ヒーメロス通信


詩のプライベートレーベル「以心社」・詩人小林稔の部屋にようこそ。

小林稔「一瞬と永遠」詩誌「へにあすま」45号掲載作品

2013年09月28日 | 詩誌『へにあすま』に載せた作品

詩誌「へにあすま」45号2013年9月二十日発行

一瞬と永遠

               小林稔

 

 

   α パリス、ノスタルジアの階梯

 

二千年の歳月を土に埋もれる試練に耐えたのち、人々の視線にさらされ、いま

わたしの視線が捉えた無名彫刻家が大理石に魂を吹き込んだ神像、その青年の

裸体に破片をつなぐ傷跡あり。しなやかな腰に少年の面影を残し、サンダルの

革紐がからまるふくらはぎ、すでに闘いを終え外されたそこから踵まで視線を

這わせ素足の先で留める。指がこころもとなく伸びて動き出さんとする様態に、

かつて少年たちの足をかたわらに見つめた一瞬の〈時〉は何度も反復されつづ

ける。かぎりなく人間に近づけて創ったという古代の彫像、それらに劣らぬ少

年たちの美しい形姿に似つかわしい魂を注ぐため、ノスタルジアの階梯をかつ

てわたしは昇りつめたが、わたしは彼らに何を与え何を授かったのであろうか。

神像の視線に正面から捉えられ、一瞬の姿を永遠の形相に変貌させた神の似像

をまえに、わたしは精神の羽搏きを感じて、しばらく立ち去ることを忘れた。

 

 

   β アルテミス、魂の分娩

 

エーゲ海の波のようになびく頭髪と清楚な面立ちがこれほどまでにわたしのこ

ころをつかんだことがあったろうか。異性との精神の分有はいかにして成立す

るかをわたしはいまだ知らない。わたしが背にした道を辿りなおさなければな

らないのは、この女神像に魂が呼ばれたからだ。身を包んだ波打つドレープの

下にどんなこころが潜んでいるのかを探りはじめてしまったからだ。天空の精

神という父性の〈精子〉と大地の子宮という母性の〈卵子〉からわたしは生を

受けたが、言葉(ロゴス)を求めつづけるわたしの旅は地上を〈さすらう〉と

いう宿命から遁れることはできない。詩がポイエーシスの賜物であるならば両

性がわたしに所有されている。魂の分娩は肉体のそれよりはるかに偉大である

と男たちを諭した知者の女性ディオティマを思う。美しく高貴で素性のよい肉

体を探し求め教育し精神の出産をしようと交わり、生まれたものを相携え育て

る。精神の分娩でもたらされる不死なる子どもは作品であるが、エロースの対

象となる少年を生むのは女性だ、という背理の糸を手繰り抜け出ようとわたし

は考えた、女性の魂の分娩とは、神々の恋とはいかなる営みであるかを。わた

しはうしろに身を構え、大理石の神像が定める視線の行く先を肩越しに追った。

        

※「ディオティマ」はプラトン『饗宴』に登場する虚構上の人物である。

 

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井筒俊彦『意識の形而上学』を読む・小林稔、連載第一回、双面(ヤヌス)的構造

2013年09月26日 | 井筒俊彦研究

井筒俊彦『意識の形而上学』(「大乗起信論の哲学」)を読む

来るべき詩学のために(二)

 

小林稔

 

連載第一回 「真如」と「アラヤ識」における双面(ヤヌス)的構造

 

 先の、十八回にわたる「連載エセー『意識と本質』解読」につづいて、十年後に書かれ遺稿になった『意識の形而上学』を読んでいきたいと思う。前書を精読した後では、この難解と思われた書物も、今の私には比較的入りやすいものになっている。三、四年前に読んでいた時の難解さは和らいでいるものの、そのテーマの大きさと、重要性は一段と大きくなっている。必然的に、私の来るべき詩学の完成に向けてインパクトを深く与えるものになっているようである。(中公文庫版『意識の形而上学』をテクストにする。)

 第一部の序において、『大乗起信論』のテクストがいつどこで誰によって書かれたか不明だが、大乗仏教の書物としては名声高いものであり、六世紀以降の仏教思想史の流れにすこぶる大きな影響を賦与していると井筒氏は紹介する。漢訳本から日本語に置き換えられた書であるからには言語はサンスクリットであろうが、あるいは当初から中国語で書かれた偽書の可能性もあるという。そう述べた後で、井筒氏は『意識の形而上学』を執筆する指針を明らかにする。それによると、本質的に宗教書である『大乗起信論』を仏教哲学書として読み、そこから生起する哲学的問題を分析しようとするものだという。

 前回の連載の折にも触れたが、彼の主張する東洋哲学の共時的構造化の一資料として、「それの意識形而上学の構造を、新しい見地から構築してみようとする」試みであるとする。彼の「共時論的構造の把握」とは、現代に視点を置き、我々にとって古典を有意義にしていこうとするものであるが、一種のテクストの読み直しを迫るものといえよう。

 

 貴重な文化的遺産として我々に伝えられてきた伝統的思想テクストを、いたずらに過去のものとして神棚の上にかざったままにしておかないで、積極的にそれらを現代的視座から、全く新しく読みなおすこと。切実な現代思想の要請に応じつつ、古典的テクストの示唆する哲学的思惟の可能性を、創造的、かつ未来志向的、に読み解き展開させていくこと。

                   『意識の形而上学』井筒俊彦「第一部Ⅰ序」

 

 このテクストの読み直しは井筒氏独自の考えではなく、彼の他の論文で自ら言っているように、「創造的に思索しようとする思想家があって、研究者とは全然違う目的のために、過去の偉大な哲学者たちの著作を読む」という傾向は現代ヨーロッパの思想界では、「一つの顕著な戦略」であり、一種の誤読とも考えられるが、そうすることによって「過去の思想家たちは現在に生き返り、新しい生を生き始める」と述べ、現代哲学者、ドゥルーズやデリダの名を挙げている。しかしながら現代日本の思想家たちは、自らの思索のインスピレーションを求める場所は東洋哲学の古典ではなく、マルクスやヘーゲルやニーチェといった西洋の古典であると井筒氏は不満を述べる。(井筒俊彦『意味分節理論と空海』参照)

 さらに私は、このようにして残された井筒氏の哲学書を、詩学を築くために誤読しようとしているのかもしれない。このエセーは少なくとも「詩とは何か」を考える導きとして、哲学や神学との差異を明確にするための、詩の実作者(私)からの読み直しなのである。

 

p14~

Ⅱ 双面的思惟形態

 

 『大乗起信論』には顕著な二つの特徴があると井筒氏はいう。意識(こころ)という非空間的な内的機能を主題としながら、形而上学的思惟を空間的に構想することと、思惟が至るところで双面〈ヤヌス〉的に展開することであると指摘する。思考展開の筋道は二岐に分かれ振幅を描きながら進んでいく、つまり直線的ではないという。詳細は後に論じていくとしながらも例を一つ挙げる。大乗仏教全体に共通する、「真如」と「アラヤ識」というキータームだ。

1、真如について井筒氏から教えを乞おう。存在エネルギーの全一態。絶対の無であり空であるという。一切の事物の本体と考え、全存在者の現象顕現する次元での存在者であり、また現象的自己展開でもあるという。「真如」と反対は「無明」であるが、それらがイコールで結ばれる事態があると『起信論』は考える。存在論的に双面性があるということ。しかもこの二極は徹底的に対立する、つまり相互矛盾的対立関係にある。現実はすべて妄念の世界と措定するのだ。そして相矛盾する二つの側面が「真如」において同時成立すると考える。この二重構造を超出して事の真相をそのまま無矛盾的に、同時に見通すことのできる人をこそが『起信論』の理想とする完璧な達人であると井筒氏はいう。矛盾したものを無矛盾的に見るという困難さがある。

2、「アラヤ識」について耳を傾けてみよう。『起信論』の「アラヤ識」が唯識哲学の「アラヤ識」とどのように相違するかが重要なテーマになると井筒氏はいう。「起信論」における「アラヤ識」は「真如」の非現象界と現象界の中間地帯として空間的に把握される。「真如」が非現象的「無」からいままさに現象的「有」的次元に転換し、経験的事物事象の形に乱れ散ろうとする境位、つまり意味分節体、存在分節体に変わろうとする場である。非現象態から現象態、逆に、現象態から非現象態に還帰する「真如」が必ず通過する中間地帯と考える。「アラヤ識」はこういう意味で双面的であるのだと井筒氏はいう。

 現象的事物の世界(経験的世界)を「真如」の本然性からの逸脱と考えるか、あるいは「真如」それ自体の存在展開と見るかで価値符号が正反対になる。前者は「アラヤ識」を限りない妄象現出の出現として「負」と捉え、後者は「アラヤ識」を「真如」の限りない自己展開の始点として「正」と見なすことになると井筒氏はいう。二方向の運動によって、存在分節否定の立場と存在分節肯定の立場に分岐することになる。この事態を「起信論」では「不生滅」(非現象性)と生滅(現象性)と和合して、「非同非異」(同一であることもなく相違することもない)という自己矛盾的一文で表現すると井筒氏はいう。そこから「起信論」では「アラヤ識」を「和合識」と名づけているという。第二部で詳しく論じているのを見るであろう。唯識哲学の「アラヤ識」と「起信論」独自の「アラヤ識」には同じものと相違するものがあるようだ。両面をこれから理解し、さらに井筒氏独自の「言語アラヤ識」を『意識と本質』その他の井筒氏の論説を読み直し、深く考えてみようと思う。

 意識という非空間的機能を時間性を離脱した空間的広がりとして構造化する「起信論」などに見られる思索は、西洋哲学にない東洋哲学独自のものであり心惹かれるものだ。

 

「『意識の形而上学』を読む」第一回終了。

 

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柄谷行人『トランスクリティーク』を読みながら考えたこと。

2013年09月07日 | お知らせ

柄谷行人『トランスクリティーク』を読みながら考えたこと。

小林稔

 

私の机上に積んである、最近買い求めた柄谷行人の書物を列挙してみよう。

出版された順に揚げると、

 

『トランスクリティーク』2001批評空間社、定本版2004岩波書店、2010岩波現代文庫

『世界共和国へ』2006岩波新書

『世界史の構造』2010岩波書店

『哲学の起源』2012岩波書店

『「世界史の構造」を読む』インスクリプト

 

一般的に言って書物の出版年月日の順序は著者の思想的展開の流れを表わすものであろう。柄谷氏の書物のあとがきや序文を辿ると発表の意図が見えてくる。しかし読み手は必ずしも発表順に読んでいくとは限らないのである。読み手の需要にそって横に広がっていく。例えば私は、まず偶然にも『哲学の起源』を本屋の書棚で見つけ購入した。それまで私はミシェルフーコーの後期の思想に興味を抱き、『「自己への配慮」と詩人像』の前半を書き終えていた。(ブログ参照)連載第十六回目はキュニコス主義についての考察である。フーコーの導き出した「哲学と霊性」を軸にプラトンの書物から多大な影響を受けていた。何よりも先に伝えておかなければならないのは、私は詩人であり、詩学の確立を企てる人間である。詩学を哲学と神学のアナロジーとして解き明かせないかを考えているのだ。そういう私が今年の7月22日に『哲学の起源』を購入し読破した。その印象は前回の近況報告で書いたとおりである。もちろんその時からいく日が過ぎ、プラトン哲学とイソノミア、デモクラシーの関係を考え続けている。『哲学の起源』の附録にある『世界史の構造』から『哲学の起源』へ、という柄谷氏の言及に触れ、彼が言うように、社会構造体の歴史を「交換様式」から見ようとする企ての概略をまとめた『世界共和国へ』を購入し読んだ。さらに詳細を知りたくて、『世界史の構造』を買い求め読み始めているところだ。今年の8月28日に『トランスクリティーク』と『「世界史の構造」を読む』に出会い購入した。『世界史の構造』と『トランスクリティーク』を併行して読み、『「世界史の構造』を読む』を気が向いたとき読んでいる。

 

 『世界史の構造』の序文で、柄谷氏は『トランスクリティーク』を振り返ることから『世界史の構造』の企てを説明したいという。その企てとは、「交換様式から社会構成体の歴史を見直す」ことである。その必要性を痛感したのは、一九八九年の東欧の革命に始まり、一九九〇年ごろのソ連邦の解体であるという。その時期にアメリカ国務省の役人フランシス・フクヤマが言った「歴史の終焉」はアレキサンドル・コジェーヴの「歴史の終り」にさかのぼり、フクヤマはこの概念をコミュニズム体制の崩壊とアメリカの窮極的勝利を意味づけるために用いたのであり、アメリカの勝利であるというのであればそれは間違いであると柄谷氏はいう。今日それらは破綻をきたしているからであり、社会民主主義的政策をとられるようになったが、破綻を覆すものではなくむしろ「歴史の終り」を証明するものであるという。『トランスクリティーク』で柄谷氏が言おうとしたこととは、近代の社会構成体を見るには、資本=ネーション=ステートという相互補完的な装置として見なければならないことである。資本主義経済は経済格差を生む。ネーションはその格差や矛盾を解決しようとする。そして国家は課税と再配分によって解決を果たすという。そしてそれを称揚することではなく、それを超えることに関心があるという。各国における資本と国家への対抗運動を考えていたという。デリダの「新しいインターナショナル」の提唱や、ネグり&ハートの「マルチチュード」の世界同時的な反乱を考えていたのであるが、九・一一以後の事態によってこのような考えは破壊されたと柄谷氏はいう。『トランスクリティーク』出版の次の年の事件であった。したがって二〇〇一年は柄谷氏にとって大きな意味を持つことになる。それは「交換様式」の理論的体系の創設である。その完成した書物が『世界史の構造』であろう。今その書物を私が手にし、マルクスやカントやヘーゲルの主要書物や、その他の経済学者の書物を読みながら、解読していこうと思う。

 私の「来るべき詩への大いなる序章」に柄谷行人という思想家が付け加えられるであろう。詩を「生の変革」と把握する私に大きく貢献するに違いない。

 現在の時点で次のような問題提起が『トランスクリティーク』を読み進めるうちに発生している。その一つは次のようなことである。

 東欧の改革とソ連邦の崩壊が思想界に及ぼす影響のことである。デリダの「ディコンストラクシオン」やフーコーの唱える「知の考古学」などの思考が、「マルクス主義が多くの人々や国家を支配している間、意味をもっていたにすぎない」と考えるようになったという。「懐疑論的相対主義、多数の言語ゲーム(公共的合意)、美学的な「現在肯定」、経験主義的歴史主義、サブカルチャー重視が、当初もっていた破壊性を失い、まさにそのことによって「支配的思想=支配階級の思想」となった、つまり「最も保守的な制度の中で公認されている」と柄谷氏は「序文」で述べている。このことは文学界にも影響を与えずにはおかない。なぜ書くかという根本的問題にかかわることであり、書く主体に重くのしかかる問題であろう。

柄谷氏の場合は、若い頃に読んだマルクスの『資本論』への驚嘆とそれ以後の「深い敬意」の持続がある。しかしマルクス主義を唱える政党や国家、「ルカーチやアルチェセールに至るマルクス主義哲学者」に対する批判を抱き続ける。いわば『資本論』とマルクス主義のずれを感じていたのである。それを解決するものとしてのカントの『純粋理性批判』であったと柄谷氏は語っている。マルクスはコミュニズムについてはほとんど語らず、未来について語ることは反動的でさえあるといっているし、柄谷自身も「資本と国家への闘争は、未来の理念なしにも可能であり、現実に生じる矛盾に即してそれをエンドレスに続けるほかない」と考えていたという。つまり「終わりなき争」である。私は学生運動が蜂起するなかで、彼らからあえて距離を置き、詩という「生の変革」を信じ、政治に対しては冷ややかな目で見ていたことになろう。「生の変革」といっても社会の変革ではなく自己の変革である。大概的にいえばどちらもマルクスの影響の余波を受けていたことになる。

 柄谷氏に大きな決断をもたらしたのは八九年、九0年の「社会主義」体制の崩壊にあった。先述したようにマルクス主義に基づく国家が存在していた間には意味を持ちえた思想も、社会主義国家の消滅とともに根拠を失った、つまり「逆説的に彼らに依存していた」という自覚があったので、カントについて本格的に考えるようになったと彼自身がいう。それ以後のほぼ10年を費やして柄谷氏は『トランスクリティーク』を完成させた。「マルクスをカントから読み、カントをマルクスから読む」という作業であるが、二人の間にヘーゲルがいる。いわばヘーゲル批判を新たに試みるということであるという。

 さらに柄谷氏はもう一つの転機に出会う。2001年9月11日のニューヨークテロである。『世界史の構造』の序文で、」グローバルな資本と国家の対抗運動がはらむ問題について再考することを迫られた」と述べている。報復とされるイラク戦争への各国の対応が、柄谷氏をカントの「世界平和」の問題に導いていく。日本国家のイラク派兵問題がある。戦争放棄を唱える日本の戦後の憲法はカントに由来するものであると柄谷氏はいう。なぜなら、カントのいう「永遠平和」とは「戦争の不在としての平和ではなく、国家間の一切の敵対性の廃棄、すなわち、国家の廃棄にほかならないから」である。

 『世界史への構造』についてはいずれ読後にまとめる予定である。読解中の私が現時点で考えた一つ目の問題は、要約すれば表現に携わるあらゆる者が、共産主義体制が崩壊した以後にいかなる生を生きるのか、あるいはいかなる思想を生み出すのかということである。柄谷氏は『世界史の構造』において、「終わりなき闘争」から、「交換様式から社会体制を見る視点」を獲得し、理論的体制を構築する創造行為へと向かいひとまず区切りをつけたように見える。私は自らの生の現場からいかに詩をものしていくかが問題になるだろう。そのことと関連して二つ目の問題を提出してみよう。

『トランスクリティーク』という書物の第一部はカントと名づけられている。カントからマルクスを読む批評であるが、そこにはマルクスだけでなく多くの哲学者の名が連なっている。その何人かの書物を私は読んでいこうと思っているが、今は第3章のtranscritiqueという部分の「3、単独性と社会性」の考察を、詩作に関する考察として活用できないかと私は思った。私の勝手な考えであり、この書物とのつながりがあるかどうかわからない。

 柄谷氏によると、カントは一般性と普遍性を鋭く区別していたという。一般性は経験から抽象されるが、普遍性はある飛躍を必要とする。認識が普遍性をもちえるには我々の規則とは違った規則体系の中にある他者の審判にさらされることを前提とするという。我々が先取りできないような他者は未来の他者であり、現在から想定できる未来は未来ではないので、普遍性を公共的合意によって基礎づけることはできないという。

 詩において「書く=読む」図式で言うならば、「個別性―般性」ではなく、「単独性―普遍性」において成立すると私は思う。言いかえるなら、詩は一般性において理解されるべきものではなく、あるいは書かれるべきものではなく、単独性(詩性)によって普遍性に到達されるべきものであるということである。ボードレールのいうモデルニテ、つまり現在、私が接する瞬間的なもの、この現実と、永遠に変わらぬもの(古代性)の合一において詩は開花するという考え、芭蕉でいえば不易と流行であろう。ドゥルーズの「わたしは、個別的なものに関する一般性であるかぎりの一般性と、単独的なものに関する普遍性の反復とを対立したものとみなす」という言及は、柄谷氏によればドゥルーズは、個別性と一般性の結合は媒介あるいは運動を必要とするのに対して、単独性と普遍性の結合は直接(無媒介)的であるといっているのだという。その媒介(特殊性)となるものはヘーゲルにとって民族国家であるが、カントにはそのような媒介は存在しない、道徳的な決断(反復)によって普遍性とつながり、個人のあり方は単独者である。「中間項をなす特殊性は、芸術的反映においては中心になり、様々な運動の集中点になる。したがって特殊性から普遍性への運動や特殊性から個別性への運動もあり、いずれの場合も特殊性へ向かう運動が最終決定的な運動となる。(中略)特殊性はいまや揚棄されえない定着した場を獲得し、そのうえに芸術作品の形式の世界が構築される。カテゴリーの相互転化と相互移行は変化する。つまり個別性も普遍性もつねに特殊性のうちに揚棄されたものとしてあらわれることになる。」(ルカーチ『美と弁証法』)柄谷氏によるとこのような、特殊性の認識はもともとロマン派に強調されたものであるという。中間項には、言語、民族、生命などが考えられる。

カントの「世界市民社会」は実体的に考えられたものではなく、思考と行動において世界市民的であるべきだといったのだと柄谷氏はいう。実際、世界市民たることは、それぞれの共同体における各自の闘争(啓蒙)をおいてありえないという。

カントの言葉によれば、一般性―個別性は経験的であり、普遍性―単独性は超越論的であると柄谷氏は指摘する。今回は細部における論評はするつもりがないので感想程度にとどめておくが、私が興味をもったのは、詩作は単独性から普遍性に至る過程としてとらえられると思ったからである。詩人にとっての単独性とは何か。ここが現代詩を目にするたびに私が落胆する部分である。作者が作品から遠ざけられているという印象がある。一方では単純に作品に登場している。私が主張したいのは、詩人の意識のありよう、あるいはその生成を作品に感じたいのである。ひと時代前にいわれた「作品行為」ではなく、詩人独自の生から抽出された言葉、それこそがポエジーと呼ばれるものに違いない。「詩を書くことは生きることだ」といいふるされた言葉はとても曖昧である。「詩は生の変革であり、詩作はその実践である」といったら少しは伝えられるだろうか。社会に対する反抗詩を意味しない。自己変革の詩なのである。今はこのくらいにして、単独性と普遍性に戻ろう。柄谷氏はヘーゲルの言及を引用しながら、「われわれは単独性について語ることができない。なぜなら言語はいつもそれを個別性―一般性の回路に引き戻してしまうからだ」という。固有名を考えるとさらに複雑になるが、柄谷氏はヘーゲルがいうように単独性は言語によって表現されえないが、表現されえないからといってそれがないということにはならないという。言語は個別性―一般性の回路に吸収されない残余をもち、固有名にそれが現れるという。ロラン・バルトは、著者の名によって所有され、権威化される「作者」を否定し、多数性の中に戻すことを主張したと柄谷氏はいう。柄谷氏が主張するように、それはテクストを固有名のない世界、「一般的」な構造に還元することではないことに注意しよう。テクストが「作者」に還元されず所有されない意味の過剰性をもつとき、われわれはその単独性を固有名で呼ぶほかないのだと柄谷氏はいう。日本の詩人がそれを逆手に取り、固有名のない世界を意識的に書くということは容易に想像がつく。私が先述した現代詩人への落胆の要因になっている。

詩人の単独性から生み出される言葉が、ヘーゲルが批判するように言語化できない普遍性であろうとも、柄谷氏がいう「意味の過剰性」の中に詩を求めつづけるしかない。

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