ヒーメロス通信


詩のプライベートレーベル「以心社」・詩人小林稔の部屋にようこそ。

夏の径庭/小林稔・詩誌「ヒーメロス」34号より

2016年09月24日 | ヒーメロス作品

夏の径庭

小林稔

 

 

室内を通過した一陣の風が

食器棚の古傷を嘗めつつ旋回し

両開きの窓を押し遁走した

 

けだるい夏の午後

ここではないどこか

連打するピアノはカンパネラの音を偽装し

遠くさらに遠くへと想いを風に転がす

天幕をなびかせ、捉えられ

さらに駆け抜け、もがき

うしろに視線を向けて

記憶の堆積を確かめるよう

風が傍らをすばやく通り抜け

昔吸い込んだ覚えのある香りが私を呼び止めた

石畳に屹立する建物を一直線に敷衍する街角

水に揺れる尖塔とファサードの縁飾り

奔走する足裏がこころを路上に残し

褪色する遠景を呼び寄せる〈時〉の軋轢

 

セイレーンの歌声に狂わんばかり

身を帆柱に縛り絶え通過したオデュッセウスのように

長くも短い人生の径庭に足をすくわれ

記憶の綱渡りを果敢にもやり過ごす

ためらい、こころもつれ

決然と、そして足踏み、思考停止……

 

今こそ言葉に新しい命を吹き込もう

海水が私の歩くコンクリートの道の足許に寄せていた 

榛(はしばみ)の繁みで記憶から解かれる瞬間を待っている物象たち

あなたに夢見られた生を私が生きようとし

私が夢見る生をあなたが生きようとしていたことだってあるだろう

人生という一場の影の幕引きが明日どこでとも知れずに

 

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朔太郎論「宗教の始まりと抒情詩の隆盛」小林稔

2016年09月23日 | 萩原朔太郎研究

宗教の始まりと抒情詩の隆盛

 私は、本来、宗教の発生と詩や哲学の発生の場を同じくすると先述した。そのことを説明してみよう。仏教哲学者、井筒俊彦氏は「およそ存在する者はすべて無を契機として含んでおり、あらゆる存在者の根底には必ず無をひそんでいる」(『神秘哲学』)という。我われの経験世界で絶対的に有と言えるものはなく、無の絶壁上に懸けられた危うく脆い存在である。存在者の有は本質的に相対的存在であるということを「無の深淵」の不安として実存的に捉えられる。井筒氏は、「存在の無とは自己のうちなる無であるとともに、他者に対する無」でもあり、「すなわち全ての存在者は他者を否定することなしには自らの存在を確保できない罪深いものなのである」と指摘する。西暦紀元前七世紀から五世紀にまたがる「宇宙的痙攣」(ロマン・ロラン)の三百年は、文明が隆興と壊滅を繰り返す「万物流転」の時代であり、ギリシア民族の生活を根底からくつがえしたと言われる。ホメロス・ヘシオドスによる、光溢れるオリュンポスの芸術的神々の世界は、このような動乱の時代には、「なぜにこの世はかくまで不幸に充満し、重い軛を背負わなければならないのか」という切実な問題に神話が答えなければならず、人々の信頼に応えることができなくなった。「イオニア的考えによれば存在そのものがすでに「不義」なのだ」という。「他を否定し、他を限定し、また他によって否定され、限定され、かくて相互に罪を犯しつつ存在する」と井筒氏は解釈する。「一切のものは無に顚落し、その同じ瞬間にまた有に向って突き上げられながら、永遠にそれを自覚することなく永遠の交換(ヘラクレイトス)を繰り返す」が、人は忽然とその実相が開示される瞬間がきて、絶望の叫喚を発するとともに、落下する自己と万物を受け留める不思議な「愛の腕」(一者)に気がつく。すなわちこれが宗教の始まりであると井筒氏はいう。「宗教的懊悩とは相対的存在者が自己の相対性を自覚した結果、これを超脱しようとし、しかも流転の世界を越えることのできない苦悩であり、宗教的憧憬とは、それでもなお霊魂が永遠の世界を瞻望し、絶対者を尋求してこれに帰一しようとする切ない願いにほかならない」と井筒氏は説く。この「愛の腕」(一なるもの)とは、生命の源泉、あらゆる存在の太源、「存在」そのもの、宇宙的愛の主体としての「存在」あろうという。

 紀元前六世紀にイオニアに、「我の自覚」とともに抒情詩が生み出されたが、哲学者もまた「存在界の生滅成壊を主題として思索していた」。そこでは詩人も自然学者も区別はなかったし、宗教と哲学は同一であったと井筒氏は指摘する。先述したように、「存在の根源的悪」、絶対者に対する悪ではなく、個別相互間の「罪」であり「不義」に対する哀傷は、前六世紀のイオニアの精神的空気である。井筒氏は、抒情詩の時代から自然哲学に移行する中間地帯に「自然神秘主義」体験を置き、後のギリシア哲学の頂点を成したプラトンの哲学の深奥に横たわる神秘哲学と、そこから発展するアリストテレス、プロティノスの神秘哲学を、ソクラテス以前の自然神秘主義に求めようとするのであるが、その論考は別の章を必要とする。ここでは朔太郎の宗教に通底する罪の意識と詩作の根源とが一元的に抵触する場において、時代や場所を問わず、あるいは朔太郎がどれほど深く思索したか否かにかかわらず、生の儚さに向き合う時の普遍的な感情を解き明かしてみようとしただけに留める。

 朔太郎が、このような、人々の普遍的な感慨にどの程度抵触しえたのかは定かではないが、日本の来たるべき詩を、ミューズの故郷から西洋の詩に引き継がれたものと、我われの詩歌の源泉から引き継がれたものとの融合と考えられるのであるなら、粟津則雄氏が「詩語の問題」で言う、「実人生での「罪」と、想像力がはらむ「罪」とによって激しく動かされた朔太郎」という指摘が説得力をもって迫って来るのである。      次回(二)につづく。


防波堤/小林稔・詩誌「へにあすま」51号より

2016年09月20日 | 詩誌『へにあすま』に載せた作品

防波堤

             小林 稔

 

 

 

この西洋のいちばんはずれの土地で、わたしは突然、近東の総合を見たのだ。そして生まれて初めて、わたしは物象のために生きた人間をなおざりにした。わたしはスティリターノを忘れた。太陽はわたしの神になったのだ。太陽は、私の胎内で昇り、孤を描き、そして沈んでいった。

 

 

  1

海岸線に立った

きらきら輝くカディスの海に向って断崖が

人差し指を水平に突き出している

アルへシラスからジブラルタル海峡を南下すれば

アラブ世界が広がっているだろう

船は後ろ髪を引く重い存在から断ち切るように

私の身体を前方へ運んでいく

想いは船の後ろを追い群れる海鳥のようにやかましく羽搏いている

 

水しぶきを上げる真っ青な海の向こう

霞んだ琥珀色の断崖が見える

まぎれもなくアフリカ大陸の北端、タンジェールであると自らに言い聞かせる

瓦礫のように積み重なった薄汚れた白い建物

カサブランカ行きのバスはなく相乗りタクシーに乗り込んだ

すぐに年下のスーツ姿の黒人青年も乗り込む

仕事でラバトに行くのだという

車窓に視線を向けると

ガラスに少年たちの顔が貼りついている

黒人にヤジを飛ばしているようだ

少年たちの姿がみるみる増えタクシーを囲む

一人ひとりの表情を注視しているうちに

歓迎とも中傷とも読み取れる彼らの

無邪気で明るい眼差しに引き寄せられ

私の心は車外に跳び出して彼らに溶け合った

しばらくして運転手が乗り込み

ガタガタガタガタと言う爆音を立て走り出した

一瞬にして少年たちの姿が砂埃に包まれた

 

  2

イオニアの岸の古代都市をめぐり

エフェソスの遺跡から見る港湾は土壌で塞がれていた

イズミールからバスに揺られアナトリアの地に入る

機関車が長蛇の車両を率いて直線を描き平原を横切って行った

塩の湖に夕日が落ちて次第に辺りは闇に包まれる

中央のカイセリへはコンヤでバスを乗り換えなければならなかった

待合室にいた私の周りにいつの間にか人だかりができ

通訳を買って出た大学生の青年が英語で話し始める

ここに来るまでどこを旅していたのか

ここからどこへ行くのか、いつ帰路に就くのか

真夜中を過ぎ、バスが来るたびに若者たちが消えた

ようやくカイセリ行きのバスが着くと

乗降口で私を抱擁し、別れを告げた青年は闇に残された

 

車内に青年兵たちの乱雑に投げ出された肢体があった

訓練の帰りであろう、彼らの土の息が充満している

私に気づいた青年が体を横にして隙間を作った

沈み込むように私は体を滑り込ませる

アジアの西と東の外れでいつか土塊になる私たち

再び逢うことのない私たちの共有するこの瞬間

彼らの国を旅する私の幻想であろうと

彼らの寝息の満ちた車内で

彼らの一人に成り変われたという喜びに浸りながら

私は眠気と疲労で、彼らの上にくずおれた

 

*エピグラフは、ジャン・ジュネ『泥棒日記』(朝吹三吉訳)より引用。

 

 


旅の序奏/小林稔・詩誌「へにあすま」より

2016年09月19日 | 詩誌『へにあすま』に載せた作品

旅の序奏

小林 稔

 

 

空の青は透徹するほどに哀しみを呼びもどす

 

鍵盤にそえた両手の指先が

長い歳月を隔て不意に閉じた〈時〉の縫合に

少しずつ明ける意識の原野が見え始め

喜びと哀しみの交錯する感情に浸されていく

楽曲をつかさどる音の運びを記憶している十指

人生半ばで志したピアノに技術の高みを求める意思はなく

音楽家の天賦に少しでも触れたいという初心であった

やみくもに練習にいそしんでいた若いころの私

仕事に奔走し かろうじて見つけ出した時間にピアノと向き合い

こころの空白を 鍵盤が奏でる旋律に重ねるように無言の歌で満たしていたあのころ

さらに遡る時間の涯にある作曲者の生きた時間と場所の痕跡

一つの音楽を完成させるためには

独奏者は意識を収斂させ 一頭の獣を生み出し手なずけなければならない

私を通過した数多の楽曲をやり過しては課題を残し置き

失意と経験の後に見えてきた摂理の網と いや増す言葉の織物(テクスチュール)への欲求

棺のように荘厳な箱の内部で音を響かせるために横たわるハープ

白と黒の八十八鍵に随えるハンマーが ピアノ線の下で待機する

度重なる移動に持ちこたえて私の生地に共に辿りついた私の伴侶なる器械

かつて耳に届かせた音を再び奏でたときの驚愕と穏やかな感動

幼年を祝う主題を六つに変奏させた第一楽章の優雅な旋律は比類なく

いま旧友に出会えた静かな喜びが全身を昇りつめ 

そこはかとなく私を包み込んでいる

三十年前の自分が思いがけずよみがえり

三十年後の自分をいたわるように

やがては終活期を迎えるだろう私の耳に 

私の指が優しく語りかけてくる音楽に耳を澄ます

生きる悲惨と僥倖 その哀しみとも喜びとも判明できぬ感情を溢れさせ

譜面台の向こうに広がり光る夜の海を見つめている

眠りから解かれさらに旅立つ私の背を もう一人の私がそっと押している

          註・作中の楽曲は、モーツアルトのピアノソナタ作品三三一を想起されるとよい。

          発表時と一部改作

 

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タペストリー1、2小林稔個人誌「ヒーメロス」より

2016年09月07日 | お知らせ

小林稔

タペストリー 1

 

 

通り過ぎていった時のきれぎれが死の淵へと向かう闇の途上、射しこんだ薄明

に照らし出され、もう一つの時の途が霞んだ空に伸びる、ゆるやかな水の流れ

のように。――そのとき、残され佇んだ私に、見えない縄梯子が降りてきて、

魂を呼び寄せる声がどこからか聴こえはじめ、私の耳底に宿った。

 

夏の庭を裸足で足跡をつけていった少年を追い駆けなければならない。

廃屋の裏手に忍び込み、不在の友人たちと遊んだ秘密の場所で見失われる。

 

ひそひそ話をする声がいくつも交叉する。軒下に吊った鳥籠に忘れられたメジ

ロが枝から枝へ跳ねる。時の縦糸を縫い合わせる脚本は回収されてしまう。

 

 防火用水で泳いでいたサンショウウオが樋(とい)から注ぐ雨水で流された。

植えこみの日陰で何十年も経った今でも息をしているのかもしれない。

 

骨抜きにされた午後に、行き場をなくし湿度を含んだ風が、終止符を打たない

ピアノの音を運んでいる。通りを走る車のエンジン音や歩く人の足音に消され

るが、再び訪れた静寂の在りかを探るように微かに絃を打つハンマー音は届く。

 

生まれ出たところから曳いてきた繭の糸を紡いで、どんなタペストリーを織れ

るだろうか。最後のひと吹きで夕陽が沈む時刻には還らなければならない、何

処へと問われるなら、追憶の消滅する場所と答えようか。

 

言葉を一枚一枚結んでいく。死者がこの世への憧憬に導かれ懐かしむように、

かつての私がぬぎ捨てた記憶の衣服を拾い畳んでいる。

 

 

タペストリー 2

 

 

神経の枝を伸ばした樹木が横倒れて車窓の額縁から飛び散り、野原は遠方に聳

える尖塔を中心に手前に大きく弧を描いて樹木の跡を追い駆けている。傾きは

じめた太陽が尖塔の縁に架かると一瞬ダイアモンドの光を放射した。

 

人の数だけ世界の終末はある。生まれる命の数だけ世界のはじまりはある。

 

国境をいくつも越え、貨幣をいくつも変え、終着駅のにぎわいを断ち切るよう

に街路に踏み出すと、聞きなれない言葉と群集の足音が耳に飛び込んでくる。

人ごみの向こうから、しきりに手をふっている少年がいた。そこだけ明るい光

が注がれ、いくつもの方向に視線を放つ人々の鉄条網にさえぎられ雑踏に消え

た。画集を広げるが描かれた天使像には行きつかない。私に手をふったのかさ

え定かではなく、たとえそうであろうと、ほんとうの邂逅に出逢うには、自己

 の闇に沈潜し、〈私〉という柵の向こうに降り立たなければならないとは。

 すでに訪れ終え背を向けたいくつもの街々が、一枚のキャンバスに重ね合わさ

れ土地の名が交じり合う。ネーデルランドの夕暮れ、石飾りのファサードの足

許を流れる運河に、地中海の朝焼けに染まる雲の階層のした、水の上、遠くに

近くに自らの影像を水に落とす建物群が重なり、運河を蛇行した黒い水は想い

をラグーナに投げ海に注いでいく。若いころの旅の時間が、老体にひたすら向

かう旅人の身体の襞から剥がされ、やがて存在もろとも煙と消えるだろう。

 岩が砕け砂になり打ちあげられ浜辺に白い輪郭線を引く。洞窟に逃げ込んだ砂

は海底に沈み、太陽の光を内側の岩肌に反射させ、いちめんに青の粒子を撒き

散らす。私があなたと生涯に一度、心を重ねることがあるとすればここを置い

てほかになく、泳ぐドルフィンのような身体を青く染めていく。