ヒーメロス通信


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連載エセー⑭「意識と本質」(井筒俊彦)解読。シャマン的実存。「本質」実在論第二型について。

2012年11月27日 | 井筒俊彦研究

連載/十四回

シャマン的実存。「本質」実在論第二型について。

小林稔

 P180~

 

「本質」実在論第二型、元型的「本質」論について。

  人間の意識はイマージュ生産的であって、深層意識だけでなく表層意識においても今イマージュに満ちていると井筒氏はいう。深層意識では経験的世界の具体的な事実から遊離し働くという特性を示すが、表層意識では、経験的事実に密着した即物性を特徴とすると井筒氏は指摘する。井筒氏によると、表層意識というものは外界の事物の感覚的認知を第一次的な機能とするので、イマージュの大部分は実在する事物に裏打ちされているので、感性的イマージュの介在を意識することはないという。目の前に木があると木の意識が成立する。イマージュの参与に気づかないが、木の実在しない場所で意識に木が現象するとき、そこに働く木のイマージュに気づくことから、初めから木のイマージュは存在していたという。外的事物を認識し意識することが、根源的にはコトバ(内的言語)の意味分節作用にもとづくものであり、内的言語の意味「種子」の場所を、言語アラヤ識という名で深層意識に定位したのである。言語学でラングと呼ぶ言語学的記号の体系のそのまた底に、複雑な可能的意味聯鎖の深層意識的空間を措定することが正しければ、表層意識的に、目前に実在する一本の木を意識する場合にも、認識過程に言語アラヤ識から湧き上がってくるイマージュが作用しているといえようと井筒氏は説き、言葉の意味作用とイマージュは結びついている。語の意味作用とはイマージュの喚起作用に他ならないという。

 目前のⅩを見て木として意識することは、Xのあり方に促されて木という一つの意味「種子」が言語アヤヤ識内で発動することで始まる。つまり、この意味「種子」の現勢化がイマージュを生み出すのである。直接無媒介的に認識するわけではない。人間の意識は「想像的投企」(エドワード・ケイジー)に充たされるといえると井筒氏は指摘する。言語アラヤ識内で、一つの「種子」が自体的にどのように構成されているか、他の「種子」とどのような聯関に立っているかによって現出するイマージュも変わってくる。同じ日本語を話す日本人の言語アラヤ識から湧出する木のイマージュには共通形状があり、一定の型が認められ、その型が固定されるとき、木の「本質」が成立すると井筒氏はいう。

 井筒氏の「言語アラヤ識」の措定は井筒哲学の基軸の一つだと私は確信する。そして私が確立しようとする「詩学」に活用できる中心概念であろう。

 井筒氏の記述を改めて引用してみる。

 「何らかの刺激を受けて、アラヤ識的潜在性から目覚めた意味「種子」が、表層意識に向かって発動しだす時、必ずそれは一つ、あるいは一聯の、イマージュを喚起するもの」である。「個々の語(コトバ)の意味作用とイマージュとの間には、ほとんど宿命的な緊密な結びつきがある。」『意識と本質』(p184)

  「何らかの刺激を受けて」とはどういうことかを考えなければならない。私たちのすべての経験が言語アラヤ識の深層意識内に蓄積され、「ひそかに発動し」意味「種子」が現勢化を待っているのだ。それが何らかの合図を受け、イマージュを形成するとき、言語(ラング)の一定の型を伴って現勢化すると井筒氏はいう。

 

 井筒氏が「本質」実在論の第二型の存在の有「本質」的分節について、ここで述べようとしている。有「本質」的分節といえ、すべては深層意識的事態であるから、基礎になるイマージュの成立領域やイマージュの性質も様々であると井筒氏は強調する。

さらに読み進めよう。

 我々の日常的意識は、日常的に働いている限り、根源的イマージュ性は表面に現われない。鏡に写った事物をそのまま見ていることに気がつかない。「鏡を打ち破れ」という禅の言葉を実践するのは容易ではない。なぜなら表層意識内で作用するイマージュの即物性、事物密着性が強固であるからであると井筒氏はいう。 だが、日常的意識のなさかに、突然、現実的事物との結合を離れて、現実性から遊離したイマージュがどこからともなく現われ、意識一面を奇妙な色に染めてしまうことがあると井筒氏はいう。「何らかの刺激で」意識が興奮したり、弛緩したりしたときこのようなことが起こる。このようなイマージュには現実的な裏づけがないので、無想の状態に引き入れる。井筒氏によると、東洋思想の精神的伝統では、シャマニズムが代表的な例として、このようなイマージュが重要な役割を担わされてきた。表層意識の立場からは妄想や幻想と見られても、深層意識の領域では真の意味での現実であると井筒氏は指摘する。

 常識的人間の日常意識に事物性から遊離したイマージュが姿を現わすと、異常現象や病的現象になるが、シャマンやタントラの達人のように、深層意識の超現実的次元を方法的に拓いた人たちだけが、この種のイマージュを活用できる術を獲得しているのだと井筒氏はいう。表層意識から深層意識への推移を最も原初的、最も明瞭な形で示すのは、シャマニズムであると井筒氏は主張する。なぜならシャマニズムは日常的意識とシャマン的意識が截然と分離しているからであるという。

 ここから、井筒氏は古代中国のシャマニズム文学の最高峰である『楚辞』を考察することになる。ともに辿ってみよう。

 井筒氏は、『楚辞』に現われるシャマン的実存には自我意識の三つの層、あるいは次元を異にする三つの段階からなる意識構造体が考えられるという。

一、経験的自我を中心とする日常的意識。

二、「自己神化」の過程において次第に開かれていく脱現実的主体性の意識。

三、純然たるシャマン的イマージュ空間に遊ぶ主体性の意識。

 『楚辞』の主人公である屈原は並み優れた人物だが、一の段階では普通の意識を持つ普通の人である。しかし、非凡な資質をもつゆえに社会から疎外された人物であるという自覚がある。自らを悲劇的実在として意識する。

 

……(略)

 世を挙げて皆濁り

我独り清(す)めり

衆人皆酔い

我独り醒めたり

……(略)

漁父曰く

聖人は物に凝滞せずして

能く世に推移す

世人皆濁らば

なんぞその泥を濁してその波を揚げざる

……(略)

 

屈原曰く

吾之を聞く

新たに沐する者は必ず冠を弾き

新たに浴する者は必ず衣を振るう

いずくんぞ能く身の察察たるを以て

物の文文(もんもん)たるを者を受けんや

 

寧ろ湘流に赴きて

江魚の腹中に葬らるるとも

いずくんぞ能く硈硈の白を以って

世俗の塵埃を蒙らんやと

 

漁父莞爾として笑い

(かい)を鼓して去り

乃ち歌いて曰く

滄浪の水清まば

以て吾が纓を濯(あら)うべし

滄浪の水濁らば

以て吾が足を濯うべし

遂に去って復た興(とも)に言わず

 

 全体を引用することは避けるが、世俗に妥協を許さぬ屈原の姿が描かれている。漁父はいう、並外れた資質をもつゆえ社会から疎外されているとはいえ普通の人間に過ぎない。彼の生きる世界もまた経験的世界である。詩人であるとはいえ、世俗のしきたりに従うがよいであろうと言っている。最後は道徳の問題になり、事実から遊離したイマージュは問題視されていないと井筒氏はいう。意識の三段階のおいて考えるなら、まず第一段は、経験的自我を中心とする日常的意識、第二段では日常的人間の主体からシャマン的主体性に変貌し、「聖なるもの」に近づくことのよって聖化されていく意識の主体的変貌が描かれていると井筒氏は指摘する。その神懸り状態が続く限りは神自身がシャマンの口を借りて第一人称で語るが、神が去った後はシャマンの人間の一人称に変わる。つまりシャマンと神は二個の独立したペルソナなのであって、しばしば神と人の「情事」にまで発展することもあると井筒氏は指摘する。

 のりうつった神が立ち去った直後のシャマン、神懸り直前のシャンには異常な興奮状態になり、経験の主体は神的主体であるが、直前と直後は経験の主体は人間的主体であると井筒氏は解く。人間的主体が住むところは当然人間的世界である。意識の第二段階においても慣れ親しんだ日常世界は目に映る。したがって第二段階の意識では山や木や水は名状し難い幽遠な様相を帯びると井筒氏はいう。神懸り前後の半ば神化された意識状態においては目前の自然的事物の現実に触発され、現実にありながら異次元的に遊離したイマージュ、つまり深層から立ち現われてきた「想像的」イマージュで描き出された心象風景ともいいえるものであるが、経験的存在とは別次元で活動するイマージュが立ち現われると井筒氏は説明する。

 

『九歌』「湘夫人」の冒頭の一説を井筒氏は引用する

  帝子、北渚(ほくしよ)に降(くだ)る

 目、眇眇(びょうびょう)として予(わ)れを愁えしむ

 嫋嫋(じょうじょう)たり、秋風

 洞庭、波立ちて木葉下(ち)る

 

(井筒氏の訳)

湘夫人とは湘水の女神、ここでは「帝子」天帝の御子という。湘夫人は、恋い焦がれるシャマンの設けた祭堂に降下せず、北の渚に降りる。遠い彼方に光る女神の姿。「神人合一」の期待が外れ、シャマンは人間的実存の次元に残る。彼の心は暗い悲しみに翳る。神を眺める彼の目は人間の目であり、しかし、意識はすでにシャマン的脱自状態にある。そんな彼の眼に映る自然は、上の詩句の最後の二行がそれである。これは普通の自然描写ではない。半ば「神化」されたシャマン詩人の意識に映じた心象風景である。

  このようにして見られ、言葉に換えられた風景描写が詩の言葉になっているのだが、ポエジー(という神とアナロジカルなもの)が詩人の心に降り、脱自的状態を作り言葉(表現)を創り出すことに似ていると私には思われるが、それはともかくとして、井筒氏が強調したいのは、外界に存在的根拠を持つ普通の事物も、経験的現実に裏打ちされない神々や妖鬼などと同資格で登場することであり、シャマンとは無関係の一般人から見れば幻想風景として登場するということである。シャマンの意識は経験的世界の現実とは、この第二段階ではつながっている。シャマンの目に眺められることのよって、経験的事物は「想像的」イマージュに変貌し、異次元のイマージュ空間に移されると井筒氏は指摘する。

 シャマン的自我意識の第三段階は、純然たるシャマン的イマージュ空間に遊ぶ主体性の意識である。この段階では始めから「想像的」イマージュなのでイマージュ化の過程は必要がないと井筒氏はいう。経験的世界で目にする事物はすべてある。山は、百神が住み山上には懸圃と呼ばれる神園を秘める崑崙山であり、若木と呼ばれる、高さ数千丈、大きさ二千余囲の神木である若木(じゃくぎ)と呼ばれる樹木もあるといった、経験的世界の事物の質料性の重みを感じさせないものばかりであると井筒氏はいう。つまり「想像的」イマージュの独自のあり方で存在し活動しているのだ。

  本物のシャマンは、「人間の魂にかけては偉大な専門家」(エリアーデ)であり、身体を抜け出した「魂」の旅するイマージュの国の地理を知り尽くしている。この「遠き国」に向かって魂を送り出す。この一時的にではあれ、肉体を脱出した彼の「魂」こそが、シャマン的意識主体であると井筒氏は指摘する。

  「遠遊」である、遥かなるイマージュ空間の旅路は、そこでの体験を言葉に移しシャマン的叙事詩となると井筒氏はいう。第一段階ではシャマンは人々の不義を憤り、わが身の不運に涙する人の形姿であった。その彼がここでは神話的世界の英雄になり登場する。

しかし、純粋イマージュの世界の世界は、シャマニズムだけでない。例えば、西洋のグノーシス、東洋のタントラ、密教のマンダラ空間があるが、マンダラのイマージュ空間は、密教的修行主体の脱自的意識である点が、第三段階の意識状況に符合すると井筒氏は指摘する。職業的シャマンは己のイマージュ体験の哲学的意味を問うことはなく、超現実的世界に「魂を遊ばせる」だけであるが、「魂の遊び」としてのイマージュ体験は詩的創造の源泉であり、自然に展開し神話になる。この神話こそシャマン的体験の言語的展開の場所であると井筒氏はいう。このような超現実的ヴィジョンに哲学的意義を認め神話を象徴的寓話に変え、存在論的、形而上学的思想を織り込んでいくためには、第三段階のシャマン意識を越え、哲学的知性の第二次的操作が必要であると井筒氏は指摘する。例として、荘子の哲学がある。シャマニズムの地盤から出発し、シャマニズムを越えた人の思想であると井筒氏は主張する。また荘周という思想家の「無何有(むかいう)の郷」の住人は原初的シャマニズムを超脱していると井筒氏はいい、『荘子』の冒頭に描かれる怪鳥、鵬(おおとり)、背の広さ幾千里、垂天の雲のごとき翼の羽ばたきに三千里の水を撃し、九万里の高さに上って天池に向かう鵬の宇宙飛遊は、「離騒」のシャマン的飛遊の絶えて知らぬ哲学的象徴性があると井筒氏は主張する。

中国を経て日本にたどり着いた密教的仏教もまた、「想像的」イマージュ体験を基に雄大な哲学的世界観にまで発展させた精神的伝統であると井筒氏はいう。例えば空海、金胎両部マンダラは意識と存在の深層に現成する「想像的」イマージュ空間の構造的提示であり、このようにイマージュ空間として自己顕現する存在リアリティーそのものの形而上学的秘儀を、思想家空海は探ろうとしたと井筒氏は解釈している。また、ユダヤ教神秘主義、カッバーラーや、イスラム思想のスフラワルディー系の照明哲学などがあると彼は指摘する。

 シャマニズムのイマージュ体験は、一般に詩作に行なわれる散発的に現われるイマージュを現実的世界の一部とする考え方とは違い、現実世界そのものの全体が、一個の渾然たる世界イマージュ的世界として顕現することを井筒氏は主張する。つまりイマージュ体験は一種の実在体験であるということである。意識も世界もイマージュ空間に転成してしまうことであると井筒氏はいう。もし経験的事物の実在性以上の実在性を認めるならば独特の存在論が生まれるであろうと井筒氏は説く。スフラワルディーは「形象的相似の世界」と呼んだという。「想像的」(イマジナル)な存在次元では、経験的事物のイマージュ、あるいは相似であるという意味で、我々の日常的世界で見聞し、行為した経験が基盤にあることが私には非常に興味深く感じられる。なぜなら詩人がイマジナルな世界を表出するとき、経験的現実の世界が描かれずに、観念的に走っているという非難を受けることがあるからである。経験的世界の出来事を主題にした詩は、読み手の共感が容易であることは理解できるが、詩が哲学的思惟からも考察するに匹敵するものと考えられるなら、井筒氏の論述は詩の実在体験において非常に示唆的であると私は考えるのである。

 神話から象徴的寓意に変成させ、そこに存在論的、形而上学的思想を織り込むには哲学的知性を必要とするという井筒氏の指摘は重要である。イスラームの神秘家スフラワルディーは「想像的」イマージュを、経験界の事物に似ているけれども、物質性をまったく欠くゆえに、フィジカルな手ごたえのある事物ではなく、それらとは似て非なる存在者と考えていると井筒氏は解く。これらの「似姿」(アシュバーハ)を「宙を浮く比喩」と呼ぶという。言語表現上の比喩ではなく、存在次元の移しによって、物質的、質料的な経験界の存在次元から、非質料的な存在次元に「運び移され」そこで異次元的に、「宙に浮いて」いる存在者であると井筒氏は解く。彼の哲学的信念においては、経験的事物の方が、経験世界で「比喩」と呼ぶものの比喩なのであり、経験的世界に実在する事物よりも遥かに存在性の濃いものとして現われるのだと井筒氏は指摘する。その他、シャマニズム、グノーシス、密教などの精神的伝統を代表する人々にとって、現実世界の事物こそ影のような存在に過ぎないのであると井筒氏はいうのだ。この「似姿」「比喩」と名づけたものは「イマージュ」と述べてきたものであるが、スフラワルディーにとってはれっきとした実在なのだと井筒氏はいう。さらに井筒氏は、それらは質料的事物の「粗大」性に対して、「微細」であるとイスラーム哲学では表現する。インド哲学のサーンキヤ哲学でも同様であるという。

 「想像的」イマージュは深層意識的イマージュであり、事物の「元型」(アーキタイプ)を深層意識に形象化として露見させると井筒氏はいう。「元型」の生起と活動が深層意識的事象であることはユング分析心理で理論的にも実験的にも明示されていると井筒氏は指摘し、次の説明で詳細に解説していく。

 

(次回第十五回につづく)

 

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道元「山水経」に説く「水の現成」 小林稔評論集『来るべき詩学のために(一)』より

2012年11月22日 | 井筒俊彦研究

連載/第十三回

小林稔

 「水、水を見る」。道元が「山水経」に説く「水の現成」とは。

 

無「本質」的分節なるものが、いかにして「本質」抜きで成立するのか。

以下、井筒氏の言説を追ってみよう。(P168~180) 

 「本質」とは元来、存在の限界付けである。存在界を一つの全体と見て、これを現実と呼ぶ。その中の一つの部分を他から切り離して独立したものと見立てる。これが「本質」である。こうして局所的に措定された「本質」をめぐって一つのものが組み立てられる。コトバによって名指しされるものは、このような形で私たちの意識に現前する。これが分節Ⅰである。このような経験的世界を大乗仏教は妄念の世界、空華、と呼ぶ。分節Ⅱを真の現実(真如)と考えるからである。分節Ⅱが分節Ⅰと分かつのは無分節である。存在の究極的無分節態は、存在(存在=意識)のゼロ・ポイントであり、意識と存在の二方向に分岐して展開する創造的活動の発出点である。しかも無分節者が最高度の存在充実である。

 「無」に瀰漫する存在エネルギーが発散してものを現出させる。

 分節Ⅱにおいてそのものを覚知する。この次元の意識にとって、経験的世界(現象界)の事物の一つ一つが、無分節者の全体を挙げての自己分節なのである。「無」全体がそのまま花となり鳥となる。局所的限定ではなく、現実の全体が花であり鳥である。つまり無「本質」的なのであると井筒氏はいう。この存在の次元転換(分節Ⅰと分節Ⅱの転換)は瞬間的出来事であるから無分節と分節は二重写しになる。すなわち「花のごとし」である。

 すべてのものが無分節者の全体の顕露であるがゆえに分節されたものが他のものを含む。

  「しるべし、解脱にして繋縛なしといへども、諸法住位せり」(道元)

 水は水の存在的位置を占め、山は山の存在的位置を占めて、それぞれ完全に分節されてはいるが、しかしこの水とこの山とは「解脱」した(無「本質」的)水と山であって、「本質」に由来する一切の繋縛から脱している。ところが、分節Ⅰにおいても水が低所に向かって流れるだけと見るのは偏った見方である。地中を流通し、空を流通し、上に流れ、下に流れ、川となり、深い淵となり、天に昇っては雲となり、下っては流れを止めてよどみもする。しかしこのような分節Ⅰの境地にとどまっている限り、水の真のリアリティーはつかめない。分節Ⅱでは無分節者が全エネルギーを挙げて、自己を水として分節する。 

「水のいたらざるところあるといふは、小乗声聞教なり。あるひは外道の邪教なり。水は火焔裏にもいたるなり。心念思慮分別裏にもいたるなり。覚知仏性裏にもいたるなり」

「一切衆生、悉有仏性」という根本命題の存在論的意味である。一滴の水の中にも無量の仏国土が現成するとも言われる。しかし、水の中に仏土があるのではなく、水すなわち仏土なのである。水の所在は過去、現在、未来の別を超越して、どの特定の世界にも関わりがない。しかし水は水として存在する。したがって「仏祖のいたるところには水はかならずいたる。水のいたるところ、仏祖かならず現成するなり」。

 『正法眼蔵』第二十九「山水経」の中で、道元は無「本質」的分節の自由性を、彼独自の先鋭な論理で考究しているが、「山水経」の主題は、有「本質」的分節のために枯渇している存在を、無「本質」的次元に移して、本来の生々躍動する姿に戻そうとすることにある。無分節者が自由に不断に分節していく。私たち人間が感覚器官の構造とコトバの文化的制約性に束縛され行なう存在分節は分節様式の一つに過ぎず。例えば、天人の目になり、魚の目になって、新しく分節し直してみればわかるということを道元はいっているのだと井筒氏は解釈する。しかし道元の存在分節論はさらに続き、先に挙げたような視点を含めた高次の視点に表われる「髄類の諸見不同」を超えて、「水、水を見る」ところに跳出しなければならないと道元はいうと井筒氏は説明する。

「水が水を見る」に至って、分節Ⅱは幽玄な深みを露にする。水が水そのもののコトバで自らを水と言う。水の自己分節。水が水自身を無制約的に分節する、これが水の現成であるが、水が水自身を水にまで分節するということは分節しないのと同じであり、分節しながら分節しない、それこそが無「本質」的存在分節の真面目であると井筒氏はいう。

 井筒氏は、「本質」否定論に対立する「本質」肯定論の第一の型である、宋儒の「格物窮理」を説明するついでに、正反対の.禅の無「本質」論を取り上げ、より明確にしようとしたが、その他これから井筒氏が述べようとするであろう肯定論の第二型においても対立を明確にするという理由があってのことなのだという。

それでは、その肯定論の第二型とは何か。井筒氏の言葉を下記に引用すれば、

 {詩的想像力、あるいは神話形成的想像力によって深層意識のある特殊な次元に現われる元型(アーキタイプ)的形象を、事物の実在する普遍的、「本質」として認める一種の象徴主義的「本質」論の立場である。グノーシス、シャマニズム、タントラ、神秘主義などなど。東洋哲学の領域において、顕著な位置を占め、その広がりは大きい。何処からともなく湧き起こって、意識の仄暗い深層にうごめきつつ、そこに異様な心象の絵模様を描き出す元型的「本質」。その世界を、無「本質」主義の禅はまったく知らない。あるいは知っていても、全然問題にしない。}

 Ⅷ P180~

 ここから第二型の肯定論に入る。(第一型の肯定論は、宋儒の「格物窮理」であった。)

 人間の表層意識に出没する怪物たちの棲息地は深層意識内である。ふだんは姿を現さない。この内的怪物たちが深層意識領域にとどまる限り、あるべき形で働く限り、それぞれの役割があり、時には幽玄な絵画ともなり感動的な詩歌を生み出すものをもっていると井筒氏は指摘する。チベット・ラマ教美術の不気味な空間に浮かぶ異形のものたち、胎蔵界マンダラの外縁、外金剛部院を充たす地獄、餓鬼、畜生、阿修羅など輪廻の衆生。本来の深層意識の観想地域を離れて、表層意識に出没し、日常世界をうろつき廻るようになるとき、人間にとって深刻な実存的、あるいは精神医学的な問題が起こってくると井筒は解説する。心理学では、イマージュ形成こそ、人間意識の、他の何物によっても説明できない、最も本源的な機能であるといわれていると井筒氏はいう。ここで井筒氏が言おうとするのは、イマージュの場所は、深層意識だけではなく、表層意識にもあって、イマージュの性格も働き方も根本的に違うということであり、どう違うのかが、これからの論点になる。

 

以下、第十四回につづく

 

 

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アスクレピオンに雄鶏一羽の借りがある。その四、小林稔個人季刊誌「ヒーメロス」22号

2012年11月21日 | 連載エセー「自己への配慮と詩人像」からの

長期連載エセー『「自己への配慮」と詩人像』(十四)

小林稔

42 アスクレピオンに雄鶏の借りがある。『パイドン』 その四

言論(ことば)における考察

 

  何であれ、ものには、それがあずかりもつところの、おのおのに独自な〈存在の本来的なあり方〉(ウゥアー)があるのだ。

そこで、まさにこれを分有したという仕方においてのみ、おのおののものは、生じてくるのである。(『パイドン』101c)

 

 日蝕を見て目を傷めないように水に映して見るように、肉眼で事物を直接に見るとか、感覚で直接に事物を見るのは、たましいは見る力を奪われ、盲いになってしまうのではないかとおそれた。そこでソクラテスは、「ことば(言論)へと逃れて、そのなかで、存在するものの真実を、考察しなければならない」と考えたとテクストに記されている。『パイドン』の訳者松永雄二氏の『パイドン』解説によると、例えば「AはBより大きい」という表現において、まさにそこに、大というイデアの現在を語っているのだという。なにかが美しくあるのは、かの〈美そのもの〉をまさにそれが分有しているからだとソクラテスは説明する。それが、美しくあるものの原因であるという。ひとつひとつの形相(エイドス)があり、他のものは形相にあずかることにより呼名をその形相自身から得ているとソクラテスは語る。注によると、エイドスという言葉はイデアと同じ意味で使用されるという。「シミアスは、ソクラテスよりは大きくあるが、パイドンよりは小さく去る」という表現において、「シミアスのうちに〈大〉と〈小〉との両方が存在する」ことになる。シミアスがソクラテスより凌駕しているという語られ方は、本性上、もとからそうあるのではなく、たまたま持つにいたった〈大〉によってそうある」のであって、真実にあるさまとは異なる。そしてソクラテスを量が指定オれといっても「ソクラテスがソクラテスたることによってではなく、ソクラテスが、シミアスにおける〈大〉に対して、〈小〉をもつにいたるから」であると『パイドン』に記されている。松永氏によると、「〈大〉がそのものとして、本来それ自体においてある場合と、われわれのうちにある場合との区別を語る」ことであり、「われわれのうちにある〈大〉というものにも、また何らかの不完全性と不安定性を想定してみようとする」ことであるという。しかしここでは、形相(エイドス)の根本的な性格は変わらないとされている。「ある事態のうちにある〈大〉は、それと反対の形相である〈小〉が迫ってくるときにはその場を譲って退去していくか、あるいはそこで滅びるかする、――しかしそれはけっしてそれ自身が小となることはない――と、プラトンは」語っているのだという。 比較する相手によって大小は変わっていくのはとうぜんのこととしてわれわれは考えるが、プラトンはそういう科学的な考えに異を唱えたのである。プラトンの他の対話篇『パルメニデス』『テイテトス』でも同様の問題が展開されている。プラトンの常識とは相違するこのような考え方を哲学者ラッセルは、「AはBよりも小さく、Cよりも大きいとした場合、Aは同時に大にしてかつ小であるというふうにプラトンは考えて、これを矛盾とみなした。このような混乱は哲学の小児病といわざるをえない」といって批判したと藤沢氏は『世界観と哲学の基本問題』で指摘している。藤沢氏によると、Aは大きさが変わらずにCより大きくなったのではなく、観点の違いによって変化することはもちろんプラトンは百も承知であるが、どの観点で変化を語るのが認定されるべきかをプラトンは問題提起したのだと主張する。Aの大きさは少しも変わっていないのだが、テクストでは、実際に変化したのだとプラトンは考えたという。数値上の大小を考慮せずに、「感じられる」変化をほんとうに蒙ったということになる。藤沢氏は、「大きい」「小さい」を説明するのは〈大〉のイデアと〈小〉のイデアでしかありえないという思想につながっていくのだと説明する。例えば「美しい」ということは状況と関係において「美しい」と感じられている。だから「美しい」という現われの原因・根拠となるのは、〈美〉そのもの(〈美〉のイデア)以外にはありえないという。「つまり、われわれの経験の世界、知覚の世界は、事物(X)の固有の性質(F)が状況と無関係にそれ自体で、数量その他の形で固定あるいは固定されうるような、自足し完結した世界ではないということ、FにはFとしての成立根拠(φ)が、必然的に要請されなければならないとプラトンは主張しているのだと藤沢氏は指摘する。

 反体性それ自身は、自分と反対の、(他方)のものとなることはけっしてない。しかし、かのもの〈大〉は、大でありながら小であることには、けっしてなろうとはしないのだ。同様にして、われわれのうちにある〈小〉もまた、けっして大となることも、大であることも、のぞまない。さらにその他の反対関係にあるいかなるものにしても、いままでそれであったそのものでなおありながら、同時にはんたいのものにあることもあることも、のぞまない。いやむしろ、そういう状況になれば、それは、その場から退去していくか、それとも、そこで滅んでしまうかのいずれかをとるのだ。(『パイドン』102E~103)

 右記のようにいうソクラテスに対してその場にいたある人が反論するのだった。先の議論で、大きなものから生じるのは、小さなものからであり、小さなものが生じるのは、大きなものからである、というように、生成とはそのように、反対のものから生じるということに、ソクラテスのいう言説は矛盾しているという指摘である。それに対するソクラテスの返答は次のようであった。「反対の事物から反対の事物が生じるということであったが、しかし反体性そのものはけっしてみずからの反対にならない。それがわれわれのうちにある場合でも、本来、それ自体においてある場合でも、同じなのだ」。先にソクラテスが語ったのは反体性を持っているものについてその事物を反体性の呼名で呼んでいたのであり、いま問題とするのは、反体性自身についてなのだ。「名づけられた事物がその呼名をもつというのは、じつはそのとき、事物のうちにそれがあればこそだという、それ自身についてなのだ。」反体性そのものは、相互からの生成を受け入れようとはしない。「反体性その自身は、自分と反対の(他方)のものとなることはけっしてない、とソクラテスは主張した。

『パイドン』の訳者松永氏はその解説で、原因・根拠の探究にイデア原因説を生み出さなければならなかったソクラテスの思索を内部から動かしていたものを、知を求めることに固有の「おどろき」(タウマゼイン)であったと説く。それは「突然に目覚めさせられた意識」とでもいうべきものであろうという。プラトンがこのような議論に固執するのは、この先に展開しようとする「魂の不死性の問題場面」が問われ始めているからであると松永氏はいい、「われわれのうちにある〈大〉」が語られる最大の眼目は、「生成し消滅するという事態のうちにも、なおわれわれは如何にすれば、自己同一なるものを見出すことができるかということであり、さらにそのような自己同一なるものは、如何なる存在性格を持つものとした一般にはあるのかという問題領域の解明にあったからだと松永氏は述べている。そして、「ことば(言論)はつねに語られることによって、ある一つの事態を明確に表現している」かぎりにおいて、「ことば(言論)のうちにおいて存在するものの真実をみるということは、まったく至当なことではなかろうか」と松永氏は主張している。この後、エイドス相互間の結合によるイデア原因説は割愛して、そこから帰結される魂の不滅に関する論を進めよう。

  魂の世話と死後の定め

 ケベスの反論、つまり魂の疲労説とそれらと矛盾する不死説への反論は否定された。さらに、「もしも魂が不死であるとなれば、その魂の世話は生あるあいだというそのかぎりの時のためだけでなく、まさに永劫のために必要とされるのだ」とソクラテスは述べる。死が一切のものからの離脱であるなら悪からも関わりがなくなると思うのは間違いである。「魂が諸悪からのがれ、みずからを救う途は、ただそれがあたうるかぎり最善のものとなり、またあたうるかぎり思慮にすぐれたものとなる以外には、他にけっしてありえないのである」という。魂がハデスに赴くときには「みずからの学びと養いのしるし」だけを持っていくというが、それが死者たちを益し、あるいは害するものという言い伝えがあることをソクラテスは指摘する(ここからミュートスの世界に入ることになろう)。それを知るためにテクストを読み進めてみよう。

 

 人の死後、生前に守護していた神霊(ダイモーン)がある場所へ導いていこうとする。集められた死者たちは裁きの前に立ったのちにハデスへの旅をつづけることになる。そこで様々な出来事に遭い、しばらく留まり、別の導き手によって再びこの世へと連れてくるが、その間には、長い時のめぐりが繰り返される。(『ゴルギアス』では裁きの場面が描かれ、『国家』『パイドロス』では地上に転生するまでの周期が語られている。)ハデスへの途は導き手を必要としていることからわかるように、三叉路がいろいろなところにある。慎みと思慮を備えた魂であれば導き手に従い、これから起こる事柄に無知ではないが、肉体に執着を持つ魂は、肉体や、可視の領域への未練を棄てきれず、反抗し痛い目にあわされ、力ずくで神霊に連れ去られていく。他の魂たちからも嫌がられ、途方にくれ彷徨う。両者の魂は時が来れば自分にふさわしい場所へ住むようになるという。〈大地〉というもののうちにある驚くべき場所について、ソクラテスがある人から聞いた話を魂の死後の行方を述べた後で語り始める。(訳者松永氏の註によると、これから展開される壮大な地学は、前四、五世紀のギリシア人の地理的、神話的な世界把握の場が描かれていて、「ある人に教えられた」という形式で、ソクラテス以前の様々な説を取り入れていることになるという。)〈大地〉は球状で天空の中央に浮かんでいる。天空がすべての方向に均質であり、大地が平衡性を保っているのでつねに均衡して静止している。大地は巨大であるが我々が住んでいるのはほんの一部分に過ぎない。大地には種々さまざまな窪みがあり、水や霧や空気が流れ込んでいる。我々が住んでいるのはこの窪みであるが、われわれはそれと知らずに大地の表面に住んでいると思い込んでいる。深海の底に住んでいる者が海の表面に住んでいると思い込み、水を通して太陽や星辰を見て、大海を天空と信じている。彼は海の極みにたどり着くことはない。我々もそれと同じ状況にある。大地の窪みに住んでいながら、大地の上方に住んでいるのだから空気を天空と思い込んで、弱々しさと鈍重ゆえに空気の極みにまで到ることができない。もし誰かがその極みに行き着いたなら、その誰かが観照にたえうるだけの資質が備わっていたら、ほんとうの天空であり、大地であると知ったであろう。海の底の美観に比べれば、我々のいる大地はまだましである。しかし天空の上、すなわち大地の表面に見出されるものに比べたら大きな隔絶さである。この天空のもとにある、大地の表面に見出されるものはどんな形状をしているのかをソクラテスは語り始める。上から見ると、十二面の皮革で縫い合わされた鞠のように、面がそれぞれ色分けされている。註によると、球に最も近い正多面体の正十二面体を示しているという。大地全体が美しく、ひかりかがやく純粋な色彩によってつくられている。大地に生まれ育つもの、樹木や花や果実、山々や石にしても美に照応してある。我々のもとで宝石と珍重されている宝石は、かの世界のかけらにすぎない。

大地の窪みに住む我々のところに流入する塩水や腐敗物によって腐敗され毀損されてしまうことはない。これらの流入こそが動物や植物に醜さを与え疾病をもたらすという。上方の土地は貴金属で飾られていて、至福な者のみに許された景観である。多くの動物も人間も住んでいて、ある者は内陸部に、ある者は空気のほとりに住んでいて(我々が海のほとりに住んでいるように)、またある者は大陸の近くに位置し、空気に囲まれた島々に住んでいる。彼らは見聞きする力や、知のはたらきにおいても我々より優れている。彼らは聖なる杜や社をもち、そこに神々が住み、お告げを聞くなどして神々と面々相対して交わっている。かの大地は内部に多くの地域を持ちさまざまな窪みに位置する。我々に住む窪みよりさらに深く広い。これらすべての地域は地下でつながっていて、莫大な水が相互に流れあう。地の内部には熱湯や冷水に充たされた大河があり、さらに泥濘もあり、シケリアの泥の河と溶岩流のようである。(プラトンがエトナ山を見た実際の見聞きした体験が反映していると注釈者はいう)大地の裂け目の最大のものがあり、一端から他端へと貫流している。ホメロスその他でなづけられたタルタロス(奈落)であり、すべての河はここに流れ込みふたたび流れ出る。

そのほかに特筆すべき四つの河がある。最大のものが外側を廻るのがオケアノス(大洋)である。(『オデュセイア』第十一巻に、「死者と生者のくにをへだてる多くの大きな河や怖ろしい流れのうちでも、まず最初に位するのが、オケアノス」という記述があることを訳者は注で指摘している。)それに相対して反対方向に流れるのがアケロン(冥界の河)である。これは地下を流れ、アケルシアス湖に達する。そこは死者たちの大半のものの魂が行き着くところであり、一定期間そこに留まり(長期間か短期間)、再度この世に生きるものとして生まれるために送り出されるという。三番目の河は、先の二つの河の中間地点からタルタロスをあふれ出ると地下の広大な、火に燃える地域へ流れ込み煮えたぎる湖をつくっている。その流れは湖を離れ地の中を囲繞しながら各地に到りつき、アケルシアス湖のきわまで達する。この湖の水は交じり合うことなく何度も地下を廻った後、タルタロスのより下方に流れ込むのである。この流れはピュリプレゲトン(灼熱の流れ)と呼ばれていて、運ばれる溶岩流は地上の様々な地点に噴き出しているという。これと相対するところから第四番目の河がタルタロスを出て、最初に行きつくところは、恐れと荒々しさに満ちたところで緑青のような色におおわれた、ステュギオス(慄きの地)と呼ばれている。河が流れ込んでつくる湖がステュクスと呼ばれる湖である。この湖の水のうちに異常なちからが生じると、流れは地中にもぐり地中を囲繞してピュリブルゲトンとは反対方向に進み、アケルシアス湖のところで反対側からやってきてそれと出会うことになる。この流れの水は他の流れと交じり合うことはなく、地中を廻りピュプレゲトンと反対の側でタルタロスに流れ込む。この河の名は詩人たちの語るところによると、コキュトス(悲傷の流れ)と呼ばれている。

 死者たちがそれぞれ神霊(ダイモーン)に連れられ、ある場所(『ゴルギアス』のミュートスでは「ミノスとラダケンテュスとアイアコスが二股の途が分岐する「牧場」とある。)にやってくると、敬虔な生を送った者とそうでない者とが裁きの前に立つ。たいした善事も悪事もなさなかったと判定された判定された者たちは、アケロン(冥府の河)まで行き、しつらえた舟に乗ってアケルシアス湖(冥府の湖)までやってくる。彼らはそこに住み、みずからを浄めながら、不正をおかした者は罰を受け、不正のとがめから解放される。善行があった者は報賞を受ける。おかした罪過があまりにも大きいため、癒しがたいと判定された者たち(例えば殺害を犯した者など)は悪行にふさわしい定めにより、タルタロスに投げ込まれ二度と出ることはない。またおかした罪過は大きいが癒しうると判定された者(例えば、父母に対する暴虐をおかしたが、悔い改めて死後の生を過ごした者、似た事情で殺人をおかした者)には、タルタロスで一年を過ごすと、さかまく浪が彼らをそこから外へ投げ出す。しかし、殺人者はコキュトス(悲傷の流れ)に運ばれ、父母に暴虐を加えた者はピュリプレゲトン(灼火の流れ)に運ばれる。アケルシアス湖のあたりで殺した人々、暴虐を加えた人々の名を叫び、呼びとめると哀願して、河を出て湖に入ることを許し、受け入れてくれと乞う。聞き入れられれば彼らは河の外に出るが、そうでない場合は再度、タルタロスに運ばれ、不正をおかした相手が納得するまでつづく。

 これに対して、生涯を敬虔に送ったと判定された人々は大地の内部の諸々の地域から自由となり解放されて、上方の清浄な場所へいたり、真の大地に住むことになる。このような人たちにあっても、真実に知を営み浄化した者はそれ以後、肉体を離れて生き、大地のおもてよりさらに美しい居処へと到るのである。ソクラテスは、自分が長々と語ってきた事柄は、真実であると断言するのは、知性に関わる人間にはふさわしくないことであろうと語る。だが、魂がいま不死であることが明らかになった以上、このような想定に賭けることは美しいことだとつけ加えた。

 

 ハデスへの旅立ち

 長い神話(ミュートス)を語り終え、沐浴を済ませようとするソクラテスに、クリトンは「この人たちにでも、あるいはわたしにでも、いま君がいっておくことはないか」と尋ねた。それに対してソクラテスは、「いまさら、新しいことは何もない。ただ君たちが君たち自身の配慮をおこたりさえしなければ」という。「きみをどのように埋葬したらよいか」と尋ねるクリトンに、ソクラテスは答える、「クリトンにはわたしは了解されていないのだ」と。ソクラテスが毒杯をあおいだ後はこの世を去り、「至福なる者たちの、よき神霊に恵まれてあるという状態におもむくのだ」と語ったことも、慰めのほんの無駄話だったように見えてくるとソクラテスは嘆いた。「わたしが死ねば、誓って留まることはなく、わたしはここを離れて立ち去っていくであろう。またそうすれば、弔いの時にあたって、彼が、ソクラテスを安置するとか、葬送するとか、埋葬するとかの、そういう言葉を口にすることはなくなるだろう。いいかね、よきクリトンよ、よくない言葉を語るということは、ただその言葉のうえだけでの不協和音というのではなしに、それは、われわれのたましいのうちになにかある禍いを植えつけもするものなのだ。」とソクラテスは戒めるのであった。埋葬の仕方はしきたりにかなうと思う仕方でしてくれればよいとソクラテスは付け足した。

 

 ソクラテスは沐浴のためにクリトンだけを伴って別の部屋に向かった。沐浴を終えて戻ると、二人の小さなソクラテスの子供たちのところへ連れてこられたが、ソクラテスは子供たちを帰すように伝えた。その時、十一人の刑務委員に仕えるものがやってきた。「むろんなにを告げにやってきたかは、お分かりでしょう……、ごきげんよろしゅう。どうにもいたし方ないものを、せめてはできるだけ、こころやすらかに担われますように……」といいつつ涙を見せ立ち去った。ソクラテスはクリトンに毒を誰かにもってこさせてくれと頼む。クリトンは日がすっかり沈むには時間があるから、毒をのむことを遅らせてはというクリトンの言葉に、すぐにもってこさせるようにいうと、クリトンは近くいた僕童に合図すると、彼は毒を渡す役目の男を連れてきた。男は毒の入った杯をソクラテスに手渡すと、ソクラテスは受け取り「この世から、かしこへと居どころをうつす旅路に幸あるように――。まさしくこれが、いまわたしのいのるところだ。かくあれかし」といって杯を口にあて飲みほした。この話を友人に報告することになるパイドンは、その時、「それはわたし自身の不幸、かくばかりすぐれた友なるひとから見離されてしまうわが身の不幸になげいたのです」と語っている。クリトンをはじめ、そこにいたすべての人は涙にくれたのであった。「……死は静謐のうちにこそあるのだから。さ。静かにしたまえ。たえなくては」とソクラテスは否めた。

 訳者松永氏は註で、オリュンピオドロスの言葉を引用している。それによると、「その静謐さは、魂が、肉体の滅びの苦痛にとらわれてしまうことのないようにするためにも、……また、神々が、導こうとしてそこに現われることを、けっして妨げないようにするためにも、必要なのである」というピュタゴラス派の考えを伝えている。

 

ソクラテスの最後の言葉

 すでに下腹のあたりは、ほぼ冷たくなっていました。そのとき、ソクラテスは、顔に覆衣がかけられてあったのですが、それをとっていわれた。そして、これがあの方の口からもれた最後の言葉となったのです。「クリトン、アスクレピオスに鶏を一羽おそなえしなければならなかった。その責を果してくれ。きっと忘れないように」「うん、たしかにそうしよう」とクリトンはいった。「しかし、君、ほかになにかいうことはないか」こう彼はたずねたが、もう答えはなにもありませんでした。すこしたつと、ぴくっとからだが動き、係りの者が覆衣をとりのぞくと、あの方の両眼は、じっとかたくすわっていました。それをみて、クリトンが、あの方の口もとと、まなこを閉じたのです。(『パイドン』118)

 

 仏語訳からの日本語では「クリトン、我々はアスクレピオスに雄鶏一羽の借りがある。私の借りを返してくれ、忘れないようにしてくれ」となっている。アスピオクレスとは人間に治癒をもたらす神である。(訳者松永氏の註によると、アスクレピオスはアポロンとコロニスの間に生まれた子であり、ケンタウロスのケイロンに育てられた医療の神であり、その神への供犠には鶏が用いられたという。)ジョルジュ・デュメジル(1898~1986フランスの比較神話学者)は、この部分の様々な解釈に納得していなかった。「私の借りを返してくれ」と言う表現は、神が誰かに治癒を施ししたとき神に感謝を捧げる行為である。ソクラテスはアスクレピオスに借りがあったとすれば、どのような負債なのであろうか。ラマルティーヌの詩句では、「生きるという病から治癒したのだ」とあるが、デュメジルは否定する。なぜならソクラテスは仏教徒ではないし、生は一つの病であり死が我々を生から治癒させるという考えはプラトン的やソクラテス的な考えではないからであるとフーコーはいう。しかしラマルティーヌ特有の解釈ではなく、ロバンやバーネットらによって伝統的に解釈されてきたものであった。「生、それは病であり、死、それは回復した健康である」という解釈であるとフーコーは説明している。ニーチェは『華やぐ知恵』で「おお、クリトンよ、生は一つの病なのだ」という記述があることをフーコーは指摘する。しかしニーチェは、生という病からの解放に関して感謝するという解釈に満足せず、「彼(ソクラテス)がその生の最後の瞬間にも沈黙を守ってくれたらよかったのに。もしそうしていたら一段高い精神段階に属したであろう」と記す。「生は一つの病なのだ」というソクラテスは生に悩んでいたことになる。絶えず平静を保っていたソクラテス像とは大きな矛盾である。したがってニーチェは、ソクラテスは力尽きて自分がしたことを打ち消してしまったのだと解釈したのである。しかしフーコーは別の解釈をする。

 ひとつの秘境的な言説(ピュタゴラス派の格言)によれば――われわれ人間の生は、なにものかの見張りにおいてあるのであり、その見張りからわれわれはみずからを解き放ってはならず、逃げ出すことも許されない――というのだが、これはなにか、深い意味をもった言葉であり、それを見通すことは、容易ではないとわたしには思える。しかしながら、――われわれを配慮したまうのは、神々であり、われれ人間というのは、神々にとって所有物(牧畜)のひとつにすぎない――ということは、ケベスよ、わたしにもこれはすぐれた言葉であると納得しうるのだ。君にはそうは思われないか」『パイドン』62-B

 

 フーコーによると、「我々は神々による配慮と心遣いの対象であるということ」であり、「生は一つの病であり、人は死によってそこから解放されるのだ」という考えとは矛盾する。ソクラテスは哲学的生を送り「自らを統御している」人物として、プラトンの全著作で描かれている。哲学的生とは「やむをえない場合を除いては、身体との交わりや付き合いをできる限り避け、身体の本性によって汚されず、逆に身体に対して清浄であり続けるようにして、神ご自身が我々を解放されるときを待つ」ような生であり、「彼は生から自らを引き離すのではなく、生のなかで自分の身体から自分を引き離すのであり、神々が我々に合図を送ってくるときまでそのように汚染されず純粋に生きる可能性を考えること」であるとフーコーは解釈する。したがってこのような生を病のようなものと考えることはできないのである。

 デュメジルは、確かに一つの病、一時的ではなく重大な病が問題になっていること、つまりニーチェのいうようにソクラテスは力尽きて発した言葉ではなく、彼の教えのなかで最も本質的な明白なことを語ったのだと主張する。その病とは何か。この言葉は、ソクラテスがクリトンに向けて発した言葉であることに注意を向ける。しかも、「我々はアスクレピオスに雄鶏一羽の借りがある」とある以上、クリトンだけでなくソクラテスとそのほかの人々が負っている負債でもある。しかしクリトンが呼び止められたのであるから、彼この負債を完璧に知っていることになる。それを理解するにはソクラテスとクリトンの対話を読み進めなくてはならない。

 

  ソクラテス、きみが行なおうとしていることは、正しいことではないように思われるのだ。きみは、助かることができるのに、自分自身を見捨てようとしているのだからねえ。きみがきみの一身上に成就しようとして、一所懸命になったかも知れないようなことなのであって、事実またかれらは、きみを破滅させようと思って、一所懸命のそれらの努力をしたのだ。またその上、きみはきみの息子さんたちを見捨てようとしているように、ぼくには思われる。つまりあの人たちを、きみは供養し、教育してやることができるのに、それを置き去りにして、きみは行ってしまうことになるのだ。『クリトン』45-C~D

 

 クリトンの言葉はあるいは行動に向けられ、しかもソクラテス自身と関係するソクラテスの言葉の意味することは何か。デュメジルはクリトンがソクラテスに脱走を提案するエピソードを介入させる。右に引用した部分では、「自分自身を見捨てようとしている」という表現から自分自身を裏切ることになるとクリトンがいい、「きみは君の息子さんたちを見捨てようとしている」という表現から「子供たちを裏切ることになるといおうとしていることになるとフーコーは説く。右の引用の後で、「われわれは自分たちが何か無能であり、勇気を欠いているために、事件をすっかり取り逃がしてしまった」と世間の人々から思われ、「恥辱となるかもしれない」とクリトンはいい脱走を勧める。このようなクリトンの提案(忠告)に対してソクラテスの返答ほどのようであったろうか。万人の意見、人々に共有されている意見を考慮に入れる必要があるのか、それとも意見を考慮に入れるべき人々とそうでない人々に分かれるのだろうかとソクラテスはクリトンに問う。ソクラテスは、盲目的に人々の意見に従うことはできないといい、体育の例を挙げる。身体への気配りが問題となるとき、人々は万人の意見に従うことはないだろう。どんな人の意見にでも従うのであれば害悪を受ける。また身体に関してよく知っている人の意見に従うとしたら正しい養生法を与えることのできる体育教師に従うだろう。そのように正義と不正に関して、「正義と不正、善と悪のあいだの差異を知らない人の意見に従うことは、正義と不正とに関わりをもつ我々自身の一部分」が損なわれ、破壊される怖れがあるのではないかとソクラテスはいう。この「一部分」とは魂のことであるとフーコーは説く。なぜ魂といわなかったのか。それは、ここでは「魂が形而上学的に基礎づけられる以前」が問題になっているからだとフーコーは指摘する。結論としてフーコーがいおうとすることは、万人の意見には「配慮」せず、何が正義で何が不正であるかを可能にするものにだけ配慮することが大切であるということである。つまり真理に配慮すべきだというのだ。

 大切にしなければならないのは、ただ生きることではなく、よく生きるということなのだというのだ。……その<よく>というのは、〈美しく〉とか、〈正しく〉とかいうのと同じだ。(『クリトン』47B)

 魂の損傷、魂の破壊は真理によって避けられ、真理の観点から吟味もテストもされず試練にもかけられていない意見によって魂は堕落し、破壊され、損なわれ、悪い状態に置かれるという考え方がソクラテスの言葉に表れているとフーコーは指摘する。魂の堕落した状態を「病」とするなら、健康な状態に回復させるものが「アレーテイアによって武装された意見であり、理性的なロゴス」なのだとフーコーは説く。クリトンが冒された病とは、万人の意見から解き放たれ、自分自身と真理との関係に基礎を置く真の意見によって選択し、決定し、決断できるようになったときに治癒する病のことであるとフーコーはいう。従ってアスクレピオスに感謝しなければならないのは、その病からの治癒であったと考えられるとフーコーは指摘する。

 ホモロギアとエピメレイア

ソクラテスの最後の言葉、「我々はアスクレピオスに雄鶏一羽の借りがある。私の借りを返してくれ、忘れないようにしてくれ」(フーコーのテクストに使われたフランス語訳)が何を意味しているのかという考察の途中から、私のこの論考は『パイドン』全体の内容に触れていくことになった。このプラトン中期の作品といわれる『パイドン』には様々なテーゼが盛り込まれ、相互に関係しあっているからである。

フーコーによれば、魂の病のようなものとしての、誤った意見からの治癒は、ロゴスによってもたらされる。できの悪い意見は魂を損ない堕落させて健康の外に置く一つの病のようなもので、そこから治癒すべき病のようなものであるという考えが『パイドン』のなかで反響しているとフーコ―はいう。クリトンは、ソクラテスにとっては死ぬよりも生きる方がよいとのだと彼に信じ込ませる病に冒され、シミアスとケベスは、人が死ぬとき不死の魂が解放されるとは限らないと信じ込ませる病に冒されていた、とフーコーは説く。従って、アスクレピオスに雄鶏一羽に借りがあるのは、この種の魂の治癒に関してなのだ、つまりクリトン、シミアス、ケベスの魂の治療に関してなのだと、デュメジルの解釈を説明して見せる。つまり、病に冒されているのがクリトン(シミアスやケベスも含めて)であるなら、なぜ「我われはアスクレピオスに借りがある」というのか。なぜ「クリトン、君たちはアスクレピオスに借りがある」といわないのか。「我われ」という表現にはソクラテスが含まれるのだというデュメジルは、次のように解釈する。「ソクラテスと彼の弟子たちとのあいだには共通と友愛の絆がある」と。さらにソクラテスは、クリトンに説き伏せられて脱走をしたかもしれない、魂を堕落させたかもしれないという危険があった。しかし、ソクラテスは真理に対する勇気によって病から治癒したのであり、最終的にはソクラテスの死の瞬間によって成就するものであるといえるのである。このようなデュメジルの解釈に加えて、フーコーは次のような見解を示す。すなわち、「議論に加わっている全員が議論の企てに関して連帯しているという事実は、まさしく、あらゆるプラトンの対話篇のドラマツルギー全体をしるしづける一つの特徴である」と。悪しき言説が勝利を収めれば全員が敗北したことを示し、よき言説が勝利を収めれば、全員が勝利を収めたことになるという、つまりホモロギアの原則に従って連帯していたということになるとフーコーはいう。ホモロギアとは議論する相手と同じロゴスを持つということである。クリトンが病に患えばソクラテスも病を患っていたかもしれないということを意味する。結果として治癒に感謝しつつ全員の名においてなされなければならないことになったとフーコーはいう。ホモロギアが真理の形式と試練の場という側面を持つためには、相手に対して友情の範疇に属するような好意の感情を持っていなければならないと、『自己と他者の統治』でフーコーは主張する。さらにフーコーは、このように神によって治癒をもたらされた活動を、精神疾患としての誤謬と考えてはならないという。「エピメレイア」と呼ばれる実践哲学の領野に属するものであるである、つまり、エピステメー(知識)、エウノイア(好意)、パレーシア(率直さ)がホモロギアの真理の基準となるとフーコーは指摘する。ソクラテスの死をめぐる物語は、『ソクラテスの弁明』に始まり、『クリトン』に引き継がれ、『パイドン』に終わるが、まさしく「エピメレイア」(自分自身および他の人々への気配り、諸々の魂への気配り)のテーマに貫かれているとフーコーはいう。クリトンのソクラテスに対する愛情の深さ、ソクラテスのクリトンに対する気配り(なんという優しさ!)を読み取ることができるのだ。

 『ソクラテスの弁明』で、ソクラテスはパレーシア(勇気を持って真なることを語ること)を神から遣わされた使命として人間たちが自分自身に専念するように説く人物として描かれていた。『クリトン』では、クリトンはソクラテスに脱走を勧める人物である。そうしなければソクラテスは彼の子供に専念できなくなるだろう。ここにもエピメレイア(魂への気配り)の主題がある。「もし私が脱走するとしたら、国法が私の前に立ちはだかるだろうと君は思わないのか。国法は私に言うだろう。お前の誕生に専念したのはいったい誰か。お前は都市国家において結婚がなされるやり方に不満なのか。お前が子供の頃、お前に専念し、お前を育てたのはいったい誰か」というエピメレイアに関わる箇所をフーコーは引用しつつ、「都市国家の国法が、世界全体にとっての神々と同様、市民たちに気を配り、市民たちに専念し、注意を払っているからなのだ」と説明する。ここにも国法の気遣いを見出すことができる。『パイドン』の終盤で、クリトンはソクラテスに「いま君が言っておくことは、何かないだろうか」と尋ねる。ソクラテスは返答する。「いまさら、新しいことって何もない。ただ君たちが君たち自身の配慮をおこたりさえしなければ」。これがソクラテスの遺言であるとフーコーは指摘する。また、『ソクラテスの弁明』の最終部で、ソクラテスは自分の息子たちについて次のようにいう。「わたしの息子たちが、成人したら、どうか、諸君、わたしが諸君を苦しめていたのと、同じことで苦しめて、仕返しをしてくれたまえ。もし諸君の目にかれらが、自分自身をよくすること、(徳)よりも、金銭その他のことに、まず心を用いていると思われたり、また何の実もないのに、すでに何ものかであるように考えているようでしたら、わたしが諸君にしたのと同じように、心を用うるところに心を用いず、何の値打ちもない者なのに、ひとかどの者のように思っているといって、かれらの非をとがめてください。そうすれば、諸君がこれらのことをしてくれる時に、わたし自身も息子も、諸君から正しい仕おきをうけることになるでしょう。」これは有罪判決後になされた子供への言及の第一のものであり、二番目の言及はクリトンによる反論に対してなされたものであり、三番目は『パイドン』のなかで「いま君が言っておくことは、なにかないだろうか。子供さんのこととか、他のどんなことでもいいのだが」というクリトンに対して、「君たち自身に配慮したまえ」と答えるそのやり取りの部分での言及があった。そしてその後に、これまで長く論じてきた、「アスクレピオスに負っているものへの言及、アスクレピオスへの約束が語られる。「それは、治癒をもたらすその神によって、ソクラテスとその弟子たちにもたらされた助けに対する感謝のしるし」である。つまり「自分自身に配慮する人々に助けをもたらしてくれる神に捧げられる感謝である」、とフーコーはいう。我われが自分自身に配慮するとすれば、それは、神々が我われに配慮してくれたからであり、我われに配慮するからこそ、神々はまさしくソクラテスを送り出し、自分自身に気を配る術を我われに教えようとしたのだと、フーコーは説く。ソクラテスのパレーシアの行使は死の危険にさらされたものであり、それによって命を落としたのである。『ソクラテスの弁明』『クリトン』『パイドン』の三つの作品に絡み合う数々の糸を、プラトンは最後のソクラテスの二つの勧告のなかで、最後に再び結び合わせる。一つは「私の最後の望みは君たちが君たち自身に専念すること」と語るときであり、そしてもう一つは人間たちが自分自身に配慮するように仕向けようとする神々の人間たちに対する配慮が、アスクレピオスの捧げものというかたちで指し示されているとフーコーは指摘する。そして「ソクラテスの死は、哲学を預言とも知恵ともテクネーとも異なる真理陳述の一形態」、「まさしく哲学的言説に固有の真理陳述の形態」を創立したのであり、「その勇気は、政治的演壇には自らの場所を持つことのできない魂の試練として、死に至るまで行使されなければならない」のであると主張する。

 ソクラテスの遺言は、「君たち自身に配慮したまえ(humôn autôn epimeleomenoi)。」であった。

 

 参考文献・「プラトン全集1・11」(岩波書店)、ミシェル・フーコー「真理の勇気」「自己と他者の統治」(筑摩書房)

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長期連載エセー『自己への配慮と詩人像(十四)』小林稔「ヒーメロス」13号2012年10月12日

2012年11月16日 | 連載エセー「自己への配慮と詩人像」からの

アスクレピオスに雄鶏一羽の借りがある。『パイドン』

長期連載エセー『「自己への配慮」と詩人像』(十四)その三

小林稔

祭杖をたずさえる者(前回の続き)

 ソクラテスが語り終えた後、ケベスは魂の存在について疑問を投げかけることになる。魂は肉体を離れると、もはやどこにも存在しないのではないかという疑念である。訳者の註によると、「ホメロスを主流とするギリシア思想伝統では、死後のたましいには冥府(ハデス)でのまったく影のごとき生活、つまり無にひとしいそれしか与えられていなかったという。「肉体から離れてその外に出て行くやいなや、ちょうど、気息(いき)やけむりのようにちりぢりになり、飛散し去って、もはやどこにもいかなる存在もとどめなく散るのではないか」というケベスの言葉にそれが窺える。魂自身がどこかに存在するとするには議論が必要であることをケベスは申し出た。ソクラテスはそれに対して「ひとの死後、その者たちの魂は、ハデスに存在するのか、しないのか」という命題を掲げて長い考察を始めることになる。

  『パイドン』(70-c)十五から三十四までを図式的にまとめてみよう。

 ひとの死後、その者たちの魂は、ハデスに存在するのか、しないのか。

    ↓

 死せる者から生きる者がふたたび生ずるのだとすれば、われわれの魂はハデスにある。

   ↓

 およそ生成をもつかぎりのすべてのものについて、万物の生成はどのようになされるか。

   ↓

 反対関係のあるかぎりでのものどもは、一方の生成は反対である他方のものから生じる。

   ↓                  (美しいものと醜いもの、正しいものと不正なものなど)

 反対関係にあるものは相互から生じる。そこには相互へのそれぞれの生成過程がある。

   ↓

 死にゆくことに反対の生成過程はよみがえることである。円環構造。

   ↓

  われわれが学び知るというのは、じつは想起(アナムネーシス)にほかならない。

    ↓

 ひとが何かを想起するということがあろうなら、そのものを以前に知っていたはずだ。

   ↓

 竪琴を見て持主を思考のうちに捉える。これが想起だ。忘れてしまった事柄についての経験。

   ↓

 画かれた馬、竪琴を見てひとりの人間を想起することもある。

   ↓

 想起は類似したものから起こる場合と、類似していない場合から起こることもある。

   ↓

 という何かがあると主張するかどうか。等しいものを見てを思い浮かべた。

   ↓

 等しいものどもというのと、〈等しさ〉そのものとは同じではない。

   ↓

われわれは〈等しさ〉そのものというのをあらかじめ以前に知っていたのでなければならない。

   ↓

「A」を見て「B」を思い浮かべるかぎり、類似したものであってもそうでなくとも想起である。

   ↓

われわれは生まれる以前に〈等しさ〉そのものの知識を得たのではないか。

   ↓

〈美〉や〈善〉、〈正しさ〉、〈敬虔〉などについての知は生まれる以前から得ていた。

   ↓

すでに知識を得ていて誕生の時にも忘却せず知ったまま生涯を通じてその知識をもちつづけるのか。それとも、生まれてくるときに失ってしまい、後になって感覚を使ってふたたび捕らえ直すのか。その場合は想起と呼ばれる。

   ↓

 何かについて知の状態にあるなら、それを定義することができるのではないか。しかしそれはソクラテス以外にはいないのではないか。

   ↓

したがってひとはかつて学び知ったものを想起するといえる。生まれる以前に魂は存在していたことになる。

    ↓

 魂は、人間というもののうちに存在する以前にも、肉体から離れて、知をともないつつ、存在していた。

   ↓

美とか善とか、存在の本来的なものがあるとするなら、それぞれの存在の中にある似像として、以前からわれわれのものとしてあるものを感覚で捉えられるものを遡行させていく。

   ↓

 死後もなお魂は存在するという論証はまだ完全ではない。(シミアスからの反論)

   ↓

 魂が肉体から出ていくとき、風に吹き飛ばされちりちりになってしまうのではないか。(ケベスからの反論)

   ↓

 散り散りになるという状態はどのような種類のものにふさわしいか。人工的に合成されたもの、自然に合成されたものでは分離・解体はある。しかし多から合成されたものではないものにはそれはない。常に同一性においてあり、同一のあり方をたもつものは他から合成されたものではない。つねに同一性においてあるものについては思考のもつ純粋な推理のはたらきによる以外は、他の手段はこばまれている。見えるものではない。〈見えざるもの〉の方は、つねに同一性においてあり、〈見えるもの〉の方は同一性をもたない。

   ↓

 肉体は〈見えるもの〉、魂は〈見えざるもの〉である。

   ↓

 感覚を通じての考察は肉体を通じての考察であるであるから、同一性においてないもののほうへと、魂は肉体に引きずられていく。魂は彷徨し混乱する、めまいをおぼえるのではないか。

   ↓

魂が自らにおいて考察するとき、純粋のもの永劫のもの、不死であり不変なるものへと赴き、つねにかのものへと共にありつづける。かのものとかかわりつつ魂もまたつねに同一性においてある不変のものとなる。〈知〉とよばれるものは、魂のそのような状態にあることを名づけたものある。

   ↓

魂が肉体と一緒にいるとき、自然本性は、肉体に対して隷属し支配されることを命じ、魂には支配し主導することを命じる。

   ↓

魂は神的なものに似ているし、肉体は死すべきものに似ている。魂は知性のみがかかわりをもち一なる形相をもち、分離・解体を受けることがなく、不変のあり方に自己同一性をたもつものが存在する。

   ↓

魂は不可視なものとして、自らに似た不可視な領域、ハデスの(見えざる)邦へとおもむき、善く賢き神のもとに至る。このような魂は肉体から離れ去るや吹き飛ばされ無に帰すことはない。魂は自ら進んでにくたいといっしょにあったこと一度もないから離別のとき肉体に関わるものを引きずっていくことはない。真正の仕方で知を求めてきたそのままに、こころやすんで死にきることを習ってきたそのままに、肉体を逃れて純粋な魂に結集する。知を求めることは、まさに死の練習である。

     ↓

 肉体との交わりと結合によって魂のうちに植えつけられたもの、欲望や快楽に魅了されてきた魂は肉体から離別できるのだろうか。

    ↓

 このような魂は物体的なものに取りつかれているのだ。このような魂は軽やかさを失い、かの見えざるところ、ハデスを恐れこの目に見えるところへ引きもどられてしまう。劣悪な者たちの魂は、碑や墓のあたりを彷徨しなければならない。その彷徨の果てそのような魂にいつまでもつきまとう、かの肉体的なさがの持つ欲望から、ふたたびなんらかの体の中(獣の種族など)へとつなぎとめられてしまうのだ。

    ↓

おのおのの者の行き先は、その者のつねの習いとしてきたものに似通い、それに相応じてくる。公共の市民として徳をおさめた者がもっとも幸福で最上のところへ行く。節制とか正義とか呼ばれているもの、知を求めることの営み(哲学)や知性そのものはこれにかかわることなしに、ただ慣習と習熟から生じた徳を身に

つけた者は蜜蜂や雀蜂、蟻などの種族、あるいは善良な人間として生まれてくることもある。

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哲学に徹し、一点のくもりもなく清浄となって世を立去る者、学びにひたすらな者は神々の一族に至る。知の希求者は愛財家ではなく不名誉や悪評を怖れず、もろもろの欲望をはっきりと遠ざける。哲学と、それがなす解放や浄化に反するような行いはなすべきではないと信じて、それにしたがい、哲学が途しるべするままに、その途のほうへ向かっていくのだ。

    ↓

いかにしてその途しるべはなされるのかという質問にたいしてソクラテスはいう。哲学を学び始めたころは魂は肉体に縛りつけられていて、肉体を通じてでなければ存在するものを考察できない。この囚われの状態を作り上げているのが欲望である。このような状況にある者の魂を哲学がひとたび傍らに引き取れば、励ましの言葉を与え、縛めをとこうとする。視覚的な考察やその他の感覚的考察が魂をあざむく。そこから遠ざかるように勧告する。そこには何一つ真実はない。魂がそれ自身によって見るものは、知性のみのかかわりうるものである。強烈な快楽や恐怖や欲望を感じることによって受ける害悪は、知を愛する者であれば自分自身から遠ざける。病気にかかることや財産を使い果たす以上に最大の害悪をこうむることをひとは知らないでいる。

    ↓

人間の魂は激しい快楽や、あるいは苦痛を感じると、そのよう感覚をもたらしたものごとを真実であると信じ込まされている。それらは可視的なものである。快楽や苦痛は魂を肉体に釘付けしてしまう。魂は肉体の肯定するところを真実であるとみなす。なぜなら肉体と思いをともにし、同じことに悦びを見出していると、魂は肉体と同質になるからである。魂自身が肉体のさがをおびたものとなってしまうのだ。

    ↓

そのような定めゆえ、学びにひたすらな者はみずからに慎みを保ち、自らに勇気ある者なのである。知を求める人の魂は、情念の動きにはつねに凪の状態を考え、ただ思惟の働きのみに従い、そのうちにあって真実であり真実であるものを観照し、そのものよって養われ、生ある間はかくも生きるべきであり、死せる後は自らと同族であるもののほうへと到り、そのような神的である存在のもとへと到りついて、人間的な諸悪から離脱し終える。従って、肉体から離れ去るとき、魂は吹き飛ばされたり、引き裂かれ飛散することはない。

 

白鳥の歌―かの白鳥たちは、自らの死期がきたと感知すれば、平常にも無論歌うことはあるものの、そのいまわの

際の歌声は取り立ててはげしく、また際立って美しくもある。(『パイドン』84―E)

 

 ここまでソクラテスが語り終えると、沈黙がつづいたが、シミアスとケベスがなにかを言い出しかねている様子を察したソクラテスは、これまで語られた議論に反撃があれば語るように促す。するとシミアスは「いまは(ソクラテス)の不幸な時でもあるから、面倒をかけるのは躊躇っている」という。するとソクラテスは、現在の事態(ソクラテスの最期)を自分は不幸と思っていないと述べ、死期を感知した白鳥の話をする。

 白鳥は自らの仕えまつるアポロン神のところへいくことを悦び激しく歌っているのであり、人が考えているように、死を嘆いたり苦痛を感じたりして激しく鳴いているのではない。ソクラテスは自分も同じように、「ハデスの邦における善事を予知して」、「白鳥たちと同じ主に仕える者」であれば「白鳥たちに劣らぬ預言の術を、あらかじめ神からさずかっているのであり、けっして暗澹たる気持ちでこの世を離れ去るのではない」と語る。そのように聞いてシミアスは反論を開始する。

 肉体は反対的諸性質がつくりだすところの一種の緊張関係にあるとして、魂はそれらの諸要素の調和と考えられる。そうであるなら、肉体が病やその他の災悪によって弛緩させられたり緊張させられたりする時、魂は滅び去らねばならないのではないか。それに対して物体の残骸の方は焼かれるか腐敗するまで長期間形をとどめる。つまり魂の不死はどのように主張したらよいのだろうか。これがシミアスの反論である。ソクラテスはシミアスの反論に答える前に、じっくり考えるために時間が必要であるから、ケベスの反論を聞いてから答えることにしようという。

 ケベスの反論は次のようであった。「われわれの死後もなお魂はどこかに存在する」という論点に対して反論しようとする。年老いた機織師が滅び去ったとき、着用していた衣服は残されている。機織師は何度も衣服を着つぶしてはまた織りつづけ、最後の衣服が滅び去るより先に彼は滅び去るという場合を考える。魂というものは、数多くの肉体を次々に使い古していくのであるが、最後の着物だけは後に残して魂は先に滅び去るのが必然である。そうであるなら魂がわれわれの死後もどこかに存在しているという言論は正当ではないであろう。死後も魂は何度も輪廻を繰り返し生まれてくるに絶えるほど強靭であろうとも、数多くの生成を繰り返すうちに疲労してやがて滅び去る時がないとはいえないのではないか。従ってひとが死に直面するとき、つまり魂が肉体から分離するときに、魂が完全に滅び去るのではないかという怖れを抱かなければならないのは必然である。これがケベスの反論である。

 二人の反論によって、ケミアスの魂の調和説とケベスの魂の疲労説、それらと矛盾する魂の不死説が浮彫りになったのである。事後にエケクラテスに語るパイドンのソクラテス礼賛は、シミアスとケベスの議論を好意と賞賛をこめた態度でソクラテスが心地よげに聞いていたことにあった。そしてソクラテスの素晴らしい反論が始まるのであった。

 われわれが用心しなければならない、ひとつのこころの情態(病い)がある。それは言語嫌い(ミソロゴス)であるとソクラテスはいう。言論を憎むようになるというのは、こころの情態のうちで最悪のものであるからだ。人間嫌い(ミサントローポス)と類似的なものである。ある人間をすっかり信用し、信頼できる人間と思い込み、しばらくしてそうでないことを知る。また別の人間に同じことを繰り返す。そうしているうちに、万人を憎むようになる。最初に人間についての心得(テクネー)をもたなかったからである。まったくよい人やまったく悪い人は数が少なく、中間にある者が多数を占める。人間と言論が類似しているというのはこの点にはなく、言論というものに対する心得なしにまことの言論と思い込み、まもなくそれがいつわりだとわかり、また別の言論で同じことを繰り返す。「その混迷の原因を自分に帰せず、みずからの心得のなさにも帰着させずに、ついには苦しみのあまりに、自分自身の責任を言論のほうへと転嫁して、いい気になってしまうというのはね! そして、そうなってしまえば、以後の生は、すべて言論を憎みののしりながら始終することとなり、存在するものの真実と、その知識にはあずかりえぬ者となってしまうのだ」(『パイドン』90-D)このように言論に対する注意を促した後で、ソクラテスは反論を開始した。

 シミアスの反論をソクラテスは要約してみせる。「肉体よりも、魂のほうが神的であり、より価値の高いものであるにしても、魂というのは調和の一形態であるとする以上は、それは肉体よりも先に滅んでしまうのではないか」という点を確認する。ケベスの反論も同様に要約した。「魂は、なんどもかず多くの肉体を着つぶした後に、いちばん最後の肉体をあとにのこして、こんどは魂自身がさきに滅んでしまうのではないか」という点を確認する。そこから哲学的問答が始まるのであった。

  学知は想起であり、そうであれば必然的に、われわれの魂は、この肉体のうちに縛りつけられる以前にどこかに存在していたことになる。(『パイドン』92)

 ソクラテスは右のことをケベスとシミアスに確認する。彼らは承諾する。そしてシミアスにいう、調和とは多から合成されたものであり、魂は一種の調和だとし、肉体における緊張から合成されたものであるというシミアスの考えは、魂は人間の肉体にいたる以前にも存在していたという主張を認めていながら、そのときに存在していなかった諸要素(肉体)から構成されているということと矛盾するとソクラテスは指摘する。

魂の調和説と学知の想起説の矛盾を指摘したといえよう。シミアスは自分の考えは多くの人々に見かけのよさだけで同意されているので自分も同意していたに過ぎないことを認めた。いくつかのもっともらしさを挙げるだけで論証したかのように見せかける議論の危険性を問題にしている。しかしソクラテスは、魂の調和説と想起説は否定したものの、それだけで終えずに魂の調和説そのものの否定を試みる。存在のあり方はそれを構成するさまざまな要素のあり方と異なっていない。だから、その構成物が何かに作用を与えたり受け取ったりするとき、その構成要素が作用を与えたり受け取ったりするのである。したがって調和が構成要素を導くというのは間違いである。調和というものはどのように調和されるかが重要であり、強い調和や弱い調和というものがあるということは魂において起こることはない。魂は知性と徳を備えている場合に「よき魂と呼ばれ、無知と悪徳を伴う場合、あしき魂である。魂の調和説をとなえる人たちは、よき魂は調和されたものであり。あしき魂は不調和であるものといえるのだろうか。程度の強弱は魂には決してなく、調和されるとき、つねに等しい程度に調和にあずかるのである。したがって悪徳は不調和であり、徳は調和であることになる。もし徳が調和であるとするなら、いかなる魂も悪徳はあずからないことになる。このような論理展開からすれば、すべての魂はよき魂ということになる。魂が支配して肉体的なもろもろの情態に同調してなされることはない。熱があって飢えているとき飲まないように強いたり、食べないように強いたりする。魂は肉体を導き、統帥するものであり、調和でなくもっと神的なものであるとして、シミアスの主張する魂の調和説をソクラテスは根底から否定したのであった。

 アナクサゴラス批判

 ソクラテスはケベスの疑問に答える前に準備段階として、次のような議論を始めた。一般的に、ものが生成し消滅することについて考える場合、原因・根拠となるものを究めなければならないとし、ソクラテスは自分の経験してきたことを話し始める。ソクラテスは若い頃、『自然についての探究』と呼ばれる知識を求めることに熱中していた。われわれが思考するのは、頭脳が聴く見る嗅ぐなどの感覚をわれわれにもたらし、それらの感覚から、記憶と思いなしが生まれ定着すると、そこから知識が生成する。またそれらがいかにして消滅するかを考察したが、ソクラテスは自分がこのような探究に以下に向いていないかを思い知る。例えば、人が大きくなるのというそのことは、何に原因し根拠づけられているのか、ということがある。以前には飲食によってであると思っていた。肉に肉がつき、骨に骨がついて小さいかさであったものが、大きいかさになる。つまり小さな人が大きな人になる。さらに十が八よりも大きいとか、一たす一は二になるとかの原因は集まるということが原因であり、一を分断することは反対に離されることが原因である。そもそも一が生じる原因は何かと自分は知っていないのだとわかった。ものが生じたり消滅したりするのは何が原因・根拠となるのかを考えたとき、右のような考えでは納得がいかないので、別の方法を考えようとソクラテスはいう。ある人がアナクサゴラスの書物から学んだ、次のような言葉をソクラテスに教えてくれたという。

 すべてをひとつに秩序づけ、すべての原因となるものは、ヌッス(知性)である。(アナカサゴラス)

 ソクラテスはそれを聞いて、ヌッス(知性)が秩序づけているからには、「いかにあるのが最善なのか」という仕方ですべてに秩序を与え、しかるべくすべてを置いているはずである。したがって「いかなるありようにおいてあるのが、そのものにとってもっともよいのかということを見出すことがよいとソクラテスは考えたのである。それは、最高の善とは何かということである。悪も同じように知るだろう。両者は同識に属するのである。このようにしてソクラテスはアナクサゴラスをすっかり信じるようになった。ヌッス(知性)のよって、すっかり秩序づけられているとすれば、現にあるような仕方であることがそれらにとって最高の善であるという原因以外に考えられなかった。ところがソクラテスは、アナクサゴラスの書物を読み進めるうちに、ヌッス(知性)は役に立たず、空気やアイテールや水などを持ち出し説明を始めたとき、突き放されたような思いになった。アナクサゴラスは、物体は無限に小さく分割されうると考え、最小の構成要素を「スペルマタ」と呼んだイオニア出身の哲学者である。その無数のスペルマタが知性のよって整理され秩序が生まれたと考えた。デモクリトスの原子論の近いが、知性を措定するところが大きく異なる。原子論では者を分割してこれ以上分割できないものを原子とする。「原子論における世界の真実とは、物質の構成要素である原子とそれが運動する虚空間があるだけで」、「知覚と価値を無関係にして世界の基本的なあり方を考えた」(藤沢令夫『ギリシア哲学と現代』)のである。アナクサゴラスにしろデモクリトスにしろ、科学的な思考へ向かう思考である。これに対してソクラテスの、〈現にあるような仕方で、あることが、それらにとっての最高の善なのだ〉という考えとは相容れないことは明白である。「ヌッス(知性)によって、すっかり秩序づけられる」と主張するアナクサゴラスに期待したが結果的に失望したのである。『パイドン』の訳者の補注Ⅱによると、「aというヌッス=原因と、bという必須条件でしかありえないものの区別」が問題であり、「プラトンにとって大切なことは、aというヌッス=原因は必ずcという『善』による決定ということと結びついていなければならないことであった」。そこからソクラテスは「第二の航行」(アナクサゴラスのような自然哲学者の説以外の考察)といわれる「イデア原因説」を展開させる。

 

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アルクレピオスに雄鶏一羽の借りがある。『自己への配慮と詩人像』(十四回)「ヒーメロス」22号

2012年11月06日 | 連載エセー「自己への配慮と詩人像」からの

小林稔・季刊個人誌『ヒーメロス』22号 2012年10月12日発行

長期連載エセー『自己への配慮と詩人像』(十四回)

42 アスクレピオスに雄鶏一羽の借りがある。『パイドン』その二

 

 なぜソクラテスは政治に携わらなかったのか

『ソクラテスの弁明』においてソクラテスは、アテナイの市民たちとの関わりを説明する。彼らに対して父親あるいは兄のような役割を果してきたが、公の場では民衆の前に立ち、助言を与えてこなかった、つまり政治的役割を引き受けてこなかったことを述べる。「危険にもかかわらず脅威にもかかわらず、都市国家のために都市国家のために立ち上がることを承諾する者、そして場合によっては、死のリスクを冒しながら真理を語る者のことが、政治的パレーシアが念頭に置かれている」(フーコー)ということを示しているのであり、ソクラテスが真理を公の場で語らないことをいかに正当化できるかが問題になる。ソクラテスは自分が政治に携わらないのは、彼が真理を公の場で語ることを思いとどまらせる神霊(ダイモーン)の声を聞いたからだという。しかし、「もし私がずっと前に政治に身を投じていたとしたら、私はとっくに命を落としていたであろう」とソクラテスは述べる。ソクラテスは自身が経験した二つの令を挙げる。一つは紀元前四〇六年のアルギヌサイ島沖の海戦で勝利をしたとき、遺体を拾い上げなかった将校たちを民会が訴えた折、民会が全員一致で有罪判決をしたときソクラテスは反対投票をし、「拘禁と死を恐れて諸君の不正の意志の手を結ぶよりも、法と正義に与して危険を冒すことが私の義務であると考えたのだ」とソクラテスはいう。この発言は、ソクラテスが師の危険を冒してパレーシアを行使したことを主張するものであるとフーコーは指摘する。もう一つの例は、紀元前五世紀の終わりにアテナイで三十人僭主による寡頭制の体制下、僭主がサラミスのレオンという名の市民を不当に告発し捕まえようとしたとき、四名の市民にその逮捕を実行するように命じたが、その中の一人がソクラテスであった。しかしソクラテスは従わなかった。「自分が死を全く気にかけていないこと」、「不正や不敬虔は決して行なわないようにしたいと考えてそれを何よりも気にかけているということを、言葉によってではなく行動によって示した」とソクラテスは弁明する。寡頭制のこの例ではパレーシアは不可能であるが、同じやり方で危険を受け入れたのである。しかし、二度にわたって命を落とす危険を受け入れたことを語ることが、公の場で発言せず、政治に携わらない理由にならないだろう。命を落とす危険を恐れたのは、たんに自分の命を落とすことではなく、アテナイの人たちに自分が有用であることができないからである。フーコーは「そのポジティブな任務とソクラテスが授かっていた責務とを守るという効果をもたらした」のが神霊(ダイモーン)の合図の機能であったのだと指摘する。神がソクラテスに託した使命を守るために送り返された合図だからであるとフーコーはいう。この神による介入にはいかなるポジティヴな任務がありそれを守るのか。その任務とは、「政治的舞台に場をもつことのありうるような様式とは全く異なる真理陳述のある種の様式の実現」であり、「哲学の〈晨なることを語ること〉の創設をしるしづける」ものだとフーコーは説く。政治的なものから離れたこの〈真なることを語ること〉の真理陳述とはいかなるものかを、ソクラテスの授かった使命の契機とは何かを考えるとき、フーコーは三つの契機によって図式化できるという。第一はアポロンの預言との関係である。友人カレイポンがデルフォイの神に、「ソクラテス以上の知者は誰か」と訊ねにいったところ、「ソクラテス以上の者はいない」と神は答えたのであるが、神の言葉はいつも謎めいたものであり、友人にもソクラテスにもその真意は理解されない。注視すべきは、ソクラテスがその言葉にして解釈を施さず一つの探求を企てることであるとフーコーはいう。それは、信託の解釈をすることなく異論を唱え、いろいろな人々を訪ね歩き検証し、異論の余地のないものであるか、真理であるかを検証する。通常では神託を解釈し、実現を待つか、不幸の預言であれば回避しようとする。つまり、通常は「解釈と待機」の態度であるのに対して、ソクラテスの態度は「探求と試練」であるとフーコーは説く。

 第二の契機。具体的にどのように検証のための探求をするのか。まず一人の政治家を訪問し、次に詩人、最後に職人たちである。いろいろな分野の個人ないしは市民を訪問するが、そうするにつれて判ることがあった。「無知な政治家であろうと物知りの職人たちであろうと、共通しているのは、彼らが、実は自分が知らないことについて、自分はそれを知っていると思い込んでいる」ことにソクラテスは気がついたのである。しかしソクラテスは、自分が知らないことについて、それを自分が知らないということを知っている」がわかる。自分との比較において吟味し、試練にかけ、ソクラテスの魂と対決させること」であるとフーコーはいう。

 第三の契機。このような検証は敵意を招くということ、そしてソクラテスは引き留まることはなかったことをフーコーは指摘する。「多くの人たちの中傷と嫉妬がわたしに罪を負わせ」、「それでもソクラテス、君は恥ずかしくないのか、そんな日常を送って、そのために、いま死の危険にさらされているのは」というソクラテスが想像した世間の反論に対して次のようにいう。

 君の言うことは感心できないよ、君。もし君が、少しでもひとのためになる人物なら、いやしくもことを行なうに当たって考えなければならないのは、それが正しい行いとなるか、すぐれた善き人のなすことであるか、あしき人のなすことであるかという、ただそれだけのことではなく、生きるか、死ぬかの危険を勘定に入れなければならないなどと思っているのだとしたらね。(『ソクラテスの弁明』28-b)

 このように見てきた真理陳述は政治的パレーシアとは異なりソクラテス独自のものであるとフーコーはいう。神から托されたソクラテスの使命とは何か。神(ダイモーン)によって政治的行動を止められたのは、命の危険からであった。彼個人の命の危険ではなく、彼を失うことはアテナイの損失であるからであった。彼の使命とは、他の人々に対して父親や兄のように気を配ることである。彼らが「自己に配慮する」ように気を配ることである。自己に気を配る自己を定義するものは、プロネーシスとアレーテイアであるとフーコーはいう。前者は実践的な理性であり後者は真理である。アレーテイアにプロネーシスが結びつきよい判断がなされたとき、真理に対する関係が魂の本性のうちで存在論的に基礎づけられていることになるとフーコーは説く。これがソクラテスが神から托された使命であるが、「各個人が、自らの魂の存在そのものに基礎を置く一つの関係を真理との間に結ぶ理性的存在としての自己に専念するようにすること」であり、パレーシアが求められ、「そこから出発して理性的な行いが魂の存在そのものに応じて定義されうるようになる原理として、エートスを創設すること」が新たな形態におけるパレーシアであるとフーコーは主張する。政治的真理陳述は探究の実践ではなく、勇気を持って民会や僭主に耳を傾けさせ、自己に専念するようにさせることではなく、なすべきことを語るだけで、人々が持つ真理との関係は彼らに任せてしまうものであるとフーコーは指摘する。政治的ではない、もう一つの〈真なることを語ること〉の実践をソクラテスはするが、また別の危険に身をさらすことになるのである。先に「〈真なることを語ること〉の四つの根本的な形式」として述べた、つまり、預言者の〈真なることを語ること〉、賢者の〈真なることを語ること〉、教師や技術者の〈真なることを語ること〉、パレーシアステースの〈真なることを語ること〉、これらが『ソクラテスの弁明』ではすべて登場する。パレーシアステースであるソクラテスは、自分の使命がどのようなものであるかを定義するため他の三つの真理陳述との差異化を示しているとフーコーは要約する。

一、預言について。神の預言を出発点としパレーシアの使命を果す。ソクラテスの取った行動は探求と調査であるから、「預言的真理陳述が真理の領野へと移し替えられたことを意味する。

二、賢者について。ソクラテスは「天上および地の底で起こっていることを知ろうとして、弱論を強弁する」という不敬虔を挑発される。それに対して「自分が専念しているのは、知恵の言説の対象およびその領域をなすものとしての事物の存在や世界の秩序ではない」と否定し、魂の試練を語る。ここではソクラテスのゼーテーシス(探求)と賢者のゼーテーシスの対立を描いている。

三、教師や技術者について。ソクラテスは自分が探求したことを教えようとしているという糾弾に対して弁明する。自分がソフィストや教師と違うことを主張する。彼らは自分が知っていると信じていることを伝達するが、自分は無知であり、彼らが知らないということを伝達するために、自分に専念しなければならないことを示すだけであるとソクラテスは反論する。

 右でフーコーが指摘したことは、預言、知恵、教育に対する批判であり、パレーシアの真理陳述に付随する危険に対して勇気が必要とされることである。その勇気とは、政治的パレーシアの形態のもとで行使される、哲学的パレーシアのそれであり、国家にとって有用であるがゆえにソクラテスが自分の命を守るのは国家の利益のためなのであると指摘する。

 

 国家は両親や祖先よりも尊いものである

 ここでこの壮大なプラトンの対話篇『パイドン』の冒頭部から問題を整理してみよう。この対話篇はソクラテスの死の場面にいあわせたパイドンが、後日友人エケクラテスに語る話として全体の構成がなされているのだが、パイドンの話によると、死を直前にしたソクラテスは悲しむ友人たちを前にして、「自若とした態度で、気高くも死につかれた」ようであったと語られる。なぜこうも自らの死を恐れなかったのか。二つの理由、つまりプラトンは『クリトン』から国家について、『パイドン』からは哲学(知を求めること)について、その理由をソクラテスに語らせている。前者では、自分が不正な目にあっても仕返しをし不正を行ってはならいことが主張される。ソクラテスが起訴されたことは不正であった。ソクラテスに有罪を宣告したのは国法である。その不正を犯した国家に対して承諾なく脱走することを勧めるクリトンにソクラテスは次のように反論する。私たちに生を与えたのは私たちの両親であり、その婚姻を認めたのは法律である。それに不服であるという理由で仕返しをすることはよくないことである。国家のもとで私たちの両親も生まれ、養育され、教育され敵たことは否定できないことである。父親に対しても国家に対しても対等の権利は存在しないのである。打たれたから打ち返すというような権利は存在しない。国家と祖国を破滅に導こうとするのは徳を心がける人のすることではない。さらに両親や祖先より祖国は尊いものである。何かを指令されれば受けなければならない。国家と祖国が命じることは何でもしなければならない。そうでないのならば、本来の正しさを満足させるようなやり方で説得しなければならない。脱走を勧めるクリトンにソクラテスはこのように説得する。さらに続けて、国法はすべての国民によきものを分け与えた上で、もし国法が気に入らないのであれば、他の場所へ出て行く自由を公示しているのである。国家に服従せず、説得もせず、国外へも行かず、一旦下された判決に判決が不正であるからといって監獄を脱走するような不正な行為は許されるべきでない。ソクラテスが祖国アテナイを他の誰よりも気に入っていたこと、上記のような国家の取り決めに誰より強く同意していたこと、出征以外はアテナイを離れることはなかったことが述べられる。ソクラテスには二人の息子がいたが、それはとりもなおさず、この国アテナイが気に入っていたことを示している。さらに今回の裁判では死刑のほかに希望次第で国外追放を申し出ることができたのに裁判で死刑に同意したことを挙げる。人間にとって最大の価値を持つものは徳であり、なかでも正義であり、しきたりであり、国法であるとソクラテスは日頃から論じてきたのである。それが国外に追放されてきたとなればソクラテスのエートス(行為)は信用させないであろう。子供たちのことを考慮し生きることも、正義という一大事に比べれば二の次である。いずれにしてもソクラテスがこの世を去るのは不正な目にあわされた人間としてであるが、それは国法による被害ではなく世間の人間から加えられた不正である。クリトンの提案にのってはいけない。このようなことがソクラテスの脳裏に聞こえてきた国法の言葉としてこれらを述べ、クリトンの思いやりに感謝しながらも強く戒めたのである。これが死を目前にしたソクラテスが死を恐れなかった理由の一つである。もう一つの理由として、知を求める人の、死を恐れぬ理由が『パイドン』において展開されている。その話の中には直接ソクラテスの死とは関係しないくつもの大切なテーマが埋め込まれているので、長くなるが話の筋道を順に追ってみよう。

 

 知を求めるひとは死にゆくことをつとめとする

ソクラテスの死の現場にい合わせたケベスは、ソクラテスが詩作をしているということを耳にした友人エウエノスから、その理由をソクラテスに聞いてくるように頼まれたことを告げ、ソクラテス自身からの説明を待つ。この問題は一見死を恐れぬソクラテスとは無関係のようであるが、議論が進むうちに魂の問題に運ばれていくのである。ソクラテスは詩作をする理由を次のようにいう。これまでにいく度となく同じ夢を見た。その都度異なる姿をした者が、「ソクラテス、ムッサイの術をなし、それを仕事とせよ」という。それまでソクラテスは哲学に励むこれまでの行為についていわれたと解釈していた。「知を求める営みこそ最高のムッサイの術」と思っていたからである。『パイドン』の註で、「ムッサイの術」を文芸や音楽という言葉で置き換えられない意味を持つと訳者松永雄二氏はいう。それによると、「肉体のために体育術があるごとく、魂のためにムッサイの術がある」と『国家』で語られているように、技芸・文芸のすべてをおおい、ほとんどパイデイアー(教養)という言葉と同じ意味であったと松永氏は説明する。哲学(ピロソピアー)は、魂の形式にあたって、一般の文芸・教養の究極にあるものであり、その最高のものだという意味で語られたと説く。私はこの考えに今日の文学状況を考えるならば、そうあるべきものであると思う。ソクラテスは、死刑の宣告を受け進行を待つ時となっては、ムッサイの術とは一般的な意味の文芸の方、つまり詩作を意味するのではないかと考えた。その夢に従い、詩作をしきよめられたものとしてこの世を去るのがよいであろうと考えるようになった。「詩人というものは、ほんとうにつくるひと(ポイエーテース)であろうとするなら、事実(ロゴス)をではなく、むしろ虚構(ミュートス)をこそ、詩としてつくるべきなのだ」と思ったが、「私」には虚構を作り出す才はない」のでアイソポスの物語を用いて詩を作ってみたというのであった。ケベスへの返答を終える、とエウエノスに「物事のことわりを知る健やかさがあるのなら、できるだけ早く、私の後を追ってくるように」と伝えてくれとケベスにいうと、側にいたシミアスは驚く。「わたしのあとを追う」ということは死を意味する。エウエノスが知を愛するひとであるならそうするだろうとソクラテスはいうのである。しかし自ら命を絶つことは神に許されざることなのでしないだろうと、ケベスがいう。「自分が自らに死を強いるのは、神に許されざることであり、しかもまた、知を求める者であれば、死にゆくひとのあとを追うことを願う」とはどういう意味なのかをソクラテスに問う。それに対してソクラテスは返答する、「われわれ人間の生は、なにものかの見張りにおいてあり、その見張りからわれわれは自らを解き放ってはならず、逃げ出すことも許されない」と秘教的な言説をソクラテスは挙げる。「われわれを配慮したまうのは、神々であり、われわれ人間というのは、神々にとっての所有物(牧畜)のひとつにすぎない」という意味ではすぐれたことばであるとソクラテスはいう。自分の牧畜がかってに自分を殺害するなら神々は腹を立てるだろう。それが自殺はすべきではないという理由である。しかし知を愛する者はすすんで死を迎えるのはなぜか。思慮のある人間ならばすぐれた者(神々)のもとにいることを欲するのではないか、神々のもとを立ち去るというのにソクラテスは平然としていられるのはなぜか、というケベスの疑問に対して、ソクラテスは説明する、「これから自分のおもむくかしこには、第一に、この世を統べたまう神々とは別の、賢くもまたよき神々がいますこと、ついでに、この世に生をもつ人々よりも、さらにすぐれた死者たちが、そこには待っているという」のだと。「よき者には、あしき者よりも、はるかにすぐれた何かが待っている」といまやその期待に満たされているとソクラテスはいう。それではなぜ、知を愛することに一生をすごしてきた人間は死に直面しても恐れを抱くことなく、死後の世界で最大の善を受けるであろう期待に包まれているのか。その理由をソクラテスはいう、「知を求めることに、まっすぐに結びついているひとは、ほかでもなく、ただ死にゆくことを、そして死にきることを、みずからのつとめとしている」と。なぜなら死とはからだから分離されて、魂だけのものになることである。知を求めるひとはさまざまな快楽に熱中することはなく、そのようなひとの思いをいたすところは、肉体の上にはなく、可能なかぎり魂へと向けられている。「魂をできるだけ肉体との交わりから解きはなそうとしていることが、明らかになるのではないか」、「まったき死にほとんど一歩というところまで来ている」とソクラテスはいうのであった。

 

 知(プロネーシス)の獲得

見ること聞くこと、つまり肉体の持つ感覚は何かの真実を示すことがあるのだろうかという問いをソクラテスは投げかける。詩人たちのいうように見ること聞くことは正確なものでもなければ明晰なものでもない。そのほかの感覚はもっと劣ったものであろう。それでは「いつ魂はあることの真実に触れるのだろうか。」肉体と共に何かを考察しようとすると魂は欺かれるのだから、「魂に、まさに存在するものの何かがあきらかにとなる場がどこかにあるとすれば、それは思惟のはたらきのうちにおいてではないだろうか」、思惟のはたらきはというのは、肉体と接触することもなく、ひたすら、〈存在〉そのものにそれがいたろうとするときにこそ、最美の仕方でなされるのではないだろうかとソクラテスは説明する。「知を求めるひとの魂は、肉体から逃れ、みずからのみにおいて魂自身となることに努める」のであり、なにか〈正しさ〉ということが、それそのものとしてあるのだ。〈美しさ〉や〈善〉についても同様であるとソクラテスはいう。「もしもわれわれのうちに、みずからの考察の向かうべきものとした、そのおのおのを、まさしくそのものとして思考しようとする態度を、最大限にまたもっとも正確におのがものとしているようなひとがあれば、そのひとこそが、まさにそのおのおのを知ることに、もっとも近くまでいたりうるのではないだろうか」とソクラテスはいう。純粋に何かを知ろうとするならば、肉体を離れ魂それ自身によってことがらそれ自身を観なければならない。そうであれば知の獲得はわれわれの生きている間はなく、あるいは死後において可能となるとソクラテスは説く。肉体と共に純粋に知識することはできないのであれば、神が肉体との絆を最後に解き放つのを待ちつつ、「浄化の途」を取り続けなければならないとソクラテスはいう。ここには「魂の浄化」を説くピュタゴラス派―オルペウス教伝統の影響が見られると訳者は指摘する。「魂の、肉体からの解放と分離が、死と名づけられている」という言葉がソクラテスによって語られ、知を愛するひとは死にゆくことを勤めとする理由が示されたのである。それゆえ勇気と名づけられる徳は知の希求者にこそ帰属するものであると語られた。

 

 祭杖(ナルテコス)をたずさえる者

 知を求める者の勇気という徳に言及した後で、ソクラテスは節制という徳を考察する。節制とは欲望に打ち勝ち、節度ある生を送ることをいうが、肉体を軽視して知の探求に生きる者にふさわしく帰属するとソクラテスはいう。彼は一般の人たちが考える勇気や節制という徳と知の探求者に帰属するそれらを比べたときの大きな相違を述べる。一般の人たちは死を大きな禍悪と考え、死よりもさらに大きな禍悪への恐怖から死を甘受する。つまり怖れることが人を勇敢にし、恐怖ゆえにすべての人は勇気があるということになる。勇気があるのは恐怖や臆病によってであるというのは理に合わないではないかとソクラテスはいう。節度のある人々についても同様で、彼らはある種の放縦さのゆえに節制であるといえる。「そういうひとびとは、別のある快楽を奪われるのをおそれ、それを熱望するあまりに、他の快楽をしりぞける」からである。「ある快楽に打ち負かされて、他の快楽に打ち勝つということ」であり、〈徳〉を手に入れる正しい交換とはいえないのであり、「それとの引きかえにこそ、すべてを差し出さねばならないものというのは、たた〈知〉のみ」であるとソクラテスはいう。すなわち〈知〉を唯一の価値基準としてすべてのものが売買されるならば、勇気や節制や正義という真実の〈徳〉が生まれる。「〈知〉とは、まさにそれ自身、その浄化の秘儀となるものではなかろうか」とソクラテスは結論する。「祭杖をたずさえる者は多くあれど、真にバッコス神のともがらはかず少なし」という秘儀に関与する者たちの語る名句を引用し、真にバッカス神のともがらである者とは、真正の仕方で、知を求めるいとなみ・哲学に徹した者以外にはいないとソクラテスは主張する。訳者の註によると、祭杖(ナルテコス)をたずさえる者とはディオニュソス神を崇拝する者たちの意味であるという。このような理由から、この世を統べたまう神々から離れ、かしこにおいてよきあるじの神々に出会い、よき仲間たちにも出会うであろうと信じているので、死に直面しておそれることなく、かしこへの旅立ちによき希望がともなうのであるとソクラテスは述べた。

 

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