ヒーメロス通信


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ユダヤ教の成立と初期キリスト教への変容(後編その二)小林稔個人季刊誌『ヒーメロス』19号

2012年08月31日 | 連載エセー「自己への配慮と詩人像」からの
長期連載エセー『自己への配慮と詩人像』(十一)

38 ユダヤ教の成立と初期キリスト教への変容(後編その二)
小林稔



イエスのユダヤ教批判
 イエスはユダヤ教に革新をもたらしユダヤの社会を改革しようとしたのだが、歴史上のイエスを語る「伝承のイエス」とキリスト教教団で作られた「復活のイエス」を分離する必要があると中山氏は語る。前者はマタイ、マルコ、ルカの福音書から再構成しなければならないとはいえ、使徒たちの思い描いたイエス像であることを忘れてはならないという。イエスの思想をメタノイア(悔悛)とアガペーという観点から福音書にある譬えを中山氏は解読している。アガペーとは神の愛と呼ばれているが司牧的な愛の典型であるので、フーコーの
司牧者の概念を理解する上で深く考える必要があるという。
 『ルカによる福音書』(七章三七―五〇)の「罪深い女」の話を中山氏は挙げる。ファリサイ派の人の家で食事をするイエスの足許に近寄り、足を涙で濡らしてイエスの足に接吻し香油を塗った女がいた。イエスが預言者であるならこの女が誰か分かるだろうとファリサイ派の人がいう。イエスはその問いに直接答えず、金貸しの
喩え話をする。二人の人が金貸しから金を借りた。一人は五百デナリオン、もう一人は五十デナリオンを借り、返す金がないので金貸しは借金を帳消しにした。借りた二人のどちらが金貸しを多く愛するだろうか。イエスがシモンにそう尋ねると、イエスはうなずく。イエスは自分がこの家に入ったとき誰も足を洗ってくれなかった。この人の罪を赦されることは、自分に示した愛の大きさで分かるとイエスは言った。「あなたの信仰があなたを救ったとイエスは女に告げた。ここで問題になっていることは、公式の場に女は同席できないというユダヤ教の規律を犯して、姦通の罪を犯したかもしれない女が入ってきたことをファリサイ派の人々は非難する。女性の涙は悔悛(メタノイア)を表し、イエスは女性の愛(アガペー)の大きさを知り罪を赦したのであるが、イエスは娼婦と食事を共にし、足に触れされるという宗教上の罪を犯したことになる。中山氏は『ヨハネの黙示録』のマリアという女性と同一人物と考え論を進めている。「あなたたちの中で罪を犯したことのない者が、まず、この女に石を投げなさい。」とイエスが言ったとき、誰も石を投げるものがなく立ち去った話を取り上げる。律法を無視するイエスを指摘する。中山氏は荒井氏の指摘を紹介している。つまり、キリスト教がローマの国教となる以前は、信者は「背教者」としてキリスト教を否認したが、後に悔悛することで協会に受け入れられたことの隠喩である。女性に石を投げつける者がいなかったということは、「人間はもともと律法を守りきれるものではない、つまり人間は原初的に〈罪人〉なのだ、という人間の限界」を示しているのである。
 『ルカによる福音書』(一五章一一―三二)の「メタノイアを経験する若者の譬え」を中山氏は挙げている。それを紹介してみよう。ある人に二人の息子がいた。弟は父親から遺産を先にもらって異邦を旅してすべて使い果たす。ある人のところで豚の世話をして生きながらえた。ユダヤ人にとって豚は穢れた動物と考えられているから、弟は異邦人の奴隷になり、宗教的に汚れ、ユダヤ教神政体制から排斥された者になったことを意味していると宮本久雄氏は『福音書の言語宇宙』で指摘しているという。やがて弟は餓死に直面しメタノイアの経験をした。故郷と父を思い起こし故郷に帰る。父親は奴隷にまでなった息子を宴会を催して歓迎する。弟は律法で決められた贖罪を果していないといって兄は不服を唱えた。父親に長年仕えてきた兄にはこのように宴会を開いてくれたことなどない。先に取り上げた罪人の女を受け入れるイエスと同じ理屈である。「律法を守ったものに正当な評価と報酬が与えられるユダヤの律法主義を痛烈に批判しているのだと中山氏は指摘する。
 ユダヤの伝統的思考では死後の生は存在しないという。彼岸はなく冥界があるだけだと中山氏はいう。しかしイエスは本当の命はこの世とは別の生であると語る。この世だけで終らない別の命、来世での命、つまり神の国における命を語っていると中山氏はいう。

「わたしの国はこの世のものではない。もしわたしの国がこの世のものであれば、わたしに従っている者たちは、わたしをユダヤ人に渡さないように戦ったであろう。しかし事実、わたしの国はこの世のものではない」。そこでピラトはイエスに言った、「それではあなたは王なのだな」。イエスは答えられた、「あなたの言うとおり、わたしは王である。わたしは真理についてあかしをするために生れ、また、そのためにこの世にきたのである。だれでも真理につく者は、わたしの声に耳を傾ける」。(『ヨハネの福音書』十八章)

 イエスは十字架に命を架けることで、自分の国が神の霊的な国であることを証明しようとしたと中山氏はいう。神の国とは貧しい人、飢えている人、泣いている人のための国であり、反対に迎えられない人とは、富んでいる人、満腹している人、笑っている人、褒められている人である。イエスは『出エジプト記』で犠牲に捧げられる子羊と自分を同一視し、旧約の物語を反復しようと姿勢をみせるものである。自らの生を放棄することでユダヤ教の正統性を奪い取ってしまうという戦略があるという、谷泰『「聖書」世界の構成論理』の解釈を中山氏は司牧者の論理二かなった解読として紹介している。永遠の彼岸にすべて望みを託すように導かれている。旧約の『イザヤ書』の第二イザヤに重ね合わせてイエスのメシアとしての使命を説いたと中山氏は指摘す
る。つまり旧約のキリスト教的読み替えが初期のキリスト教では行われていたということである。

パレスチナ教団とヘレニズム教団
 イエスは晩年にエルサレムに向かった。ユダヤ当局の腐敗を批判し、ローマに対する反逆罪で問われ、ローマ法によって十字架刑にされたといわれる。荒井氏は、先に取り上げたような「終末論的」特徴に対して「今日における神支配」を語ったのだという。イエスは、「律法を守ることにより、自己の、あるいは自己の属する共同体の義を立てて、それを救済に至る条件にしていこうとする」姿勢を、「律法学者、パリサイ(ファリサイ)人」の中に見出し、それを激しい批判の対象としたのだが、そのときユダヤ教の終末思想の、洗礼者ヨハネの神の国の概念を手がかりに明確化していったと荒井は主張する。直接的には政治的発言はしなかったが、宗教的言行が政治的文脈に関わらざるをえなかったのは当然であり、反体制的宗教家として、反ユダヤ的・反ローマ的王位僭称者として、体制の権力によって処刑されたと荒井氏は結論する。
 荒井氏によると、イエスの死後、エルサレムに彼をキリストと信じる最初の教団が成立しが、ガリラヤの諸地域に別にいくつかの教団が成立していたという。前者はエルサレム教団と呼ばれぺテロをはじめ、「ガリラヤ人」を中核にして十二人で構成されていたが、ルカのいう十二使途なるものや財産共有制度は実在せず、教会の理念であり史実ではないと荒井氏はいう。教団には祭司やファリサイ派の信徒たちも加わったが、ユダヤ教の主流派とは区別され、他のユダヤ人のように律法を遵守していたので、復活信仰を唱えても迫害の対象にはならなかったであろうと荒井氏は述べる。しかし教団内の少数ではあるが「ヘレニストたち」は律法違反の罪で迫害を受けた。まずステファノが捕えられ殉教の死をとげ、他の「ヘレニストたち」もエルサレムから追放されたことが知られている。
 先述したガリラヤの諸地方にいた他のいくつかの教団は「イエスの生に神支配を読み取り」イエスの奇跡物語を伝承し、伝道を行なった可能性があると荒井氏は見る。キリストの復活に立ち会ったという人々がいた。イスラエル預言者の召命体験に近く、「神はイエスを蘇らせた」という最古の宣言定式が生まれ、やがて「イエスは甦った」という信仰告白定式になったという荒井氏の主張には説得力がある。洗礼の祭儀においてイエスと共に甦るという現在時での救済の意味と、復活信仰と救済信仰が結ばれた将来時の救済の意味が生まれたが、これらは「ユダヤ教の黙示思想を前提とするキリスト信仰」であろうという。復活信仰はキリストの死を救済に結びつけ、キリストは「われわれの罪のために死んだという告白定式が生じてくる」。十字架の意味が二つに分類されるであろう。一つ目は「救済の現在性に強調点を置くヘレニズム教団に固有なキリスト論」、二つ目は「イエスの死をわれわれの罪の赦しとみなす贖罪信仰があり、旧約の預言の成就とみなす救済史観と結びついている」と荒井氏は分析する。「罪とは律法違反の罪である限り、罪の赦しとは律法からの自由」であるkとになり、「イエスにとっての神支配が、信徒たちにとってのイエス支配になった」のであると荒井氏はいう。しかしここで留まるなら新しい律法の授与者と変わらずユダヤ教と同じ閉鎖共同体に形成される可能性がある。がだ「ヘレニストたち」はユダヤの伝統主義に否定的に関わった可能性があると荒井氏はいう。それはどのようにしてかを考えてみよう。それにはパウロの伝道をもとにしてヘレニズム教団の実態に迫らなければならない。
 
 パウロの伝道とヘレニズム思想
 ステファノの殉教の死を目撃したファリサイ派の若者サウロは、十字架に処された者をメシアと称えるのは神への冒瀆であると思った。エルサレム教団にも迫害の危険が迫り、使途以外はエルサレムを脱出しなければならなかった。サウロはこの迫害に参加するユダヤ教徒であった。サウロはダマスカス近郊で突如、イエスの声を聞いた。「サウロ、サウロ、なぜ私を迫害するのか」。地に倒れていたサウロは起き上がったとき眼が見えなくなっていることに気づいた。ダマスコニに住むアナニヤがイエスを幻に見て、サウロの目を癒すようにイエスから指示される。さらにサウロには異邦人に伝道する使命が与えられることを告げた。アナニヤはサウロのところに行き、イエスのことばを告げると、サウロの目からうろこのようなものが目から落ち、目は見えるようになった。サウロは洗礼を受け世界に向けて伝道を開始した。これが「パウロの回心(改心)」と呼ばれて
いる。小アジアのキリキア地方(現トルコ)、タルソス生まれのサウロはギリシア語読みでパウロと発音された。アンテオキオを中心に少なくとも三回の伝道旅行を行い、シリアからマケドニア・ギリシアに至る都市に教会を創設した。しかし、六一年ごろにはローマに護送され二年間、軟禁された後、スペインまで足を伸ばしたとも言われたが、六四年にネロ帝に迫害され殉死をとげた。彼が創設した教会に送ったとされる手紙が新約聖書に収録されている。荒井氏はそこからパウロの固有な思想を読み取っている。それによると、律法の聖性は認めるものの、「罪を個々の律法違反とは見ない。彼にとって罪とはむしろ、人間が律法を満たすことによって自己を立てようとするヒュプリス、一つの悪魔的な力」であると考えていた。パウロにとっての律法とは、「多くの場合その規則ではなく、その全体を意味する」。「罪が律法によって顕にされると言うと同時に、他方において人間はアダムにあって罪を犯した」。「神はキリストの十字架を通して、このような罪から人間を贖い出した。これがいわゆるパウロの福音」というものであると荒井はいう。この福音を受容することによって、神の側から無罪が宣告される。だから律法を守ることで神の義をえようとする姿勢を放棄しなければならない。このような姿勢が、エルサレム教団やヘレニズム教団からの批判の対象になったと荒井氏は指摘する。つまり信仰において人種や男女の壁は除かれ、すべてキリストの甦りに与っているということである。ヘレニズム世界の人々には受け入れやすい考えである。密議に参加して復活を体験し、神的なるものと人間の本来的自己との同一性を認識することで救済を見出し、「観念からの自由の中に欲情なき境地を確保できた」のであり、「ヘレニズム教団の中に、信徒はすでに復活した、すでに自由になった、すでに全き者になったと称して、このような知恵や認識を誇る者が出てくる」が、救済の超越性を一義的に信じ、自己と歴史の現実から離れて、「脱歴史的神秘主義」を激しく批判したと荒井氏は指摘する。キリストを信じる者も現実には肉であり、現実的には宗教的・社会的規定に従って生きていかなければならないが、当為(行為)は存在に至条件ではなく、「存在はすでに霊の賜物として与えられて」いて、これを「なお古きにある自己とこの世の中に貫徹していかなければならない」。

もしわたしたちが御霊によって生きているのなら、また御霊によって進もうではないか。互いにいどみ合い、互いにねたみ合って、虚栄に生きてはならない。(ガラテヤ人への手紙第五章二五)

 「存在の賜物」が「当為の課題」を基礎づけることになり、「律法は隣人愛に総括されて、積極的意味を獲得する」。このようにパウロにとって「キリスト者の生は途上の、変革の生」と認識される。しかし、「パウロにおける射程は自己の領域に留まり、社会・政治の領域にまで至らなかった」し、この世との妥協を拒否したが、この世の権威に対してはむしろ服従を勧めたと荒井氏はいう。古い自己と歴史を否定し超越すると同時に、自己と歴史を新しく肯定し、その中に内在していくというパウロの福音書理解は新しい自己理解であり、そこに否定と肯定、超越と内在の終末論的緊張を見ることができると荒井氏はいう。ヘレニズムの超越・普遍主義とヘブライズムの歴史的内在思想が逆説的に結合されていることを知ると荒井氏は指摘する。パウロは、「キリスト教が普遍的宗教になることを促進したと同時に、イスラエルの歴史から遊離して一つの神秘主義的セクトに陥ることを防いだと、荒井氏は説明する。パウロと時代を同じくするフィロンは、超越神の属性を人格化し人間と何らかのかかわりを持つ存在と見なしていた。ロゴスは世界の創造に与し、ヘルメスと同一視され啓示的役割を果すと考えられていたり、知恵(ソフィア)が神から遣わされて人間界に住み神の意志を伝えるが、それを受け入れられず、苦難を経て天に帰るという表象が見られると荒井氏は説明する。また「エジプトのユダヤ教の周辺に成立した思われるグノーシス主義では、ソフィアの堕落と救済が宇宙の創造と万物更新の原型と見なされている」。しかし「パウロは行動の原点を神の啓示に置いて、異国人ないしは諸国民の使途として伝道した」と荒井氏はいう。

 エピストロフェーとメタノイア
この私の論考においても中心的な課題である「自己への配慮」は、紀元前四世紀から紀元五世紀までギリシア哲学、ヘレニズム哲学、ローマの哲学、キリスト教の全体を貫いているとフーコーは指摘する。フィロン(紀
元二〇ー五〇)プロティノス(紀元二〇五―二七〇)やニュッサのグレゴリオス(紀元三三四―三九四)など、自己への配慮がキリスト教的禁欲主義に至るまで長い歴史があるとフーコーは『主体の解釈学』で述べる。しかし、紀元前の数世紀から紀元後の初めまでの道徳(ストア派、犬儒派、エピクロス派の道徳)、「西洋にかつて存在しなかったようなもっとも峻厳かつ厳格な道徳が構成された」「極度に厳格な道徳の母体となるような皇帝的原則であったが、キリスト教道徳にも非キリスト教的な近代の道徳にも登場する」。自己放棄というキリスト教的な形式を取ることもあれば、他者に対する義務という近代的形式を取ることもある。つまりキリスト教徒近代世界は非・自己中心主義の道徳の中に基礎づけたのだが、もともとは自己への配慮の義務によって誕生したのであるとフーコーはいう。
 自己自身への立ち返りという主題は、プラトンにおいてはギリシア語のエピストロフェー(方向転換)の概念という形で現れる。フーコーは四つの要素を挙げる。一、何かから離れる仕方として登場した。二、自分自身の無知に気づき、自己に配慮し、自己に専念することを決意することによって自己に回帰すること、三、想起へと導く自己への回帰から出発し、自分の祖国、本質、真理の、存在の祖国へと帰還することである。一は現世と来世の対立、二は牢獄、墓としての身体から魂を引き離すという主題、三は自らを知ることは真実を知ること、それは自らを解放することである。そして四、それらは想起の行為において結び合うとフーコーは分析する。次の時代、ヘレニズム及びローマの文化では、一、現世と来世の対立はなく世界への内在そのものにおいてなされることになる回帰である。私たちの権内にないものから私たちの権内にあるものへと移動されようとする。内在性の軸そのものにおける解放であり、「私たちが主人たりえないものからの解放、私たちが主人となるようなものに到達するための解放」なのである。二、身体からの切り離しではなく自己の自己への適合においてこそなされることになる。三、認識は重要な役割を果しているが、プラトンほど決定的で根本的な役割を果していない。プラトンにおいては想起という形で認識することが本質的な要素であったが、認識というより訓練、実践、鍛錬、アスケーシスが重要な要素になる。次にそれ以後の時代、三世紀以降、とりわけ四世紀以降にキリスト教において展開される立ち返りを考えたとき、前者二つとは全く様相を異にする。キリスト教は立ち返りをメタノイアという語で捉えていて、悔悛でありなおかつ変化、思考と精神の根本的な変化であるとフーコーはいう。一、突然の変異を含意するということ。「主体の存在様態を一撃のもとにひっくり返し、変容させてしまうような、特異な、突然の、歴史的であるとともにメタ歴史的であるようなひとつの出来事を必要とする。二、この立ち返りには移行がある。一つの存在型から別の存在型への、死から生への、暗闇から光への、悪魔の支配から神の支配への移行である。三、立ち返りが生じるのは、「主体の内部で断裂が生じる限りにおいてのみである」ということ。立ち返る自己は自分自身を放棄した自己であるということである。以前の自己とは何の関わりのないもう一つの自己に、新しい形式において再生することである。
 プラトンのエピストロフェーとキリスト教のメタノイアの間に位置するのが、ヘレニズムおよびローマ時代における哲学や道徳、自己の陶冶における立ち返りである。エピストロフェーは、ピュタゴラス=プラトン概念として紀元前四世紀には明確に練り上げられていたであろうとフーコーは推測する。それ以降のエピクロス派や犬儒派、ストア派の立ち返りはプラトン的な思潮の外部で深い変更を加えているとフーコーはいう。マルクス・アウレリウスやセネカやプルタルコスが「自己自身を見つめよ」というとき、「自分自身のうちに真理の種子を見出せ」というプラトン的な視線ではない。視線を自己に向けるとは他者たちから視線を逸らすということ、世界の事象から視線を逸らせるということを意味する。「他者たちにたいする不健全な好奇心に、自己自身の真剣な検討を置き換える」ことであるとフーコーはいう。「ゴールに向かう際の緊張について、恒常的なつねに目覚めた意識を持つこと」、到達しなければならないものは自己であり、「運動選手的なタイプの集中のことを考える必要があるとフーコーは指摘する。

 主体の釈義と自己放棄
 フーコーは『主体の解釈学』において、プラトン主義的モデルとキリスト教的モデル、そしてヘレニズム的モデルを対比して、それぞれの特徴を述べ、相互の反発と浸透を明確にしようとしている。以前にも解説した
が、ここで簡単に要約しながらキリスト教的モデルを検討してみたい。まずプラトン主義的モデルとは何か。自己への配慮と自己認識の関係は三点を中心に成立しているという。一、自分が無知であることに無知であったという発見。したがって自己を配慮しなければならない。二、自己への配慮は、配慮すべき自己を知ることを要求される。「魂は叡智界の鏡の中で自己を認知し存在を把握する。三、魂が自己を発見するのは想起によること。想起において自己への配慮と存在への回帰が魂の一つの運動の中で合流しまとめられている。
 紀元三、四世紀になると、キリスト教的モデルが形成されてくる。一、聖書に書かれていたり、啓示によって与えられる真理を知るには、心を浄化しておかなければならないが、「心は自己の認識によってしか浄化されえない」。「自己を知ることと自己への配慮の関係は循環的」である。二、魂と心の内部に作られる誘惑を認め、誘惑を失敗させること。そのためには自己の釈義が必要になる。三、自分自身に帰るのは、自己を放棄するためである。これら二つのモデルは当初は対立していたが、キリスト教の境界で発展したグノーシス主義において、プラトン主義的と呼ばれるものが取り上げられるということが起きたのである。「自己へ回帰することと真実についての記憶を取り戻すことは一つのこと」と彼らは考えていた。キリスト教の教会は釈義で対抗したとフーコーはいう。つまり霊性と修道院的な修徳主義はグノーシス運動との間に切断と分離を確保することにあった。魂の中に生まれる内的運動の本性と紀元を探り出す釈義的機能を与えてくれたのであり、自分の圏内に取り込もうとした。聖書に書かれた言葉や啓示によって与えられた真理を知ることが自己の認識に基づいて、神の言葉を知るには心を浄化していなければならないとフーコーは解く。つまり自己を知ることと真理を知ることと自己への配慮は循環的な構造になっている。しかしキリスト教の歴史の最初の数世紀に、プラトン主義的モデルはグノーシス主義といわれる運動に見出されるとフーコーはいう。プラトン主義的といわれるのは存在の認識と自己の認知は同一であるという図式であるからである。フーコーはこの二つのモデルがキリスト教を支配し、キリスト教によって西欧の文化史全体に受け継がれていったと考える。二つのモデルの間にヘレニズム的モデルがある。その厳格な道徳をキリスト教は利用し取り込み実践によって練り上げた、それが主体の釈義と自己放棄であったとフーコーはいう。グノーシスについては後半の詩人像で詳しく考察することになる。プラトン主義的モデルとキリスト教的モデルの間にあるヘレニズム的モデルからキリスト教は厳格な道徳を再び取り上げ練り上げたとフーコーは指摘する。
 
 キリスト教における魂の教導
 「何らかの主体に、あらかじめ定められた一連の技能を付与するような関係を教育的関係と呼ぶならば、話しかけられる主体の存在様態を変容させることを機能とするような真理の伝達を魂の教導と呼ぶことができる」とフーコーはいう。そして魂の教導という点で古代ギリシア・ローマの哲学とキリスト教の間に大きな転移や変容が起こっているとフーコーは指摘する。前者では、真理を語るとき問題となるのは常に師、つまり忠告を与える者が重要な役割を担うかぎりにおいて教育的関係に近いものであったといえる。「真理と真理の義務は師の側にある」。しかし、キリスト教では、「真理は魂を導く者に由来するのではなく、別の様態(〈啓示〉〈聖書〉〈福音書〉など)によって与えられる。もちろん導く者に責任や義務は発生するが、「真理や「真理の語り」の本質的な価値を担っているのは、あくまで魂を導かれる者」であるとフーコーは指摘する。魂を導いてもらうためには「真実の言説を自分自身に対してみすから言表すること、自分自身についての真実の言説をみずから言表することが必要なのであり、魂の教導と教育を分離し、教導される魂、導かれる魂にたいして、真理を語ることを要求する」。導かれる者だけが真理を語ることができ、保持することができる。つまり「キリスト教の霊性においては、導かれる主体こそが真実の言説の内部に現前し、この真実の言説そのものの対象として現前しなければならない」とフーコーはいう。古代ギリシア・ローマでは真実の言説に現前しなければならないのは指導者であった。「指導者は言表行為の主体とみずからの行為の主体の一致として現前している」のに比べて、キリスト教では、言表行為の主体は言表の指示対象でなくてならない、それが告白の定義であるとフーコーは要約する。


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夏の氾濫、小林稔第四詩集『夏の氾濫』1999年(旧天使舎)以心社刊より

2012年08月29日 | 小林稔第4詩集『夏の氾濫』

小林稔第四詩集『夏の氾濫』1999年(旧天使舎)以心社刊より


夏の氾濫
小林稔


泡しぶきが砂の要塞に雪崩れて、
洪水のように乗り上げる。
あなたの胸の扉を拓くと海が見えた。
海底ではピアノが物憂い音を鳴らしている。
突如、蒼穹を割ってきんいろの雷霆(らいてい)が落っこちた。
あなたはいない。
潮風はたしかにあなたの在処を教えているのに
ぼくは その謎のもつれた糸がほどけない。
海の青と空の青の彼方から沸き立つ微風が
鳥の羽ばたきのように書物の紙片を繰っている。
きっと あなただ、
息のあなたがぼくの髪をなびかせている。
砂が焼いた足裏を海水が鎮めてくれるけど
親指の震えが止まらない。
真綿のような雲が流れるのを見ていたら
背中から抱えられる気配に振り返って
ぼくの視線は砂の上の自分の影を捕らえた。

      私の領土に臨んだのは君だ。
      私の広げた両の腕の入江が仕掛けた罠に、
      迷い込んだ小鳥のような瞳の粗雑と無垢が君だ。
      君が運んできた若さが、褪せた私の青春をよみがえらせ
      私は躍った。悔やむことが何になる。
      君は肉をひくひくさせ 歓喜の声を洩らしたのだ。

あなたの微笑みに隠された獣の匂いがこわい。
あなたの優しさが ぼくの柔らかい部分に走る刃物だ。

      「さあ、地獄へ行こう」と戯れる私に、
      「うん、いいよ」と君は、はにかみに答えた。
      二人の笑いで視界がちぎれ、白痴の地獄の扉が軋んだ。
      海色に染まった君だから、もう父の家には帰れない。


デルフィー。世界の臍。古代のギリシア人がそう呼んだ聖域。
アポロン神殿の廃墟に立つと風が垂直に身体を吹き抜けた。
涯から来た私はもう一方の涯のアジアに視線を投げた。
私の胸に耳を載せよ。君には聞こえるだろうか。
旅から旅へと駆り立てた私の青春の血の鼓動が。

      知るもんか。あなたの匂いを石鹸で洗い落とせたらいいのに。
      あなたの視線をぼくだけに奪っていられたらいいのに。
      時間が止められるなら、
      波のレースの階段を 石蹴りするみたいに片足で昇ってみせる。

海の微風は君に何を唆(そそのか)したのか。

      父に叛逆(そむ)いたぼくの罰。あなたの汚れた策略。

喰らい合う渇きの肉が精神を妊(はら)ませる莢(さや)なのだ。

(飯を炊き葱を刻む日常の比喩をめくれ。せめぎ苛む肉の欲を解き未明の路上
に立ち、踏み込む街角のざわめきを予感する静かな朝に出立せよ。
偶像をぶち割れ。己の身体から湧き出る力のみを信ぜよ。贋神を攫まされるな。
愛こそ世界の謂い。愛と美の力学を構築せよ。)


海から冷たい微風が寄せている朝、
太陽は大空を赤らめ水面を揺さぶり始めるが、
まだ海底に沈んだままだ。
島は岩肌をあらわに眠っている。

太陽が昇ると 静寂が薄明といっしょに左右の端に追われていく、
物質文明の罠に陥った子供たちから遠く離れて。
彼らが墜ちる地獄はない。神もない。
ついにハルマゲドンが到来する、ことはない。
煙のように現われては消えていく、
甘えながら反抗する猫っかぶりの、おお兄弟たち。
世界は失われていない。
太陽は約束をしたように世界を照らすだろう。

私たちの情愛が世界を拓く千年紀の終わりと始まり、
陶酔と睡りの後で物質は歓喜に打ち震えるだろう。
岩礁が波に目覚めるだろう。

いつも今だ、現在だ。
君が扉を開けると潮があふれ花びらあふれ

死するならば夏。廻(めぐ)り還るならば海。




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武田弘子「無人駅」、季刊詩誌『舟』148号2012年8月15日発行より

2012年08月26日 | 同人雑誌評

武田弘子「無人駅」・季刊詩誌『舟』148号2012年8月15日発行
小林稔

 以前にも取り上げさせていただいた季刊詩誌『舟』の最新号148号から、気になった作品、武田弘子氏の「無人駅」にコメントしてみたいと思います。


   読みさしの本の頁から絵葉書が落ちた

   丸いテーブルと椅子
   メタセコイアの葉陰から
   六月の光がこぼれて
   白いテーブルの上を風が走る都会のテラス
   そこに誰を坐らせよう?
   まだ新しい朝の匂い


 「無人駅」はこのようにして始まる。癖のない文体で誰にでも入っていけそうな出だしである。だが、次の三連目の最初の二行で何げない日常を描いて終わる詩ではないことに気づく。


  「マルクス・アウレリウスを読んでいます」
   友人はしっかりと行き先を告げて来る


 一行目の「絵葉書」はこの友人からの手紙であったことがわかる。筆者がいう「無人駅」とは、例えばこの友人が行くところであったのか。ある本を読むことで始まる旅をいいたいのだ。


   ここから老人ホームの窓が見える
   おびただしい機器に繋がれたベッド
   そのまわりを巡る白衣の影
   閉ざされた肉体の中に
   ただひとつの鳴り止まないさみしい暗号


 生きるものが必ず辿りつく死。最新の科学は死を引き延ばそうとする。その一方で、生の意味を見つけられないままに肉体=物質と魂=精神の縫合をできる限りつづけさせようとしている。命は大切だ。それは誰でも考える。しかし精神を鍛え生の意義を考えてきたのだろうかと自問自答する。そうする人は昔から少数であったに違いない。マルクス・アウレリウスの『自省録』を読んでいると告げた友人は、生の意義を探求する旅に出ようと無人駅に向かったのだろう。たんに知識を身につける旅とは違い、自分自身の実存を求め、人間とは何かという原点を思考する厳しい旅なのである。マルクスの思考した後に残された言葉をたどり、自分の問題に引き寄せながら自分の生を考えることなのである。おそらく筆者はそのことを知って、友人の後姿を見送っているのだ。
 私は八年前の2003年以降、肉体的な危機にあったとき、ミシェル・フーコーの『自己の解釈学』という書物に出会い、いかに生きるべきかを知ろうとする私は、この難しい書物を何度も読み返した。その後、講義録のシリーズとして別の翻訳本が出るたびに購入して読んでいったが、特に『自己への解釈学』は今読み返しても新しい発見がある。(詳しいことは私が書きつづけているエセー『自己への配慮と詩人像』で述べているので参照。)
 端的にいうならば、「汝自身を知れ」というデルフォイのアポロンの神託と一体のものとして、「自己への配慮」という古代ギリシアに流布していた考えを、プラトンはソクラテスという人物を通して哲学の主題に確立させたのである。それから数百年後、ヘレニズム期の一、二世紀、まだローマにキリスト教が確立していないころ、プラトンの「自己への配慮」の主題が、人生全般を通して考えるべき問題に変わり、セネカやマルクス・アウレリウスによって後期ストア派の思想として定着したのである。彼らにとっては厳しい訓練という実践を通してエクリチュール(言語化)していくものであった。己の死を目前にして、いかに平穏にそれを受け入れていくか。そのときまで、「知と実践」をつづけたのである。
 自己を配慮することに心がけなければならない。では配慮すべき自己とは何か。自己を知るために、現在時の自分を無化しなければならないと彼らは考えた。セネカは高みからこれまでの自分を俯瞰する方法を取ったが、マルクスは周囲の事物への意識を解体させ近視眼的に自分を見つめなおしたのである。意識の表層にあるのが自我であり、深層にあって自我と連結するのが自己ではないかと私は思う。とにかく私はフーコーのいう哲学と霊性に興味を抱いたのであった。これはフーコーの、デカルト以後の哲学に対するアンチテーゼである。詩作も同様であり、詩人としての(実存的)経験を軽視し、自我と言葉の戯れに始終している現代詩への反論になると私は考える。ここではこれ以上述べないでおくが、今ある現実を意味あるものにするために、思考と実践は避けられないものである。
 それにしても、詩の一行「ただひとつ鳴り止まないさみしい暗号」とは何だろう。


   向かいの保育園の庭では
   大きな栴檀の木の周りを廻り続けている少女
   どこ迄も廻り着けない光の輪
   のけぞる喉に空が近付く


 前の第四連では現実に忍び寄る死をイメージさせれば、この五連ではこれからの長い生を与えられた幼児たちの生命力をイメージさせているといえよう。死と生の連環である。
 人生には生きるに足る価値がほんとうにあるのか。ないとするにはあまりにも現実は輝いているではないか。しかし充足した人生とはいえない。何かが欠けている。マルクス・アウレリウスは一つの例であり、他の無人駅もあるが、筆者はまだ見つけていない。


   まぶしく 私の指は
   丸いテーブルの縁をなぞりながら
   まだ友人にわたしの行く先を告げられない


 「ただひとつ鳴り止まないさみしい暗号」は解かれなければならない。筆者の肉体でも鳴っている限り無人駅を探し求めるだろう。それは一人ひとりが自分の仕方で見つけ出すものであろう。私は、セネカやマルクス・アウレリウスのエクリチュールが詩の可能性を示唆しているように思えてならない。


ユダヤ教の成立と初期キリスト教への変容(後編その一)、小林稔個人誌『ヒーメロス』19号から

2012年08月26日 | 連載エセー「自己への配慮と詩人像」からの
長期連載エセー『自己への配慮と詩人像』(十一)小林稔個人季刊誌『ヒーメロス』19号20011年10月25日より
小林稔
38 ユダヤ教の成立と初期キリスト教への変容(後編その一)


 クムラン教団と洗礼者ヨハネ
 エッセネ派の一派であろうクムラン教団が存在し、「死海文書」を所有していたことが近来、明らかにされた。荒井献氏の「原始キリスト教の成立」(『岩波講座世界歴史2』より)に教えられることを一部取り上げてみよう。現厳格な律法生活と信徒相互間の愛の倫理のもとに共同生活を営んでいたという。「終末に関する神の予言が実現されるという確信が持たれ」ていた。したがって彼らは自らを「選民」、「光の子」などと呼んでいた。「この世を倫理的二原理が対立抗争する場」と考えていた。クムラン教団には洗礼と聖餐という二つの礼典があった。「洗礼によって穢れが払われ、罪が赦されるとみなされた」。聖餐はパンと葡萄酒による会食であり、終末におけるメシアとの聖宴の先取り的性格があると荒井氏は指摘する。
 「洗礼者ヨハネ」がこの教団に関係があることは、思想が終末論的であること、洗礼が罪の赦しと虫美つけられること、活動範囲が「荒野」とヨルダン川であることを考慮すれば、死海の西北岸にあったクムラン教団の位置に近いことから事実であろう。しかし、ヨハネが行動を開始した時点でクムラン教団に所属していなかったことは明白であると荒井氏はいう。なぜならヨハネは単独で行動していて、「罪の赦しをえさせる悔改めのバプテスマは律法・戒律の遵守とは無関係であり、しかも一度限り施されるものであったので、直接ヨハネをクムラン教団に結びつけるわけにはいかないが、広義の洗礼教団の中に位置づけることは可能であろうと、荒井氏は指摘する。彼は「火でバプテスマを授ける」とはつまり、焼き亡ぼしてしまう「力あるもの」(神)の来臨が間近に迫っていることを予言するのであり、火によるバプテスマを免れる唯一の道は水によるバプテスマを受けて「悔改める」以外にないという。「来るべきものの前に、現在の生を規定する一切の過去的なものはその価値を失う。人間は生の志向を過去から将来に転換しなければならない。これがヨハネの悔改めの意味であろう」と荒井氏は明確に解釈している。ヨハネはすべてのユダヤの人々に悔改めを求めたのであり、一つの教団を設立する意図はなかったと思われるが、福音書には「ヨハネの弟子たち」という証言があり、特色は断食と祈りであったが、この弟子たちの中にイエスもいたと荒井氏はいう。ヨハネの死後にヨハネ教団が創設され、予言的メシア、神の先駆者として崇拝し、天的「光」、あるいは「言(ロゴス)」の位置にまで高めた可能性もあると荒井氏は主張する。

 ヘブライズムとヘレニズムの融合
 パレスチナにおけるヘレニズム化は当然予想され、エルサレムを中心とするユダヤ教はヘレニズムに対して否定的であったと荒井氏はいう。しかしガリラヤは民族主義に無関心であった地域であり、ヘレニズムに通じる精神風土が育まれた可能性があり、サマリアはエルサレムを中心とするユダヤ教から遮断されているが、ユダヤ教とは異なるサマリア教の周辺にはヘレニズム的混交諸宗教が発生していたという。その一つにグノーシス主義の父といわれる魔術師シモンとその宗教が数えられるという。シモン派がローマに広がっていた二世紀前半にはヨルダン川当方にマンダ教が成立していた。注意すべきことはマンダ教は「認識」(ギリシア語でグノーシス)を救済と見なしていたことであるという。「光の世から遣わされたマンダ・ダイエー(命のグノーシスという意)が、創造神の支配下で本来の自己=「隠れたアダム」を忘れている人間に、それを覚知せしめ、それを光の世に連れ戻す」という神話を有する。「このような反宇宙的二元論に基づいて救済の認識を説く宗教思想をわれわれはグノーシス主義という」と荒井氏は説明する。しかし、神話がユダヤ教から取られているのでマンダ教をユダヤ教から切り離し異教とするのはできないという。ヘレニズム・ユダヤ教にはパレスチナとその周辺のユダヤ教と、それ以外のディアスポラ・ユダヤ教では事情を異にする。アレクサンドリアのユダヤ教は前三世紀に始まる『旧約聖書』のギリシア語訳、『七十人訳聖書』があった。初期キリスト教の聖典に採用されたという。フィローンこそがヘレニズム・ユダヤ教の代表的人物で、律法をプラトニズムによって解釈したユダヤ人哲学者であったと荒井氏はいう。「フィローンにおいて言(ロゴス)、世界の創造に与り、他方、ヘルメスと等置されて啓示的役割を果す」。エジプトにおけるユダヤ教の周辺に成立したというグノーシス主義、『ヨハネのアポクリュフォン』では、「神の諸属性の末端に位置するソフィアの堕落と救済が、宇宙の創造と万物更新の原型と見なされていると荒井氏は解説する。私はまだそれらの原典を読んでいないのでこれ以上の推論は控えるが、哲学のエクリチュールと宗教のエクリチュールの違いはどのように生まれるのか、主に中世に興隆したユダヤ哲学やイスラム哲学を紹介した井筒俊彦氏の著作『超越のことば』や『意識と本質』などを手がかりに、後半の「詩人論」でつきつめて考えてみたい。最終的には詩のエクリチュールの独自性を追求しようとするものである。プラトンを読んできて旧約聖書に触れるとき、明らかに違うのは「真実の語り」であろう。詩とは一詩人の生涯=生き方と結ばれている以上、社会や世界や他者に対する批判や感慨を込めた表現=言葉が繰り広げられるであろう。預言者たちの表現は文学に近いと思わせる。哲学からも神学からも独立した詩表現をこれから考えていきたいと思う。

 終末論とメシア思想
 「後期ユダヤ教の宇宙論は、人間の運命を世界の運命とおき返ることによって歴史化された」とブルトマンは『歴史と終末論』で述べる。「二つの世の観念が循環する時代という概念にとって代り、それと共に真の終末論が確立された」という。彼によると、多くの民族に見出される「世界の終り」についての神話は、「世界の歩みを自然の年次的な周期性との類似に基づいて考えることによって得られたもの」であり、「天文学上の発見から発生するもので」あり、一廻りの終りが新しい「世界―年」の終りとなる、つまり循環するものと考えられていた。さらにヘラクレイトスは「世界の経過を不変の法則にしたがう生成と消滅とのリズムとして、言い換えれば、常に信仰する不断の流れと考え」、「根本的に合理化した」とブルトマンは解釈する。
 世界―年の歩みは自然的な経過(四季の到来のように)と考えられていたが、後に「それらの時期はその中に住む人間の世代の性格に従って区別され、自然の成長における凋落と消滅の思想が、人間の堕落、悪化という思想に変形された。つまり黄金、銀、青銅、鉄の時代というように描かれた。「それぞれの時代がある金属と結びついた一柱の星の神によって支配されているというバビロンの伝統に源を発している」とブルトマンは指摘する。ネブカドネザルの夢をダニエルは解き明かし、

 王よ、あなたは一つの大いなる像が、あなたの前に立っているのを見られました。その像は大きく、非常に光り輝いて、恐ろしい外観を

もっていました。その頭は純金、胸と両腕とは銀、腹と、ももとは青銅、すねは鉄、足の一部は鉄、一部は粘土です。あなたが見ておられたとき、一つの石が人手によらずに切り出されて、その像の鉄と粘土との足を撃ち、これを砕きました。こうして鉄と、粘土と、青銅と、銀と、金とはみな共に砕けて、夏の打ち場のもみがらのようになり、風に吹き払われて、あとかたもなくなりました。ところがその像を撃った石は、大きな山となって全地に満ちました。(ダニエル書第二章)

 王は金の頭で、後にあなたに劣る国が起こり、その次に青銅の国が全世界を治める。足の一部は粘土、一部は鉄なので分裂した国である。鉄と粘土は合い交わることがないので、相合することはない。これら王たちの世に神はいつまでの滅びることのない一つの国を立てる。一つの石が人手によらず山から切り出され、鉄が石と、青銅と、粘土と、銀と、金とを打ち砕いたのを、王が見たのはこのことであり、大いなる神が後に起こることを王に知らせたのである。
 ダニエルは王ベルシャザルの元年に夢を見て、夢のしるしを述べた。

 わたしは夜の幻のうちに見た。見よ、天の四方から風が大海をかきたてると、四つの大きな獣が海からあがってきた。その形は、おのおの異なり、第一のものは、ししのようで、わしの翼をもっていたが、わたしが見ていると、その翼は抜きとられ、また地から起こされて、人のように二本の足で立たされ、かつ人の心が与えられた。見よ、第二の獣は熊のようであった。これはそのからだの一方をあげ、その口の歯の間に、三本の肋骨をくわえていたが、これに向かって『起きあがって多くの肉を食らえ』という声があった。その後わたしが見たのは、ひょうのような獣で、その背には鳥の翼が四つあった。またこの獣には四つの頭があり、主権が与えられた。その後わたしが夜の幻のうちに見た第四の獣は、恐ろしい、ものすごい、非常に強いもので、大きな鉄の歯があり、食らい、かつ、かみ砕いて、その残りを足で踏みつけた。これは、その前に出たすべての獣と違って、十の角をもっていた。(ダニエル書第七章)

 ブルトマンによると、ここでは「四つの帝国が四匹の獣として描かれているばかりでなく、最後の帝国、すなわちアレクサンドロスからセレウコス四世、若しくはアンティオコスまでの諸王を含むセレウコス王朝の物語の梗概が述べられている」。第一の獣はバビロニア、第二の獣はメディア・ペルシャ、第三の獣はギリシア、最後の獣はローマを表している。第四の獣は天上の会議で裁かれ殺される。夜の幻のうちに見ていると「人の子のような者が天の雲に乗ってきて、日の老いたる者のもとに来るとその前に導かれた。このようにダニエルはさまざまな夢を見るが、終末の到来を告げる黙示であり、終末の日に死者たちは「いと高き者の聖徒のために」審判を受ける。「いと高き者の聖徒」とはイスラエルの民である。世界の二つの時、現在の「世」と来るべき世として対立する二元論が、ユダヤの黙示文学的な思想において展開されているとブルトマンは指摘する。
 旧約には世界の終りにつづく救いの時に関する終末論は、ダニエル書をのぞいてないとブルトマンはいう。二元論は創造者としての神の観念と矛盾するし、神によるさばきは全世界のさばきに就いて語っていない。艱難は黙示文学的文書では来るべき終りのしるしであるが、罪多き国民に下された罰であるから歴史化されている。「メシアへの希望は特に宇宙的神話論に源を発しているように思われる」が、「救いの時に期待されている支配者はダビデ家出身の王でなければならない」ので歴史化されている。歴史の終りは歴史そのものには属さない。終りは歴史の完成ではなく歴史の終止である。新しい創造が古い世界にとってかわり、しかも二つの世の間には何らかの連続がないとブルトマンは説明する。旧約と決定的相違のある、後期ユダヤ教の終末論は、宇宙論的な主題そのものが重要であり、時代の特徴であった堕落のしるしが、世界の終りのしるしとなったという。メシアの出現は「人」の神話論的な像によっておきかえられ、死者のよみがえりと最後の審判が起こる。ブルトマンによると、「新約において旧約の歴史観と黙示文学的な歴史観が二つ共に保存されているが、それも黙示文学的な歴史観が優位を占めるような仕方においてである」。
 
 そこでイザヤは言った、「ダビデの家よ、聞け。あなたがたは人を煩わすことを小さい事とし、またわが神をも煩わそうとするのか。それゆえ、主はみずから一つのしるしをあなたがたに与えられる。見よ。おとめがみごもって男の子を産む。その名はインマヌエルととなえられる。その子が悪を捨て、善を選ぶことを知るころになって、凝乳と、蜂蜜とを食べる。それはこの子が悪を捨て、善を選ぶことを知る前に、あなたが恐れているふたりの王の地は捨てられるからである。(イザヤ書第七章)

 主は勢いたけく、みなぎりわたる大川の水を彼らにむかってせき入れられる。これはアッスリアの王と、そのもろもろの威勢とであって、そのすべてにはびこり、すべての岸を越え、ユダに流れ入り、あふれみなぎって、首にまで及ぶ。インマヌエルよ、その広げた翼はあまねく、あなたの国に満ちわたる。(イザヤ書第八章)

 終末論に対応して現れる救済者の表象は、受肉や神が肉体を具えた子を生む神格化という思想は、ヤハウエの特質と矛盾するのでイスラエルでは排除されたと、マックス・ウエーバーはいう。救世主についての思弁が他の諸宗教からとられ「密儀教・秘伝」へ導く思想を定位しようとすることヤハウエの尊厳を傷つけることになるのでありえなかったし、被造物である救世主を予言から引き出すことができるとすれば、「ダビデの再臨」、あるいはダビデ一族から出た子孫であるが、あるいは超自然的方法、メソポタミアで発見されるような、父親なしで生まれてくる奇跡の子を出現させたのが、右記の引用にある「インマヌエルという子の予言」であるとウエーバーは指摘する。このイザヤ書の記述はイエスを予言したものとしてキリスト教側では尊重したのであったが、ユダヤ教では否定されるべきものであった。

 歴史の断絶としての終末論
 「新約においては旧約の歴史観と黙示文学的な歴史観が二つ共に保存されているが、それも黙示文学的歴史観が優位を占めるような仕方においてである」とウエーバーはいう。神の支配が間近に迫っていることと、イエスが「「自分の時を決断の時と解していたこと」、自分の使信を人々がどのように受け留めるかにかかっている。「さばきはことごとく最後の審判に集中されているのであって、すべての人がその前で自分のなした技について責任を負う」とイエスは考えていた。イエスが呼びかけるのは、「不義で罪深い世代」(マルコによる福音書八・三八)の、個々の人間であり、イスラエルの未来やダビデ家の復興の約束を語ったりしていないとウエーバーは指摘する。『マルコによる福音書』や『テサロニケ人への第一の手紙』や『コリント人への第二の手紙』や『使徒行伝』などに見られる世界の来るべき終りについてのメッセージが新約を貫いて表現されている。なぜなら「キリスト教団はユダヤ人から旧約をうけとり、自らを「神のイスラエル」、「選ばれた民」、離散している十二部族として理解していたからである」とブルトマンは指摘する。つまり、選ばれた祖父からダビデにいたる神の導きの物語と見られていてイエスの派遣を通してダビデと歴史の目標を結びつけている。しかし、「新しい神の民と古い神の民との間には系譜的な関係は存在しない。原則的に相容れない、なぜならアブラハムは異邦人を含めたユダヤ人すべての信者の父だからであり、この連続は歴史から生じたのではなく、かみによってつくられたものであるとブルトマンはいう。新しい民のために旧約の約束が成就される、旧約は歴史として読まれずに啓示の書として読まれる。神の計画とは、「キリストの受肉、十字架上の死、復活及び栄光化ではじまり、異邦人の回心とキリストのからだとしての教会の形成によってつづいて起こり、期待される最後のことがらの起こるにいたって尾張に達するものである」とブルトマンは主張する。キリスト教はキリストの死に基礎を置くから、実際に歴史をもたない。「世界の時が終って終末がさし迫っているいま、この民がどうして歴史をもち得ようか」とブルトマンはいう。彼らにとってこの世界はけがれと罪の領域であり、自分の国籍を天にもつがゆえにキリスト者にとって他国に過ぎないのだとブルトマンは説く。つまり、社会と国家に責任はもたず「自分を世界から清く保って、「責むべきところなく、むくで、まがったよこしまな世代のただ中できずなき神の子となり、この世の光として人々の間に輝く」(『ピリピ人への手紙』二・一五)のようにならなければならないのだとブルトマンは説明する。禁欲と聖化との消極的倫理だけを発展させていくのだという。



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異国に死す、小林稔第六詩集『蛇行するセーヌ』2003年(旧天使舎)以心社より

2012年08月21日 | 小林稔第6詩集『蛇行するセーヌ』

小林稔第六詩集『蛇行するセーヌ』2003年(旧天使舎)以心社より
異国に死す 
小林稔



 引き潮で姿を見せた一本の道が海に伸びて、空を突き刺すように尖塔

が聳える教会のある、モン・サン・ミシェル島を繋ぎ、車を降りた人た

ちが歩いている。浜辺のぬかるみに足を取られながら、大声ではしゃい

で沖に歩いて行く高校生の集団があった。私たちもそうしたい誘惑に駆

られたが、事後の処理を考えればこの道を歩くしかない。入口から土産

屋と、シードルを飲ませ、クレープを食べさせる店が並んでいる。要す

るにここは観光地なのだ。潮が満ちれば俗世間から隔てられ、厳しい修

道生活をしたのは昔のこと。今は脳裡に一つのロマネスクを思い描くし

かないのだ。重く垂れた雲と、歳月にさらされたであろうが、それでも

昔を偲ばせる教会の外観を見て。それが観光の唯一の恩恵である。

 
 なんの知識もなく立ち寄った、サン・マロの海水浴場。カルカソンヌ

の城塞都市。マリアのお告げを受けた少女がいたという伝説のルルドを

めぐり歩いたが感慨がなかった。感動というものは訪れる者との交感な

のだから、不発に終わることだってある。エクス・アン・プロバンスは

セザンヌで知られた街である。ここまで来ると日差しが明るいことは一

目瞭然。アルルまであと少しだ。ヴィンセント・ヴァン・ゴッホが日本

を感じた街だ。狂うように光を求めた彼の情熱とは一体なんだったのだ

ろう。オランダは北の国なのだ。レンブラントの描く闇と、ヒエロニム

ス・ボッシュの寓意を生んだ土壌に命を授けられたヴィンセントが、フ

ランスという異国に身を浸し、そこで死んだ。彼の希求した光は、内面

の闇が欲したものではないか。激しく夢を見、激しく絶望した三十七年

の生涯を思った。アルルに着いたら、彼の足跡を追うのは止めよう。あ

の光と空気に触れることでいい。知識を確認してなんになろうか。


 スペインの田舎町を思わせるような静かな街である。ローマ時代の遺

跡が残されている。円形競技場を見て、路地をいくつか折れたところに

あるペンションを見つけ宿泊することにした。古いクローゼットとベッ

ドが二つ置かれている部屋。長い年月に耐えてきた建物であることはす

ぐに分かった。この落ち着いた街に似つかわしく、私たちの心を和ませ

てくれた。ヴィンセントもこの土地がずいぶんと気に入って生活を始め

たに違いない。パリから友人の画家たちを招こうと思った。彼のまっと

うな芸術への信念を打ち砕いたのは、彼と取り結ぶ人たちの無理解であ

った。共同生活を始めたゴーギャンが彼を見棄てた時、ヴィンセントの

手には剃刀が握られていた。襲いかかろうとした友の瞳に映る、殺意を

燃やした他者、もう一人のヴィンセントを見て恐れおののき、自分に殺

意の刃を向けた。自分の耳を切り落とし放免されることを願った。



ヴィンセント 

ヴィンセント

一直線の熱情が

あなたの筆跡を炎に変える

ヴィンセント

美のイデアは

あなたの瞳に映る世界の表層にあった



だから見つづけた

見つづけることによって

薄い皮膜を剥いでいく

哀しいまでの藍色とむせかえるような黄色

ヴィンセント

あなたを苦しめた精神の発作

神々から授かった狂気

だがひとたび画布に向き合えば

氷のように冷えた脳髄で

火のように燃える激情をナイフで重ねていく

ヴィンセント

あなたもまた忘れられた祖国を夢見た人

椅子の上の蝋燭は友を待ちつづける



オーベールの七月

自らの心臓を逸れた銃弾

カラスの群れ飛ぶ白昼の麦畑

あなたの見えない魂を空の深海に探るたび

大砲のような音が私の耳を打ち砕く

ヴィンセント

あふれる光に目つぶしされ闇を見透した

見えるものはすべてむなしい




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