使者
小林 稔
始まりは部屋であった。そこには無造作に置かれた物たちとの交信
があった。緑のランプシェードから放射される光が柱に架けた『受
胎告知』の絵を映し、私をさらに夢想に駆り立てた。不可視なる世
界から両翼をしめやかに降ろし生誕を告知する天使の到来を匂わせ
る非現実空間は、たましひが奪われ去られたかつての度重なるエロ
ースの記憶を引き連れて、日常空間に亀裂を加えるのであった。ま
さに私の精神に一つの生命が誕生する予兆の刻(とき)であり、精神の浮遊
の前奏であった。
現実界と想像界の二重性に生きることには悪の怪しさが内包されて
いた。私はなぜか一瞬、畏怖と陶酔の入り混じった気持ちでたまし
ひが私の身体から抜け出し限りない高みへ私の意識が導かれてゆく
のを直感した。街を歩き思考する時に変身願望の意識に操られ、き
のうとは他者なる私がいた。本のページを閉じたところから、銀幕
に光があてられたところから、主人公の生が私の生を生き始めた。
無限に遠い彼方から私の部屋に訪れる異界。生を変え得るという機
能ゆえに、私は知らず知らずのうちに言葉を口ごもるようになった。
言葉が私の足許に舞い降りたのであった。真実の生はいかなる様態
であるべきか。私の偶然の生が宇宙の原理のいかなる必然に終結さ
れるか、詩とは訪れた言葉をもって来るべき思想の誕生に立ち会う
ということ、それらに以後の私の生の指針は向けられた。
詩学が宗教と哲学の精神の構図をアナロジーとする詩作(ポイエーシス)であるな
らば、異界(天上界)と私をつなぐ使者が反措定された。彼方から
の招来の声に応える詩人である私は、精神の浮遊のベクトルを作動
させ、ここでない遠い場所へのさすらひに私は旅立つのであった。
人生すなわち詩作こそが旅であると後年、識ることになった。