ヒーメロス通信


詩のプライベートレーベル「以心社」・詩人小林稔の部屋にようこそ。

小林稔詩集『一瞬と永遠』(思潮社)刊行なる!

2018年10月28日 | 日日随想

小林稔詩集『一瞬と永遠』刊行なる!

発行日が2018年8月15日ですが、出版社の都合で一か月以上遅れて出来上がりました。

  空は透徹するほどに哀しみを呼びもどす

 

  私の身体にうごめく「少年」の躍動の痕跡を追い、

  私は言葉を発信する詩人であることを止めないだろう。

 

  夏の庭を裸足で足跡をつけていった少年を追い駆けなければならない。

  

  詩作五十年を経た詩人が渾身の想いで世に問う第九詩集 「帯文より」

 

 

 

目次 

榛の繁みで

一、死

二、空

三、闇

四、虚妄

五、摂理

 

タペストリー

 一~十

 

旅の序奏

 夏の魔物

 軛(くびき)

 返礼と祝福

 仏頭

防波堤

 一~二

茨を解きほぐしすでに行き過ぎし者よ

 一瞬と永遠

一、パリス、ノスタルジアの階梯

二、アルテミス、魂の分娩

痕跡を追うー若き闘士へ

阿修羅

夏の径庭

旅の序奏

青の思想

 

思潮社刊

定価2500円(消費税別)

 

主要書店でご購入できますが、直接著者から購入希望者には2000円(税込み、送料込み)でお分けします。ただし50部かぎりになります。

342-0056埼玉県吉川市平沼226-1小林稔まで連絡してください。

すでに読まれた方のご感想を順次紹介していきます。

★「仏頭」の終わり五行は特にいいですね。思考のない詩が多い中、このように思考と感性の調和に感心しました。

★「生きるとは一歩先の未知なる時間に向けた旅なのだ」「言葉によって詩人の魂は来るべき魂に読み継がれ生き永らえるだろう」著者の想いが述べられている意義深い作品集です。

★刹那と永遠はイコールだと、私もそう思っています。

★「たくさんの他者の声を救い出し」「現象は永遠のただなかしか存在しない」の具体的なイメージとして「痕跡を追う」のフギュアスケートの羽生選手とランボーの幻影を重ねられたのが印象深かったです。

★小林さんの詩は他者の侵入を受け入れないところがあるとずっと思っていました。難解と感じる私の理由づけでもあります。今回少し違っていました。冒頭の「榛の繁みで」の五つ作品の底流には「最期の旅支度を意識した死生観を読み取ったところです。

★特に「榛の繁みで」は詩の世界に入りやすく好きなフレーズがたくさんありました。小林さんの詩人としての覚悟もきちんと伝わってきました。「きっと彼らは雲のように移りゆくぼくの人生の客人と呼ぶべき人たちだ。」美しい表現です。

★<流麗な言葉の流れ 豊かな語彙の羅列 流暢な言葉がよどみなく連なり>学ばせていただくところの多い作品の数々でした。

★永遠の煌きを「少年」に見出す驚きや悩ましさを捉えようと張りつめる言葉の美しさ。日本人離れした感覚に酔いました。読んでいると時空が取り払われて行ったこともない地中海などの陽光や闇が感じられ、全く新しい読書体験です。

★言葉がとても力強く、渾身の詩集という感じがしました。小林さんの詩は言葉が時として難しくわかりにくい場合もあったのですが、こうして一冊のなると、ダイナミックな詩の思想があみえてきますね。私は「榛の繁みで」の一連の詩作に小林さんの率直で純粋な詩心が感じられて好きです。タペストリーの連作は「十」を読んで、なぜ小林さんがこの連作を書いたのかわかるような気がしました。「旅の序奏」では「返礼と祝福」仏頭」「茨を解きほぐしすでに行き過ぎたものよ」「青の思想」は心に響きました。特に最終連は小林さんの詩への決意が述べられているように思い感動しました。

★小林さんは嶮しい岩肌の壁、知の旅、書くことに向かってランプを灯し歩きつづけています。いく人の詩人が共に歩むことができるでしょうか、ほとんどの詩人は、のほほんと死に向かって行列をしているのですから。いつも私の頭脳に大いなる刺激を与えていただきありがとうございます。

★詩作半世紀を超えた詩人が、記憶の彼方から引き出したさまざまな一瞬の事象に、現在の視点から永遠性を付帯させるという詩法が印象的な詩集だ。記憶のなかにさまざまな形で生きつづけている「少年」を追い求めるというモチーフで書かれた詩篇は、この詩人の集大成ともいえるような完成度の高いものとなっている。(「現代詩手帖」)

 

 


井筒俊彦『神秘哲学』再読(十一)小林稔

2016年04月28日 | 日日随想

第六章 新しい世紀―個人的我の自覚―

 

ギリシア人の植民運動の波

前七世紀から六世紀に及ぶ二百年の間に、ギリシア抒情詩とそれに続く哲学思想が生まれた。「未曽有の動乱の時代、大変革の時代」と井筒氏が呼ぶ時代である。混乱や動揺、階級間の闘争、紛擾(ふんじょう)と引き換えに、ギリシア民族はこれらを試練として、「新しい精神」の誕生を成立させたのであった。危機を出産の苦痛に喩えれば、新しい命は「自由平等の精神」と「個性的、我の自覚」であったと言えよう。このギリシアの二百年は、「清新な自由のパトスと野心の情熱との灼熱時代であるとともに、暗澹たる壊滅と絶望の瘴癘(しょうれい)の気に充ちた時代であった。深い生の憂愁と、若々しい生の昂揚とが同じ時代の矛盾する両面をなして並存していた」と井筒氏はいう。矛盾多い現実に直面し世界の謎を解き明かす。「現実と衝突するところに個性は目覚める」のである。

この時代の精神史的特徴である「我」の自覚の成立は、「百花繚乱と咲き誇ったギリシア抒情詩」と、それに続く「哲学思想」と同じ基盤の上に築かれた項目(ターム)であった。

 それにしても『神秘哲学』を書き進める井筒氏の、気迫に充ちた叙事詩を想起させる言葉のエネルギーに驚かされる。日常語に堕した、吹けば飛ぶような現代詩人たちよ、また日和主義にどっぷり浸かった読者よ、ここに詩語の真髄のあることを心得よ。これほどまでに井筒氏が力説するのは、後に登場を控える、プラトン、アリストテレス、プロティノスといった人類史上、ついに超えられなかった二千年以上前の偉大な魂たちを育んだ伝統の礎の一つひとつを解析するためである。身体は滅びても永遠に生き続けるエクリチュールがここにある。

 なぜ植民地であったイオニアの沿海都市に新しい精神が誕生したのか。いかなる地域も「到底イオニアに比肩すべき土地はない」(ヘロドトス『歴史』)という恵まれた自然環境がある。また「イオニア種族は、数あるギリシア種族のうち最も繊細優美な感受性と、自由独立を追求してやまぬ進攻的気稟をもって生まれた人々であった」からだと井筒氏はいう。

 ここで、イオニア種族を含む本土のギリシア人たち植民運動を開始した、紀元前十二世紀からの歴史を、井筒氏の記述から紐解いてみよう。

 第一波。ドーリア人のテッサリア、ボオイオティア侵入を機に,アイオリス人がテッサリアを発ち、小アジア(イオニア地方)北西沿岸に定着を始める。

 第二波。ドーリア人のペロポネソス定住を機に、第一波のときより種々雑多な移民群が小アジアに移り、アイオリス人の南方に遷移したもの。ホメロスを生み、ギリシア哲学を創始するイオニア種族もその一つであった。

 第三波。ドーリア人自身の植民活動。赤アイア人を海外に放逐してペロポネソスに定住したが、自ら半島を出て、クレタ島、ロードス島に入り、さらに小アジアにに到来し、イオニア地帯に六つの都市国家を建設した。

 これらギリシア諸民族は同胞意識から、普遍的ギリシア民族意識に成長していく。このような第二の祖国建設には、先住アジア諸民族との激しい闘争があった。また彼らが獲得した都市国家は離れ離れに点在し、周囲を異国人と異文化に囲まれていた。このような生活環境  から、普遍的自由の宗教がそこに生まれ、積極的行動欲が生まれ、小アジアの植民地のイオニア人によって、ホメロスの二大叙事詩が形成され、ギリシア本土にまで波及する。

 

僭主と詩人と哲学者

ホメロスの叙事詩は国民的宗教となったころ、すでにイオニアではそれを糾弾する気運が起こっていた。その新精神とは、個性的「我」の自覚と反省的現実批判であり、独裁僭主政治と、その芸術的表現である抒情詩、その思想的領域の結晶であるイオニア自然学である。井筒氏は、無数の僭主と詩人と哲学者を、同一の精神を根幹とする三種の異花と呼ぶ。

 しかし、この新しい精神の背景には重大な経済的事情があったという。元来、移住した者たちはこ国の生活様式をそのままに、一人の「王」を戴く農業経済形態を取っていた。ほどなく国家統制の実権は参議会を置く少数貴族が掌握していた。王制というのは名ばかりで実際は貴族政治と呼ぶべきものであった。その経済的基盤は地主の土地所有を基盤とする農業であったという。人口増加とアジア民族の諸国が、ギリシア人の行く手を阻み、海路を求めて農業を棄て海上商業に向った。再びギリシア人の移住が、地中海から黒海に向けて新植民地を建設した。海上貿易が栄え、隣国リュディアから金貨鋳造の術を学び、物々交換から貨幣経済に進んで、ギリシア植民地の商業は飛躍を遂げたのである。紀元前七世紀にイオニアはアジアとヨーロッパを結ぶ関門になり東西交通の要衝になったという。イオニア十二都市国家の首位のミレトスに自然学が起こったのは、紀元前六世紀の生の奔騰(ほんとう)の只中においてであった。タレス、アナクシマンドロス、アナクシメネスのミレトス学派の哲学思想は、生命躍動の溢れ出る激流のさなかから生まれ出たものであったという。

哲学者の時代的先輩である抒情詩人たちが動乱の中から生まれ、真理と自由のために闘う熱血の投資であるのと等しく、ソクラテス以前の哲学者の多くは情熱的実践家であったと井筒氏はいう。タレスは政治家、アナクシマンドロスは植民地の団長、ピュタゴラスは社会革命家、クセノファネスは職業的吟遊詩人、パルメニデスは為政者にして立法家、ゼノンは僭主政治に対抗する情熱的政治闘士、メリッソスは海軍提督、エンペドクレスは詩人神秘家にして民衆扇動家、医者、政治家などであった。

 

新興ブルジョア階級の出現と僭主政治の抬頭

商業の発展に伴って、世界の富はギリシア世界に集中し、イオニアの植民地はギリシア人に幸福をほどこしたかと思いきや、実際はその逆であった。地主貴族の領土制度の崩壊があり、あらゆるものが壊滅する。社会に動揺が起こり、国民生活は動揺し、混乱した。政治、文化面でも新旧両勢力に衝突が生じ、伝統の支柱を失った人々は私利を求め、自己を主張する。このような社会動乱のさなか、それは新興ブルジョア階級が出現する。それは新しい貴族階級の成立であり、彼らは政治的野心を持ち、政権を掌握しようとした。新興ブルジョア階級の政治的野心は、政権争奪の激しい闘争を招き、人々の経済格差は深まり、不安擾乱はギリシア全土に波及する、このように人々を絶望的状況に陥れたが、下層民衆の政治意識を向上させる結果を招き、政治的社会的自覚を促した。彼らは旧貴族と新貴族両階級に拮抗し、これらと政権を争おうとする新政治勢力にさえなった。このような動乱時代に独裁僭主が頻出する。富裕貴族から逃れられない下層階級の不満を取り込んで台頭してきたものである、

一般には、僭主は非合法という手段で君主になった者をいうが、古代ギリシアでは旧貴族をを抑え、民衆を味方につけた独裁者を意味する存在者である。門地によらず、門閥によらず、実力のみによって一国の政権を勝ち得た人物であり、己が才腕を唯一の頼りとして万人仰望の的である栄華の位に昇り着いた政治的天才であると井筒氏はいう。実力がすべてであるという考えが人々の政治的野心を刺激し、個人の自覚をはなはだしく促進したと主張する。独裁僭主の台頭は紀元前七世紀から六世紀に亘る二百年、全ギリシアに通じる普遍的現象であり、彼らの歴史を華やかなロマネスク彩るものであった。ギリシア人は初期の僭主時代を「クロノスの治政」と呼び、紀元前六世紀の「七賢人」に、詩人、哲人、立法化と並んで、僭主ペリアンドロスやピッタコスが挙げられているという。

 普遍性への憧憬

「我の自覚」によって個人主義の精神が確立し僭主の出現を起こしたのであったが、それによって民衆も急速に個性的我の自覚と自主的批判精神に導かれ、成文法の要求となって具体化したと井筒氏は指摘する。従来の貴族政治においては、裁判は少数貴族が司るものであり、判決は成文法に拠ることなく伝承に基づく慣習法と自己の個人的判断に従っていたが、新たに到来した「我の自覚」時代にはこのような恣意的法組織は受け入れられず、平等な法を人々は求めた。支配者も被支配者も、裕福な者も貧しい者も、同じ権利を保証し、同じ義務を課する、万人のための成文法を人々は求めた。ギリシア民族が正義(ディケー)に基づく新社会秩序に向って一大飛躍を敢行しつつあったことを物語っているのだという。強制的恣意的法なるテミスから普遍的理性的ディケーへの移行である。

 ギリシア民族精神の根本的特徴に「普遍性への憧憬」がある。混沌から秩序へ、暗黒から光明へ、非合理から理性へ、よりイデア的なものに向かう優れたギリシア的理念。二十一世紀の私たち詩人や哲学者を未来の空間に強烈に誘う、詩や哲学や政治の源泉から発する光。普遍的ディケーに拠る社会生活確立は、ギリシア的永遠の理念の政治領域における輝かしい成果であると井筒氏はいう。「ポリス」という社会形態になって現実化したとき、いかに熾烈な情熱を人々に呼び起こし、深刻な印象を与えたかは、抒情詩人たちや哲学者たちに思想的刻印を記したかを後世の私たちは類推できるという。

 西洋民主政治思想の遠い源泉である、ギリシアの法的国家、「ポリス」を成立させたものこそが、動乱の中で生まれた個性的我の自覚と、自覚した我の批判精神に他ならないことを忘れてはならないと井筒氏は主張する。絶望と苦悩の中、理想を掲げ立ち向かう高貴で強靭な精神力を私たちは心から讃美すべきだという。

 井筒氏のギリシア精神への熱き心酔に鼓舞されつつ、私はかつてギリシアの島々とトルコの西岸のトロイやエフェソスなどを巡った、若い時代の放浪の旅を思い起こす。イスラムとキリスト教の不穏な翳をそこここに感知しながら、想いを遠くに追いやり、空の青と海の青に染まりながら、詩や哲学を誕生させた古代ギリシアの風土から肌で感じ入ったものは、その後の私をプラトン哲学の泉へと導いて行った。

 この井筒氏の『神秘哲学』は次章で、「客観的現実と主観的我の相克」からいかに抒情詩が創作されるかを解き明かしている。「黎明の聖光を浴びて立つこのギリシア的知性が、純主観的側面に於いていかなる現実批判を行なうか」に焦点をあて、次のディオニュソスという神といかなる関係を持つかという興味深い問題に進んで行くだろう。

 

copyright2016以心社

 


小林稔・新連載評論「ランボーからデリダへ(一)言語にとって詩とは何か」 

2016年01月31日 | 日日随想

ランボーからデリダへ

 小林稔

 

   一 言語にとって詩とは何か

 

 この、おそらくあるタイトルの副題になるであろう「ランボーからデリダへ」という言葉は、あるとき直観した言葉であったが、全く根拠のない感慨ではなく、「言語にとっての他者」というエクリチュールの欲望としてこれからの長い彷徨を示唆する、いわば私にとって啓示のようなものであった。この論考はさらに細部への考察に促され明証化するための始まりの一歩なのである。

 

私にとって評論は目的ではなく、書きつつ明けてくる地平のようなものであり、地平は絶えず先へ先へと後退するであろうが、そのプロセスにおける経験こそが最重要視されるべきものなのだ。そのプロセスで知(エピステメー)に関わるものをその都度、解明しつづけることが評論(エセー)の行為であり、その意志の言語表現の作品化が詩作と呼ばれるものである。

 

 日々の日常生活を送る反復の中で、頭脳を過る思念を書き留めておこうとすることは必要事と思われた。未明、心躍らせて見知らぬ街に歩みを進めようとするときのように、昨日の疲労を睡眠によって解き放たれ、生まれたばかりの幼児の頭脳に自然に湧き上る想念に誘われるように、少しずつ明けて行く世界を実感しながら、さらに一日の歩みを進めて行くのである。

 

 ボードレールの散文詩集『パリの憂鬱』の冒頭の詩に「異国の人」(異邦人)という詩がある。二人の対話で構成されている。二人とも詩人自身であろう。一人(聞き手)がĽétranger(見知らぬ人)に向けて、「一番愛すものは何か」を訊く。父母、兄弟姉妹、友人、祖国、美、金などを挙げて尋ねるが、すべて否定される。この謎の男、ひと並外れたこの異邦人に対して、「それでは君は一体何を愛するのか」という問いに、男は「流れ行く雲」と答え、空を指さして「あのすばらしい雲だ!」という。

 詩人ボードレールを神と称えたランボーにとって、詩は「生の変革」であった。詩を生の変革と捉える詩人は、詩を書く時だけが詩人なのではなく、人生のすべての時間を詩人として生きることになる。行く川の流れのように、あるいは流れ行く雲のように、世界に対峙する詩人の脳髄に想念が過ぎ去って行く。日々湧き上る思念は通過し、再び訪れることはない。「行く川の流れは絶えずしてもとの水にあらず」と鴨長明が著した「方丈記」の一節のように。流れる雲、流れる水のように詩人の精神もまた刻一刻と生成する。そのプロセスにおいて言語化し作品にしたものが詩なのである。これが詩人の日常と言えるものだ。詩は単なる「私」の想いをこえて言葉の他者性から発する声である。

 

 プラトン哲学の内部にはらむ脱構築性を指摘するデリダは、言葉の根源にまで探索の手をゆるめない。プラトンから継承され発展してきた形而上学を検証、解体する。さらに我々が拠り所とするエクリチュールの実態を暴いて見せる。パロールにおける原エクリチュールや〈法〉やDNAに読み取られる暗号にまでエクリチュールの暴力を考察する。言葉にとっての「全き他者」というアポリアの経験によって全てにおいて解体し、西洋思想を揺るがし脱構築しようとする試みなのである。詳しくは彼の書物を深く読むことで実証していくが、私の究極的な狙いはポエジーにある。文学全般ではなく詩の特異性を定義したいのである。この論考が、副題となるタイトル「ランボーからデリダへ」とあるように、「言語にとって詩とは何か」をデリダに示唆されながら、できるところまで追求していきたいと考える。私はかつて「デリダ論序説」(『来るべき詩学のために(一)』に収録)で記したように、西洋思想の終焉を東洋思想、特に仏教思想に繋げるという目的を持つ。したがって西洋思想の解体はしっかり見とどけなければならない。「一切の言説は仮名にして実はなく、ただ妄念あるのみ」(大乗起信論)とし、西洋哲学を即否定するわけにはいかない。私たちの西洋化された現実世界から逃避し、過去の世界に没入することは不可能であるし、意味がないことである。デリダの哲学は矛盾を怖れず甘受し、その上での肯定的決断を提示するものである。

 

 ランボーは私にとって四十年以上の経験を持つ存在があるが、デリダは十年に満たない存在である。膨大な量の著作物を検証しつつ、その過程に置いて感受できる事柄を書いていきたい。したがって、この論考はまずデリダからランボーへと辿ることになるだろう。現在の心情を日記のように書き込んで、見えない読み手=他者の目にさらすツールとしてブログを活用することは何らかの意味を付与してくれるかもしれない。少なくとも書くモチベーションを作り出してくれることは疑いのないことである。新しい旅立ちに祝盃を!


小林稔著作集一覧・ブログから注文できます。

2016年01月03日 | 日日随想

小林稔全著作集一覧

第1詩集 『燃える手袋及び葡萄の軌跡』 昭和47年5月27日発行 私家版 (在庫なし)

第2詩集 『オレンジを跨ぐ少年騎士』 昭和47年7月15日発行 私家版 定価800円 (在庫あり)

第3詩集 『白蛇』 平成10年11月1日発行 以心社(旧・天使舎) 定価2200円 
                         ISBN978-4-9906200-1-1C0092
(在庫あり)

第4詩集 『夏の氾濫』 1999年6月30日 以心社(旧・天使舎) 定価1800円
                         ISBN978-4-9906200-2-8C0092
(在庫あり)

第5詩集 『砂漠のカナリア』 2001年12月1日 以心社(旧・天使舎) 定価2000円 
                         ISBN978-4-9906200-3-5C0092
(在庫あり)

第6詩集 『蛇行するセーヌ』 2003年12月31日 以心社(旧・天使舎) 定価2800円 
                         ISBN978-4-9906200-4-2C0092
(在庫あり)

第7詩集 『砂の襞』 思潮社 2008年9月25日 定価2500円 (思潮社、または以心社からお求めになれます)
                         ISBN978-4-7837-3084-2C0092


第8詩集 『遠い岬』 以心社 2011年10月20日 定価2000円  ISBN978-4-9906200-0-4C0092 (在庫あり)

 

評論集『来るべき詩学のために(一)』以心社 2014年9月25日 定価2000円 ISBN978-4-9906200-6-6C0092

(在庫あり)

評論集『来るべき詩学のために(二)』以心社 2015年9月10日 定価3500円 ISBN978-4-9906200-7-3-C0092

 

上記の在庫のある詩集はすべて以心社で求められます。webサイトで紹介されていますが入手できませんと記入されています。現在、以心社にて直販いたします。メール、tensisha@alpha.ocn.ne.jp からお申し込みができます。送料無料でお引き受けします。また書店でもISBNの番号と詩集名を伝えご請求できます。


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第1詩集 『燃える手袋及び葡萄の軌跡』 昭和47年5月27日発行 私家版 (在庫なし)

第2詩集 『オレンジを跨ぐ少年騎士』 昭和47年7月15日発行 私家版 定価800円 (在庫あり)

第3詩集 『白蛇』 平成10年11月1日発行 以心社(旧・天使舎) 定価2200円 
                         ISBN978-4-9906200-1-1C0092
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第4詩集 『夏の氾濫』 1999年6月30日 以心社(旧・天使舎) 定価1800円
                         ISBN978-4-9906200-2-8C0092
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第5詩集 『砂漠のカナリア』 2001年12月1日 以心社(旧・天使舎) 定価2000円 
                         ISBN978-4-9906200-3-5C0092
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第6詩集 『蛇行するセーヌ』 2003年12月31日 以心社(旧・天使舎) 定価2800円 
                         ISBN978-4-9906200-4-2C0092
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第7詩集 『砂の襞』 思潮社 2008年9月25日 定価2500円 (思潮社、または以心社からお求めになれます)
                         ISBN978-4-7837-3084-2C0092


第8詩集 『遠い岬』 以心社 2011年10月20日 定価2000円  ISBN978-4-9906200-0-4C0092 (在庫あり)

 

評論集『来るべき詩学のために(一)』以心社 2014年9月25日 定価2000円 ISBN978-4-9906200-6-6C0092

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評論集『来るべき詩学のために(二)』以心社 2015年9月10日 定価3500円 ISBN978-4-9906200-7-3-C0092

 

上記の在庫のある詩集はすべて以心社で求められます。webサイトで紹介されていますが入手できませんと記入されています。現在、以心社にて直販いたします。メール、tensisha@alpha.ocn.ne.jp からお申し込みができます。送料無料でお引き受けします。また書店でもISBNの番号と詩集名を伝えご請求できます。