ヒーメロス通信


詩のプライベートレーベル「以心社」・詩人小林稔の部屋にようこそ。

藁と臓器、『遠い岬』小林稔第八詩集2011年以心社より

2013年05月15日 | 小林稔第8詩集『遠い岬』

小林稔第八詩集『遠い岬』2011年以心社より

 

藁と臓器 ――鳥たちの囀りについて

 

物たちをきしませる夕暮れ

消え入りそうな 平たく薄い胸のうちに

血の臓器がしまわれているのを

どうして信じられようか

その弓なりに反った体軀から

いかなる矢が飛ばされるのか

 

夢の痕跡のように

棄てられた貝殻を踏みしめ

海藻が打ち上げられた岸辺を歩く

私をすり抜けていった〈時〉の断層に

夏の少年たちが見え隠れしている

くず折れる体軀を胸にとどめ

彼らが墜ちてきた空を仰ぐが

どうして想起できようか

すばやい動きをする鳥たちが

見えない翼をバタつかせ

一番高い樹の上で鳴いていたのを

 

詩句は流れやまぬ〈時〉に刻印された足跡

恩寵のように到来する詩句は私の記念碑

老いた肉の破片から

郷愁のようによじ登る私の性

すべてが失われた すべては失われていない

振り返ればペンは動きを停止するだろう

いまだ名づけられない事象が 記憶の底で

私の生きるべき道に

絨緞を広げようと待ち構えている

――思い出よ、これらの言葉に讃えられてあれ。

〈時〉が私を滅びへと導いていくが

藁をつかむように言葉をつかみ

風を呼び起こし 歳月に勝利し

詩を求め彷徨い出た人生は夢であったと

とつぜん眠りから醒めたようだと呟くのだろうか

いまは放蕩の終わり 鳥たちのさえずりは

老境の閾を跨いだ私を 彼方への羽搏きに誘う

疾走する少年たちの脚の乱打を遠くに聞きつつ

忘れられた岬へ歩みを進めていく

 

 

     註・〈思い出よ、これらの言葉に讃えられてあれ。〉

プラトン『パイドロス』(250-C)の一節。天空の彼方の思い出

であろうが、なぜか天空から地上を追憶しているような郷愁に

かられる。過去という鏡に反射した光線が未来という鏡に反射

して私の視界を貫いたように。

 

copyright 2011 以心社

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時の形相、小林稔第八詩集『遠い岬』2011年以心社より

2013年05月13日 | 小林稔第8詩集『遠い岬』

小林稔第八詩集『遠い岬』2011以心社より

 

時の形相

 

雨に烟(けぶ)る田園の蛇行する畦道を

傘ももたずに少年のきみが歩いている

私は薄暗い部屋の窓越しに眺めているが

瓦を打つ雨音がどこか頼りなく聴こえ

身体に滲む入る雨水を気化させるきみの体温に

これほど離れて私は胸の芯部を熱くする

 

一日は春の日の眠りのようにゆるやかに過ぎ

一年は彗星のように近づいてはすばやく立ち去る

枝に葉がふたたび芽吹き姿を見せる季節に

幹である私は凋落への一途を転がっていく

一足一足ごとに時は着実に走り抜け

少年の私が殻を脱ぎ捨て 駆け昇っていった傾斜を

きみもまたやがて辿る時がくるだろう

善と悪の群衆に揉まれ 死の陶酔から逃れる時が

 

いまは戸惑い おびえる鳥のように

きみは差し出される私の掌から 

指を引き離してしまう

削ったばかりの鉛筆の匂いが

だれもいない教室にたゆたい

忘れられた学帽が何十年も机の上にある

扉を引き それに触れるのがきみであるのかを私は知らない 

きみの唇が産毛に翳をつけ始めるころを見計り

青い樹木の根元にふたりして横たわり 

幼年時の対話に時をわかつ

いちめんの雪 

つらら吊る冬の宿舎

鞭打つ私が発語する言葉に寄りそう

きみの指先の鉛筆が

開かれた教科書の空欄に 

角ばった文字を走らせる

 

夥しい数の幼い顔の形姿が現われ流れ消える

低きから低きへ水が流れ

記憶の縁辺から虚空に収斂されていく

私はひたすら指を這わせる

歳月を日めくりしつつ

何ゆえに ふたたび胸をすくわれ

遠い日の記憶が綴られた書物の余白に

 

 

 

copyright 2011 以心社

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夏の碑、『遠い岬』(小林稔第八詩集2011年より)

2013年05月10日 | 小林稔第8詩集『遠い岬』

 小林稔第八詩集『遠い岬』(2011年以心社)

 

夏の碑

 

時の蹠(あしうら)が ぶしつけに水辺の草草を踏みしだいていく

かつて あれほどまでに信じられた夏の一日は

いまは牡蠣の殻にきつく閉ざされ 煌(きらめ)きを増している

腐蝕が始まっている私の肉体が

命の綱を離す瞬間まで 私は携えていくだろう

かたわらで見守りつづけた きみの十四度目の夏を

 

稲妻と驟雨に襲われ

駆け込んだ民家の軒下でびしょぬれて

やがて宿舎に向かうタクシーの車内は

きみの身体から放たれた草いきれに満ち

遠い記憶に呼びとめられ

私は息をすることさえ はばかれた

明るい室内と夜の森を隔てる 一枚のガラス戸に

等身で立つきみが写されている 闇の向こうに

湖が月の破片を浮かべ ひっそりと眠っているだろう

 

素足をそっと踏んでは ためらい後ずさり

おそれ あこがれ 羽ばたき

繁茂する樹木と 燃える草草に触れ

たましひは もがき 苦しんでいた

ふるさとへ向かう折り返し地点で

(私もぞんざいで若さにあふれていた)

きみの瞼から包帯を解き放ち

悦びと哀しみの邦を ともに訪うための

出発はいく度も夢見られ やむなく見送られた

 

いくつもの夏が背を向けて通り過ぎた

私は荒涼とした原野に独り立たされる

私の眼前 無防備に投げ出された

うだるような熱風に あてられ伸びた腕と脚

時の位層に残された記憶の片(かけら)を

蒐(あつ)めては 丹念に縫い合わせ

かつてへの追憶を在りし日のようになつかしむ

あの日 郷愁の綱にからめ捕られた私のたましひは

豊饒なあまりに生産される種子を唆(そそのか)して

私の脆弱な杖に 言葉の葉(は)叢(むら)を繁らせるだろう

 

歳月の高みでよろけ 刻印された地上の夏の

あらかじめ失われ ふたたび失われた王國を俯瞰する

やがては空蝉を枝に懸けるように

たましひは肉の縛(いまし)めから解かれ 墜ちていくだろう

湖面に映された さかしまの空を

 

 

copyright 2011 以心社

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ボードレール『悪の花』から「七人の老人たち」の訳詩・小林稔

2013年05月06日 | ボードレール研究

ボードレール『悪の花』から「七人の老人たち」の訳詩・小林稔

 

18 七人の老人たち

 

蟻のように人のひしめく都市、夢あふれる都市

そこでは幽霊が真昼、通行人を呼び止める!

この力強い巨人の体内に廻らされた細い水路のなかを

数々の神秘が、いたるところ樹液のように流れる。

 

ある朝、侘しい通りで、

靄に被われいつもより高く伸びた家家が

水かさを増した河の両岸に似せて立ち並び、

そして役者の魂を表す舞台装置でもあるかのように、

 

黄ばんで汚れた霧がいたるところにあふれている、

そんなときに、私は主役になったように神経を緊張させ、

重い荷馬車が走り去ったあとの揺さぶられた場末の町を

すっかり嫌気のさした自分の魂と議論しながら私は辿って行った。

 

すると突然、一人の老人が、

今にも雨を降らせるようなこの空の色そっくりの、

黄ばんだ襤褸に身を包み、

眼のなかで光る敵意さえなければ

施しの雨を降らせたであろう様子で、

 

私のまえに現れた。瞳は胆汁に漬かったという体で。

その眼差しは寒気をいや増し、

剣のようにこわばった長く伸びる顎鬚は

ユダの髭さながらに突き出ていた。

 

腰は曲がっていなかったが二つに折れ曲がり、

背骨と脚は完全に直角をなしているので

彼の持つ杖が与える外見は

ぎごちない足取りの、なれのはては

 

四足獣か、三本足のユダヤ人のようで

雪と泥のなかで身動きできずに行く姿は

この世に無関心であるというよりむしろ

敵意を抱き、古靴で死人たちを踏みつぶしているかようだ。

 

同じ姿がその後につづいた、口髭、眼、背、杖、襤褸服、

いかなる特徴も分かつものはなく同じ地獄から表れ出でた

この百歳の双生児、この奇妙な幽霊は

知られざる目的地の方へ、同じ足取りで歩いていた

 

一体、どんな卑劣な陰謀に私は巻き込まれたのか、

どんな悪意の偶然がこんなに私を辱めたのか?

なぜなら、七回も私は数えたのだ、刻一刻と

数を増やしてゆく、この不吉な老人たちを!

 

私の不安を嘲笑する人も、

兄弟なら同じく戦慄する感情を共有しない人も、

考えてみ給え、これほどの老いぼれにもかかわらず

この七人の忌まわしい怪物たちは、永遠の相を具えていた!

 

さらに八人目を数えたら、私は死なずにいられたろうか、

容赦なく、皮肉な、宿命の相似の人物、

息子にして父でもある、嫌らしい不死鳥を?

だが、私は地獄のような行列に背を向けた。

 

物が二重に見える飲んだくれのように苛立ち、

私は家に帰り戸を閉めた、恐れおののき、

病にとりつかれ身は凍え、精神は火照りぼやけ、

不可思議に、不条理に傷つけられ!

 

空しくも、私の理性は舵を取ろうとしていた、

嵐は戯れにその努力を困惑させた、

私の魂はマストのない古びた帆船となって、

岸もないおぞましい海のうえで、踊った、踊った。

 


ボードレール『悪の花』から「時計」の訳詩・小林稔

2013年05月03日 | ボードレール研究

ボードレール『悪の花』から「時計」の訳詩・小林稔

 

17 時計 L´HORLOGE

 

時計! 不吉な神、ぞっとさせ、何ものにも動じない、

その指でわれらを脅し、われらに言う、「思い出せ!」

ふるえる「苦痛」たちは、恐怖に満ちた、おまえの心臓に

突き刺さるだろう、まもなく、標的を狙うように

 

靄のかかった「快楽」は逃げるだろう、地平線の方へ、

舞台の奈落に消え失せる、空気の小妖精のように

一刻ごとに、おまえから、一塊を食いつくす、

今を盛りの人間たちに割り振りされた歓喜を。

 

一時間に三千六百回ずつ、「秒」が

ひそひそ囁く、「思い出せ!」――昆虫の声ですばやく

「今」が言う、私は「昔」だ、

下劣な吻管で、おまえの命を吸い上げたぞ、と。

 

Remember! 思い出せ! 浪費家よ! Esto memor!

(金属の私の咽喉は、あらゆる言葉を話すのだ。)

ふざけた死すべき人間よ、一分一分は鉱石、

金を取り出すことなく手放してはならない!

 

思い出せ、時は貪欲な賭博者、

いかさませずにかっさらう、それが定め。

日は短くなり、夜は長くなる、思い出せ!

深淵は絶えず渇望する、水時計は空になる。

 

やがて時が音を鳴らすだろう、神聖なる「偶然」、

高貴な「美徳」、いまだ処女なる、おまえの妻、

「後悔」さえも(ああ! それが最後の旅籠屋だった!)

皆がおまえに言うだろう、死ね、間抜けな老人よ! もう遅すぎた!

 

copyright 2013 以心社

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