が重要な意味を持つ。なぜなら「イエスの復活を通じて、個と普遍がひびきあう構造になっているからである」。「一、二世紀のキリスト教徒にとって、自分の信仰を証し、永遠の生を獲得するためのなによりも確実な道は、殉教することであった」という。つまり自己とはイエスの受難を反復すべき存在なのであった。中山氏は「自己についての新しい考え方を導入し、これを全く新しい問題」に変えてしまったという。それには、アレクサンドロス大王によるインドにいたる巨大な帝国の構築、もはやポリスの市民ではなく、コスモポリタンという概念が提出された時代であり、空間的な広がりは底知れぬ恐怖を人々にもたらしたであろうという。この一、二世紀という時代にはローマによるキリスト教徒の迫害はむしろ例外的であり、みずから死を求めた人々の方が多かったと中山氏は指摘する。
古典ギリシア・ローマ期の〈生の技法〉は、政治や宗教の領域ではなく、その残してしまった空洞に書きこまれたものであるとフーコーはいう。「ギリシアにおいて人間の自由は、自分自身に実践するテクネー(自己自身の技法)においてこそ、みずからを強制する手段を見出すのだ」。つまり「自己に専念せよ」という教えが立てられるのは〈生の技法〉という形式の内部においてなのである。先述したように、強制も禁止もない場合でさえ道徳への関心が起こったということである。しかし、ヘレニズム・ローマ期になると「自己への配慮」は〈生の技法〉にとって必要な要素ではなくなるとフーコーは指摘する。出発地点としての「自己への配慮」が逆転し、〈生の技法〉が「自己への配慮」の枠組の中にそっくり書き込まれてしまうようになる。つまり「生は試練とみなされなければならない」という考え方が打ち出される。そこから導きだされるものは、「自己の育成」であるとフーコーはいう。「自分に対して=自己に向かって生きる」ことである。それは「生存の根本的な投企である。理性的な神は、世界の秩序において、危険や不幸を〈私〉の周りに置いたが、それらを自己を完成させてくれる試練や訓練として解読することである。この時代(紀元一、二世)にギリシアに小説が出現し、そのようなテーマの物語が書かれるようになるが、そこから導かれるテーマは処女性=純潔であり、キリスト教的霊性にふたたび見出されるようになったとフーコーはいう。

初期キリスト教における女性の地位
 古代ギリシア・ローマ期と同様にキリスト教においても、〈道徳的主体〉は宗教改革以前は法制化と戦ったことは先述したが、キリスト教の到来とともに、自己との関係がまったく新しくなったという印象が強いと中山氏は述べる。イエスと同時代の人、フィローンというアレクサンドレイアのユダヤ人の哲学者によると、人間は身体をもつがゆえに、快楽に進む傾向をそなえていると考える。人間は身体的な存在としては
どうしても悪に傾くのである。それは身体が自己愛的なものだからであると中山氏は指摘する。フィローンは、良心が検察官として裁き、悔い改めを求めると考える。神に対して偽りのない良心の真摯さを示すことのできる状態をフィローンはパレーシアと呼んでいる。良心にやましさのないことがパレーシアの条件であった。
 中山氏のよると、ローマ帝国には世界各地のさまざまな迷信が紹介され、魔術的な奇跡を発揮するキリスト教もその一つと考えられていたという。さらにキリスト教徒たちに見られる「死を軽んじる」潔さが注目されてもいたという。キリスト教がローマの国教になるまでキリスト教徒に対する迫害が盛んに行われていたと一般には思われているが、実際は「みずから望んで死を求める奇妙な人々と見られていた」という。「自分の信仰を証し、永遠の生を獲得するための確実な道は、殉教することであった。」殉教する人々に女性が多かった。ギリシア時代やローマにおいては、結婚するまでは父親の管理下に、結婚してからは夫の管理下に置かれ、一部の個族層を除いては、ほとんどの場合女性の地位は低かった。しかし、初期のキリスト教時代においては女性が重要な存在と考えられていたのである。その理由としてキリスト教の教えでは、身体に注目することを中山氏は挙げている。「イエスの身体という、「一点」を通じて、個と普遍がひびきあう構造になっているからである」と中山氏は述べる。女性と貧困者を中心に、ローマ世界の限界を突破したことになると中山氏はいう。
 中山氏は『賢者と羊飼い』においてかなり詳しく女性の殉教を取り上げているので、ここでは割愛するが、それは「家父長的なローマの社会」に「女性という新しい主体の新しい自己のあり方は、ローマの世界をやがて征服していく力を発揮するように」なったのである。「死を覚悟したキリスト者の強さ」が「キリスト教の信仰がローマ帝国の支配体制を揺るがす力を秘めていることを明らかにするもの」であった。ローマ帝国は死を与えることで罰することができるが、キリスト教徒はみずからの死を勝利に変えて」しまったのだと中山氏は指摘する。。帝国の支配に抵抗したのは殉教する女性だけではなく、「支配者の内部から」も新しい抵抗が生まれた。『パウロ行伝』(パウロの伝道を描いているが虚構であるが影響力は大きいという)には、キリスト教の信者としては他の宗教に比べて女性の地位は高く、男性と平等であったことが記されている。他にも『ヨハネ行伝』、『使徒ユダ・トマス行伝』、『ペテロ行伝』があるが、「女性の純潔」と「社会的な効果」の関係が描かれている。それは「男性支配の対する挑戦」であり、「結婚を土台とする社会への批判」である。「性の交わりを断つ」ことは「世界の秩序に破壊的な影響を及ぼす」ことであった。

 ギリシア教父たちの結婚観
 キリスト教の勢いが強まるにつれて、ユダヤ教ではキリスト教とは結婚に対する異質の考えを構築していった。中山氏は、ラビたちは「身体を神からの賜物として感謝とともにうけいれる姿勢だった」と指摘する。「性的な交わりと結婚の価値が高く評価されているのは、キリスト教の肉の理論に対抗するためだ」という。それに対してキリスト教においては、「霊と肉を対立させ、霊が肉より上位にあると考える傾向が傾向が強い」。肉が霊にとっての「牢獄」でるというプラトン的伝統が根を張っていることを中山氏は指摘する。
 中山氏が述べるように、二世紀以降のユダヤ社会では古典ギリシアやローマ帝国と同様に、男性だけが主体
としての地位が認められていた。夫による妻の支配は特権的であり、哲学においても男性支配の思想は動かしがたいものであったという。しかしキリスト教が国教になってからは女性の純潔と処女の問題が市民の性の問題と交錯してくるという。
 アレクサンドレイア、アンティオケイアで活躍した東方のギリシア教父たちと、ミラノ、ローマで)活躍した西方のラテン教父たちが結婚について、事故についていかに考察していたかを中山氏の『賢者と羊飼い』に教えられることを要約してみよう。
 まずアレクサンドレイアの司教であったクレメンスというギリシア教父。かつてアレクサンドロス大王が築いた街であり、プトレマイオス朝の首都でもあったアレクサンドレイアはクレメンスの時代には「地中海とアラビア世界を結ぶ巨大な商業都市であり、人々は自由を謳歌し、贅沢な生活と自由な性生活を享受していたという。クレメンスは彼の著書『パイダゴーコス』で信仰を導く「教導者」の立場から、食事に対する快楽主義や、衣服に対する贅沢を戒める。物質面だけでなくさらに行動面においても、姿勢や慎みのない笑いといった
「細かなふるまい」まで戒めている。当時の」キリスト教徒も女性たちは、夫との性的交わりを避けたいという希望が根付いていた」。クレメンスの論敵はグノーシスの二つの流派であった。とりわけ禁欲的なユリアス・カッシアヌスに反論する。カッシアヌスは、人間の誕生は原罪のために悪であり、性の交わりは罪を重ねるに過ぎないと主張し、禁欲を主唱した。しかしクレメンスは種族保存の立場から、身体は汚れたものではなく、「目的を実現する聖なる計画」の道具であると『ストロマテイス』で著している。イエスが人間の肉をまとった理由とした。先にも述べたように、キリスト教以前の社会におけるように、男性優位の他者の優位から、女性もみずからの身体と精神をもって倫理的な営みをするようになったのであり、キリスト教がもたらした大きな変変革のうちの一つであるとフーコーは指摘する。しかしクレメンスにおいては、互いの情愛を確認する場でなく、夫と妻が互いに快楽を与えあうことは禁止されていたと中山氏は指摘する。
 クレメンスの学校を引き継いだといわれるオリゲネスという人物。父を迫害でなくし、彼自身にも迫害の危機が迫っていた。それだけに彼の文章に緊張感が随所にあふれ、「読者を霊的な禁欲へと誘う強い意志に綱貫かれている」と中山氏はいう。グノーシスは派では、人間をプネウマ的、プシュケー的、ヒュレー的人間の三つのタイプに分類し、一番目は神と合一できる人間、二番目はその可能性が残されている人間、三番目は可能性が全く失われている人間とする。オリゲネスは「段階」は認めるが、だれでも神的な教育によって神とに合一の可能性があるべきであると考えた。彼は四つの段階に分ける。最下位の四番目は神の摂理を否定する者、三番目の段階は神のロゴスに授かっているがイエスのロゴスを信じていない者、二番目の段階はキリスト教を信じている素朴な信者、最高の段階は「すべてのもの神を神として戴いている者である。人間はこの段階を一段一段上昇していくことができると考える。あるいは逆に下降することもありえる。「死すべき人間の生活の全体が、苦悩に満ちたものと」なる。子孫を残すための性欲を自然的な衝動と認めながらも、「罪の種」となるものでもあり、この事実を逆手にとって「自分の節制の意思を鍛えることができる。人間の生は一つの〈競技〉なのだ」とオリゲネスは考えていたという。この戦いを通じて「魂の器」から「霊の器」へと変身することができる。彼の理論にもプラトンの影響が見られる。魂は不滅であり、転生の理論は導かれる。「キリスト教では魂は不滅ではなく、彼岸において霊的な身体とともに復活するものである。このためオリゲネスにはつねに異端においがつきまとう」と中山氏は指摘する。オリゲネスは人間の本性が善と悪によって決定されているという宿命論に、人間の自由意志と神の摂理で対抗したという。クレメンスもオリゲネスも、性的な欲望に対して「穢れ」を見出していることには変わりはない。魂は肉とも交わりで「不浄」は避けられないが精神を高めることで浄化することができると考えていた。人間は原罪から免れることはないが、「この原罪をぬぐって、人間の救済の道へと進ませる力のある者がただひとり存在する。イエスである。」イエスは「男に触れたことない処女と、処女の上に臨んだ精霊と影で包んだいと高き方のみに由来するものとして、汚れのない体の内にこられた方」(オリゲネス『ローマ信徒への手紙』)の力によって、人間はこの汚れから救われるのだと彼は考えていたという。
 オリゲネスの影響下にある教父として中山氏はニュッサのグレゴリウスという人物を挙げる。バシレイオス、グレゴリオスと並んでカッパドキアの三教父と呼ばれる一人である。彼は結婚が社会の基盤であることを認め
ながらも、家庭は欲望と悪徳に染まるところだと考えている。「生の始まりであるとともに死の始まりである」。したがって死よりも強いのは処女性である。処女の身体は堕落する以前のアダムに近づくという。処女は子孫を生むことを停止することで原罪を消すとさえいう。結婚の放棄が自己への配慮と同じ意味を持つことを中山氏は注目する。それは『主体の解釈学』でフーコーが指摘していることでもある。プラトンがソクラテスで描いた自己への配慮という主題が、フィローンやプロティノスに引き継がれ、キリスト教の始まりまでつづいていると述べる。グレゴリオスでは「自己への配慮が結婚からの解放(独身)によってはじまる」とフーコーはいう。つまり、禁欲主義と自己への配慮がつながっているのである。当然ながら自己への配慮は、変容していくのである。グレゴリオスにとって「結婚という生は、情念と嫉妬に脅かされる危険な生であった」と中山氏はいう。
 一方、結婚を賞賛する神学者にアンティオケイアの貴族出身にクリュソストムスという人物がいた。アンティオケイアの享楽から信徒たちを守るのが家庭であると考えた。クリュソストムスにとっては子孫を残すこと
は重要ではなかった。キリストによる復活の望みがあるからである。結婚することは姦淫を避け、欲望を抑え、貞節を実行し、妻に満足を与えることで神を喜ばせるものであると考えていたという。結婚が家庭と社会を安定させる要因であると理解した。キリスト教ではアダムとイブ以来、常に女性は男性に従うものであるという男性の優位性を示しつづ
けてきた。しかし、クリュトリアヌスは平等なものに作り変えようとしていたと中山氏はいう。自分の愛と役割を示すことに相互性があるという考え方は、「自分の有徳性を示す非対称な相互性にすぎない」と中山氏は主張する。クリュソストムスが妻を愛するのは神の掟を定めたからである。女性の従属的な位置はキリスト教の教義のうちでさらに確固としたものとなり、理論的に強化される」と中山氏はいう。

 ラテン教父の結婚観
 結婚の称揚は初めのころに起こったが、すぐに処女の称揚に変わっていったのは、ここまでの文章で理解されよう。これから述べるローマ帝国の西方においても同様の傾向が見られるのである。そこには聖書にある原罪の問題が横たわっているからだ。カルタゴのテルトゥリアヌスは、豊かな社会で暮らす日常生活、例えば化粧や装身具の濫用を警告する。女性はイブ以来男性にとって誘惑の源泉であるからだという。身体自身を飽くとすることはないが、「純潔であることがたんに肉体だけでなく、世俗放棄の外的かつ内的な態度をふくみ、その態度は、ふるまい、ありかたについての規範によって補充される」(フーコー)のである。テルトゥリアヌスは結婚に肯定的であるが肉体的欲望は忌まわしいものであると考えていたという。彼にとって女性が最も高い位置にあるのは殉教に向かうときであるという。そのような考えの背景には、女性不信と肉体の否定の理論がもとになっていると中山氏は解釈する。
 ノウァティアヌスは処女が禁欲を守ることは天使をもしのぐと考えていた。なぜなら天使には肉という自然性がないが、処女は肉の自然を制するからである。彼にとっても殉教と処女性は強く結ばれていた。「自分自身であること」「あるがままの自分を喜ぶこと」という、女性を批判し、ソクラテス以来の若者愛を称揚する表現を意識的に、あるいは無意識的に使うと中山氏はいう。
 ミラノの司教を務めたアンブロシウスは結婚を断念し、処女の生涯を送ることを勧めたという。巨大な富を所有し社会の高い階層にある女性に、富への欲望を克服することを貞節のまず最初にするべきこととして求めたという。それは「教会の経済的な目的にとって好都合であったからでもある」と中山氏は指摘する。それを支えていたのがマリア信仰である。マリアの処女懐胎とイエスの出産後も処女であった。「マリアの処女の身体は人間と神を結ぶ特権的な場であった」と中山氏はいう。
ローマの貴族でキリスト教に改宗した一族、デメトリアス・アニキウス家の娘、デメトリスは結婚を拒んだ。そこで彼女は三人の人物に手紙で助言を求めた。ペラギウスとヒエロニュムス、そしてアウグスティヌスである。彼らはキリスト教界の主要人物である。彼らの書簡から、キリスト教にとって処女の身体がいかなる意味をと価値が付与されているのかを中山氏は考察している。
ペラギウスは「人間は神から与えられた本性とみずからの意志によって善をなしうる」と主張したという。デメトリアスが禁欲の背活を決意したことを賞賛したが、それだけでは十分ではなく、純潔の誓願によってさらされる危険を指摘する。自分の想念を絶えず警戒しなければならない。「心のあらゆる巨悪の起源は想念である」(ペラギウス『デメトリスへの手紙』)自分の内部から生まれたものが、善良なものか、邪悪なものか、それらの起源を識別しなければならないと主張する。つまりこれは《自己の解釈学》と呼びうるものであり、ひとりで実行するのは困難であると中山氏はいう。後には修道院が役割を果すことになる。
ヒエロニュムスもペラギウスと同じように、禁欲の誓いの危険性を軸としているという。処女性を守ることは殉教と同様の営みであることを主張する。そのために武装し戦う必要がある。働くことや出歩くことも禁じられ、家においても家族や訪問客とも出会わないようにし、心を神の言葉も「座」とするように求められたと中山氏はいう。一種の監禁状態を強要するが実行できるものではないという。他の司教の言葉に惑わされないこと、「異端」の教えに誘惑されないことをデメトリアスに求めた。
アウグスティヌスにとって処女の純潔は両義的な意味を持っていたと中山氏はいう。純潔の貞潔と結婚の貞
潔のどちらも善であると考える。比較するなら前者の方がより善である。しかし処女の純潔が引き起こす問題を指摘する。「われわれは、多くの聖なる処女たちが、多弁で、好奇心が強く、酔っ払いで、口論好きで、貪欲で、高慢なのを知っている」(アウグスティヌス『結婚の善』)と意図して語る。アウグスティヌスは乾坤を飽くとする考え方に抵抗すると同時に、子孫を残し、教会の存続を守りという伝統的な考えは時代遅れであると考えた。アウグスティヌスにとっては結婚より純潔が望ましいことであった。結婚は処女のままで節制を保てない者のために認められた一種の「治療」の手段であると考えていたと中山氏はいう。情欲はいかなる聖者であろうと根絶できないと考えていた。しかし情欲は悪である。そのために結婚という手段が必要であると考える。結婚によって節度を持つという、「悪の善用」を容認せざるをえなかったのである。
アウグスティヌスにとっては、目的そのものである善と、目的を作り出すための「手段」として利用すべき善の二つがあったと中山氏は解説する。知恵や健康、友愛などは前者であり、学識、食物、飲み物、睡眠、結婚、性的結合などは後者であるという。例えば友愛のために、結婚や性的結合が必要である。アウグスティヌスは結婚には三つの善があると主張した。誠実さと子供と秘蹟である。男性にとって女性は「聖なる絆」のパートナーであろうと、女性が作られたのは「子どもを産むため」と考えていることも忘れてはならないと中山氏はいう。アウグスティヌスは『神の国』という著作で、天国ですでにアダムとイヴは性行為を行っていたと考えていた。アダムが罪を犯すまで、手によって種子を地に蒔くように、恥じることなく生殖行為をしていたと述べている。それではアダムの罪とは何か。堕落とは何か。それは自らの自立的な意志をもつことである。その結果、アダムは自分の身体を制御する力を失ったのだとアウグスティヌスは指摘していると中山氏はいう。意志の自立を望むがゆえに、体の一部が命令に従うことを拒む。そして無花果の葉で意志に反抗する部分を隠すのでる。人間の性器が不従順の象徴的な器官なのであると中山氏は解読する。その器官が動くためには欲望が必要となる。情欲なしに生殖はできない。「性器の自立的な動き」をリビドーと呼ぶ。フロイトによって有名になった「性的な衝動」を意味する言葉であるが、アウグスティヌスは、「神によって定められた限界を超越した人間の傲慢な意志と欲望の結果として生まれたもの」と考えていたと中山氏はいう。アウグスティヌスの取っての原罪とは、「アダムが神に抵抗して自分の意志をもつという不従順な行動を示したことで「園」を追われた」ことを意味する。すべての人間は情欲をもつことで原罪を反復することになる。結婚とは情欲を手なずけるとき、父親や母親が感じる情欲がアダムの原罪を反復し、子供に伝えるものである。とはいえ、原罪は結婚からではなく、情欲から引き継がれるとアウグスティヌスは『ユリアヌス駁書』で叙述している。なぜなら不具になって生まれてくる子供は、人間に罪があって生まれてくるのでなければ神の善性にふさわしくないではないかと同書で論じている。中山氏が言うように、アウグスティヌスでは「すべての自然的要素が罪過の言葉で語られるようになった」のである。このようにアウグスティヌスのよって深められた問題は、結婚を拒否することで個人で解決できるものではなくなった。そこで登場したのが導き手である修道士である。

修道士の役割
 中山氏によると、アントニオスという人物が、財産を投げ捨てエジプトに一人で旅立ったのは二八五年であったという。後に彼にならって砂漠に住む人々が後につづき、「処女の身体」から「修道生活」に重要な「装置」を写すことになる。「経験する」ことのなかでキリスト教の教義が鍛えなおされることになったのだと中山氏はいう。修道院に入るときに求められるものは、世俗的な世界だけでなく所有という考え方そのものの放棄であり、自己を放棄し他者に服従することが求められた。意志や思考まで捨てなければならないのはなぜか。人間の思考には三つの源泉がある。神からのもの、悪魔からのもの、私たち自身からのものである。悪魔が人間の心に悪しきものを注ぎ、善きものに見えるようにしてしまう。これはカッシアヌスの『霊的談話集』に書かれていることで、そこで使われている、「よい小麦と悪い小麦」の見分け方や、純粋な本物の金貨とそうでない貨幣の見分け方を述べているが、ストア派のセネカがすでに利用していた記述であると中山氏は指摘する。だが、ストア派とキリスト教の自己吟味では大きな違いがある。「ストア派では主体が自己を享受し、自分の行動原則を確立するために、不適切なものを排除することが重要な課題だった。ところがキリスト教では自己の欲望の
真理と起源を認識し、悪しきものを排除することを目的として自己の吟味が行われる」と中山氏はいう。したがって自分の思想を師に告白することが求められたという。「善い考えの裏に悪しき考え、悪魔からきた考えを隠していないかどうかを吟味すること」である。自分の心の内面について真実を語るというパレーシアにおいて、精神の禁欲が検証されるのであり、フーコーはこの技術が西洋の歴史にさまざまな形態をとって登場するという。その技術の特徴を六つに要約している。
一、犯した罪深い行動を単に告白することではなく、イメージ、表象、意志、欲望が明らかにされる。二、点検は記憶によるものではなく、「自己のたえざる管理によって行われる」。監視する自己と監視される自己との関係である。三、自分の思考を真理の基準で判断するのではなく、真理の性格を暴くことが求められる。思考が外見と異なるものを隠していないかどうかを吟味する。四、主体の心に生まれる表象、思考、欲望が神ら来たものか、悪魔からきたものかを明らかにする。五、精神に訪れた思考や表象を絶えず点検するために、かたりつづける。つまり言語化しなければならない。六、自己を放棄することを目的とする。主体は他者に服従し、心の中の出来事を他者に物語る。これはキリスト教徒にとっては悪魔の世界から神の世界への移行であり、「他者の王国」、「他者の法則」への移行であるとフーコーは述べる。
 修道院のような特別に隔離された場所だけでなく、一般の教会においても告白は求められていたと中山氏はいう。「自分の思考の真理を公に認めることを意味」する告白は、エクソモロゲーシスと呼んでいた。二世紀にはキリスト教の内部で制度的なものとして確立され、「神の赦しが教会の聖職者を通じて与えられる教会儀礼」となっていたという。過去の自己を明らかにすることで、自己から離脱すること、自己を破壊すること」であり、主体が新しい自己と新しい関係を結ぶことであると中山氏は解釈する。つまりストア派では私的であった自己の吟味が、キリスト教では公のものになったのである。「人々の面前で自分が死に値する罪を犯したことを告白し、悔悛する」。「これ以上の罪を犯さないために、死ぬ用意があることを」示さなければならず、「自己を犠牲にしても、自己の真理を語ることが求められる」と中山氏は述べる。

 司牧者のパラドックス
 フーコーによると、「思考の解釈学を通じて自己について真理を言うという原則」があり、聖書というテクストをめぐる解釈学の長い伝統がキリスト教世界にはあったが、その対象が自己である信念に向けられるようになった。「修道士たちは、自己を解釈するという新しい義務のうちにおかれた」と中山氏は指摘する。自己を探り、自己の真理を発見し、その真理を語るという義務である。真理を語ることは悪魔を追い出すことであり、隠したいと思うことは、その思考が悪魔からきたものという証拠になると考えられていた(カッシアヌス『共住修道制規約』参照)。「師への絶対的服従という関係の枠組のうちで遂行する。この関係の規範となるのは、主体が自己の意志と自己自身を断念することにある」(フーコー『自己の技法』)という。指導がある規則の内面化を目的として行われ、達成されれば指導は終了し、その内面化に成功した人物が指導にあたる。目的が満たされなければ指導者の正しさが問われることになる。これが古代ギリシアの指導関係であるが、修道院では目的に従って賢者が指導するということはなくなる。「修道士はつねに指導者を必要とする。永続的な自己の吟味が必要とされるために、完全に自己を統御できる状態、師にふさわしい状態というのは、絶対に達成できないと考えられた」という。指導者はその有能性において選ばれるのではなく、従属することに価値があるために指導が行われると中山氏はフーコーを参照し要約している。他者の吟味を受ける義務は、「人間の自律的な能力に対する強い疑念」がある一方で、謙虚な姿勢を生む源泉」にもなったであろうと中山氏はいう。しかしそこにはいくつかの逆説が見られると指摘する。一つ目は、平等と排除に関するものである。司牧舎はすべての羊の群れを失わないようにしなければならない。すべてを救済するには、悪しき羊を排除しなければならない。「一頭の病める羊が群れに病を伝染しないように」(ベネディクトス『戒律第二章』)である。しかし、「九十九頭の健康な羊より一頭の病める羊を優先しなければならない」という子羊の喩えがある。二つ目は、指導者が指導に専念するあまり、自己への配慮を忘れてしまうことが起こる。しかし他者への配慮を怠ると群れからの信頼をなくす。自己への配慮をおろそかにすると指導者の資格を失うことになる。三つ目は、司牧者が内的な純粋さを喪失する場合である。
魂の指導は信仰における弱者の気持ちを理解するためにその人物に成り変わり、誘惑を感じ取ることであるという。中山氏はグレゴリオスの『司牧規則書』(グレゴリウス一世・五四〇‐六〇四・修道院の魂の配慮の規則を定めている)から教会にある洗盤の記述を挙げている。多くの手の汚れを落とした洗盤は汚れていくように、「永遠の門に入ろうとするならば、この洗盤と同じように、司牧舎の心にみずから感じている誘惑を打ち明け、そして思考や行為の〈手〉の汚れの落すことができる」。しかし司牧舎は告白された誘惑の攻撃に負け汚れるのも確かである。つまり、羊のためにみずからの命を落とす用意を求められているのだと中山氏はいう。「ひとりの迷える羊のために命を落としたら、群れの他の羊たちの救済はどうなるのだろうか」。司牧舎の資格が喪失されるという逆説。四つ目に、司牧者には思想の純粋性が求められるが、あまりにも汚れのない場合には、ある種の傲慢さをもたらし、それが落とし穴となることがないのかと危惧するのである。つまり司牧舎は自分の弱さを隠さないほうがよいというのである。「弱さもまたこの魂の配慮という営みに不可欠な要素だということになる」と中山氏はいう。このようなパラドックスを通じて、修道士と指導者の間に権力関係が築かれていくが、最終的には神の手に委ねるしかない、完成することがないとフーコーは解釈する。

 優れた師の条件
 中山氏によると、優れた師の条件はアガペー(愛)を備えていること、弟子の思想を解読する能力をそなえていること、魂の動きや悪霊の策略を熟知していることである。「他者の魂への配慮の根本は、他者へのアガペーである」という。次は他者の心を読む能力であり、弟子の心のうちを読み取り、欲望を追い払うことができるが、自発的な告発の機会を奪うということもあったという。最後は識別能力である。しかし優れた師がいつも求められていたのではなく、絶対的服従を重視するので、非合理的な命令であるほうがよい場合もあるという。「自己の放棄と従属の価値が非人間的なまでに高まっていた」ことを示す逸話を中山氏は挙げている。
 中山氏は、修道院における自己放棄の特徴を三つ指摘する。一つ目は、自己放棄がそれ自身、目的化されているということである。他者に服従することそのものが、魂の善き状態青示し、信仰の深さを明かすものであり価値をもつと考えられていた。二つ目は、弟子に命じるのは師であるという関係はなく、誰でもが命じることができ、服従しなければならないという構図が成立した。三つ目は、命令に従うだけでなく、命じられないことをしないことも求められたという。自分の判断で行動してはならないということである。修道院における服従は、帝政期における法への服従とは根本的に対立するものであるとフーコーは指摘する。「古代の教育的であった自己の支配とはまったく逆の場所に到達するからである。自己を支配せず、自己のうちで常に師がすべてのものについての師が支配しているようにすることである」。(フーコー『純潔の闘い』)自己の真理を語る目的は自己を統治することではなく、他者の権力に服従する主体を形成することの条件になってしまったと中山氏は述べる。師が語り弟子が聞いたというソクラテス的な真理を語ることとは正反対の状態にあると指摘する。初期キリスト教では、ローマの男性優位社会、身体軽視の思考に、女性の重要性で抵抗したキリスト教徒たちであったが、神への純潔を強調するあまりに処女の純潔を持ち出してから、現実軽視の機運が高まり殉教者が増加していく。これらは、キリストという神の子が肉体をまとってこの世に出現したことで身体の優位性が明かされたが、キリストの母親マリアが妊娠をしない出産であったこと、つまり処女出産であったことから、アダムの原罪を消し去ることができず女性蔑視の誘因になってしまったといえよう。

 中世解釈者革命と世俗化
 ヨーロッパ社会を席巻する「生‐権力」の実態を解明する上で、ヨーロッパがいかに形成されていったかという歴史を辿りなおさなければならないのだが、ここで長々と記述する紙幅はない。歴史の書物に委ねることにして、話を中世に進めよう。六世紀にユスティニアヌスの命令によりトリポリアヌスによって編纂された『ローマ法大全』が十一世紀末に「再発見」され研究対象にされた時期が、グレゴリウス七世の改革運動の時期と重なる。それは「ヨーロッパの最初の政治的な革命であり、世界全体に形を与えなおすこと」であったと、佐々木中氏は、その著書『夜戦と永遠』の第二部「ピエール・ルジャンドル、神話の厨房の匂い」でグレゴリウス七世の言葉を引用しながら述べる。佐々木氏の主張を要約してみよう。ハインリッヒ四世との政治的紛争、「カノッサの屈辱」で世に知られているが、西洋法制史と中世スコラ哲学を専門とするルジャンドルによれば、「ヨーロッパの法律主義の本質的な集成」である「グラーティアヌス教令集」(十二世紀)における達成は革命といってよく、「敢えていえば、地球は変わったのだ」という。何が行われたというのか。発見されたローマ法の研究に法学者たちや注釈者たちが熱中し、読解し、写本を作り、修正していったのだ。このような作業が二百年以上つづいたのであり、データ化され「文書の合理的客観化」された。「この法テクストの文書化・合理化・客観化そして階層化は、後戻りできない制度的なアウトラインを作り出した」のであり、「無味乾燥な近代官僚制の世界、書類の、文書の、資料の、データの、情報の世界が、ここに歴史上はじめて到来した」とルジャンドルの意思を佐々木氏は代弁する。政治的・法的テクストを客観的文書化・情報化することにより、「効率化」ということがヨーロッパの規範になったのだ。今日の効率の世界、管理経営的世界、われわれの整理術の、検索の、情報の、データベースの世界の起源は、「一つの文章は、無限に書き直せる」という「書かれたものの合理的な客観化という方向において」教会法とローマ法を相互浸透させた「グラーティアヌス教令集」の編纂にあるとルジャンドルは主張する。中世解釈者革命は「情報技術革命」であり、キリストを隠喩する〈生ける文書〉を侵食していくと佐々木氏はいう。なぜなら情報やデータベースによって解決できるのであれば、歌や儀礼は不必要だからである。
宗教からの解放を世俗化と呼ぶ。中性解釈者革命が始まりである。「ラテン・キリスト教自体のなかに、その非宗教化を産み出すような原因があったのである(ルジャンドル)。「世俗化以前の中世ヨーロッパにおいては、近代国家にあたる政治組織を見出そうと思えば、それは〈生ける文書〉たる〈教皇〉を〈父〉とする教会以外にない」と佐々木氏はいう。中世における教会は、近代における教会のようではなく、「キリスト教共同体」、ヨーロッパ大に広がる「キリストの身体」であり、「有機的身体としての政治的社会」であり、解釈者革命によって合理的な制度を持つ政治社会であったと佐々木氏は述べる。「個々人の生の管理すらも行っていた」という。
「ヨーロッパの規範体系は、逆説的にもスコラ学が開花し始めた時代にはすでに、神なしで済ますことができるようになっていた(ルジャンドル)」。「〈準拠〉は無限に書き直せるものになり、〈生ける文書〉は抽象的な、可塑的な、中立的な、透明なものにならなくてはならなかった。かくして宗教は衰退し、そこに〈国家〉が誕生する」と佐々木氏はいう。しかし「世俗化は逆説駅にもまだなお宗教的な概念なのであり、西洋人の〈絶対的準拠〉を操るのに役立っているのだ」(ルジャンドル〉。「近代国家には、教会法とローマ法の結合によって生み出された法的擬制がまるごと保存されている」と佐々木氏はいう。〈生ける文書〉と『グラーティアヌス教令集』から、〈国家〉と〈法権利〉へと移行する。つまり近代国家は「キリスト教規範空間」の内部にいまだにありつづけている。世俗化という概念は、このキリスト教規範空間の更新と延命と拡大のためのアリバイとして機能したということである。まさに不在証明であって、世俗化によって近代政治制度のなかにキリスト教は不在であることになった)という。ヨーロッパで生まれた制度は「脱宗教化」され、「客観化」され、「中性化」したと見なされ、それゆえ普遍的であり、世界大に拡大することが可能であり、グローバルな世界が誕生したと佐々木氏はいう。さらに「解釈者革命によるテクストの客観化=情報化は、最終的に<国家>を掃討する。われわれの〈国家〉を打倒せんとする言説は、〈生ける文書〉と『教令集』の情報革命のあいだにすでに存在した齟齬の、歴史的な余波であり効果にすぎなかった」と佐々木氏はいう。ここからグローバリゼーション下の「管理経営」や「マネージメント」という現代的な問題につなげていくが、フーコーのいう「生‐権力」の発生を追うにはこれ以上、佐々木氏のルジャンドル論を読み進めずに、フーコーのテクスト、『知への意志』を読み込まなければならないだろう。

参考文献
フーコー『性の歴史』全三巻 新潮社
フーコー『全体的なものと個別的なもの』フーコー・コレクション6 ちくま学芸文庫
中山元『賢者と羊飼い』筑摩書房
関根正雄『イスラエルにおける政治と宗教』(岩波講座世界歴史2)
マックス・ウエバー『古代ユダヤ教』みすず書房
ラート『旧約聖書神学1』日本キリスト教団出版局
荒井献『原始キリスト教の成立』(岩波講座世界歴史2)
ブルトマン『歴史と終末論』岩波書店
フーコー『主体の解釈学』筑摩書房
カント『啓蒙とは何か』岩波文庫
湯浅博雄『応答する呼びかけ』未来社
佐々木中『夜戦と永遠』以文社
井筒俊彦『超越のことば』『意識と本質』岩波書店