ヒーメロス通信


詩のプライベートレーベル「以心社」・詩人小林稔の部屋にようこそ。

「アンテロースの恋」(プラトン『パイドロス』をめぐって。小林稔評論集『来るべき詩学のために(二)』 

2016年01月19日 | ミケランジェロ研究

アンテロースの恋

      プラトン『パイドロス』を繞(めぐ)って

 

 

   一

 

 高名なる弁論作家リュシアスの論文を携え、「月並み」ではない点、つまり「自分を恋している者よりも、恋していない者にこそ身をまかせるべきである」という論旨に、すっかり心を奪われたパイドロスは、城壁の辺りを歩いているところで、ソクラテスに出会ったのであった。

 パイドロスが上着に隠し持っていたその論文を、ソクラテスに読んで聞かせると、ソクラテスは「ただその修辞な面だけ」を讃え、主題については批判的であった。ソクラテスはパイドロスに求められるままに、主題を変えずに別の話を語って聞かせようとした。

 パイドロスを自分のものにしようとするリュシアスの魂胆をすでに見抜いていたソクラテスは、自分の語る話の始まりに、「その中にひとり、口の上手なのがいて、本当は誰にも負けないくらい、その子を恋しているくせに、自分は恋していないのだと、その子に信じこませていたのでした。」という一節を置くのを忘れていない。

「将来弁論家となるべき者が学ばなければならないのは、ほんとうの意味で正しい事柄ではなく、裁き手となるべき群衆の心に正しいと思われる可能性のある言葉なのだ。」聞き手の心をつかむことのみに専念して、真実の探求をつまり哲学的考察を怠っているリュシアスに代表される当時の弁論作家へのプラトンの批評の目がある。したがってソクラテスは「事柄の本質」を確認することから話を始めたのであった。

 我々のなかには、「生まれながらにして具わっている快楽への欲望」と「最善のものを目指す後天的な分別の心」という二つの支配するものがある。前者が後者に打ち勝った時、恋と呼ばれる。このように滑り出したソクラテスの話は、ここから一気に恋する者の精神の堕落と、恋する相手への害悪を列挙していくことになる。リュシアスの論文の批判の的である、恋する者の欠点をさらに輪をかけて説いていくのであった。

 恋する者は相手の劣性を好み、嫉妬に駆られ自分以外の者から彼を遠ざけ、自分よりも高い叡智を身につけていることを嫌う。やがて恋がさめて、恋する者に理性が戻れば「過去の負担からの逃亡者」になるのだ。身体にも「魂の教養」にも絶大なる害毒をこうむることになる。したがって恋する者に身をあずけることが最善であるという帰結に至ったのであった。

 だが、リュシアスの命題のもとで語り始めたソクラテスの話はすでにリュシアスを凌駕しているとはいえ、ここで終わるはずがない。後半に展開する内容を浮き彫りにするためのソクラテス、しいてはプラトンの構成上の策略であったことを我々は知るであろう。それにしても、柔軟に問答するパイドロスとソクラテスという人物のなんと魅力的なことか。「ひとがふさわしい魂を得て、哲学的問答の技術を用いながら、その魂のなかに言葉を知識とともにまいて植えつけるとき」のように進められているからである。

「ダイモーンの合図」によって、ソクラテスの話の後半が始められるのであった。

「神聖なものに対して何か罪を犯しているから、自らその罪を浄めるまでは、ここを立ち去るな」という例の声であり、ソクラテスはしばしばそれを聞いたのであった。ここではエロースという神に対する罪である。恋する者は分別を忘れ狂気に侵されるが、神に授けられた狂気であるがゆえに悪いはずがないではないか、とソクラテスは問いかけるのであった。

 イリソス川の澄んだ水の辺り、鬱蒼としたプラタナスの木陰で、ソクラテスとパイドロスは腰を下ろし語り合った。こころよい風が吹いている夏の昼下がり、時に寝ころんで、時に泉の水に素足を浸し、蝉の鳴き声で意識を彼方へと運ばれながら、エロースの神を讃えたのであった。さぞかし楽しい一日であったことだろう。歌うことに日がな一日あけくれた人間から蝉の種族が生まれ、彼らは死ぬと、詩と音楽の神ムッサたちのところへ行き、哲学や音楽に敬意を払った人間たちのことを報告すると伝えられていた。

 

恋とは、神から授けられた狂気である。それでは、恋する者の魂はどのような経験をするのだろうか。物事の本質から追うソクラテスのいつもの仕方で、「魂の本性について」語らなければならない。ここからはメタファーを駆使して話が運ばれていく。

翼をもった二頭の馬、一方はよい種であり他方は悪い種であり、それらの手綱を操る馭者が一体となって働く力としてソクラテスは説明する。魂の三部分説として知られているものである。思うに、詩といい宗教といい語られているものは、言葉の領域を超えているのではないか。ゆえに本質を語ることは比喩に頼らざるをえないのである。とはいえ、詩や宗教の価値を少しも貶めるものではない。本質は比喩の奥に隠されていて、言葉の喚起するものから知ることができる。

魂は一組の馬と馭者に喩えられた。ここから壮大な物語の幕が上がり、プラトンの筆力によってイメージの翼がはばたくのだ。不死なる魂は翼によって高みへと飛翔する。天界ではゼウスが率いる神々の行進がたえまなく続いている。神々の後ろには神以外のものも従っていくのだが、彼らの馬の一方は暴れ馬であり、天球の険しい道のりをたどるのには苦難を強いられるのである。神々は「天球の外側に進み出て、その背面上に立つ。魂たちはその間に天の外の世界を観照する。」魂が見るものとは、「真の意味であるところの存在」である。神以外のある者も神々と同様に天球の外側の世界を見ることになる。その外側の領域は「真理の野」と呼ばれ、そこに生えた牧草は、翼を養うことに役立つ。馬の操縦を誤った神々以外の魂は地上に落ち、翼が生えるまでの一万年を地上で過ごすことになる。「知を愛するこころと美しい人を恋する想いとを一つにした熱情の中に、生を送った者の魂だけは例外」として他の魂よりも早く天上に昇っていく。かつて見た天上の外側の世界を地上で想起することが、知るという働きであり、地上にて、かの世界にあったものと似ているものを見たときに想起すると語られている。

 

ところで、その姿を見つめているうちに、あたかも悪寒の後に起こるような一つの反作用がやってきて、異常な汗と熱とが彼をとらえる。それは彼が美の流れを――翼にうるおいをあたえる美の流れを――眼を通して受け入れたために、熱くなったからにほかならない。そしてこの熱によって、翼が生え出てくるべきところがとかされる。

                     プラトン『パイドロス』251-b藤沢令夫訳

 

 美しい少年の容姿を眼にしたとき、郷愁にも似たせつない想いに駆られる。それは初めて眼差しを注いだ瞬時にすでに感じとるものである。プラトンのエロース論では美のイデアに引き寄せられる魂の上昇運動として説明されている。少年に向けられた眼差しは、ほんとうは少年の美から放射しているのであった。透明な光の帯、それは真っ直ぐに恋する者の眼に伸びていて、粒子の流れがその光線に乗って滑り落ちてくる。粒子(メレー)の流れ(エロー)の放射(ヒーエナイ)であるがゆえに、『愛の情念』(ヒーメロス)と呼ばれる。眼を通して恋する者の肉体に入った美の流れは、愛する者から離されれば狂気にさいなまれ、心臓に針が刺さったように胸が痛んで眠れぬ夜を過ごすこともあろう。恋する者は節制を欠き、欲望を満たすことに専念し善へと導かれることはない。それゆえ、それは恋する者に身をゆだねるべきではないという、リュシアスの主張でもあった。

 ところが、ソクラテスはきっぱりと異を唱える。

 

「自分を恋する人がそばにいても、むしろ自分を恋していない者のほうに身を任せるべきである、それは一方の人が狂気であるのに対して、他方は正気だからだ」と主張する物語は、これは真実の物語ではない。……(中略)……われわれの身に起こる数々の善きものの中でも、そのもっとも偉大なるものは、狂気を通じて生まれてくるのである。むろんその狂気とは、神々から授かって与えられる狂気でなければならないけれども。

プラトン『パイドロス』244-a藤沢令夫訳

 

 

神々から授かる狂気から偉大なるものが生まれる。ソクラテスはそのような数々の狂気の中で、「恋する者の狂気」を四番目の狂気として説いたのであった。最初に預言者たちの狂気、次に先祖の罪のたたりにより生じる疫病、災厄を逃れる手段を見つけ、彼らの心に狂気が宿り破滅から救う者たち、三番目は「ムッサの神々から授けられる神がかりと狂気。」「詩の中に激情を詠ましめる狂気にあずかる詩人たち。次の四番目が、「こよなき幸いのために神々からあずかる」恋という狂気。ソクラテスはここで恋する者の魂の遍歴を主張するのであった。

恋する者の魂の、愛する者と欲望を満たそうとする馬と、それを制御する慎み深い馬、そして、その手綱を引く馭者の困難な過程を描き出す。恋していない者の節制と正気は、まず否定される。恋する者の狂気は、美のイデアの想起によって引き起こされたものであり、今やその狂気に打ち勝つことが試練となるのである。神の前にひざまづくように、愛する者の姿を見るや、畏怖の念を感じるようになる。すると、自分を恋する者のそのような所作を見た少年は心を打たれ、相手を迎え入れようとするだろう。何かの折に肉体的接触を持つなら、少年から放射したヒーメロスの流れは、恋する者をいっぱいにし、あふれ出て少年へと還っていくと、少年の魂は愛の情念で満たされ、愛される者は恋する者へと変貌をとげるのである。恋というものに未経験である少年は戸惑い、友情と取り違えたりもするが、彼を恋する者を、自ら恋する者となって、せつない想いで相手の躰を欲するのだ。

「彼の心にやどるものは、映ってできた恋の影、こたえの恋(アンテロース)なのだ」とプラトンはソクラテスの口を借りて語らしめる。ナルキッソスの神話を連想させる箇所である。しかし、ふたつの魂の、慎み深い方の馬と馭者が二人を「知を愛し求める生活」の方へ導いていくならば、「幸福な調和に満ちたものになる。」したがって人は恋する者に身をまかせるべきであるという結論に達するのであった。

 

   二

 

 『パイドロス』というテクストから浮上する諸問題のいくつかを考察しよう。

 まず初めに神にかかわる狂気の効用について始めよう。少年にそなわる美から、かつて見た天空の彼方の美を想起するのであるが、似像であるがゆえに激しく恋心を抱き、地上の約束事を忘れる。恋する者のそのような状態を見て人は狂気の人と呼ぶ。だが想起するには、それまでの世界を忘れなければならない。かの真実在の世界から見れば、この世界は比喩なのだ。したがって、われを忘れるというよりも、真のわれが覚醒した、つまり<われに目覚める>と表現することができる。イデア界の真実を知るには狂気は不可欠である。そしてその狂気は恋する者を次の段階、魂の葛藤へと招いていくのである。「快楽への欲望」と「分別の心」の心的闘い。先述した、魂の三部分説においてプラトンはそれを説明した。この葛藤は自制のための試金石であろう。一方では欲望を抑えることによって増大させ、魂をより高く飛翔させ、想起を促進させ、愛する人を神のように畏怖させる機能として働くといえるだろう。またもう一方では、恋されている少年自身が自分に寄せる相手からの想いの深さを見抜く。または感じとる期間として想定されよう。神のように奉仕される少年は、心を打たれ、恋する者を受け入れるようになる。すると少年自身もまた恋する者の心をかきたてる「翼が生え出んとする衝動」を感じて恋をするようになる。恋する客体から恋する主体の変貌である。つまり、狂気は魂に葛藤を引き起こさせ、恋する者を抑制させ相手に恋を生じさせる「アンテロースの恋」(相思相愛)を成就させるのであった。恋する者の魂は鍛えられる必要があった。このようにして節制を知った恋する者は「自己自身の支配者」となったのである。他方、恋をしていない者の「後天的分別の心」や,勝ち誇った節制ではない節制は、少年への欲望を満たすだけの利己心に過ぎないのである、という結論に至る。したがって狂気は社会通念をひっくり返し、物の本質にわれわれを至らしめるものであったといえよう。

 二番目の問題として、プラトンのエロース論において恋する対象をなぜ少年に定めたか。つまり年長者と少年との関係の必然性について考えてみよう。

 古代ギリシア社会は同性愛に寛容であった、とわれわれは思いがちであるが、それは二重に誤解を伴う表現である。『性の歴史』を著述したミシェル・フーコーは「同性愛と寛容という二つの言葉を用いるのは、たぶんあまり慎重ではないのかもしれない」という。なぜなら異性への愛と同性への愛に行動類型としては区分を設けなかったからである。対象にではなく、いかに節制をわきまえているかどうかなどに関心があったからである。もう一つは禁止や罰がなかったが、男性同士の関係に、女性を愛するときとは別の道徳形式を欲していたからである。フーコーは考古学者の足取りで、資料を綿密に検討し、絶えず既知の項目に懐疑の目を向け、フーコー自身も侵されているかもしれない社会通念と闘っているので、図式化や一般化を避け、「個人が自分を性の主体として認識するようになる場合に用いられる様式を研究する」ために、対立概念に気を配りつつ、慎重な態度を保持しているのである。とにかくここではフーコーの記述を辿り進めたいと思う。

古代ギリシアでは男同士の交渉で最も関心を集めたのが、「若くて人格形成を終わっていない、最終的な地位に達していない男性と、もう一方は社会的にも道徳的にも役割を果たしている年長者の関係であった。」若者は自由な決定をすることができるので、年長者は彼を納得させる必要があった。彼らは「美学的にも道徳的にも価値ある形式を与えるために守るべき、相互の行動と各自の戦略とを規定する」ことを指摘する。恋する者の追い求める熱意と義務が与えられ、恋される者には「正当な報酬を受け取る資格があたえられる」、「相手の値打ちをわからぬまま相手の好意を受け入れないようにすべきである。このようなことから理解されることは、成人男性と青年との快楽の交渉には、ある厄介な要素を作り上げていたのだとフーコーはいう。例えば、家庭管理術と家庭につての技法において、夫婦の位置が入念に区別されていた二元論的な空間構造とは働きは極めて異なる空間の中で展開するとフーコーは指摘する。恋する年長者は、体育場や狩猟場、その他、街路や集会所に出向き、ともに運動をしたりして若者を追い求めなければならい。若者は奴隷の出身ではないので自由な好みや決定を行う。つまり恋する者は若者を納得させなければならないのだ。年長者が最も快いのは、若者が自らの意志で同意してくれることである。さらにフーコーは、「かりそめの時間、そして逃げ去る時の推移という厄介な問題」を挙げる。恋する者が相手に望む若さの限界となる時はいつであろうか。その時を超えてつき合いを続ける年長者はしばしば社会からとがめられることもあったとフーコーはいう。「生え始める鬚が、周知のとおり、その宿命的なしるしだと見なされていたのであり、その鬚を切り落とす剃刀は愛のきずなを断つはずのものであると言われてきた」とフーコーは指摘する。

「若さの時期とその限界への個の配慮」は若い身体の美しさ、身体発達への感受性を強化し、執拗な文化価値付与の対象となったのだろうとフーコーはいう。古典期の彫刻は成人の身体の美しさを重視することもあったが、性道徳では、固有の魅力を持つ若々しい身体こそが、快楽の良い対象として選ばれていたのである。その身体的特徴は、女性の美しさとの親近性のゆえに価値付与が行われていたと思うのは誤っているとフーコーは主張する。形を整えつつある男らしさの特徴や保証との並列関係、さらに力強さ、忍耐力、熱狂もまた、個の美しさの一部分となっていたという。若者の身体は、男らしさがまだ開花していないが将来性として現前している、うつろいやすい若者の美しさに敏感な感受性を有していたので、恋する者も愛される者も、はかない美に対して懸念したのであった。したがって愛欲の絆を愛情関係に改め、美が消え去った後も、安定したつき合いを続けようと強く望んだのである。プラトンの哲学では、二人が真理の方へ眼を向け、共同生活することを理想とするのである。

 つぎに若者の名誉という問題について考察しよう。

先述したように、男同士の愛が認められている社会ではそのこと自体は不名誉なことではなかったが、「男性が相手の言いなりになる客体として、相手の快楽に応じるならば、その恥辱はなおさら大きい」のであった。若者の将来の社会的地位、国家の統治に参加するかもしれない立場にかかわる重大事である。「若者を相手に悦楽を感じて快楽の主体であることは、ギリシア人にとって何も問題にならない、が反対に、快楽の客体であること」を若者自身が認めることは難しかった。受動性の立場に身を置く者は服従させられた者であり、支配される者、下位の者、負ける者という概念と結びついていたからである。「つまり誘惑される側の心のなかに、どうして勇敢な男らしい気質が育つだろうか?」若者は快楽を感じるべきではないと一般に考えられていた。しかし「降伏」とは別のものがあった。恋する者に心を打たれ若者が主体的に大人に快楽を与え満足するという考え方である。嫌がる若者は自由に立ち去るだろう。そうでない若者は相手から何かの利益を受けようとするだろう。さらに純粋な関係を築こうとすれば、肉体関係よりもっと重要と思われる愛情関係に移行させようとするだろう。

ここまでの論考で、すでにわれわれはプラトンのエロース論が生み出された背景を知りえたことになる。名誉にかかわる問題、鍛錬にかかわる問題、同意という問題が真理との関係で一挙に解決を見るのである。本質を知ろうとするプラトン流の仕方で、恋とは何かをミュートス、物語のかたちを借りて記述したのである。恋する者と恋される者の相互交換が可能である恋を描いたのである。恋される者が恋する者に転換する。しかし自分を統御し抑制する限りにおいて禁欲的である。禁欲と欲望、寛容と道徳の要請などの対立概念は、一方が存在して他方も成立する存在である。向かい合うアンテロースの恋では、やがて真理という客体の方へ二人は眼差しを注ぐようになる。

 

   三

 

 ミシェル。フーコーが『性の歴史 Ⅲ快楽の活用』で辿りついた結論とは、後の時代に人々が糾弾した性の自由領域に、ギリシア人は個人の内部からの要請としての道徳的考察を生み出し、快楽の活用を生の美学の根底に据え、「自分自身の統御を行うことにあたって、そのようにして相手の自由に道をあけることができるか」ということに最大の関心を寄せ、男同士の愛の正当性を認めたということである。フーコーは「逃げ去る時の推移」という観点を成人男性と若者の関係で指摘した。若者にそなわる美ははかなく消えやすい。少年への愛も外側の美に固執する限り刹那の想いに過ぎぬ。人生もまた同様である。はかなく、もろいからいとおしく、恋する想いに駆られるのかもしれない。プラトンのイデア論はそこから出発している。

 

『そのとき、きよらかな光を見たわれわれもまたきよらかであり、肉体と呼ぶ魂の墓、いま牡蠣のようにその中にしっかりと縛りつけられたまま、身につけて持ちまわっているこの汚れた墓に、まだ葬られずにいた日々のことであった……』

                       プラトン『パイドロス』250-c 藤沢令夫訳

 

 ソクラテスは天空の彼方の秘儀に参与していたころの思い出を語ったのち、このように語っている。だがこの表現は、この時のソクラテスの地上での生活のさらに前の地上での生活を懐かしんでいるように私は受け取れてしまうのだ。私が初めてこの一節を読んだとき、全身が引っ張られるほどの感動を受けた。神々の行進、合唱隊、光の中で輝く聖像、眼をみはるばかりの祝福の光景を想像した脳裏に、その残像が消えやらぬうち、私の想いは一気に地上の私の肉体に連れ戻され、さらに「葬られずいた日々のことであった」と追憶で語られると、私は不安定な位置に立たされる。そして次の一節が矢継ぎ早に続くのである。

 

『思い出よ、これらの言葉にたたえられてあれ。この思い出ゆえに、われわれは、過ぎし日々への憧れにうながされて、いま、あまりにも多くの言葉を費やしてしまった。』

                         プラトン『パイドロス』250-c 藤沢令夫訳

 

 私が鏡を覗いたとき、向こう側の世界からこちら側の世界を私が覗いているような錯覚に陥ることがあるが、この一節はそんな感覚を呼び起こす。思い出よ、とは天空の彼方の思い出であろうが、なぜか天空から地上を追憶しているような郷愁にとらわれる。さらに過ぎ去った自分の時間がたまらなくいとおしくなり、地上の諸々の物象への慈しみの気持ちが、それらを見る私の眼差しに流れこんでくる。私の人生をも含むこの世の事象が懐かしさに満ちたものになる、過去という鏡に反射した光線が未来という鏡に反射して私の視界を貫いたように。

 死と哲学が微妙に通底する源泉を、しばらく私は思い浮かべてみるのであった。

 

 

 

 

 

 

 

トマソ・ガバルエーリに献ずるソネット

              ミケランジェロ・ブオナロッティ

                         小林 稔 訳

    一

 

受肉から解かれた、この世ならぬ光景も

地上に墜ちたもろもろの存在も、私には思い描くことさえ叶わぬ。

(可能な限り高みへと昇りつめる私の思考に導かれて)

そなたの美に私自らを武装しえたとして。

 

そなたから離れていると、愛の神が

私からすべての美徳を奪い、貶めるのではないかと恐れるのだ。

私の苦しみを弛められんことを願う。

私自らが増殖させた苦しみではあるが、私の生をも踏みにじる苦しみを。

 

だが、私がその苦悩から逃れようとしても叶わぬこと。

この敵なる美が立ち去るのを引き起こしているのは私なれど

私よりも敏捷に逃げ去る美から私が背を向けようとは思いもよらぬこと。

 

愛の神は、これほどの苦悩が、やがては甘美なるものになろうと

私に誓って、その両手で私の涙をぬぐうのだ。

これほどの犠牲を私に強いたものが、卑しくも愚かであろうはずがないゆえに。

 

    二

 

そなたの美しい御顔に、おお私の高貴なる人よ、

 

その無為の人生では、言葉では伝えがたいものばかりを読み取ってしまうのだ。

いまだ肉の衣に被われた魂は、そなたの恵みで、

いくたびも神を仰ぎて羽搏くのだ。

 

意地悪で愚かな卑俗さゆえ、私に後ろ指をさすという過ちを

人がしているのだのだということを彼らが知らないでいるとしても

私の燃え盛る熱情は静まることはない。

私の愛情も、私の信念も、私の純潔なままの欲望もまたそうではない。

 

私たちがこの地上で見るすべての美は

私たちが存在の恩恵を受けている慈悲深い源泉に融合している。

鋭敏に滑り込む精神よりも多くそのことを識るものは他にない。

 

この地上には天空とは別の、いかなる影像も、いかなる収穫の果実ももちろん

私たちは所有していない。そなたを激しく愛する者こそが

神の御座に昇りつめ、死をも甘美なものに変えるのだ。

 

 

 「ミケランジェロの詩」自註

 

〈美〉さながらにうつした神々しいばかりの顔だちや、肉体の姿などを目にするときは、まず、おののきが彼を貫き、あのときの畏怖の情の幾分かがよみがえって彼を襲う。ついで、その姿に目を注ぎながら、身は神の前に在るかのように、怖れ慎しむ。(『パイドロス』藤沢令夫訳)

 

 ミケランジェロがトマソ・ガブリエーリに逢ったのは、一五三二年八月のことである。そのときミケランジェロは五十七歳、トマソは二十三歳であった。「背が高く、細い体ながら肩幅の広いこのトマソ」と伝記作家は伝える。翌年クレメンス七世からシスティナ礼拝堂の壁画「最後の審判」の制作を命じられ、よみがえるキリストの顔にトマソの顔を重ねたと伝えている。「髭のない、無関心をよそおった非の打ちどころのない、厳しいが暴力的ではなく、あらゆる同情というものを越えている」とある。加えてトマソに贈った三葉のデッサン画のうちの一つ「ガニュメデスの略奪」があり、これらからガバリエーリのおおよその外観を知ることができよう。

 ここに私が訳出した二つのソネットはC.BERDELEY『BEAU PETIT AMI』というフランスで出版された本を偶然見つけ、拙い語学力を駆使して試訳したものである。他に二通の手紙があり訳してみたが、紙面の都合で割愛した。ミケランジェロのトマソに寄せる真摯な想いが肌に伝わってくるようで、私は改めて彼に対する敬愛の念を深めたのであった。私が最も驚いたのは、プラトンが『パイドロス』で描いたエロース論との呼応である。「プラトン学派の考えによって影響された数多いルネサンス時代の人々のうちで、そのような学説の中に自分自身の人格を形而上学の立場から正当化できる学説を見い出したのは、おそらく彼一人であったであろう」とトルナイが『ミケランジェロの芸術と思想』で述べたが、まさにそうである。プラトンに共鳴し、なおかつ彼の経験の中からプラトンの語彙に基づいて思索し、「美のイデア」に飛翔する一個人の苦悩と歓喜がある。

 トマソという美しい若者からミケランジェロの目に注いだヒーメロス(愛の情念)は「いまだ肉の衣に被われた魂」を熱くし翼が生え出んとするのを感じたことであろう。

 

「心配も恐れも死さえ感じられないほど多くの甘美さで、心も体も満たし養っているあなたの名前を、むしろ私を生かし、惨めにも私の体だけを養っている糧以上に忘れることがあろうか。それほど私は記憶にあなたの名前を持ち続けているのです。(一五三三年七月二八日付の手紙より抜粋。拙訳)

 

 トマソはミケランジェロのあまりにも卑下し自分を讃える言葉と行為に躊躇したが、自ら芸術を理解し絵をも描くトマソは尊敬する大芸術家と生涯を通して友人でありえたのであった。ミケランジェロは神を怖れるように自制して、「燃え盛る熱情」と「欲望」を鎮めることなく創作に表現したのであった。

 プラトンによれば、この世にある美は、それが人間であれ事物であれ、天空で魂がかつて見たという光あふれる神々の世界を想起させるものである。青年を恋する者は神を恋することと同様である。ゼウスを先頭に神々の行進に従った我々の魂の、肉体という牢獄に墜ちる以前の記憶なのである。ところがミケランジェロの神はキリスト教のヤーウェでもある。プラトニズムにキリスト教の影が色濃く落ちているのである。キリストもこの世で受肉された美の化身であらねばならない。トマソに逢った三年後に、コロンナという女性との交際からキリスト教に心酔していくことも含めて論じてみたいテーマであるが、今後の課題として別の機会に論じることにして、今はここで筆を置きたい。

 ここに私が試訳した詩からミケランジェロの想いを読み取っていただければと思う。私のエセー『アンテロースの恋』がその助けになればとも思い、同時にここに掲載した。論文というより、詩人のわがままな哲学的逍遥に過ぎない。

 

copyright2016以心社

 

 


ミケランジェロ・ブエナロッティの詩。季刊個人誌『ヒーメロス』二号1999年5月15日発行から

2012年02月03日 | ミケランジェロ研究
トマソ・ガバルエーリに献ずるソネット
              ミケランジェロ・ブオナロッティ
                         小林 稔 訳
    一
受肉から解かれた、この世ならぬ光景も
地上に墜ちたもろもろの存在も、私には思い描くことさえ叶わぬ。
(可能な限り高みへと昇りつめる私の思考に導かれて)
そなたの美に私自らを武装しえたとして。

そなたから離れていると、愛の神が
私からすべての美徳を奪い、貶めるのではないかと恐れるのだ。
私の苦しみを弛められんことを願う。
私自らが増殖させた苦しみではあるが、私の生をも踏みにじる苦しみを。

だが、私がその苦悩から逃れようとしても叶わぬこと。
この敵なる美が立ち去るのを引き起こしているのは私なれど
私よりも敏捷に逃げ去る美から私が背を向けようとは思いもよらぬこと。

愛の神は、これほどの苦悩が、やがては甘美なるものになろうと
私に誓って、その両手で私の涙をぬぐうのだ。
これほどの犠牲を私に強いたものが、卑しくも愚かであろうはずがないゆえに。

    二
そなたの美しい御顔に、おお私の高貴なる人よ、
その無為の人生では、言葉では伝えがたいものばかりを読み取ってしまうのだ。
いまだ肉の衣に被われた魂は、そなたの恵みで、
いくたびも神を仰ぎて羽搏くのだ。

意地悪で愚かな卑俗さゆえ、私に後ろ指をさすという過ちを
人がしているのだのだということを彼らが知らないでいるとしても
私の燃え盛る熱情は静まることはない。
私の愛情も、私の信念も、私の純潔なままの欲望もまたそうではない。

私たちがこの地上で見るすべての美は
私たちが存在の恩恵を受けている慈悲深い源泉に融合している。
鋭敏に滑り込む精神よりも多くそのことを識るものは他にない。

この地上には天空とは別の、いかなる影像も、いかなる収穫の果実ももちろん
私たちは所有していない。そなたを激しく愛する者こそが
神の御座に昇りつめ、死をも甘美なものに変えるのだ。


「ミケランジェロの詩」私註

<美>さながらにうつした神々しいばかりの顔だちや、肉体の姿などを
目にするときは、まず、おののきが彼を貫き、あのときの畏怖の情の幾分
かがよみがえって彼を襲う。ついで、その姿に目を注ぎながら、身は神の
前に在るかのように、怖れ慎しむ。(『パイドロス』藤沢令夫訳)

 ミケランジェロがトマソ・ガブリエーリに逢ったのは、一五三二年八月のことである。そのときミケランジェロは五十七歳、トマソは二十三歳であった。「背が高く、細い体ながら肩幅の広いこのトマソ」と伝記作家は伝える。翌年クレメンス七世からシスティナ礼拝堂の壁画「最後の審判」そ制作を命じられ、よみがえるキリストの顔にトマソの顔を重ねたと伝えている。「髭のない、無関心をよそおった非の打ちどころのない、厳しいが暴力的ではなく、あらゆる同情というものを越えている」とある。加えてトマソに贈った三葉のデッサン画のうちの一つ「ガニュメデスの略奪」があり、これらからガバリエーリのおおよその外観を知ることができよう。
 ここに私が訳出した二つのソネットはC.BERDELEY『BEAU PETIT AMI』というフランスで出版された本を偶然見つけ、拙い語学力を駆使して試訳したものである。他に二通の手紙があり訳してみたが、紙面の都合で割愛した。ミケランジェロのトマソに寄せる真摯な想いが肌に伝わってくるようで、私は改めて彼に対する敬愛の念を深めたのであった。私が最も驚いたのは、プラトンガ『パイドロス』で描いたエロース論との呼応である。「プラトン学派の考えによって影響された数多いルネサンス時代の人々のうちで、そのような学説の中に自分自身の人格を形而上学の立場から正当化できる学説を見い出したのは、おそらく彼一人であったであろう」とトルナイが『ミケランジェロの芸術と思想』で述べたが、まさにそうである。プラトンに共鳴し、なおかつ彼の経験の中からプラトンの語彙に基づいて思索し、「美のイデア」に飛翔する一個人の苦悩と歓喜がある。
 トマソという美しい若者からミケランジェロの目に注いだヒーメロス(愛の情念)は「いまだ肉の衣に被われた魂」を熱くし翼が生え出んとするのを感じたことであろう。

「心配も恐れも死さえ感じられないほど多くの甘美さで、心も体も満たし養っているあなたの名前を、むしろ私を生かし、惨めにも私の体だけを養っている糧以上に忘れることがあろうか。それほど私は記憶にあなたの名前を持ち続けているのです。(一五三三年七月二八日付の手紙より抜粋。私訳。)

 トマソはミケランジェロのあまりにも卑下し自分を讃える言葉と行為に躊躇したが、自ら芸術を理解し絵をも描くトマソは尊敬する大芸術家と生涯を通して友人でありえたのであった。ミケランジェロは神を怖れるように自制して、「燃え盛る熱情」と「欲望」を鎮めることなく創作に表現したのであった。
 プラトンによれば、この世にある美は、それが人間であれ事物であれ、天空で魂がかつて見たという光あふれる神々の世界を想起させるものである。青年を恋する者は神を恋することと同様である。ゼウスを先頭に神々の行進に従った我々の魂の、肉体という牢獄に墜ちる以前の記憶なのである。ところがミケランジェロの神はキリスト教のヤーウェである。プラトニズムにキリスト教の影が色濃く落ちているのである。キリストもこの世で受肉された美の化身であらねばならない。トマソに逢った三年後に、コロンナという女性との交際からキリスト教に心酔していくことも含めて論じてみたいテーマであるが、今後の課題として別の機会に論じることにして、今はここで筆を置きたい。
 ここに私が私訳した詩からミケランジェロの想いを読み取っていただければと思う。私のエセー『アンテロースの恋』がその助けになればとも思い、同時にこの小冊子に掲載した。論文というより、詩人のわがままな哲学的逍遥に過ぎない。

(私のエセー、『アンテロースの恋』がこの後に掲載されたが、後日このブログで紹介することにする)