ヒーメロス通信


詩のプライベートレーベル「以心社」・詩人小林稔の部屋にようこそ。

井筒俊彦『神秘哲学』再読(十一)小林稔

2016年04月28日 | 日日随想

第六章 新しい世紀―個人的我の自覚―

 

ギリシア人の植民運動の波

前七世紀から六世紀に及ぶ二百年の間に、ギリシア抒情詩とそれに続く哲学思想が生まれた。「未曽有の動乱の時代、大変革の時代」と井筒氏が呼ぶ時代である。混乱や動揺、階級間の闘争、紛擾(ふんじょう)と引き換えに、ギリシア民族はこれらを試練として、「新しい精神」の誕生を成立させたのであった。危機を出産の苦痛に喩えれば、新しい命は「自由平等の精神」と「個性的、我の自覚」であったと言えよう。このギリシアの二百年は、「清新な自由のパトスと野心の情熱との灼熱時代であるとともに、暗澹たる壊滅と絶望の瘴癘(しょうれい)の気に充ちた時代であった。深い生の憂愁と、若々しい生の昂揚とが同じ時代の矛盾する両面をなして並存していた」と井筒氏はいう。矛盾多い現実に直面し世界の謎を解き明かす。「現実と衝突するところに個性は目覚める」のである。

この時代の精神史的特徴である「我」の自覚の成立は、「百花繚乱と咲き誇ったギリシア抒情詩」と、それに続く「哲学思想」と同じ基盤の上に築かれた項目(ターム)であった。

 それにしても『神秘哲学』を書き進める井筒氏の、気迫に充ちた叙事詩を想起させる言葉のエネルギーに驚かされる。日常語に堕した、吹けば飛ぶような現代詩人たちよ、また日和主義にどっぷり浸かった読者よ、ここに詩語の真髄のあることを心得よ。これほどまでに井筒氏が力説するのは、後に登場を控える、プラトン、アリストテレス、プロティノスといった人類史上、ついに超えられなかった二千年以上前の偉大な魂たちを育んだ伝統の礎の一つひとつを解析するためである。身体は滅びても永遠に生き続けるエクリチュールがここにある。

 なぜ植民地であったイオニアの沿海都市に新しい精神が誕生したのか。いかなる地域も「到底イオニアに比肩すべき土地はない」(ヘロドトス『歴史』)という恵まれた自然環境がある。また「イオニア種族は、数あるギリシア種族のうち最も繊細優美な感受性と、自由独立を追求してやまぬ進攻的気稟をもって生まれた人々であった」からだと井筒氏はいう。

 ここで、イオニア種族を含む本土のギリシア人たち植民運動を開始した、紀元前十二世紀からの歴史を、井筒氏の記述から紐解いてみよう。

 第一波。ドーリア人のテッサリア、ボオイオティア侵入を機に,アイオリス人がテッサリアを発ち、小アジア(イオニア地方)北西沿岸に定着を始める。

 第二波。ドーリア人のペロポネソス定住を機に、第一波のときより種々雑多な移民群が小アジアに移り、アイオリス人の南方に遷移したもの。ホメロスを生み、ギリシア哲学を創始するイオニア種族もその一つであった。

 第三波。ドーリア人自身の植民活動。赤アイア人を海外に放逐してペロポネソスに定住したが、自ら半島を出て、クレタ島、ロードス島に入り、さらに小アジアにに到来し、イオニア地帯に六つの都市国家を建設した。

 これらギリシア諸民族は同胞意識から、普遍的ギリシア民族意識に成長していく。このような第二の祖国建設には、先住アジア諸民族との激しい闘争があった。また彼らが獲得した都市国家は離れ離れに点在し、周囲を異国人と異文化に囲まれていた。このような生活環境  から、普遍的自由の宗教がそこに生まれ、積極的行動欲が生まれ、小アジアの植民地のイオニア人によって、ホメロスの二大叙事詩が形成され、ギリシア本土にまで波及する。

 

僭主と詩人と哲学者

ホメロスの叙事詩は国民的宗教となったころ、すでにイオニアではそれを糾弾する気運が起こっていた。その新精神とは、個性的「我」の自覚と反省的現実批判であり、独裁僭主政治と、その芸術的表現である抒情詩、その思想的領域の結晶であるイオニア自然学である。井筒氏は、無数の僭主と詩人と哲学者を、同一の精神を根幹とする三種の異花と呼ぶ。

 しかし、この新しい精神の背景には重大な経済的事情があったという。元来、移住した者たちはこ国の生活様式をそのままに、一人の「王」を戴く農業経済形態を取っていた。ほどなく国家統制の実権は参議会を置く少数貴族が掌握していた。王制というのは名ばかりで実際は貴族政治と呼ぶべきものであった。その経済的基盤は地主の土地所有を基盤とする農業であったという。人口増加とアジア民族の諸国が、ギリシア人の行く手を阻み、海路を求めて農業を棄て海上商業に向った。再びギリシア人の移住が、地中海から黒海に向けて新植民地を建設した。海上貿易が栄え、隣国リュディアから金貨鋳造の術を学び、物々交換から貨幣経済に進んで、ギリシア植民地の商業は飛躍を遂げたのである。紀元前七世紀にイオニアはアジアとヨーロッパを結ぶ関門になり東西交通の要衝になったという。イオニア十二都市国家の首位のミレトスに自然学が起こったのは、紀元前六世紀の生の奔騰(ほんとう)の只中においてであった。タレス、アナクシマンドロス、アナクシメネスのミレトス学派の哲学思想は、生命躍動の溢れ出る激流のさなかから生まれ出たものであったという。

哲学者の時代的先輩である抒情詩人たちが動乱の中から生まれ、真理と自由のために闘う熱血の投資であるのと等しく、ソクラテス以前の哲学者の多くは情熱的実践家であったと井筒氏はいう。タレスは政治家、アナクシマンドロスは植民地の団長、ピュタゴラスは社会革命家、クセノファネスは職業的吟遊詩人、パルメニデスは為政者にして立法家、ゼノンは僭主政治に対抗する情熱的政治闘士、メリッソスは海軍提督、エンペドクレスは詩人神秘家にして民衆扇動家、医者、政治家などであった。

 

新興ブルジョア階級の出現と僭主政治の抬頭

商業の発展に伴って、世界の富はギリシア世界に集中し、イオニアの植民地はギリシア人に幸福をほどこしたかと思いきや、実際はその逆であった。地主貴族の領土制度の崩壊があり、あらゆるものが壊滅する。社会に動揺が起こり、国民生活は動揺し、混乱した。政治、文化面でも新旧両勢力に衝突が生じ、伝統の支柱を失った人々は私利を求め、自己を主張する。このような社会動乱のさなか、それは新興ブルジョア階級が出現する。それは新しい貴族階級の成立であり、彼らは政治的野心を持ち、政権を掌握しようとした。新興ブルジョア階級の政治的野心は、政権争奪の激しい闘争を招き、人々の経済格差は深まり、不安擾乱はギリシア全土に波及する、このように人々を絶望的状況に陥れたが、下層民衆の政治意識を向上させる結果を招き、政治的社会的自覚を促した。彼らは旧貴族と新貴族両階級に拮抗し、これらと政権を争おうとする新政治勢力にさえなった。このような動乱時代に独裁僭主が頻出する。富裕貴族から逃れられない下層階級の不満を取り込んで台頭してきたものである、

一般には、僭主は非合法という手段で君主になった者をいうが、古代ギリシアでは旧貴族をを抑え、民衆を味方につけた独裁者を意味する存在者である。門地によらず、門閥によらず、実力のみによって一国の政権を勝ち得た人物であり、己が才腕を唯一の頼りとして万人仰望の的である栄華の位に昇り着いた政治的天才であると井筒氏はいう。実力がすべてであるという考えが人々の政治的野心を刺激し、個人の自覚をはなはだしく促進したと主張する。独裁僭主の台頭は紀元前七世紀から六世紀に亘る二百年、全ギリシアに通じる普遍的現象であり、彼らの歴史を華やかなロマネスク彩るものであった。ギリシア人は初期の僭主時代を「クロノスの治政」と呼び、紀元前六世紀の「七賢人」に、詩人、哲人、立法化と並んで、僭主ペリアンドロスやピッタコスが挙げられているという。

 普遍性への憧憬

「我の自覚」によって個人主義の精神が確立し僭主の出現を起こしたのであったが、それによって民衆も急速に個性的我の自覚と自主的批判精神に導かれ、成文法の要求となって具体化したと井筒氏は指摘する。従来の貴族政治においては、裁判は少数貴族が司るものであり、判決は成文法に拠ることなく伝承に基づく慣習法と自己の個人的判断に従っていたが、新たに到来した「我の自覚」時代にはこのような恣意的法組織は受け入れられず、平等な法を人々は求めた。支配者も被支配者も、裕福な者も貧しい者も、同じ権利を保証し、同じ義務を課する、万人のための成文法を人々は求めた。ギリシア民族が正義(ディケー)に基づく新社会秩序に向って一大飛躍を敢行しつつあったことを物語っているのだという。強制的恣意的法なるテミスから普遍的理性的ディケーへの移行である。

 ギリシア民族精神の根本的特徴に「普遍性への憧憬」がある。混沌から秩序へ、暗黒から光明へ、非合理から理性へ、よりイデア的なものに向かう優れたギリシア的理念。二十一世紀の私たち詩人や哲学者を未来の空間に強烈に誘う、詩や哲学や政治の源泉から発する光。普遍的ディケーに拠る社会生活確立は、ギリシア的永遠の理念の政治領域における輝かしい成果であると井筒氏はいう。「ポリス」という社会形態になって現実化したとき、いかに熾烈な情熱を人々に呼び起こし、深刻な印象を与えたかは、抒情詩人たちや哲学者たちに思想的刻印を記したかを後世の私たちは類推できるという。

 西洋民主政治思想の遠い源泉である、ギリシアの法的国家、「ポリス」を成立させたものこそが、動乱の中で生まれた個性的我の自覚と、自覚した我の批判精神に他ならないことを忘れてはならないと井筒氏は主張する。絶望と苦悩の中、理想を掲げ立ち向かう高貴で強靭な精神力を私たちは心から讃美すべきだという。

 井筒氏のギリシア精神への熱き心酔に鼓舞されつつ、私はかつてギリシアの島々とトルコの西岸のトロイやエフェソスなどを巡った、若い時代の放浪の旅を思い起こす。イスラムとキリスト教の不穏な翳をそこここに感知しながら、想いを遠くに追いやり、空の青と海の青に染まりながら、詩や哲学を誕生させた古代ギリシアの風土から肌で感じ入ったものは、その後の私をプラトン哲学の泉へと導いて行った。

 この井筒氏の『神秘哲学』は次章で、「客観的現実と主観的我の相克」からいかに抒情詩が創作されるかを解き明かしている。「黎明の聖光を浴びて立つこのギリシア的知性が、純主観的側面に於いていかなる現実批判を行なうか」に焦点をあて、次のディオニュソスという神といかなる関係を持つかという興味深い問題に進んで行くだろう。

 

copyright2016以心社

 


ランボーからデリダへ(ニ)「エクリチュールの欲動」小林稔

2016年04月21日 | デリダ論

ランボーからデリダへ(二)

 小林稔

 

 二、エクリチュールの欲動

 

デリダは「プラトンのパルマケイアー」(『散種』に収録)という論考の序文において、テクスト(書かれたもの)が織物(テクスチャー)であることを前提として進行する。その上で、「一個のテクストがテクストであるのは、その構成の法とゲームの規則とを隠しいるかぎりにおいて」であり、「現在においては、知覚と厳密に名づけることができるような何ものにも、決してみずからをゆだねることがないというだけのことである」という。およそ書かれたものが難解であるという非難は、文学とエクリチュールの本質を理解しようとしないことから生じるのだ。本質を抜いた文学など空の箱に過ぎず、詠み手をどんなに喜ばせようと消費物以上の価値を付与されない。(「文学の本質」「法」「ゲーム」については追って論じていくことになる。)

「テクストの織目組織が隠蔽されているために、その布地を解くのに何世紀もかかるということもある」という。実際、プラトンの『パイドロス』を、デリダはこの論考で、作品の構成上の不備をディオゲネス・ラエルティオスは指摘し、それはプラトンの若さを原因とした。承知のように、『パイドロス』の前半はエロース論と言論についてのテーマであり、イデア論を通して哲学の営みを解明するが、後半はエクリチュール論が展開されて、その連関に多くの学者たちを悩ませてきた。構成上の不備とはテーマの分裂であり、後半のテーマは「添え物」に過ぎないと論じられてきたのである。ところがデリダは後半部のテーマから始めようとした。

 テクストになぜ隠蔽がなされるのであろうか。ここにこそ文学の本質が秘められている。ランボーの「私とは他者である」というフレーズを思い起こそう。書くという欲望には「私の中の他者」の欲動が絶えずうごめいている。「なぜ書くのか」という問題に答えうるために、自己が把握できる限りの範囲を超えた他者の呼びかけに誘導されている自己と他者との挌闘がある。これが難解な文に対する非難の主要な的になるものである。悪ふざけなど故意の隠蔽や表現の未熟さからくる難解さとは直接的な関係を持たない。デリダにとってテクストを読み解くことは、布地を解く作業に比され、「読解の裁断の背後で、布地自身の織地が際限なく再生される」ことである。「そうした批評の解剖学と生理学には、つねに驚きがとっておかれる」のであり、「読むこと(レクチュール)と書くこと(エクリチュール)ことに一体性があるとしても、縫い目をほどく激しい戦いを引き起こさなければならない」ものである。デリダはそれをゲームと呼ぶが、単なる遊戯でなく、付け加えが自由に許されたと誤解すべきではない。逆に「方法的慎重さ」「客観性の規範」「知の防護柵」のよって「自分の持ち分を投入することを控える人は、読んでいるとさえ言えないだろう」とデリダはいう。ここでは「不真面目さ」も「真面目さ」も不毛であり、「ゲームの必然性によって定められたものである」ともいう。「ゲーム」とは一種の記号」であり、「記号に対しては、それがもつすべての権力のシステムを認め与える必要がある」というが、「記号」「権力」については、「プラトンのパルマケイアー」というデリダの論考を読み解く過程で少しずつ理解していくであろう。単純明快な文をよしとする傾向が主流を占める人たちに、多くの誤解を生みだすデリダのエクリチュール論は、文学の本質を究めようとする人たちには多くの問題提起を引き起こすものである。

 

「われわれの問いが名づけなければならないのは、テクストの織目組織(テクスチュール)、読むことと書くこと、制御とゲーム、または代補性の逆説、生者と死者の書記的(グラフィック)関係、こうしたもののみである。」(『散種』P96)

(つづく)

 


詩ー使者「榛(はしばみ)の繁みで」(六)小林稔詩誌「ヒーメロス」より

2016年04月15日 | ヒーメロス作品

榛(はしばみ)の繁みで(六)使者

小林稔

 

六、使者

凋落というべきか、恩寵というべきか、十九歳を過ぎて一人暮らしを始めてい
たぼくは、学生時代の特権(少ない仕送りと多くの時間)を満喫していたので
あったが、六畳のアパートでの日々の暮らしのなかで、この世界を生きている
日常空間にその亀裂らしきものを仄かに感じ始めていた。

想像力のなせる技であることはすぐにわかった。当時読んでいたある書物、評論
や小説などと関係していたのだが、いま息をしているぼくとは別の自分を生かし
めることであった。演じるというほどの特異のものではなく、常に観察するもう
ひとりの自分が生れ、日常の事柄、例えば街の人ごみを歩き、カフェに入り、友
人に逢うといういつもと変わることのない生活であったが、ある瞬間から(そう、
それから四十年間のぼくの生に指標を与えつづけたといえるほどの決定的な瞬間
だったと思う)、ぼくに言葉が訪れるようになったのだから。

画集から引き裂いて額に入れ部屋の柱に以前ぼくが架けた、フラ・アンジェリ
コの『受胎告知』の画があった。天井から吊った緑色のランプシェードからこ
ぼれる光に映され、フレスコ画の淡い肌色を見せていた。ぼくはなぜか一瞬自
分が存在を消され空洞になったように感じた。心が、といおうか魂が身体を抜
け出て遠い高みに導かれるようで、(非現実の空間が存在するものならば! )
恐怖と陶酔の入り混じった気持ちにさせられた。

精神に起こった不可思議な現象は解釈を求めて安寧をえようとする。そのとき
のぼくは、天上界を詩で充溢する言葉の世界と捉え、地上のぼくとの距離を埋
めるべく媒体となる存在が訪れ、魂を天上界へと連れて行こうとしているのだ
と考えた。(だからといって現実と想像を同一面で捉えてしまったのではなく、
想像界はメタファーで、この世界を読み解く鍵に過ぎないと熟知していた!)
媒体となる存在をぼくは天使の形象として捉えたのであった。

四六時中、このように聖なる空間に身体が充たされていたのではない。(そう、
それは部屋だ。そこに無造作に置かれた物たちの主張、それらとぼくとの交信
が作用しているように思われた。(そしてレコード盤から音楽が流れるなら!)

現実と夢の世界の(そこには悪の怪しさが潜んでいた!)二重性を生きる時間
はそれほど長くはつづかなかったし、事物がよそよそしい表情を投げかけるこ
とのほうが多かったが、すでに変貌しつつある自分を省察するのは愉快であっ
た。ぼくがこれから生きる時空はぼく自身が切り開いていこう、自分がなろう
とする自分に変身していこうという願望が増殖したのであった。あの瞬間から
訪れる言葉は詩作となってぼくを杖のように支えた。

ぼくに起きた現象がナルシシズムに由来すること、天上界のメタファーを詩の
源泉に結びつけたことが、もちろんその発信地が西洋であることは承知してい
た。その後、その地での荘厳な教会の祭壇に(世間の多くの人にとって崇拝の
対象でなく観光の対象に過ぎない遺物になりはてたとしても!)ぼくの想像界
を彷徨する精神が揺すぶられたのは、神学的なことに詩学のアナロジーを嗅ぎ
つけたからだ。さらにそこに哲学的思考が加味され現在のぼくがいるのだ。

現実に目隠しをほどこし、言葉が織りなす言語的世界にダイブする詩人たちを
知るたびに、(主体性の言葉がこの世界から締め出されているとしても! )ぼ
くを惹起するのはこの現象世界なのだ。此岸と彼岸を橋渡しする言葉を身体に
受け留めるぼくは、日常の生活で変成された自己を用意しているといえよう。

あの瞬間を迎えてから時すばやく過ぎ去り、訪れる言葉がぼくの経験を解き、
これからの視線の先を啓示するだろう。やがてぼくの深遠、おそらくぼくの血
の系譜を紐解く祖先の地である根の國からの声、がぼくを導くのだ。

copyright2016以心社


詩ー榛(はしばみ)の繁みで(五)闇・小林稔詩誌「ヒーメロス」より

2016年04月14日 | ヒーメロス作品


榛(はしばみ)の繁みで(五)
小林稔  

   
 五、闇

もしもし、ぼくの声が聞こえますか。

ぼくの幼少年期に不意に現われ、知らない間にいなくなった子供たち!
ある朝、教室に初めて姿を見せて周囲を沈黙させたり、夜半、近所に引っ越し
てきたりした子供たちだ。

小学校二年生の一学期が始まっていく日か過ぎたころ、担任の女の先生の背中
に張りつくようにして現われたきみ! 親の事情で転校してきたことを先生が
告げた。それだけできみはぼくの手のとどかない遠い世界からやってきた人に
なった。友だちになりたいという思いが胸の奥からこみ上げ、針で刺されたよ
うな痛みを覚えたが、生来話しかけるのが苦手なぼくには絶望的なことだった。

一度だけぼくの家に遊びに来たことがある。母屋の庭にいるぼくの耳から伸び
た絹糸が、開け放たれた引戸をいくつも通り抜け、ずっと先の、( ぼくの父は
駄菓子屋と玩具屋を営んでいた)いくつも並んだガラスのケースの前で突っ立
っているきみの耳もとに繋がっている。

もしもし、聞こえてるよ。
耳たぶをくすぐるようにきみの声がぼくにとどいた。

体育の時間のことだ。相撲の勝ち抜き戦があった。ひとり、またひとりと相手
を砂の上に倒していくきみは、ぼくの体に体当たりしたが、運動の苦手なぼく
に、いとも簡単に身を崩してしまった。負けてくれたのだと、そのときぼくは
とっさに思った。そんなきみはいつの間にか教室からいなくなった。

きみがいつどこへ行ってしまったのかがまったくぼくの記憶にないのはなぜ? 

もう何十年も過ぎ去ってしまったというのに、少年の姿のまま消息を絶ったき
みを、ぼくがいまになって気にかけてしまうのはどうして?

ぼくの視界に突如として現われ、気づく間もなく退場してしまった子供たち! 
きっと彼らは、雲のように移りゆくぼくの人生の「まろうと」と呼ぶべき人た
ちだ。彼らは土地土地で歓待を待つ人たち、人生という想念の旅に足跡を深く
残していく人たちである。眼前から姿を消すことによって私たちの脳裡に刻印
される旅人だろう。やがて彼らは、私たちの人生が一瞬の出来事であり無に過
ぎないことを教えてくれるに違いない。

(もしもし、ぼくの声が聞こえていますか。)



  copyright2o16以心社


詩ー榛(はしばみ)の繁みで(四)小林稔詩誌『ヒーメロス』より

2016年04月13日 | ヒーメロス作品

榛(はしばみ)の繁みで(四)
小林 稔

 虚妄


暗闇の、
そこだけ明るんでいて、
とつぜん一匹の犬が横切った庭。
病棟の裏手の木戸を越えて、
(そう、きみの家は町医者だった! )
縁側から入ろうとするぼくを
迎えるように、
廊下をすたすたと走って、
ぼくはきみの放つ言葉に
うなずいて首を動かした。
口が語りかけているのに
きみの声が聞こえない。
ぼくはきみが好きだ、
と心で何度も叫んだ。
必死で叫んだが
きみにとどかないぼくの声。
きみは丸い檜の浴槽に首までつかり、
飛び出すと母がきみの体を
石鹸の泡でいっぱいにする。
ずっとぼくにほほえみかけて、
ぼくをこんな暗闇の庭で待たせておくなんて! 

あれから二十数年の年月
きみは何を見て何をし、
何を欲したのだろうか。
その狭間でぼくは
誰かに魂を奪われ、
誰かに唆され、
誰かを傷つけ、
どこかを彷徨い、
どんな生を夢見た?
洪水が肩まで押し寄せ、
ぼくを倒してしまう寸前かもしれないのに。

陰と陽。動と静。
目じりの切れ上がったきみと
目じりの垂れ下がったぼくと
性格の何もかもが反対のきみを
利かん坊だったきみをぼくは見ているだけ、
あこがれを
そっと財布の底にしまっておけなくて、
きみはぼくの何? 
おとうと、兄、親友だった?
幼年期を通り過ぎて一度も会うことはなかったぼくたち!

昔だったら人生半ばと呼んでいたころ、
きみがバイクを車に突っ込んで
死んだらしい、といううわさが
ある日近所の人からぼくの耳に届いた。

それから三十年が過ぎた。
幼年のきみはぼくの白昼夢にたびたび闖入して、
その敏捷でしなやかな四肢でぼくを悩ませる。
(もう、ぼくの胸の中できみを独り占めだ! )
生殖を怠り、この世に分身を残さなかった
ぼくの記憶の中枢で右往左往するぼくの肉体に、
いくつものぼくが増殖しつづける。

やがてぼくが最期の旅支度を始めるとき
枕辺には、ぼくの記憶に生きながらえたきみと
触れ合ったいくにんかの少年たちがつどい
よろけそうになる、老いさらばえたぼくを支え、
かれらと旅立つのだろうか、ぼくは
この世の虚妄から紐とかれて。



注・『ヒーメロス』21号の発表時とは異なる箇所があります。


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