ヒーメロス通信


詩のプライベートレーベル「以心社」・詩人小林稔の部屋にようこそ。

カテドラルへの道/小林稔詩集「砂漠のカナリア」より

2016年07月17日 | 小林稔第5詩集『砂漠のカナリア』

砂漠のカナリア 第一章「カテドラルへの道」部分
小林稔


 海からの陽光と潮風が飛び込んでくるランブラス大通りは、コロンブスの記念碑から真っすぐに伸びている。通りの右手の道の一つに入ると、ふぞろいに並んで建物がその両側にある、カーブを描いている石畳の道があった。広い通りに出たかと思うと、またその先に細い道が続いている。その道にも左右に枝分かれした細い道が走っている。歩いていくうちにカテドラルにそびえる塔が建物の上部に見え隠れする。さらに歩くと、通りの前面にカテドラルの壁が立ちふさがる。到着して三日目だというのに、すでに私は懐かしさに駆られている。このゴシック地区の建物の二階にある安宿に、私は昨日から移り住んでいた。目の縁が黒ずんだ、宿の女主人が出て来て、アビタシオン、と子供みたいに叫ぶ私に笑みを浮かべながら、部屋に私を案内した。ドアに料金表が貼り付けてあったが、私が支払った宿代と違っている。シャワーを浴びようと別に料金を渡してシャワー室で衣服を脱ぎ、蛇口をひねった。いつまで待っても流れているのは水だ。騙されたと思った途端、女主人の頓狂な顔が浮かび怒りを覚えたが胸に収めた。
 石畳を踏みしめ、建物の一つ一つの窓を見上げながら歩いた。ランブラス大通りという幹から伸びた枝分かれした道を辿っていくと、路地の両側に立つ建物の窓から道を越えてロープが張られ、色とりどりの洗濯物が万国旗のように吊ってあった。その一角にピカソ美術館があった。十代のころに描いたという古典主義的手法の絵は、彼の破壊的な形状の絵に見慣れていた私には一種の驚きだったが、「狂人」と名づけられた小さな線画の前でしばらく立ちつくした。牧神のような風貌、毛髪の一本一本、宙に浮いた両手の指の先まで神経が張りつめ、正面から私を見つめている。どことなく精神が解放された心地になって、美術館を背にカテドラルのある道を目指して歩みを進めていくと、視界を白いものが過ったように思った。振り返った時、同じように振り向き立ち止まる青年がいた。彼の視線からそらすことが出来ずに見つめ、しばらく沈黙の時間が流れた。なんという優しい眼差しなのだろう。鏡に映る自分を不意に覗いてしまった時の、胸を刺すような痛みと驚きとためらいが私にあった。彼には旅行者に見えない落ち着きがあり、この街にすっかり慣れ親しんでいる住人のようだ。小さいショルダーバックを左肩にかけ、幼い顔だちをしているが大人びた表情も時折見せ、私と同じ年齢と思われる細身の日本の青年であった。彼と私は見えない糸に操られるように、ほぼ同時に頭を下げた。カタルーニャ広場前のカフェに入った。会話が自然に運ばれたが、ここでは日本語を話すことに事欠かないくらい日本人が似よく会うんだ、という皮肉を忘れない。彼が昔からの友人のように感じられて仕方がなかった。会いたいと思うときに連絡が取れないというただ一つのことを除いては。旅の道が私の脳裡に横たわっていて、それ故に名前も住んでいる場所も聞くことをしなかった。私より二歳年下のおっとりとした物腰の留学生であることが分かった。先生からイギリス旅行に誘われているが費用がなくて行かれないんだと、と彼は寂しげに言った。私の止まっている宿に行こうという話になり、店を出て二人して石畳の道を歩く。どっしりと構えたカテドラルが曲がりくねった道の建物の向こうに見える。左手の小道を辿り宿の前に来た。階段を上って部屋に入った。閉じた鎧戸の隙間から縞模様の光が寝台に落ちていた。私は寝台に座り、青年は洗面台の前の椅子に座った。闇に慣れた私の視線は、かすかに浮かび上がる彼の唇と瞳と眉の消えていく辺り、闇に被われている耳のくぼみに向けられた。少年時代の彼の幻影が私の脳裡に立ち上がっては闇に投げ出され、再び眼前に現われたように思われた。


 あたりの静けさの中で、毀れた窓ガラスのかわりに張ってあった、黄色く褪せた古新聞がかすかな神秘的な音を立て ていた。「なんて微妙なんだろう」とわたしは思った。(略)いったい、誰がー―あるいはなにがーーこの貧しい部 屋の中で、このようにひそかに自己の存在を告げているのだろう?(略)「あれはスペインの新聞だ」と、わたしは さらに思うのだった、「わからないのは当たり前だ」ジャン・ジュネ「泥棒日記」朝吹三吉訳


 一九三二年、二十歳であったジュネはバルセローナのランブラス通りを横に入ったところの支那街巣食っている乞食集団の中にいた。そこでスティリターノという男に出会った。セルビア人の脱走兵であった彼の片方の腕は手首から下は切断され、なかった。ジュネはサルバドールという男との暮らしを捨て、スティリターノのもとに走った。背が高く、逞しい体格の、淫売婦たちを美貌で引きつけていたこの若者に誘われて彼の安宿に転がり込み、彼の窃盗行為の片棒を担ぐことになる。男色家相手に稼ぐこともあるが、スティリターノは彼らを軽蔑していた。彼は綿をつめた作り物の葡萄の房をズボンの内側にピンで留め、男色家たちの気を引いていたのだが、部屋に帰った彼のそれを外すのが右腕となったジュネの役割であった。ある日、その房を両手に入れ頬擦りをした。それを見たスティリターノはジュネを足で蹴り、拳で殴った。いく日かして、明け方近くに彼が帰ってくるのを待っていた時、古新聞のかすかな音が彼を不安にした。


 わたしは異郷にある思いをひしひしと感じ、そして神経の昂ぶりが、わたしを、――ほかに適当な言葉がないため――わたしが詩と呼ぶものに浸透されやすい状態にするのだった。(同前)


 私は明日にもここを去り、スペインの他の街を彷徨うだろう。旅の意義はどこにあるのか。雲のようにさすらうだけではないか。彼のいなくなった部屋で一人、胸の空隙を埋められずにいた。もう陽は落ちてしまったようだ。光の射し込まなくなった部屋を濃い闇が満たしている。壁に架かった絵のマリアの頬を伝う、血のような紅い涙も今は闇に消えて見えない。



「グラナダの夕日」後編 小林稔詩集『砂漠のカナリア』より

2016年01月06日 | 小林稔第5詩集『砂漠のカナリア』

小林稔五詩集『砂漠のカナリア』(旧天使舎)以心社2001年12月刊
第三章「アンダルシアの岸辺」

一、グラナダの夕日(続)



 実弟イスマイルの襲撃を遁れたマホメッド五世は、アンダルシアの岸辺の町に身をひそめ、
そこからアフリカのフェスの宮廷に亡命したという。イスマイルは姉の夫に暗殺され、マホメ
ッド五世がグラナダ奪還を果したのは、二十五歳のときであった。憎しみも友愛も権力も歳月
の流れに消え失せるだろうが、王の厭世が創りえた心の庭は、訪れる者に感銘を与えずにはお
かない。私たちは美の片鱗を覗き、美のヴェールを引き剥がしたならば、たちまちに血で塗ら
れた光景が見えるだろう。かつて水盤には、反逆者の生首が置かれ紅い血が噴き上げられてい
た、と後世に伝えられている。


 掘割を伝い流れ水が廻廊に立つ私の足許まで寄せている。こちらのアーチの作る闇が、中庭
の水盤に注がれる光の世界を斬っている。流れ出る水の音がいっそう静寂を誘い込んでいるよ
うであった。闇の向こうの窓からはアルバイシン地区の眩いばかりに陽光を浴びた白壁の家々
と、ジプシーの住むサクロモンテの丘が広がっていた。



    アルハンブラ狂詩 二
  
  
  現世を断った王の胸の入江に、イスラムの終焉と血縁への怨念が立

  てる流氷の軋む音を王は聞いたであろう。虫唾が走るような冷血の庭

  で、王は世界を裁いたのであろうか。だが、なんと平安で優しさに充

  ちた水の低きから低きへ流れる必然よ。廻廊の闇に身を隠して庭に視

  線を投げると光が滝のように雪崩れ込んだ。

  大理石の列柱に身体を囚われ、頬を柱にf触れ、私を窺う君。

  衣服のほころびから私が旅人であることを知る。旅への想いが芽生え

  始めたのだろうか。柱に凭れて親しい眼差しで私を見る。

  水盤から噴き上げる水が落ち、ライオンの石像の口から吐き出され、

  四方に走る直線状の掘割を伝い流れている。水路に沿い庭の中央に歩

  み寄る君と私。ためらい、はじらい、喜び、引き寄せられ、触れる背

  と背。左手は後ろ手に右手、右手は左手、指と指の間に指が絡め捕ら

  れ、躯の向きを変えて、腕と腕が互いの背を押さえると、君の頬が薄

  紅色に染まった。顎を上げ私を見つめる君の唇を、私が奪ったつかの

  間に、君は輪郭を淡くして私の躯に重なり消えた


「グラナダの夕日」前篇 小林稔詩集『砂漠のカナリア』より掲載

2015年12月22日 | 小林稔第5詩集『砂漠のカナリア』

「アンダルシアの岸辺」詩集『砂漠のカナリア』(旧天使舎)以心社2001年12月刊行より。
小林稔


第三章 アンダルシアの岸辺(前編)

 一 グラナダの夕日
 坂道を昇っていくと白い土塀の続く道がある。その道を横断する狭い道をさらに昇り、荷を積んだ驢馬の綱を引く老人とすれ違う。深い皺を顔に刻んだ小柄な男であった。
 土塀の落とす細長い影が背を丸めて寝入った犬を包み込んでいる。今度は厚化粧をした女とすれ違った。私は、かつてのアラブ人の居住地区アルバイシンの路地を、窓を飾る白い円柱の美しさに魅せられ歩いていたのである。もうサクロモンテの丘に来てしまったのだろうか、と見上げると、ジプシーが住んでいたという洞穴がいくつも見えた。すると若い男が、どこからか私を待ち伏せていたように姿を現わし、立ちはだかった。フラメンコを見ないか、と思い首を横に振った。私はこれ以上、丘を昇り続ける気がそがれ、来た道を避け別の道を辿って降りていった。
 視線をもう一方の丘に注ぐと、アルハンブラ宮殿が夕日に映えて浮かび上がっている。先ほど宮殿を訪れたのだが、そこで過ごした夢のような時間をゆっくりと反芻しながら、その時と同様の足どりで私は歩いた。

 樹木の枝が張り出し伸びた、宮殿の裏手の傾斜した道を昇っている。神社の参道を思わせる道である。裁きの門と呼ばれる宮殿の入り口を抜けいくつかの暗い部屋を過ぎ、真っ先に視界に飛び込んできた光景。それは真昼時の、眩い光に照りつけられた青いプール、中庭いっぱいにしつらえた矩形の人工池であり、白いアーチと蒼穹にそびえ立つ塔がその下の水面にさかしまに相似な姿を映している光景、コマレス宮と銘打たれ、刺殺され自らの宮殿で息を引きとったグラナダ王、ユーフス一世の宮殿であった。池のこちらの岸から対岸に視線を投げると、対岸からこちらに返される視線の気配がある。ここは天人花、すなわちアラヤーネスと呼ばれる中庭なのだ。何と近しい空間だろうか。砂漠から砂漠を彷徨い、ついに見出した泉の表象である。亡くした友に再会したような懐かしさを覚え、歩みを進めるたびに内省的になっていく私を知る。日本を離れ、スカンジナビア半島から南下してすでに三ヶ月が過ぎていた。旅が日常になり、人生の一部である自覚を持ち始めたころであった。ヨーロッパの放射状の美とは異質な、閉じられた空間の美であり、水と光が大切な構成要素になっていると思った。このシンメトリーの構図は、見る者は見られる者という鏡の世界に迷い込んだような気持ちを起こさせる。足許に湧き出る泉、静かにあふれ出る泉は、地下からこぼれ出てくるかのように設計されている。泉は池に注がれ、満々と水を湛えた池があり、かすかな水の音でさえ訪れる人の耳に伝える静寂がある。彼方からの呼びかけがあり、その彼方に神がいる。その見知らざる者への加担を続けながら生きていこうとする、その距離を充たすもの、それが沈黙ではないだろうか。水の流れる音だけがここを通り過ぎて行く。沈黙を続ける精神の内部には、あふれるまでにとどめた心がある。アラビア人の美意識が、旅をする私に訴えてくるのは、距離の感覚に旅の概念が織り込まれているからではないだろうか、と思った。

      アルハンブラ狂詩 一

    池の対岸には、左に右に行き交う人々の群れに阻まれて立ちすくす少年の
    姿があった。少年の眼差しは人々の背に遮られ、私の眼差しも遮られて探
    しあぐね、ついに私の眼差しに真っ直ぐにとどいた。私の心の闇に日が射
    して、弦楽が奏でられた。私を見つめる少年の面(おもて)は、太陽の光
    線に輝き、喜びに満ち、限りなく優しい眼差しを私に贈っている。胸に満
    ちる潮は心の琴線を弾き、曳いて行く潮は惜別の思いに裂かれ、別々の歳
    月を歩んでいた二つの道がここに出逢った。
    アラーヤネスの庭の水が、空を奪い底深く沈めて、二人の影を逆しまに捉
    えた。それぞれの足許に湧き立つ水が、掘割を伝い池に注ぎ込む。時に絡
    め取られ、生きることは悲惨であった。君に逢えないことは悲惨でさえあ
    った。もう離れることはない。私は君で、君は私なのだ。


少年の私は無知であった。雨に打たれ、全身ずぶぬれで、泥だらけの道を
転げ廻り、犬のように歓喜の声を上げた。一番高い木に登り大声で歌った。
少年の私は孤独であった。心の絆を結ぶことに不器用で、太陽を掌中に収
めるほどに困難であるとは知らずに、友情を恋と取り違え胸を焦がした。
私は絶望した。時が、私を青春の岸辺に打ち上げた。それは少年時への永
訣であった。切断された片足を見つけるように、少年の裸形を追い求めた。
橋から橋を渡り、路地から路地を彷徨った。
いま想いは遠くへと誘われ、水の音に眼差しを奪われ、衣服を脱ぎ棄てる
ように、我を喪失していく。すると、私の眼差しは対岸から私に還された。
私は見つけた、私の少年を。放浪に身をやつした青春の一時期を顧みれば、
このコマレス宮で見出した少年の幻影こそ、私自身であり、この世に生を
授かる前に私の魂が見た美の似姿であった。


 私は少年をひきつれ、通路で結ぶライオンの宮に歩みを移して行った。
 
 父ユーフス一世の遺産を継ぎ、十七歳で即位したマホメット五世、彼の建築したライオンの宮に足を踏み入れると、ただならぬ気配を感じた。

 大理石の列柱から中庭に視線を転じれば、十二頭のライオンの石像の背が支える水盤があり、そこから昇る水のゆるやかな動きに陽光があふれている。水盤に視線を据え、距離を保ちながらゆっくりと廻廊を廻った。重なり合う大理石の林から、一人の少年が垣間見えたが、列柱の隙間に消えた。歩みを止めることなく進んで行く。すると柱の向こうに少年が再び現われ私に視線を投げた、と思うつかの間、林の後ろには深い闇があった。


「カテドラルへの道」小林稔詩集『砂漠のカナリア』より

2015年12月15日 | 小林稔第5詩集『砂漠のカナリア』

砂漠のカナリア 第一章「カテドラルへの道」部分
小林稔


 海からの陽光と潮風が飛び込んでくるランブラス大通りは、コロンブスの記念碑から真っすぐに伸びている。通りの右手の道の一つに入ると、ふぞろいに並んで建物がその両側にある、カーブを描いている石畳の道があった。広い通りに出たかと思うと、またその先に細い道が続いている。その道にも左右に枝分かれした細い道が走っている。歩いていくうちにカテドラルにそびえる塔が建物の上部に見え隠れする。さらに歩くと、通りの前面にカテドラルの壁が立ちふさがる。到着して三日目だというのに、すでに私は懐かしさに駆られている。このゴシック地区の建物の二階にある安宿に、私は昨日から移り住んでいた。目の縁が黒ずんだ、宿の女主人が出て来て、アビタシオン、と子供みたいに叫ぶ私に笑みを浮かべながら、部屋に私を案内した。ドアに料金表が貼り付けてあったが、私が支払った宿代と違っている。シャワーを浴びようと別に料金を渡してシャワー室で衣服を脱ぎ、蛇口をひねった。いつまで待っても流れているのは水だ。騙されたと思った途端、女主人の頓狂な顔が浮かび怒りを覚えたが胸に収めた。
 石畳を踏みしめ、建物の一つ一つの窓を見上げながら歩いた。ランブラス大通りという幹から伸びた枝分かれした道を辿っていくと、路地の両側に立つ建物の窓から道を越えてロープが張られ、色とりどりの洗濯物が万国旗のように吊ってあった。その一角にピカソ美術館があった。十代のころに描いたという古典主義的手法の絵は、彼の破壊的な形状の絵に見慣れていた私には一種の驚きだったが、「狂人」と名づけられた小さな線画の前でしばらく立ちつくした。牧神のような風貌、毛髪の一本一本、宙に浮いた両手の指の先まで神経が張りつめ、正面から私を見つめている。どことなく精神が解放された心地になって、美術館を背にカテドラルのある道を目指して歩みを進めていくと、視界を白いものが過ったように思った。振り返った時、同じように振り向き立ち止まる青年がいた。彼の視線からそらすことが出来ずに見つめ、しばらく沈黙の時間が流れた。なんという優しい眼差しなのだろう。鏡に映る自分を不意に覗いてしまった時の、胸を刺すような痛みと驚きとためらいが私にあった。彼には旅行者に見えない落ち着きがあり、この街にすっかり慣れ親しんでいる住人のようだ。小さいショルダーバックを左肩にかけ、幼い顔だちをしているが大人びた表情も時折見せ、私と同じ年齢と思われる細身の日本の青年であった。彼と私は見えない糸に操られるように、ほぼ同時に頭を下げた。カタルーニャ広場前のカフェに入った。会話が自然に運ばれたが、ここでは日本語を話すことに事欠かないくらい日本人が似よく会うんだ、という皮肉を忘れない。彼が昔からの友人のように感じられて仕方がなかった。会いたいと思うときに連絡が取れないというただ一つのことを除いては。旅の道が私の脳裡に横たわっていて、それ故に名前も住んでいる場所も聞くことをしなかった。私より二歳年下のおっとりとした物腰の留学生であることが分かった。先生からイギリス旅行に誘われているが費用がなくて行かれないんだと、と彼は寂しげに言った。私の止まっている宿に行こうという話になり、店を出て二人して石畳の道を歩く。どっしりと構えたカテドラルが曲がりくねった道の建物の向こうに見える。左手の小道を辿り宿の前に来た。階段を上って部屋に入った。閉じた鎧戸の隙間から縞模様の光が寝台に落ちていた。私は寝台に座り、青年は洗面台の前の椅子に座った。闇に慣れた私の視線は、かすかに浮かび上がる彼の唇と瞳と眉の消えていく辺り、闇に被われている耳のくぼみに向けられた。少年時代の彼の幻影が私の脳裡に立ち上がっては闇に投げ出され、再び眼前に現われたように思われた。


 あたりの静けさの中で、毀れた窓ガラスのかわりに張ってあった、黄色く褪せた古新聞がかすかな神秘的な音を立て ていた。「なんて微妙なんだろう」とわたしは思った。(略)いったい、誰がー―あるいはなにがーーこの貧しい部 屋の中で、このようにひそかに自己の存在を告げているのだろう?(略)「あれはスペインの新聞だ」と、わたしは さらに思うのだった、「わからないのは当たり前だ」ジャン・ジュネ「泥棒日記」朝吹三吉訳


 一九三二年、二十歳であったジュネはバルセローナのランブラス通りを横に入ったところの支那街巣食っている乞食集団の中にいた。そこでスティリターノという男に出会った。セルビア人の脱走兵であった彼の片方の腕は手首から下は切断され、なかった。ジュネはサルバドールという男との暮らしを捨て、スティリターノのもとに走った。背が高く、逞しい体格の、淫売婦たちを美貌で引きつけていたこの若者に誘われて彼の安宿に転がり込み、彼の窃盗行為の片棒を担ぐことになる。男色家相手に稼ぐこともあるが、スティリターノは彼らを軽蔑していた。彼は綿をつめた作り物の葡萄の房をズボンの内側にピンで留め、男色家たちの気を引いていたのだが、部屋に帰った彼のそれを外すのが右腕となったジュネの役割であった。ある日、その房を両手に入れ頬擦りをした。それを見たスティリターノはジュネを足で蹴り、拳で殴った。いく日かして、明け方近くに彼が帰ってくるのを待っていた時、古新聞のかすかな音が彼を不安にした。


 わたしは異郷にある思いをひしひしと感じ、そして神経の昂ぶりが、わたしを、――ほかに適当な言葉がないため――わたしが詩と呼ぶものに浸透されやすい状態にするのだった。(同前)


 私は明日にもここを去り、スペインの他の街を彷徨うだろう。旅の意義はどこにあるのか。雲のようにさすらうだけではないか。彼のいなくなった部屋で一人、胸の空隙を埋められずにいた。もう陽は落ちてしまったようだ。光の射し込まなくなった部屋を濃い闇が満たしている。壁に架かった絵のマリアの頬を伝う、血のような紅い涙も今は闇に消えて見えない。



コルドバ、第三章「アンダルシアの岸辺」小林稔第五詩集『砂漠のカナリア』2001年より

2012年09月03日 | 小林稔第5詩集『砂漠のカナリア』
小林稔第五詩集『砂漠のカナリア』(旧天使舎)以心社刊2001年
第三章 アンダルシアの岸辺
小林稔


3 コルドバ


 グラナダからコルドバまでの道は遠かった。行く先の違う車輌を連結した
オムニバスという列車で、長い椅子を取りつけてあるだけの簡単なものだっ
た。途中、列車が停車した時に買い求めたひまわりの種を頬張って、それに
も飽きると椅子に横になって昼寝をした。たっぷり六時間。列車がコルドバ
に着いた頃には、日はどっぷりと暮れていた。駅の周辺は真っ暗で人影がな
い。闇に慣れた目で見ると、明かりが遠くの建物に灯っているのが見えた。
その方向に歩いていくことにした。街のどの辺りにいるのか分からなかった
が、とにかく宿を探そう。明日にならなければ行動を起こせない。急ぐこと
はない。車が時折行き交う大通りにペンションを見つけたので泊まることに
する。他の街で宿泊した部屋と内部はさほど変わりがない。そこで私が最初
に訪れたアンダルシアの街グラナダを追想した。スペインの自然はきびしい。
だが、アフリカから来たイスラム教徒にすれば恵みの大地に思えたに違いな
い。物質文明の、砂のない精神の砂漠を考える。この砂漠に水を通わせ精神
を開花させなければ、人間は物質と変わらなくなるだろう。キリストの時代
も精神の荒野であった。


  人はいかにして自己の面前に、自己と同じほど強いものとして、軽蔑あ
るいは憎悪すべき者を置くことができるだろうか。しかしそのとき、創
造者は彼の人物たちの罪の重みをみずから背負うのであろう。(略)聖性
は、わたしがそれと混同する美――そして詩(ポエジー)――と同様、
唯一独自のものなのだ。(略)しかし、わたしは何よりもこの語(聖性)
が人間の最も高い精神的態度を指しているからこそ、聖者となることを
願うのであり、それに到達するには、わたしは何事をも辞さないだろう。
            (ジャン・ジュネ『泥棒日記』朝吹三吉訳)


 ジュネは二十代の放浪の旅を顧み、経験を詩と聖性の観点から解釈した。
「禍い」「恩寵」であり「絶望」は「材料」であり「孤独」と同様、そのた
めになら「この世のありとあらゆる財宝を手離すだろう」ものなのであった。
境遇、文化を超えて私がジュネに共感するのは、言い表し難いものとしなが
らも語る「詩の概念」であり、普遍的な『詩人の生』ともいうべきものであ
る。忍耐。前進。私を導いていく何者かの存在を感受しつつ自己の道を発見
しなければならない。見ること、それは素晴らしい体験の始まりである。美
は精神の深みから泉のように詩を現出させるだろう。


 メスキータ寺院を見た。なんという空間だ。八百五十本の円柱と、赤と
白の縞馬の柄のアーチが続く内部を歩いていると、異次元の世界に入り込
んでしまったような気がしてくる。奇異なおかしみとアラビア人特有の威
圧感がある。アルハンブラとは異質な美だが、自己の深みに沈めて私を陶
酔させたあのアルハンブラの庭、そしてこの目を眩ませる寺院内部の魔術
に、どこか殺気立つ緊張感がみなぎる。不可視の神を知らしめようとする
配慮だ。後にキリスト教徒がこのモスクを支配し、カテドラルを造った。
白い円天井に影のように立つ黒い木彫りの、どっしりと据えられた祭壇が
あった。両者の相違が如実に表われ、しかも融合しているのがおもしろい。
 寺院を出て鐘楼の聳える中庭を歩いていると、日本人団体客が列を作り
入場するところであった。私に呼びかけた女性がいて「一人旅ですか、い
いですね」と話す。アンダルシアの過去の遺産を見ると、忍耐力というも
のを考えないわけにはいかない。アラビア人の、想像を絶するような精緻
な美は神への祈念と関係が深いのだ。家々の、花で飾られた中庭を一つ一
つ覗いて、ユダヤ人街の石畳を歩いた。彼らがさまざまな思いを胸に秘め
て歩いたであろう路地を、私を引き寄せるような存在の気配をその静かな
佇まいに感じ入りながら歩き、その一角にあるペンションに帰った。


Copyright 2001 以心社
無断転載禁じます。