ヒーメロス通信


詩のプライベートレーベル「以心社」・詩人小林稔の部屋にようこそ。

「プラトン哲学の将来」 小林稔評論集『来るべき詩学のために(二)』より

2016年01月07日 | ギリシア論考

書評
プラトン哲学の将来 ――三・一一以後の世界に向けて――(400字詰め50枚)
     藤沢令夫『ギリシア哲学と現代』(岩波新書)一九八〇年七月刊
小林 稔 
 
エネルギーとプシュケー
 
 平成二三年三月十一日午後二時四六分、宮城県牡鹿半島東南東沖を震源とするM9.0の大地震が発生した。千年に一度起こるともいわれる大惨事であり、自然の脅威の前で人力のむなしさを実感させられたが、今回の地震は阪神淡路大震災と決定的に異なるのは、大津波による福島原子力発電所の事故がもたらす自然科学そのものが人類にとって幸福をもたらすものでありえるのかという未来に向けた問題が浮上し、科学技術の発展が資本主義社会における消費経済を加速させ、利便性の追及を煽って来た産業社会に大きな見直しを迫られていることである。
 『現代思想』(青土社)七月臨時増刊号において「震災以後を生きるための五〇冊」を読み、「〈3・11〉の思想のダイアグラム」として私が挙げるなら、間違いなく私は、プラトン学者であった著者の『ギリシア哲学と現代』を選択するであろうと考えてみた。近代自然科学の急速な発展に伴って生活環境が大きく変わり、われわれの思考にさえ重大なマイナス要因を与え、物理的にも地球存続の危機にまで達しているとして、藤沢令夫氏は彼の著書『ギリシア哲学と現代』において、このような現代の状況を回避するための哲学の重要性を提唱する。
 私は一九七九年に発行された雑誌「思想1・2」No.655~656(岩波書店)を三十年前に購入し、偶然にも一昨年の夏(二〇〇九年)に何度も読み返すことになり、長年、プラトンの哲学に興味を持ち続けていた私に詩作の根拠を授けてくれるものであり、内面の探求のみに窮極せずに詩作と私の生きる現代の接点を示唆するものであるように思わ
れたのであった。もともとは岩波市民講座(一九七八年九月十九日・二十六日)で行われた講演の記録を、この雑誌に二回に亙って発表した論文に手を加え、発表当時にはなかったアリストテレスについての論文(アリストテレスの
哲学とエネルゲイアの思想)を加筆し、一九八十年に岩波新書の一冊に纏めたものである。いまから三十年以上も前
の書物であるが、藤沢氏の現代文明への警告は強まるこそすれ時代遅れの論考ではない。
 藤沢氏によれば、ロマン主義は「汎神論を思考の核とし、科学の世界像に対する反動として現れた」という。ロマン主義とはドイツ観念論(カントを除く)、生命哲学、実存哲学を指す。しかし自然科学を否定しようとする限り、デカルトが確立した、物と心の二元論の範疇を超えるものではないという。藤沢氏は自然科学的思考の由来を古代ギリシアの自然科学に求め、古代から現代までわれわれの思考に根付いている日常的な思考方法を見究め、それを取り込みながらこれからの世界像をつくりあげるための論考を試みている。
 物と心の二元論を解体しようとする試みは、科学的思考に生きるわれわれには並大抵のことでは理解されえないで
あろう困難さを抱えており、物理学の分野で、量子力学における素粒子とエネルギーの問題(不勉強な私は、量子力学と核エネルギーがいかなる理論から生まれたのかをいまだつかめていない)と同様の難しさを持ち、その構造面においてもイデア論は近似しているのであり、プラトンが現代に生きて量子論を知っても驚かなかったであろう、エネルギーをプシュケーに置き換えればプラトンのイデア論は量子論として成立すると藤沢氏は主張するのである。
古代ギリシアを発生の場とする近代科学的思考、つまり「仕事そのものの質や内実は、どれだけの分量をどれだけの時間でなし終えるか」(キーネーシス)という考えに対して、このような有効性や有益性への指向を生かしながら、「無条件にのめり込まず、抵抗と批判の態度を堅持しなければならない」というのがこの書物の基本方針である。それには、古代の原子論や実体・属性の観念と激しく緊張を強いられたプラトン哲学や、アリストテレスのエネルゲイアの思想から多くを学び取り復活させ、絶望的ともいえる現代の状況を打破すべく、「人間の〈知〉あり方の原点」に立ち、「われわれの哲学的経験の自立性を新たに獲得する」ことを課題にしていこうとする著者の意図は継承すべきことであろう。
 ホメロスやヘシオドスの叙事詩の伝統が、自我の確立とともに受け継がれて抒情詩が生まれ、最後にギリシア悲劇というジャンルが現れたと一般的には理解され、これらを文学のトラディションと見なされている。「それは、人間がしだいに自己の行為と生の意味に目覚めてきて、そのことに関する問題を問題自体として自覚的に追求するようになったプロセスであって、その意味で、哲学に向かって方向づけられた動きであるというふうに見なすことができるのではないか」と藤沢氏はいう。
 一方、ギリシアでは、世界や自然のあり方を探求しようとする動きが起こり、人間の生き方の探求と深く結びついたかたちで行なわれていた。つまり世間に流布する「ソクラテス以前の哲学者」たち、エンペドクレス、クセノパネス、ヘラクレイトス、ピュタゴラス、パルメニデス、デモクリトスたちのことである。「ギリシア哲学が自然の考察(ソクラテス以前)から人間の問題(ソフィストやソクラテス)へ、さらに両者の統合(プラトン、アリストテレス)へという仕方で展開していったという記述のパターン」を取りやめてしまうことを藤沢氏は提案する。つまり、アリストテレスが「ソクラテス以前の哲学者」の考えと批判的に対決し、プラトンもまた彼らのみならず先ほど挙げた文学の伝統と対決し、人間の生き方と規範となる価値の問題に照準を合わせた哲学思想を確立していったと藤沢氏は主張するのである。

文学から哲学へのプロセス

 アリストテレスは「詩学」において、叙事詩、悲劇、喜劇、音楽や美術などの創作をミメーシスと規定している。ミメーシスという言葉は、プラトンが「国家」で知識の探求、実物を作る大工などの仕事に対して真似を特徴とする描写につけられた概念である。叙事詩や悲劇、喜劇などの創作の音楽的なもの(リズム、言葉、音階を表現手段とする)に注意を喚起し、プラトンの対話編を、叙事詩や悲劇と同様に言葉を使用するミメーシスであると考えている。しかしアリストテレスは「文学的創作にとって本質的なこととは考えなかった」と藤沢氏は指摘する。エンペドクレスを詩人ではなく自然学者とアリストテレスは主張しているからである。つまり韻律を文学的創作の本質と考えずに、ミメーシスであるかどうかに置いていたからである。一方、アリストテレスはプラトンの対話編を「詩学」以外のところで哲学的著作として扱っていると藤沢氏は言い、「形而上学」でタレスによって始められた自然学が哲学の礎石となっているとアリストテレスは述べていることを指摘する。ここでアリストテレスにおける哲学と文学的創作の分
岐線が不分明になる。
 このような点を考慮し、藤沢氏は次のように提案している。プラトンの対話編をアリストテレスにならって叙事詩や悲劇にいたる文学系列に置き、哲学の形成をアリストテレスとは異なり、文学の伝統の中に取り込む視野のもとに、つまり「文学性と哲学性を併せもつ」プラトンの思想を置いて考えてみることである。なぜなら叙事詩、抒情詩、悲劇が「時間的に継起しているからである。前七世紀前半のホメロス、ヘシオドスの叙事詩から始まり、前七世紀から前六世紀にかけてアルキオコス、アルクマアン、サッポオ、アルカイオス、ステシコロス、シモニデス 、ピンダロスなどの抒情詩人、前五世紀に輩出し、その後にシスキュロス、ソポクレス、エウリピデスの三大悲劇作家、アリストパネスの喜劇作家が現われ、さらにその後を受けて登場するソクラテス、プラトンによって哲学が確立したという事実を考えたとき、このような「継起に事実」は偶然ではなく必然であろうと藤沢氏は指摘する。それぞれのジャンルの特徴をここで詳細に論じることはできないが、藤沢氏の『イデアと世界』(岩波書店)を参照していただきたくことにして要約だけにしてみよう。
 ホメロスの「イリアス」の冒頭、「怒りを歌いたまえ、女神よ、ペレウスの子アキレウスの/のろわしい怒りを。」から見られる叙事詩の特徴として挙げられるのは、歌うのは女神であり詩人ではないことである。それは「物語の出来事の動きを支配するのは神々である」という認識である。「心」の世界が確立されていないだけに「物」の世界が厳然と存在すると藤沢氏はいう。ホメロスの世界は「物」の確立する世界であるという。
次の抒情詩が現われた時代は、自然科学者が登場した時代と時を同じくする。抒情詩に以前に見られない「われ」の自覚や「個」の成立が見られるが、「私」が登場し、「私」から見られた世界が歌われていると藤沢氏はいう。抒情詩には独唱詩と合唱詩が存在した。合唱詩の場合は叙事詩のように神々を歌うが、詩人の視点が現実に注がれているという。
 悲劇においては、抒情詩に現われた一人称的な詩人の想いが退き、現実が歌われず、伝説上の過去の出来事が歌われる。藤沢氏によると、叙事詩の世界に逆もどりしたのではない、出来事を報告するのではなく、人間の行為に集中しているという。人間の行為を決断するのは神々ではなく人間自身であると指摘する。ギリシャ悲劇には慣習的な創作上の約束事があったと藤沢氏はいう。伝説を題材にすることと、観客の存在を考慮して効果的な再解釈と工夫を加え新しい作品を作り出すことを要求されたことである。叙事詩と比べれば長さは十分の一程度であり、場面は変わらなかったので、アリストテレスが「詩学」で述べる「凝集度の増大」が求められたのである。つまり長さ上の制約があったのである。また抒情詩と比べたときに浮上する相違は、個人の苦悩や苦しみを歌う抒情詩人が生命を絶たなければならないほどのそれらが身に迫れば詩を書くことはできなくなるが、悲劇においては劇であるという性質上、役者が演じるということである。つまり「直接的な現実から解放されている」のである。このように劇独自の形式から、「人間をめぐる様々な限界状況を自由に作り出し、その中での人間の行為のあり方を追求した」と藤沢氏は論じている。
 当時から、劇つまりお芝居が偽善的なもの、「うそごと」と見て禁じたという言い伝えががあったが、作品上の鮮烈な行為が別の意味で人間に関する「ほんとうのこと」を提示していたと藤沢氏は主張する。叙事詩の「神々から告げられる事実」、抒情詩の「詩人によって発見される現実」、悲劇における「作者が探求しつつ描き出す真実」への推移を辿って考えれば、別の意味で「ほんとうのこと」が悲劇によって提示されたのではないかと藤沢氏は論じているのである。
 しかし悲劇は衰退した。悲劇が「自分自身の行為の意味に目覚め、行為の規範についての問題を、問題それ自体として自覚的に追求するようになっていくプロセス」であり、「そのような問題追求はギリシア悲劇では、対話の部分において行なわれ、アリストテレスが言うように「劇の主要部分を対話に置く」動きであり、「ロゴスが主役となるようなうごきだった」と藤沢氏は指摘する。このようになったことは、喜劇作家アイスキュロスやニーチェにとって嘆かわしいことであったという。アポロン的要素とディオニュソス的要素の混合が、ソクラテス対ディオニュソスの対立に換えられたことで、「悲劇は死んだ!」と『悲劇の誕生』でニーチェによって叫ばれたのである。しかしアリストテレスは「悲劇がそれ自身のもつべき本性を完成し、かくてその動きをやめた」(『詩学』)と考えたのであった。悲劇に終止符を打ったのはソクラテスであったと藤沢氏は考えている。ソクラテスは「人間の規範となる「正義」「敬虔」「美しさ」等々がそれぞれ何であるかということを、まさに問題それ自体として対話の中に追求し、そのことー―哲学――を自分自身の生涯の仕事とし、そしてそのことゆえに死んで行った人である」と述べ、また、プラトンは「ソクラテスの生涯の仕事のうちに、おそらくは深い意味において、最高のムッサの技芸を見て」とった人であると
見てとったのではないかと藤沢氏は「イデアと世界」で主張する。
 叙事詩、抒情詩、悲劇と継起された伝統の流れに、「人間がしだいに自己の行為に目覚めてきて、そのことに関する問題自体として自覚的に追求するようになっていったプロセスであって、その意味で、哲学に向かって方向づけられた動きであるというふうに見なすことができるのではないか」と藤沢氏は考えている。本来、言葉そのものに対話性が内包されているものである。思考とは「魂が沈黙のうちに自己自身を相手に行なう対話(「ソピステス」)」である。「ロゴスとは他人ないし自分のもつ相異なった観念どうしのつき合せの上に成立し、このことはまた、他人ないし自分との対話(ディアロゴス)とうことにほかならない」(「イデアと世界」)のである。
 それでは文学と哲学の違いはどこにあるのか。アリストテレスの文学はミメーシスであるという規定はプラトン自身が詩人を追放していながら、対話編をミメーシス的な手法で書いたことと矛盾する。この書評ではこれ以上立ち入ることは避けるが、藤沢氏は「イデアと世界」において、「いかなる態度で、いかに書くか」ということが問題になっているという。つまり「書く当人が書かれたもの以上のものをもち、真実そのものがいかにあるかを知っていて、書かれた言葉の限界とその慰戯性を自覚している場合には、彼が書くものは何であっても、その人は「哲学者」と呼
ばれるべきであり、これに対して、書かれた作品以上に価値のあるものを自己の中にもっていない人、書かれた言葉の中に「何か高度の確実性と明瞭性が存すると思い込んでいる人は、作家と呼ばれるべきである」と藤沢氏は、プラトンの「パイドロス」から読み解いている。さらに「パイドロス」の有名な、「ふさわしい魂を相手に得て、ディアレクティケーを用いながら、その魂の中に言葉を知識とともに播いて植えつける」を引用し、哲学の本義は「ロゴスの似像・影像に関わる書くという行為とはまったく別のこと」であり、時代は「口承文化の時期を脱しつつ、読み書きの時代に一歩を踏み入れていたが、哲学を人間の営みの指導的なジャンルとして確立するためには」、文学と対立しなければならなかったのであり、「物を書く」ということがミメーシスの行為であることを免れない以上、「ミメーシスであることの効果をむしろ積極的に活用しながら」、「哲学本来のモチーフを、できるだけ生かすように努力」したのであろうと藤沢氏は指摘している。
 冒頭にも述べたように、ソクラテス以前の自然への考察からソフィスト、ソクラテスの人間の問題へ、さらに両者の総合がプラトンとアリストテレスへと展開していったという通念を取り払い、哲学の形態と確立を準備するプロセスとして考慮することを、この書物(『ギリシア哲学と現代』)で藤沢氏は提案するのである。叙事詩から悲劇への道筋が、哲学に向けての流れであると考えられるとして、現代の危機的状況の救済をギリシア哲学、特にプラトン哲学に期待を寄せている。

現代の合理主義と意識構造の変質

 現代の状況の特色として第一に挙げられるのが、自然科学の高度な発達、技術と結びついた工業化社会、産業化社会の現出であると藤沢氏は述べる。公害問題、自然破壊などの波及効果を無視することができないほど大きなものになり、私たちの描く将来の予想世界に暗い影を落し、最近ではエコ対策を考えた製品を普及させようと生産者側が働きかけている。藤沢氏は、科学技術が引き起こしているマイナス要因は、その不十分さは一因に過ぎなく、科学技術にはつねに不十分さ、不完全さが付きまとうものであり、自然科学的思考を吟味しなければならないと主張する。そして「それを使用する人間のモラルや実践知お密接に関わっている問題」であり、「かつてエンペドクレスが高らかに晴朗にうたい上げた四元そのものが変質させられつつある」ということに加えて、「さらに恐ろしいことは、その世界・自然のなかにおける人間の行為・行動のありかた、その面での人間の思想・敬虔・意識構造もまた、確実に変質し、あるいは汚染されつつあるのではないかということである」と指摘する。後者の例として時間、空間の変質を藤沢氏は述べる。ギリシアでは「時間」という意味は「季節」ということであり、「正しいこと」という人間の行為の規範を示す観念と結びついていたが、今日では時計の時間があるだけだ。近世以降の文明の中核にある効率の観念は、この時計の時間の上に成立していると藤沢氏はいう。空間においては、ギリシア人が「物やわれわれ自身がそこに確在する〈場〉としての具体的な内実」であったが近世以降、「物と物の位置的な関係を規定する抽象的な枠組のようなものに変貌してしまった」という。しかし私たちの生きる空間は「意味と価値で充溢した空間」であるが、「能率主義・計量主義に合わされた時間・空間」の中に生きることを強いられ、「それを自然に実感するまでに至っている」という。このような一種の合理主義は「自然科学が意識的に採用してきた方法」につながり、つまり客観的なあり方だけに集中する「没価値性」、「世界や自然から人間の生き方・行為のあり方を切り離す」ことによって成果を上
げてきたのだと藤沢氏は述べる。しかし本来は、「世界・自然のあり方と人間の生き方は・行為のあり方とは切り離すことのできない一体的なものであり」、自然科学の成果が、人間の経験や意識構造に影響を与え、現代の状況における事態に看取されると藤沢氏はいう。

全体的・統一的世界観の要請

 人間の知と経験の局面の引き離しが、生き方・行為の局面の空疎化というかたちでわれわれにはね返ってきていると、藤沢氏は自然科学の没価値的な世界観・自然観が起因する問題を総括する。そして科学者の立場での発言として「偶然と必然」の著者、ジャック・モノーを紹介している。「現代以前のいかなる社会もこのような分裂――知識の泉と価値の泉との分裂――を経験しなかったし、現代人の魂の病は、この虚偽から起こっている。」(「偶然と必然」)モノーが提言する「知識の論理」とはどのようなものであったかを藤沢氏は吟味する。「自然科学の最も根源的な伝言」つまり「知識の泉」と「人間の生き方に関する価値体系」つまり「価値の泉」との分裂は哲学にとって重大な問
題であり、それに答えなければならないと藤沢氏は主張する。この「ギリシア哲学と現代」という書物そのものがそれへの提唱と考えることができるのである。しかし、藤沢氏の主張は、自然科学に背を向けることや西洋の思想・哲学を否定し東洋の知恵に求めることでもなく、ましてやギリシアにたんに帰ることでもない。それは「人間の経験をふたたび全体として総括するような、ひとつの全体的・統一的な世界観が要請されなければならないということ」であると藤沢氏はいう。まずこれから論じていく思考の手続きを五項目にして挙げている。

一、近代自然科学の成功に近世以降の哲学が与えた影響(第二章)
二、哲学的な四つの問題点(第三章)
三、自然科学的思考の由来(第四章)
四、哲学的世界観の方向性と諸条件(第五章)
五、 哲学的世界観の可能性をプラトンとアリストテレスの哲学に即して検討(第六章、第七章)

一、近代自然科学の成功に近世以降の哲学が与えた影響

近代自然科学の根本想定
 十七世紀以来の宇宙論をホワイトヘッドの書物から藤沢氏は説明している。世界の基礎には物質があり、瞬間瞬間にさまざまな配置を形づくりながら全空間を通じて広がっている。そういう物質には感覚がなく、ヴァリューレス(価値がなく)、パーパスレス(目的を持たない)である。近代自然科学は、世界の物質的な究極要素の時間・空間内における運動を、数式によって線描的に記述する作業として進められてきたとホワイトヘッドは考える。二つの重要な契機として、シンプル・ロケーションの観念と呼ぶものと実体と属性のカテゴリーを挙げる。シンプル・ロケーションの観念とは、「物質が時間・空間のなかのここにあるという陳述が、時間・空間のほかの領域との本質的な連関なしにも十分に確定した意味をもつことができる」考えであると藤沢氏はいう。空間を分割すれば空間を占める物を分割することになるが、物が存在している時間を分割しても物を分割することにはならない、時間の経過は物にとって偶有的で外的なことである、つまり本質的なことではないという。もうひとつは実体と属性(性質)の区別である。言葉の表現でいえば、主語、述語の関係になる。世界・自然に実在するものと性質を区別する概念である。実在するものがあり、私たちが知覚するのはその性質であり属性であるという考え方をいう。近代科学の基本的な考え方をサイエンティフィック・マテリアリズムとしてとらえ、シンプル・ロケーションの観念と実体と属性に分けるホワイトヘッドの把握は要点をついていると藤沢氏はいう。「十九世紀末から二十世紀初頭以来の物理学の革命」においては、相対論や量子論が出現して、それまでの近代科学の根本想定がなお有効であるか論議を呼び起こし、哲学にも影響を及ぼしているが、基本的了解は「依然として存続している」と藤沢氏は述べている。

デカルト的二元論の成立と破綻
 シンプル・ロケーションの観念には「心」の世界が欠落しているので、その欠落を哲学が補おうとしたが、科学的な世界観を取り入れざるをえなかったと藤沢氏はいう。「物」の世界と「心」の世界が相互に独立なものとして世界
観の下絵は描かれることになったという。つまりデカルト的二元論が成立したのである。「レース・コーギターンス」(思惟されるもの)は主体的な世界、「レース・エクステーンサ」(延長をもつもの)は物の世界、客観的世界と定着したと藤沢氏は解釈する。ところが十八世紀の終わりから十九世紀にかけて科学的世界像に対する反動で生まれたのがロマン主義である。しかし二元論の一方である科学の根本想定への反動で生まれた限りでは、二元論的下絵の上での動きであろうと藤沢氏は主張する。また現代の反科学主義や非合理主義や感性主義の風潮もロマン主義の一形態であると藤沢氏は指摘する。しかし世界や自然を知性的・客観的に見ることがそのまま機械論的・力学的に見ることに直結するかどうかは疑問であると藤沢氏は指摘する。デカルト主義対ロマン主義という考え方は、デカルト以降の近世哲学に関する限りでのみ有効であるという。おそらく藤沢氏はプラトン哲学とデカルト主義を明確に区別すべきであると主張しているのである。ギリシア的ロゴスと近代的ロゴスの相違につながると考えることができるのである。
 二元論的下絵が強い効力をもつ一例として、ハイゼンベルグの主張を藤沢氏は挙げる。彼の観測問題にまつわる量子論のコペンハーゲン解釈は近代自然科学の世界認識のあり方を揺るがすような帰結をもたらすものだったと藤沢氏はいう。ハイゼンベルグの不確定性理論はアインシュタインでさえ理解するのに困難ことであったのである。今で
も私たちの心の中に「客観的実在の世界」、つまり「二元論的下絵」が強力に働いていることを藤沢氏は指摘する。自然科学の発展が現代物理学の発展それ自体を通して、自らを否定せざるをえない窮地に追い込まれてしまったのである。実体と属性の区別では、性質を知覚するという観点から性質をもつものと、そのものに所属する性質とを別のものと考えることになる。そうなれば性質をもつものそれ自体は色も形も味もないものということになる。物質はそのようであるが、色や匂いや音や味の知覚を引き起こす原因となるものである。近世の哲学では知覚の因果説として考えられたものである。知覚的性質が私たちの主観を、物質が客観を形成するという認識論に至らしめたのである。

二、哲学的な四つの問題点

 このような二元論的世界観が現代的状況においてどのような問題を引き起こしているかを藤沢氏は指摘している。(1)科学が設定している「客観的事実」として、「物」とその運動の世界と生活や経験における価値や倫理や道徳の世界との乖離・分裂の問題があると藤沢氏は述べる。それは人間の「知」のあり方を二分するもの、つまり事実に関わる「客観的知識」と価値に関わる「主体的知恵」であり、「物事がいかにあるを知ることと、われわれがいかにすべきかを知ることとは、互いにまったく別のことであるという見解」が流布するようになったと藤沢氏はいう。(2)右で挙げた乖離・分裂が、物質の世界と生物の世界にも現われている。物質の世界では熱力学の第二法則で宇宙を無秩序な揺らぎと考えていることになるのに対して、生物の世界は秩序と自発性を示していると藤沢氏は指摘する。分子生物学者J・モノーが「生物の細胞とはまさしく機械である」と宣言したのは、生物を構成する物質的実体の構造と振る舞いを「物」の言葉で解明した成果であるが、ごく一部が解明されたにすぎず、「生命の世界を物質の世界のほうへ類同化ないし還元する方向」を目指したものであったので、逆に事実と価値との乖離・分裂の問題をいっそう深刻にしてしまったと藤沢氏は指摘する。(3)一方において知覚的性質の世界があり、他方において「物」の世界
があるという考え方は容認しにくい。私たちの現実の経験や生活では、外部の知覚的な世界、主観によってもたらされた世界の中のことであり、客観的な事実としては存在していないとは考えにくいものであるが、このような二元論で知覚を考える傾向は私たちの日常的思考によって支持される面をもっていると藤沢氏は述べる。(4)近代科学の根本想定としてシンプル・ロケーションの観念を先に取り上げた。空間・時間の中で、ここにあるという記述が、空間・時間の他の領域との本質的な関係を抜きにして意味をもちうるという考えであり、対象を局限化して研究しようとする方法の誤りを藤沢氏は指摘する。アリストテレスは「形而上学」で、哲学はあるものをあるものとして普遍的に考察するが、哲学以外の学問はあるものの特定の一つを切り取り帰結するという指摘をしたことから始まり、科学は部分の構造や仕組みをそれだけで解明する方向で進め成果を上げてきたが、本来は世界全体の中の他の部分との関係に支えられてこそ存在するものであると藤沢氏は主張する。ホワイドヘッドやライプニッツ、ベルグソンにもそのような主張があるという。部分を切り取って得られた科学的知見を合わせても、全体としての世界像に関わる哲学は成立しないし、このことは現代物理学の分野で気づかれ始めているともいう。このような部分的認識としての科学・技術がもたらすマイナスの波及効果に対して、ふたたび部分的な認識である技術で対処しても、予想しえない害悪をもたらす危険があるだけに恐るべきことであると藤沢氏は指摘する。


プラトンのエロース論『パイドロス』小林稔個人詩誌「ヒーメロス」2010年より

2015年12月28日 | ギリシア論考

小林稔個人季刊誌『ヒーメロス』16号2010年12月10日発行


〔長期連載エセー〕
自己への配慮と詩人像(八)
小林 稔

35 『パイドロス』におけるエロース論(前編)その一

ゆく川の水の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず(鴨長明『方丈記』)
時の流れに営まれる私たちの生は、時間の一回性という定めのもとにあり、絶えざる
〈現在〉は一瞬にして過去に変えられ記憶の闇に蔵(しま)われるが、予期せぬ瞬間に、
それがまるで、〈呼びかけ 〉であるかのように意識に呼び起こされることがある。
かつて〈私〉が占めた空間に目にした情景、それは自然であり人であり物であるが、
そのときの〈私〉の行為と結びつき浮上する。その事物の眼差しとも、感受する〈私〉
から放たれているようにも思われるその眼差しは、過ぎ去った時間をいつくしむよう
に風景を包みこみ、やがてはつぎつぎに訪れては後ずさる〈現在時〉と背中合わせに、
〈私〉は見送るしかないのだ。一方、書物に書き込まれた時間は、ページを繰るたび
にかつての時間を取り戻せるように思えるが、読書する人自身が移りゆく存在である
以上、同一の読後感を得ることは不可能であろう。言葉に記された物語は、現実の不
確かな記憶、意識的に取り出そうとすれば逃げ去る追憶に比するなら糸口が見出されやす
いのも事実である。さらに同じ書物を何度も繰り返される読書は、それを読んだとき
のかつての記憶さえも掘り起こされ、時の流れへの感慨が幾重にも深められるのであ
る。それが、これから私が論述しようとする書物、死すべきもの(人間)が不死なる
もの(神々)への切なる想いを込めた創作(ポイエーシス)、天界との系譜を探り求
めようとしたプラトンの対話篇『パイドロス』であるなら、時間へのいとおしみは深
まるばかりであり、哲学と文学の稀に見る合一を感じ入るのは私だけではないだろう。
まもなく還暦を迎えようとするプラトンが、ソクラテスから受け継いで発展させた彼
の哲学のすべてをここに駆使し、まとめあげた壮大なイデア論を紹介し、「自己へ配
慮する 」とはどういうことなのか、さらにポエジーの営みとは何かを、ソクラテス
やパイドロスにとってもしかり、読む私たちにとってもこの上なく貴重になるであろう、
ある夏の一日、パイドロスに語り聞かせたという話を順を追って辿りながら、考えてみよう。
 
 プラタナスの樹の下で
夏の日盛り、偶然にもパイドロスを見かけたソクラテスは、弁論家で名高いリュシア
スのところからきたという彼の言葉に興をそそられ、パイドロスの手にするリュシア
スの恋(エロース)に関係する論文のことを尋ねる。「 自分を恋している者よりも
自分を恋していない者にこそ身をまかせるべきである」というのがその論旨であると
いう。心穏やかならぬテーマである。なぜなら、いかなる人も自分をほんとうに
愛する人と結ばれることを願っているだろうからである。パイドロスがリュシアスに
頼んで何度もこの論文を読んでもらい、ついには暗誦するために取り上げ、早朝から
読み続け、疲れたので散歩しているパイドロスにソクラテスは会ったのである。恋の
話では右に出る者のいないソクラテスに、パイドロスは話したくてたまらない。リュ
シアスの論文が常軌を逸した話にもかかわらずパイドロスを魅了してしまったのはなぜか。
それが弁論術と呼ばれているものの技術ではないのか。二人はイリソス川に沿って背の高いプ
ラタナスの樹のところへと歩いていく。川向こうのアグラの社にはボレアスを祀る祭壇があり、
ボレアスがオレイテュイアをさらって行ったという伝説を語り合う。鬱蒼と枝をひろげたプラ
タナスの樹陰で二人は腰を降ろし素足を湧き出る泉に浸す。快い風が葉群をそよがせ、
蝉の鳴き声がしきりにしては木霊している。ここで、先ほど話に出たリュシアスの論
文を、ソクラテスはパイドロスに読むように促したのであ
った。
人里離れたイリソス川のほとりという『パイドロス』の場面設定が、プラトンのいつも
のそれではなく、『国家』という大長篇を書き上げた後の、幸せな解放感があふれたなか
でこれまで言及することのなかったプラトンの重要な思想が表明されていると、『パイドロス』
を訳した藤沢令夫氏はその著書『 プラトンの哲学』で指摘する。また彼の著「 プラトン
『パイドロス』註解」では、「彼(プラトン)の人生をみち
びく力の源泉であったソクラテスという特異な精神が、自由にものを想い自由に対話するとき、そこに起
こるであろうところの事実ともいうべきものを、的確な筆で描き出すことによって、自己の胸中に育まれ
ていた思想と感情とに、よく形を与えることができたといえる」のであり、そのような気持ちがこのよう
な状況設定に表現されているとも藤沢氏は指摘している。
 
 恋していない者の通俗的道徳
――自分を恋している者よりも恋していない者にこそむしろ身をまかせるべきである。
このリュシアスの論文の論旨は、すでにパイドロスからソクラテスに伝えられた。い
まやソクラテスを前にしてパイドロスはその全文を朗誦し始めるのであった。
『 パイドロス』では、恋に関する三つの話を俎上に挙げ論議することになる。一つ目
はパイドロスが読み上げるリュシアスの論文である。その要旨を七つの部分に分け
まとめてみよう。
一、恋をしている人たちは欲望がさめたのちには、恋のために自分を犠牲にしたといって
相手につくしたことを後悔するが、恋をしていない人たちにはそれがない。相手につくし
たのは恋の力ではなく自らの自由意志によるものであり、相手に喜んでもらえることを
心を込めてする以外何もないからである。
 二、恋する人たちは言葉や行為によって強い愛情を表現するがゆえに人は自分を恋する
人たちを大切にすべきであると考える。したがって、のちに別の新しい恋人ができたとき、
新しい恋人をより大切にすることは明白である。このような、いわば災いを持った男
(恋する人)に貴重なものを捧げなければならない理由はない。恋する人たちは正気では
なく、自己を支配することができない病人である。最もすぐれた人物を選ぶ場合、恋して
いる人から選ぶとすれば少数の人たちから選ぶしかないが、君を恋をしていない
人たちから選べば、君のためになる人を多数の者から選ぶことができる。君の愛情に値する
人物を見出す公算が大きい。
 三、世間の掟をおそれ、相手との交際が世間に知られることが心配だという場合を考えて
みるとき、恋している人たちは他の人たちからうらやまれると考え、恋が結ばれるまでの苦
労をいろいろな人たちにいいふらし虚栄心に駆られ見せびらかそうとする。またいっしょに
いるところを世間の人たちが見たら、恋の欲望をとげたか、あるいはとげようとしていると
ころだと思うだろう。一方、恋していない人たちは自分自身に打ち勝つ人たちだから、評判
のためではなく最善のことを選ぶだろう。そして相手といっしょいても世間の人たちは、
友情やほかの楽しみゆえにいっしょにいるので語り合うのはやむをえないことだと考える
だろう。
 四、友愛は永続させるのが難しい。恋をする人たちは何かあれば自分の損害になるとみな
すので、彼らが自分の恋人が他の人たちと交わるのを阻もうとする。財産を持っている人た
ちは金の力で、教養のある人たちは知性によって自分を打ち負かすのではないかとおそれる。
恋される君は、恋する人以外を敵にまわすことになるだろう。また君が恋する人より分別を
働かせれば仲たがいになる。恋をしていない人なら、

自らの徳によって君に対する望みをとげた人たちなので、嫉妬することはなく、君と交わろ
うとしない人たちを憎むだろう。君との交わりを望まないということで自分が軽蔑されたよ
うに思うからである。
 五、恋する人たちは、相手の性格や身の上を知るより前にまず肉体を欲するものである。
だから欲望がさめてしまえば恋人と親しくし続けるかどうか疑問である。恋していない人た
ちは前から親しい間柄なので、欲望を満たされても愛情は減退せず、むしろ将来を約束する
記念として心に残るであろう。
 六、恋する人たちは相手の機嫌を損ねるのをおそれ、欲望に心の目が曇っていることもあって、相手を
ほめそやすものである。恋する人たちにとって恋とは、ことが上手く運ばないときは痛手と感じさせるも
のであり、ことが上手く運んでいるときは、喜ぶ値打ちのないことでもよしと思わせるものである。恋し
ていない人なら現在の快楽にかしずくことなく、将来を考え君と交わるだろう。私(リュシアス)は恋の
奴隷ではなく、自分自身の支配者なのだ。つまらぬことに腹を立てたり、強い憎しみを掻き立てることは
ない。人を恋するのでなければ強い愛情は生まれないのではないかという君の疑問に答えよう。息子を親
は大切に、息子は親を大切にするように、恋愛的な欲望からではなく、別の営みによって結びついている
のである。
 七、最も切に求める人たちにこそ身をまかせなければならないとするならば、最もすぐれた人たちにで
はなく、最も貧困な人々に対してであるということになる。なぜならそのような人々こそは、最も大きな
悪から救われるわけであるし、よくしてくれた人たちに、だれよりも深い感謝の気持ちをいだくだろうか
らである。しかし、身をまかせて然るべき相手(恋していない人)は、そのことを切に求めている人たち
ではなく、そのことに値する人たちである。君の若い盛りの美しさを享楽しようとする人たちではなく、
君が老いたとき、自分のよきものを君に分け与えてくれるような人たちである。わずかの間だけ熱を上げ
る人たちではなく、生涯を通じて変わることなく親しい間柄になるような人たちである。君が若さの盛り
をすぎたとき、そのときこそ自分の特性を示す人たちである。
 
恋する者の打算とは
リュシアスの論文を読み上げたパイドロスは、その言葉の使い方に心酔してしまっていた。ソクラテス
は、パイドロスが読み上げるときの歓喜に輝いている、「神が乗りうつったような 」表情に感動したと語
る。茶化されたと思ったパイドロスは、リュシアスの論文の真価をソクラテスに問う。ソクラテスの判断
は次のようであった。
修辞的な面では、語句の一つ一つが明確で引き締まって、かつ綿密に磨きがかけられていてよいが、同
じことを何度もくりかえした話に思われる。同一の主題に対してあまり話の種類を持ち合わせていないし、
あるいはこの種の主題には関心がないというようである。結局、同じ事柄をいろいろ言い方を変えながら
上手く話せるぞと得意になっている印象である、とソクラテスは語った。したがって、この主題において
欠けているものはなにもないというパイドロスの讃美とは折り合わないものとなった。
 そこでソクラテスは、リュシアスの話に見劣りしない話を、主題を変えずに話してみたいと言い出す。
恋している者より恋していない者に身をまかせるべきだという主題が、ソクラテス自身からその場で創ら
れ話されたのである。それが『パイドロス』で語られる二つ目の話である。その要旨を追ってみよう。
 
『むかしあるところに美しい若者がいた。たくさんの求愛者の中に口の上手な者がいて、その若者を誰よ
りも恋しているのに、恋していないと信じ込ませておいた。ある日、その若者に、ひとは自分を恋してい
る者よりも、恋していない者に身をまかせなければならないのだということを説得しようとして次のよう
に語った。
「どのような議論でもはじめにしなければならないことは当の事柄の本質である。考察をするとき、それ
を知っていると決め込んで同意を得ておかないから、自分自身とも相手ともいうことが一致しない。した
がってここでは〈恋〉とは何であるか、お互いの同意にもとづき定義しておこう。
恋とは一つの欲望であり、恋をしていない者でも欲望を持つことは知っている。それでは、恋している
者と恋していない者とを何によって区別したらよいか。その前に注意することがある。一人ひとりのなか
に、われわれを支配する二つの力がある。一つは生まれながらに具わった快楽への欲望であり、もうひと
つは最善のものを目指す後天的な分別の心である。分別の心が理性の声によって最善のもののほうへ導き
勝利を得るとき、この勝利に〈節制〉という名が与えられ、欲望が盲目的に快楽のほうへひきよせ、支配
権を得るとき、この支配に〈放縦〉という名が与えられる。
「盲目的な欲望が、正しいものへ向かって進む分別の心に打ち勝って美への快楽へと導かれ、それがさら
に、自分と同族のさまざまな欲望にたすけられ、肉体の美しさを目指し、指導権をにぎりつつ勝利を得る
ことによって勢いさかんに(エローメノース)強められる(ローステイサ)とき、この欲望は、まさにこ
の力(ローメー)という言葉から名前をとって、〈恋〉(エロース)と呼ばれるにいたった」のである。こ
れが恋の定義である。
次に、恋している者と恋していない者がそれぞれ相手にどのような利益や有害なことをもたらすのかを
考えてみよう。欲望に支配され、快楽の奴隷である者は相手が自分にとって快いものにしようとする。ひ
とは病んでいるとき、自分に逆らわないものが快く、自分より力強いものや等しい力を持ったものはいと
わしいと感じるものである。したがって恋する者は愛人を自分より劣った者に仕立て上げようとする。無
知で臆病で弁論の能力がなく愚鈍な者にしようとする。そうなることによって快楽を得る。だから恋する
人は嫉妬深いといえる。有益な交わりから愛人を遠ざける。叡知を高めるような交わりをさまたげるとき、
害悪は最大である。つまり、自分が軽蔑されるのをおそれ、神聖な哲学の営みから愛人を遠ざけずにはい
られないのである。愛人はわれとわが身を毒することになり、恋する者は保護者としても交際相手として
も決して有益な人間ではない。
善をさしおいて快楽を求める人間のいいなりになると身体の状態はどうなるかを考えてみよう。恋する
者は、柔弱な者、太陽の当たらない蔭で養われた者、労苦と鍛錬の汗を知らず軟弱な生活をおくる者、自
然の美しさがなく人工的に身を装う者などを追いかけるのである。また所有しているものに関してどのよ
うな害があるかを考えよう。恋する者は相手が神聖なものから見捨てられ孤独の身であることを願う。父
もなく母もなく身内もなく友達もないことを望んでいる。財産もないことを願い、長く快楽を味わおうと、
相手が結婚もせず、子供を持たず、家も持たないことを願っているのだろう。
神様は悪しきものにその場限りの快楽を与えた。しかし恋する者は相手にとって有害だけでなく、これ
ほど不愉快なものはない。同じ年代の者同志であれば互いに似ているので楽しみがわき親しみも感じられ
ようが、それでも飽きるということがある。まして年上の者が若い愛人と四六時中いっしょにいて欲望に
駆り立てられ、楽しみを味わいながらしつこくかしづく。しかし、愛人のほうはどんな楽しみや慰めがあ
るのだろうか。恋する者の老醜は耐え難く、絶え間なく強いられ、他の人との交わりを禁じられ見張られ
る。やがてその恋がさめると、それまでの将来の約束を果すときがくると、それまでの恋と狂気に代って
理性と節度を取り戻し、むかしの人間ではなくなっている。つまりかこの負担からの逃亡者になるのであ
る。相手は彼の後を追いかけなければならなくなる。恋に捉えられ理性を見失った人間には身をまかせる
べきでないことを前から心得ておくべきだった。したがって恋する者の愛情は心からのものではなく、飽
くなき欲望を満足させるために、相手を餌食と見なして愛するのだということを心に留めておかなければ
ならないのだ。』

ダイモーンの合図
このようにソクラテスが語り続けたとき、いつものように彼にダイモーンの合図が訪れたのであった。
ダイモーンの合図とは、彼が何かの行動に出ようとするとき彼を躊躇させる内部の声といったものである。
それゆえ話を中断せざるをえなくなったのである。
ここまでのソクラテスの話は〈恋〉の本質を明確にし、恋する者とその愛人の立場を広範囲に把握し、
〈恋〉が有害であることを十分に描き出して見せたものである。ソクラテスにとって分別心が欲望を押さ
える〈節制〉というものは尊重されるべきものであるが、『パイドロス 』の後半、ソクラテスの語る二番
目の話では、「世の多くの人々が徳とたたえるけちくさい奴隷根性 」としてソクラテスが強く否定するも
のであった。つまり藤沢氏が指摘するように、正気と節制をたたえ、狂気と恋を非難するのは、人間的次
元においてのみ正当であるにすぎないということである。したがって、神的と呼ばれる狂気や恋があるこ
とを二つの話は見逃していたことになる。
ソクラテスは初めから、「自分を恋している者よりも自分を恋していない者に身をまかせるべきである」
というリュシアスの論文の主題に異を唱えていたのであったが、リュシアスと同じ主題のもとでまずは一
つの話を創作したのは、この神的と呼ばれる狂気と恋を明確にするためであろう。リュシアスがパイドロ
スを口説き落とす策略であり、さらに弁論術が真実を追究するよりも人の心を魅了する術であることを見
抜き主題を大逆転させる第三の話(ソクラテスによる二番目の話)を展開するための、ソクラテスのとい
うより著者プラトンの構成上の攻略であったと考えられるのである。

ソクラテスという人物の主体を考えたとき、ダイモーンの存在は切り離すことができない。二番目の話
を中断したのもダイモーンの合図が訪れ、「 神聖なものに対して何か罪を犯しているから、自らその罪を
浄めるまでは、ここをたちさることならぬ、とこうぼくに命じたように思えた」からである。
藤沢氏の訳注によると、ソクラテスが積極的に話をするときはいつも、えらい人から聞いた話であると
か、神が乗りうつったとか、夢に見たとか言い訳をし、自分には知識がなく、他人の思想が生まれるのを
たすける、産婆術のような役目をするだけだと語るのが常であると指摘する。プラトンが自分の主張を直
接述べずに、対話を駆使して自らの哲学を完成させる方法と通底しているように思われる。( この論考の
最後に踏み込んで考察してみたいと思う)。 ダイモーンとは神と人間の中間的な存在であることは前回に
触れたが、プラトンがプシュケーの本性を明確にする以前に、ソクラテスは死者の霊や神霊を祭るがゆえ」
(『ソクラテスの弁明』(24C)に告訴され処刑されたのであり、後で論じるが、神々の天上での行進に
従うが地上に墜ち人間の肉体に宿るとされるものがダイモーンであると『パイドロス』では語られている
ように、古代ギリシアにおいても認めがたい存在であったことが知れる。後代のキリスト教世界でのデー
モン、つまり悪魔的なものや異教的な神とどの程度に関連しているのだろうか。
 ステファン・ツヴァイクは『デーモンとの闘争 』という書物で、「一種人力を超えた、あるいは現世を
超えたといってもいい力に駆り立てられ、それぞれの住み心地よい生活を捨てて情熱の破滅的な颱風のな
かに突き入り、命数に先んじて精神の怖ろしい惑乱、感覚の致命的な陶酔に落ちて、狂乱し、あるいは自
殺し果てる」英雄的形姿を、ヘルダーリン、クライスト、ニーチェに見ている。ツヴァイクは「人間各自
に根本的かつ本来的に生まれついた焦燥をデモーニッシュなもの」でありこの焦燥はわれわれを人間的な
ものから抜け出させ根源的世界へ駆り立てるものであるという。また彼はそれを「ファースト的衝動」とも
呼び、創造の原動力であり自然のめぐりの内部に存在するものと考えている。(私のエセーの主題と哲学
と霊性とのつながりという点で重要であるが、別の章で論じることにしたいと思う。)
『パイドロス』では、ソクラテスの行為を抑制させるものとしてダイモーンがあるが、真理から逸脱する
ときや、人間的な道徳に隷属しようとするときに警告されるものである。かつて神々といた天上界、いわ
ば根源へとソクラテスを導く力といえよう。恋する者の神的狂気とのつながりから、ダイモーンとの関係
が類推されるが、キリスト教の文献を詳細に調べ上げなければ断定はできないので筆を置こう。
 
われわれのもとにある魂で、至上権を握っている種類のもの(理性)については、こう考えなければなり
ません。――すなわち、神が、これを神霊(ダイモーン)として、各人に与えたのであるー―と。そして、
そのものはまさに、われわれの身体の天辺に居住し、われわれが、地上の、ではなく、天上の植物であるか
のごとく、われわれを天の縁者に向かって、大地から持ち上げているものなのだと、わたしたちは敢えて主張
したいのですが、この主張は、至極正当なものだということになります。何故なら、(われわれの)神的なる
部分は、魂が最初にそこから生まれたそのところ(天)に、われわれの頭でもあり根でもあるものを吊るして、
身体全体を直立させているわけですからね。……(中略)……学への愛と、真の知に真剣に励んで来た人、自
分のうちの何ものにもまして、これらのものを鍛錬して来た人が、もし真実なるものに触れるなら、その思考の
対象が、不死なるもの、神的なるものになるということは、おそらくまったくの必然事なのでしょう。
(『ティマイオス』90‐B)

魂の神的な部分が真の霊魂の名に値し、われわれに神が賦与したダイモーンであると井筒俊彦氏は『神
秘哲学』でいう。ダイモーンは「われわれの身体の最上部に棲み、天上界との本源的親縁性によって、わ
れわれをあたかも天界の植物であるかのように地上から天上に向かって曳き上げようとする」。「天涯はる
かな遠の家郷に翔り還ろうとして痛ましい焦燥の念に燃えるのがダイモーンなのである」という。またダ
イモンは神と人間の中間者であるから、プラトン的愛は神に向かう上昇的志向性と解されるが、絶対者(
神)が相対者(人)を引き上げようとする呼びかけであると、『ティマイオス』のテクストを挙げ、井筒
氏は指摘する。またイスラムの神秘主義(スーフィズム)へのプラトン的愛が与えた影響を論じている。

 魂(プシュケー)の不死性と世界霊魂
エロースが神であるならば悪いものでありうるはずがない。ソクラテスにこれ以上語ることを静止させ
たもの、つまりダイモーンの合図をしっかりと受け留め、神々に対して侵した罪を浄めるために「取り
消しの詩(うた)」をささげエロースの神に償いをしようと決意する。「 われわれの身に起こる数々の善
きものの中
でも、その最も偉大なるものは狂気を通じて生まれてくるのである」と語る。したがって、自分に恋をし
ている者は狂気であり、恋をしていない者は正気であるという理由で、後者に身をまかせるべきだと主張
する物語は真実の物語ではないとソクラテスはきっぱりと語るのであった。神から授けられた狂気によっ
て尊ばれた予言術や疾病や災厄からのがれた古人の例、またムッサの神々から授けられた神がかりと狂気
によってなされる詩作などを挙げ、技巧だけでなされ、狂気に授からない創作は、狂気による詩の前では
輝きを失うとソクラテスは語り、恋という狂気こそ神から授けられたものであり、真の知者には信じられ
ることであると指摘することで、ソクラテスの二番目の物語(全体では三番目)を始めた。
 まずソクラテスは魂の本性について真実をつきとめることから始めた。「魂を配慮しなさい」という言
葉は、ソクラテスがひとに会うたびに説いて廻った言葉であった。「もともとソクラテスの教えの中心は、
人間もしくは自我というものの本体をプシュケーとしてとらえ、何よりもまず魂を大切にして、これをで
きるだけすぐれたものにしなければならぬと説くところにあった。プラトンの仕事も、根本においては、
このようなソクラテスの教えから出発して、人間の魂について想いをひそめ、プシュケーに関する考え方
を発展させていくところに、そのすべてが成立するともいえる」と藤沢氏は「プラトン『パイドロス』註
解」で述べている。それでは、『パイドロス』のなかでソクラテスが語る魂についての話に耳を傾けてみ
よう。
 つねに動いてやまぬものは不死なるものである。他によって動かされるものはいつか生きることをやめ
る。しかし自己自身を動かすものは動きをやめない。他の動かされるものにとっては動の源泉であり、始
原となる。それが魂の本性である。自分で自分を動かすものは滅びることもなく、生じることもなく、不
死なるものである。外から動かされる物体は魂のない無生物であり、内から自分自身の力で動くものは魂
を持った生物である。藤沢氏によると、魂の不死生は『パイドン』や『国家』で論証されてきたが、自己
運動者として魂の不死を証明したのは『パイドロス』が初めてであり、後期の『ティマイオス』や『法律』
ではこの考えが引き継がれていると指摘する。『パイドロス 』では魂を他のすべての物体に活動を与える
「動」の原理ととらえ、天体の運行を支配する「動」と連絡させる考え方が新しいものとして登場してい
るともいう。個人の魂と宇宙全体の活動力との結びつきは『ティマイオス』のミュートスに明確な表現を
与えられていると藤沢氏は述べる。プシュケーなるものをエネルギーとしてとらえ、宇宙規模において考
えるというそのこと自体はプラトン特有の思想ではなく、古代ギリシアの自然哲学の伝統である。しかし
『パイドン』、『国家』では個人の魂のあり方の考察であったが、『 パイドロス』では人間の魂の不死とい
う思想に到達した後に、イデア論と結びつけ、死後の運命に対する表象と結びつけていることが特徴とな
っていると藤沢氏は指摘するのである。「 ただひとりの人間の問題にとどまるものではなく、宇宙全体の
さだめられた秩序という、このなにか厳粛で客観的なものの中に、確固とした対応をもつのでなければな
らぬ」、つまり『パイドロス』のミュートスは、世界霊魂という考えを明確にした画期的なものであり、
「特定の学派との接触」が機縁となっているであろうと藤沢氏はいう。それでは特定の学派とは何であり
どのようなものなのかを考えてみよう。
 井筒俊彦氏は『神秘哲学』で、ギリシア哲学史上に大きな役割を与えた「二つの霊魂観」を論じている
が、それによると、一つは「内的霊魂観」ともいうべきもので、身体の外部から内部へ侵入し宿る霊魂で
ある。霊魂は元来、彼岸的存在であって一時的に身体を仮の宿とし、肉体が滅びればそこから離れ、永遠
に生きつづけるという考えである。もう一つは宇宙に広がる「普遍的生命力」であり、全宇宙の運動の原
理であるという考えである。これは前六世紀、ミレトス自然哲学に現れた新思想であるという。前者の「
内的霊魂観」こそディオニュソスの宗教がオルフェウス・ピュタゴラス秘儀集団に間接的に取り入れられ、
ギリシア精神に浸透していったものであり、後者はディオニュソスの狂乱が直接的に知性化され精神化さ
れて新しい思想を生み出したのであろうと井筒氏は主張している。その二大潮流が再度新しい統一に達し
形而上学に結集するが、そこに辿りつく経路の相違によって各哲学者の思想的色調は著しく異なるという。
(紀元前七世紀から六世紀の大混乱時代、人々を圧伏してきた王家は倒され、下克上の世になり、海外貿
易は著しく発展し巨万の富を築く人々が現れた。「我」の自覚がうまれイオニアに抒情詩と自然哲学が時
を同じくして興隆する。詳しくは井筒氏の『神秘哲学』を参照していただきたい。)ディオニュソスの野
蛮な狂乱をギリシア哲学に巧みに取り入れたのであった。「その
最初の哲学的所産が紀元前六世紀イオニア人の王都ミレトスに誕生した自然学、さらにその論理的形而上
学的発展の結果がエレア学派の存在論である」と井筒氏はいう。しかし、多くの民衆の宗教的欲求を満た
すこができなかった。人々の心を掴んだのは、「彼岸の至福を約束する通俗的神秘主義」、古くからの、農
耕祭祀の主宰神デメテールやペルセポネーなどの密儀宗教である。このような密儀宗教にディオニュソス
神が侵入し結合したのである。先述した「内的霊魂観 」はこのような密儀宗教に育まれてきたものであるが、
それを思想的哲学的に昇華したのがオルフェウス・ピュタゴラス的秘儀集団であったと井筒氏はいう。
 藤沢令夫氏の指摘する、『パイドロス』のミュートスに影響を与えたという「特定の学派 」とは、具体
的に言えばオルフェウス・ピュタゴラス教団であろう。井筒氏はピュタゴラス教団の中心的思想は「霊魂
の輪廻転生」であり、「先行するオルフィズムに直結する接触点」であるという。井筒氏によると、「トラ
キアの詩人祭司」オルフェウスの名によって生まれたこの彼岸宗教は、ディオニュソス宗教を精神化し霊
魂不滅と霊魂輪廻の教義を形成し、典礼と禁欲によって永生の浄福を確保する道を宣教し全ギリシアに広
がりをみせる。ここにはじめて確立されたという霊肉二元論はプラトンの思想に大きく参与していると井
筒氏は指摘する。教団が物語るオルフェウス的神話では、人間の肉体はティタンから生じたとし、ディオ
ニュソス神はザクレウスと同一視される。ザクレウスはペルセポネーとゼウスの間の子供で世界統治をゼ
ウスから痛くされていた。ゼウスの敵であるティタンたちは世界支配を目論みザクレウスを食い殺す。し
かし心臓だけは女神アテナによって救い出されゼウスに返すと、ゼウスはのみくだしセメレとの間の子と
して誕生させるのである。このように一度死んで甦ったザクレスは神でありながら人間として昇天し最高
神になった。(詳しくは『神秘哲学』参照)つまり、肉体はティタン的な悪の要素を持ち、霊魂はディオニュソ
ス的な善と聖の真我であるので、「 現世の生活において肉体に宿る霊魂は、天上から堕ちてきた悲しい流
浪の身でなければならぬ」と教団では考えられていたのだと井筒氏はいう。

 


プラトン『パイドン』について 小林稔個人誌「ヒーメロス」より掲載

2015年12月24日 | ギリシア論考

林稔個人誌『ヒーメロス』22号のエセー(百枚)を四回にわたって掲載します。


長期連載エセー『「自己への配慮」と詩人像』(十四)その一

小林 稔


42 アスクレピオスに雄鶏一羽の借りがある。『パイドン』


 フーコーの最後のコレージュ・ド・フランス講義は、一九八四年二月から三月に行なわれた。三ヵ月後の六月十五日、彼は息を引き取った。そしてその講義録を書物化した、Le courage de la vérité『真理の勇気』では古代ギリシアからキリスト教までのパレーシアの変遷を詳細に論述している。ソクラテスの「死の三部作」、『ソクラテスの弁明』『クリトン』『パイドン』おけるパレーシアの究極の形を説き明かす。後半は、かなりのスペースをとって、ソクラテスの「真の生」を徹底化したキュニコス主義を論じている。
 日本語訳『真理の勇気』の後書きである「講義の位置づけ」という論文で、フレデリック・グロは、死の直前のフーコーの講義には「哲学的遺言のような何かを読み取ろうとする誘惑」に駆られながらも、この講義が「ソクラテスとともに哲学の根そのものに立ち戻ることによって、フーコーは、自分の批判的仕事の全体をそこに組み入れようと決意」するのが見られると指摘する。この書物には、パレーシアと民主主義の関わり、ソクラテスの死、生の試練としての哲学と魂の認識としての哲学の二方向からの哲学の考察などがなされている。フーコー自身の迫りくる死、「あとどのくらいの時間が残されているか」を危ぶみながら自らの哲学を完成させようとする姿に、『パイドン』に記述された、死を恐れぬソクラテスを重ね合わせるとき、感慨深いものがある。偽りの明晰さと人を欺く自明性という言説の病から哲学が治癒をもたらす(グロ)という主題、ソクラテスの最期の言葉、「それに配慮してくれ、わたしの頼みをなおざりにしないでくれ」という言葉をめぐってへの配慮についてフーコーは考えようとした。

真理表明術とは何か
パレーシアの研究はフーコーの晩年に提出されたテーマであり、いかにパレーシア問題にたどり着いたのかをフーコー自ら説明する。パレーシアにたどり着くまでの研究では、「主体と諸関係をめぐる問題は、「西洋哲学の核心そのものにある伝統的な問題から出発した」という。「つまり、いかなる実践から出発して、いかなるタイプの言説を通じてなされてきたのだろうか」、また「いかなる言説実践から出発して、語る主体、労働する主体、生きる主体が、可能な知の対象として構成されたのだろうか」といった分野の研究であったと述べ、「認識的分析」と呼ぶことができるとフーコーはいう。やがて、フーコーは同様の問題を違った角度から考察しようとした。「主体が自分自身に関して語ることのできる真理の言説について、たとえば、告白、告解、良心の吟味などといった文化的に認められ類型化されいくつかの形態のもとで語らえうる真理の言説について、考察を行おうとした」とフーコーは述べる。簡単にいえば、客観的(科学的)な考察にとどまらずに、主体が語る真理の方式の考察へ移行させたといえよう。フーコーはそれを「真理表明術」に関する諸形式の研究と呼んで、その枠内でパレーシアを考察している。

「真理表明術」とは、「主体が真理を語りつつ自らを表明するためになされる行為の分析」であり、「主体が真理を語る者として自分自身を思い描くとともに他の人々によってもそのような者として認められるためになされる行為のタイプの、諸条件と諸形式に関する分析である」とフーコーはいう。「自己自身に関する〈真なることを語ること〉の諸々の実践についての研究」を試行するようになったが、進めるうちに「自分自身に関して真なることを語らなければならないという原則」の重要性に気がついた。その中心軸となるのが「汝自身を知れ」に関するソクラテスの原則である。その実践としての「自己への配慮」がある。そこから発生した「自己自身に関して真なることを語らなければならない」という命令には他者の存在が必要とされる。十三世紀初頭の告解の制度化、ローマ教会の司牧権力の組織化などには「二人で行なう実践」、つまり他者の存在が必ずあることにフーコーは興味をもったのである。近代文化においても、精神科医や心理学者、精神分析家に他者を必要とすることがある。一方、古代文化では哲学者がその他者の役割を演じていたのであるが、彼らに要求されるのがパレーシアであったとフーコーはいう。古代における、自己陶冶のなかでのパレーシアおよびパレーシアステース(パレーシアを行なう者)を研究することは、後に組織化される「告解者と聴罪司祭、指導を受ける者と良心の指導者、病者と精神科医、患者と精神分析医」の実践の前史を研究するものだ」とフーコーは述べる。しかしパレーシアの起源はそのような霊的先導の実践にはないことにフーコーは気づいたという。つまり、パレーシアの概念は政治的な概念であるということである。そのことによって「自己自身に関する〈真なることを語ること〉の実践をめぐる古代研究から遠ざかることになったが、政治的実践におけるパレーシアを分析することによって、主体と真理の関係につきまとう、「権力の諸関係およびその役割というテーマ」に接近したこと、つまり「自己と他者の統治」という実践から主体と真理に関する問いを考える可能性が生まれたとフーコーは述べている。真理陳述の諸形式、統治性の諸技術、自己の実践の諸形式の間の諸関係を分析することが問題になった。この真理、権力、そして主体の間の諸関係を互いに他に還元することなく研究することが大切であるとフーコーは主張する。

〈真なることを語ること〉の四つの根本的な形式
 パレーシア概念を明確にするために、フーコーは〈真なることを語ること〉の四つの古代の根本的方式を考察する。

一、預言者の真理陳述。「預言者が真理を語る主体として自らを構成するとともに他の人々によってもそのようなものとし認められるやり方について」考えられることは、神の言葉の伝達にある。預言者は人間たちに別の場所からやってきて真理を告げる存在であり、現在と未来の間に身を置くものであり、仲介者である。時間が人間に覆い隠していること、目に見えず耳にも聞こえないことを明るみに出すが、晦渋なやり方で、つまり謎というかたちで包み隠しているので、解釈しなければならなくなる。預言者の役割とは、「人間の有限性と時間の構造とが連接される地点に自らを位置づける」ことであるとフーコーはいう。このような預言に対立するのがパレーシアである。自分自身の名において語り、自分自身の確信であることがその本質である。パレーシアテースは語る相手に、真理を受け入れ、行いの原則とし過酷な任務を残すことになる。解釈するという義務を残すことはないとフーコーは指摘する。
 二、賢者の知恵。預言者との相違は自分の名において語るということにある。「彼個人の存在様式としての賢者という資格を与え、知恵の言説を語る資格を与える」とフーコーはいう。パレーシアステースに近い存在であるが、賢者は自分の知恵を「引きこもり」の中に留保するという特徴があり、強制的に語る必要はな
いし、預言者のように謎めいた言説であることも起こりえるとフーコーは指摘する。預言者のように未来に
何が存在することになるかを語るのではなく、世界と事物の存在を語り、それは助言ではなく「行いの一般的原則」というかたちを取るとフーコーはいう。賢者の、口を閉ざし、自分が望むときに謎を語るという特
徴はパレーシアステースとは対立する。パレーシアステースはソクラテスのように、神から授かった任務を執拗に人々に語る。預言者のように「事物と世界存在の形式」に関して語るのではなく、「個人の状況や情勢の特異性に関して何が存在するのか」を語る、つまり「対話者が現にそうであるところのものを明るみに出したり、それを対話者が認める手助けをしたりする」のだ、とフーコーはいう。
 三、教育する者(技術者)の真理陳述。プラトンの対話篇に登場する、医師、音楽家、靴屋、大工、武闘術の教師、体育教師たちはテクネーとしての一つの知を所有している。つまり実践におけて具体的なかたち
をとる知識をもち、理論的な知識だけでなく訓練(アスケース)を含意するような知を保有し、他の人々に教えるこれらの技術者は、他の技術者からかつて学んだという伝統と結びつけられているので、知を伝達しなければならないという義務を背負っているとフーコーは分析する。パレーシアステースにもそれは見出されるが、技術者はリスクを冒さないという点で相違する。逆に絆を結ぶことがある。知の伝統の絆であったり友愛の絆であったりする。パレーシアステースは「真なることを語る」によって、反感、争い、憎しみ、死のリスクを冒すことがあるとフーコーはいう。他者とパレーシアのゲームをするとき結合と和合にいたることはありえるが、憎しみと分裂を開いた後でしかないとフーコーは付け加えている。
 このように、預言、知恵、教育、パレーシアという四つの真理陳述様式があり、互いに異なる登場人物を含意し、互いに異なる発言様式を必要とし、互いに異なる領域に関わるとフーコーはいう。異なる領域とは、預言は運命という領域であり、賢者は存在、教師はテクネー、そしてパレーシアはエートスという領域に関わるが、それらが社会的な登場人物でもなければ社会的な役割でもないこと、ソクラテスのようにこれら四つの様式が互いに混合された状態で見出されることがあることをフーコーは指摘している。ソクラテスは、預言の真理陳述、知恵の真理陳述、技術と教育に関わる真理陳述との間に、永続的で本質的な関係を保つパレーシアステースであるとフーコーはいう。また古代哲学史の特徴の一つに、知恵の様式とパレーシアの様式の結びつきがみられ、「真なることを語ることの哲学的方式となろうとする傾向があることをフーコーは重視する。また、中世キリスト教においては預言の方式とパレーシアの方式との結合がみられるとフーコーはいう。さらにフーコーは中世における二つの形態を挙げている。一つはフランシスコ会とドミニコ会から始まる宣教師たちの役割である。もう一つは聖職者養成機関という制度である。「事物の存在とその自然本性を語る知恵の方式と、教育の方式という、真理陳述の残り二つの様式を接近させる傾向があった」とフーコーは考え、ギリシア・ローマ世界のパレーシアと知恵の組み合わされた体制とはきわめて異なることを指摘する。フーコーは近代におけるパレーシアの関係を仮説として言及する。預言とパレーシアの組み合わせは革命的言説に見出されるという。革命的言説は既存の社会に対して批判するときパレーシア的言説の役割を果し、存在論的方式は哲学的言説のある種の方式の中に見出され、技術に関わる〈真なることを語ること〉は科学と教育に関わる複合体の制度によって組織されているとフーコーは推測する。哲学的言説は人間の有限性の限界を超えたものに対する批判においてパレーシアの役割があり、科学的言説では、既存の知や支配的制度、現在の振舞い方に対する批判として展開されるときパレーシア的役割を果すとフーコーは主張する。

民主的制度と「論理的差異化」
 パレーシアが民主主義体制の中で民主的批判を生んだのであるが、「プラトンからアリストテレスに至るまでの哲学的で政治的な思考の中」において、いかなる理由でなされたのかをまとめてみよう。
 民主制こそが「真なることを語ること」を生み出す最適の場所であるという「伝統的な自負」が、崩れ去り次第に危険なものになっていく兆候が現われてくる。フーコーによると、パレーシアはすべての人に与えられる発言の自由であるが、パレーシアは特権と義務を背負ったものではなく気ままに行使されるものなので、「真なる言説と偽なる言説、有益な意見と無益ないし有害な意見が混ぜ合わせになる」ということが起こり都市国家にとっては一つの危険なものになる。さらに別の危険もある。パレーシアを行使する者が「民主制において敬意を表されないかもしれないある種の勇気を呼び求める」ということが起こる。例えば、民衆に気に入られようとする追従者に対して真および善とは何かを語る者には耳を傾けないようになる。『ソクラテスの弁明』においてソクラテスが語る、「なぜ私は、自分が都市国家の中で有用であると主張しながら、一度も公的に行動しなかったのか、なぜ私は、自分の意見、自分の見解を語るため、都市国家一般に対して助言を与えるために、一度も演壇に登らなかったのか」という問題に、「政治に身を投じていたら」命をなくしたであろうこと、「都市国家の中で不正や違法行為を防ごうとほんの少しでも努めようものなら、どんな人間も死を避けることはできないだろう」とソクラテスは答える。以前にも論じたように、パレーシアは死の危険を冒す危険があることと、民会の前で民主的パレーシアを実践することにおける危険とは別の問題であるとフーコーはいう。フーコーの講義『真理の勇気』では、後日ソクラテスの哲学的パレーシアの部分で展開することになっているので詳細はここでは保留しよう。
 
まず第一の危険を要約すれば、民衆は自分たちに気に入られようと話す人(追従者)に耳を傾けることか
ら生じるパレーシアの否定的な面である。「真なる言説が出現し自らの真理を価値づけようとする際の制度的枠組みに帰すべき無力さ」である。つまり結論として「民主制においては、よき演説者と悪しき演説者を見分けることができず、真理を語り都市国家にとって有益であるような言説と、嘘と追従を語り有害なものとなる言説とを区別することができない」。このようなテーマは紀元前四世紀の間ずっと行なわれていたとフーコーはいう。クセノポンの『アテナイ人の国制』にはっきりとパレーシア批判をしている数行があるとフーコーは指摘する。そのテクストによると、都市国家にとってよき体制とは、「よき市民が罰を与え、手綱を締めて、悪しき市民に必要な懲罰を課して懲らしめ」、「誠実な人々が審議して決定を下す」が、「愚か者たちには発言権が与えられず政治のための審議および決定の機関の審議に参加することは禁じられる」ような体制であるとクセノポンは定義する。しかしアテナイはそのようなよき体制を受け入れていないという。その理由は次のように語られる。優れた人々は都市国家の利益にかなった決定をしようとするが定義上、都市国家における優れた人々である以上、都市国家にとって有益なこと、有利なことをしようとする。都市国家にとって有益な決定を下す方向へと都市国家を促すとき、優れた人々は自分たちの利益、自分たちの利己主義的利害に仕えることでしかないという。クセノポンはアテナイの民主制を真の民主制としながら批判的の述べているのだ。クセノポンの考えるよき国家とは、優れた人たち、誠実な人たちが決定を下し、愚か者たち、頭の悪い人たちには語る権利を与えない国家とする。そのように発言権を与えないよき体制をアテナイが受け入れないのはなぜか。アテナイの功績は、愚か者たちを評議会や民会の参加を許したことにあるとして、一方では讃え、もう一方では批判しているのである。真の民主主義というべきアテナイ、優れた人々が決定をするのではなく、多数派の人々が決定するアテナイではどのように行なわれるか。多数派は隷属状態を免れようとする。彼らは都市国家の利害に仕えたくないのであり、自分自身で指示することを望んでいる。多数派の人々というのは定義上、優れた人々とは逆に劣悪な人々である。すると劣悪は人々である多数派にとって悪いことは都市国家にとっても悪いことになる。そうなれば劣悪な人々に発言権が許されるべき都市国家が成立するであろう。もし優れた人々にだけパレーシアが与えられたなら、彼らは都市国家の益、つまり自分自身の益を押しつけることになり民衆には不利なものになる。アテナイの民主制において多数派の民衆に有利なことを語られるようにするには発言権は優れた人々にだけ与えてはならないし、悪人が発言権を持つようにしなければならないとすれば同類の悪人によいことを述べるようになるという堂々巡りになると結論する。
フーコーはこのようにクセノポンのテクストを紹介するが、その根底にはパレーシアの場所としての民主制に対する場所としての民主制に対する批判が一般的に認められていたという。西洋世界の政治思想にとって普遍の母型や脅威であったような原則があるとフーコーは考える。その第一の原則は量的差異化である。だれが統治すべきかを考えるとき、一方には多数派の民衆がいて、他方には少数派の人々がいる。その分割と対立が問題なる。第二の原則は、分割は優れた人々と劣悪な人々の対立に一致するということである。よき人々と悪しき人々の倫理的境界を画定するということになる。第三の原則とは、優れた人々と劣った人々の倫理的境界画定が政治的区別に一致するということである。つまり、優れた人々によいことは都市国家にとってもよく、劣っている人々にとってよいことは都市国家にとっては害悪であるという考えが流布していたということ。第四の原則は、政治的言説の次元における真なることは、都市国家にとって益であり、有用であるが、万人にとっての発言の権利を持つ民主制の形態では成立しない。都市国家の中で真理が語られるようになるには、よき人々と悪しき人々の分割をしるしづけ制度化しなければならない。つまり本質的な倫理的分割が政治的領野の内部でかたちをとり表明したとき、都市国家の益が持たされるであろうということ。
これらの原則は当時のテクストに見られる思考形態をフーコーが要約したものであるが、結論として言えることは、「語る主体の間に差異を設けないことによって定義される政治的領野の中では真理は語られないということであるとフーコーはいう。多数派と少数派の分割が、よき人々と悪しき人々、あるいは優れた人々と劣悪な人々との倫理的分割が不可欠なのである。したがって民主制においては「真なることを語ること」つまりパレーシアが不可能といえることになる。優れた人々が劣悪な人々に服従を強いられるからである。

 プラトンによる反転
 フーコーはプラトンの『国家』の都市国家を一艘の船に譬えている一節を指摘する。

  まず船主だが、これは、身体の大きさや力においては、その船に乗り組んでいる者たちの誰よりもまさっている。
 ただ、少しばかり耳が遠く、目も同様に少しばかり近い。そして船のことに関する知識も、その目や耳とおなじよ
 うなありさまだ。それから水夫たちだが、これは、ひとりひとりがみな、われこそはこの船の舵を取るべきだと思
 いこんでいて、舵取りの座をめぐってお互いに相争っている。そのくせ彼らは、舵取りの技術をかつて学んだこと
 もなく、自分にそれを教えた先生を指し示すこと、いつ学んだかを言うこともできないのだ。それどころか、舵取
 りの技術というものは、そもそも教授不可能なものだと主張し、それが教えられるものだと言う者があろうものな
 ら、その人を八つ裂きにしかねまじき勢いである。(『国家』第六巻488‐B)

 船主(操舵手)は民衆であり、水夫(乗組員)は民衆(デマ)扇動家(ゴーク)である。「乗組員は操舵手に追従を言って舵を奪い、何らかの知識に従ってではなく自分自身の利益に従って舵を取る」のだ。民主制に倫理的分割がかけている以上、パレーシアが見出せないなら哲学の形式において民主制を排除すべきだとプラトンは言いたいのである。「民主制は真なる言説に訴えることができない」のであればどう対処すべきか。プラトンは『国家』第七巻で、真理にたどり着いたとき、つまりイデアの世界を知ったとき、哲学者はそこに安住すべきではないことを主張する。

 されば君たちは、各人が順番に下へ降りて来て、他の人たちといっしょに住まなければならぬ。そして暗闇のなか
 の事物を見ることに、慣れてもらわなければならぬ。けだし、慣れさえすれば君たちの目は、そこに居つづける者
 たちよりも、何千倍もよく見えることだろう。君たちはそこにある摸像のひとつひとつが何であり、何の模像であ
 るかを、識別することができるのだろう。なにしろ君たちは、美なるもの、正なるもの、善なるものについて、す
 でにその真実を見てとってしまっているのだから。(『国家』第七巻520-C)

 哲学者は洞穴から再び都市国家に下降し、統治する者にならなければならないことをこの一節は述べている。先ほどの民主的パレーシア批判の後に、統治がよいものであるためには真なる言説に基礎を置き、民主派と民衆扇動家を一掃する必要があるというのが、フーコーがいう「プラトンの反転」である。
 
 アリストテレスの躊躇い
次にフーコーは、「アリストテレスの躊躇い」といいうるものに言及する。それは多数派と少数派の分割に基づき、それが裕福な人々と貧しい人々の対立に一致するだろうかと、『政治学』第三巻でアリストテレスは問う。裕福な人々が多数派であるとき民主制は成立するか、あるいは貧しい人々が少数派であるとしたら、彼らの権力を民主制と呼べるのであろうか。その問いにアリストテレスは答える、「民主制を特徴づけるのは、貧しい人々の権力である」と。「たとえ貧しい人々の方がはるかに少数であるとしても、彼らが権力を行使すしさえすればそれは民主制である」と。さらにアリストテレスのもう一つの問い、多数派は劣った人たちであり、少数派は優れた人たちであるといえるのかという問いを提出し、疑いをもつ。優れた人々と劣った人々との対立と少数派と多数派の対立との一致についても検討する。そして優れた人々とはどのような人々なのかを考える。市民の徳と有徳の士の徳を区別すべきではないかとアリストテレスはいう。徳によってよき市民として義務を果すと同時に、都市国家の利益を追求し都市国家のためによい決定を下すことが完全にできるのではないか。しかしそのような個人はよき市民であるが、有徳の人間ではない。つまり有徳の士でなくともよき市民であることもある。二つの徳の関係を、統治される人間と統治する側の人間において区別する。このように多数派と少数派、劣った人々と優れた人々の区別は簡単には解決できず、倫理的・量的な同型性をアリストテレスは問いに付しているとフーコーは解釈する。また優れた人は自分の利益を追求しつつ都市
国家の利益も追求するが、劣った人は自分の利益を追求するが、都市国家に対しては有害なことしか目指さないという、フーコーが名づけた政治的転換の原則をアリストテレスは疑問視する。『政治学』第三巻で、君主制、貴族制、万人による政治を検討するが、結局「いかなる政治形態であろうと、統治する人々は、自分の利益のために統治することができれば、都市国家の利益のために統治することもできる」ということ、アリストテレスは、都市国家を基礎づけるものは真なる言説でしかないが、民主制においては真なる言説はありえないという結論をアリストテレスはあいまいにしているとフーコーはいう。
アリストテレスは「君主制」と「王制」の区別をする。王制とは公共の利益を考慮する君主制タイプの統治であり、自分自身の利益を考えず都市国家の利益を目標にする王制がある。そして若干の人々による、都市国家と構成員の利益を考える貴族制があり、さらに多数派が統治する政治形態、名を与えることが困難な形態であるゆえに、ポリティアという一般的名称でフーコーが呼ぶ政治形態がある。フーコーはアリストテレスの『政治学』第三巻から、このポリティアについて解説している。アリストテレスの説明をフーコーは次のように説明する。「ただ一人の個人ないし少数の人々が徳において他の人々に勝ることは可能であるが、多数派の人々が〈あらゆる徳において申し分のない水準に達する〉のは困難である」。自分自身の利益ではなく都市国家の利益を目指す一人の王、あるいは少数の人々がいたと仮定すると、彼らが徳において他の人々より勝っていることは考えられる。つまりそれは「彼らの倫理的選択、彼らの他の人々との差異化こそが、他のすべての人々のために統治がなされる可能性を与え、それを保証すること」になり、逆は非常に困難であるというアリストテレスの主張をフーコーは紹介している。したがって多数派の人々が、自分自身の利益を考えず、都市国家の利益を考慮するような民主制、「真なることを語ること」が可能であり、そこに都市国家の利益を認める「倫理的差異化」を見出すのはほとんど困難であろう、形式的には可能であるが現実には存在しえない、なぜなら「民主制においては、倫理的差異化が作用しないから」とフーコーは説く。民主的なポリティアでは統治される者が統治する者になる可能性を持つ、交替の原則によって定義されているので、アリストテレスが提起する問題は、そのような原則の下で倫理的差異化が可能かどうかであるとフーコーはいう。

陶片追放(オストラキスモス)
アテナイにおいてなされた一個人の追放のことであり、彼が並外れた資質を持ち、一般市民よりもあまりにも上に置きすぎたときに民衆が追放できる措置であるとフーコーは説明する。アリストテレスは陶片追放について、それは正当化の可能な措置なのかという反論に、可能であると答えている。『政治学』第三巻を挙げ、フーコーはアリストテレスの主張を紹介する。それによると、アリストテレスは都市国家を一枚の絵にさらに彫像にたとえて説明しているという。一枚の絵や一つの彫像に、「全く完璧な細部」があると作品のなかの他の部分と調和を崩すので、画家によって、あるいは彫刻家によって取り除かれるときがある。同様の理由で、田に人々より明白に優れている市民とは決別せざるをえないという考えによるのである。このように説明した後にアリストテレスは、都市国家の中で並外れた徳を持つ者(際立って並外れた者に限られよう)がいたとするなら、「公共の規則に」従わせようとするのは正当なことではないと主張するのである。そのような人間に市民が服従し、王になるようにすることが唯一の解決法であるとアリストテレスはいう。「ほんとうの有徳の人物がいるとしたら、民主制は消え去るべきであり、人々は、その有徳の士に対し、倫理的なその人に対して、王に従うようなやり方で従うべきである」というのがプラトンと共有できるアリストテレスの考えであり、民主的パレーシアの危機といえるものから、エートス、および倫理的差異化の問題へ論及しなければならないことをフーコーは示唆している。

君主制と助言者
パレーシアが有効に機能するという自負を打ち破るように、民主制とパレーシアは両立せず、パレーシアとは反すると思われるべつの政治構造、君主制にその可能性をフーコーは見ようとする。フーコー自身の指摘にあるように、君主制が高い政治構造であると主張しているのでは決してないことに注意する必要がある。「君主の人物像、その専断的で君主制的な権力が、一つないし複数の危険を含んでいる」からである。君主
には僭主のイメージがあり、真理を受け入れない者という印象が強くある。アリストテレスの『政治学』においても、僭主は真理を知ることができない、なぜなら自分たちが語っていることや考えていることを隠すからであると述べていることをフーコーは指摘し、全ギリシアにおいてそのような図式は一般的であるという。それでも君主と真理を語る者との関係や君主と助言者との関係の中には、パレーシアの実践のための一つの場所が認められるとフーコーは指摘する。アリストテレスの『アテナイ人の国制』や、ペルシャの君主キュロスをパレーシアに接近できる君主として描いたプラトンの『法律』第三巻などから、君主とパレーシアの場所があるとフーコーはいう。先の論考で民主制には倫理的差異化に場を与えることができないことだった。フーコーによると、「個人の魂としての首長の魂が、それ自体、倫理的差異化が導入され、価値づけられ、具体化され、諸効果を産出できるようになるということであり、そのおかげで君主は、一方では真理に耳を傾けることができるようになり、他方では、その結果として、自分の権力を制限する術を学ぶようになる」のでパレーシアの場が成立することもあるという。一つの魂は教育や助言によって真理に耳を傾け自らを導くことが可能であるからである。以前、このエセーで詳しく述べた、プラトンとディオニュシアス二世の関係がすぐに思い出される。プラトンの『第七書簡』から知ることができるのである。ディオニュシアスの叔父であるディオンに向けられたプラトンの教育が成功し、ディオニュシアス一世の死後、権力を引き継いだディオニュシアス二世の若さと、哲学への情熱を読み取ったプラトンは、その魂に接近し、彼が支配する都市国家に接近することができるはずであった。プラトンは君主に助言を与える哲学者であろうとしたのである。しかし失敗に終わる。「ディオニュシアス二世の悪しき本性、彼の悪しき近親者たち」、ディオンの暗殺などの理由により失敗したのであって、プラトンの哲学的企てが失敗であると受け取られていないことが『第七書簡』、『第八書簡』から窺えるとフーコーは指摘する。つまりプラトンの失敗は具体的情勢上のものであり、民主制におけるパレーシアの失敗は構造上のものであるということになるとフーコーはいう。
結論としていえることは、君主制において(パレーシア)が可能なのは、君主が都市国家を統治するやり方が、君主自身のエートス(個人としての君主が自らを道徳的主体として構成するやり方)に依存するからであるとフーコーはいう。君主のエートスは、真なる言説から始まり、彼の統治法
の母型となるものであるので、パレーシアが効果をもたらすことが可能であるとフーコーは説く。君主自身のエートスを介する統治であるのに対して、民主制は倫理的差異化の場を与えなかったためであり、エートスの場が不在であるからだとフーコーは主張する。

 パレーシアの政治からプシュケーへの変容
 パレーシアは、もはや一つの権利ではなく一つの実践であり、向けられる相手は都市国家ではなく個人の魂(プシュケー)になった、つまり「パレーシアの本質的相関物が、ポリスからプシュケーへと移行するということ」であるとフーコーは分析する。個人におけるある種の存在の仕方、振る舞い、行動の仕方の形成がパレーシアの目標になる。都市国家の救済よりむしろ個人のエートスを目標にするとフーコーはいう。つまり、「プシュケーをパレーシア的な〈真なることを語ること〉の相関物と定め、エートスをパレーシアの目標に定めるという二重の決定が含意しているのは、パレーシアが、〈真なることを語ること〉の原則を中心に自らを組織しながら、今や、真理陳述が魂の中に変容の諸効果をもたらすことを可能にするような操作の総体の中で具体的なかたちをとるということ」であるとフーコーは要約している。これらの背景には、紀元前五世紀ごろのギリシア文化におけるプシュケーの出現があり、民主制下のパレーシアの危機と批判、パレーシアの行使が政治から個人的諸関係のゲームの方へ向きを変えていったことがあるとフーコーは指摘する。
「民主制の制度的地平からエートスの形成という個人的な実践の地平へのパレーシアの位置の移動」は西欧哲学の根本となる特徴を理解するために重要になる何かがあるとフーコーはいう。フーコーはアレーテイア、ポリティア、エートスという三つの極を挙げ、「還元不可能性」と「必然的で相互的なそれらの関係」から一方から他方への働きかけ、その構造に支えられて、ギリシアから今日の哲学的言説が存在することになったとフーコーはいう。哲学的言説が科学的言説や政治的(制度的)言説や道徳的言説とも異なるとするなら、哲学的言説が他の二つの問題を提起するからであり、「科学的言説とは、その諸規則とその諸目標を、〈真なることを語ること〉とは何か、諸形式はどのようなものか、その諸規則はどのようなものか、その諸条件と諸構造はどのようなものかという問いに応じて定めるような言説のこと」であるとフーコーはいう。
 哲学的言説は、フーコーがいうところによれば、真理の問題を提起するとき、〈真なることを語ること〉の諸条件を、個人に対して倫理的差異化や〈真なることを語ること〉を発する権利、自由、義務が与えられる政治的構造との関連において考えるから科学的言説とは異なるのだという。さらに政治的言説と異なるのは、ポリティアに関する問題を提起するとき、権力の諸関係とその組織化を定義することが可能な出発点としての真なる言説に関する問題、つまり真理に関する問題を提起するからであり、政治的構造によって場を与えられる倫理的差異化の問題を提起するからである。道徳的言説と異なるのは、哲学的言説が、一つのエートスの形成をもたらすもの、道徳の教育法あるいは一つの規範の伝達手段となるものではないからであるとフーコーはいう。哲学的言説が一つのエートスに関する問題を提起するとき、真理について、そのエートスを形成することのできる真理への接近形態について考え、またエートスが特異性と差異を肯定する政治的構造を考えることになる。ギリシア文化以来今日まで、アレーテイアの問題が提起されると真理との関係でポリティアとエートスの問題が提出されるのであり、ポリティアについてもエートスについても同様であるとフーコーは主張する。
     
(その二につづく)

copyright 以心社 2012 
許可なく無断転載禁じます。


プラトンのエロース論「饗宴」 小林稔 詩誌「ヒーメロス」より掲載

2015年12月19日 | ギリシア論考

〔長期連載エセー〕    小林稔 季刊個人誌「ヒーメロス」15号2010年9月10日発行からの転載。無断転用禁止。

自己への配慮と詩人像(七)
小林 稔

34 『饗宴』におけるエロース論
 
 複雑な作品構造と文学性                 
 ある人(アリストデモス)から聞いた出来事をアポロドロスが友人に報告するという形式を取るプラトンの作品『饗宴』は、なぜそのような複雑な形式が必要とされたのか。そこで友人に報告されるソクラテスが語る話は、ディオティマなる女性から聞いた話であり、二重、三重に語りが畳み込まれている。『饗宴 パイドロス』(プラトン全集5)の巻末解説で訳者鈴木照雄氏は、「詩と真実との兼合いの上に立つ芸術家プラトンの腕の見せ所である」と指摘しているが、前々回に、プラトン『国家』において、いわゆる「詩人追放論」で芸術と哲学の分岐線を考えてきた私にとってはそれで終えられることではない。プラトンの作品は、論文調の文体ではなく対話を基調に登場人物がいきいきと描かれているので、文学の範疇に入れられることがあるが、思想的には哲学の古典として後世に影響を与えつづけているのである。いずれ独立した論で詩と哲学の相違を徹底的に考察することにし、いまここでは簡潔に論点を提示することに留めておきたい。鈴木氏は、報告者を登場させる理由に、「本篇の主要テーマの一つにソクラテスの讃美があるということは、文学的に、当のソクラテスを語り手にすることを不可能とする」と指摘する。また、報告の形式にすると、論議しなければならない問題が発生してくる。例えば、語られる出来事の年代、報告された年代があり、この場合に限らないが、プラトンの執筆年代との関係から前者二つが類推されるであろう。(詳しくは『饗 パイドロス』(プラトン全集5)の巻末にある『饗宴』解説を読んでいただきたい。)ある出来事とは、アガトンが悲劇で優勝したときアガトンの邸で催された饗宴(シンポシオン)であり、アガトン三〇歳あまり、ソクラテス四十五歳の前四一六年である。報告された年代は前四〇〇年ごろであり、プラトンの執筆時は前三八五年後数年の間ぐらいであろうと鈴木氏は推定する。
この書物の語り手、つまり報告者が、なぜアポロドロスでなければならなかったのかという問題も当然に起こってくる。鈴木氏の解説によると、アポロドロスは『パイドン』にも登場し、「ソクラテスに傾倒していた情熱的な弟子」で「才気煥発の弟子よりも、創造の才には欠けるが忠実一途の弟子がその役に選ばれる方が、その報告の信憑性も増大するであろうこと」を考慮し、報告の信憑性をもたせる意味で適切であったと指摘している。『饗宴』は集まった人々の一人が座長の役を務め、飲食から始められるが、中心は論議の方であった。詳細は鈴木氏の解説に委ねることにして、ここでは順次なされるエロース論を要約し、そこから問題系を抽出していくことにしよう。
 さて、報告者の語る『饗宴』の話に入ることにする。エリュクシマコスという人物(人物紹介は省略)は、日ごろパイドロスから、「詩人によって昔から多くの神々が讃美され、讃歌や頌歌が作られてきたが、エロースという偉大な神にたいしては誰一人それらを作ってこなかった」ことを耳にしていた。エリュクシマコスはパイドロスのこの主張はもっともなことだと思い、一人ずつエロースの讃美をしてはどうかと、そこに集まった人々に対して発言し、この議題の産みの親(パイドロスは座長に選ばれている)であるパイドロスから始めることを提案したのであった。
 
 恋する人のひたむきさと勇気
 第一話者のパイドロスの話では、エロースは古い神であることが指摘され、それはよき事の根源をなしていると述べられる。ヘシオドスの『神統記』に書かれている、初めにカオスが生じ、次に生まれたのがゲ(ガイア)とエロースの二柱の神であるという記述を証拠としている。そして、「立派な生き方をしようとする人々にとってその一生の指導原理ともなるべきもの」を少年たちに植え付けるものが恋(エロース)と呼ばれるものである。その指導原理とは、「醜いものに対しては恥じ、美しいものに対しては功名を競う心である」。これが国家や個人に偉業を可能にする。少年を恋する者にとって恋されている相手の少年に、自分の勇気を守る勇気がないなど、恥ずべきことをしているのを見られるのは最も恥ずべきことなのだ。恋し合う大人や少年で構成される国家や軍隊においては、エロースは彼らに勇気を吹き込み、立派な国家を作るであろうとパイドロスは語る。神々は「恋ゆえのひたむきと勇気とをこの上ないものとする」一方で、よく知られている、オルペウスが妻を尋ねて冥界に行き連れ去ることに失敗した理由は、「彼が竪琴弾きの歌い手であるため軟弱な人間で」「敢然と恋のために死に赴くことができず、生きて幽界に入ることを策謀したと神々にみられたからである」と説く。ここにも真理を追究し行為する哲学に対する詩の劣性を主張するプラトンの思想の影が揺曳しているように私には思える。反対の例としてアキレウスを挙げる。神々が彼を讃え、「浄福なる人々の住まう島」へ送ったのは、「自分を恋してくれるパトロクロスを援け、その仇を討ち、彼のために死ぬというだけでなく、亡き彼の後を追って討死するというかかる道をあえて選んだからである」という。恋を源とする勇気という徳を神々は讃える。「恋をしている人は神がかりの状態にあるので、恋されているよりもより神のような人である」。この下りは、プラトンの『パイドロス』にある、「最も偉大なるものは、狂気を通じて生まれてくるのである」を思い起こさせる。かつてのソクラテスの教えを遵守するパイドロスであればこその発言であり、恋されるよりも恋するという能動性を神々はより讃嘆するとパイドロスはここで述べる。このようにエロースの神は、「徳と幸福を獲得するためにいちばん力を持つ者である」としてパイドロスは話を終えた。

 ウラニア・アプロディテに属するエロースを礼讃する
 第一話者パイドロスの後にはいく人かの話者がいたが、アリストデモスの記憶に残らなかったため省略されている。彼の記憶に鮮明に刻まれていたのが、次のパウサニアスのエロース論であった。パウサニアスはパイドロスのエロースに異論を唱える。エロースの神が一種類であればその通りであろうが、実は二種類であるという。
 「アプロディテはエロースと不可分の関係にあるが、アプロディテの女神は二種類であるから、エロースもまた必然的に二種類である。」(「プラトン全集5「饗宴」の訳注によれば、アプロディテが生まれ神々の仲間入りするとき、エロースとヒメロスが付き従った、という記述がヘシオドスの『神統記』にあり、クセノポンの著作『饗宴』では、ウラニアとパンデモスのそれぞれにアプロディテが祀られているという記述が見られるとある。)一方はウラノスを父とし母なくして生まれたアプロディテであり、もう一方はゼウスとディオネの娘で、パンデモスと呼んでいる。ウラニアとは「天上の」、パンデモスは「低俗の」という意味の形容詞である。このような理由で、それぞれに付き従ったエロースも二種類あるとパウサニアスは語った。
 後者のパンデモス・アプロディテに属するエロースは、その名の通り低俗(パンデモス)で、特徴は少年を恋するだけでなく女性をも恋し、相手の魂より肉体を愛する、さらにできるだけ考えをもたない相手を恋することである。恋の成就だけに心を傾け、愛し方が立派であるかどうかを考えないからだ。ウラニア・アプロディテより若く「出生において男女両性にあずかっているからである」という。
 一方、ウラニア・アプロディテに属するエロースは、男性だけにあずかり女性は関係をもたず、少年への恋に属するエロースである。「この恋(エロース)の霊気を吹き込まれた人々は、本質的に強壮で理性に恵まれたものの方を愛するからして、男性のもとに赴くのである。」と語られ、このような人々が恋をするのは、少年たちが理性を持ち始める時期のことであるという。プラトンの『アルキビアデス1』においても、ソクラテスがアルキビアデスに自己への配慮を説くために、それまで離れていたアルキビアデスに近づいたのは、そのような時期であり、髯の生える頃であった。(『アルキビアデス1』の訳注にあるように、「アテナイでは青年男子は一八歳になると兵役の義務に服し、二ヵ年の訓練を経たのち二〇歳で完全な市民権を得た」という」アルキビアデスは政治家志望の青年であり、市民権を得る時期を間近に控えた少年であるという記述から、おそらく十七歳の終わり頃、あるいは二十歳に達しようとしている年齢と思われる。パウサニアスの語る、「少年たちがすでに理性を持ち始める時期」とは、アルキビアデスのこの年頃を指すのであろうが、それ以前の「年端の行かぬ少年を相手にしてではなく」と断っていることから、「少年への恋」は理性を持ち始める時期から後と解釈される。おおよそ髯の生える年頃が境界線として目印になろう。『アルキビアデス1』で描かれた、ソクラテスを抑止するダイモーン(神と人間の中間に存在する鬼神的存在)からソクラテスが解かれたときと考えてよいだろう。
 少年愛と一般的に呼ばれているが、青年と考えられる年齢であったり、若者愛と呼ばれていたりして統一性がないように思われる。個人差を考慮すればはっきりとした年齢は定義できないことであるが、ソクラテスにダイモーンの抑止があった頃のアルキビアデスは美しい少年であり、多くの求愛者たちを目にしながらもソクラテスはアルキビアデスから距離を取り観察しているだけであった。私の考えでは、少年とは十一、二歳から十四、五歳ぐらいの男子を指す。十五、六歳以降は青年になり始める頃を思い浮かべる。二千年以上も前のことで現在の少年たちとの相違もあろう。しかし私が年齢にこだわるのは、古代ギリシアの書物における少年愛という言葉の使われ方が漠然としているからである。パウサニアスのいう「年端のいかぬ少年」ではなく、「理性を持ち始める時期」の少年への恋は、少年ではなく青年、あるいは若者というべき者たちへの愛と呼ぶべきであるように思われる。しかし少年が一気に青年のある時を境に一気に変貌することはない。少年の面影を残しながら青年の凛々しさの芽生えを混在させる美しさというのもあろう。さらに生涯、少年性をもちつづけ理性と共存させる大人もいる。(少年性については、この「自己への配慮と詩人像」というエセーの後半、「詩人像」で詳細に論じる予定である。)興味深いのは「年端の行かぬ少年」への恋に否定的な理由である。善悪の区別がつかない未成年への悪い影響からではなく、少年の素質を見究め、年長者が無駄な時間を費やさないためという主張である。いま問題にするエロース論では、「髯の生える年頃」の前後において年長者の愛し方が異なるということを強調しなければならない。(少年期を脱した若者がいかに年長者の愛を受け入れ大人になっていくのか、つまり恋される客体から主体(能動性)への移行が若者に課せられたのである。後半の章でさらに詳しく論述する。)
 「恋人が相手の想いを受け入れるのは恥ずべきことである」と考える人がいるが、それは一つには低俗(パンデモス)な恋をする人たちに起因する。また夷狄の支配下に暮らしているところでは僭主制であることから、友情や恋愛は支配者にとって国の崩壊の危機を生じかねないとして人々にそう思わせているのであるとパウサニアスは語る。
 パウサニアスのエロース論の眼目は、恋することそのものが美しいのではなく、行動のなされ方によって美しくもあれ
ば醜くもあるということである。魂よりも肉体を愛する恋は永続性がなく、低俗というべき醜いものであることをパウサニアスは指摘し、ウラニア・アプロディテに属するエロースこそが美しい恋であると述べる。

 恋を寄せられている少年が相手の想いを受け容れるのは美しいことだ、という結果が将来されるべきであるならば、少年への恋(パイデラスティアー)に関するものと、愛知やその他のすべての徳に関するものと、この二つを合して一つのものにしなければならない。なぜなら、恋を寄せている者とその恋人である少年とがそれぞれの習わし(掟)となるものをもっていっしょになるとしよう。その習わしというのは、恋を寄せる者の方は、自分の想いを受け容れてくれる少年にどんな奉仕をしようとも、それは正当な振舞いになるだろう、というのであり、他方恋人である少年の方は、自分を賢く立派な人間にしてくれる者のためには、どのようなことをしてやっても、やはりすべて正当なことになるであろう、という内容のものである。しかも恋を寄せる者の方は、叡知やその他の徳で少年に寄与することのできる者であり、少年の方は人間形成の教養やその他のどんな知恵においても得るところありたいと望んでいる者であるとしよう。さてこういう場合にこそ、上の二つの習わしは一つのものに合するからして、ただここにおいてのみ、恋を寄せられている少年が相手の想いを受け容れてもそれは美しいことであるという結果になる。(プラトン「饗宴」184C~E)

 パウサニアスにとってこのようなウラニア・アプロディテに属する恋(エロース)だけが讃美すべきものである。「恋する者も恋を寄せられている者も自分で自分に気をつけて、徳に向って励まなければならないようにさせるからである。」結果的に、プラトンの描き出すソクラテスの恋愛論にたいへん近いものであると思われる。
 
 分裂抗争から調和を導くエロース
 パウサニアスの話の後を受けて、エリュクシマコスが始める。(訳者の解説と注によると、エリュクシマコスはアルクレピオス医師団に属する医者でありパイドロスの親しい友人であるという。アルクレピオスはギリシアの医神で、後裔と称する医師団にはヒュッポクラテスがいる。)エリュクシマコスは、パウサニアスが述べた二種類のエロースが万物に偏在していることを指摘する。例えば、身体においては健康な部分と病気の部分がある。前者の優秀な部分を持つ恋(欲求)を満足させることは美であり、後者の劣悪な病的部分を持つ恋(欲求)を満足させることは恥ずべきことであると語る。前者と後者を判明し前者を獲得させたり植え付けたりするのが医学であるという。つまり充足と欠乏を取り扱う学問なのである。音楽では、高音と低音が音楽の技術によって協調させるのが有能な音楽である。音の遅速であるリズムも分裂抗争していたものを協調にまで導いていくのが音楽なのである。有能な音楽家であれば「未だ節度に欠けるならばそれを持つ者になれるようにと、その人々の想いを受け容れ、その人たちへの恋を大事にしなければならない」。人間界や神界のすべてにおいて二種類のエロースは見守らなければならないというのがエリュクシマコスの主張である。温かいと冷たいなど、そう反するものが世界には充満しているが、「放縦の悪徳を持ったエロース」が力を持つと貪欲と無秩序が生まれる。それに反して「節制と正義とをもってわれわれと神々とのうちに善事を軸にして実現されるエロースこそがわれわれに幸せをもたらすという。
 エリュクシマコスは、相反するものを和合させる知識で調和へと導くエロースを讃美するが、「分裂抗争しつつもそれ自身と一致統合している」というヘラクレスの考えは「理屈に合わないこと」だとする。エリュクシマコスの主張は、「対立緊張しているものが同時に一致統合して調和を成り立たせる」というヘラクレイトスの考えを否定することになると、訳者の注で指摘されている。万物流転を唱えるヘラクレイトスの自然哲学とは相い容れないものであろう。

 分身を求めるせつない恋の原理
世間の人々が恋の力に気づかず大きな神殿を建て祭壇を備えていないが、人間の幸福がこのエロースの神にかかわっていることを述べ、話を始めるのは次の話者アリストパネスである。(彼は喜劇作家であり、彼の作品「雲」ではソクラテスをソフィストとして風刺した人物である。)恋する情動に対して神々の行為に求めようとしたのである。その昔、三種類の人間がいたとする。男と女、それに男女両性をもつ男女(アンドロギュノス)である。容姿はみな球形で四本の手と足を持っていた。男は太陽の、女は大地の、両性は月の子孫であった。球形であるのは先祖に似ているからである。彼らは驕慢で神々に刃向っていたので、ゼウスは人間を存続させつつ今よりも弱くしようと考えた。それぞれの人間を真二つに切り、二本足で歩かせようとしたのである。「本来の姿が二つに断ち切られたので、皆それぞれ自分の半身を求めていっしょになった」。半身から離れては何もしようとしなかったので飢で滅んでいく者が多く現われた。憐れに思ったゼウスは人間たちを改造し、男と女が生殖ができるように肉体に手を入れ、行なわせた。男同士でいっしょになった者たちも充足感はもたされていたので、仕事などに配慮するようになったという話をアリストファネスは語った。切断されるまえの男や女は半身を求め同性を恋し、かつて両性であった人間がそれぞれの半身、つまり異性を恋するようになる。三種類の恋で最も優れた者は「男性的なものを追求し、その身ががんらい男性の一片であるから、少年のうちは大人の男たちを愛して、その人々といっしょに横になりまとわり付いているのを悦ぶ」男たちである。彼らは最も男らしい者たちで大胆で男らしい。この種の少年たちが成人して政界入りすると、実力を示すことになる。「男盛りになった暁には、少年を恋して、結婚や子供を作ることには生まれつき目もくれないのである。」このようにして人間は太古の姿に戻ろうとし、「恋人といっしょになり溶解されて二人が独りになることを」熱望するのである。神々に敬虔であることを忘れず節度をわきまえれば、自分の分身に巡り会え、自分の意に適った素質の恋人を獲得できる。エロースは私たちの血縁のもとへと導く神であるから讃えるべきであろうというのがアリストファネスの話の骨子であった。
 
 アガトンのエロース讃歌
 エロースは神々の中でも一番若い、しかも永遠に若いことを指摘することからアガトンは話を切り出した。したがってエロースは若者たちと交わることを好み老齢からは遠ざかる。「神は常に等しい者を等しい者へと導かれる」という『オデュッセイア』(第十七巻二一八行)の詩句を訳者鈴木照雄氏は注で引用している。古代ギリシアの思想の根底に絶えず横たわっている考え方であると思われる。エロースは華奢な体をしているので、「神や人間の心根や魂の中に住まいを建てるとアガトンは語る。「均斉がとれたみずみずしい姿に対しては、この神の容姿の優美なことが有力な証拠である」。「花の咲き誇り芳香馥郁たる所があれば、そこに腰をおろし、そして留まるのである」。このようにエロースの美しさを讃美した後でこの神の美徳について語るのである。神や人間の関係において不正を与えたり与えられたりしない、また正義と節制の徳を十分に備えているという。そして「エロースは快楽や欲望を支配するものであるから、際立って節制に富むものということになるであろう」。エロースに触れたら人は皆詩人になり、エロースの知恵によって生物は生まれる。さらに弓術や医術などの発見者アポローンも鍛冶の術をもつヘパイストスも機織の術のアテナも神々と人間を支配するゼウスさえも、技術活動において教えを受けたという点ではエロースの弟子なのであると述べられる。エロースは自ら美しく高貴であるから他の者に対して、同じ類のことの原因になっている。人々には平和を、海原には静けさを、憂いのうちには眠りをもたらし、善き者を顧慮し悪しき者を一顧だにせぬ者、すべての神々と人間を魅了する者であるゆえに見事な讃歌を捧げ従わなければならないと主張するのであった。アガトンのこれらの話の後で、ソクラテスはアガトンに質問を始める。おなじみのソクラテスの対話がすでに始まっているのだ。

 エロースは何者か
 エロースとは対象への恋なのか、それとも対象のない恋なのかをソクラテスはアガトンに問う。対象への恋、つまり、あるものへの恋であると答えるアガトンに、対象を欲求するものかどうかという質問に、アガトンは欲求すると答える。エロースが欲求するときは、対象を持っていないときのことであること、さらに現にあるものを欲求するとは現在持っているものを将来にわたって存在して欲しいときであることを、ソクラテスとの問答で進められ了解された。「するとそれは、彼の手もとにはなく彼のものともなっていないあの事態を欲求すること、つまり、あのいろいろなものが将来にわたって無事に彼のものとして欲求すること、ではないか」という問いかけにアガトンは頷いた。エロースとは美への恋であるならば、エロースは美を持っていないことになる。「それでは、もしエロースが美しいものを欠いており、しかもよきものは美しいものであるとすると、エロースはまたよきものを欠いていることになるだろう」というソクラテスの言葉に、アガトンは論理の袋小路に追い込まれたのである。
 
そこでソクラテスは、かつてマンティネイアの婦人ディオティマから聞いたという話を始める。訳者は解説で、このデ
ィオティマなる人物はプラトンの虚構であろうと推定する。なぜならディオティマという言葉は、「ゼウスからの名誉を持つ女性という意味。ゼウスは万物を操る知者であるゆえ、上のような名の彼女は抜群の知者であることが寓意されている」(プラトン全集5「饗宴」解説)からである。ソクラテスが語るエロース論は、かつてのディオティーマなる女性との対話を聞かせるという構造をもつ。アガトンが先にしたように、エロースとは何者で、いかなる性質を備えているかをまず述べ、それからエロースの働きについて論を展開していくことになる。
 「エロースは偉大な神であり、美しいものに向うものである」というソクラテスの賛辞に対して、ソクラテスがアガトンに尋ねたように、美しく高貴である神がさらに美しいものを欲求するであろうかと聞かれ、結果としてエロースは美しいものではなくよいものでもないという認識を迫られ、自己矛盾を指摘される。神であるからには美しくもなくよくないものであるはずがないからである。ディオティマはきっぱりと主張する、美しいものと醜いもの、賢いものと無知なるものの中間にあるものの存在を。知と無知の中間にあるものとは正しい思いなしであるという。「正しいことを思いなしながら説明することができないというのは、知識を持っていることにはならない。とはいえ無知でもない。」エロースの神に対して、論理的に美しくないものと導き出されたからといって、それが醜いものであるとすることは間違いであり、中間的なものを考えなければならないとディオティマは説明するのであった。「では一体エロースはなんですか。それは死すべきものなのでしょうか」というソクラテスの問いに、「とんでもない。先に言われたものと同様、死すべきものと不死なるものとの中間にあるのです」と彼女は答えた。さらにソクラテスは尋ねると、「偉大なる神霊(ダイモーン)ですよ、ソクラテス。そして神霊的なものはすべて神と死すべきものの中間にあるからです」という返答があり、その働きとは何かという問いに対して、神と人間を媒介するものであり、「真中の空隙を充たし、世界の万有が一つの総合体であるようにとしている者である」という。「人間から祈願と犠牲とを、神々からその命令とさらには犠牲の返しとを」伝達し送り届けるのだと述べた。つまり、神と人間の交流はこの者を通して行われなければならないのである。「卜占術を行なう者や犠牲式、秘儀、呪禁、あらゆる予言と魔術に携わる聖職者は、この、神霊を通してのこと」であるという。他に、技術に関する知者も同様であり、彼らが力を授かる神霊は数多くいて種類もありとあらゆるものがあるということであった。
 エロースの出自についてディオティマは次のように語る。アプロディテが生まれたとき、祝宴の席にメディスの子ポロスがいた。ポロスは酒に酔いゼウスの園に入り込み、酔いつぶれて眠ってしまった。祝宴にベニアがやってきていてポロスの子を宿そうと思い臥してエロースを身ごもったのだ。(訳者の注によると、ベニアという言葉は「貧乏」を意味し、それを人格化したものであり、彼女は貧窮していて至福の神ではないから神ではありえないといえる。つまりエロースのうちに非神的要素が考えられるという。)このようにアプロディテの誕生の祝宴で身ごもったということから、エロースはアプロディテに仕える者となり、「美しいものを恋する者」になったのである。母ベニアから引き継がれた貧窮、つまり「欠乏と同居する者」であり、父ポロス(訳者の注によると、ポロスは道を意味し、ここでは方策、術策、資源、財源、豊富という意味で用いられた神格化されたものであるという。)からは引き継がれた素質を所有する、「美しいものとよきものを狙う者」であり、「勇往邁進し、懸命努力する者であって、手ごわい狩人、常に何らかの策略をあみ出す者、熱心に思慮分別を求めてこれに事欠かぬ者、生涯にわたって知を愛しつづけ、すぐれた魔術師、妖術師にしてソフィストであったとディオティマは説明した。
 このようなエロースの出自からさらに具体的にエロースの性質についてディオティマは次のように述べるのであった。エロースは不死なるものと死すべきものの中間なるものであることから、

「知はもっとも美しいもののひとつであり、しかもエロースは美しいものに対する恋(エロース)です。したがって、エロースは必然的に知を愛する者であり、知を愛する者であるがゆえに、必然的に、知ある者と無知なる者との中間にある者です。そしてエロースの場合、その出生がまたしてもこのことの原因になっているのです。つまり、その父親は知恵あり方策に富む者ですが、母親は知恵なく困窮している者だからです。……(中略)……親愛なるソクラテス、あなたは恋される対象の方をエロースと考えて、恋するものをそれと考えなかったようです。思うにこのゆえに、あなたの目には、エロースがまったく美しいものと映じたのでしょう。なぜなら、恋される値打ちのあるものはまた、真に美しく、繊細、完全で、その至福はまさに羨望に値するというものですが、しかし恋する者の方はそれとは別の、私が説明したような性質の持主なのです」(「プラトン全集5 饗宴」203B~C)

( つづく)


『ヒーメロス19号』2011年10月25日・書評「プラトン哲学の将来」三・一一以後の世界(2)」

2011年12月30日 | ギリシア論考
三、自然科学的思考の由来

 もし哲学的な世界観が現代に要請されるとすれば、これらの四つの問題を克服しなければならないのであり、「世界のあり方のありのままの正確な記述・描写になっていないからだと考えるべきであると藤沢氏は力説している。それを可能にする方法とは何か。科学を排斥しようとするロマン主義のようにではなく、本来あるべきような世界観の構築に必要なことは、近世以降に視野を限定せず、近代自然科学的な思考の由来を考えてみることであると藤沢氏は提案する。古代ギリシアにおいて哲学から分岐し発生した自然科学的思考を、人間の日常的な思考方法から探って見る必要があるという。この「ギリシア哲学と現代」において藤沢氏は自然科学的な思考の発生にまで視野を広げ論究している。

古代原子論とアリストテレス
「物」の世界と「心」の世界の二元論で一番問題になるのは、知覚と価値を無関係にして世界の基本的なあり方を
考えたことにあり、パルメニデスの考えがデモクリトスの原子論に継承され、アリストテレスが実体‐属性のカテゴリー区別を論じたときに始まったと藤沢氏はいう。原子論における世界の真実とは、物質の構成要素である原子とそれが運動する虚空間があるだけで、知覚で感じ取られるものは原子の形、向き、配列の結果による仮の姿であるということをデモクリトスは語っていると藤沢氏は解説する。これにはパルメニデスの主張、感覚に現われる現象を無批判に信用してはならない、ロゴス(理性)の判定だけを信じなければならないという現象と実在の区別をデモクリトスが解釈したものであり、結局は純粋の思惟とロゴスによって捉えられる真の実在を「物」に変貌させてしまったのだと藤沢氏は指摘する。
アリストテレスは「カテーゴリアイ」という書物で実体と属性の区別を初めて明確にした。藤沢氏の説明では、アリストテレスは「SはPである」という表現を使い、「Pで表わされる属性的なものが、Sで表わされる実体に依存して存在する」という事態の表明であると解釈したという。さらにアリストテレスの「実体の思想」には、実体とはあるものの「何であるか」を示す形相・本質と合致しなければならないとう考えがあり、「主語・述語=実体・属性」のみでアリストテレスの哲学を考えるのは危険であるが、それが後世に強い影響を与えひとり歩きしてしまったのだろうと藤沢氏はいう。
 歴史的に見ればアリストテレスの哲学と原子論は対立関係にあり、近代科学はアリストテレス主義の克服によって成立したと藤沢氏はいう。しかし、原子論における、実体そのものはすべての性質から独立し、述語的規定の染まらないものであるという見方は、アリストテレスのいう実体と属性の区別を徹底させたことになると藤沢氏はいう。変化の過程において、変化しているのは属性のほうで、実体は不変のものとして追跡できるという科学の根本的態度が決定されたことになる。
 「自然科学的思考の形成をより広い領野で考えれば、ピュタゴラス派からプラトンに通じる数学的原理の強調」をしなければならないが、「原子論が現われたその同じコンテクストのなかでプラトンとアリストテレス」の哲学が「原
子論とのきびしい思想的緊張」を経て登場したのであり、原子論とは相違する彼らの哲学の可能性を示していこうと藤沢氏は目論んでいるのである。

 日常的志向と言語
 原子論的世界像と実体・属性=主語・述語という把握方式との結びつきはごく自然のことであると藤沢氏はいう。実体と属性の区別を押し進めれば、実体は性質から剥離して価値的なものから切り離され述語的な規定から独立するからである。知覚的世界では性質の変化が絶えず起こるので、つまり私たちが知覚する像はそのつど違って捉えられるので、不変の事物を追い求めていこうとするのは自然であり、微小な部分へ向かうことになると藤沢氏は解釈する。原子論はルクレティウスやヘロンを通して近世に継承され、十六世紀後半からヨーロッパの哲学者、科学者に注目され十七世紀後半には科学的思想を支配するようになったと藤沢氏はいう。このように継承されていったことの背景には、私たちの日常的な思考と言葉の使い方に根をもっているからだと藤沢氏はいう。
 私たちが物を見るとき、物自体と知覚像を分けることは不可能である。しかし言葉にすれば性質を表わす形容詞と事物を表わす名詞は区別して考えることができるのである。中心は物のほうであり、性質はそれに依存することになるのが自然である。私たちの生存と行動の有効性のために必要なものであると藤沢氏はいう。科学的な思考法もその
延長線上にあり、二元論的下絵のさまざまな矛盾にもかかわらず私たちの思考を支配しているものなので、修正・変更するのにたいへんな困難を要するだろうと藤沢氏は指摘する。

四、哲学的世界観の方向性と諸条件

 二元論的思考がいかに人間の生存と行動のための有益性に合致したものであるかを見てきたが、そのような常識にいかに哲学的思惟が関わるべきかを藤沢氏は展開している。日常的思考の全否定は避け、そのメリットを生かしながらも無条件なのめりこみに抵抗し拒否する態度が必要であると藤沢氏はいう。

哲学的思惟の志向する世界観の方向
 科学的思考に支配されてきた世界観がさまざまな問題点を引き起こしてきたのは、それが「正確でないこと、世界のありのままの記述・描写となっていないことを意味すると考えなければならないことを意味すると考えなければな
らない」と藤沢氏はいう。そこから藤沢氏はプラトンやアリストテレスのほうへ導いていこうとする。特にプラトン哲学は原子論的世界観と実体・属性=主語・述語の考えとの緊張関係から生まれたものであるからである。またアリストテレスの実体・属性の考えと原子論は切り離しえないのだが、後世のアリストテレス哲学の継承にからむ問題があり、アリストテレス自身は「原子論的世界観との対決をふまえた、別の豊かなモティーフを内包している」と藤沢氏は指摘する。

世界観の諸条件
 プラトンやアリストテレスの哲学を論議する前に、要請される世界観の条件を藤沢氏は確認する。(A)全体的視野の確認。(B)「物」と「心」の二元論的な下絵を描きかえること。(C)二元論的下絵を変え全体性を統一するには、「物」的な実体を解体し解消すること。「世界は事実の総体であって、物の総体ではない」(ウィトゲンシュタイン『哲学論考』)。「物」の解体と同時に、物の尊厳性を確保することを目指すものであるということ。(D)無性質の「物」的実体を退ける。「実在する対象としての物理的事物が原因になって、その結果として、実在ならぬ現象としての知覚像がわれわれに現われるという説明は、それが「物」と知覚像との原理的・絶対的な区別を内包しているかぎり、無用にして有害であり、基本的に誤った記述である。(E)世界のあり方、あるいは個々の事象を記述するための最も基本的な記述方式は、「主語・述語」というかたちではありえないということ。それぞれの知覚像ないし知覚的性状が現われることだけを述べるような記述方式を考えること。「これは机である」という表現するより、「ここに机がある」という表現のほうが自然である。「主語・述語」の語法に変えて場の描写的な記述方式にするということ。

五、哲学的世界観の可能性をプラトンとアリストテレスの哲学に即して検討

 プラトンの哲学について

 右に列挙した(A)から(E)の五項目は、プラトンが確立しようとした哲学的世界観の基本と合致するが、後世のプラトン解釈に困難な問題があると藤沢氏はいう。特にイデア論の解釈者における、主語・述語=実体・属性の記述方式から抜け切れずに、イデア論の誤りを指摘することがあるという。つまり私たちの常識がいかに根深く浸透しているか、そしてそこから剥奪して考えることの困難さを痛感させられるということである。
 プラトンの世界解釈の根本には、人間の生き方の原理と自然解釈の原理の合一が目指され、価値と事実、善と存在という二元論の解消があると藤沢氏は主張する。「国家」ではイデアのイデアとして、〈善〉のイデアが表明されている。(A)(B)は受け入れるものの、(C)(D)(E)に対しては批判的・否定的な見方をする者が多くいるので、そのことに重心を置いて話を進めていこうと藤沢氏は述べる。

プシュケーこそは万有のいちばん元のもの
 ギリシア語のプシュケーは「生命」、ソーマは「物質」に対応する言葉であるが、広範囲に意味をもち前者は「魂」「心」「いのち」を、後者は身体・肉体をも意味すると藤沢氏はいう。プラトンにおいては「人間の生き方における
個人の魂と肉体との関係としてきびしい対立のもとに語られている」が、「プラトンの思考が宇宙論や自然学につながる世界解釈的な局面へと向けられて行ったとき、プシュケーもまた、それに応じた局面においてとらえられるように」なったと藤沢氏は指摘する。つまり、プシュケーとは『パイドロス』において「自分で自分を動かすもの」と定義されることにより、「万有全体・宇宙全体の動きの根源」とみなされるようになったということである。しかしそこで直面するのは、プシュケーとソーマのどちらが第一次的なものかという問題であるとし、それに対して明確に答えているのは、「法律」の第十巻の自然主義的な無神論に対する批判の箇所であると藤沢氏はいう。自然主義的な無神論とは、「自然・万有の最も基礎にあるのは、およそプシュケーというものをもたないところの、火・水・土・空気などの物質であって、そういう要素的物質の偶然的な結合によって、あとから生物が生じ、全宇宙が生じ、さらにそれに伴っていろいろな価値的なものが生じたのだ、と主張する立場」であると藤沢氏は指摘する。プラトンが激しく批判したのは、非物質的なソーマを世界の基礎に据え、生命や価値を第二次的に位置づけたことであり、先述したような近代自然科学の根本想定と合致するであろうと藤沢氏は指摘する。
 タレスに始まる自然哲学ではプシュケーの観念と物体・物質(ソーマ)の観念が未分化であったが、原子論ではプシュケーと物体・物質は区別され、プラトンは物体・物質(ソーマ)の観念を徹底的に再吟味して、プシュケーを「動きつつある成り行きの過程」へと解消し還元したのだと藤沢氏は主張するのである。現代物理学の立場、つまりすべての素粒子、原子が形づくられるもとはエネルギーであるという考えは、ヘラクレイトスの「火」を「エネルギー」に置き換えられるとするハイセンベルクにならって、むしろプラトンの「プシュケー」こそがそれにより相応しいと藤沢氏は主張する。

「物」的実体の解消と知覚の分析の作業
 『饗宴』『国家』『パイドロス』という中期の著作で表明されたイデア論の難点をプラトン自身が反省し、『パルメニデス』において批判的質問を設定し、それに対応できるだけの基礎固めの作業をしていったと藤沢氏はいう。自分の書物において自己批判を展開し、さらに思想を補強するという、この素晴らしい作業は「対話」という形式でなければ果しえなかったのではないかと私は考える。言葉の作用としてもつ「対話性」(ディアロゴス)は個人の思考においても絶えず有効であることの証明である。プラトンが『パルメニデス』を著した後、つまり基礎固めの結果として提示したのが、先述した(C)(D)(E)であると藤沢氏はいう。
 〈思惟されるもの〉(=イデア)と〈知覚されるもの〉の厳格な区別において、まず〈知覚されるもの〉の徹底的な資格審査が必要とされたと藤沢氏は論を進める。感覚界の中に、恒久不変の実体的なものがあるとするならイデア論は不要になる。プラトンは『テアイテトス』という著作でアンティテーゼ(プロタゴラス説)を吟味する。つまり「知識とは知覚することにほかならない」というテーゼである。徹底的な審査の結果、「物」的実体の存在する余地はないと認定される。それは「純粋の現象一元主義では知識の最終的な根拠が説明できないことの認定であることに注意しなければならない」と藤沢氏は指摘する。『テアイテトス』では、知覚の対象が現実の知覚の事態に先立って
独立に存在し、知覚の現場を離れても固定的にとらえられるようなものとして存続するという考えにプラトンは反対し否定している、つまり知覚の因果説的な問題設定の枠組=客観的対象の物理的事物が存在しそれが原因で知覚像が生じるという考えはきっぱり否定され、こうした「物」的実体の解消という論点は原子論の世界観の拒否へと導かれると藤沢氏はいう。しかしプラトンは最小単位となる微粒子、火や水や土は現象の説明のための思考の方便として認めているが、原子論者のように万有を構成する要素として認めているのではないと藤沢氏は主張する。結果としていえることはプラトンにおいては、原子論を全否定するのではなく原子的な微粒子の段階で分析を止めずに、それは「エネルギー」に相当するプシュケーがもとになって数学的パターンの下に形づくられる、第二次的な資格のものと見なされていると藤沢氏は解釈する。

主語・述語の記述方式から「場の描写」的な記述方式へ
 プラトンの書物『ティマイオス』において場(コーラー)の概念が初めて登場したと藤沢氏はいう。彼は「このもの」をx,述語として語られる知覚像をF、イデアをΦで表わし説明する。「場のここに〈火〉のイデア〈Φ〉がうつし出されて〈F〉いる」、あるいは「〈火〉のイデア〈Φ〉の似像が場のこの部分に受け入れられて“火”〈F〉として現われている」という記述方式が『ティマイオス』に採用されているという。(C)や(D)で取り上げた二元論的下絵を描き変え、無性質の「物」的実体を虚構として斥ける知覚像一元の認識論の立場を貫くには、この「場の
描写」的な記述方式を取らざるを得ないことになると藤沢氏は指摘する。先述したようにプラトンには「パルメニデス」で展開したイデア論への反省がある。つまり「似像とその原範型」という表現と並んで使われた「分有する」という用語が破棄されたのであった。「あるもの(x)が美しい(F)のは、そのもの(x)が〈美〉のイデア(Φ)を分有しているからにほかならない」という記述の仕方のことである。藤沢氏によると、この記述方式は主語としてこのもの(x)を立てることによって、実体的なものがまずあって、美しいという性質を属性としてもつというわたしたちの日常言語に深く浸透している記述方式に取り込まれてしまう怖れがあるからである。プラトンは学園アカデメイアなどでイデア論についての討論(対話)を多く重ねて反省に導かれていったのではないかと藤沢氏は指摘する。それらの総括として自らの書物『パルメニデス』においてイデア論批判を自らに設定し対話形式でイデア論を堅固な思想にしたのである。
 「場のここに〈美〉のイデア(Φ)の似像が現われている」という、「場の描写」的な記述方式によって「主語・述語=実体・属性」に基づかれた世界像とはまったく相違した、イデア論を土台とした新しい世界像をプラトンは提出し
たのだと藤沢氏はいう。しかしその後の哲学史において、この土台が蔽いかくされ、つまり「分有」用語による方式と見なす習慣から抜け切れず、誤読がくり返され今日に至っていることは不幸なことであると藤沢氏は主張する。

美の遍歴とイデア論
 「美という知覚像が場のここに現われている」という表現ではなく「美のイデアの似像が場のここに現われている」と、イデアを想定しなければならない理由は何か。与えられた知覚像が美として判別されているという経験的事態を藤沢氏は語る。美は主観的なものだとよく言われるが、芸術作品の美しさの判断が、専門家と素人で違うということが起きる。これは主観的な違いであるといって済まされるだろうか。またプラトンが『饗宴』で語ったように、「一人の人間の美しさから出発し者が次々と新しい美に目が開かれていった、そういう美の遍歴における段階の差異、前進の度合いというものは、われわれの経験のうちにやはり重要な意味をもっている」と藤沢氏は解釈する。つまり美を知覚する主体の経験(遍歴)が知覚像の美の判別に関与するということである。ということは、美における規範的・基準的な何か、「美とは何か」という先天的な何かがあるということである。プラトン流の言い方をすれば、「まさに〈美〉であるところのもの」であり、それこそがまさに美のイデアである。イデアは「われわれの経験の中にそっくりそのまま現われることはないけれども、原因や根拠であり、現実の知覚像は、この規範(原範型)がうつし出されるように(似像)が成立する」と藤沢氏は解釈するのである。イデアは美に限らずあらゆるものに想定できる。

〈善〉のイデア
さまざまなイデアを総括するのが〈善〉のイデアであるとプラトンの書物『国家』で表明されている。「ある知覚像FがほかならぬそのFとしてわれわれに現われることは、原範型Φの価値性がうつし出されて現われることを意味する。したがって価値(善)は事実(存在)のうちに浸透しきっていることになるので知覚に与えられる、天然自然の「物の尊厳性」と「価値」を考える最終的な手がかりになると藤沢氏はいう。知覚像をFとして判別することは、私たちが行動の合図として受け取ることであり、その知覚像にはさまざまな表情が感知される。知覚像FはイデアΦによって根拠づけられているので、Fとしての判別は価値的な判別を意味している。イデアΦの規範性もまた価値的な規範性でなければならない。さまざまなイデアは〈善〉のイデアによって総括されているので、〈善〉性とも言うべき価値性がFにうつし出され現われていることになると藤沢氏はいう。さらに藤沢氏は、プラトンは〈悪〉や〈醜〉のイデアさえ語っていて、「普通のレベルでの価値と反価値、狭義の善悪の区別を超えたある根源的な価値に究極的にはつながるような物や事の尊厳性を内にひめているといえる」と述べている。

アリストテレスの哲学と〈エネルゲイア〉の思想

最終章第八章では、アリストテレスに触れプラトン哲学との相違を検討し、求められるべき世界観の諸条件(A)(B)においてはアリストテレスの哲学も合致するものがあることを藤沢氏は指摘する。つまり全体的な視野の確保と二元の統一である。アリストテレスは世界・自然に関わる学問(自然学、第一哲学)と人間の生き方・行為に関わる学問(倫理学、政治学)に厳重な境界線を引いたことは、プラトンとの大きな相違であると藤沢氏はいう。しかし前者の自然学、形而上学(第一哲学)そのものは目的=〈善〉を優先原理とした価値的な学問であるという。つまり世界・
自然における事実はそれぞれのものが自らの(形相)の可能性を実現させて行く動きであり、支配しているのは純粋の形相=現実態と考えられた最高価値としての神、アリストンである(「形而上学」)と藤沢氏は解説する。しかし倫理学や政治学とは境界線を引いてはいても間接的には「ニコマコス倫理学」にあるように、人間の生き方に関わる倫理学に投影させているとも藤沢氏は指摘する。
一方、原子論に対しては、「生成消滅論」「天体論」などにおいて批判し斥けねばならなかった理由は、原子論がマテリアリズム(質料主義)の立場を保持し、〈形相〉や〈善〉の原理を排除しているからであると藤沢氏はいう。アリストテレスは十七歳でプラトンのアカデメイアに入門し、二十年間学んだことから、哲学の根本モティーフは共有していると指摘する。要請される条件(E)の「場の描写的記述方式」においては「主語・述語=実体・属性」の記述方式を確立したアリストテレスであれば、とうぜん激しく対立するものである。アリストテレスにとっては、プラトンの〈場〉の概念はは主語xを不可欠とする「分有」用語に代え、イデアΦ(原範型)とF(その似像としての知
覚的性状)のみによって現象を記述することを根拠づけるものであったし、プラトンの〈場〉の概念を〈質料〉の概念と同一視して「〈場〉とは(イデア)を分有するもの」であると解したのだと藤沢氏はいう。

アリストテレスの実体の概念
 アリストテレスの実体の概念は、知覚からも価値からも独立した「物」的実体を意味するものではなく、実体とは形相・本質と一致するものであるということは右に述べた。「つまり、物と知覚像との剥離を、アリストテレスは正当に斥けている」と藤沢氏はいう。そしてアリストテレスは、プラトンの自然学の立場を原子論のそれと同一と見なしていて、イデアに対する無理解と関係があると藤沢氏は主張する。アリストテレスの主語・述語=実体・属性の記述方式を徹底させれば「物」的実体の概念に行き着き、知覚的性質との剥離を起こさせ、逆に原子論の世界観を根拠づけるものになる。アリストテレスの考えた記述方式によって彼の意図した〈実体〉概念を貫徹し、全体性を獲得し二元論的な下絵を解消することがどのようにして可能なのかは哲学的にたいへん興味のあることであると藤沢氏はいう。アリストテレスはこの問題に正面から立ち向かい展開して行ったと藤沢氏は述べるが、この『ギリシア哲学と現代』を論じる場ではその全貌を論議することは相応しくないとする。独自のフィールドで真剣に論じられるべきであると示唆しているのである。

〈エネルゲイア〉対〈キーネーシス〉
 プラトンの哲学が今後の世界観の構築に有効であることを見てきたが、ある意味で逆行するようなアリストテレスの哲学においても、ある部分において「世界観としての別の可能性」を探ろうとする藤沢氏の意図がこの書物の最終章において見える。それはエネルゲイア(現実性)の思想である。この言葉はアリストテレスの造語であると藤沢氏はいう。デュナミス(力・能力)という古くからの語を組み合わせ、〈現実性〉(現実態、現勢態)と〈可能性〉(可能態、潜勢態)という対立概念が、〈形相〉と〈質料〉というもうひとつの対立概念と結びつき、アリストテレスの自然学や形而上学に大きな役割を果していると藤沢氏は指摘している。しかし藤沢氏がここで述べようとするのは、〈エネルゲイア〉の概念を〈キーネーシス〉(動き、運動)と対置させ表明したアリストテレスの思想である。
 私たちが当然のことのように、時間や空間における能率主義、功利主義を感受している。藤沢氏は運動体と距離を例に挙げ説明している。列車が「できるだけ短時間で目的地に到着すべく走行する」ように、私たち自身が運動体として日々、行動している。行為には目的があり、速く達することを望ましいこととするのは、人間の宿命であり、自然のことであるが、アリストテレスは「運動体としてある行為・行動は、ほんとうは行為でも行動でもなく、まさしく運動(キーネーシス)以外の何ものでもないのだ」と言い、「人間が人間として行なうほんとうの行為・行動とは、効率や能率の観念が入り込む余地のないようなあり方のものでなければならないと考えたと藤沢氏はいう。このようなあり方をアリストテレスは〈エネルゲイア〉(活動、現実活動)と呼んだのである。
 この〈エネルゲイア〉の思想は「人間本来の行為と生活のあり方を根本的に問い直すものであり、アリストテレスの哲学の中心概念であるとすれば、キーネーシスと対置しながらより明確にしていかなければならない」と藤沢氏はいう。藤沢氏はいくつかの例を挙げエネルゲイアとキーネーシスの違いを記述しているが、今ここにそれらを紹介する紙幅はないが、アリストテレスの説明を紹介している部分をまとめてみよう。「学ぶ」「歩く」「家を建てる」などはキーネシスであり、「見る」「思惟する」「善く生きる」「楽しむ」などはエネルゲイアとしている。相違点は何か。(1)キーネーシスは行為自体を目的としないが、エネルゲイアはそれ自体が目的である。(2)キーネーシスは現
在と完了と乖離するが、エネルゲイアは現在がそのまま同時に完了である。(3)キーネーシスは目的に到達するまで不完全であり、その形相は未完成であるが、エネルゲイアはいかなるときにも完全であり、その形相は完成されている。(4)キーネーシスは時間のうちにあるが、エネルゲイアはそうではない。(5)キーネーシスは「どこからどこまで」という条件で本質を規定されるが、エネルゲイアはそうならない。(6)キーネーシスは速さと遅さがあるが、エネルゲイアにはそれらがない。藤沢氏はアリストテレスの『形而上学』と『ニコマコス倫理学』から整理してこのように述べている。キーネーシスでは行為の目的は到着点にあり、どれだけのことをどれだけの時間に「なしてしまったか」ということが重要になるので、効率や能率の観念との結びつきは必然的であると藤沢氏はいう。人間本来の行為のあり方がエネルゲイアであるとアリストテレスが考えるのは、「行為自身が目的」、つまり「目的が行為のうちにあり」、「どれだけの時間」という時計の時間とも無関係に、つねに完全でつねに形相を実現しているといえ、効率や能率とも無縁であると藤沢氏は説明する。

〈活動〉の主体としての〈エネルゲイア〉
 〈エネルゲイア〉はプシュケーの活動であり、〈キーネーシス〉はソーマ(物体)の運動であると藤沢氏は結論する。〈キーネーシス〉(運動)において主体は「動かされるもの」であり、〈エネルゲイア〉においては、主体は「活動者自身」であるという。つまり「私たちの行為が能動的であるか受動的であるかの、際どい違いである」と藤沢氏は主張する。具体的には、私たちが「心をこめ、魂をいれ気を入れることによって」「能率や効率の呪縛から解放されてあるということは、間違いのない事実であろう」と藤沢氏はいう。また「生きる」ということにおいても「本来プシュケーの最も基本的な活動であり〈エネルゲイア〉であるべきもの」である。私たちは人間を「ひとつの運動体」(誕生から死まで)のように考え表象し、その中で積極的な態度も制限されているものであるが、アリストテレスが「形而上学」で語るように、「よくいきること」は〈エネルゲイア〉の活動であると藤沢氏は主張しているのである。人間の生を運動体のイメージで表わすなら、「物があって、その物が、時間・空間の中で、動く」ということであり、この図柄の上に効率主義・能率主義的な行動観が成立するのであるから、この命題を「運動(キーネーシス)の論理」と呼ぶことを藤沢氏は提案する。人間の生や行為のあり方は「運動の論理」ではとらえられず、無縁な事態の言表でしかないと藤沢氏はいう。ますます力をもってきた現代の効率主義・能率主義的な行動観はマテリアリスティク・メカニズムと呼ばれる世界観・自然観と、根底においてつながっていて、私たちの行為や仕事の質と内実は「どれだけの分量をどれだけの時間でなし終えるか」という観点の中に解消されてしまうと藤沢氏は指摘している。

常識の有効性の取り込みと反省と批判の堅持
 初めてアリストテレスによって考え出された〈エネルゲイア〉の思想がある一方で、アリストテレスによって初めて提示された「主語・述語=実体・属性」の記述方式が強化されてしまった、〈エネルゲイア〉との対立概念である「運動の論理」に基づく世界観の確立に大きく寄与してしまったという〈背理〉がある。藤沢氏のいう「主語・述語=実体・属性」の記述方式から由来する「相殺効果」があるゆえに、「アリストテレスの哲学の全般的性格についての最終的判断が困難となる事情」があると藤沢氏は指摘する。
 「運動の論理」に基づいた世界・自然の見方、つまり効率・能率を求める生き方は私たちの生存と行動に必要とされたものであり、「日常的思考と言語」の中に根をもっていたことはこの書物でたびたび語られてきた。藤沢氏の主張は、行為・行動においても、常識のもつ有効性・有益性というメリットを生かしつつ、しかものめり込むことなく抵抗と批判の態度を堅持しなければならないというものである。「運動の論理」にのめり込むことは、つまり「効率主義・能率主義を決定的な支配原理とすることは、われわれ自身の生と行為のあり方を根源的に物の運動へと変質させること」であり、「代償として魂を奪われ、われわれの生と行為が本来もつべきあらゆる内的な価値と充実を放棄すること」になり、常識のもつメリットも失われるだろうと藤沢氏は警告する。
 「近代化もしくは現代化の奔流によって、人間におけるあらゆる〈エネルゲイア〉的可能性がつぎつぎに圧殺されるいくのを許さないためには、そしてそれがもたらす数々の便宜・便益を人間にとってのほんとうの価値につなげるためには、われわれは、それを推進させている「運動の論理」の素性と本性を見据えることによって、活を求めなければならない」と藤沢氏は主張するのである。

 東日本大震災以降の生き方

 この『ギリシア哲学と現代』という書物の冒頭で、藤原氏はシュラクサイの野外劇場を訪れたときの思いを語っている。シケリア出身のエンペドクレスの著作、例えば『自然について』や『カタルモイ』は、前者が「叙事詩の韻律を用いて書かれた詩」で「自然学的な見方で世界を見ているのに対して」、後者は「宗教的な、あるいは人間の生の意味を問うような内容なので」長い間、近世以降の解釈家たちに問題を引き起こしてきたが、「世界・自然の理法のもとにおける人間存在の意味と、そのあるべき生き方ということ」と考えるならば、このように一体的に考えるのはエンペドクレスのみならず、「ソクラテス以前の哲学者」にはよく見られることであると藤沢氏はいう。
 エンペドクレスが書物に表したころには、すでに悲劇というジャンルが確立していた。先にも述べたようにホメロスの叙事詩から受け継がれた「文学」と見なされていたが、「文学」の主題には哲学的主題が表明されているので、これらをプラトンやアリストテレスがやがて確立する「哲学への動き」と考えることができるのではないかと藤沢氏は主張するのである。つまりソクラテス以前の哲学者たちの自然への考察と、ソクラテスやソフィストたちの人間の考察があり、両者を統合したのがプラトンやアリストテレスであったのではなく、「世界・自然と人間・人生」に関する一体的な仕方で追求されていたということである。換言するならプラトンやアリストテレスの確立した哲学には、自然科学的な思考と、文学的な主題が統合されているということであろう(今日、文学は哲学をのり越えた総合的なものとして確立すべきだと私は思うが)。しかしアリストテレスは自然学や形而上学と、倫理や政治の学の間に境界線を明確に引いたのであった。今日、私たちの通念となった図式はこの時生れたのである。(西洋がギリシア哲学を取り入れたのは多くはアリストテレス経由であったことを思い起こそう)。藤沢氏がこのことを問題にするには、自然科学的な知識、つまり世界・自然のあり方における〈知〉と、倫理・モラル、つまり人間の生き方・行為のあり方における〈知〉が分断されていることにおける現代的状況での問題が深刻になっているからである。むしろ両者の均衡が求められると藤沢氏はいう。
 「大気汚染」「水質汚濁」「地盤沈下」「大地汚染」「日照権の問題」などはエンペドクレスがうたいあげた「四元」が変質されつつあること示しているといえると藤沢氏はいい、そうした変質の中に生きる人間の行為・行動のあり方、人間の思想・経験・意識構造も汚染されつつあるのではないかと藤沢氏は危惧する。自然科学が価値観や人生の意味を関心の外に置きひたすら客観的なあり方に集中する(「没価値性」)によって成果を上げてきたと藤沢氏はいう。
 「世界・自然のあり方の探求と、人間の生き方・行為のあり方への探求とは、けっして別々のことではなく」、「切り離すことができない一体的なもの」であり、いつの時代でも根源的なものである。しかし「近世以降自然科学の高度の発達とそれを取り込む工業化社会・産業社会の強固な機構」が相まって、一方では多くの「便宜・便益をわれわれにもたらすとともに」、他方では「自然環境と人間自身の行き方を共にさまざまな仕方で変質または汚染するマイナスの波及効果を及ぼしつつある」と藤沢氏はいう。「世界・自然のあり方を認識する〈知〉と、人間の生き方や行為を導くべき〈知〉との非本来的な分裂」。「自然科学そのものがむしろ積極的に採用してきた方法」ではなかったのかと藤沢氏は主張する。
 人間の科学が原子爆弾を発明し原爆投下を行なったという消しがたい事実、原爆を廃絶しようとしながらも先進国と称する国々が廃棄できない現実がある。さらに平和利用と称して開発した危険な原子力発電所の開発がある。確率によって安全性を主張するが、ゼロでない限り起きれば百パーセントの的中である。古代の原子論からの長い歩みが辿り着いた地点である。今回の福島原発事故にひるむことなく科学の高度な技術をさらに開発することによってより安全性を高めようという主張もある。しかし藤沢氏は「自然科学の知見」が先述してきたような「部分的な認識であることを特質とするとすれば、工業化社会の機構もまたそれ自体としては、物質的な便益の量産ということに視野を限定して」「やはり部分的な認識の上に成立している」以上、安全性は保たれない。このことはしっかりと肝に銘ずるべきであろう。原子力発電も「近代科学の根本想定を軸として形づくられた世界観」をもとに開発されている以上、「必然的に、人間の他の局面における思わざるマイナスの波及効果を生み出すことは避けられない」と藤沢氏は指摘する。
 二つの異質な世界観、一つは現代の主役である自然科学と工業・産業機構の共通の根とみなされる「運動論理」的な世界観であり、もう一つは、この世界が内包するいくつかの難点を克服する条件に基づき考えられたプラトンのイデア論とアリストテレスのエネルゲイアの思想のなかに見られた世界観がある。それらを再生し現実化することに努めるほかないはありえないと藤沢氏はいう。地球と人類存続の危機に直面してそれらを回避すべき方途に、プラトンとアリストテレスの哲学は重要な示唆を与えるであろう。