ヒーメロス通信


詩のプライベートレーベル「以心社」・詩人小林稔の部屋にようこそ。

連載エセー⑰存在の深層意識的言語哲学理論その二、井筒俊彦『意識と本質』解読。小林稔

2013年02月23日 | 井筒俊彦研究

 

連載/第十七回

 

「時間を超えたところから時間の流れに沿って起こってくる不断の世界創造。」

 

深層意識的言語哲学理論その2

小林稔

 

 「元型」イマージュの「想像的」エネルギーが表層意識にたどり着いたとき、象徴機能が働くが経験的現実全体をそっくりそのまま象徴化するものではないという井筒氏の指摘を前回において述べたが、一方、M領域(中間地帯)では全存在世界が一つの象徴体系を具現化する。経験的世界では有「本質」的分節によって認識しかかわりあう無数の事物かなるが、存在分節の根はもっと深く、意識の深いところで起こっていて、表層意識で見る事物の分節は、深層での第一次的分節の結果の第二次的展開に過ぎないと井筒氏はいう。

 空海は、そうした存在分節の過程を逆に辿っていき、意識の本源にたどり着いたところを、彼の著作『十住心論』では「自心の源底」(法身)と呼び、大日如来として形象化する。したがって、空海にとっては、存在界の一切が究極的、根源的には大日如来のコトバであると井筒氏は説明する。

 

「名の根本は法身を根源となす。彼より流出して、しばらく転じて世流布の言となるのみ」                                                                       空海『声字実相義』

 

 井筒氏のよると、大日如来のコトバとして展開する存在リアリィテーは、絶対的究極の一点において「空」であり、龍樹以来の大乗仏教に属するが、他の諸派に対して、空海の「空」は「肯定的側面」を強調するものである。大乗仏教の「空」、すなわち「絶対無分節者」は、形而上学的「無」の側面と、現象学的「有」に向かう側面に分かれる。空海にとっては、「法身」すなわち「無」は「有」の充実の極であり、「有」のエネルギーは外に発出しようとするという。その生起の始点において、「法身」は根源的コトバであり、絶対無分節のコトバであって、あらゆる存在者の意味の意味、全存在の「深秘の意味」であり、無数の意味に分かれ深層意識内に顕現するが、その一時的意味分節の場が言語アラヤ識で一度分節されると、「想像的」形象として顕現する場が意識のM領域であると井筒氏はいう。「深秘の意味」が言語アラヤ識に直結する最初の一点、コトバの起動の一点を真言密教では、絶対無分節者が分節に向かって動き出し第一歩、「ア」音として捉える。「阿字真言」「阿字本生」であると井筒氏は説明する。「ア」音は大日如来の口から最初に出る声である。その声とともに意識が生まれ、全存在界が現出するという。

 

「凡そ最初口を開く音に、みな阿の字あり。もし阿の音を離るれば、すなわち一切の言説なし。故に衆声(しゅうしょう)の母となす。凡そ三界の語音は、みな名に依り,名は字に依る。故に悉曇(しったん)のア阿字を衆字となす。まさに知るべし、阿字門真実の義も亦是(かく)の如く、一切の法義の中に偏ぜり」 空海『大日経疏』

 

 このような深層意識的言語哲学というものは普遍的現象は、ユダヤ教神秘主義やカッバーラ(十二世末頃からヨーロッパに起こったユダヤ教神秘主義)の言語哲学と根本的ヴィジョンは同じであると井筒氏はいう。「コト」は言であり事であるという、つまりコトバと事物を同一視するのは日本語だけでなく、ヘブライ語も同様である。それらは存在世界の「深秘」構造を考える。表層意識の経験的世界を存在世界とは見ずに深層意識の見る深秘の世界としての存在世界を、神のコトバの世界、神的言語の自己展開とする。コトバこそ神をして創造主たらしめる秘密の存在エネルギーと考えると井筒氏は説明する。カバリストの思想は、基本テキスト『ゾーハルの書』では、神の絶対的創造性が「無」の深淵から働き出してくる神のコトバのエネルギーとして捉えられているが、それは神のコトバの源泉である「無」が神自身の中にあることを示唆していると井筒氏はいう。「無」を神の外に置くか、神の内に置くかは大問題を引き起こした。カッバーラーでは、神の内的構造それ自体の中に「無」の深淵を見て、その「無」が「有」に転換する。その転換点がコトバであるとするという。語の構成要素として子音や子音の組み合わせに存在分節的機能を認める。子音だけを語の第一次的形成素(語根)とするのは、セム系言語一般の通則であり、これを神の世界創造、あるいは神の自己顕現の通路と考え、そのうえに象徴的言語理論を立てるのはカッバーラーの特徴であると井筒氏は指摘する。

 

「太始(はじめ)に言(ことば)あり、言は神とともにあり、言は神なりき。」 『ヨハネ福音書』

 カバリストにとって一切万物の始源にコトバがあったのであり、コトバは神であったという文字通りの意味であるが、「はじめに」というコトバは時間的始まりを意味しないと井筒氏はいう。我々にとっては「時間」であるが、カバリストにとっては、どの一点を取っても「はじまり」であり、神の創造の業は、時々刻々に新しく、しかも同一の過程を通って我々自身の内部に実現しているという。「時間を超えたところから時間の流れの中に向かって起こってくるこの不断の世界創造の過程を、神的コトバの自己展開とする」カッバーラーの存在論と、真言密教のそれは、コトバが根源的に存在分節の動力であるという点で、共通する特徴があると井筒氏は主張する。

 

 井筒氏の説明によれば、カッバーラーにおいては、「アーレフ」の一文字が自己展開して他の二十一個の「文字」になり、相互に組み合わされて無限数の語を作り出すという。空海の阿字真言は、「ア」は一個の母音であるが、「アーレフ」は「ア」という母音そのものの発音を起こす開始の子音であるという。「アーレフ」から語にいたるコトバの自己展開の全過程が神自身の自己展開であり、神の内部の深みで起こる事柄である。この神の内部で形成される「文字」結合体の意味を、カバリストは意識のM地帯に立ち現われる「想像的」イマージュとしての追体験、あるいは同時体験していくだけであるという。コトバの自己展開の過程の初段階で経験的世界成立以前に神の名の世界が現成する。それは存在「元型」ばかりからなる独自の超現実的世界であり、それらの「元型」を「セフィーロート」と呼ぶという。「セフィロート」とは経験的現実の世界の中で出合うすべての事物の永遠不易の「元型」であるという。

 

 ラビ的ユダヤ教とカッバーラー

 井筒氏によると、ラビたちの思想は『旧約』時代以後の主流であった。神を絶対的超越性に追い手順化しようとした。つまり、地上的、人間的匂いのつきまとう一切の神話的表象を神から取り除こうと、律法から神話的形象、象徴的イマージュを一掃することに努力したが、それに反抗するようにして、十二世紀後半、フランスのラングドック地方のユダヤ人の間に起こり、十三世紀には南フランス、スペインを中心として精神主義的一大運動を形成し、今日に至ったという。カバリストたちはラビたちの合理主義に反抗し、シンボルの氾濫のうちに神の実在性を読み取ろうとした。シンボルとはカバリストたちのとって「神の内面が外面に現われるに際して取る根源的イマージュ形態であるという。

 神は絶対無限定的な存在エネルギーで、内から外に発出されるいくつかの発出点があり、その充溢は発出点において無限定のエネルギーが限定される。それがカバリストの見る「元型」であると井筒氏は説明する。「元型」は様々なイマージュを生み出す。その神の内的構造を原初的に規定するそれらの「元型」が彼らのいう「セフィロート」であると井筒氏は解く。無限定のエネルギーが限定される「元型」の数は誰にもわからないが、便宜上、十個に限定した「セフィロート」こそが、相互聯関形態を取って神的生命の自己表現の形を提示するという。言語的には、「セフィロート」は「セフィー」の複数形で「数」を意味し、「セフィロート」は、ユダヤ神秘主義の基本文献第一の「宇宙形成論」(西暦三世紀、作者不明)で、存在形成的能力を内蔵する神秘的数を意味したと井筒氏はいう。十二世紀に「清明の書」で完全にカッバーラー化され、神的「元型」という意味での「セフィロート」に展開されたと井筒氏は説明する。

 

 十の「セフィロート」の解説(P261)

第一は「ケテル」(王冠という意味)。存在流出の究極的始原。純粋「有」、絶対的「一」である。仏教でいえば「空」、すなわち「真空妙有」の「妙有」的側面にあたり、一切の「多」を無分節的に内蔵する。

第二は「ホクマー」すなわち「叡智」。仏教の「般若」に相当する。カッバラーではこれを神の自意識とする。際限のない空間に独り燦爛と輝く巨大な太陽。太陽からの光線が結晶して経験的事物の「元型」になる。矛盾し相容れないものも、この「元型」の中では一となる。神は一者として自らを覚知する。

第三はビーナー。神が自らを映して内面をあるがままに観想する。神は自らのうちに多者を見る。最初の存在分節が起こる。神的実在の一者性それ自体の中に起こる事態で、神の内面事態としては多者も一である。ここで成立する存在論敵様態は、密教の次元では「種子」である。「ホクマー」が父であるのに対して、「ビーナー」は母である。神の内面の女性的要素とする。

第四は「ヘセド」つまり「慈愛」である。「ビーナー」を母とする最初の子供。神の創造性の肯定的側面。律法の領域では「…せよ」という命令になる。人間の性質では、善。物質界の元素では水。理想的人間像ではアブラハムにあたる。

第五は「ゲヴ-ラー」すなわち「厳正」。神の存在賦与には厳正な制限が課せられるので、存在エネルギーの抑止力として現われる。律法的には「…するなかれ」という否定命令。人間の性質に現われては,悪。物質元素の中では火のイマージュ。イサクが元型を具現。

第六は「ティフエレト」すなわち「美」。一切の事物は「元型」的存在の次元において融合と調和をする。禅の無「本質」的分節の事態とよく似ている。すべての「セフィロート」のエネルギーがここに集まる。「神の心臓」。

第七は「ネーツァハ」すなわち「把持」。永遠不断の持続性。存在流出の連続性。「ティフエレト」に流入して融和しあった「元型」エネルギーの充溢が「ネーツァハ」という新しい「元型」となって現われてくる。

第八は「ホード」すなわち「栄光」。神に源を発する存在エネルギーは「ホード」のこの屈折力を通ってはじめて一切万物を「元型」的に分節する。

第九は「イェソード」すなわち「根其」。「ティフエレト」から発出して二分し、存在流出の男性的側面を具現する「ネーツァハ」と、女性的側面を具現する「ホード」が再び結合し生起する新しい「元型」。性質は徹底的に男性的で、形象的には男根。宇宙に遍満するダイナミックな生殖力。

第十は「マルクート」すなわち「王国」。神の支配する王国。最下に位置する。すべての「セフィラート」のエネルギーが一つになってここに流れ込む。この下には被造界が展開する。神の国に上る登り口、または神の家の敷居。神の内の女性的原理とされる。神自身の内面に働く根源的な女性的な要素。そのヴィジョンは、神が神自身の内面で、神自身と結婚するという「聖なる結婚」というヴィジョンに展開する。この点でヒンドゥー教の性力派タントラ、シヴァ紳のタントラ、道教の性愛的側面に著しく接近する。神の中で神と結婚する女性はユダヤ人の霊性的共同体としてのイスラエルに変貌して現われる。

 これら十個の「元型」が相互に聯関して作り出す全体システム(有機的体系)によって明らかにされる。

 

 次回、連載第十八回につづく。

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野木京子「紙の扉」、瀬崎祐「洗骨」詩誌『風都市』25号

2013年02月20日 | 同人雑誌評

 

同人雑誌評

小林稔

 

 野木京子『紙の扉』、瀬崎祐『洗骨』詩誌「風都市」第25号より

 

とうぜん詩を書く者にはいくつかの詩法の相違がみられるが、ポエジーという概念から考えれば、相反する詩法であっても問題を提示するものであるといえる。例えば、私のように、「詩」という啓示に促され、生き方さえ変えてしまい、常識的な世界から意識的に離脱し言語の世界を突き進んでいくタイプの詩人がいる一方で、常識的世界を遵守するなかで、そこに潜む非現実を注視し、言語的に深みを追い求める詩人もいる。いずれにせよ詩(ポエジー)というものはこの世界とは別次元から由来するものであり、私たちの生きる空間に到来するものであるという実感においては共通しているように思う。また、それらは言語との関連から考えられるべきことであるという点でも共通している。上に挙げた二者の後者、つまり日常的世界、常識や慣習に縛られた世界にしっかり根を下ろして生きる詩人でこそ見えてくる詩の世界を展開する領域では、同じようにして生きる圧倒的多数の読み手には、「詩」の入り口が見えやすく理解を得られやすいのは確かである。

 「詩は一詩人の生の場における経験、日常的経験世界に、亀裂のように訪れるものである」というのは私の持論である。言い方を変えれば、表層的世界の裏側には深層的意識の世界があり、そうした意識が表層世界に現われるとき、この世界の秩序を乱すものとして私たちに意識されるということでもある。どちらの世界においても究極的には言葉によって捉えるしかないのである。後者の詩人たちは、秩序の亀裂の裏側に別の世界を暗示する表現を見つけ詩を獲得しようとしているように私には思える。

 瀬崎祐個人誌『風都市』25号が送られてきた。瀬崎氏の二編の詩とゲストとして招かれた野木京子氏の二編の詩が掲載されている。まず野木氏の『紙の扉』から見てみよう。

 

 それなりの長さの旅を終えつつあり

 残された扉を通り抜けていく

 それはきっと紙の束でできた厚い扉で

 扉にはゼラチン状の人の心が滲んで

 紙という繊維の 些細な岐かれ道にまで浸透している

                (冒頭から5行目まで)

  旅を終えた地点で通り抜ける、紙の束でできた扉という設定。「人の心が滲んで」という表現から、書物を読み終えた後の書き手の想いや、それを読むため何度も人から人に渡った古書を思い起こさせる。紙を媒体とする読書から醸し出される一種の味わいであろう。

 

 繊維の道はどこを進んでも行き止まりなので

 どこに行くこともできなかった

 それでもくまなく進むことはできた その紙の扉の中を

 風が冷たい空を渡る音がきこえていた

 山の腐葉土の匂いがしていた

 隠れたままのけものたちが

 この繊維のなかで鼻をあげて

 星雲が渦を巻く瞳を

 聞いていた

                   「9行目から17行目まで」

 

 「人の心」が滲んでいる「紙の扉の岐かれ道」に意識を辿り表現を進めている。紙の源泉を探っていくと山の木々に行き着き山林に棲息する獣たち、宇宙を取り込む獣たちの瞳が浮かび上がる。人生の途上で出逢う紙の扉=書物の扉には書く者、読む者の多くの想いが浸透している。そこから開けてくる日常生活とは別の世界が言葉によって織られていく。そこに詩を探りあてようとしていると思うが、そのことは、この現実世界に何をもたらすのか、どのような意義があるのか私は知らない。

 

 次に瀬崎祐氏の「洗骨」を読み進めていこう。

 

 いつくしんで泥のなかにうめておいた

 今宵に千回の夜をへてほりおこす

 空では月が雲にかくされている

 にぶい光がもののかたちをあわくしている

 みえないところでとけだしていくのをまっていたのだ

                   「1連一行目から5行目まで」

 

 「いつくしんで」「うめておいた」ものが何かは書かれていない。淡い光のなかで「とけだしていくのをまっていたのだ」とある。2連から類推するに、それは骨であることがわかる。ひらがなを多用することで周囲のうすぼんやりとした情景が神秘的な雰囲気を醸し出しているといえよう。

 

 待つものと待たれるものが

 あわくからみあっていたのだろう

                   「第一連最終2行」

 

 骨には

 まだいくらかのものがこびりついている

 かざりすぎていたものがあっけなくうしなわれて

 すてきれなかったものだけがこびりついている

 ほそくよじれた神経繊維がとちゅうでとぎれながらも

 まだなにかをつたえようとしている

                   「第二連冒頭6行」

 

 

 ここでも「骨」と「神経繊維」以外はすべてひらがなで表現されている。「すてきれなかったものだけ」が残る骨が何かを動かそうとしているのは「みれんでしかない」と指に伝えさせようとする。作者はそのように表現したかったのだ。

 

 つめたい水をふかいところからくみあげる

 あらう心がつめたければ水もつめたい

 そのなかに指をしずめて熱をうしなわせる

 ふれるものへのおもいがしびれてうしなわれていく

 とけだした時間がすきとおっていく

 わたしはみている

 こびりついているものをただみている

                   「第三連冒頭7行」

 

 「骨」や「指」は作者自身の肉体であろう。普段は考えずに日常世界を送る作者の意識が今宵、自分の、意識とは対になった身体を空想しているように思える。私たちは意識においてものの存在を確認している。意識が去った後の肉体は物質でしかないだろう。それは個体の死を意味する。上記した「第三連冒頭7行」は、この詩の中でも表現の上手さが際立っている。第四連以降は二行、一行、二行と一行空白を置いて書かれているが、やや散漫であり、説明的で物足りなさが残る。

 

 あらわれはじめた白さを月がてらしている

 

 すべてのあたたかさをぬぐいとられて

 これからはじまる時間がある

                   「最終行3行」

 

 「あらわれる」という表現には、「洗う」と「現われる」の二語が縁語になっている。詩の虚構はたんなる絵空事ではなく、「真実」を描き出す手法である。そういう見方をすれば「洗骨」は成功した詩であるといえよう。そうであればこそ、「虚構」は詩人の現実に何かを与えずにはいない。詩人の実存意識に変革をもたらし、意識の深層から呼びかけてくる声=コトバに耳を傾けなければならない。「これからはじまる時間」とあるが、ほんとうのエクリチュールはそこから始まるのだろう。


小林稔「インドを去る」詩誌『ヒーメロス』4号2001年8月発行。

2013年02月02日 | お知らせ

詩誌『ヒーメロス』四号2001年8月発行

 

インドを去る

小林 稔

   一

 

 ヴァラナシ(ベナレス)からの列車がパトナの鉄道駅に着いた頃には、夜の

帳(とばり)がすっかり降りて、停電にでもあったように町の建物が暗闇に佇

んでいた。窓のところどころに明かりがひっそりと灯っている。

 通りにはいくつもの人影が往来している。友人と私はリクシャを駆って、ガ

ンジス河の船着場へと急いでいる。その岸辺に降り、人の声のする方向に歩い

ていくと、すでに停泊している船に乗客が乗り込んでいた。

 銅鑼(どら)を叩く音が舞い上がった。ランタンが一つ、甲板に釣り下がっ

ている。船はゆっくりと動き出した。水しぶきを上げて大きな車輪が廻ってい

る。船底に座り込んだ布を被った男たちの眼があちらこちらで光っている。自

分に降りかかった宿命を船の横揺れで測っているような静かな眼差しであった。

 ヴァラナシで吸ったハッシシの幻覚から醒めない友人を気づかい、一旦イン

ドを離れなければならなかった。一か月ほどの滞在なのに、この闇がなぜか私

を離れがたいものにした。一時間ほどで船は対岸の町に着いた。

 下船した乗客は一同に鉄道駅に向かった。すでに列車はホームに着いていた。

乗り込むと予想外に乗客の数が少ない。ここからムザファプールまで行き、駅

の構内の食堂で遅い夕食にカレーを右手の指でつまんで食べた。さらに列車で

北上し、ネパールとの国境の町ラクソールへと向かう。夜が深まり眠気に襲わ

れたが途中の停車駅で強盗が乗ってくるかもしれないという恐怖があった。空

いた列車が危ない、と旅行案内書に記されてあったことを思い出した。

 私はさっきから腹痛がしている。駅の食堂で食べた卵カレーがいけなかった

のか。友人は野菜カレーを食べたので腹痛が起きていない。パスポートと旅費

を包んだ腹巻を探りし、網棚に載せたリュックを見上げた。

 

 目覚めると朝だった。列車が停車している。少年の澄んだ瞳が、車窓の縁を

滑って行った。視線が合うと少年は乗り込んできた。ヤカンと籠を持っている。

お茶を買わないか、という。籠から素焼きの器を取り出して注ぎ友人と私に手

渡した。ミルクティーであった。飲むんでいるうちに、ざらざらとした感触が

舌に感じられた。砂かもしれないと思った。それにしてもおいしい。少年の笑

顔に友人も私の心が晴れた。久しぶりに友人の顔に笑いが戻った。二十分、三

十分経っても列車は一向に走らない。さっきの少年がまたやってきてお茶を買

わないかと言った。しばらくして列車は走った。一時間ほどでラクソールに着い

た。ここからはリクシャを拾い、一気にヒマラヤの山麓の斜面を登らなければな

らない。国境を越えるとリクシャを待たせ、ヴァラナシで取得したネパールのビ

ザを小屋にいる男に見せた。細い山道を抜けてビルガンディーという村でリクシ

ャを降りた。子供たちが私たちを取り囲んだ。一人の男の子を先頭に安宿まで連

れていかれた。部屋に入ると私の腹痛がひどくなった。夜中から朝方まで目覚め

ては便意をもよおし、トイレとベッドを何度も往復するのだった。そんなせわし

なく動く私を見て、先ほどまで不安に脅えていた友人が思わず笑った。翌朝、カ

トマンズ行きのバスに乗るため安宿を出ると、辺りは薄暗かった。バスは激しく

揺れ、衰弱していた私が眠りで意識をなくしたとき、窓ガラスに頭を打ちつけた。

友人は大声を出し私の顔を叩くが、感覚が麻痺しているらしい。痛みはなく、遠

くで叫んでいる友人の声を聞いているようでもあり、霞んで見える車内が夢の光

景のようでもあり、眠りの底深く意識は沈んで失われた。

 

 どのくらいの時がたったのであろう、眠りの淵から浮上して我を取り戻したと

き山の斜面に作られた棚田が窓越しに見えた。友人はそこに視線を向けていた。

私が目覚めたことに気がついていない。一人残されたようで心細かったに違いな

い。車窓から見える、どことなく日本の田舎を想起させるこの景色を、友人もま

た懐かしい気持ちで見ているのだろうか。やがてバスは家々の立つ通りに入って

いった。ついにカトマンズだ、と私は心の中でつぶやくと、胸に熱い一筋の流れ

が零れ落ちたように感じた。

 

 

   二

 

商店が軒を並べている大通りに人々が溢れ往来している。彼らの優しい眼差し

とその温厚な顔立ちを眺めていると、イスタンブールから東へ東へ歩んできた私

たちの旅も終わりに血被いていると実感させられた。緊張が緩んだのも有人と同

じであった。十二月ともなれば寒いのも当然だろう。衣料品店に入り、ヤクとい

う動物の毛で織った布を買い求め、彼らのように首から胸を包んで歩いた。土地

の若者富み間違えられそうなほどに、私たちの服装はよれよれになっていたし、

視線は帰るべき場所をなくして虚ろであった。そんな私たちが彼らとの血の近し

さを感じたのである。インドでならともかく、この地では西洋の貧乏旅行者は不

似合いである。ハヌマン・ドーガという宮殿があった。猿の神様の彫刻が入り口

で私たちを睨んでいる。通りを挟んで、生き神として選ばれた女の子が住んでい

るというクマリ・デヴィ寺院がある。ヒンズー教の寺院であろうが、インドのそ

れとはなんという違いだ。黒の木彫りの窓枠が日本の民芸品を思い起こさせるが、

渇いた土の匂いのする雑多な美学はこの国独自のものであろう。インド人の視線

は、彼岸へ注がれているのに、この国の人々の視線はすでに彼岸にたどり着いて

いる人の穏やかな視線であるように思われ、そしてそれが彼らの造った真鍮の、

うつむいた仏の像に表象されているように思われた。友人は幻覚がまだ続いてい

るという。精神安定剤を買いに薬屋に入ったが、私たちの用件が伝わらないのか、

店の主人は恐れて奥に隠れてしまった。バスに乗って近くのパタンという町に着

くと、細い路地を抜け出たところに石を敷いた広場があり、囲むようにして二重

の塔、三重の塔がつつましやかに姿を見せた。法隆寺や興福寺の塔を小さくした

ようなこれらの寺院を友人と私は一つ一つ廻って歩いた。私と友人との旅の終わ

りになんと似つかわしい光景だろうか。放浪し続けた私たちの身体をもろ手を上

げて迎え入れ、その大きな胸に抱え込んでしまうような存在を感じて、結んでい

た紐の尾を緩めてしまいそうでいっそう胸が締めつけられた。友人はこらえ切れ

ずに涙で頬を濡らしている。喜びと哀しみが同時に襲ってきたような感動が私た

ちにあった。異文化でありながらも私たちと彼方の闇で結ばれている。その厖大

な時間と距離を、見るものを通して瞬時に言葉が走り抜けたような経験であった。

 

 ここからさらにバスを乗り継いで、パドカオンという町に足を伸ばした。王宮

の茜色の土壁に、たくさんの黒い木製の窓が嵌め込まれていて、私たちの心を奪

った。かつて王宮であったこの建物は、現在、博物館になっていて、曼荼羅が展

示されていた。王宮広場を囲む煉瓦造りの建物、立ちはだかる寺院、それらを通

り抜ける交差する道の佇まいに、私の放浪のすべてが具現化されているような気

がした。カトマンズに着いたときすでに感じたことであったが、見えるものが私

の旅の思考に強烈な内省を強いているようであった。日本で見た事物を想起し

て郷愁にとらわれているのではない。この土地でしか感じられないものに私の心

が動かされているのだ。この人生は旅の途中であるという想い、輪廻を体得して

いる人の一期一会という想いが、見つめる彼らの眼差しから感じられた。おそら

く風土が彼らの宗教心をを育み、町の外観を造り、彼らの表情を変えたのだ。中

国人とも日本人とも違う彼らの慈愛の眼差しは、旅人のこの世を見つめる眼差し

なのだと思った。友人の目に映るこれらの光景はどのようなものであろうか。日

本に帰りたいと、しきりに願っているようであった。私の旅に寄せる想いなど少

しも関知していなかったのであろうか。かつて私の旅立ちをひとり見送った友人

の想いと、私の身を危惧して追ってきた友人の想いとを、私は深く考えてみるこ

とがなかったのではないか。その友人がヴァナラシ(ベナレス)の一夜で自分を

喪失したと嘆いているのだ。『自分が何を見、何を感じ、どのように変貌するの

か見届けよう』と、ある日、私は旅の日記に書いた。旅において旅を思考すると

いうのは、思考する自分を観察するもう一つの眼差しを持ち続けることではない

だろうか。旅で出遭う事物の深みに想いの錘(おもり)を降ろすことである。私

が旅から帰還しても、私の旅は変わらないだろう、とこの時に思った。人生が旅

である限り、生きている私を見つめるもう一つの眼差しは絶えず存在し、事物の

意味を解き明かそうとするだろう。水のように流れ行く時間の中で自然と出逢い、

人と出逢い、事物と出逢う。その表層が見せる美こそ存在の本質ではないだろう

か。それゆえ世界は生きるに値するし、旅人の事物に投げる眼差しには別れの哀

しみがある。存在の本質は問いを孕んでいて、想いをさすらわせなければならな

い。そしてついに存在の深みで私たちは虚無に出逢うのだ。

 

 カトマンズから、土地の人々がそう呼んでいるスイスバスに乗って、山の麓の

歩からという村に向かった。途中、チベット難民の住む集落を通過し、十時間を

越えてやっと到着する。アンナプルナ、ダウラギリ、マナスルなど八千メートル

の山々が夕陽に照らされ、白い稜線を赤く染め、眼前に迫っていた。客のいない

レストランで働いている三人の子供がいた。ビートルズのアルバム『アビーロー

ド』の楽曲がはちきれんばかりに鳴り響き、そこから離れて山々に見入っている

私と友人のいる小道にまで届いた。それが不思議なほど風景に調和しているのだ。

山道を分け入ったところに湖があり安宿が軒を並べていた。紐を額で留め背中に

荷物袋を積んだいく人かの女の人に会っただけで、旅行者には出会わなかった。

 翌朝、飛行場を見に行った。空き地には滑走路があるだけの小さなものだった。

入り口近くに小屋があった。果物を並べた店の奥の暗闇で少年の光っている瞳に

出逢った。私はなぜか胸に傷を負ったような痛みを感じた。この地上の約束事の

鎖を解き放ってしまったような、斜に構えた少年の眼差しであった。互いの宿命

といえる場所と時間を飛び越えて祝福すべき交わりの予感があった。たとえそれ

が生きることの意味であったとしても、人がほんとうに人と出逢えることの難し

さを身にしみて感じていたのではなかったのか。私は夢を見ているのだ、と肩を

落として底を離れたが、少年の眼差しは脳裏から去らない。これからの人生で私

の見つめる眼差しにいつも呼び戻され、所有されることになるだろうと思った。

 友人の精神状態は安定していた。私とは逆に、自分を変えずに保ちたいという

願望が友人にあったのだ。変貌を恐れたのか。ここに来るまで見知らぬ国を私と

いくつも辿り歩いた友人の心持ちを慮った。ここでの三日間のゆっくりとした滞

在を終え、カトマンズに帰るが、再びインドに降りていかなければならない。パ

トナまで飛行機に乗り、そこからカルカッタまでは夜行列車で行くだろう。ヴァ

ラナシで別れたカメラマン志望の青年が、市街の想像を超えた悪夢のような光景

に、一日中泣いていたというカルカッタに不安を抱いて、翌朝、私と友人はカト

マンズの空港に向かった。

 

   三

 

 ハウラ橋を渡ると、眼下に見えたのは河岸に仰向けになった男たちだった。泥

を塗りたくった肉体が光を帯びている。うわさに聞いた肉体訓練場であった。雨

季には水が氾濫して街が襲われるという。鉄錆色の建物が続く大通りを歩き、左

にそれて安宿の周辺を歩き廻ったがどこも気に入らず、やがてサルベーションア

ーミーと呼ばれる西洋風ホテルに着いた。簡易ベッドが数個並べた部屋がいくつ

もあり、ロビーを取り囲んでいる。同室に、日本から今日着いたばかりの、カー

キ色軍服を着た二人組みの若者がいた。「税関での取調べがきつくてね」と得意

になって話しかけてきた。私の服装を見るなり「そのかっこいいね」と一人が言

った。私は、ヴァラナシで仕立てたインドシャツを着て、透けてしまうくらい薄

い綿のズボンをはき、ヒンズー文字がプリントされたマフラーを首に巻きつけて

いたのであった。私と友人を聞き役にして二人は冗談を言い、インドに来ている

ことを忘れそうになったが、ホテルを一歩踏み出すと、まぎれもなくインドの大

都会カルカッタであった。

 陽が落ちて噴煙の渦に立ち現われる人の群れ。街角に立って通りを見つめてい

る私の胸先にいつのまにか乞食たちの手が差し出された。私のような貧乏旅行者

にも布施を求めている。黒い血管の浮き出た、枯葉のような老婆の手。泥のつい

た子供の手。通りの向こうの暗闇から声が上がった。闇から浮かび上がったのは、

鉄のように痩せた三人の裸の男たちであった。カンテラを吊った人力車を、掛け声

を合わせ、押しながら走り去っていく。ホテルの部屋に戻ると、昼間話をした軍服の

二人が帰っていた。「おじいさんの連れてきたのが、まだ幼くてね。おじいさんが

遠くでおれたちを見ているんだ。途中で帰ってきたよ」、「おれのほうはガリガリ

の女でね、やる気がしなかったよ」。「メリークリスマス!」という子供たちの声

が声がどこからか部屋に入り込んできた。ロビーに出てみると、ホテルのエント

ランスの大きなドアが開け放たれていて、教会から来たらしい十歳前後の男の子

と女の子がずらっと予告並んで立っていた。その背後には白人の大人たちが五、

六人、見守るように立っていた。彼らの歌う聞き覚えのある聖歌が流れ、インド

で祝うクリスマスに私たちは言葉がなかった。

 次の日、インド博物館を訪れ、石に彫られた仏像を見た。英国軍が作ったとい

うウィリアム砦のある公園で昼寝をし、市街にある天上の高いコーヒーハウスに

入ってくつろいだ。イギリス統治下の建物や習慣が現存し、一方では貧困にあえ

ぐ民衆の暮らしがある。聖地ヴァナラシや近代化に遅れたネパールの町に魅せら

れ、旅することの意味を深く問わずに入られなかったが、古代と現代が融合した

カルカッタという都会の様相もまた、インドの底知れぬ魅力に違いない。翌日は

空路でタイに入国する。仏教の国では、私たちの血がどんな親しい感情を沸き立

たせるのかと胸を躍らせながら、インドの大地を離陸した。

 

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