ヒーメロス通信


詩のプライベートレーベル「以心社」・詩人小林稔の部屋にようこそ。

小林稔「使者」詩誌「へにあすま」54号

2018年04月04日 | 詩誌『へにあすま』に載せた作品

使者

小林 稔

 

 

 

始まりは部屋であった。そこには無造作に置かれた物たちとの交信

があった。緑のランプシェードから放射される光が柱に架けた『受

胎告知』の絵を映し、私をさらに夢想に駆り立てた。不可視なる世

界から両翼をしめやかに降ろし生誕を告知する天使の到来を匂わせ

る非現実空間は、たましひが奪われ去られたかつての度重なるエロ

ースの記憶を引き連れて、日常空間に亀裂を加えるのであった。ま

さに私の精神に一つの生命が誕生する予兆の刻(とき)であり、精神の浮遊

の前奏であった。

 

現実界と想像界の二重性に生きることには悪の怪しさが内包されて

いた。私はなぜか一瞬、畏怖と陶酔の入り混じった気持ちでたまし

ひが私の身体から抜け出し限りない高みへ私の意識が導かれてゆく

のを直感した。街を歩き思考する時に変身願望の意識に操られ、き

のうとは他者なる私がいた。本のページを閉じたところから、銀幕

に光があてられたところから、主人公の生が私の生を生き始めた。

 

無限に遠い彼方から私の部屋に訪れる異界。生を変え得るという機

能ゆえに、私は知らず知らずのうちに言葉を口ごもるようになった。

言葉が私の足許に舞い降りたのであった。真実の生はいかなる様態

であるべきか。私の偶然の生が宇宙の原理のいかなる必然に終結さ

れるか、詩とは訪れた言葉をもって来るべき思想の誕生に立ち会う

ということ、それらに以後の私の生の指針は向けられた。

 

詩学が宗教と哲学の精神の構図をアナロジーとする詩作(ポイエーシス)であるな

らば、異界(天上界)と私をつなぐ使者が反措定された。彼方から

の招来の声に応える詩人である私は、精神の浮遊のベクトルを作動

させ、ここでない遠い場所へのさすらひに私は旅立つのであった。

人生すなわち詩作こそが旅であると後年、識ることになった。

 


名づけ得ぬもの「詩誌へにあずま53号」

2017年10月07日 | 詩誌『へにあすま』に載せた作品

名づけ得ぬもの

           小林 稔

浜辺にしつらえたグランドピアノが叩く狂詩曲

この世の哀しみを蒐め、さざ波となって

寄せては還す記憶の音よ、響け

一つは生まれ出づるすべての生命のため

一つは滅び逝くすべての生命のため

誰一人、永遠を見なかった

正義は救済の名のもとに人々から命を略奪した

一つの無垢な魂のために千の破壊がいるというのか

愛を説き憎悪を躍起する、世界にあまねく宗教という宗教は絶滅せよ

神は見捨てられた我々の頭脳の工作である

己の深淵に降りていく者だけが「名づけ得ぬもの」に出逢うのだ

音楽よ、鳴り響け、私の魂の揺籃に酩酊と光と尊厳を与える音楽よ

 

日本列島の臍を震撼させた一九九五年の冬

炎上する神戸

死が我々の深奥の力を呼び起こした

蛮族の血が騒ぎ物質との絆は断ち切られた

二か月後、首都東京では一個のエゴの成就のために

カリスマが迷える子羊たちを地獄に落とそうとした

比喩を現実と取り違えた愚行のサリン元年

そのころ無垢なる魂の誕生があった

無疵の宝石に比すべき魂は

少年の肉の衣に被われていた

この者の眼に映る世界はどのようであったか

無垢なるがゆえに彼は美しかった

かつて現実を知らなかった

空想と夢は現実に起こりうる事実と地続きであった

その時、彼は言葉の不思議な力を知った

想うことで脳裏に像が実在する

虚構は少年に訪れる偶発事とは決定的に異なっていた

地獄の扉を開けて己の臓腑をひっつかんだ

射精後の世界は廃墟であった

零度の快感が少年の背を駆け抜けた

十三年の過ぎ去った時間から隔離され

彼を取り巻く世界に無数の罅が走る

少年は魔物の息遣いを猫の視線

叱りつける母親の視線に見た

少年は魔物に喰われることに怯えた

すでに魔物は少年の身体を占領していた

十四歳になった少年は分身の魔物を殺した

私は少年に自分に巣くう魔物の幻影を見た

少年に欠けていたもの、それは他者の思想であった

一個の頭脳と思考を司る言葉に

無数の人間の痕跡が眠っている

言葉への崇拝が始まったのは正しかったが

殺人に及んだとき、彼の言葉は死んだ

 

ソファーに身を沈めてまどろんでいた私の視界に

テレビの画面にそびえ立つニューヨークの

双子塔、世界貿易センタービルが映し出される

二〇〇一年九月十一日

遠い地の色をなくした静かな都会の映像

ビルの傷口から降ってくる人と物の破片

リピートする飛行機のビル突入と立ち昇る炎と噴煙

「資本」という名の神は滅び得るのか

二〇一一年、三月十一日

日本列島を激しく揺さぶりつづけた東日本大震災

十メートルを越える高波が三陸沖を呑みこんだ

海辺の原子力発電所からの汚染は次世代に引き継がれ

さらに予測される大地震に人びとは脅える

二〇一七年、朝鮮半島に君臨する狂気の独裁者

ソウル、東京を火の海にし

多くの人命を一瞬のうちに滅ぼす権力を掌握する

 

百年以上前に他者の思想を発見した少年がいた

錯乱を武器に詩を書いたが意図に反して

書き残した詩篇には彼の短い生涯の出来事が反響していた

それゆえ我々の琴線に触れるのだろう

彼は沈黙を余儀なくされた

行為から阻まれた言葉は行為とともに死滅する

詩人は生きながら地獄に降り立ったが

他者の思想が完全には理解されなかった

詩は経験であるという意味の深淵に沈潜し

詩人の足許に訪れた世界の事象から

何を甘受し、いかなる言葉を刻むのか

現実がもたらす比喩を解き明かさねばならない

恣意的な想像を駆使した言葉は悪に魂を委ねることになる

かつて起こったことが後の世にたどられる時

新しい花々が眼前にひらくだろう

今日情報に翻弄された人々の経験が異変をきたしている

かの無垢なる者が見出した他者の思想で武装し

私も地獄の対決は避けられない

 

詩誌「へにあずま」53号2017年9月25日発行

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防波堤/小林稔・詩誌「へにあすま」51号より

2016年09月20日 | 詩誌『へにあすま』に載せた作品

防波堤

             小林 稔

 

 

 

この西洋のいちばんはずれの土地で、わたしは突然、近東の総合を見たのだ。そして生まれて初めて、わたしは物象のために生きた人間をなおざりにした。わたしはスティリターノを忘れた。太陽はわたしの神になったのだ。太陽は、私の胎内で昇り、孤を描き、そして沈んでいった。

 

 

  1

海岸線に立った

きらきら輝くカディスの海に向って断崖が

人差し指を水平に突き出している

アルへシラスからジブラルタル海峡を南下すれば

アラブ世界が広がっているだろう

船は後ろ髪を引く重い存在から断ち切るように

私の身体を前方へ運んでいく

想いは船の後ろを追い群れる海鳥のようにやかましく羽搏いている

 

水しぶきを上げる真っ青な海の向こう

霞んだ琥珀色の断崖が見える

まぎれもなくアフリカ大陸の北端、タンジェールであると自らに言い聞かせる

瓦礫のように積み重なった薄汚れた白い建物

カサブランカ行きのバスはなく相乗りタクシーに乗り込んだ

すぐに年下のスーツ姿の黒人青年も乗り込む

仕事でラバトに行くのだという

車窓に視線を向けると

ガラスに少年たちの顔が貼りついている

黒人にヤジを飛ばしているようだ

少年たちの姿がみるみる増えタクシーを囲む

一人ひとりの表情を注視しているうちに

歓迎とも中傷とも読み取れる彼らの

無邪気で明るい眼差しに引き寄せられ

私の心は車外に跳び出して彼らに溶け合った

しばらくして運転手が乗り込み

ガタガタガタガタと言う爆音を立て走り出した

一瞬にして少年たちの姿が砂埃に包まれた

 

  2

イオニアの岸の古代都市をめぐり

エフェソスの遺跡から見る港湾は土壌で塞がれていた

イズミールからバスに揺られアナトリアの地に入る

機関車が長蛇の車両を率いて直線を描き平原を横切って行った

塩の湖に夕日が落ちて次第に辺りは闇に包まれる

中央のカイセリへはコンヤでバスを乗り換えなければならなかった

待合室にいた私の周りにいつの間にか人だかりができ

通訳を買って出た大学生の青年が英語で話し始める

ここに来るまでどこを旅していたのか

ここからどこへ行くのか、いつ帰路に就くのか

真夜中を過ぎ、バスが来るたびに若者たちが消えた

ようやくカイセリ行きのバスが着くと

乗降口で私を抱擁し、別れを告げた青年は闇に残された

 

車内に青年兵たちの乱雑に投げ出された肢体があった

訓練の帰りであろう、彼らの土の息が充満している

私に気づいた青年が体を横にして隙間を作った

沈み込むように私は体を滑り込ませる

アジアの西と東の外れでいつか土塊になる私たち

再び逢うことのない私たちの共有するこの瞬間

彼らの国を旅する私の幻想であろうと

彼らの寝息の満ちた車内で

彼らの一人に成り変われたという喜びに浸りながら

私は眠気と疲労で、彼らの上にくずおれた

 

*エピグラフは、ジャン・ジュネ『泥棒日記』(朝吹三吉訳)より引用。

 

 


旅の序奏/小林稔・詩誌「へにあすま」より

2016年09月19日 | 詩誌『へにあすま』に載せた作品

旅の序奏

小林 稔

 

 

空の青は透徹するほどに哀しみを呼びもどす

 

鍵盤にそえた両手の指先が

長い歳月を隔て不意に閉じた〈時〉の縫合に

少しずつ明ける意識の原野が見え始め

喜びと哀しみの交錯する感情に浸されていく

楽曲をつかさどる音の運びを記憶している十指

人生半ばで志したピアノに技術の高みを求める意思はなく

音楽家の天賦に少しでも触れたいという初心であった

やみくもに練習にいそしんでいた若いころの私

仕事に奔走し かろうじて見つけ出した時間にピアノと向き合い

こころの空白を 鍵盤が奏でる旋律に重ねるように無言の歌で満たしていたあのころ

さらに遡る時間の涯にある作曲者の生きた時間と場所の痕跡

一つの音楽を完成させるためには

独奏者は意識を収斂させ 一頭の獣を生み出し手なずけなければならない

私を通過した数多の楽曲をやり過しては課題を残し置き

失意と経験の後に見えてきた摂理の網と いや増す言葉の織物(テクスチュール)への欲求

棺のように荘厳な箱の内部で音を響かせるために横たわるハープ

白と黒の八十八鍵に随えるハンマーが ピアノ線の下で待機する

度重なる移動に持ちこたえて私の生地に共に辿りついた私の伴侶なる器械

かつて耳に届かせた音を再び奏でたときの驚愕と穏やかな感動

幼年を祝う主題を六つに変奏させた第一楽章の優雅な旋律は比類なく

いま旧友に出会えた静かな喜びが全身を昇りつめ 

そこはかとなく私を包み込んでいる

三十年前の自分が思いがけずよみがえり

三十年後の自分をいたわるように

やがては終活期を迎えるだろう私の耳に 

私の指が優しく語りかけてくる音楽に耳を澄ます

生きる悲惨と僥倖 その哀しみとも喜びとも判明できぬ感情を溢れさせ

譜面台の向こうに広がり光る夜の海を見つめている

眠りから解かれさらに旅立つ私の背を もう一人の私がそっと押している

          註・作中の楽曲は、モーツアルトのピアノソナタ作品三三一を想起されるとよい。

          発表時と一部改作

 

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茨を解きほぐしすでに行き過ぎし者よ/小林稔・詩誌「へにあすま」より

2016年08月20日 | 詩誌『へにあすま』に載せた作品

茨を解きほぐしすでに行き過ぎし者よ

小林 稔

 

 

茨を解きほぐしすでに行き過ぎし者よ

あなたの背に血の滴りがかすかに見えます

わたしはいまだ闇に惑い外部へ開かれる

光の糸口さえ見出せずにいます

ここは確かにかつてあなたが足を留め

織物を紡いだところだが

あなたの遺した百丈もの布を広げて

そこに描かれた雉や牡丹を遊ばせています

世間の人は空箱をもてはやし投げ返していますが

彼らはそのことに無知なのではなく

空疎であるがゆえに飾りたて

お祭り騒ぎに乗じているように見えます

わたしがそのようなところから抜け出し

言葉の大海に乗り出せたことは幸運というべきでしょう

いったい誰に読まれるために書くというのですか

それにしても探し求めるべきほんとうのこととは何

闇を疾走する一条の光

それが存在しないとしたら

わたしはいますぐ書くことを辞めます

いくつもの声がわたしを呼んでいますが

わたしは孤島に佇み脳髄に絡む声の渦中から

わたしに発信される言葉を受信しようとしているのです

生涯の全経験を貫いて火のように立ち上がるものを待つ

邂逅を果たすべき他者をこの胸に抱き寄せるため

その瞬間にわたしは賭けているのかもしれません

その他者はすでにどこかですれ違った者であるにしても

それともこれから生まれてくる者であるにしても

互いに無疵であるはずはなく言葉によって

自己を奥底まで掘り進めた者同士にのみ許されるのです

ほんとうのこととは見える世界を夢想し

ふたたびこの世界を言葉に創り直すことで見えてくるものです

茨を解きほぐしすでに行き過ぎし者よ

わたしは虚空を見つめているあなたを追い見つめ

捨て切れなかった夢の破片をしかと読み解きます

あなたが倒れ伏したところから一歩踏み出し

ほんとうのことを世に知らしめるため

百年の闇を礎にわたしは柱を打ち立てます

 

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