ヒーメロス通信


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「パイドロスにおけるエロース論」小林稔個人季刊誌「ヒーメロス」16号2010年12月10日発行から

2012年04月27日 | 連載エセー「自己への配慮と詩人像」からの
小林稔個人季刊誌『ヒーメロス』16号2010年12月10日発行


〔長期連載エセー〕
自己への配慮と詩人像(八)
小林 稔

35 『パイドロス』におけるエロース論(前編)その一

ゆく川の水の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず(鴨長明『方丈記』)
時の流れに営まれる私たちの生は、時間の一回性という定めのもとにあり、絶えざる
〈現在〉は一瞬にして過去に変えられ記憶の闇に蔵(しま)われるが、予期せぬ瞬間に、
それがまるで、〈呼びかけ 〉であるかのように意識に呼び起こされることがある。
かつて〈私〉が占めた空間に目にした情景、それは自然であり人であり物であるが、
そのときの〈私〉の行為と結びつき浮上する。その事物の眼差しとも、感受する〈私〉
から放たれているようにも思われるその眼差しは、過ぎ去った時間をいつくしむよう
に風景を包みこみ、やがてはつぎつぎに訪れては後ずさる〈現在時〉と背中合わせに、
〈私〉は見送るしかないのだ。一方、書物に書き込まれた時間は、ページを繰るたび
にかつての時間を取り戻せるように思えるが、読書する人自身が移りゆく存在である
以上、同一の読後感を得ることは不可能であろう。言葉に記された物語は、現実の不
確かな記憶、意識的に取り出そうとすれば逃げ去る追憶に比するなら糸口が見出されやす
いのも事実である。さらに同じ書物を何度も繰り返される読書は、それを読んだとき
のかつての記憶さえも掘り起こされ、時の流れへの感慨が幾重にも深められるのであ
る。それが、これから私が論述しようとする書物、死すべきもの(人間)が不死なる
もの(神々)への切なる想いを込めた創作(ポイエーシス)、天界との系譜を探り求
めようとしたプラトンの対話篇『パイドロス』であるなら、時間へのいとおしみは深
まるばかりであり、哲学と文学の稀に見る合一を感じ入るのは私だけではないだろう。
まもなく還暦を迎えようとするプラトンが、ソクラテスから受け継いで発展させた彼
の哲学のすべてをここに駆使し、まとめあげた壮大なイデア論を紹介し、「自己へ配
慮する 」とはどういうことなのか、さらにポエジーの営みとは何かを、ソクラテス
やパイドロスにとってもしかり、読む私たちにとってもこの上なく貴重になるであろう、
ある夏の一日、パイドロスに語り聞かせたという話を順を追って辿りながら、考えてみよう。
 
 プラタナスの樹の下で
夏の日盛り、偶然にもパイドロスを見かけたソクラテスは、弁論家で名高いリュシア
スのところからきたという彼の言葉に興をそそられ、パイドロスの手にするリュシア
スの恋(エロース)に関係する論文のことを尋ねる。「 自分を恋している者よりも
自分を恋していない者にこそ身をまかせるべきである」というのがその論旨であると
いう。心穏やかならぬテーマである。なぜなら、いかなる人も自分をほんとうに
愛する人と結ばれることを願っているだろうからである。パイドロスがリュシアスに
頼んで何度もこの論文を読んでもらい、ついには暗誦するために取り上げ、早朝から
読み続け、疲れたので散歩しているパイドロスにソクラテスは会ったのである。恋の
話では右に出る者のいないソクラテスに、パイドロスは話したくてたまらない。リュ
シアスの論文が常軌を逸した話にもかかわらずパイドロスを魅了してしまったのはなぜか。
それが弁論術と呼ばれているものの技術ではないのか。二人はイリソス川に沿って背の高いプ
ラタナスの樹のところへと歩いていく。川向こうのアグラの社にはボレアスを祀る祭壇があり、
ボレアスがオレイテュイアをさらって行ったという伝説を語り合う。鬱蒼と枝をひろげたプラ
タナスの樹陰で二人は腰を降ろし素足を湧き出る泉に浸す。快い風が葉群をそよがせ、
蝉の鳴き声がしきりにしては木霊している。ここで、先ほど話に出たリュシアスの論
文を、ソクラテスはパイドロスに読むように促したのであ
った。
人里離れたイリソス川のほとりという『パイドロス』の場面設定が、プラトンのいつも
のそれではなく、『国家』という大長篇を書き上げた後の、幸せな解放感があふれたなか
でこれまで言及することのなかったプラトンの重要な思想が表明されていると、『パイドロス』
を訳した藤沢令夫氏はその著書『 プラトンの哲学』で指摘する。また彼の著「 プラトン
『パイドロス』註解」では、「彼(プラトン)の人生をみち
びく力の源泉であったソクラテスという特異な精神が、自由にものを想い自由に対話するとき、そこに起
こるであろうところの事実ともいうべきものを、的確な筆で描き出すことによって、自己の胸中に育まれ
ていた思想と感情とに、よく形を与えることができたといえる」のであり、そのような気持ちがこのよう
な状況設定に表現されているとも藤沢氏は指摘している。
 
 恋していない者の通俗的道徳
――自分を恋している者よりも恋していない者にこそむしろ身をまかせるべきである。
このリュシアスの論文の論旨は、すでにパイドロスからソクラテスに伝えられた。い
まやソクラテスを前にしてパイドロスはその全文を朗誦し始めるのであった。
『 パイドロス』では、恋に関する三つの話を俎上に挙げ論議することになる。一つ目
はパイドロスが読み上げるリュシアスの論文である。その要旨を七つの部分に分け
まとめてみよう。
一、恋をしている人たちは欲望がさめたのちには、恋のために自分を犠牲にしたといって
相手につくしたことを後悔するが、恋をしていない人たちにはそれがない。相手につくし
たのは恋の力ではなく自らの自由意志によるものであり、相手に喜んでもらえることを
心を込めてする以外何もないからである。
 二、恋する人たちは言葉や行為によって強い愛情を表現するがゆえに人は自分を恋する
人たちを大切にすべきであると考える。したがって、のちに別の新しい恋人ができたとき、
新しい恋人をより大切にすることは明白である。このような、いわば災いを持った男
(恋する人)に貴重なものを捧げなければならない理由はない。恋する人たちは正気では
なく、自己を支配することができない病人である。最もすぐれた人物を選ぶ場合、恋して
いる人から選ぶとすれば少数の人たちから選ぶしかないが、君を恋をしていない
人たちから選べば、君のためになる人を多数の者から選ぶことができる。君の愛情に値する
人物を見出す公算が大きい。
 三、世間の掟をおそれ、相手との交際が世間に知られることが心配だという場合を考えて
みるとき、恋している人たちは他の人たちからうらやまれると考え、恋が結ばれるまでの苦
労をいろいろな人たちにいいふらし虚栄心に駆られ見せびらかそうとする。またいっしょに
いるところを世間の人たちが見たら、恋の欲望をとげたか、あるいはとげようとしていると
ころだと思うだろう。一方、恋していない人たちは自分自身に打ち勝つ人たちだから、評判
のためではなく最善のことを選ぶだろう。そして相手といっしょいても世間の人たちは、
友情やほかの楽しみゆえにいっしょにいるので語り合うのはやむをえないことだと考える
だろう。
 四、友愛は永続させるのが難しい。恋をする人たちは何かあれば自分の損害になるとみな
すので、彼らが自分の恋人が他の人たちと交わるのを阻もうとする。財産を持っている人た
ちは金の力で、教養のある人たちは知性によって自分を打ち負かすのではないかとおそれる。
恋される君は、恋する人以外を敵にまわすことになるだろう。また君が恋する人より分別を
働かせれば仲たがいになる。恋をしていない人なら、

自らの徳によって君に対する望みをとげた人たちなので、嫉妬することはなく、君と交わろ
うとしない人たちを憎むだろう。君との交わりを望まないということで自分が軽蔑されたよ
うに思うからである。
 五、恋する人たちは、相手の性格や身の上を知るより前にまず肉体を欲するものである。
だから欲望がさめてしまえば恋人と親しくし続けるかどうか疑問である。恋していない人た
ちは前から親しい間柄なので、欲望を満たされても愛情は減退せず、むしろ将来を約束する
記念として心に残るであろう。
 六、恋する人たちは相手の機嫌を損ねるのをおそれ、欲望に心の目が曇っていることもあって、相手を
ほめそやすものである。恋する人たちにとって恋とは、ことが上手く運ばないときは痛手と感じさせるも
のであり、ことが上手く運んでいるときは、喜ぶ値打ちのないことでもよしと思わせるものである。恋し
ていない人なら現在の快楽にかしずくことなく、将来を考え君と交わるだろう。私(リュシアス)は恋の
奴隷ではなく、自分自身の支配者なのだ。つまらぬことに腹を立てたり、強い憎しみを掻き立てることは
ない。人を恋するのでなければ強い愛情は生まれないのではないかという君の疑問に答えよう。息子を親
は大切に、息子は親を大切にするように、恋愛的な欲望からではなく、別の営みによって結びついている
のである。
 七、最も切に求める人たちにこそ身をまかせなければならないとするならば、最もすぐれた人たちにで
はなく、最も貧困な人々に対してであるということになる。なぜならそのような人々こそは、最も大きな
悪から救われるわけであるし、よくしてくれた人たちに、だれよりも深い感謝の気持ちをいだくだろうか
らである。しかし、身をまかせて然るべき相手(恋していない人)は、そのことを切に求めている人たち
ではなく、そのことに値する人たちである。君の若い盛りの美しさを享楽しようとする人たちではなく、
君が老いたとき、自分のよきものを君に分け与えてくれるような人たちである。わずかの間だけ熱を上げ
る人たちではなく、生涯を通じて変わることなく親しい間柄になるような人たちである。君が若さの盛り
をすぎたとき、そのときこそ自分の特性を示す人たちである。
 
恋する者の打算とは
リュシアスの論文を読み上げたパイドロスは、その言葉の使い方に心酔してしまっていた。ソクラテス
は、パイドロスが読み上げるときの歓喜に輝いている、「神が乗りうつったような 」表情に感動したと語
る。茶化されたと思ったパイドロスは、リュシアスの論文の真価をソクラテスに問う。ソクラテスの判断
は次のようであった。
修辞的な面では、語句の一つ一つが明確で引き締まって、かつ綿密に磨きがかけられていてよいが、同
じことを何度もくりかえした話に思われる。同一の主題に対してあまり話の種類を持ち合わせていないし、
あるいはこの種の主題には関心がないというようである。結局、同じ事柄をいろいろ言い方を変えながら
上手く話せるぞと得意になっている印象である、とソクラテスは語った。したがって、この主題において
欠けているものはなにもないというパイドロスの讃美とは折り合わないものとなった。
 そこでソクラテスは、リュシアスの話に見劣りしない話を、主題を変えずに話してみたいと言い出す。
恋している者より恋していない者に身をまかせるべきだという主題が、ソクラテス自身からその場で創ら
れ話されたのである。それが『パイドロス』で語られる二つ目の話である。その要旨を追ってみよう。
 
『むかしあるところに美しい若者がいた。たくさんの求愛者の中に口の上手な者がいて、その若者を誰よ
りも恋しているのに、恋していないと信じ込ませておいた。ある日、その若者に、ひとは自分を恋してい
る者よりも、恋していない者に身をまかせなければならないのだということを説得しようとして次のよう
に語った。
「どのような議論でもはじめにしなければならないことは当の事柄の本質である。考察をするとき、それ
を知っていると決め込んで同意を得ておかないから、自分自身とも相手ともいうことが一致しない。した
がってここでは〈恋〉とは何であるか、お互いの同意にもとづき定義しておこう。
恋とは一つの欲望であり、恋をしていない者でも欲望を持つことは知っている。それでは、恋している
者と恋していない者とを何によって区別したらよいか。その前に注意することがある。一人ひとりのなか
に、われわれを支配する二つの力がある。一つは生まれながらに具わった快楽への欲望であり、もうひと
つは最善のものを目指す後天的な分別の心である。分別の心が理性の声によって最善のもののほうへ導き
勝利を得るとき、この勝利に〈節制〉という名が与えられ、欲望が盲目的に快楽のほうへひきよせ、支配
権を得るとき、この支配に〈放縦〉という名が与えられる。
「盲目的な欲望が、正しいものへ向かって進む分別の心に打ち勝って美への快楽へと導かれ、それがさら
に、自分と同族のさまざまな欲望にたすけられ、肉体の美しさを目指し、指導権をにぎりつつ勝利を得る
ことによって勢いさかんに(エローメノース)強められる(ローステイサ)とき、この欲望は、まさにこ
の力(ローメー)という言葉から名前をとって、〈恋〉(エロース)と呼ばれるにいたった」のである。こ
れが恋の定義である。
次に、恋している者と恋していない者がそれぞれ相手にどのような利益や有害なことをもたらすのかを
考えてみよう。欲望に支配され、快楽の奴隷である者は相手が自分にとって快いものにしようとする。ひ
とは病んでいるとき、自分に逆らわないものが快く、自分より力強いものや等しい力を持ったものはいと
わしいと感じるものである。したがって恋する者は愛人を自分より劣った者に仕立て上げようとする。無
知で臆病で弁論の能力がなく愚鈍な者にしようとする。そうなることによって快楽を得る。だから恋する
人は嫉妬深いといえる。有益な交わりから愛人を遠ざける。叡知を高めるような交わりをさまたげるとき、
害悪は最大である。つまり、自分が軽蔑されるのをおそれ、神聖な哲学の営みから愛人を遠ざけずにはい
られないのである。愛人はわれとわが身を毒することになり、恋する者は保護者としても交際相手として
も決して有益な人間ではない。
善をさしおいて快楽を求める人間のいいなりになると身体の状態はどうなるかを考えてみよう。恋する
者は、柔弱な者、太陽の当たらない蔭で養われた者、労苦と鍛錬の汗を知らず軟弱な生活をおくる者、自
然の美しさがなく人工的に身を装う者などを追いかけるのである。また所有しているものに関してどのよ
うな害があるかを考えよう。恋する者は相手が神聖なものから見捨てられ孤独の身であることを願う。父
もなく母もなく身内もなく友達もないことを望んでいる。財産もないことを願い、長く快楽を味わおうと、
相手が結婚もせず、子供を持たず、家も持たないことを願っているのだろう。
神様は悪しきものにその場限りの快楽を与えた。しかし恋する者は相手にとって有害だけでなく、これ
ほど不愉快なものはない。同じ年代の者同志であれば互いに似ているので楽しみがわき親しみも感じられ
ようが、それでも飽きるということがある。まして年上の者が若い愛人と四六時中いっしょにいて欲望に
駆り立てられ、楽しみを味わいながらしつこくかしづく。しかし、愛人のほうはどんな楽しみや慰めがあ
るのだろうか。恋する者の老醜は耐え難く、絶え間なく強いられ、他の人との交わりを禁じられ見張られ
る。やがてその恋がさめると、それまでの将来の約束を果すときがくると、それまでの恋と狂気に代って
理性と節度を取り戻し、むかしの人間ではなくなっている。つまりかこの負担からの逃亡者になるのであ
る。相手は彼の後を追いかけなければならなくなる。恋に捉えられ理性を見失った人間には身をまかせる
べきでないことを前から心得ておくべきだった。したがって恋する者の愛情は心からのものではなく、飽
くなき欲望を満足させるために、相手を餌食と見なして愛するのだということを心に留めておかなければ
ならないのだ。』

ダイモーンの合図
このようにソクラテスが語り続けたとき、いつものように彼にダイモーンの合図が訪れたのであった。
ダイモーンの合図とは、彼が何かの行動に出ようとするとき彼を躊躇させる内部の声といったものである。
それゆえ話を中断せざるをえなくなったのである。
ここまでのソクラテスの話は〈恋〉の本質を明確にし、恋する者とその愛人の立場を広範囲に把握し、
〈恋〉が有害であることを十分に描き出して見せたものである。ソクラテスにとって分別心が欲望を押さ
える〈節制〉というものは尊重されるべきものであるが、『パイドロス 』の後半、ソクラテスの語る二番
目の話では、「世の多くの人々が徳とたたえるけちくさい奴隷根性 」としてソクラテスが強く否定するも
のであった。つまり藤沢氏が指摘するように、正気と節制をたたえ、狂気と恋を非難するのは、人間的次
元においてのみ正当であるにすぎないということである。したがって、神的と呼ばれる狂気や恋があるこ
とを二つの話は見逃していたことになる。
ソクラテスは初めから、「自分を恋している者よりも自分を恋していない者に身をまかせるべきである」
というリュシアスの論文の主題に異を唱えていたのであったが、リュシアスと同じ主題のもとでまずは一
つの話を創作したのは、この神的と呼ばれる狂気と恋を明確にするためであろう。リュシアスがパイドロ
スを口説き落とす策略であり、さらに弁論術が真実を追究するよりも人の心を魅了する術であることを見
抜き主題を大逆転させる第三の話(ソクラテスによる二番目の話)を展開するための、ソクラテスのとい
うより著者プラトンの構成上の攻略であったと考えられるのである。

ソクラテスという人物の主体を考えたとき、ダイモーンの存在は切り離すことができない。二番目の話
を中断したのもダイモーンの合図が訪れ、「 神聖なものに対して何か罪を犯しているから、自らその罪を
浄めるまでは、ここをたちさることならぬ、とこうぼくに命じたように思えた」からである。
藤沢氏の訳注によると、ソクラテスが積極的に話をするときはいつも、えらい人から聞いた話であると
か、神が乗りうつったとか、夢に見たとか言い訳をし、自分には知識がなく、他人の思想が生まれるのを
たすける、産婆術のような役目をするだけだと語るのが常であると指摘する。プラトンが自分の主張を直
接述べずに、対話を駆使して自らの哲学を完成させる方法と通底しているように思われる。( この論考の
最後に踏み込んで考察してみたいと思う)。 ダイモーンとは神と人間の中間的な存在であることは前回に
触れたが、プラトンがプシュケーの本性を明確にする以前に、ソクラテスは死者の霊や神霊を祭るがゆえ」
(『ソクラテスの弁明』(24C)に告訴され処刑されたのであり、後で論じるが、神々の天上での行進に
従うが地上に墜ち人間の肉体に宿るとされるものがダイモーンであると『パイドロス』では語られている
ように、古代ギリシアにおいても認めがたい存在であったことが知れる。後代のキリスト教世界でのデー
モン、つまり悪魔的なものや異教的な神とどの程度に関連しているのだろうか。
 ステファン・ツヴァイクは『デーモンとの闘争 』という書物で、「一種人力を超えた、あるいは現世を
超えたといってもいい力に駆り立てられ、それぞれの住み心地よい生活を捨てて情熱の破滅的な颱風のな
かに突き入り、命数に先んじて精神の怖ろしい惑乱、感覚の致命的な陶酔に落ちて、狂乱し、あるいは自
殺し果てる」英雄的形姿を、ヘルダーリン、クライスト、ニーチェに見ている。ツヴァイクは「人間各自
に根本的かつ本来的に生まれついた焦燥をデモーニッシュなもの」でありこの焦燥はわれわれを人間的な
ものから抜け出させ根源的世界へ駆り立てるものであるという。また彼はそれを「ファースト的衝動」とも
呼び、創造の原動力であり自然のめぐりの内部に存在するものと考えている。(私のエセーの主題と哲学
と霊性とのつながりという点で重要であるが、別の章で論じることにしたいと思う。)
『パイドロス』では、ソクラテスの行為を抑制させるものとしてダイモーンがあるが、真理から逸脱する
ときや、人間的な道徳に隷属しようとするときに警告されるものである。かつて神々といた天上界、いわ
ば根源へとソクラテスを導く力といえよう。恋する者の神的狂気とのつながりから、ダイモーンとの関係
が類推されるが、キリスト教の文献を詳細に調べ上げなければ断定はできないので筆を置こう。
 
われわれのもとにある魂で、至上権を握っている種類のもの(理性)については、こう考えなければなり
ません。――すなわち、神が、これを神霊(ダイモーン)として、各人に与えたのであるー―と。そして、
そのものはまさに、われわれの身体の天辺に居住し、われわれが、地上の、ではなく、天上の植物であるか
のごとく、われわれを天の縁者に向かって、大地から持ち上げているものなのだと、わたしたちは敢えて主張
したいのですが、この主張は、至極正当なものだということになります。何故なら、(われわれの)神的なる
部分は、魂が最初にそこから生まれたそのところ(天)に、われわれの頭でもあり根でもあるものを吊るして、
身体全体を直立させているわけですからね。……(中略)……学への愛と、真の知に真剣に励んで来た人、自
分のうちの何ものにもまして、これらのものを鍛錬して来た人が、もし真実なるものに触れるなら、その思考の
対象が、不死なるもの、神的なるものになるということは、おそらくまったくの必然事なのでしょう。
(『ティマイオス』90‐B)

魂の神的な部分が真の霊魂の名に値し、われわれに神が賦与したダイモーンであると井筒俊彦氏は『神
秘哲学』でいう。ダイモーンは「われわれの身体の最上部に棲み、天上界との本源的親縁性によって、わ
れわれをあたかも天界の植物であるかのように地上から天上に向かって曳き上げようとする」。「天涯はる
かな遠の家郷に翔り還ろうとして痛ましい焦燥の念に燃えるのがダイモーンなのである」という。またダ
イモンは神と人間の中間者であるから、プラトン的愛は神に向かう上昇的志向性と解されるが、絶対者(
神)が相対者(人)を引き上げようとする呼びかけであると、『ティマイオス』のテクストを挙げ、井筒
氏は指摘する。またイスラムの神秘主義(スーフィズム)へのプラトン的愛が与えた影響を論じている。

 魂(プシュケー)の不死性と世界霊魂
エロースが神であるならば悪いものでありうるはずがない。ソクラテスにこれ以上語ることを静止させ
たもの、つまりダイモーンの合図をしっかりと受け留め、神々に対して侵した罪を浄めるために「取り
消しの詩(うた)」をささげエロースの神に償いをしようと決意する。「 われわれの身に起こる数々の善
きものの中
でも、その最も偉大なるものは狂気を通じて生まれてくるのである」と語る。したがって、自分に恋をし
ている者は狂気であり、恋をしていない者は正気であるという理由で、後者に身をまかせるべきだと主張
する物語は真実の物語ではないとソクラテスはきっぱりと語るのであった。神から授けられた狂気によっ
て尊ばれた予言術や疾病や災厄からのがれた古人の例、またムッサの神々から授けられた神がかりと狂気
によってなされる詩作などを挙げ、技巧だけでなされ、狂気に授からない創作は、狂気による詩の前では
輝きを失うとソクラテスは語り、恋という狂気こそ神から授けられたものであり、真の知者には信じられ
ることであると指摘することで、ソクラテスの二番目の物語(全体では三番目)を始めた。
 まずソクラテスは魂の本性について真実をつきとめることから始めた。「魂を配慮しなさい」という言
葉は、ソクラテスがひとに会うたびに説いて廻った言葉であった。「もともとソクラテスの教えの中心は、
人間もしくは自我というものの本体をプシュケーとしてとらえ、何よりもまず魂を大切にして、これをで
きるだけすぐれたものにしなければならぬと説くところにあった。プラトンの仕事も、根本においては、
このようなソクラテスの教えから出発して、人間の魂について想いをひそめ、プシュケーに関する考え方
を発展させていくところに、そのすべてが成立するともいえる」と藤沢氏は「プラトン『パイドロス』註
解」で述べている。それでは、『パイドロス』のなかでソクラテスが語る魂についての話に耳を傾けてみ
よう。
 つねに動いてやまぬものは不死なるものである。他によって動かされるものはいつか生きることをやめ
る。しかし自己自身を動かすものは動きをやめない。他の動かされるものにとっては動の源泉であり、始
原となる。それが魂の本性である。自分で自分を動かすものは滅びることもなく、生じることもなく、不
死なるものである。外から動かされる物体は魂のない無生物であり、内から自分自身の力で動くものは魂
を持った生物である。藤沢氏によると、魂の不死生は『パイドン』や『国家』で論証されてきたが、自己
運動者として魂の不死を証明したのは『パイドロス』が初めてであり、後期の『ティマイオス』や『法律』
ではこの考えが引き継がれていると指摘する。『パイドロス 』では魂を他のすべての物体に活動を与える
「動」の原理ととらえ、天体の運行を支配する「動」と連絡させる考え方が新しいものとして登場してい
るともいう。個人の魂と宇宙全体の活動力との結びつきは『ティマイオス』のミュートスに明確な表現を
与えられていると藤沢氏は述べる。プシュケーなるものをエネルギーとしてとらえ、宇宙規模において考
えるというそのこと自体はプラトン特有の思想ではなく、古代ギリシアの自然哲学の伝統である。しかし
『パイドン』、『国家』では個人の魂のあり方の考察であったが、『 パイドロス』では人間の魂の不死とい
う思想に到達した後に、イデア論と結びつけ、死後の運命に対する表象と結びつけていることが特徴とな
っていると藤沢氏は指摘するのである。「 ただひとりの人間の問題にとどまるものではなく、宇宙全体の
さだめられた秩序という、このなにか厳粛で客観的なものの中に、確固とした対応をもつのでなければな
らぬ」、つまり『パイドロス』のミュートスは、世界霊魂という考えを明確にした画期的なものであり、
「特定の学派との接触」が機縁となっているであろうと藤沢氏はいう。それでは特定の学派とは何であり
どのようなものなのかを考えてみよう。
 井筒俊彦氏は『神秘哲学』で、ギリシア哲学史上に大きな役割を与えた「二つの霊魂観」を論じている
が、それによると、一つは「内的霊魂観」ともいうべきもので、身体の外部から内部へ侵入し宿る霊魂で
ある。霊魂は元来、彼岸的存在であって一時的に身体を仮の宿とし、肉体が滅びればそこから離れ、永遠
に生きつづけるという考えである。もう一つは宇宙に広がる「普遍的生命力」であり、全宇宙の運動の原
理であるという考えである。これは前六世紀、ミレトス自然哲学に現れた新思想であるという。前者の「
内的霊魂観」こそディオニュソスの宗教がオルフェウス・ピュタゴラス秘儀集団に間接的に取り入れられ、
ギリシア精神に浸透していったものであり、後者はディオニュソスの狂乱が直接的に知性化され精神化さ
れて新しい思想を生み出したのであろうと井筒氏は主張している。その二大潮流が再度新しい統一に達し
形而上学に結集するが、そこに辿りつく経路の相違によって各哲学者の思想的色調は著しく異なるという。
(紀元前七世紀から六世紀の大混乱時代、人々を圧伏してきた王家は倒され、下克上の世になり、海外貿
易は著しく発展し巨万の富を築く人々が現れた。「我」の自覚がうまれイオニアに抒情詩と自然哲学が時
を同じくして興隆する。詳しくは井筒氏の『神秘哲学』を参照していただきたい。)ディオニュソスの野
蛮な狂乱をギリシア哲学に巧みに取り入れたのであった。「その
最初の哲学的所産が紀元前六世紀イオニア人の王都ミレトスに誕生した自然学、さらにその論理的形而上
学的発展の結果がエレア学派の存在論である」と井筒氏はいう。しかし、多くの民衆の宗教的欲求を満た
すこができなかった。人々の心を掴んだのは、「彼岸の至福を約束する通俗的神秘主義」、古くからの、農
耕祭祀の主宰神デメテールやペルセポネーなどの密儀宗教である。このような密儀宗教にディオニュソス
神が侵入し結合したのである。先述した「内的霊魂観 」はこのような密儀宗教に育まれてきたものであるが、
それを思想的哲学的に昇華したのがオルフェウス・ピュタゴラス的秘儀集団であったと井筒氏はいう。
 藤沢令夫氏の指摘する、『パイドロス』のミュートスに影響を与えたという「特定の学派 」とは、具体
的に言えばオルフェウス・ピュタゴラス教団であろう。井筒氏はピュタゴラス教団の中心的思想は「霊魂
の輪廻転生」であり、「先行するオルフィズムに直結する接触点」であるという。井筒氏によると、「トラ
キアの詩人祭司」オルフェウスの名によって生まれたこの彼岸宗教は、ディオニュソス宗教を精神化し霊
魂不滅と霊魂輪廻の教義を形成し、典礼と禁欲によって永生の浄福を確保する道を宣教し全ギリシアに広
がりをみせる。ここにはじめて確立されたという霊肉二元論はプラトンの思想に大きく参与していると井
筒氏は指摘する。教団が物語るオルフェウス的神話では、人間の肉体はティタンから生じたとし、ディオ
ニュソス神はザクレウスと同一視される。ザクレウスはペルセポネーとゼウスの間の子供で世界統治をゼ
ウスから痛くされていた。ゼウスの敵であるティタンたちは世界支配を目論みザクレウスを食い殺す。し
かし心臓だけは女神アテナによって救い出されゼウスに返すと、ゼウスはのみくだしセメレとの間の子と
して誕生させるのである。このように一度死んで甦ったザクレスは神でありながら人間として昇天し最高
神になった。(詳しくは『神秘哲学』参照)つまり、肉体はティタン的な悪の要素を持ち、霊魂はディオニュソ
ス的な善と聖の真我であるので、「 現世の生活において肉体に宿る霊魂は、天上から堕ちてきた悲しい流
浪の身でなければならぬ」と教団では考えられていたのだと井筒氏はいう。

 

小林稔・最新の詩「摂理」詩誌『へにあすま』42号2012年4月15日発行

2012年04月23日 | 詩誌『へにあすま』に載せた作品
『摂理』詩誌「へにあすま」42号2012年4月15日発行


摂理 
小林 稔


舞台は廻(めぐ)る、一刻も止まることなく! 作動させているのは時を司る地
獄(ハデス)の王だ。昔あった雑駁とした路地裏の入り組んだ道が現われてはフ
ェイドアウトしていきながら、幅広い舗装道路が真っすぐ貫いて走る、その両
側にプレハブモルタルの家家がこちらに顔を向けている。どこか見覚えのある
男が五十年の歳月を凝縮させて私を見やる。そう、彼は私とおなじく舞台の左
手の袖に少しずつ追いやられているのだ。まだ二十年、三十年演じつづけるだ
ろう。脇役を命じられて。いま私の透視する一幅の風景に永遠なるものはどこ
にもない。

反対側の袖からは幼児たちのはしゃぐ声が絶えない。あの男の親たちは、かつ
ての舞台の左手の袖で闇に幽閉され、骨片だけを残して消えた。かろうじて人
々の記憶という慰安所を仮の住まいに定め、忘れられないことを念じているが、
記憶は時の経過で薄墨のように輪郭から鮮明さを奪われ、闇に打ちのめされて。

舞台は廻る、一刻も止まることなく! いま目にする光の射した舞台はつぎつ
ぎに張り替えられる。演者にして観客である私たちもまた。何一つ誰一人留
(とど)まれるものはなく、留まれないという定めこそが留まりつづける。舞台
の袖から袖まで百年にも足りない時間の広がりに、喜びも悲しみも、怒りも絶
望も、慈しみも憎しみも、ぶつぶつと泡のように生まれ泡のように弾けている。

私たちがこの舞台からの退場をよぎなくされたあとも、廻る舞台はそこにある。
光に照らされたその舞台で死の刻印を授けて私たち死者を見送った人々の演じ
る世界だけがこの世の世界。しかも絶えず廻り変わりつづける世界だ。天変地
異や病いで命の順列を崩されることもある。なんという残虐な摂理だ。人は誰
であれ人間の死を止めることはできない。他者の死を救出することさえできず
に、人はいずれ舞台の袖から奈落へと退散するしかない。

すべては変貌する、何一つ同一なるものはなく! 不意に記憶から過去の事物
が( 過去は不変であるはずなのにいま生まれようと息づき始めた! )私の現
在に立ち上がり占拠する。私は書く。不動なものを求めて。死すべき私は永遠
を奪還するための網を張る。つまり言葉を紡いでいるのだ。


連作「榛(はしばみ)の繁みで」より


書評「情念のエクリチュール」後編)小林稔 「ヒーメロス20号」最新号から転載。ショパンの評伝的小説。

2012年04月22日 | ショパン研究
書評
  情念のエクリチュール(後編)
   小説『ショパン 炎のバラード』ロベルト・コトロネーオ 河島英昭訳 集英社2010年十月刊
  
  小林 稔

 十一
 
互いにまったく異なった二つの世界があるというだけで異常というべきだ。しかも双方が偶然によっ
て支えられているとは。(p.256)

ショパンの真の誕生日とさえ伝記作家によって語られるニ月十七日は、《バラード四番》のフィナ
ーレを書き直した日である。その百年後にアンドレイ・カリトノヴィッチが逮捕されたのであったが、
彼は、「愚鈍な警官たち」を「軽蔑した微笑を浮かべながら見守っていたにちがいない」。体制側の
執行計画に則した警官たちは、理解不能な「あるドラマの進行」に手を貸していたのである。「私」
になにがしかの金と引き換えに手稿譜を与えたエヴゲニーも同様に動かされているのだ。偶然が「筋
書きを生み出し、構築物をつくりあげ、おそらく、たいした意味をもたなかったものに対しても、そ
れなりの意味を付与してきた」。数年前、「私」は「私のソランジュ」のために《バラード四番》と
最後のマズルカを弾いたが、「私」の演奏を賞賛することはなかった。彼女は「私」の肉体だけを捜
し求めたのであった。「私」は混乱した。改めてバラードを弾き、「最初の版のほうが良かったので
はないか」という結論に達した。ソランジュのわがままが書き返させたのではないかと思うようにな
った。
 母は愛するアルトゥーロ叔父が亡くなったとき、あまりの悲嘆に明け暮れ亡くなったのだと「私」
は信じている。父はそれでも苦しみに堪えながらも母を愛しつづけていたが、父は叔父のことも愛し
ていたのである。父は、叔父が才能のあるピアニストであることは認めていた。二重の苦しみのなか
で父は髪は白くなり抜け落ちていった。その三年間のあいだに「私」はショパン・コンクールへの準
備をしていた。父は沈黙を募らせていたが、ある日、「私」が弾く《マズルカ・へ単調》に耳を傾け
た。かつて母が父のために弾いていた曲であろう。「私」が鍵盤から指を離し弾くことを中断したと
き、父の心を乱してしまったことを知った。再び弾き始めたのだが、ちちは扉の向うに消えて、帰っ
てくることはなかった。ショパン・コンクールで「私」が演奏したのも、あの日に弾いた《バラード
四番》と《マズルカ作品六八の四》であり、扉の影で聴き入る父の姿を見つけ近づいていく前に姿を
消したのであった。父は叔父を一つ屋根の下に住まわせていた。「三者三様に味わった恐怖」。コン
クールに優勝し、「私」の名は世界に広まった。レコード会社との契約、二年間分の演奏日程が決定
された。しかし直後の戦争が「私の心に深い苦しみをもたらし」た。兵役の招集を避け、イタリアを
離れスイスに移り住んだのであったが、罪悪感から解放されたのは、イタリアに帰りパルチザン部隊
に参加してからであった。
 ある晩のことである。国境から数キロメートルにある集落のある一軒の家で「機械もピアノ線も剥
き出し」のピアノに出会った。「私たちのグループ」の最年長者が「私」に弾いてみるように命じた。
指を試しに置いてみると、調律がしっかりしていることが分かった。「私」はすぐにショパンのワル
ツを引き始めた。踊りだす者もいて、チャールストンを弾いてくれという声が聞こえたが、「私」は
応じなかった。ピアノを弾くのは二年ぶりであった。次にブラームスの狂詩曲を弾き始めた。周囲は
静まり返り、「私」を自分たちとは「別の存在」であるかのように見ていた。夜が明け始めて、寒さ
が募っていた。「私たち」は三百名のパルチザンと国境を越えスイスに逃亡した。数ヵ月後にミラノ
に帰った。一九四五年六月。あの夜、「私」が弾いたピアノに耳を傾けた人々は、その後さまざまな
人生を歩き出していたであろう。「私」はスイスの山荘、「ニューヨークとロンドンとパリの中間点」
にいる。あの「私」が生み出した音楽は「私の魂を、私の精神を、私の才能を剥き出しにした」ので
あり、「開かれた大きな門」を後にして嘆きとともに、人々との壁をつくったのである。父でさえ
「私の才能に当惑して」扉の蔭に隠れたのだ。しかし母はそれに耐えた。「なぜならば、私の才能の
うちに、母は叔父アルトゥーロの敗北を見抜いたからである」。母の復讐、母を拒んだことに対する
復讐といえるものであった。矛盾する感情を母は手紙に書き留めた。母の死後、それらは発見された
が、叔母の一人が焼き捨てた。暖炉のなかで燃える手紙の束を見つめながら、「私」は時を遡って、
ジョルジュ・サンドがショパンに送った手紙を自ら焼却したことを思い起こした。
 一八五一年、アレクサンドル・デュマがホーランドのシレジア地方でショパン宛のサンドの手紙を
見つけた。サンドがショパンの姉ルイーザに持ち去るように託し、ポーランドに運ばれたのであった。
なぜサンドはそうしたのか。ルイ―ザはなぜか身辺に置かず友人に渡してしまった。そこに辿り着き
手にしたのがデュマであり、サンドに知らせたのである。サンドの反応はどのようであったか。

わたしの人生のなかでも九年間を、満たしつづけた母親の情愛が、どれほどのものであったか、おわ
かりになったでしょう。確かに、それらの手紙のなかには、秘密にするべきものなどなく、どちらか
と言えば、まるでわが息子のように、あの高貴な癒しがたい心を、大切にし、かつ優しく慰めたこと
こそ、恥ずかしさと共に、わたしの誇りとすべきものでしょう.。(p.265)

 これら母とサンドの手紙の焼却の近親性を「私」は絶えず考えてきた。サンドは大部な書簡集を残
している。ショパンに送った手紙はすべて焼却している。秘密にすべきものはないとはいえないので
はないかと「私」は思う。二人の手紙が溶け合い、ソランジュに似た「もう一人のソランジュ」と出
逢ったことで「私の人生を決定的に混乱させ、私を驚愕に陥れ、ほとんど赦しがたいほどの感情のう
ちに、あの窓辺の狂気に、私を対面させたのであった」。
 あの夜、「私のソランジュ」はピアノに近づくことはなかった。別れの気配を「私」は感じ取って
いた。「あの慎みぶかい官能的な態度のうちには、遠い日に感じ取れたものと同じ、あの隔たりを、
読み取ることができた」。

この世界との係わりの一切の可能性を断ち切るために、ピアノが私から離れて、関係を終りにしてし
まうのではないか、と恐れを抱いたときのときの気配に似ていた。そうなれば、私こそが私の道具の
犠牲者であった。(p.267)

 ショパンはソランジュのために《バラード四番》のコーダを書くことができた。しかしソランジュ
には弾くことができなかったにちがいない。「彼は自分のピアノを彼の感覚の簡単な道具に、移し変
えることに本当に成功した」のである。したがってソランジュには「沈黙の、音にならない、音楽に
ならないものとしてのみ、残るであろうと知りつつ、そうした」というほかない。「私」はかつてあ
るジャーナリズムに言ったことがある。

 ピアノが、演奏家と聴衆とのあいだに存在する、仲介者であることを、考えてみてください。私の
驚異的な技術が、わたしの道具を、自立した何ものかに、私の統治を越えた怪物に、変えてしまうこ
とが、しばしば生じるのです。ついには、それ自体に、生命を吹き込んで、それ自身を、真の主人公
に変身させてしまうのです。(p.268)

 もはや芸術家の孤絶というべきものであろうか。いかなる表現であれ伝達すべき他者は存在する。
一人の人物に愛を捧げるべき情念が、芸術の形式を取るときには単なる愛の表現を超え出て普遍性を
獲得する。それゆえ対象者(愛される者)は芸術家の視線が自分に注がれていないことを知り嫉妬に
似た感情に捉えられ、自尊心を損なわれたと思うのである。それでは芸術家は誰と出逢うのだろうか。
芸術を思考するもう一人の芸術家である。「何という皮肉な調和か! 私だけが、あの困難極まりな
い、激烈なパートを、演奏できるとは」。しかし、「私のソランジュ」にパリのカフェで出遭えたと
はいえ、「私はピアニストという調和の函の内に、それを閉じこめてしまった」。ショパンを惑乱さ
せた悪魔たちのように。
 「私」はいま、スイスの山荘でこれまでの人生を回顧している。自分を自分から引き離す生活に耐
えられずに、森のなかをさまよい歩く。最近はドビュッシーを選んで弾いた、「計算ずみの不調和な
彼の情熱が好きなためであり」、「私の心の奥底には触れないから」である。稀に応じるインタビュ
ーではモーツァルトやスカルラッティやベートーベンであるが、ショパンは語らない。「なぜならば、
私には分かっているから、ショパンが私を待っていることが。最後には、私が彼のことろへ帰ってい
かねばならないことが」。
 「私」は夢の中にいた。恐ろしい静寂。いく年かまえ、スイスとイタリアの国境近くのゴンド峡谷
の五百メートルの絶壁の上にいた。「谷底は深く、暗くて、そこに幾条(いくすじ)かの道が走ってい
た」。空想の登山家たちがこの岩を登ってくる光景を思い起こした。「私」もまた《バラード》の二
番、四番の困難な部分を弾きこなしたのだから、彼らと同じといえた。クラウディオ・アラウは悪戦
苦闘して登っていた。ルビンシュタインはあらゆる困難を克服していた。彼らは老練なアルピニスト
で、「深い経験のうえに築いた、熟練の技法を駆使して、苦しみの果てに、難攻不落の絶壁を、彼の
体力の限界を超えつつ、征服してみせた光景を、目のあたりに見るような気がした」。一方で、彼ら
の中にもう一人のアルピニストがいて、完璧な動きは「自然が生まれながらに彼に授けた、天賦の才
というものであり、「岩場を生み出した自然と同質のもの、同じ才能を駆使して岩場を征服するのだ
から、子供の戯れに等しい」といえよう。「私」はその中間に位置する者である。絶壁の頂上に達し
たと思うや否や第一段階に過ぎないことを知る。《バラード四番》が示す絶壁は、その先もつづき、
想像を絶するものであろう。ショパンはいかにしてあの絶壁を登ったのか。ルビンシュタインは? 
アラウは? コルトーは? 「ショパンはあの壁を築いて、造りあげ、創造してみせたのであり、そ
の挙句に、私たちにあれを残したのだ」。
 フランツ・ヴェルト、アンドレイ・カリトノヴィッチ、そして「私」の三人が、記憶の内部に閉ざ
されたままになってしまい、「聴衆の前で弾くことができなかった楽曲」を、ショパンは「ソランジ
ュを連れ出し、賛美させた」のである。「私」が入手した手稿譜は、「私」とショパン、「私」とソ
ランジュ・デュドヴァン、「私」と「私」の母、「私」の父とのあいだの、さらにアルトゥーロ、ア
ンネッタ、ヴェルト、カリトノヴィッチ、エヴケニー、ジェイムス、そしてアラウとのあいだの決算
書といえるのだ。戦争が「私」の二十五年間を閉じこめてしまった。あの古い物語は私的な内容であ
るゆえ人前では語られるものではない。しかし「私のピアノ」こそが意味を付与するものであり完結
させるものであった。母も叔父もピアノを弾いたが、父は弾く人ではなかった。それは「彼の人生の
悲劇であった」。ソランジュに対するショパンの、叔父に対する母の、「私」に対する母の、エフゲ
ニーに対するカリトノヴィッチの、カリトノヴィッチに対する老教授の、それぞれの情念は「私」を
襲い、全体が結びつけられたとき意味をなしたといえる。それを、「私のソランジュ」が家を出て行
ったその朝に理解したのであった。彼女は戻ってくるであろう。
 手稿譜を入れてある抽き出しに写真を入れた封筒が保存されていた。「私の赤ん坊のころの写真」、
十一歳のときのピアノに向かって腰かけている「私」の後ろに母は立っている写真、それらの写真の
裏には、「アルトゥーロから」という文字があるので、叔父がファインダーを覗いたことが分かる。
母の視線は生涯、叔父を見つめたひとつであった。それぞれの「宿命の事件」がいっしょになって、
「この宇宙の神こそはまさにヘ短調の和音である、という考えに近づけてきた」。欠けているものは
「私のソランジュではなく、彼のソランジュであった」。あの手稿譜の情念の筆跡をいかに解明でき
るのか。見出されるのであれば「私の物語をひとつにまとめることができるはずであった」。ヴァン
ドーム広場には、「偉大な作曲家フレデリック・ショパンここに死す「という碑銘がある。瀕死のシ
ョパンのまえにソランジュは行かなかった。彼女の夫である彫刻家クレサンジュは、ショパンのデス
マスクを取った人である。「ペール・ラシューズ墓地のショパンの墓を飾る彫刻も彼の手になるもの
であった」。ソランジュからショパンに送った手紙や日記や手稿譜は後に姉のルイーザによってポー
ランドに移されたが、一八六三年、ロシアに反乱を起こしたコサック兵によって焼却されたと思われ
たが、手稿譜だけが奇跡的に焼かれなかったのである。

  十二
 
この小説『ショパン 炎のバラード』の記述を一章から読み進んできたが、時間軸が行きつ戻りつし
ているのは、全編が晩年における人生の回顧の上に成立しているからである。その契機は、十数年前
のパリ滞在時、ショパンの手稿譜を入手したことにある。それまでの音楽に対する思いに修正を迫ら
れてくる心理的過程が描かれ、過去の時間の意味が問われていくのである。
 「私」が「自分の過去を精一杯に私の音楽に詰めこんできた」録音の時間は十時間ほどに過ぎない。
アラウやルビンシュタインやマガノフは「山のように不出来な録音を、残してしまった」。CDでは
なく「七十八回転の、あの引っ掻くような、しわがれた声の混じった、最初に録音したときのままの
音を聴きたい。あの絶え間ない、底から湧いてくる音。あれこそは、音楽における時間の深さ、人生
と過去の深さ、人生と過去の
静けさを、伝えてくるものだ」と思う。
 《前奏曲集》にみられる未完の様相は、比べられるものにフィレンツェのメーディチ家礼拝堂にお
けるミケランジェロの彫刻群だけがある。全二四曲の最後の作品《前奏曲ニ短調》をコルトーは、
《血と逸楽と死》という言葉で規定した。荒あアラウはいう「《前奏曲集》の最後の決定的瞬間は、
まさに、荒れ狂う海の嵐だ。その後で、人生に残された大きな熱情を味わうことは、もはやない」。
「私」が近い将来の仕事に選んだのは、「《前奏曲集》がまさに、《バラード》の正反対に位置する
からだ」。最後の《前奏曲》は「宙吊にされた叙情を封印するものである」。そして「《バラード第
四番》のコーダの先触れをなすもの」である。病状が悪化し、マヨルカ島から脱出できないのではな
いかという恐怖が引き起こした未完結の構成を強いた。《バラード第四番》(むしろ「私の《バラー
ド第四番》」は、「速度を緩やかにしようと努める、漕ぎ手のものであり、たとえ虚しくとも、流れ
の力を宥めようとするものであり、最後には、勇気をもって急流に立ち向かうもの」である。
 「私」は年をとりすぎている。あの手稿譜以外は見ないようにしている。それは「私の生命の本で
あり、ショパンとあの時代に対する、私の妄念の書のようなものである。さらに私が関係してきた女
たちのための書物であり、誰とも心を通わせるすべを知らずに終わってしまった」。「私は肉体とい
う言語を偏愛してきた」のである。ソランジュの手紙も、母の手紙も焼却されてしまった。「私」に
は手稿譜に刻まれた筆跡を追い、楽譜を追って「恐れ戦くものまでも、見出していくしかなかったの
である」。
 「私」は「音楽を命ある何ものかとして取り扱ってきた」。今日のピアニストたちは、譜面に書か
れているだけのものを弾いて、事足れりとする。残りの仕事をするのは、むしろ音響の技師たちにな
るだろう」。「私の世界は、もはや誰にも分からないコードの世界に、つまり、失われた事物によっ
て成り立つ世界に、転落してしまった」といえよう。現代では精神性の探求を思考する芸術家は少な
くなった。「私は一切の幻想を擲った」。「情念の筆跡」が存在するとき、「私」は、それを解読で
きる、つまり音楽として演奏できる最後の人間であると自負している。
 「ファの一つが、どうしても思うように響かない。かすかな摩擦音がする」。調律師は「私」に言
った、「あなたは不完全な音色を望んでいるのではないか」と。「私」は納得するに至る。「いかに
も、かすかな不協和音だけが、あの魂の病から、私を自由にしてくれていたのだ」、「あの縺れあう
偶然の運命の絡まりから、私を解き放って」。「世界が、ひとつの音色のうちに潜む、かすかな、不
協和音に過ぎないこと」を知って、初めて安堵を味わったのであった。

  十三
 
ショパンはピアノの詩人と呼ばれている。それはいかなる意味で言われているのだろうか。「詩とは
何か」という曖昧な規定において呼ばれているのであれば、詩というものを探求することなしにショ
パンの本質を解明することはできない。ミケランジェリの音楽に私が何を感受し、自らショパンの楽
曲を弾く経験をするようになったのかを考えてみよう。この小説の作者が「私」に語らせた音楽への
思いに沿って考えてみることができる。この論考の冒頭で述べたように、音楽を別のものに意味づけ
ることは冒瀆であるという考えを整理してみよう。詩人が言葉に喚起され、音楽家は音に喚起される
という相違はあるが、私たちの日常空間において詩想や曲想は把握される。芸術家の関わる人生のす
べてが関与する。しかしひとたび創作が始まると、あるひとつの理想に牽引され、言葉そのものの世
界、音そのものの世界へと精神は高揚するであろう。受容する者、つまり読み手や聴き手は同じ高揚
感を共有せずして共感はない。「理想」と言おうと、プラトンの考えた「イデア」と言おうとそれほ
ど違いないのであるが、ある曲を人生のある情景の表現と考えることで事足れりとすることは、音楽
の本質を見失うことになる。詩を詩人の人生からのみ読み解くことと同様である。ひとりの詩人、ひ
とりの音楽家をつねに超出してしまうものがあり、それが詩や音楽の本質であると私は考える。それ
はある意味で現実世界からの隔絶であり、芸術家に孤独を強いるものである。芸術家を牽引するもの、
それを私は理想と述べたが、具体的には「美」であり、ポエジーと呼べるものであると私は考える。
だが留意すべきは、ポエジーは現実のわれわれの生活の中に訪れるのであり、彼方に求めるものでは
ないということである。先に「芸術家が関わる人生のすべてが関与する」と述べたことの意味である。
私が初めてミケランジェリのピアノに耳を傾けたときに感じ入ったものこそ、ポエジーであったとい
えるのである。詩人は言葉の啓示を解き明かそうとするが、音楽家は言葉以前の原初的な音=声を追
及しつづけるという違いはある。どちらも私たちの足許に訪れ、私たちをポエジーの源泉へと上昇さ
せようと誘うのである。

山口健一「十一月の飛べない鳥たち」詩誌『龍』139号2012年4月20日発行

2012年04月14日 | 同人雑誌評

山口健一「十一月の飛べない鳥たち」。詩誌『龍』2012年4月20日発行
小林 稔


ちっちゃな子供たちの遠足
かわいいアヒルの行進のように
心地良いざわめきが通り過ぎる
          「十一月の飛べない鳥たち」冒頭の3行

私たちは良い市民になることが最大の幸せであるといわんばかりに、子供たちを調教する。
子供たちの翼は親たちによってもぎ取られ、豊かな生活を送るように親たちは子供たちの教
育に力を注ぎ、子供たちは「夢の空を飛べない鳥」にさせられてしまう。

 こんなになってしまったのは
 度々手を上げる父親と
 深爪を心配し未だに
 ひとりでは切らせてくれない母親のせいです
          「同」10行から14行

 会社人間になって子供のことを母親に委ねてしまう父親と、密着しすぎる過剰な愛情で子
供を自立させない母親のもとでの、「水面に歪み映る姿に嫌悪を催する目に余る言動を大人
たちは鋭いまなざしで戒め」るのだ。やがて子供たちは、オーデンセの即興詩人、ハンスク
リスチャンの悲しい「原案の筋書き」を現実生活の中で知らされてしまうと山口氏は書く。

 それでもやがて立ち上がり
 それぞれの幸福を探そうと羽ばたきはじめる
あの闇に隠れた湖に光が射し
緑色透明の水面に生命の飛沫が迸り輝く
いつか見た光景と希望の未来とが
寂莫とした薄暮に量なる
         「同」最終部6行

「量なる」は「重なる」の意味だろうか。一体どのような希望があるのだろうか。この詩を
読んだとき、私は私の考える詩人像を思い描いてしまった。大人たちに反抗の牙を向ける子
供たちだ。やがて反抗は世界への反抗に向けられるだろう。ボードレールの唱える詩人とい
う存在や、「生の変革」を叫ぶランボーの熱狂を私は思い起こす。
 今日、私たちの詩は自己から遠ざけられた表現で書かれるようになってしまった。例えば
この詩を書く山口氏は、今どのような境涯に立たされ苦悩しているかを書かない。言葉は一
般的なことを書く、客観的に書くことには適応しやすいものだが、詩人自身の個別な思いを
表現するには適応しにくいという特質をもつ。言葉のもつ普遍性を自分のものにするには、
自己の激しい感情や体験が必要である。ほとんどの詩人はその不可能性を避けようとする。
それは現代において詩が消滅する危機と感じられる一因ではないだろうか。


小林稔「榛の繁みで(二)」、個人季刊誌『ヒーメロス』20号2012年3月25日発行

2012年04月11日 | 「ヒーメロス」最新号の詩作品
連作『榛の繁みで』個人季刊誌「ヒーメロス」20号2012年3月25日発行


榛の繁みで(二)
小林稔  

   
   三、闇

もしもし、ぼくの声が聞こえますか。

ぼくの幼少年期に不意に現われ、知らない間にいなくなった子供たち!
ある朝、教室に初めて姿を見せて周囲を沈黙させたり、夜半、近所に引っ越し
てきたりした子供たちだ。

小学校二年生の一学期が始まっていく日か過ぎたころ、担任の女の先生の背中
に張りつくようにして現われたきみ! 親の事情で転校してきたことを先生が
告げた。それだけできみはぼくの手のとどかない遠い世界からやってきた人に
なった。友だちになりたいという思いが胸の奥からこみ上げ、針で刺されたよ
うな痛みを覚えたが、生来話しかけるのが苦手なぼくには絶望的なことだった。

一度だけぼくの家に遊びに来たことがある。母屋の庭にいるぼくの耳から伸び
た絹糸が、開け放たれた引戸をいくつも通り抜け、ずっと先の、( ぼくの父は
駄菓子屋と玩具屋を営んでいた)いくつも並んだガラスのケースの前で突っ立
っているきみの耳もとに繋がっている。

もしもし、聞こえてるよ。
耳たぶをくすぐるようにきみの声がぼくにとどいた。

体育の時間のことだ。相撲の勝ち抜き戦があった。ひとり、またひとりと相手
を砂の上に倒していくきみは、ぼくの体に体当たりしたが、運動の苦手なぼく
に、いとも簡単に身を崩してしまった。負けてくれたのだと、そのときぼくは
とっさに思った。そんなきみはいつの間にか教室からいなくなった。

きみがいつどこへ行ってしまったのかがまったくぼくの記憶にないのはなぜ? 

もう何十年も過ぎ去ってしまったというのに、少年の姿のまま消息を絶ったき
みを、ぼくがいまになって気にかけてしまうのはどうして?

ぼくの視界に突如として現われ、気づく間もなく退場してしまった子供たち! 
きっと彼らは、雲のように移りゆくぼくの人生の「まろうと」と呼ぶべき人た
ちだ。彼らは土地土地で歓待を待つ人たち、人生という想念の旅に足跡を深く
残していく人たちである。眼前から姿を消すことによって私たちの脳裡に刻印
される旅人だろう。やがて彼らは、私たちの人生が一瞬の出来事であり無に過
ぎないことを教えてくれるに違いない。

(もしもし、ぼくの声が聞こえていますか。)



   四、使者

凋落というべきか、恩寵というべきか、十九歳を過ぎて一人暮らしを始めてい
たぼくは、学生時代の特権(少ない仕送りと多くの時間)を満喫していたので
あったが、六畳のアパートでの日々の暮らしのなかで、この世界を生きている
日常空間にその亀裂らしきものを仄かに感じ始めていた。

想像力のなせる技であることはすぐにわかった。当時読んでいたある書物、評論
や小説などと関係していたのだが、いま息をしているぼくとは別の自分を生かし
めることであった。演じるというほどの特異のものではなく、常に観察するもう
ひとりの自分が生れ、日常の事柄、例えば街の人ごみを歩き、カフェに入り、友
人に逢うといういつもと変わることのない生活であったが、ある瞬間から(そう、
それから四十年間のぼくの生に指標を与えつづけたといえるほどの決定的な瞬間
だったと思う)、ぼくに言葉が訪れるようになったのだから。

画集から引き裂いて額に入れ部屋の柱に以前ぼくが架けた、フラ・アンジェリ
コの『受胎告知』の画があった。天井から吊った緑色のランプシェードからこ
ぼれる光に映され、フレスコ画の淡い肌色を見せていた。ぼくはなぜか一瞬自
分が存在を消され空洞になったように感じた。心が、といおうか魂が身体を抜
け出て遠い高みに導かれるようで、(非現実の空間が存在するものならば! )
恐怖と陶酔の入り混じった気持ちにさせられた。

精神に起こった不可思議な現象は解釈を求めて安寧をえようとする。そのとき
のぼくは、天上界を詩で充溢する言葉の世界と捉え、地上のぼくとの距離を埋
めるべく媒体となる存在が訪れ、魂を天上界へと連れて行こうとしているのだ
と考えた。(だからといって現実と想像を同一面で捉えてしまったのではなく、
想像界はメタファーで、この世界を読み解く鍵に過ぎないと熟知していた!)
媒体となる存在をぼくは天使の形象として捉えたのであった。

四六時中、このように聖なる空間に身体が充たされていたのではない。(そう、
それは部屋だ。そこに無造作に置かれた物たちの主張、それらとぼくとの交信
が作用しているように思われた。(そしてレコード盤から音楽が流れるなら!)

現実と夢の世界の(そこには悪の怪しさが潜んでいた!)二重性を生きる時間
はそれほど長くはつづかなかったし、事物がよそよそしい表情を投げかけるこ
とのほうが多かったが、すでに変貌しつつある自分を省察するのは愉快であっ
た。ぼくがこれから生きる時空はぼく自身が切り開いていこう、自分がなろう
とする自分に変身していこうという願望が増殖したのであった。あの瞬間から
訪れる言葉は詩作となってぼくを杖のように支えた。

ぼくに起きた現象がナルシシズムに由来すること、天上界のメタファーを詩の
源泉に結びつけたことが、もちろんその発信地が西洋であることは承知してい
た。その後、その地での荘厳な教会の祭壇に(世間の多くの人にとって崇拝の
対象でなく観光の対象に過ぎない遺物になりはてたとしても!)ぼくの想像界
を彷徨する精神が揺すぶられたのは、神学的なことに詩学のアナロジーを嗅ぎ
つけたからだ。さらにそこに哲学的思考が加味され現在のぼくがいるのだ。

現実に目隠しをほどこし、言葉が織りなす言語的世界にダイブする詩人たちを
知るたびに、(主体性の言葉がこの世界から締め出されているとしても! )ぼ
くを惹起するのはこの現象世界なのだ。此岸と彼岸を橋渡しする言葉を身体に
受け留めるぼくは、日常の生活で変成された自己を用意しているといえよう。

あの瞬間を迎えてから時すばやく過ぎ去り、訪れる言葉がぼくの経験を解き、
これからの視線の先を啓示するだろう。やがてぼくの深遠、おそらくぼくの血
の系譜を紐解く祖先の地である根の國からの声、がぼくを導くのだ。