ヒーメロス通信


詩のプライベートレーベル「以心社」・詩人小林稔の部屋にようこそ。

小林稔散文詩「記憶から滑り落ちた四つの断片・異稿

2015年11月29日 | 「ヒーメロス」最新号の詩作品

記憶から滑り落ちた四つの断片・異稿

小林稔

 

 

一、エルサレム通り

 

ガンを離れて以来、空虚な思いに浸されている。精神の充実と旅をすることの楽しみが折

り合わない。ブルージュの古都から享受する印象はもっと多くの時間を必要としている。

ノートルダム寺院に安置された、若き日のミケランジェロの彫刻「聖母子像」に触れた後、

鐘楼のある道に沿って歩いていると、半身不随らしい男がタンカーに寝かされ運ばれて行

くのを見た。あの男も旅をしていたのだろうか。

 

ブルージュの街を北東にしばらく歩いて行く。やがて風車が目に入る。エルサレム教会が

ある辺りの廃墟になった集落を歩いていた。瓦屋根が崩れかかり、家の柱が斜めに突き出

している。ゆるやかにカーブした道の四つ角から四方を見渡した。窓枠が外れ、窓ガラス

が抜け落ち、古い煉瓦が積まれた屋根と屋根の間に、丸みを帯びた石畳の道がつづいてい

る。今は廃墟として葬られた、かつてのユダヤ人のゲットーなのかもしれない。

家の角を曲がり、右手の家に視線を据えたとき、少年の眼差しがあった。私のこころの奥

を覗き込むように凝らす瞳。埃に霞んだガラス戸の向こうから射す視線が執拗に私にまと

わりついて、払いのけようとする私の視界に、少年の右半身がガラスの扉に映し出された。

一瞬の戸惑いがあったが、一メートルと離れていない距離にいる少年は、凝視すればガラ

スに映る私の影像であった。

 

街の中心部に戻り、運河沿いにある中世の建物を改造したホテルに宿泊する。人通りのな

い河の両側に並ぶ建物は、茜色や黄色、そして緑色、灰色を中間色に染め、遠く河の中央

には教会の尖塔が霞んで見える。衰えかけている日射しは夕暮が近いことを知らせている。

横切る鳥の群れがすばやく姿をなくした。教会の鐘の音が左から右から、遠くで近くで放

たれ、重なり離れ、追いかけ追い越し、水面を転がり、樹々を旋回して、やがて家々の狭

間に消えていった。

 

 

二、ヒエロニムス・ボッスの像

 

オッテルローの森を徒歩で抜けアーネムに引き返し、そこから列車でデン・ボッスに向か

う。車窓から見る自然はゴッホの絵画を思わせるものであった。樹々の狭間から風車が見

える。空は白く霞んで、草原に寝そべる牛や走る馬が見えてくる。駅に着いたときはすで

に陽が落ちている。そこから広場まで歩いて行くと、人々の喧騒と鳴り響く音楽があった。

メリーゴーランドが子どもたちを乗せ廻り、木馬に乗った子どもたちの躰を上下させてい

る。大人たちも遊園地の人混みを押し分け、お菓子を売る店先に顔を突き出している。画

家ヒエロニムス・ボッスの生地だ。絵の中から跳び出してきたような人たち。ホテルを確

保してからもう一度来てみようと、駅の案内所で手に入れた地図を見ながらゴシック風な

教会が、坂になった石畳の道の端に見えてくる。斜め手前に小さなホテルがある。荷物を

置いて通りに出ると、箱型の街頭オルガンが道端に止まっていた。帽子をかぶったおじい

さんが袋のコインをガチャガチャ鳴らして子どもたちからお金を集めている。

 

翌朝、荷物を背負いホテルの室内を出て、玄関前の石段に足を踏み入れると、頭のてっぺ

んを引き裂くような女の甲高い歌声がとつぜんに聞こえてきた。通りを二、三十メートル

歩いたところで、胸に手を当てた。首から提げている袋がないことに気がつき、心臓が動

くのを止めるくらいに驚いた。袋にはパスポートと所持金を入れてある。頭から血が曳い

たように感じられた。急いでホテルに戻り、宿泊した部屋に飛び込んだ。部屋は出てきた

時と同じように毛布とシーツがよれたままで、枕をはねのけると、そこには肌色の、ナイ

ロン製のチャックの付いた四角い袋の伸びた紐が見えた。ストックホルムの百貨店で見つ

けたものだ。ホテルの女主人が子どもでも見るような眼で私を見てうなずき微笑んでいた。

もう一度別れの挨拶をして通りに出る。ソプラノの歌声はつづいていた。

 

昨日の遊園地のあった駅前の広場に出ると、そこには石畳の広場だけがあった。その真ん

中には石の像が誇らしげに身を反らして立っている。台座にヒエロニムス・ボッスという

名が刻まれていた。厚い雲が背後から像にのしかかるように垂れ込めていた。

 

 

三、カイバル峠を越えて

 

カブールから早朝に発ったバスがペシャワールへ抜ける途中、アフガニスタンの国境近く

の町、シャララバッドに立ち寄った。昼食をとる人たちもいたが、私はミルクティーを飲

んだ。銀色に飾った、派手なトラックが走り抜ける。空は雲一つなく晴れ渡っている。こ

こから山賊が出没し、バスごと消え失せることがあるという噂のカイバル峠を越えなけれ

ばならない。

 

バスは岩肌を削った道がいくつも蛇行して下り、谷の向こうに遠く霞んでそびえ立つ山々

が稜線を見せる。やがて国境に差しかかったとき、荷物検査のためにバスから降ろされた。

同行の者たちは言葉少なく検問所に向かう。すると、反対側の山麓を降りてくる一台のバ

スがあった。砂塵を舞い上げて停止し、インドからの商人らしい人やアフガニスタンに帰

るであろう人たちが一人ずつ姿を現した。その中にひとりの日本人と思われる青年がいた。

小豆色のネパール帽をかぶった彼は私を見ると、気まずそうに近寄り、背負っていたリュ

ックから一通の封筒を取り出した。

 

「あの、パキスタンに着いたら、これを出してくれませんか」

胸元に差し出された封筒を受け取ろうとしたが、一瞬ためらい、出そうとした手を引いた。

彼はどんな思いを抱いて旅に出たのかを語り合いたい思いで胸が塞がれる思いになる。彼

の無事を案じて胸が熱くなり、言葉を発することができなかった。青年は少し眼をうるま

せ、怪訝そうな眼差しで私を見つめた。

「ぼく、出せなかったのです。だめなら仕方ない、いいんです」

封筒には日本の住所と宛名がローマ字で書かれてあった。

「このような場所で何かあるといけないから。きみを疑っているのではないけど…」

私はインドを経由して日本に帰ること、彼はトルコを通過してギリシアに向かうことを告

げた。

 

やがてそれぞれ別々のバスに乗り込んだ。

私よりいくぶん年下に違いない、少年のような彼の眼差しをしばらく脳裏に残し、時と道

を交換したような気持ちになり、再び逢うことはないであろう青年の行方と、私のこれか

ら向かう行先を思い廻らしていた。

 

 

四、ガンジスの岸辺

 

宿の前の大通りは一直線にガンジス河に伸びている。真夜中の闇が去らずに浮遊して人影

があちらこちらに散在し、うごめいて、そこだけが薄明りを灯したように見える。

私はそれらの影と距離を測りながら岸辺に向かう。少しずつ明るんでくる青の空にいくつ

もの塔が姿を見せ始めたが、足元を昨夜の闇が取り巻いている。

 

河岸に降りる石段に黒い塊がある。路上生活者であった。水面が石段を吞み込んで揺れて

いる。空を映している水は不透明な灰色である。水中に身を沈める老若男女は、東の対岸

に眼差しを向け、合掌した両手を水面に突き立てている。背後で煙が立ち昇った。高く積

んだ薪の上、布に包まれた死体が炎に焼かれている。遺族たちであろう、嘆き声を発して

その周りを廻っている。

 

岸辺に舟が着いていた。私に向って手招きする船頭がいる。一人の若い女性が舟から笑み

を投げかけている。アメリカ人の大学生であることを告げた。私も乗りこむと船頭は櫂を

曳き、ゆっくりと舟は岸辺を離れた。

 

けたたましく響く鐘の音がえんえんと続く岸辺沿いに舟は移動する。そこから船頭は立ち

並ぶ寺院の名を次々に叫んだ。茜色に染まる地平線から太陽が昇り始める。石段にいた人

々は太陽を見つめ祈っている。

 

舟を船着き場につけ、船頭は帰ろうとする二人を寺院の裏手にひき入れた。蛇のようにく

ねった路地を辿り、木造の粗末な家に連れていく。物置の歪んだ梁の下の、壊れかけてい

る引き戸を船頭が開き、私たちを入るように導く。手前の物置の奥で煙草をくわえ、鏡を

見つめ髪をとかしている上半身裸の若者の姿が見えた。その周囲で探し物をしている少年

がいる。奥の部屋に入るよう船頭に促され、アメリカ人の女性はためらったが、私がいる

ことで安心しているようだ。

 

しばらく待っていると、さっき見かけた若者が黄色いシャツを着て私たちの前に現われ、

極彩色の絹の織物を素早く広げた。舟を降りたときから推測していた通りのことであった。

「すばらしいわ」と感嘆の声を挙げた彼女は値段を聞いて不快な表情を見せた。私と同じ

貧乏旅行者だ。買い物にインドまで来たのではない。あきれ苛立った私は沈黙を通した。

 

若者が目の前で布を広げる手さばきから、まだ少年だろうと思った。織物に視線を向けな

い私を見て訝っているようだ。彼は黒く光る眼で私を見た。心惹かれるなら何にでもなれ

る。眼の前の若者になってみようか。彼の眼差しで私を見たような気になる。彼の着てい

る黄色いシャツがたまらなく欲しくなり、帰り際に物置の暗がりで二人は裸になる。私の

青いシャツと交換して別れた。

 

路地から路地を一人で歩いた。真っ赤な絵の具をぶちまけたような一角。黄色い花弁があ

ふれんばかりに散っていた。路地からさらに細い道を辿っていつか宿の前の大通りに着く。

路上で笛を売る少年が笑っている。真黒なバナナを道端に並べて売る男がいる。祭りのよ

うなざわめきが群衆の中から沸き立つ。群衆の渦に吞み込まれた私は何者でもなくなった。

群衆の渦の中から牛の死骸を載せた荷車が現われた。金属音が鳴り響くその後を追って、

荷車は群衆をかき分け舗道の真ん中をゆっくりとガンジスの岸辺へ進んで行った。

 

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タペストリー3~6小林稔

2015年11月14日 | 「ヒーメロス」最新号の詩作品

ペストリー(3~6)小林稔

タペストリー 3

 

 昨日の広場の喧騒が遠くに広げていく視線の先から消えて、頁を改めるように、

この街を去る私の緩慢な足の動きが早朝の空気に駆り立てられ、いつものよう

に少しずつ速められる。街が眠りから解かれ、店先には赤や黄色の果物が歓喜

の声をいっせいにあげ、隣ではカフェの椅子を広場に向けて設えはじめるころ、

台座の上で両腕を広げたブロンズの彫像の建つ広場の中央を人々がせわしなく

通り過ぎる。彼らの背を追うように私も列車の駅に向かった。

 

絶えず私は問いつづけた、おまえは何を見、何を創ろうとするのか。

 

太陽の沈まない白夜、雪の山頂の傾斜に太古から流れる氷河を私は見た。首都

の一角で異民族たちが群れをなし暮らしているのを、白昼の路上、銃で打ち合

う男たちの乱闘を、片手片足をなくした子どもたちを橋上で見た。

 

私は欲求した、一つの精神を、言葉と一緒に立ち上がる一つの肉体を。あなた

の不在を知らせる残り香を求め、重い荷を背負い路地から路地を走り抜けた。

 

 

タペストリー 4

 

西から東に延びるいくつもの砂礫の道が集結する古都。ふくよかなドームがそ

びえ立つ寺院に入ると、暗闇の回廊から一気に光の洪水に襲われる。盲者とな

ったわたしは、おまえは限りなく不幸だという空から降りた声に引き寄せられ、

世界の悲惨を重ねて、青い円蓋から散る黄色い花びらが舞うなか、内庭の中央

にある井戸の方によろけながら歩いて行くと、井戸の底にはかすかに水の流れ

る音がして私の耳に届いた。あのとき私は確かに呼ばれたのだ。いまおまえの

いる場所からおまえの血であり肉である身体を異なる人々と知られざる邦に彷

徨わせ、以後のおまえの生は旅人の宿命から遁れることはないという声を。

 

私はいつもひとりだ、生まれたときと同じように、そして死ぬときもまた。し

かし私は、気がつけば人ごみのなかにまみれ、変貌する街を過ぎる人いきれを

吸い込み、旅の記憶をそこに重ねながら、ひたひたと寄せる時を移ろいゆく身

体に刻んでいる。

 

 

タペストリー 5

 

歳月にそぎ落とされた形姿はそぎ落されたゆえに、本質にかぎりなく近づいて

いく。風に飛ばされた断片は永遠に失われ、空白を創造で満たそうとしても時

 をうしろに見送るようにむなしく、失われた部分を取りつけ原型に近づけるこ

とはさらにむなしいというより愚かな所作である。真なるものは形なく伝えが

たいもの、伝えがたさを伝えるために言葉は書き留められねばならない。

 

祝祭はまた来るだろうか。歓喜の、陶酔の、あなたとの邂逅のエクスタシーの

ただなかで生の横溢を身体に浴びて健康のもとで草むらを転げまわるような。

 

言葉こそがあなたと私をつなぐ橋である。混沌の闇から現われ出るのっぺらぼ

うのあなたが一つの貌を持ち、私のまえに立つとき、あなたの青空のような清

涼な眼差に私は身を焦がすだろう。私があなたと、あなたが私と輪郭を重ね合

わせたいという互いの欲望のなかで一つになるだろう。そのときまで私は言葉

を訪ねつづけるのだ。

 

 タペストリー 6

 

 時の迅速な流れは止まることなく

追億に映し出される人生は

滔々(とうとう)と流れる大河

神経の痺れが意識の岸辺に辿りつく

〈死の領土〉の敷居を跨ぐようにと

睡魔がしきりに手のひらを返す

 

波は舟に横たえた私の身体を揺らし

遠ざかりつつ近づく石の建物の群れを

私は一つ二つと数えている……

……眠れよ眠れ、この静かな真昼

少年の息の根をふさぎ

 引き抜いては小わきに抱え

連れ去ろうと夢見る邪悪なものから逃れよ

 

とある駅前広場

左から右から寄せる人ごみからはみ出し横切って行く

坊や、人生は残虐だ

おまえのかろやかな立居、たおやかな身体

家庭の日常から遮断され

おまえがそこにいることがすでに奇跡だ

かりそめの形姿を身にまとい立ちすくむ者

この不可思議な生きものでさえ

時は無数に伸びたその足で容赦なく踏みにじる

 あこがれを牽引させ、虚空に私を引っ張りだす

そいつはいったい何者か、と問う私に

そいつはかつてのおまえだよ

という声がどこからか返ってきた


詩誌「ヒーメロス」30号、平成27年8月1日発行、小林稔「タペストリー8」

2015年08月06日 | 「ヒーメロス」最新号の詩作品

タペストリー 8

小林 稔

 

 

   一

乗り込んだ車輛に乗客が通路にまであふれ、私は背から降ろしたリュックを片

手で持ち、立ちつくしている人々にぶつかりながらコンパートメントをガラス

の扉越しに覗いて、隙間を縫うように歩いて行く。後方車輛との連結部の手前

の洗面所の近くまで来て立ち止まる。アムステルダムに向かう列車内に私はい

た。日本を発ち一か月は過ぎようとしている。

陽が落ちかけ、通路の窓ガラス越しに見える田園風景が後ろに素早く流れ、そ

こに私の身体の影が貼りついたように映っている。ドイツ語からオランダ語の

響きに車内のアナウンスが変わってから、制服を着た帽子の若い男が、通路を

私の方に歩いて来て、無造作にリュックの紐を解き、本と下着の間に手を滑り

込ませると急いで立ち去った。抜き打ちの荷物検査らしく、気まずい思いに駆

られたが、気を取り戻し、乗客がまばらになった通路を歩いて空席の見えるコ

ンパートメントの扉を開け入ると男女四人の日本の若者たちがいた。

アジアを陸路で帰るつもりでいることを私が告げると、私のきびしい眼つきか

ら即座に了解したと彼らはいう。いくつもの異種の生活文化が重なり、少しず

つずれて東へ移動する国々の名を一つひとつ心に唱えながら、その涯の日本へ

帰るという醒めきらぬ悪夢に向けて、何もかも私が一人で決断したことであり

ながらも、運命に身を預けた不安に若い私は脅えもした。

 

絶えず心を突き動かし、私の身体を前方に押していたものとは何だったのだろ

うか。帰路に向かうにはまだ日数がある。ヨーロッパを南下し、北アフリカに

も行ってみたいと思いながら、見知らぬ街から街へ足を踏み入れていた。

得体の知れぬ生きものに直に触れたような怖れと歓喜に胸は締めつけられたが、

どこにでも歩いて行けるという自由な異国の旅人を装い、舗道を行き交う人々

の歩調に合わせ進み、大きく息を吸い込んだ。

 

   二

記憶のうごめく暗闇から声が屹立し形づくられる影像は、私に何を語らせよう

と身構えているのだろうか。言葉は私に残された未詳の生を決定づけるために、

私を白紙に向かわせる。言葉を綴る私の生という放たれた帯の行く末に、過去

は自らの命を永らえさせようと私の傍らで他者の眼差しを投げかけている。


詩誌『ヒーメロス』29号 小林稔作品「タペストリー7」

2015年05月14日 | 「ヒーメロス」最新号の詩作品

タペストリー 7

 小林 稔

      

   一 

荒涼とした道に足跡を刻んでいく。行く先々で道は分岐し、世界の様相を示す

ような無数の罅割れが走る道を、青年のきみは絶えず移動する。そのようなき

みと状況を同じくする私は、その日すでに宿舎に着いていた。ガラス戸を押し

てかろうじて身を滑らせ、食堂の椅子に座り込んで、うなだれた顔を両手でお

おいテーブルに頭を押し付けて動かなくなった。きみを視線で追っていた私は、

生まれた土地を離れ、見知らぬ土地土地を彷徨いつづける幸運とも不運とも言

いえる宿命を背の荷物につめ、旅の日常を日々うしろに送り返すことで人生の

未明にいる私を思い描いていた。宿泊地での若者との別れを繰り返す度に、私

は未知なる他者との出逢いを求めていることが分かり始めていた。とつぜん顔

を起こしたきみの視線が私を捉えた。眼前の見知らぬ同国人の視線に戸惑いを

感じてきみは視線を散らし、なんとなく私に微笑んでみせた。

 

オクシデントを旅する私たちが、夏の終わりにアジアの国々を東へ抜け、日本

に辿ろうとすることは暗黙に了解された。互いに秘める知られざるものに魅惑

されながら知られざる土地を共に旅することができたらどんなに素晴らしいこ

とだろう。私たちは何に駆り立てられ、何を探りあてるため、異国から異国を

渡り歩くことになったのか。異国に自己を投擲し、これまで生きてきた互いの

時間のなかに同国人の覚めやらぬ意識を呼び起こすため、他者になり果てた私

の意識の深遠にまで触れて答えを見出せるに違いないと信じられて。

 

 

   二

旅は終わったのか。否、生きるとは一歩先の未知なる時間に向けた旅なのだ。

私と他者とのこころの結合と解(ほぐ)れは終わることがない。個の宿命を授けられた

果てることのない孤独な存在者の夢は、言葉によって紡いでいくしかない。音

楽家の魂が譜面に残され、その楽曲を他者が奏で夢を蘇生させるように、言葉

によって詩人の魂は来るべき魂に継がれ生き永らえていくだろう。

 

 


詩誌「ヒーメロス」27号、掲載作品

2014年09月14日 | 「ヒーメロス」最新号の詩作品

詩誌「ヒーメロス」27号掲載作品

タペストリー 6

小林 稔

 

 

時の迅速な流れは止まることなく

追億に映し出される人生は

滔々(とうとう)と流れる大河

神経の痺れが意識の岸辺に辿りつく

〈死の領土〉の敷居を跨ぐようにと

睡魔がしきりに手のひらを返す

 

波は舟に横たえた私の身体を揺らし

遠ざかりつつ近づく石の建物の群れを

私は一つ二つと数えている……

……眠れよ眠れ、この静かな真昼

少年の息の根をふさぎ

 引き抜いては小わきに抱え

連れ去ろうと夢見る邪悪なものから逃れよ

 

とある駅前広場

左から右から寄せる人ごみからはみ出し横切って行く

坊や、人生は残虐だ

おまえのかろやかな立居、たおやかな身体

家庭の日常から遮断され

おまえがそこにいることがすでに奇跡だ

かりそめの形姿を身にまとい立ちすくむ者

この不可思議な生きものでさえ

時は無数に伸びたその足で容赦なく踏みにじる

 

あこがれを牽引させ、虚空に私を引っ張りだす

そいつはいったい何者か、と問う私に

そいつはかつてのおまえだよ

という声がどこからか返ってきた