ヒーメロス通信


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評論集「来るべき詩学のために(一)」小林稔についての自註

2015年03月20日 | 井筒俊彦研究

評論集『来るべき詩学のために(一)』についての自註

小林 稔

  

昨年(二〇一四年)上梓した拙書『来るべき詩学のために(一)』の「はじめに」で、私は「哲学、神学のアナロジーにおいて」詩学を確立させようと書いた。そこにも示したように、その出発点は、ミシェル・フーコーのコレージュ・ド・フランスで一九八二年に行われた講義録『主体の解釈学』(筑摩書房)にある。その講義の冒頭で、フーコーは「哲学と霊性」について述べている。主体が真理に到達する思考形式を「哲学」と呼ぶなら、そのための必要な探求や実践、経験の総体を「霊性」と呼ぶことができるだろうという。主体自身には真理に到達する権利がなく、認識行為によって真理は与えられず、主体に修正を加え、別のものにならなければならない。つまり「真理は主体の存在そのものを問題にする代価を払ってはじめて与えられる」のだという。この立ち返り(コンベルシオン)において現在主体が置かれた条件から引き離す運動をエロス(愛)の運動とフーコーは呼び、自己の変形を可能にする働きかけが考えられたという。そして霊性が真理に到達したとき天啓を与える、つまり主体の存在を完成に導くものであるというのである。ギリシア、ローマの古典古代においては、グノーシス派とアリストテレスを例外として、「いかに真理に到達するか」という哲学的問題と主体の変形という」霊性の実践は結びついたものであったが、それから数世紀を経て、主体が真理へと到達できる条件が認識だけだと認めた日を境に近代に入ったと言えるとフーコーは解く。それを「デカルト的契機」とフーコーは象徴的に名づける。それ以後、真理は受け入れることができても主体を救うことができなくなったのだと主張する。実際はデカルト以前、アリストテレスを基盤にした聖トマスやスコラ哲学において真理から霊性を乖離させる作業が始まっていたのだという。それでは霊性は知からまったく消えてしまうのかというとそうではなく、スピノザの『知性改造論』に霊性の問題は継承されていた。認識の哲学と主体の変容の間に密接につながっていた。十九世紀の哲学、ヘーゲル、ニーチェ、フッサール、ハイデガーなどにおいて、霊性の構造が認識の行為を主体の変容と結びつけられていたとフーコーは指摘する。哲学のみならずボードレールやランボーといった詩人たちの詩において霊性は受け継がれていると私には思われる。フーコーはマルクス主義や精神分析の領野においても「真理への到達としての霊性」という古典古代からの根本的な問題が問いかけられていると指摘する。特に現代の精神分析者ラカンにおいては、「精神分析の内部に、真実に対して支払う代価と主体に与える効果を出現させることで「自己への配慮」の伝統を再出現させたとフーコーは主張している。ギリシアのデルポイ「神託」、「汝自身を知れ」の「自己の修正」に「自己への配慮」を晩年に考察した。

 一方、鈴木大拙の『日本的霊性』を紐解いてみると、「霊性は普遍性をもっていて、……漢民族の霊性もヨーロッパ諸民族の霊性も日本民族の霊性も、霊性である限り、変わったものであってはならぬ」が「霊性の目覚めから、精神活動の諸現象の上に現われる様式には、各民族に相違するものがある」という記述がある。鈴木大拙の霊性とフーコーのいう霊性を比較検討してみよう。フーコーは霊性という語に「スピリテュアリテ」という語を当てる。その意味するところは先に述べた文から理解されよう。鈴木大拙は霊性の定義を次のようにいう。精神と物質という対立概念では矛盾が生じるが、その両者を内包した考えが霊性である。霊性の働きは倫理性をもちだす精神とは異なり、それを超越した無分別者である。「宗教意識の覚醒は霊性の覚醒であり、それはまた精神それ自体が、その根源において動き始めたということになる」。民族によって霊性の様式が異なるがというが、日本的霊性と呼びうるものは浄土思想と禅だと鈴木大拙は考える。外来の仏教がなぜ日本的霊性と言えるのか。鈴木大拙によると、仏教は日本文化財のうち最も世界的意義を持っていて日本的霊性の自覚の顕現であるという。仏教が日本に伝来してから千年以上経てば日本的なものになるに十分な歳月が経過しているといえる。「初めに日本民族の中に日本的な霊性が存在していて、その霊性がたまたま仏教的なものに逢着して、自分のうちから、その本来具有底を顕現した」と解釈する。インドで生まれた仏教は中央アジアを通り、実証第一主義のシナ文化の影響を受けて日本に入ってきた。また仏教は東南アジア方面からも入ってきたから、南方的性格も内包している。つまり日本仏教は北方民族的性格と南方的性格も、インド的直覚力もシナ的実証心理も具有し、日本的霊性が中枢になり、東洋を一つにして動かす思想になったという。それが一方では浄土思想になり、他方では禅として現われたのだと指摘する。それらはシナから日本に来たのであるが、伝来的性格を失って、鎌倉時代に日本的なものになったのだという。鎌倉時代になるまで、日本人は霊性の世界の自覚がなかった。古代の日本人は素朴な自然児で、反省的内観の機会が訪れてなく、平安時代には文化の各方面が華やかに展開したが、享受できるのは社会の上層部に限定されていた。平安朝の四百年は、鎌倉時代の霊性の自覚にとっての準備期間であった。武士の出現とともに「政治と文化が貴族的・概念的因襲性を失却して、大地性をもちえたとき、日本的霊性は自己に目覚めた」とうのが鈴木大拙の主張である。彼の『日本的霊性』について詳細な考察は別の機会に譲ることにして、ここでは哲学、宗教、詩学のアナロジーを指摘するにとどめる。ミシェル・フーコーのいう霊性は、あくまで哲学の領野での分析であるが、鈴木大拙の霊性は宗教の領野である。反対に古代ギリシアの哲学の歩みは、中心には絶えず内圧させながら神々との直接性からの離脱の過程にあると私は考える。しかし両者の霊性に共通するものは、「代価」をもって得られるという考えである。哲学にとって得られるものは真理であり宗教にとって得られるものは救済であろう。「いかに真理に到達できるか」という問題に対して、主体の変形を可能にする霊性が古典古代では結びついていたが、西欧においてはキリスト教の神学がアリストテレスを基底とする哲学的思考から霊性を引き離したのである。以後、デカルトにおいて霊性を否定し認識が哲学の主流になり、近代合理的思考が発展していった。

 二

井筒俊彦は『意識と本質』の後記で、七十歳間近になって、実生活だけでなく哲学や思想の世界においても、「ふるさと」という言葉が懐かしい響きを持ち始めたと書く。この書物の始まりは、雑誌「思想」一九八〇年六月号から一九八二年二月号に原稿を依頼されたことによる。一九六九年にイランの王立アカデミー教授としてイランに滞在し一九七九年のホメイニによるイラン革命が勃発しため帰国することになった。その翌年から『意識と本質』の「思想」への掲載が始まったことになる。帰国を余儀なくされた彼であったが、「後記」を読むと、若いころからヨーロッパの文学と哲学に強く傾倒していたことが知れる。一方で「東洋的なるもの」の関心を持ち続け、おのれの「実存の根」は東洋にあったと、このとき自覚したのだという。それは「自分の哲学的実存の根源」からの新しい出発を決意し、「生涯の転機」と考えたことによる。イラン滞在中から幾度となくエラノス学会に出席し世界の宗教学者と交流があった。そこで西洋人の学者が述べた、「西洋人は東洋の叡智を内側(西欧)から把握しなければならい。そこに新しい『知』の展開の可能性が秘められている」という言葉を聞き、井筒氏は東洋人である自分自身がおのれの哲学的伝統を内側(東洋)から主体的実存的に了解しなおし、「東洋的磁場のなかから、新しい哲学を世界的コンテクストにおいて生み出していく努力をし始めなければならない」と思ったという。「科学技術に基づく西洋的文化パラダイムが、事実上、人類文化の共通パラダイムになり、その基盤の上に人類が地球社会化への方向を目指して滔々と流れつつある現在、徒らに西洋を無視して東洋だけを孤立させて論じることは無意味だし、また実際上そんなことは不可能に近い。…(中略)…人類の現在的状況では、東洋哲学といっても、どうしても西洋哲学が深く関わってくる」と主張する。それだけでなく、明治時代以来、西欧化の道を驀進してきた日本人の意識は自覚することなくもはや西洋化し、哲学の分野となれば、我々の知性の働きを根本的に色づけているという。したがって、とりたてて比較哲学を唱えなくても、現代的意識の地平で考究すれば、すでに東西思想の出逢いが実存的体験の場で生起し、東西比較哲学がひとりでに成立してしまうのではないかというのが井筒氏のスタンスである。

哲学と宗教の錯綜した領域に、複雑に絡み合いながら相違する地点がある。いずれにせよ、「霊性」を問題視するとき、「霊性」を排除してきた中世の神学、近代哲学以降、現代哲学の領野で再び考慮されることになり、詩の領域にまで私は確認しようとしているのだが、主体の変形、つまり生の変革としての「代価」なしには成立しないことが知れる。具体的には主体の人生における何ものか、思考や行為と引き換えに得られる真理であり、救済であり、ポエジーの存在を認めることである。今回の私の拙書を『来るべき詩学のために(一)』としたのは、「生の変革」において始められる詩は、付録としてつけた「デリダ論序説」のエクリチュール概念を詩作の中心に据えようとする私の詩行為(エートス)と言えるものである。

井筒氏は言語学的哲学に絶えず関心を寄せていた。哲学や宗教学を研究対象としてのみ考えるのではなく、哲学の領野に活用させようとするものである。西洋の現代哲学は過去の哲学を現代的意義を探りながら、一種の誤読を恐れず現在時に引きずり出し、新しい哲学の可能性を試みていることに井槌氏は注目していた。「はじめに」で、詩は詩人の行為の場で生み出されると私が引用したように、詩は詩人の生活(現実)から生み出されるものである。私が言おうとすることは、フーコーの指摘する原初的な哲学にいつも結びつけられていたとする「霊性」や宗教を生み出すもとになる「霊性」と、「生の変革」から出発する詩学とのアナロジカルなテーゼである。井筒氏の仏教の論究は唯識に基づく言語を中枢としている。一般に宗教は倫理的な側面、いかに生きるかという道徳的な観点から説かれる「教え」を示すものと考えているであろう。つまり、「こころ」の有り様を問題にする。しかし井筒氏は「こころ」を意識に、「分別」を「分節」に置きかえることによって、現代哲学の言語に向かう関心を、仏教における言語観から新しい「知」の地平を拓こうとしていたのだ。詩の領野においても、十九世紀のフランス詩から、具体的に言えばボードレール、ランボー以降に提出された詩の問題はヨーロッパの思想の終末を示すものであり、接木すべき東洋の思想の必要性を示唆している。哲学においても同様である。ジャック・デリダの「脱構築」は、仏教の本質「否定」の次元から考えられるものがある。先述したように西洋的思考に基づき、我々の内なる東洋的思考を掘り起こさなければならないだろう。インドで発祥した仏教は先述したように、アジアの広い地域の文化と練磨しながらついに日本に辿り着いた。西洋文化もまたギリシアを発祥の地としながら、ヨーロッパの広大な地域の文化と交流し、普遍性をもちえた。井筒氏の構想した「共時的構想化」、つまり西洋と異なり、有機的構造をもたなく、全体的統一性のない様々な民族の思想可能体を「未来志向的に創造的原点」となる形に、有機的統一体に纏め上げよう」とする試みは、ギリシアを含めた東洋哲学である。古代におけるギリシアとアジアの交流を考えるなら、西と東に向かった思想の道が、哲学と神学と詩学の領野で統合される日が来るのかもしれない。