ヒーメロス通信


詩のプライベートレーベル「以心社」・詩人小林稔の部屋にようこそ。

朔太郎を読む(5)小林稔

2016年12月19日 | 萩原朔太郎研究

萩原朔太郎を読む(5)小林稔

地面の底の病気の顔     萩原朔太郎

 

地面の底に顔があらはれ、

さみしい病人の顔があらはれ。

 

地面の底のくらやみに、

うらうら草の茎が萌えそめ、

鼠の巣が萌えそめ、

巣にこんがらがってゐる、

かずしれぬ髪の毛がふるえ出し、

冬至のころの、

さびしい病気の地面から、

ほそい青竹の根が生えそめ、

生えそめ、

それがじつにあはれふかくみえ、

けぶれるごとくに視え、

じつに、じつに、あはれふかく視え。

 

地面の底のくらやみに、

さみしい病人の顔があらわれ。

      「地面の底の病気の顔」

 

詩集「月の吠える」の詩篇から、一気に疾患(病気)が詩作の動機になっていきます。実存の根底にまといつく精神疾患は朔太郎には振り払えないものであるが、むしろすべての人間に宿る不安や怖れの感情を浮き上がらせる方法論として積極的に向かい合うことで、「無の深淵」に降りて行こうとしたようです。


萩原朔太郎を読む(4)小林稔

2016年12月18日 | 萩原朔太郎研究

萩原朔太郎の詩を読む(4)小林稔

 

静物    萩原朔太郎

 

静物のこころは怒り

そのうはべは哀しむ

この器物の白き瞳にうつる

窓ぎはのみどりはつめたし。

          「静物」

 

再会    萩原朔太郎

 

皿にはをどる肉さかな

春夏すぎて

きみが手に銀のふほをくはおもからむ。

ああ秋ふかみ

なめいしにこほろぎ鳴き

ええてるは玻璃をやぶれど

再会のくちづけかたく凍りて

ふんすゐはみ空のすみにかすかなり。

みよあめつちにみづがねながれ

しめやかに皿はすべりて

み手にやさしく腕輪はづされしが

真珠ちりこぼれ

ともしび風にぬれて

このにほふ舗石(しきいし)はしろがねのうれひにめざめむ

                   「再会」

 

朔太郎の初期詩篇「愛憐詩篇」は、北原白秋や室生犀星の影響を受けながらも、彼らの「抒情的表白」における文語体から少しずつ変貌をとげ、より簡素になり始めるのであった。抒情的肯定からそこで満たされない現実への剥離が反抗へと駆り立てられる心情の兆しが見えてくる。直接心情を語るのではなく物に語らせる、後のイマジスチック・ヴィジョンに向かう事態が生まれているのである。

             「


萩原朔太郎を読む(3)小林稔

2016年12月17日 | 萩原朔太郎研究

萩原朔太郎を読む(3)小林稔

こころ

    萩原朔太郎

 

こころをばなににたとえん

こころはあぢさゐの花

ももいろに咲く日はあれど

うすむらさきの思い出ばかりはせんなくて。

 

こころはまた夕闇の園生のふきあげ

音なき音のあゆむひびきに

こころはひとつによりて悲しめども

かなしめどもあるかひなしや

ああこのこころをばなににたとへん。

 

こころは二人の旅びと

されど道づれのたえて物言ふことなければ

わがこころはいつもかくさびしきなり。

              「こころ」

 

こころは「あぢさゐの花」のように色を変えてゆく。ももいろに咲く日はこころは晴れるが、うすむらさきいろに咲く日は過ぎ去り日を思い起こしせつない気分に包まれ憂鬱に沈んでしまう。

このわたしのこころは、たとえれば旅人の二人といえよう。もうひとりのわたしはいつも無言でわたしの影のようについて回る。したがってわたしはいつも孤独とともに日々を過ぎていくのである。

朔太郎は自分の性格を次のように分析する時があった。「厭人的情操や病鬱的精神は学校という小社会的環境によって育まれた人物」がいる。性格そのものが社会的環境と調和できなかったのである。学校は貴族組(優等組)と平民組(劣等組)に二分されていたが、内気な朔太郎はどちらにも属さず理由なく迫害されたという。学校というところは苦しめる牢獄のように思えた。成人になり文学世界に入ると、彼の作る抒情詩は思想的には憂鬱で、言語感覚や気分では明るく健康的であったという。高踏的でありかつ野蛮と自己分析をする。「社会における地位は学校時代と少しも変わらず。永遠の敵と孤独のなかに生かしめよ!」と、一九二五年「非論理的性格の悲哀」というエセーで記している。


萩原朔太郎の詩を読もう(2)小林稔

2016年12月15日 | 萩原朔太郎研究

萩原朔太郎の詩を読もう(2)

小林稔

 

浜辺    萩原朔太郎

 

若ければその瞳も悲しげに

ひとりはなれて砂丘を降りてゆく

傾斜をすべるわが足の指に

くづれし砂はしんしんと落ちきたる。

なにゆゑの若さぞや

この身の影に咲きいづる時無草もうちふるへ

若き日の嘆きは貝殻をもてすくふよしもなし。

ひるすぎてそらはさあをにすみわたり

海はなみだにしめりたり

しめりたる浪のうちかへす

かの遠き渚に光るはなにの魚ならむ。

若ければひとり浜辺にうち出でて

音もたてず洋紙を切りてもてあそぶ

このやるせなき日のたはむれに

かもめどり涯なき地平をすぎ行けり。

            「浜辺」

第一詩集『月に吠える』出版前の、朔太郎初期詩篇である。短歌的な表白を残しながら、次のイマジスチック・ヴジョンに向かう実存的心情が見える。河村政敏氏は「悔恨人の抒情」という論考で、この詩の中間部「なにゆゑの若さぞや」以下三行に、「異常なほど深く突きつめられた孤独な自意識」を読み取り、「時間の重みを感じる最初の経験ではなかろうか」という。「わが身の悲哀が、その影に見つめられていることに注意すべき」と指摘する。「見つめられた生の孤独感が、「外部世界からの疎隔の意識」「自己乖離した自意識」「被虐的な自意識」となって、遠い遥かな世界に対する浪漫的なあこがれを誘っていた」と解釈しています。

 


萩原朔太郎の詩を読もう(1)

2016年12月14日 | 萩原朔太郎研究

萩原朔太郎の詩を読もう(1)小林稔

見知らぬ犬  萩原朔太郎

 

この見知らぬ犬が私のあとをついてくる、

みすぼらしい、後ろ足でびつこをひいてゐる不具(かたわ)の犬のかげだ。

ああ、わたしはどこへ行くのか知らない、

わたしのゆく道路の方角では、

長屋の家根がべらべらと風に吹かれてゐる、

道ばたの陰気な空地では、

ひからびた草の葉つぱがしなしなとほそくうごいて居る。

ああ、わたしはどこへ行くのか知らない、

おほきないきもののような月が、ぼんやりと行手に浮かんでゐる、

さうして背後(うしろ)のさびしい往来では、

犬のほそながい尻尾の先が地べたの上をひきづつて居る。

 

ああ、どこまでも、どこまでも、

この見知らぬ犬が私のあとをついてくる、

きたならしい地べたを這いまはつて、

私の背後(うしろ)で後足をひきづつてゐる病気の犬だ、

とほく、ながく、かなしげにおびえながら、

さびしい空の月に向つて遠白く吠えるふしあわせの犬のかげだ。

                  「見知らぬ犬」

 

 

私を追ってくる犬の影とは、朔太郎の他者としての自己と言ってよいでしょう。彼の心に住みついたもう一人の自分が私から視線を外そうとしない。「私は私自身の陰鬱な影を、月夜の地上に釘づけにしてしまいたい。影が、永久に私のあとを追ってこないように」と後の序文に記しています。

 

朔太郎はこの詩集『月に吠える』の序文で次のようにも書いています。

「詩の本来の目的は寧ろそれらのもの(情調、幻覚、思想)を通じて、人心の内部に顫動する所の感情そのものの本質を凝視し、かつ感情をさかんに流露させることである。

詩とは感情の神経を掴んだものである。生きて働く心理学である……」と。