ヒーメロス通信


詩のプライベートレーベル「以心社」・詩人小林稔の部屋にようこそ。

『幻竜』上野菊江「聖なる丘」大塚欽一「彼らはいつも」平野充「祈祷書」朝倉宏哉「鬼首行き」

2013年04月10日 | 同人雑誌評

詩誌「幻竜」第17号、2013年3月20日発行から

上野菊江氏「聖なる丘」、大塚欽一氏「彼らはいつも」、平野充氏「祈祷書(烏)」、朝倉宏哉氏「鬼首行き」

 

詩誌『幻竜』第17号(2013年3月20日発行)をいただいき、そこに掲載された詩群の深められたテーマの重要さに圧倒され、私のような貧しい思念しか持ち合わせていない詩人には、どこから論評すべきか思いあぐねていく日も過ぎてしまった。同人誌評や詩集評は詩の優劣を決めるという一種の権力的なものを、簡単に言えば<上から目線>の印象を与えかねないが、私はそのようにして論じているつもりはない。しかし単なる感想でもない。私の持っている問題意識と交差するものを持っていると憶測させる作品について、交差するものを深めてみたいのである。とうぜん、形式としての詩のあるべき姿、私自身が追求している作品の形態の点からも論じてみたいのである。

 

上野菊江氏の「聖なる丘」から始めてみよう。

それぞれのフレーズに無駄な言葉がなく、詩人の深い思索と諦念が伝わってきた。神の肯定も否定も人間が自分の利益のために考え出したものであろうが、人間が魂をもった存在である限り、そこにあるスピリチュアルな観念は否定しようがないのも事実である。神について何千年も争いがつづき、なんと多くの人間たちが殺戮されてきたことであろうか。人間にとって宗教も哲学も神概念からの憑依と離散の歴史であったといえる。

 

はじめも おわりもない

ノッペラボーの「時」が流れ流れて

その先端に突き刺された星のような

聖なる丘が揺れている

 

 「時」が どでっぱらのまんなかを

 激しく突き上げてくるので

 聖なる丘は憂鬱です

              「聖なる丘」第一連、第二連

 

 「聖なる丘」とは具体的に何を指示するのだろうか。まず暗示されるのがゴルゴタの丘であろうか。しかしこの詩ではそれを含めた広い意味での、私たち生きる者がそれなしでは、あったこと、なかったことの存在理由が失われてしまう根拠としての場所の概念と私には受け取られるのである。生きることがすべて悪に充ちたことに過ぎない、あるいは幻想に過ぎないという諦念に私たちが徹しきるにはあまりにも軟弱な生き物である。

 

 ことさら陰鬱な金曜日

 アザーンに促され集まる礼拝の群れ

 午後は ビア・ドロローサ 聖なるみちゆき

 暮れれば聖夜 シャバット

 嘆きの壁にささげる聖地の祈り など

 悔しいけれど これ みんな

 永遠 無限のノッペラボーよ

 存在するとも しないとも 決め手がない

                  「聖なる丘」第四連

 

 イスラム教のアザーン(礼拝を呼びかける声)もゴルゴタまでイエスが自ら十字架を背負って歩いたヴィア・ドロローサもユダヤ教の安息日とされるシャバットも、それらの言葉自体は聖なる人間の思いを喚起させながら、なぜこれらルーツを同じくする神を祀る人間たちは憎しみあうのだろうか。神を葬り人間が全能の神に取って代わろうとした科学も、哲学も、芸術も存在する限り、「神は死にはしないのです」と私も思う。

 

 神の命の値段知ってる?

 ―――だから買収されたのです

 

 神はほのかな影だけをのこし

 売られて消えて行ったのでした

 それにしても だれが仲介したのかしら・・・・・・

                   「聖なる丘」第六連、第七連(最終連)

 

 衰退した経済を立て直すため、いま日本は物の売買を盛んにしようと懸命になっている。生きる基盤は経済であることに異論はないが、かつて日本が驚異の経済成長をとげたとき、物ではない精神の欠落を説いたのではなかったか。ここでいう精神とは、思想と生活の連結、生きる場から生み出される思想のことだ。そのとき(七十年前後)青年期を迎えた私は、日本は精神面では依然として後進国であることを強く自覚したのである。その後バブルがはじけ、経済が破綻すれば物質と精神の両面での欠落が見えてくる。東日本大震災以降、精神面での重要なこととは何かが、より具体的に見えてきたのである。一言でいえば経験の意味するものの重さであろうか。現在の日本は経済復興が先決であると叫ばれているが、詩人たる者は彼の自覚において、自らの生きる場での生と死の深い意味と行為も考えなければならないと思う。「聖なる丘」という詩への感想から離れてしまったように思われるかもしれないが、この詩の後半部は、私にそのようなことを考えさせたのである。

 

 次につづくのは、大塚欽一氏の「彼らはいつも」という詩である。冒頭の部分から始めよう。

 

 身震いするような夕焼けの壮麗から

 夜空の星たちの凍えるような輝きの闇から

 昏れていく海の茫洋とした彼方から

 山と積まれた瓦礫の異臭の下から

 彼らはいつも不意に現れる

 心にぽっかりと穴が空いている時に

                   「彼らはいつも」第一連

 

 夕焼けの壮麗、夜空の星の輝き、海の彼方から、これらは圧倒的な自然の深遠さだが、それだけでなく、瓦礫の異臭からやって来るものとは何なのだろう。異界からこの世界に訪れる霊的なものか。宗教では神は限りなく遠い世界から現実界に降臨すると考えている。私にとってはポエジーがそれとアナロジーの関係として受け取っている。深層意識の底から立ち上がってくる可能態としての言葉である。しかしこの詩の作者においては別のものとして感じられている。

 

 彼らはすぐそこに立っているが

 言葉に拘る目には見えない

見ることに拘る声は届かない

ただ彼此を隔てる存在の薄幕を通して

吐息や眼差しをかすかに感じるだけ

おおその息の何と静かなこと

                  「彼らはいつも」第三連

 

ここまで読み進めると、彼らとは死者たちであると思えてくる。詩人とは生きながらにして死を半ば生きている存在である。死はやがて己にやって来る領域であるのではなく、死を生きながらにして取り込んでいるのである。言葉とかかわる者であるからである。

 

目覚めたばかりの人が夢の跡を思い起こすように

私は思い出している

薄膜に耳を押しあて

飛び去っていったものの息を感じながら

わけもなく涙を流していた私を

幽明の境で小枝がかすかに揺れている

                 「彼らはいつも」最終第六連

 

 生きながらにして死を生きる詩人には、この目にする世界が郷愁を帯びて見えてしまうことがある。それは時間の旅人である詩人にしか持ちえないものではないだろうか。若い頃の放浪した旅を記述していたとき、ふとそのときの感覚が現在時に甦ることが私にあった。そのとき私が感じた懐かしさは、どこか死者のこの世に向ける眼差しであろうと直覚したのであった。「目覚めたばかりの人が夢の跡を思い起こすように」とはそれに似た感情であろうか。作者大塚氏は、この号にもう一つの詩、「ここはどこ」を載せている。こちらは死者が命をなくしたこの世での「時」を回想している設定で書かれている。つまり死者の思いを代弁しているような描写がつづくが、何か実感が乏しいように感じられたのはなぜだろう。よく言われることだが、人は自分の死を目撃できない。ここにはエクリチュールというものの本質を解く鍵、つまり詩とは何かを解く鍵があるように思われてならない。

 

 このことと関連して、平野充氏の「祈祷書(烏)」を詠んでみよう。この詩は「亡霊」と「成生」という詩で構成されている。

 

 もうすでにいない筈のわたしなのだが

 そのいないわたしが 依然としてここにいる。

 不思議なことである。

 もしかすると

 ここにいるのは わたしではなく

 わたしの亡霊。

 そして

 その亡霊が わたしに言う。

 おまえは誰か? と。

                     「亡霊」

 

 これが「亡霊」と題された詩の全部である。生きながらにして死を抱えてしまった人の、生きる時間での逸話であろうか。「もうすでにいない筈のわたし」という確証はどこにあるのか。その確証がなければ「そのいないわたしが 依然としてここにいる」とは言えないのではないか。まして「わたしの亡霊」と言い切ることもできなのではないか。その「亡霊」が「おまえは誰か?」と問う。私にとっての詩は、この世に存在する個としての「存在」と、私のなかの深部に隠れている「他者」との「邂逅」である。経験し思考する自分を書くことが詩なのではなく、私をエクリチュールに駆り立てるものが詩なのである。経験のなかに啓示される言葉がつづられたもののことである。したがって作品は生成する詩人の一つの断面に過ぎずないと思っている。詩を書き始めた四十年以上前から、少しずつそのような思いが強くなり確信になった。そうした間にも、このように考える自分とは何者だろうと考えることがある。この詩で描かれた感情に近いものがある。「もうすでにいない筈のわたし」とは、生成する現在の自分にとっての過去の自分である。作者の思いとはおそらくずいぶんかけ離れた解釈であるかもしれない。

 次の「成生」と題された散文詩の方がわかりやすいと言えようか。

  

わたしの誤りは 産声をあげたことだ。背中を叩かれたあのとき

声をあげなかった 地上に下りることはなかったし それによって、

死に囚われることはなかったのである。

 わたしをこの死の掌中に逐いやったのは 誰の手だったのか。神

の祝福の手か。いや そうではない。あれは 紛れもない人間の手

だ。

                 「成生」第一連

 

 「生まれたことは永遠の災厄である」と考えるのは釈迦の根本思想である。したがって解脱し、輪廻転生の輪から離れ涅槃にたどり着くことを理想の境地とする。ここで述べられているように、産声をあげるときに、セネカのように高みから人生を俯瞰し、人生の開始を行なえるはずはないだろう。転生するときにはすべての記憶はゼロに戻されるからである。セネカの言おうとしたことは、死を先取りすることで生きることを選択し、この瞬間を充実して生き、ほんとうの死の瞬間に平穏な気持ちをもって迎えようとする技法なのであろう。それはともかくも、この詩の作者、は生を受けたことが死の始まりであるという強い思いから、この人生の意味はどこにあるのか、「最良の場所であるという確信」を「放棄した」と書いていることから、人生に意味はないと結論づけたのである。

 

  どのような形であるにせよ そこに留まっていたのは確かなのだ

が 痕跡は 何もなかった。そして夜明けは 無いのかも知れない

のだ。

 

 このようにして死は終る。

                 「成生」第六蓮、最終第七連

 

 ここには徹底した厭世観が見られよう。救いはないのであろうか。いやそうではない、この詩を書き残し人目に晒した作者がいる。言葉を信じようとする作者がいる。詩は無限に遠くから私たちの足許、つまり日常世界に到来し亀裂を与え、詩以外に心を奪うことを許さないくらい嫉妬深く、作者の不幸に群がろうとするものである。生のすべてを逆説的に獲得させようとする悪だくみなのであろうか。

 

 最後に、朝倉宏哉氏の「鬼首(おにこうべ)行き」という詩を述べてみたい。

 

 高校時代

 鬼首行きのバスを見るたびに

 乗って行きたいと思った

               「鬼首行き」第一連

 

 高校時代の「私」はバスの行き先の名前に興味が引かれていた。「人首(ひとかべ)」「姉体(あねたい)」「母体(もたい)」「生母(せいぼ)」を通って、その先に「鬼首(おにくび)」とうところがあることが第二連で書かれている。地名とは不思議なものである。そのひとつひとつに謂れがあるはずであり、想像力を駆り立てる、つまり自分自身のストーリーを持たされてしまう。調べて明確にしたいという気持ちを持続しがらも、そのまま謎にしておきたい気持ちが起こる。私たちの心の深部には、地名に限定されず、物事の秘められた部分を長い間持ち続けてしまうことが起こりえる。

 

 あれから五十有余年が経つ

 今 ぼくは

 鬼首行きのバスに乗っている

 同級生たちと

 同級会会場鬼首温泉ホテルに向かっている

                「鬼首行き」第三連

 

 「山ふところ深い」鬼首ホテルに、かつての同級生たちが集まってくる。宴会場では「この一年に鬼籍に入った六人の名前が告げられて/長い沈黙」とある。一人ひとりの肩書きが思い起こされ、いっしょに学んでいた頃の若き姿が脳裏によみがえったであろう。人の一生は短い。それゆえ一時期をともに過ごした思い出は貴重に思われてくる。

 

 六人の同級生のそれぞれの晩年と死がひそひそ語られ

 欠席者の誰彼の消息があいまいに語られているうちに

 酔いがじわっじわっとまわり

 朦朧とした目に映るのは

 白百合のマドンナも紅顔の美少年も

 おどろおどろした鬼の首

                「鬼首行き」第八連

 

 ユーモア豊かに語られているのは、人生の悲しい真相である。「鬼首」とは、鬼籍に入った人たちの首であったとは。

 

 あこがれの鬼首に勢揃いして

 今にも鬼剣舞を踊り出しそうな

 三十六匹の鬼の首

                「鬼首行き」最終第九連

 

 人は死ぬと鬼になるのだろうか。いや、この世に生きる人間自身がすでに鬼だったのだ。ボードレールは人間たちに巣食う悪を暴き出そうとした。「読者へ」という『悪の花』の巻頭詩で、「愚かさ、過誤、罪、吝嗇、それらは/われらの精神にどっぷり居座り、われらの身体を弄ぶ/われらは愛すべき悔恨を養っているのだ」と書いた。私はこの歳になって初めてこの詩の真意を読み取れたように思う。そのようなカルマから抜け出せなくしているのは「倦怠」だと彼はいう。詩はそれらに叛逆を企てるものでもある。ボードレールは「新しい花々」を見つけ出そうとした。ランボーは「思想の開花に出逢おう」と言った。現代詩から忘れ去られようとしていることではないか。話は大きくそれたがしかし詩はどのみち、この世界のことでしかない。「私の同類よ、私の兄弟よ!」と叫んだボードレールも、この世界の外に出ようとしたが、見出したのは、アフリカでのもう一つの現実でしかなかったランボーも、詩は人間界の諸事から生み出されるものでしかないということなのだろうか。

 

 今回、四人を取り上げてみたが、他にも興味を惹かれた詩が多く見られた。勝手な感想になってしまったことをお詫びしなければならない。

 

 


野木京子「紙の扉」、瀬崎祐「洗骨」詩誌『風都市』25号

2013年02月20日 | 同人雑誌評

 

同人雑誌評

小林稔

 

 野木京子『紙の扉』、瀬崎祐『洗骨』詩誌「風都市」第25号より

 

とうぜん詩を書く者にはいくつかの詩法の相違がみられるが、ポエジーという概念から考えれば、相反する詩法であっても問題を提示するものであるといえる。例えば、私のように、「詩」という啓示に促され、生き方さえ変えてしまい、常識的な世界から意識的に離脱し言語の世界を突き進んでいくタイプの詩人がいる一方で、常識的世界を遵守するなかで、そこに潜む非現実を注視し、言語的に深みを追い求める詩人もいる。いずれにせよ詩(ポエジー)というものはこの世界とは別次元から由来するものであり、私たちの生きる空間に到来するものであるという実感においては共通しているように思う。また、それらは言語との関連から考えられるべきことであるという点でも共通している。上に挙げた二者の後者、つまり日常的世界、常識や慣習に縛られた世界にしっかり根を下ろして生きる詩人でこそ見えてくる詩の世界を展開する領域では、同じようにして生きる圧倒的多数の読み手には、「詩」の入り口が見えやすく理解を得られやすいのは確かである。

 「詩は一詩人の生の場における経験、日常的経験世界に、亀裂のように訪れるものである」というのは私の持論である。言い方を変えれば、表層的世界の裏側には深層的意識の世界があり、そうした意識が表層世界に現われるとき、この世界の秩序を乱すものとして私たちに意識されるということでもある。どちらの世界においても究極的には言葉によって捉えるしかないのである。後者の詩人たちは、秩序の亀裂の裏側に別の世界を暗示する表現を見つけ詩を獲得しようとしているように私には思える。

 瀬崎祐個人誌『風都市』25号が送られてきた。瀬崎氏の二編の詩とゲストとして招かれた野木京子氏の二編の詩が掲載されている。まず野木氏の『紙の扉』から見てみよう。

 

 それなりの長さの旅を終えつつあり

 残された扉を通り抜けていく

 それはきっと紙の束でできた厚い扉で

 扉にはゼラチン状の人の心が滲んで

 紙という繊維の 些細な岐かれ道にまで浸透している

                (冒頭から5行目まで)

  旅を終えた地点で通り抜ける、紙の束でできた扉という設定。「人の心が滲んで」という表現から、書物を読み終えた後の書き手の想いや、それを読むため何度も人から人に渡った古書を思い起こさせる。紙を媒体とする読書から醸し出される一種の味わいであろう。

 

 繊維の道はどこを進んでも行き止まりなので

 どこに行くこともできなかった

 それでもくまなく進むことはできた その紙の扉の中を

 風が冷たい空を渡る音がきこえていた

 山の腐葉土の匂いがしていた

 隠れたままのけものたちが

 この繊維のなかで鼻をあげて

 星雲が渦を巻く瞳を

 聞いていた

                   「9行目から17行目まで」

 

 「人の心」が滲んでいる「紙の扉の岐かれ道」に意識を辿り表現を進めている。紙の源泉を探っていくと山の木々に行き着き山林に棲息する獣たち、宇宙を取り込む獣たちの瞳が浮かび上がる。人生の途上で出逢う紙の扉=書物の扉には書く者、読む者の多くの想いが浸透している。そこから開けてくる日常生活とは別の世界が言葉によって織られていく。そこに詩を探りあてようとしていると思うが、そのことは、この現実世界に何をもたらすのか、どのような意義があるのか私は知らない。

 

 次に瀬崎祐氏の「洗骨」を読み進めていこう。

 

 いつくしんで泥のなかにうめておいた

 今宵に千回の夜をへてほりおこす

 空では月が雲にかくされている

 にぶい光がもののかたちをあわくしている

 みえないところでとけだしていくのをまっていたのだ

                   「1連一行目から5行目まで」

 

 「いつくしんで」「うめておいた」ものが何かは書かれていない。淡い光のなかで「とけだしていくのをまっていたのだ」とある。2連から類推するに、それは骨であることがわかる。ひらがなを多用することで周囲のうすぼんやりとした情景が神秘的な雰囲気を醸し出しているといえよう。

 

 待つものと待たれるものが

 あわくからみあっていたのだろう

                   「第一連最終2行」

 

 骨には

 まだいくらかのものがこびりついている

 かざりすぎていたものがあっけなくうしなわれて

 すてきれなかったものだけがこびりついている

 ほそくよじれた神経繊維がとちゅうでとぎれながらも

 まだなにかをつたえようとしている

                   「第二連冒頭6行」

 

 

 ここでも「骨」と「神経繊維」以外はすべてひらがなで表現されている。「すてきれなかったものだけ」が残る骨が何かを動かそうとしているのは「みれんでしかない」と指に伝えさせようとする。作者はそのように表現したかったのだ。

 

 つめたい水をふかいところからくみあげる

 あらう心がつめたければ水もつめたい

 そのなかに指をしずめて熱をうしなわせる

 ふれるものへのおもいがしびれてうしなわれていく

 とけだした時間がすきとおっていく

 わたしはみている

 こびりついているものをただみている

                   「第三連冒頭7行」

 

 「骨」や「指」は作者自身の肉体であろう。普段は考えずに日常世界を送る作者の意識が今宵、自分の、意識とは対になった身体を空想しているように思える。私たちは意識においてものの存在を確認している。意識が去った後の肉体は物質でしかないだろう。それは個体の死を意味する。上記した「第三連冒頭7行」は、この詩の中でも表現の上手さが際立っている。第四連以降は二行、一行、二行と一行空白を置いて書かれているが、やや散漫であり、説明的で物足りなさが残る。

 

 あらわれはじめた白さを月がてらしている

 

 すべてのあたたかさをぬぐいとられて

 これからはじまる時間がある

                   「最終行3行」

 

 「あらわれる」という表現には、「洗う」と「現われる」の二語が縁語になっている。詩の虚構はたんなる絵空事ではなく、「真実」を描き出す手法である。そういう見方をすれば「洗骨」は成功した詩であるといえよう。そうであればこそ、「虚構」は詩人の現実に何かを与えずにはいない。詩人の実存意識に変革をもたらし、意識の深層から呼びかけてくる声=コトバに耳を傾けなければならない。「これからはじまる時間」とあるが、ほんとうのエクリチュールはそこから始まるのだろう。


「半双の夏」北条裕子、詩誌『木立ち』113号2012年9月25日発行

2012年10月28日 | 同人雑誌評

「半双の夏」北条裕子、詩誌『木立ち』113号2012年9月25日発行

小林稔



「半双の夏」と題された作品は次のように始まる。

  まひる
  誰も乗っていないバスが
  目の前を通り過ぎる
  私の乗るべき筈だったバス
  あのバスの終点は 私の町だ
                「半双の夏」冒頭五行

 よく見かける光景である。この詩では真昼だが、夜の田舎道で誰も乗客のいないバスが全速力で走っている光景は異様である。ここでは「まひる」、乗り遅れたのか見送ったバスが終点の筆者の住む町を想像理に浮かび上がらせる。あの町に住む自分を距離を置いて考えさせたのであろうか。

  草にうずもれた 帰っていくべき墓 ふたつ みっつ
  死者である祖母や叔父や叔母は
  寂しいのか 寂しくないのか
  墓の上に 青空が 雲が
                「同」第一連最終四行

 どこか渇ききった感情が感じられる表現である。現実を醒めた目で見つめながら、現実とも別の世界とも区別のつかない視線。焦燥感とも違う冷徹な眼差しといいえるような。

    ねえ君
    次の夏の黒い鳥の影がとんでいるよ 粗い粒子の
    もうこの頃は季節の変化に 心がついいていかない
                「同」第二連全部

 未来の時間を計測する自分と、現在の時間のスピードに追いつけない自分がいる。
  
  今日 六時半に目が覚めた 時計を見ると 五時だった ふたたび眠りの中にもぐり
込む またバスがくる これは現実ですか 夢ですかと 乗り合わせた天才ピアニス
トの青年に聞く サヴァン症候群の彼は 現実ですと 力強く答え 二〇一四年の八
月一日は金曜日であることを教えてくれる 私は安心して 背もたれに寄りかかる
                  「同」第三連全部

 ここは叙述体の散文で書かれている。現実と夢が混合していることがわかる。夢の中でもバスが走っている。「走る」ことに強迫観念を感じさせる。ピアニストの逸話は夢である。これは筆者の日常であって、不安定な経験的世界の出来事であろう。これまでの三つ連では形式を変え、読み手に意外性をもたらせる工夫がなされている。筆者の心の変動を伝えるための必然的工夫である。唐突なイメージを表出し読み手を驚かせる技法は詩の大切な要素である。世界に広がりと深みを与えるからである。しかし、そういったテクニックだけを際立たせる詩をよく見かけるが、他の表現との遠いつながりを感じさせないと失敗に終わる危険がある。ここでは夢の不可解性をよく現わしていると思われる。

  瓦礫にはさまれた河を
  少年が
  朗らかに 歌いながら 泳いでいく

   ここはどこなの

   ナイロビだ
   濁った水の澄む地

  大きな蛇が
  首を 持ち上げて
  河をすすんでいく 半双の夏

  明るい陽射しに 顔を向けて
  まぶたに 光をあてていると
  前にもこんなことがあった気がしてくる
                 「同」第四連全部

 この部分の十六行(空白四行)をまとめて第四連としたい。この詩人の原初的風景とでも呼びたくなる突然の光景である。夢というより、白昼夢に近い。詩人にとっては非常にリアルな、日常より実在感を感じさせる描写である。「瓦礫」という言葉に昨年の大震災を感じてしまうが、このような文明から離れたアフリカ的世界では、破壊と創造のエネルギーが満ちあふれている場所である。人間は自然と共生して生きている。「濁った水の澄む地」という表現は暗示的である。詩の題名にもなった「半双の夏」とは、自分があくせく生きている文明の地の夏と、想像理にある反文明の地の夏の、互いに対となった存在の関係を表す言葉のように思ったが、筆者の思いとは異なっているかもしれない。この連を持ってくることによって、詩はさらに広がりを見せる。

  孤独だけど 寂しくない 心の内側も陽にさらして せいせいと生きていく 点々と
  置かれたひらたい石を 飛び越えて 広い場所に出る 風が吹いてきた もう どこ
  にもいかなくていい 帰らなくてもいい ここから振り返ると 今までいた土地はな
  んだか奇妙に見える
                 「同」第五連の前半

 ここは三連と同様に散文で書かれている。現在の筆者の心のありようが窺えるところである。どこへも行かず、どこへも帰らないという決意。詩人は知っているのだ、ここ、この自分のいる場所でこそ詩が生まれるということを。詩人は自分を突き放し、遠方から自己を見つめようとする。視線は絶えず詩人の生きる日常の世界に据えられる。自己変革を試みているのだ。「ここから振り返ると 今までいた土地はなんだか奇妙に見える」のがその顕れであろう。

  干し上がった溜め息のような
  齧りかけの嫉妬のような

   そんなもの忘れてしまいなさい
                 「同」最終連

 「孤独だけど 寂しくない」。孤独な者だけがつかみえる詩。筆者はあくまでポジティブに生きようとする。絶望や苦悩などという文学的テーマと絶縁し、新しい詩の世界を生きようとする。詩人はどのような生存の方法を見つけ生きるのだろうか。夢とも現実ともつかない不確実な日常生活において生きる証を実感するには、詩(言葉)をつかみみ取るしかない。絶えず幻影と戦わなければならない。詩作と主体の関わりを強く感じさせる詩であった。


同人誌評、「八月」柏木勇一、詩誌『へにあすま』43号2012年9月15日発行

2012年09月20日 | 同人雑誌評

同人誌批評
「八月」柏木勇一、詩誌『へにあすま』43号2012年9月15日発行



八月



おまえはこれからどこへ行くのか

地の底を歩くひとからの
年に一度のあいさつ
その人の名は言わない
還らなかった仲間の中でいちばん孤独だったひと
世界のだれもがたどりついたことのないどこかへ立ち去った
世界のだれもがたどりついたことのないどこかへ潜むために
                           「八月」冒頭八行

 
最初の一行は作者に向けられた死者からの言葉だが、読み手の一人ひとりに投げかけられている。次に続く六行は、作者の主観でそう感じたに過ぎないのだが、事実よりも想いの方に私は心が引かれるのだ。このあと二行が下方に並べられている。

                       誘うために
                       導くために
                         「同」九行目から十行目

 
作者の中で、この「いちばん孤独だったひと」は生きて「どこへ行くのか」と問いかけている。人は必ず死ぬ。そこが終わりではなくもう一つの場所の入り口であるなら、すでにこの世から消えてしまった、逢いたいと願う人のいるところへ「私」が行こうとするのはとうぜんであろう。肉体が滅びた後の道行きなのであるから、そこは魂の行き着く先である。「世界のだれもがたどりついたことのないどこか」と表現されていることから、その人の生前の孤独の深さゆえ、他界においても治癒されず孤独のままで、「誰もがたどりつかなかった」ところに、その魂が潜んでいることを作者は伝えている。
 何もかもが不確実な現象世界に私たちは生きている。昨年の東日本大震災以降、生はより危険にさらされている。神戸大震災があり、オーム事件があり、9・11を体験した私のような戦後生まれの人間にそれらは大きな衝撃を与えた。これまでにない出来事が立て続けに起きたが、今回の東日本大震災と原発の問題は格別に日本の未来に不安をもたらしたのではないかと思う。同じ国の人がこれほど大量に亡くなるのは耐え難いことである。その危惧は終わらずに、今後も私たちの、さらに次の世代にも長くつづいていくのである。

   
地の底を歩くひとから
問われるなら答えよう
あなたがたどりついた場所に行きます
これからどこへ行くのか と問われるなら
問われるならそう答えよう
                      「同」第三連


 今回の大震災とこの詩は直接の関係はあるのか分からないが。しかし悲惨な死に方をした人を喪い残された者の思いも同様であろう。「その人」は生前、孤独のうちに命をなくし、その孤独な生ゆえに死後もその人の魂は他の魂と離れてあるということが理解される。日々迫りくる老いを見つめる作者も、自分は「地の底の入り口がちかづいている」と感じ入っている。「知を求めるひとは死にゆくことをつとめとする」(プラトン『パイドン』)や、魂によって使い古された言葉をよみがえらせるのが詩であると信じる私にとって、東日本大震災での死は詩を書くことを躊躇わせもすれば勇気づけもするのだ。


   八月
   水槽の魚の目が乾いている
   青蛙が炎天の草場を踏んだ
   刈り取ったばかりの草がたちまち糸状になった
   逃げ水に映る濃縮された記憶 空虚な現在
   陽炎の奥行が夏ごとに長さを増して
   いよいよわたしは
   地の底の入り口に近づいている
                      「同」第四連


 夏は死者を身近に感じさせる季節だ。この連ではさすが長年書き続けてきた作者の技巧の上手さが際立っている。「魚の目」が乾いているという表現に、私は「行く春や鳥啼き魚の目は泪」を思い起こさせた。死者の旅立ちと自分のみちのくの旅立ちを重ねるこの芭蕉の句の、離別の哀しみを表した「魚の目は泪」も凄い表現であるが、「魚の目が乾いている」という表現も劣らず深みがある。次の四行もまた、夏に忍び込む非日常的空間を案じさせる。私ならここから詩を始めてしまうところだが、この詩の作者は冒頭は平易な言葉で読み手を導いている。私がこの詩にいちばん惹かれるところは、作者の思いを、その決意ではっきり示しているところにある。


   熊蜂が蜘蛛の巣から蝶の幼虫をかすめ取っていった
                      「同」第五連


 「地の底の入り口に近づいている」と書いた後、一行置いて書かれたこの客観的描写は、自然界の営みの残酷さ暗示して、生きるものの業(ごう)さえ思い起こさせ、詩全体を考え深いものにして効果的である。




武田弘子「無人駅」、季刊詩誌『舟』148号2012年8月15日発行より

2012年08月26日 | 同人雑誌評

武田弘子「無人駅」・季刊詩誌『舟』148号2012年8月15日発行
小林稔

 以前にも取り上げさせていただいた季刊詩誌『舟』の最新号148号から、気になった作品、武田弘子氏の「無人駅」にコメントしてみたいと思います。


   読みさしの本の頁から絵葉書が落ちた

   丸いテーブルと椅子
   メタセコイアの葉陰から
   六月の光がこぼれて
   白いテーブルの上を風が走る都会のテラス
   そこに誰を坐らせよう?
   まだ新しい朝の匂い


 「無人駅」はこのようにして始まる。癖のない文体で誰にでも入っていけそうな出だしである。だが、次の三連目の最初の二行で何げない日常を描いて終わる詩ではないことに気づく。


  「マルクス・アウレリウスを読んでいます」
   友人はしっかりと行き先を告げて来る


 一行目の「絵葉書」はこの友人からの手紙であったことがわかる。筆者がいう「無人駅」とは、例えばこの友人が行くところであったのか。ある本を読むことで始まる旅をいいたいのだ。


   ここから老人ホームの窓が見える
   おびただしい機器に繋がれたベッド
   そのまわりを巡る白衣の影
   閉ざされた肉体の中に
   ただひとつの鳴り止まないさみしい暗号


 生きるものが必ず辿りつく死。最新の科学は死を引き延ばそうとする。その一方で、生の意味を見つけられないままに肉体=物質と魂=精神の縫合をできる限りつづけさせようとしている。命は大切だ。それは誰でも考える。しかし精神を鍛え生の意義を考えてきたのだろうかと自問自答する。そうする人は昔から少数であったに違いない。マルクス・アウレリウスの『自省録』を読んでいると告げた友人は、生の意義を探求する旅に出ようと無人駅に向かったのだろう。たんに知識を身につける旅とは違い、自分自身の実存を求め、人間とは何かという原点を思考する厳しい旅なのである。マルクスの思考した後に残された言葉をたどり、自分の問題に引き寄せながら自分の生を考えることなのである。おそらく筆者はそのことを知って、友人の後姿を見送っているのだ。
 私は八年前の2003年以降、肉体的な危機にあったとき、ミシェル・フーコーの『自己の解釈学』という書物に出会い、いかに生きるべきかを知ろうとする私は、この難しい書物を何度も読み返した。その後、講義録のシリーズとして別の翻訳本が出るたびに購入して読んでいったが、特に『自己への解釈学』は今読み返しても新しい発見がある。(詳しいことは私が書きつづけているエセー『自己への配慮と詩人像』で述べているので参照。)
 端的にいうならば、「汝自身を知れ」というデルフォイのアポロンの神託と一体のものとして、「自己への配慮」という古代ギリシアに流布していた考えを、プラトンはソクラテスという人物を通して哲学の主題に確立させたのである。それから数百年後、ヘレニズム期の一、二世紀、まだローマにキリスト教が確立していないころ、プラトンの「自己への配慮」の主題が、人生全般を通して考えるべき問題に変わり、セネカやマルクス・アウレリウスによって後期ストア派の思想として定着したのである。彼らにとっては厳しい訓練という実践を通してエクリチュール(言語化)していくものであった。己の死を目前にして、いかに平穏にそれを受け入れていくか。そのときまで、「知と実践」をつづけたのである。
 自己を配慮することに心がけなければならない。では配慮すべき自己とは何か。自己を知るために、現在時の自分を無化しなければならないと彼らは考えた。セネカは高みからこれまでの自分を俯瞰する方法を取ったが、マルクスは周囲の事物への意識を解体させ近視眼的に自分を見つめなおしたのである。意識の表層にあるのが自我であり、深層にあって自我と連結するのが自己ではないかと私は思う。とにかく私はフーコーのいう哲学と霊性に興味を抱いたのであった。これはフーコーの、デカルト以後の哲学に対するアンチテーゼである。詩作も同様であり、詩人としての(実存的)経験を軽視し、自我と言葉の戯れに始終している現代詩への反論になると私は考える。ここではこれ以上述べないでおくが、今ある現実を意味あるものにするために、思考と実践は避けられないものである。
 それにしても、詩の一行「ただひとつ鳴り止まないさみしい暗号」とは何だろう。


   向かいの保育園の庭では
   大きな栴檀の木の周りを廻り続けている少女
   どこ迄も廻り着けない光の輪
   のけぞる喉に空が近付く


 前の第四連では現実に忍び寄る死をイメージさせれば、この五連ではこれからの長い生を与えられた幼児たちの生命力をイメージさせているといえよう。死と生の連環である。
 人生には生きるに足る価値がほんとうにあるのか。ないとするにはあまりにも現実は輝いているではないか。しかし充足した人生とはいえない。何かが欠けている。マルクス・アウレリウスは一つの例であり、他の無人駅もあるが、筆者はまだ見つけていない。


   まぶしく 私の指は
   丸いテーブルの縁をなぞりながら
   まだ友人にわたしの行く先を告げられない


 「ただひとつ鳴り止まないさみしい暗号」は解かれなければならない。筆者の肉体でも鳴っている限り無人駅を探し求めるだろう。それは一人ひとりが自分の仕方で見つけ出すものであろう。私は、セネカやマルクス・アウレリウスのエクリチュールが詩の可能性を示唆しているように思えてならない。