ヒーメロス通信


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『意識の形而上学』を読む「アラヤ識について」」小林稔・連載第七回

2013年11月22日 | 井筒俊彦研究

『意識の形而上学』を読む・連載第七回小林稔「アラヤ識について」

連載第七回

アラヤ識について

小林稔

 意識と存在の未分節態A領域の「心真如」と、意識と存在の分節態B領域の「心生滅」は本性的に流動的であり、両者の相互関係は微妙であると井筒氏は指摘する。AはBの自己分節態であるからBに転位し、Bは己の本源であるAに還還しようとする。『起信論』的に表現すれば、AとBは「非一非異」的に結ばれているということができると井筒氏はいう。

「衆生心」は、それ自体、絶対真実であり離念の境界として「不生不滅」をくり返している世界であるといわれるが、一方において、それは同時にさまざまに展開して「生滅」をくり返している世界である。したがって、現実のわれわれにおける心のあり方は、「不生不滅」と「生滅」とが和合して、しかも両者が一でもなければ異なるものでもないという関係にあると言わなければならない。われわれの現実におけるかかる心の構造をここに<アーラヤ識>と名づける。

                               『大乗起信論』第三章第一節の二の1より

 

 井筒氏によれば、A領域とB領域の結合の場所を『起信論』では「アラヤ識」と呼ぶという。一般的な唯識哲学と『起信論』の「アラヤ識」では顕著な相違がいくつかあるという。一番の違いは、唯識哲学では「アラヤ識」はB領域のみであるのに反して、『起信論』ではAとBに跨るということ。つまり「心真如」と「心生滅」の両領域にわたる。一つのフィールドの中に包摂し、両者を綜観的に一つの全体として見る、それゆえに「和合識」と呼ぶという。さらにもう一つの相違は、深層意識性を強調するか否かによると井筒氏は指摘する。唯識では「アラヤ識は「妄識」であり、意識の最下底、深層意識であるから、A領域とは関わることがなく、一切の人間経験の意味化の場所、存在現出のカオス的原点としての意識深層部位を「アラヤ識」として内部機構を追求していくのみであると井筒氏は説明する。それに対して『起信論』では、中間者的性格を規定するという。AとBの介在する中間領域をⅯ領域と呼ぶことにして、井筒氏は『起振論』的「アラヤ識」の「真」「妄」和合性を構造化して論じる。『起信論』ではなぜこのような中間領域を設け、そこに重大な機能をもたせるのかについて、井筒氏は、言語意味分節の理論から解明できるという。井筒氏は『意識と本質』においてアラヤ識の深層意識領域を言語アラヤ識と名づけ説明したが、この書物では一切使わずに解釈しているが、それほど違いはないであろう。Ⅿ領域が形相的意味分節のトポス(場所)であるということは、存在界の一切が予め先験的にそこに全部分節されていると井筒氏はいう。実存的個体主体にとって先験的とは、超個的であり形相的であることであり、存在カテゴリー群の網羅的・全一的網目構造であると指摘する。現象的「有」の世界はすべて元型的意味分節の網目を通過することによって型どられていくのだと井筒氏はいう。ユング哲学でいう元型と同じである。

 さらに井筒氏は中間領域Ⅿ(アラヤ識)をⅯ1「如来蔵」とⅯ2「アラヤ識」(狭義的意味)に分ける。Ⅿ1「如来蔵」は無限に豊饒な存在生起の源泉、Ⓜ2「アラヤ識」は限りない妄念的「仮有」の生産の源泉とする。B領域の存在分節態をA領域の本体そのものの自己展開として見るとき、Ⅿ領域は「如来蔵」(如来の宝庫)としてのポジティヴな面と、BのAの分裂的汚染態としてのネガティヴな面の両方があるということになる。

 ここまで辿ってきた構造的分析がつぎに向かうところは、「真如」の形而上学に基く個別実存の内的メカニズムの探究であると井筒氏はいう。それは最終章である第三部で展開することになる。私はここまで読み解いてきて絶えず念頭にあったことは、構造分析でそのプロセスは解明されてはきたが、これらのシステムはオートマティックに発生展開するものではないのではないか。そこに一個の主体の存在があって初めて成立するのであろうということである。次の章では個別実存の内的メカニズムが解明されるという。その言葉が意味するように、メカニズムであって、一人の主体の必然ではない。おそらくそれが解明されるのはエクリチュール(文学)の場になるだろう。哲学と文学の関係がどのようなものになるのか私は知らないが、哲学的思惟が文学(詩)を鼓舞し、多くのものを示唆するに違いない。哲学とスピリチュアリテ(霊性)という観点からフーコーも井筒氏も哲学の概念を大きく変えたと私は思う。さらに詩作をよりアクティヴに、あるいはダイレクトに生きることの改革と把握する詩人は、自らの生を代価に詩を実践の場としてとらえるであろう。そのような詩人が出現するならば、詩作はその実践として哲学を牽引していくことになるであろう。

 

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長期連載エセー『「自己への配慮」と詩人像』(十七)その二・詩誌「ヒーメロス」25号、10月25日発行

2013年11月21日 | 連載エセー「自己への配慮と詩人像」からの

長期連載エセー『「自己への配慮」と詩人像』〈十七)その二

小林稔

 

 キリスト教的経験とパレーシアの変遷

 ユダヤ・ヘレニズムのテクストにおけるパレーシアについて、フーコーはヘブライ語が理解できない

ので既存のテクストに依らざるをえないことに言及する。そのテクストとは『キッテル新約聖書神学辞典』の「パレーシア」の項目におけるシュリーアの研究と『カトリック聖書研究』詩のスタンレー・マローによる「パレーシアと新約聖書」という論文であるが、それらを要約すると、一、伝統的意味のパレーシアという語の用法が見られるということ。大胆さと勇気という形態における〈真なることを語ること〉、心の完全さの帰結としての〈真なることを語ること〉という意味での使われかたである。それは、アレクサンドリアのフィロンの『特別な立法について』のなかで、神秘を伴う宗教形態を断罪する箇所で、キュニコス派と同様のことを語っているに過ぎないのだが、「自然はその栄光ある作品の何ものも隠しはしない」のであれば、万人にとってその行動が有益であるような人々は完全な表現の自由を用いなければならない、そうした人々にパレーシアがあって欲しいということが書かれているとフーコーはいう。二、一般的有用性が示され、ギリシア・ヘレニズムの伝統に依存した意味が見られるが、フィロンや七十人訳聖書のテクストでは、パレーシアという語の根本的変更が見られるということ。そこではパレーシアは個人の勇気を示すものではなく、神の視線に自らを差し出す心の開示、つまり魂の透明性のようなものと受けとめられていて、それと同時に純粋な魂の上昇運動が起こり、その魂が全能の神のもとへと高められる。個人と他の人々との水平的関係ではなく、神との関係という垂直軸の上に位置づけられるとフーコーは指摘する。七十人訳聖書のテクストでは、「そのとき、あなたは全能者から無上の喜びを得て」の部分のヘブライ語のテクストをギリシア語に訳すとき、「パレーシアゼスタイ」という動詞を用いているという。パレーシアという意味が伝統的な意味を変えて非―隠蔽としての真理、魂が神のもとへと高められ神の高みへともたらされて神と触れ合うような関係、魂が自ら浄福を見出すことができる関係への意向があるとフーコーは指摘する。フィロンにも多少同様な表現が前記のテクストに見られるという。自分の良心の純粋さから出発していのることのできる者はパレーシアの能力を持つと書かれているという。もはやパレーシアは「語る」ことではなく、神に対する魂の開示である。三、パレーシアを、神の一つの属性、資質、さらに神の一つの賜物としてあらわされる。『箴言』(七十人訳聖書)には「知恵は街路で叫び、広場に声を上げる。雑踏の入口で叫び、城門のそばで街中で語りかける」という箇所があり、パレーシアは知恵の叫びと表現されているとフー。神の溢れんばかりの現前ないし神の機能がパレーシアと呼ばれていると指摘する。人間と神との存在論的関係の内部へとつまり神のもとへともたらされる人間の至福、浄福へとパレーシアを移動させている。また新約聖書ではパレーシアは人間の一つの存在様式、一つの活動様式を示しているとフーコーは指摘する。つまり、パレーシアは神と人間を結び合わせるための絆のなかに、あらゆるキリスト教徒がもちうる確信であり、そうしたパレーシア的信頼によって祈ることが可能になり、人間は神との関係を結ぶことができると考えられていた。フーコーは、「ヨハネの手紙」五の十四、「もし私たちが神の御意志に従って何かを願うならば、神は聞き入れてくださる、これが神に対する私たちの確信です。」という記述の「確信」というコトバに「パレーシア」という言葉でギリシア語に翻訳されていることを指摘し、そこに見られる「服従の原則」のなかでの神への信仰と永遠の命を持つことの確信、神に向ける願いと神の意志である願いとの循環のなかにこそパレーシアが根を下ろしていると指摘する。つまりパレーシアは「確信」であり、神が耳を傾けるという「信頼」であり、そのようなパレーシア的態度に基づいて最後の審判の日の終末論的信頼も可能になるとフーコーはいう。さらに、新約聖書のテクストでは、福音を説き勧める者の勇気ある態度のしるし、使徒の使命に適った「徳」のことであり、ギリシア・ヘレニズム的な考え方と近いものが見られるとして、「使徒言行録」のパウロの行い、ギリシア人たちとの議論との戦いを通して、命を危険に晒す事実がパレーシアの徳を特徴づけているのだとフーコーはいう。つまり神への「信頼」と「徳」としてのパレーシアがあることを指摘する。

 紀元最初の数世紀とその後の時代になるとさらに複雑になる。ギリシア人においては、パレーシアは人々に声をかけ彼らを誤謬から真理に連れ戻そうとする勇気であると同時に、好き勝手に話す自由な、無政府状態でもあったという両義性、つまりポジティヴな面とネガティヴな面がキリスト教世界にも移し換えられたことをフーコーは指摘する。先述したギリシアに見出されるパレーシアに近い、「あらゆる脅威にもかかわらず主張する勇気」、殉教を受け入れるという点で有徳かつ有益なパレーシアが見られる。一方では、パレーシアは神への信頼であるような勇気、救済への信頼、神の全善への信頼、神が聞き届けてくれることへの信頼がパレーシアに通じているとフーコーは分析する。ソクラテスないしディオゲネスの勇気と殉教者の勇気との差異は、彼らが他の人々に向ける一人の人間の勇気であるのに対して、キリスト教徒の勇気は神への信頼が根底にあることであるとフーコーはいう。これがキリスト教に見られるパレーシアのポジティヴな側面である。しかし人間の自分自身に対する信頼が希薄になっていく。フーコーによると、神への服従の原則によって、神を恐れなければならなくなるにつれて、自分自身に対する不信のテーマ、沈黙の原則が発達してくる。神への信頼としてあったパレーシアは、傲慢さや思い上がりとして現われることになる。五世紀、六世紀になると、キリスト教のなかで権威の構造が発達するにつれ個人的な修徳主義が制度的構造の内部に取り込まれていく。つまり神との関係を、個人が自分の心の開示では持つことができず、権威の構造を介してしか持つことができないとすれば、個人は自分自身に不信を抱かなければならなくなるとフーコーは解く。自分自身は自分自身にとって不信の対象になり、最終的には自分自身のうちに悪以外の何ものも見出せなくなり、人間にとっての救いとは、唯一、自己を放棄し、服従の原則を実行に移すことになる。そうなれば、パレーシアは欠陥、危険、悪徳の信頼に照らされた信頼として再登場せざるをえなくなり、咎められるべき、批判されるべき行動様式になるとフーコーは分析する。

 例としてフーコーは、『砂漠の師父の言葉』からのいくつかのテクストを取り上げる。一人の若い修道士がアガトンのところに来て兄弟たちといっしょに暮らしたいというと、アガトンは「あなたが彼等のもとに赴いた最初の日のように、日々常によそ者意識を持ち続けなさい。あまりに彼らと打ち解けることのないようにしなさい」「パレーシアは、強い熱風に似ている。それが吹き荒れるとき、人は逃げ惑い、木々の実は無に帰すのだ」と説教する。フーコーによれば、共同生活で修徳主義の実践のためにやって来た若い修道士の、典院の権威のもとで共通の規則に従う生活に存在する危険、つまり自分自身にも他の人々にも不信を抱かず全面的な信頼のもとで生きる危険を記述している。パレーシアの実践によって本当の修徳主義的生においてなすべきことを忘れてしまう危険であるという。この段階でのパレーシアを要約すれば、パレーシアとは死や罪を考えないことによって神への畏敬を自己の遠くへ追い払うもの、死の瞬間に起こることへの恐れや最後の審判における罪への恐れから、身を引き離してしまうものである。さらに神を恐れぬだけでなく、自分自身にも用心せず、我々の行いを吟味しないものである。つまり、世界への信頼、他の人々とともに生き人々の行いや語ることを受け入れる習慣における絆が、世界に対して持たなければならぬよそよそしさに敵対し対立することになるとフーコーは指摘する。自己への配慮であるパレーシアがここにおいては逆転しているという。他の人々に敬意を払わない、つまり慎みの欠如というストア派やキュニコス主義的な問題が準拠されていると考えられることもできる。ここで見出されるのは他の人々への敬意を必要としない、自己への信頼としてパレーシアが存在し、服従の問題がパレーシアの価値の転倒の核心にあるとフーコーは指摘する。

 キリスト教的経験における二つの大きな母型として、フーコーはパレーシアの極と反パレーシアの極があるという。前者はポジティヴなパレーシアで、前述したように神の愛への信頼、最後の審判の日に神が人間を迎え入れるやり方への信頼である。このようなパレーシアの極は、キリスト教の神秘主義的伝統の起源にあったものであるとフーコーは把握する。つまり、心が神に開かれるほど十分純粋である者に対して、神は救済を保証し、神との永遠の向かい合いを許すことによって答えるという考え方である。後者は、修徳主義的伝統を創設するものとしての反パレーシア的な極である。ここで真理を打ち立てられるのは、神への恐れと畏敬による服従においてのみであり、誘惑や試練を通した疑い深い自己の解読というかたちにおいてのみであり、歴史的、制度的な面から考えれば、後者の極が重要であったといえるとフーコーはいう。後者にとっては、パレーシアは疑いを持ち実践するものであり、それに対抗するようにして前者のパレーシアは困難を伴いつつも存続してきたのだとフーコーは主張する。

 修徳主義的な後者の反パレーシア的な極の発達とともに、以後、真理の認識と自己の真理との間の諸関係をめぐる問題は、真理本位の生存であると同時に、自己についての真理を認識できる生存でもあるような別の生存の完全なる形態をもはや取ることはないだろうとフーコーは指摘する。自己認識は魂の浄化のための、神との信頼関係に達するための前提条件になるだろうとフーコーはいう。つまり、真の生はその条件を充たさない限り到達できないものになってしまったのだ。この世で自己を解読することは、自己および世界に対する不信、神に対する恐れとおののきのなかで自己自身を解読することでしかなく、それが真の生に到達する方法である。キュニコス主義において真理本位の真の生を生きる可能性を肯定した古代の修練主義が、キリスト教敵修徳主義によって根本的に変容されたのだとフーコーは結論した。

 

46 『「自己への配慮」と詩人像』前半の総括と補記

 

 フーコーの書物、『知の考古学』(一九六九年)の訳者、慎改康之氏の解説(『知の考古学』河出書房新社二〇一二年に収録)によると、この書物は「人間学の問題化という十年間にわたる一つの任務を継続し、それを仕上げようとするものである」という。十年間とは、一九六一年の『狂気の歴史』、一九六三年の『臨床医学の誕生』、そして、一九六六年の『言葉と物』が書かれた時期を指す。それ以前の、つまり五十年代のフーコーの著作、一九五四年の「『夢と実存』(ルートヴィヒ著)のフランス語訳の序文」や同年の『精神疾患とパーソナリティ』でフーコー自らおこなっていた思想の基底を批判する。つまり「人間の言語や人間の実践が制御されていることを示しつつ、長年にわたって思想界を支配してきた実存主義的人間主義を根底から脅かすものとして六十年代の著作は機能しえた」と指摘、『知の考古学』もまた同様の考えを主張するものであると慎改氏は主張する。したがって人間学的な思考からの自らの決別という意味もあったのである。慎改氏の言葉を借りれば、「自己自身から身を引き離すための努力」だったのである。『知の考古学』では、フランスの思想界を支配してきた人間主義的な思考と自分の思考を区別し、問題化することであり、そのことが構造主義とみなされる一因でもあったのだが、フーコーは、「言語的タイプの形式化」ではないことを強調しつつ構造主義者の一人として分類されることに異議申し立てをしたのである。構造主義とは、「人間の意識にそのすべてが与えられていない規則によって人間の「語られたことの総体を語られたことそのもののレヴェルにおいて扱うものとし、それに対して自らの歴史研究を特徴づけ、伝統的な思想史の任務との対比によって明らかに示そうとした」ものであると慎改氏はいう。

 それでは人間学的思考から解放された、フーコーのいう「考古学」はいかにして可能なのか。フーコーによると、まず第一に、連続性のテーマからの解放と、起源の探索や伝統の再構成、進化を辿り目的論を企画することをやめることである。なぜなら連続的な歴史と人間学的思考は共犯関係にあるからである。フーコーの『知の考古学』を読み取ることは別のところですることにして、この私の論考で問題になるのは、一九八四年の講義録『真理の勇気』で展開される「真理表明術」の諸形態に関する研究である。「講義の位置づけ」として掲載されたフレデリック・グロによると、それまでのフーコーの「考古学は、構成された知を構造化するものとしての言説の組織化を明るみに出」すことによって「認識論の規範と科学史の規範から同時に逃れることになった」のだと主張する。以後、フーコーは、「真なる言説に対して、その形式可能性や段階的発見の諸条件をめぐる問いではなく、それが存在するための歴史的かつ文化的諸条件をめぐる問いを提出したのだ」という。つまり認識論的諸構造に関する分析と、「真理表明術」の諸形態に関する研究との差異を明確にする。後者が提出するのは、「主体が自己の自己及び他者との関係をある種の〈真なることを語ること〉に依存させる際の、主体の倫理的変容についての問いを提出したのだ」とグロはいうのである。この私の論考で『真理の勇気』を読んできた読者には納得されることであろう。一九八二年以降、パレーシアなる概念を基軸に「真なる諸言説の存在論」を展開した。その内在する諸形式ではなく、「それを用いる主体の存在様式に関する問いを提出するような研究」であり、それは論理的形式による諸言階層化という、アリストテレス以来の伝統的な類型学ではなく、古代文化における真理陳述のスタイルについての独自の類型学によって、真理の主張が合意する自己及び他者との関係のタイプを考察しようとしたのだとグロはいう。

 再び『知の考古学』の訳者、慎改氏の解説を引用すると、フーコーは若いころ「人間主義的なマルクス主義へ帰属し、人間学的な思考に完全にとらわれていたが、そこから身を引き離そうと書かれた書物が六十年代の彼の努力の結果であるという。この自己からの離脱という企ては、まさに「主体の隷属から解放されること」で可能になる。つまり「考古学的」記述は自己の連続性を切り離すために有効なのだ。七十年代の彼の著作『性の歴史』では、「主体に何らかの真理が組み込まれる際に作動する権力のメカニズムを読み解こうと試みる」ことになるが、八十年代になって当初の構想の大幅な変更を迫られる。主体と真理の関係をめぐる問題を別のやり方で提起する必要が生じたのである。『性の歴史』の第二巻「快楽の活用」で語られているのは一貫して彼が述べている「自己からの離脱への欲求」であった。

 (私を駆り立てた動機はというと)、知るのが望ましい事柄を自分のものにしようと努めるていの好奇心ではなく自分自身からの離脱を可能にしてくれる好奇心なのだ。もしも知への執拗さというものが、もっぱら知識の獲得のみを保証すべきだとするならば、そして、知る人間の迷いを、ある種のやり方で、しかも可能なかぎり容認するはずのものであてはならないとするならば、そうした執拗さにはどれほどの価値があろうか? はたして自分は、いつもも思索とは異なる仕方で思索することができるか、いつもの見方は異なる仕方で思索することができるか、いつもの見方とは異なる仕方で知覚することができるか、そういうことを知る問題が、熟視や思索をつづけるために不可欠である、そのような機会が人生には生じるのだ。自分自身とのこのような戯れは舞台裏に隠されてさえすればいい、とか、結果が出てしまえばおのずから消え去る準備作業の、せいぜい一部分なのだ、とかいずれ言い出す人もあるにちがいない。しかし、哲学――哲学の活動、という意味での――が思索の思索自体への批判作業でないとすれば、今日、哲学とはいったいなんであろう? 自分がすでに知っていることを正当化するかわりに、別の方法で思索するこが、いかに、どこまで可能であるかを知ろうとする企てに哲学が存立していないとすれば、哲学とはなんであろう? (『性の歴史Ⅱ「快楽の活用」序文』

 このように述べられたフーコーの主張は、八二年度の講義『主体の解釈学』の最初の授業で述べられた「哲学と霊性」に関する事柄と同じ主旨のものである。霊性の原理とは、主体に正当な権利として真理が与えられるのではなく、つまり認識行為によって与えられることはなく、真理に到達する権利を得るには自分自身が別のものにならなければならないということであり、真理は主体の存在そのものを問題にする「代価」を払って与えられるものである。西欧では、現在置かれている状況からの立ち返り(コンヴェルシオン)はエロースとアスケーシスという二つの形式に従って行われ、アリストテレスを例外として哲学の本性でありつづけたが、デカルトからは認識が霊性に取って代わったのだとフーコーはいう。コンヴェルシオンにはエピストロフェーとメタノイアの二つの形式があり、前者は、魂は存在の完成へと回帰し、存在の永遠の運動のなかに改めて場所を占めるものである。それは覚醒で根本的な形式はアナムネーシス(想起)であるという。後者は、主体自身による主体の再出産で自己放棄の経験としての死と復活があるとフーコーは説明する。この私の論考ですでに十分述べてきたのでここでは、フーコーの哲学的エートス自体もまた前者の適用であるということである。認識論から、真理を可能する主体の存在様式に対する問いへと移行したことを確認するに留めよう。

 一般にフーコーの研究は、「知」、「権力」、「主体化」、ダロの言い方に従えば、「真理陳述」、「統治性」、「主体性の諸形式」という三つの項目から成り立っている。この三つの次元は哲学を語る際の同一性を強調することになる。つまり「真理の言説を研究する際には必ずそれと同時に自己もしくは他者の統治へのそうした言説の影響を考えなければならず、権力の諸侯王を考える際には必ずその諸構造がどのような知とどのような主体性の構造を拠り所としているのかを示さなければならず主体性の諸形式を評定する際には必ずそうした諸形式が政治にどのように延長され、真理へのどのような関係によって自らを支えているのかを理解しなければならない」(のであり、一方が他方に還元することは不可能であるという還元不可能性と、必然的相関関係の二つの原理はギリシア以来の哲学の同一性を決定するには十分であるとグロはいう。

 フーコーの最後の講義『真理の勇気』は、ギリシア政治哲学の革新地点となる倫理的差異化の原則であったと、「講義の位置づけ」でグロが述べる。「最善の国制」の探究は道徳的探究とは合致するものではなく、政治的卓越は、政治的行為者が自分自身を倫理的主体として構成できたやり方に依存することをフーコーは強調している、つまりよき政治は徳の高い指導者に依存するということである。民主主義の構造的危うさとは、一人の主体における真理が一国民全体を作用させることが可能であるとは考えにくいことであるとグロはフーコーの主張の困難さを述べている。さらにフーコーによるギリシアの政治思想を再評価することによってフーコー自身の歩みをその航跡に組み入れたとグロはいう。

一九八四年六月二十五日、フーコーが息を引き取る日が近づいていた。一月は体調を崩したものの、二月には回復し、一日からの講義お行うことができた。「私にはどのくらいの時間が残されているのか」を絶えず気遣いながら。講義は二月後半から三月の講義はまさに「死への恐れにかかわるものである」。プラトンの著作『ソクラテスの弁明』、『クリトン』、『パイドン』の死の三部作をテクストにフーコーの講義は進められた。この私の論考ではすでに詳細は論じられた。死を恐れぬソクラテス像にフーコーはいかに自らの迫る死を重ね合わせたのであろうか。ソクラテスが死を恐れないのは、人々に自己への配慮を説いて回るという神からの使命を果たさなければならないからである。それゆえ、政治的パレーシアによって命を落とすことを恐れたのであり、神の使命を果たせなくなるならむしろ死を選ぶのである。彼の哲学的企てとは、「対話者に自分自身への正しい配慮を学ばせるために、その存在者の存在様式を変容させることを目指す、勇気ある〈真なることを語ること〉」であるとグロはいう。

 プラトンの著作『パイドン』のソクラテスの最後の言葉にある、「クリトン、我々はアスクレピオスに雄鶏一羽の借りがある。私の借りを返してくれ、忘れないようにしてくれ」の意味するところは、伝統的解釈では、「私は死のおかげで生という病から治癒するからだ」と解釈されてきたが、フーコーはそれとは別の解釈をしたとグロは指摘する。「偽なる言説という病、ありふれた支配的な臆見や先入見の伝染からの治癒であり、哲学によってもたらされた治癒である」と。さらにグロはフーコー自身の死との闘いと六月の死を重ね合わせ想いを深める。「私が恐れるのは死ではなく、仕事の中断なのだ。あらゆる病のなかで本当に致命的な病、それは言説の病(偽りの明晰さと人を欺く自明性)である。徹底した哲学が私にその病からの治癒をもたらしてくれるのだ」と亡きフーコーの代弁をする。ソクラテスは「真理の勇気」を持つ者、パレーシアを最後まで行使した者としてプラトンは描いている。「生存の可視的内容において」勇気を持つ者、フーコーはここに生存のスタイルを見出し、「真の生」の問題提起は始まるとグロはいう。この講義の後半がキュニコス主義に関する考察にあてられているのはそのためである。グロによると、『真理の勇気』にプラトンの対話編『ラケス』を取り入れたことは、講義の骨組みの中で意表を突くものであろうと述べている。『ラケス』は勇気の問題について書かれたものであるが、〈真なることを語ること〉、つまりパレーシアと生存のスタイルとを支える勇気のみを考察したからであるという。ここにおいても『ソクラテスの弁明』と同じように、ソクラテスが、一人一人に彼らのエートスを正すように言葉をかける人物として描かれ、勇気ある〈真なることを語ること〉を行使する者として描かれている。加えて、「生存の可視的内容においてそうした真理の要請を価値づける勇気を持つ者でもあり、「そのことによって真の生の問題を提起することが可能になる」とグロは読み解く。「カント以来の近代的思考」に修正を加えることになるという。カントから発生した二つの道、超越論的な後裔と批判的後裔の区別を七十年以降たびたび行ってきたとグロは指摘する。前者は「私は何をすることができるかと問うもの」であり、後者は「我々はどのように統治されているかと問うもの」であり、八十年代にフーコーはこの区別を権力関係の研究に倫理的次元を加えることで浴衣にしたとグロは解釈する。そこでのフーコーの問いは、「いかなる主体化の様式が、人間たちの統治の諸形態に自らを連接し、それらに抵抗したりそれらに住み着いたりすることになるだろうか」ということであるという。さらにフーコーは事態を進展させる。つまり一九八四年には、つまりこの『真理への勇気』の講義では、『アルキビアデス』から引き出した「不死のプシュケーと超越的真理との根源的絆言説の中で理論的熟視によって基礎づけようと努める魂の形而上学を派生させ、他方では『ラケス』において問題化される生存の美学、つまり、可視的で調和がとれており美しい形式を生(bios)に対して与える)ことになったと分析する。ここまでくるとカントの二者択一と大きく相違する。カントのそれは「真理の諸条件に関する研究」と「人間たちの統治性の諸条件に関する研究」を区別することであったが、フーコーのそれは、「一つのロゴスのなか、一つの認識体系の構成のなかにその実現を見出す霊的任務と、具体的生存の現実性と修練のなかでその広がりを得るもう一つの任務とが対置されること」になるとグロはいう。簡単にいえば、認識の哲学と試練や態度としての哲学を比較しているといえよう。

キュニコス派の人々はソクラテスの後裔に似つかわしく書物を残さなかった。理論的貧しさゆえに古代哲学史において常に冷遇されてきたとグロはいう。フーコーはとうぜんプラクシスの面で取り上げたのであり、グロの言葉を借りれば、「生の試練と世界の変容の側に置き直された哲学的真理のラディカルな再評価のための純粋な契機としようとした」のである。市民の勇気ある発言、民衆扇動の権利という民主的契機から、君主に勇気をもって助言を与えるという専制的契機へと変化するパレーシアに、ソクラテスが行使した一人一人に問いただす倫理的側面が加わる。この点はキュニコス派がソクラテスの継承者であるが、彼らは「ソクラテスに比べものにならないほどはるかに攻撃的で乱暴かつラディカルなやり方」で行動したのであり、むしろキュニコス派は世間から隔絶した生の様式によって自ら際立たせているとグロはいう。古代哲学に内包する真理の概念から演繹される「真の生」は、「真理の諸原則を文字通りに生きようとするキュニコス主義的価値転換」によって、「スキャンダラスで不安にさせる生、ただちに拒絶され周縁化される「別の生」としか表明されないものになった。さらにキュニコス派は「現前する世界の変容を前提として到来するものとしての「別の世界」の地平を出現させるとグロはいう。一方、ギリシア哲学はプラトン主義によって「他界」に関する問いを提出してきたのである。フーコーによると、西欧哲学は「他界」と「別の生」をめぐる二つの大きな形式の境界の愛仇で自らを展開してきたという。自己への配慮は一方では、配慮すべき自己とは何かという問いを生み、それは魂であるという発見に導かれる。そこで発見されるのは、真理の純粋な世界としての「別の世界」であり、形而上学の起源をしるしづけたとフーコーはいう。他方では、「自己に配慮する生はいかなるものか」という「他界」に向かうものではない動きがある。ここで出会うのはプラトン主義ではなくキュニコス主義であり、「別の生」というテーマであるとフーコーは指摘する。グノーシス主義の運動とキリスト教においては「別の生」は「他界」に接近するための条件として思考しようとしたいう。ルターによって問題化されたプロテスタントの倫理のなかでは、「他界への接近が、この世における生存そのものに完全に合致した生の形式によって定義されることが可能になる」とフーコーはいう。つまり他界への到達を別の生に依存させることへの拒否であるとグロはいう。グロが指摘するように、フーコーによれば、キリスト教の独創性はまさしく、プラトン主義による「他界」という狙いと、キュニコス主義による「別の生」の要請とを交叉させたことにあるという。

「別の世界(monde autre)」と「他界(autre monde)」、「別の生(vie autre)」と「もう一つの生(autre vie)」という二つの組合せについて、訳者、慎改氏は四つの表現にはすべて、「他なる」という意味の〈autre>が入っていることに注意し、「他性」に関する一つの哲学を前提にしているというグロの言及、フーコーは他性の次元を、真なるもののしるしとしてあらためて作用させることになるという言及を指摘している。つまり真なるものは世界および人間たちの意見において差異をなすもの、自らの存在様式の変容を強いるもの、その差異によって構築し夢見るべき別の世界のパースペクティヴを開くもの、それこそが真理のしるしであるとフーコーは言いたいのだとグロはいう。講義の最後に添えられたフーコーの草稿の一番最後には次のような言葉が見つけられる。

「真理は、他界および別の生の形式においてしかありえないのだ。」

 

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井筒俊彦『意識の形而上学』を読む。小林稔・連載第六回「空」と「不空」について。

2013年11月20日 | 井筒俊彦研究

連載第六回

井筒俊彦『意識の形而上学』を読む

小林稔

 

「空」と「不空」について

 

 真如とは、あらゆる存在の真の姿、心のあるがままの真実のすがたと『大乗起信論』に記されている。(筑摩書房「世界古典全集第七巻」からの引用)これは古代ギリシアから現代に至る哲学の本質である。私たち日本人は哲学というと、何か現実と離れた別の世界を思考する隠者の学問と考えがちであるが、哲学をする者も読む者も、そのような偏見を破棄しなければならないと私は思う。井筒氏の導きの後で『起信論』を改めて紐どくと、より近寄りやすく感じられてくる。私は『意識の形而上学』の中盤まで読みかつ書き留めてきたが、「空」と「不空」をまとめるにあたって、冒頭から『大乗起信論』を読み直してみようと思った。『意識と本質』においてもそうであったが、私は詩学との接点を探っているのである。というより読み進めればポエジーの聯想は止めどなく浮上してしまうのを抑えることができない。しかしここでは極力抑制して仏教哲学を読み解き、それを終えた時に詩学を確立してみよう。

『起信論』の序文では、「仏と法と僧との三宝に帰命する」とある。「法は真実のままに仏道を修業しつつある人たちである」。「すべてのひとびとが、仏に対する疑いの念を晴らし、邪な考え方を捨て去って、「大乗」に対して正しい信念を起こすように」願うからであると書かれている。大乗とは「ひとびとを悟りの世界に導く大いなる乗りもの」と書かれている。いわば超大型のジェット機のようなものであり、人類を悟りの世界に連れていくものだと述べているのだ。実際には「仏自らの体」である法をこの経典は伝えようとしているのである。第二章で、二種類の観点を明らかにする。つまり「大乗の実体とは何か」と、「いかなる義理によって大乗と名づけられるのか」である。

最初の観点。「大乗の実体」とは「一切の衆生が内にそなえている心」だという。この「衆生心」とは一般大衆のこころ(「意識」)であろう。「衆生心」には世間の法、つまり迷いと出世間の法、つまり悟りが内包されている。「衆生心」の真のすがたには前回述べた三大、「現実のさまざまに展開しつつあるすがたは」、大乗自体(体)と属性(相)とその働き(用)を示すものであるという。

二番目の観点。「衆生心」はなぜ大乗と呼ばれるのか。その理由の一つは、衆生心それ自体は「あらゆる存在の真なるすがた(真如)であり、それは悟りに到達せる仏の位にあっても、あるいは迷いの生存にあっても、つねに平等であり、悟りによって増加することもなければ、迷いによって減少することもないからである。」第二の理由は、「衆生心は本来、すでに悟りに到達せる覚者と全く同等のすぐれたる性質・功徳を具有しているからである。」第三の理由は、「衆生心の働きは、よく一切の世間と出世間とにおける善の原因と結果(因果)とを生ぜしめるからである。」と『起信論』の第二章には述べられている。そして過去の仏たちはこの大乗の教えによって悟りに達したのだという。

ここで解読する限り、衆生心とは「一切衆生包摂的心」であり、プロティノスのいう全宇宙的覚知体、「ヌース」に本質的に照応すると井筒氏は解釈する。しかし衆生心にはもう一つの意味がある。「普通の我々平凡人の日常的意識」でもあり、この両方の意味が一体化していると井筒氏は指摘する。衆生心がこのように自己矛盾的双面性を示したように、絶対無分節・絶対未現象態(A領域)における存在も自己矛盾的双面性があり、「如実空」(空そのもの)と「如実不空」(不空そのもの)という言葉で『起信論』は説明している。「心真如」(A領域)から「心生滅」(B領域)の存在論的価値づけを進めてきたが、それを逆転させBからAに関連して、「心真如」それ自体の本来的あり方を考察しようとすれば、「意識の形而上学の窮極処に踏み込む」ことになり、「アラヤ識」を避けて通ることはできないと井筒氏は考える。その序奏として「空」「不空」の概念把握をしているように思われる。

意識と存在のゼロ・ポイントの「心真如」(A領域)は「一切の意味分節を超絶して一点の妄染すらない」、これこそ「空」というと井筒氏は説明する。

 

真如が<空>であるといわれるのは、真如が本来、一切の汚れと渉りあうことがないからである。真如は、一切の諸法を差別的認識によって把らえようとする立場からはとうていその真相に触れることのできないものであり、そこには虚妄の心念がないからである。真如の本性は、有でもなく、無でもなく、有にあらざるものでもなく、無にあらざるものでもなく、有にしてかつ無にあらざるものでもない。また一でもなく、異でもなく、一にあらざるものでもなく、異にあらざるものでもなく、一にしてかつ異なるものでもない。すなわち、われわれの思考形式におけるあらゆる手段をつくしてこれに近づこうとするも、かかる妄念にもとづいた差別的認識(「分別」)の尺度のよっては、その真相に触れることはできない。このような差別的認識を超越した真如のあり方を<空>と言う。したがって、もし妄心を離脱するならば、真如そのものには、実に否定さるべき何ものも存しないのである。

                  『大乗起信論』第三章第一節の一より

 

 人間には誰でも妄心なるものがあり、時々刻々、存在を「分別」(=意味分節)し、限りない現象的「有」を生み出して止まない。それらの事物はどれも「真如」とはピタリ合うものはない。だから「真如」の自性を歪曲して提示する意味分節の単位を一挙に払拭するために、どうしても「空」という概念を立てることが必要であると『起信論』は述べていると井筒氏はいう。「空ずべき空もなし」、そのことがまさしく「空」なのである。「なんという興味深いレトリックだろう!」と井筒氏は感嘆し、中国の荘子の「無無無」という「無」すら無化しようとした表現を思い起こしている。

「形而上学的なるもの」の窮極処を「空」や「無」で現象的「有」の実在性を絶対的に否定する表現で把握するのは、東洋哲学一般に通ずる特徴的アプローチであると井筒氏はいう。『起信論』では、それで終わらずに「不空」という概念を立てるのは、形而上学の最後の言葉ではなかったことを物語ると井筒氏は追記する。つまり、「心真如」を「空」とした観点から形而上学は方向を一変し、「心真如」の「有」的側面に向かい、一切の現象的存在者の絶対窮極的原因としての「心真如」が照射され、それに伴い、存在分節機能が発動すると井筒氏は説明する。ここでわれわれが目にするのは、以前の存在分節の世界であるが、この時点での現象界は「妄念」分節の所産ではない、全現象が「心真如」の自己分節、内的自己変様なのだと井筒氏はいう。表面的には何も変わっていないように見える。どのようにしてその差異を見極めるのかは、おそらく『意識の形而上学』第三部「実存意識機能の内的けカニズム」で説かれるであろう。しかしなぜ「心真如」がこのようなことが可能なのか。「すべて原因されたものは、自分の源泉としての原因の中に、始めから存在していたのだと『起信論』では述べられている。つまりプロティノスを引用して説明したように、現象的「有」は「心真如」の中に始めから不可視の存在可能態において、潜在的に、伏在していたと考えるからであると井筒氏はいう。元型的あるいは形相〈イデア〉的に潜在していたものが現勢化する、それが「心真如」の自己分節に他ならないと井筒氏解釈する。「心真如」は不生不滅の「真心」(しんじん)で虚妄性はまったくなく玲瓏たる諸相(=「浄法」)を無尽蔵にそなえている。その「浄法」が、「心真如」の自己分節という形で現象的存在者として顕現してくるという「心真如」のこの側面を「不空」と名づけるのだと井筒氏は指摘している。

「不空」と名づけられるべき「心真如」においては、井筒氏によれば「一切の現象的事物事象をあますことなく形相的存在可能性において包蔵している。あらゆるものがそこにあるイデア空間、言語アプリオリ的分節空間、全包摂的全一性において、一切が永遠不変、不動」」とも呼ぶべきものであるという。

『大乗起信論』のテクストでは、第三章「詳細なる説明」のうちの第一節「大乗に関する正義を明らかにする」の、さらにその一、「心のあるがままの真実のすがたにおいて把える立場」において、真如を「空」の方向から考察する立場(「如実空」)と、真如を「不空」の方向から考察する立場(「如実不空」)から真如を説明してきたのである。次の二、「心が現実にさまざまに展開しつつある世界において把える立場」と書かれていて、1から5まであり、その1、「心の生滅――現実における生滅心Ⓜ構造を心の本性の上に位置づけるための論述」と記され最初の項目が、《アーラヤ識の定義》となる。井筒氏の『意識の形而上学』第二部の最終章Ⅻは「アラヤ識」(p91)から、この(『意識の形而上学』を読む)連載第七回で突きつめてみよう。

 

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長期連載エセー『「自己への配慮」と詩人像』(十七)その一・詩誌「ヒーメロス」25号、10月25日発行

2013年11月18日 | 連載エセー「自己への配慮と詩人像」からの

長期連載エセー『「自己への配慮」と詩人像』(十七)その一

小林 稔

45 古代ギリシアの修練=修徳主義からキリスト教の服従の原則までのパレーシアの変遷

 

 真の生(alethes bios)をめぐる古代哲学に求められていた四つのテーマが、キュニコス主義では極端化「拡大適用」とそれに纏わるスキャンダルによって、大きく変貌してしまった様態をフーコーの叙述に沿って考察してきた。四つのテーマとは、隠蔽せざる生、非依存的な生、まっすぐな生、そして主権的な生である。キュニコス主義による変容によって、前者の三つは、それぞれ、裸の生、貧しい生、獣的な生といえるものに特徴を持たされていく。つまりキュニコス主義の真の生は、プラトンやストア派の哲学と問題を共有しているが、結果として別の生へと導かれていったのである。フーコーによれば、キュニコス主義とは、「古代哲学の限界」を出現させるものであり、「哲学者がそこに自分を見ながら自分を認めるのを拒否するよう導かれる壊れた鏡のようなもの」なのである。四つ目の「主権的な生」のテーマは、フーコーによって詳しく述べられていて、前回の私のエセーで概略を示したが、ここで要約をかねてフーコーの叙述のレジュメをしておこう。

プラトンやセネカ、エピクテトスたちのストア派において「主権的な生」の概念がどのようなものであっか。二つの特徴を挙げると次のようになる。

 一、「享受の次元に属する自己との肉体の創設を目指す生」であるということ。それは自分自身を所有する生である。つまり自分自身に対して主権を持ちつづけることである。真の逸楽(所有であるとともに快楽)のあらゆる原理と基礎が自己のうちに見出される生である。

二、一人もしくは複数の他者との関係に対して開かれているということ。指導、援助、霊的な助けの関係である。他者にとって自分が有益な者であるということ。それは義務の属するものであり、自己統御を他者の目前で証言すること、自己自身を享受することと必要とする人を助けることは、いわば同一の主権性の異なる側面に過ぎず、余剰ないし過剰の活動である。

このように捉えられる「真の生」のテーマが、キュニコス主義では誇大化されることによって、「キュニコス派は王であるという傲慢な言明」のかたちをとることになる。フーコーは、プラトン哲学、ストア派、キュニコス派における、政治的主権と自己自身にたいする主権としての哲学的生の人々に専念する結びつきの違いを述べている。それによると、プラトンにおいては、哲学と君主制の関係は構造上のアナロジーの形態で描かれているということがあり、理想的な地点では、哲学者が君主制を行使できるということ、つまり哲学と政治の一体化が求められているのである。ストア派においても君主制と哲学の結びつきは見られるが、ストア派では、哲学者は王以上の者、つまり自分自身を統治できるだけでなく、王の魂を管理し、指導し、先導できる者と考えられていた。たんに都市国家に生きる人々の魂だけでなく、人間一般の魂、人類の魂をも統治できる人のことであると考えられていた。キュニコス派では、「キュニコス派自身が唯一の真の王である」と言明した。実際に戴冠した王は、真の王の影に過ぎないというのである。キュニコス派は自分を、「王に敵対する王、自らの君主制の真理そのものによって政治的王制の錯覚を告発しそれを明るみに出す真の王として措定したのである。

ディオン・クリュソストモスの書物に報告されているディオゲネスとアレクサンドロス大王の出会いは有名である。同じ書物でペルシアの祭式でなされたことに言及する。「ある種の儀式に一人の捕虜を連れてきて、しばらくの間彼を王のように扱い、彼に廷臣を与え、彼のあらゆる欲求、あらゆる欲望を満たす。本当に王にふさわしいやりかたで彼を扱った後で、彼の衣服を脱がせ、彼を鞭打ち、彼をついに絞首刑に処するに至る」。これが人間たちの王すべての運命なのだとディオゲネスは語ったと、クリュソストモスは記述した。キュニコス派の王はそれらの満足、快楽、飾りを必要とせず王でありつづけるのだが、「自分が王であることを意図的に隠す王である」、さらに「自己の自己に対する執拗な攻撃」が見出されるとフーコーはいう。フーコーによれば、それは忍耐の訓練である。またキュニコス派の君主制は献身のそれでもある。それは自己の放棄という形態で他の人々に専念する。つまり犠牲的な使命ともいえる。そうした使命が闘いの形態を取るということ、論争的な特徴があるといえる。キュニコス主義における哲学的戦闘性は、しきたり、法、制度といった人間に共通する悪徳、欠点などに立ち向かうものであり、「世界を変えようとする」戦闘性、世界の中で世界に対抗する開かれた戦闘性であるとフーコーは指摘する。

 

使命としてのキュニコス主義

ストア派のエピクテトスのテクスト『語録(人生談義)』からキュニコス主義的主権の定義についてフーコーは考察しようとする。フーコーも注意を促しているように、エピクテトスはストア派の一人なので、そこに述べられているのは、キュニコス派の直接的表現ではなく、ストア主義とある種の形態のキュニコス主義との接点から見て容易に受け入れられるものに関する描写であることを注意しなければならない。つまり、「一人のストア派がキュニコス主義的生を、自分にとって最も容易に受け入れたもの、最も容易に認めることができたもの、最も本質的で最も純粋であると思われたもの関して描写したものであるということ」とフーコーはいう。

エピクテトスは、キュニコス主義からスキャンダラスな部分を排除し、清潔さと礼儀正しさを強調する。そして哲学的生の戦闘的実践として提示している。フーコーによると、ストア派では地位や境遇に齎される責務や義務を怠ることは不名誉なこととされていた。しかし哲学はあくまで生の選択であると考えられていたが、エピクテトスはそれを変形させたという。キュニコス主義者になろうとする者に、キュニコス派の衣服、風体、生の様式という外的な特徴を選択することを戒める。それは「見せかけの姿」に過ぎず、自分をキュニコス派と任じることはしてはいけないことであり、必要なことは神によって指名されなければならないということを述べる。神に授けられた使命は個人的にある一つの任務に縛り付けていたソクラテスのテーマとは、少し別の意味があるとフーコーは指摘する。神から指名されなかった人をその務めから遠ざけるという効果がある。それでは、指名された人と指名されなかった人とを分けるものとは何か。自分で自分をキュニコス派と認めることではなく、まず自分を試練に賭けることである。エピクテトスはいう、「自分の欲望を完全に捨て去り、きみに依存するもののみを避けるよう務め、怒りも妬みも哀れみも抱かないようにしなければならない。・・・(略)・・・きみは次のことを知っておかなければならない。すまわち、他の人々はその行動を成し遂げるために塀や家や闇によって身を守っているということ、そうした行動を隠す無数の手段を持っているということを。人は自分の戸を閉ざしているのだ。」ここには「隠蔽されざる生」の理想が見つけられるが、その原則はアナイデイア(慎みの欠如)ではなく、逆にアイドース(慎み)に直接連結されているとフーコーはいう。つまり、「哲学的生を送る者は、慎みの諸規則に従って行動する者である以上、自らを隠す必要などないからである」。自分がキュニコス派であると認めるようにするための第一の試練は、隠蔽なき生を生きることができるかという点にある。  

第二の試練は、簡素化された貧しい生を生きることができるかどうかという点にある。「小さい肉体は私に対しては何ものでもないし、またその諸部分は私に対して何物でもない。死か。好きな時に、その全体でも部分でもやってくるがよい。追放か。しかしどこへ追い出すことができるのか。宇宙の外にはできない。またどこへ私が立ち去ろうとそこには太陽があるし、また月も星辰も、夢も、前兆も、神々との交わりもあるのだ。」(エピクテトス『人生談義』下、岩波書店刊からの引用)貧しい生とは混合も依存もない生のことである。「貧しさと彷徨の生の試練である」とフーコーは説明する。

第三の試練は、敵と見方を見分ける術を心得た生を送ることができるかという点である。エピクテトスのテクストによれば、キュニコス派は、人間たちに対して何が味方で何が敵かを示す偵察者(カタスコポス)であると語られる。キュニコス主義の使命は修練や訓練というアスケーシスの実践において認められるものであるとフーコーはいう。自分で自分をキュニコス派と認めるのは、キュニコス主義的生の試練の中で行なわれる。その試練の中で認められるのは一つの使命であるとフーコーは分析する。それによると、キュニコス派の考える使命とは、哲学的戦争を進める者であるということであり、自分に課す耐久である。つまり、他の人々から被りうる暴力、殴打、不正の受け入れである。殴打、侮辱、屈従は一つの訓練であり、一つの反転を伴うのである。

君自身を知るがいい、ダイモニオンの声に訊ねるがいい、神なしには着手せぬがいい、というものに神が忠告するならば、よく知っておくがいいが、神は君が偉大なる者となることを欲しているか、あるいは大いに打たれることを欲しているのだ。というのはこれも犬儒学徒には非常に上手く織り込まれているからである。自分は驢馬のごとく打たれねばならぬ、そして打たれながら、自分を打つその人たちをば、万人の父であり、兄弟であるように愛さなければならない。……犬儒学徒にとって皇帝は何であるか、総督は何であるか、あるいは自分をこの世に送ってくれて、そして自分の仕えているもの、すなわちゼウスより外のものは何であるか。(同書『人生談義』下、第二十二章)

 

 屈従はゼウスによる訓練としての価値を持つが、さら忍耐の訓練によって哲学者と人類全体とのあいだに存在しうる人類愛的な絆、自分に害を与える人々に結びつけられているという確信が表明され強化されているとフーコーは指摘する。このような背景のもとにおけるキュニコス派の任務は、偵察者の任務であり、見張りの任務である。エピクテトスは、すべての人間は結婚しなければならないが、キュニコス派の人々は結婚しないことが必要であるという。「全面的に神に奉仕して気を散らさぬこと、つまり人々のあいだに自由に出入りして、個人的な義務にも縛られなければ、また諸々の関係にも巻き込まれるべきではないのではないだろうか」とエピクテトスのテクストでは記述されている。人間の眠りに気を配る普遍的な夜警のような者、巡回し脈をとる医師のように、とフーコーは形容する。何が善であり何が悪であるかを語る者、つまり倫理的普遍性に仕える者であるが、一つの集団の政治的普遍性ではなく、あらゆる人間の普遍性であるとフーコーは指摘する。さらに、フーコーはエピメレイアのテーマにも言及する。哲学者は人間たちの配慮に対して気を配っている、つまり人類全体に関する幸福と不幸、自由と隷属を問題にする政治的活動の、キュニコス主義哲学の任務を指摘している。「あらゆる簡素化、あらゆる耐乏、あらゆる苦痛を通して、人間たちを呼び止めて彼らがいる場所で彼らに助けを与えるというキュニコス派の一日のつらい仕事を思い起こさせるとフーコーはいう。そして「自分のすべての思考が、神々の友であり神々への奉仕である者の思考、ゼウスの統治に協力する者の思考である(エピクテトス)」ことをキュニコス派は知り、純粋なこころで眠りに憑くことができるのだとフーコーは思いを述べている。キュニコス派は生の黄昏時に、隠された君主制を越え、人類全体に対する神々の主権という真の主権の中で復活するのだ。ここにキュニコス主義の主権のテーマの反転があるとフーコーはいう。

 フーコーはこの叙述の後で、講義(『真理と勇気』)で取り上げなかった草稿を載せている。要約すれば、哲学的戦闘性はキュニコス主義の発明ではなく、古代の哲学の伝統に根づいていたものである。しかしキュニコス主義の特異性とは、開かれた場で展開されたこと、パイデイア(教育)を要請しないという点にあり、しきたり、法、制度と闘う、つまり世界を変えようとする戦闘性である。さらに、このような戦闘性の中に世界に対抗する戦闘性が持つプロパガンダの実践であり、その歴史的な重要性が、キュニコス主義が組み込まれる系列に与えられるということにフーコーは注意を喚起している。すなわち、霊的闘いであると同時に世界のための闘いでもあるキリスト教の活動主義とそれに纏わる托鉢修道会、宣教、宗教改革であり、その後に起こった動き、十九世紀の革命的戦闘性を指摘する。「世界を変化させるための、別の生としての、闘いの生としての真の生」のテーマがそれらに見出されるとフーコーは主張している。

 

別の生に移行するキュニコス主義的生の原理

 私は真の生をめぐる古代哲学における四番目の主権のテーマが、キュニコス派によって別の生に導かれたことをフーコーの指摘によって述べてきた。キュニコス主義を特徴づける主権は、政治的主権、つまり政治的主権に対し二重の愚弄を構成しているとフーコーは要約する。ディオゲネスはアレクサンドロス大王の対決で自分こそ真の王である言明する。それはアレクサンドロスの君主制の保持は、知恵の主権に過ぎないからである。それが一つ目の愚弄であり、もう一つの愚弄は、政治的君主制における富と権力を自らに与えていたのに対して、キュニコス主義の君主制は孤独の実践、簡素化の実践であったことを示したことである。そここらキュニコス主義の君主制はほんとうの君主制、普遍的君主制であったことを主張する。キュニコス派は、一日の黄昏時になって、「自分の思考が、神々の友であり神々の奉仕者である者の思考、ゼウス統治に協力する者の思考である」ことを知り、純粋な心で眠りにつくことができたのだとフーコーはいい、さらにキュニコス主義的主権の行使は二つの帰結をもたらした。一つは、主権を行使する者に至幸の生の方式を創設したということである。キュニコス派は自らの運命を肯定し、ゼウスによって導かれることを受け入れる、つまりゼウスが授ける試練、生の厳しさのすべてを受け入れることである。何一つ持たないにもかかわらず自由であるという王制のテーマである。地上の王たちのための浄福はなく、自分の運命を受け入れる者に与えられるものであるというのがフーコーのいう第一の帰結である。二つ目は、キュニコス派の主権的生が浄福の生であると同時に真理の表明でもあるということである。その真理の表明にはさまざまに異なる道を同時に辿るということがある。第一の経路においては、真理との直接的な関係である。プラトンの対話篇『ラケス』において本質的なテーマであった、語ることと生きるやり方との調和である。行いにおけるこのような合致のみならずキュニコス派には、肉体的な合致の関係もある。エピクテトスは、キュニコス主義の惨めさの誇張を拒絶する。なぜなら真理は人をひきつけ納得させるものでなければならないが、汚さ、醜さ、下劣さは人を押し返すものであるからである。したがって、キュニコス派は身体の簡素化に加え、清潔さにおいても人をひきつける真理の造形美を持つものであると主張する。フーコーがいうように、これらはストア主義的な原則に従い、キュニコス主義の肖像に規制を加えることである。つまり真理の表明のための最初の道であるとフーコーは指摘する。第二の経路においては、自己の自己に対する真理の作業が問題になる。苦難、悪徳、誘惑に対する闘いに対して敗北を避けるため、自分が取り込むことになる事柄に対して見積りをしなければならない。自己認識はそれだけではなく、自己の自己に対する絶え間のない警戒でもなければならない。自分自身の思考の夜警でなければならないということ。つまり、性急な承認、熟慮を伴わない性向、

みたされない欲望、忌避に至らない嫌悪、成果を伴わない計画がありはしないか、中傷や魂の卑しさや妬みがありはしないかなど、自分の注意と活力を集中させる。「自らの表象の流れへの絶え間ない視線であること」とフーコーはいう。これに加えられる三つ目の経路は、他の人々への監視の関係である。自分が持つ無数の目を自分自身に向けるだけでなく他の人々に対する絶え間のない視察を行なうこと。フーコーによると、ギリシア人によって絶えず批判されていたポリュプラグモシュネーというネガティヴな概念がある。それは誰のことにも口出しをする「おせっかい」のことであるが、キュニコス派は、他の人々の個別な生にではなく、人類一般に属することに専念しつつ同時に自分自身に配慮することである、したがって「おせっかい」とは区別されねばならない。フーコーは「兵士たちを視察する将官」を例に挙げて説明する。将官の視線で問題になるのは、兵士たちの個人の生ではなく、兵士が軍隊の不可欠な一部をなすために必要なもののすべてであり、将官は軍隊全体に専念している、つまり軍隊の一部をなしその責任を担う自分自身に専心しているという。このような他の人々の監視でもあるような自己の監視は一つの変化を目的とするとフーコーは指摘する、それは、個々人の行いにおける変化と、世界の一般的布置における変化である。

 

 おお諸君、諸君はどこへ急いでいるのか。可哀そうに諸君は何をしているのか。諸君は盲人のごとくに行きつ戻りつしている、諸君は本当の道を棄てて別の道を進んでいる。諸君はゆとりのあることと幸福とをそれらのない別の処にさがし、他人が教えても信じないのである。どうして諸君はそれを外界にさがすのか。それは肉体の中にはないのだ。(エピクテトス『人生談義』下)

 

キュニコス派はこのように言葉の介入によって、人間たちの間違いを示す。フーコーが前述したようにュ

ニコス派は古典哲学の伝統的テーマを取り上げ直し、貨幣の価値を変えて、真の生が、哲学者を含む人間たちの伝統的な生とは別の生でしかないことを明らかにする。真の生があるとしたら、普通の人々の営む生とは全く別の生であることを明るみに出す。そして真の生の役目は自らを別の生として提示しつつ、それ以外のすべての生は誤謬であることを示すこと、つまりキュニコス主義的生を送っていない人間に対し本当の生存へとつながる生存形式へ立ち返るように勧告することは、キュニコス主義的真理陳述であるとフーコーは指摘する。しかし、少数の人たちに声をかけ納得させるのではなく、すべての人間に対して、世界全体の改革であるような生の一つの形式に言及し、彼らとは別の生を送っていることを示すのだとフーコーはいう。

 フーコーは八四年の講義『真理の勇気』に取り上げることのなかった草稿を講義録に加えている。それによると、もう一つの別の世界としての真の生は、プラトンが描き出した「身体から解放された後の魂に約束された世界」とは同じではない。それは、「キュニコス主義的戦闘性がもはやまったく必要でなくなるような世界」、つまり賢者たちの世界であり、「身体、権力の行使、財産の所有のなかにではなく、自己自身のなかに探さなければならない」のが、その真の生の原則である。こうした事柄はストア主義にも属するものであるが、キュニコス主義の歴史的核を構成するものが表明されている。それは、「自己および他の人々との関係において真理を表明し真理を実践するような生となることである」、つまり「真理陳述の生は、人間と世界を変容させることを目標とする」とフーコーはいう。「キュニコス主義は哲学的学説はほんのわずかしかの濃さなったが、哲学的生に対しては特異な形態を与え、別の生に基づく生存に対して強力な執拗さを与えたので、そのご幾世紀にもわたって哲学的生の問題をしるしづけることになる」とフーコーは書き記した。

 世界をめぐる形而上学的経験と、生をめぐる歴史的かつ批判的経験は、西欧の哲学的経験の生成における根本的な二つの核であるとフーコーは指摘する。しかし、世界が真理においてどのようなものかを知り語ることは最終目的ではなく、「世界が自らの真理に合流するため、世界が変貌し別のものになって自らの真の姿に到達するためには、人が自己に対して持つ関係における完全な変化と変質が不可欠である」、つまりキュニコス主義によって約束された別の世界の移行は「自己の自己への回帰、こうした自己への配慮」が不可欠であるという原理を彼らが示したのだとフーコーはいう。近代がそこから始まるというフーコーが指摘するデカルト的認識とはまったく異なる原理である。

 

 キュニコス主義的修練主義からキリスト教的修徳主義への移行

 フーコーは、ここまで述べてきたキュニコス主義的生の原理は、ストア派のエピクテトスが明らかにしたストア主義との一つの混成物であると注意を促している。それにも関わらずにエピクテトスのテクストを使用する目的は、いかにキュニコス主義が、他のさまざまな哲学、主にストア主義の哲学から借り受けたいくつかのテーマによってどのようにして取り巻かれることになったのか、またその結果、本来のキュニコス主義的学説と比較し、どのようにして混成物の形態を取ったのかをフーコーは示したかったのだという。簡単にいえば、前時代の哲学的考察のなかに次の時代の萌芽を解読し、さらに次の時代の相続を解読するという系譜学的な歴史解釈と考えてよいであろう。ともかく、ここではエピクテトスの「『人生談義』下、第三巻二十二章」の、犬儒学派に記述されている人物像にキリスト教的モデルの類似点をフーコーは指摘する。人間たちに真の生の修練的=修徳的実例を示し、自分自身に立ち返るように勧告し、彼らをまっすぐな生に置き直し、世界のもう一つ別のカタスタシスを告げる者という人物像は、一方ではソクラテスから相続されたものであり、他方では、後のキリスト教的モデルに近いものであるとフーコーは指摘する。

 これらを見通した後にフーコーがさらに探求しようと望むのは、古代哲学以後の時代、つまりキリスト教時代の、生きる技法、生の形式としての哲学研究、つまり「真理との関係における修練=修徳主義についての歴史研究」である。それは「異教的修練主義からキリスト教的修徳主義への移行」の分析であるとしてフーコーはいう。まず第一は、修練=修徳の実践、忍耐の形式、訓練の様式において見出される、キュニコス主義とキリスト教との、食物との関係、食の節制との関係、食に関わる修練=修徳との関係に見出される連続性であるという。それらは後に優位に立つセクシュアリティよりも遥かに重要であった。キュニコス派の禁欲の実践は、最小の代価と最小の依存によって最大限の快楽を与える最低限の食べ物と飲み物に限定することが求められた。キリスト教徒はあらゆる快楽が制限され、食べ物も飲み物もそれ自体はいかなる形態の快楽も引き起こさないと考えていたとフーコーはいう。キリスト教修徳主義は、三、四世紀にその強度を強めたやり方で発展した、連続性と極端化が、その後の修道生活の形態内部において社会化されていったとフーコーは指摘する。しかし修道生活以前にはキュニコス主義と似たところがある。例えばスキャンダル、他の人々の意見にたいする無関心、権力に対する無関心などのテーマが見られるという。またキリスト教修徳主義にはキュニコス主義的修練主義との連続性に、動物性が表明されるとフーコーは指摘する。一糸纏わず獣のように草を食べて暮らしていたという隠者の話が、『東方の修道士たち』のテクストに見られる。しかしキュニコス主義とは異なる要素もあるという。その一つは、修徳主義者が選ぶ別の生は、この世界を変容させることを目標とせず、もう一つ別の世界への到達を目標にしていたとフーコーはいう。真の生としての別の生というテーマが、真理への到達としての他界への到達という考えを連結させたのだていたとフーコーは主張する。つまり、真の生の真理を基礎づけるものへの到達としての他界への到達であり、それはプラトンを起源とする形而上学とキュニコス主義を起源とする修練主義の合流であるとフーコーはいう。二つ目の相異は、キュ二コス主義にもプラトン主義にも見られない服従の原則があるとフーコーは指摘する。つまり、主人としての神と、人を奴隷、その僕とする者としての神への服従。主人の代理を務める人々、神からの権威を保持する人々への服従である。真の生としての別の生は、これらの服従と他界への到達と結びつけられているということをフーコーは指摘し、一般的に考えられているように、異教とキリスト教の差異は、キリスト教の修徳主義とそうでない古代の道徳の差異にあるのでなく、修練=修徳主義そのものが、異教的古代、古代ギリシア・ローマの発明品であったことをフーコーは主張している。また、古代の修練主義を暴力的で貴族的なものとして特徴づけ、魂を身体から切り離すような別の形態の修徳主義と対立させるようなニーチェの考え方は間違いであるともフーコーはつけ加える。異教の修徳主義によってキリスト教の修徳主義が成立し、他界との関係、他者への服従(神への服従と代理人たちへの服従)が打ち立てられ権力関係の新たなタイプ、真理の別の体制がキリスト教に姿を現わしたのだとフーコーは主張する。

 

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井筒俊彦『意識の形而上学』を読む。小林稔・連載第五回「心、心見ざれば・・・・・」

2013年11月13日 | 井筒俊彦研究

連載第五回

「心、心見ざれば、相として得べきなし

井筒俊彦『意識の形而上学』を読む。

小林稔

 

 

 『大乗起信論』における形而上学的思想構造では、存在論と意識論は同じ事態を二つの異なる視点から考察するにすぎず、存在と意識の深い相互浸透により完全に一致すると井筒氏は述べた。『意識の形而上学』第一部で考察した存在論を第二部では意識論的に論じていくのであるが、形而上学的構造は何も変わることがないと主張する。

 存在論におけるもっとも重要なキーターム「真如」は「心」に据えられる。全一的円を真ん中で上下に二分し上半分をA領域、下半分をB領域とすることは存在論の場合と変わらない。存在論ではA領域は存在の絶対無分節態、存在の非顕現態であった。つまり存在のゼロ・ポイントであるのに対して、「心」概念を導入する意識論では、A領域は意識の絶対無分節態、意識の非顕現態、つまり意識のゼロ・ポイントであると井筒氏は展開する。

 存在的「無」(絶対無分節態)を、意識論的ではその(無)の背後に「無」の原初的境位に把持する寂然不動の意識を想定せざるを得なくなると井筒氏はいう。これが意識のゼロ・ポイントだ。「無」の意識、すなわち「無」意識は心理学的な無意識を含みはするが、しかし普通の意味での無意識とは異なり、存在論的な実在性の形而上学的極限領域の「無」に、意識論的に対応する「無」の意識であると井筒氏はいう。現象的「有」意識への限りなき可能態としての「無」意識とは、「有」分節に向かう内的衝迫の緊張に満ちた意識の「無」分節態であると主張する。それゆえ「無」意識がそのまま自己分節して「有」意識にそのままそっくり転成することができるのだという。

 先に述べたA領域は「心真如」と名づけ、絶対無分節の次元における全一的意識とし、B領域は「心生滅」と名づけ、現象的意識態の形而下的本体をなす。A領域の上部に「仏心」を置き、B領域の底部に「衆生心」を置く。井筒氏によると、この構造は便宜上のことで、実際は上部の「仏心」と底部の「衆生心」には意味の不動性があるので注意が必要であるという。例えば、「衆生心」の双面性。一方では「一切衆生包摂的心」であり、あらゆる存在者を一つ残さず包摂する覚知の全一的広がりとしての意識であるが、他方では、全く意味の違う日常的意識である。この二つの意味、つまりB領域の現象的意識とA領域の形而上的意識が不思議な仕方で融合するという。B領域がA領域と自己矛盾的に合致する、つまり「衆生心」が「仏心」になることである。このような考えが「悉有仏性」思想に直結すると井筒氏は指摘する。

 このように自己矛盾的合致が理解を難しくするところである。それゆえ井筒氏は、「存在論から意識論へ」と進めてきた論考を再び存在論的視座を導入し、意識論と存在論を同時に並べて考察する必要を感じると主張する。もともと意識とは「……の意識」である以上、「原初的存在分節の意味論的構造」がそのようになっていると、井筒氏は『意識と本質』で指摘しておいたことなのである。存在論的に「真如」の非現実態と現象態が重要であったように、意識論的にも意識(=「心」)の非現実態と現象態のあり方が重要になり、しかも意識論的考察と存在論的考察を絡み合いもつれ合って展開する必要があると井筒氏はいう。

 そのようにして「衆生心」から井筒氏は論を進めていこうとする。「衆生心」とは現象意識としては隨縁起動する「真如」、あるいは「心」である。つまり現象面では「妄信」の乱動、その鏡面上に顕現する一切の存在者は妄象だが「衆生心」の本体は清浄無垢であると『起信論』では述べられている。つまり生滅流転する現象的形姿でありながら原初の清浄性はいささかも失われていないという意味であると井筒氏は解釈する。

 

 大海の水が風のために波浪を生じているときには、水相と風相とはたがいに不離の関係にあるからこれを区別することはできない。しかし水そのものは動性を有するものではないから、もし風が止滅するときには動相のみが止滅して、本来水の湿性は破壊されることがない。それと同様に、一切の衆生が本来そなえている「自性清浄心」が無明の風のために波浪を生じているときには、自性清浄心と無明とはたがいに不離の関係にあるからこれを区別することができない。しかし自性清浄心そのものは動性を有するものではないから、もしも無明が止滅するときには、無明にもとづく迷いの心相の相続は断尽されるが、水の湿性にも比すべき<心の本性としてそなわっている智慧の働き>は決して破壊されることはない。

                      『大乗起信論』の第一章の二より

 

 「自性清浄心」とは「仏心」の別名であり、AがBに転成し、意識(=心)が無分節を離脱して現象顕現の境位に移行しても、その本性(自性清浄心)を保持したままであると井筒氏はいう。これを存在論的に読み直せば、「真如」がその無分節的本性を保持しつつ形而下的存在界に厳然として存在する。したがって現象界(B領域)における「真如」のあり方が問題になってくると井筒氏はいう。『起信論』では「体大」「相大」「用大」の三つの概念がある。「体」とは本体を意味し、時間的空間的限定を超えて変わらないと井筒氏は指摘する。「大」は全包摂的・無制約的超越性を示唆する意味があるという。

「相大」とは数限りない様相という意味。「相」とは本質的属性の意味。Aでは見られなかった属性があると説かれている。つまり「真如」のB領域における自己分節があるということを示す。「真如」が存在分節単位に分裂し、経験界の事物事象を現出させていくことは、一切の人間的経験を意味化していく「アラヤ識」的根源能力としてのコトバの働きの現われであると井筒氏はいう。この存在創造性を指して『起信論』では「真如」を「如来蔵」と呼んでいるという。「用大」の「用」とは「相大」が画面に発動する根源的作用あるいは機能を意味するという。「三大」とは「体大」「相大」「用大」を指す。

 現象的世界を肯定的に見るか否定的に見るかは、意識の意味分節機能を肯定的に見るか否定的に見るかにかかっていると井筒氏はいう。『起信論』では多くの場合、否定的な見方をする。意識の言語的分節機能は「妄念」と考えられ、現象的世界は「妄念」かた立ち上がる虚像に過ぎない。

 

「一切諸法はただ妄念に依りて差別あるのみにして、もし心念(妄念、意識の意味分節機能)を離るれば、一切の境界の相(=対象的事物としての現象的形姿)無し。」

「是の故に、一切の法(現象的「有」)は鏡中の像(=鏡面上に見える映像)の如く、体(=実在する本体)の得べき無きがごとく、唯心にして虚妄なり。心(妄心)生ずれば、即ち種々の法(現象的「有」)生じ、心滅すれば(=分節意識が機能しなくなれば)即ち種々の法滅するを以ての故に。」

「一切の法は皆、心より起り、妄念より生ずるを以て、一切の分別(=現象界の一切の分節的「有」は、自分を分別するのみ。心、心を見ざれば、相として得べきなし)

 

 井筒氏はこれら『起信論』から引用して本質的「無有」性を説明する。最後の「心、心見ざれば、相として得べきなし」とは、「客観的事物の世界は分節意識そのものの自己顕現に過ぎない。だからそれを外側から眺めている認識主体(=心)は、結局、自分で自分の内側を眺めているにすぎない」「心が心を見る」ことがなければ、「全存在世界はそのまま雲散霧消して蹤跡をとどめない、と」。

 

 これらが徹底的な否定面でありながら、『起信論』では「如来蔵」的観点からすべての分析的「有」を「真」として肯定する、つまり「心真如」は存在世界の形而上学的本体として一切の存在者の根底に伏在し、あらゆるものを存在可能性において包含していると井筒氏は指摘する。それではどのような起因でそうなるのか。そこには主体の問題があるに違いない。井筒氏は第三部で明確にするであろう。その前に構造面をしっかり掌握していなければならないのだ。

 井筒氏はプロティノスを引用することが多い。例えば、

 

 「一者」は全宇宙の絶対無的極点。一切の存在者を無限に遠く超越して、言亡慮絶の寂莫たる超越性の濃霧の中に身を隠す独絶者。それでいてしかも「一者」は「万有の父」として、一切者を包摂しつくして一物たりとも余すところがない。自らを、「有」の次元に開叙するとき、あたかも巨大な光源から光が四方八方に発散するごとく、縹渺無限宇宙を顕現し、また反対に自らを収摂するときは、一切の存在者を自己に引き戻し、全世界を寥廓たる「無」の原点に帰入させて一物も余すところがない。

                    井筒俊彦『意識の形而上学』p43

 

他のものによって創造されたものは、自分を生み出した原因のうちに在り、逆に原因は自分の生み出したすべてのものの中に在る、しかもそれらのものの中に散乱して存在するのでなしに、それらの窮極的源泉、窮極的基底、として、それらのもの全ての中に存立する。

                   井筒俊彦『意識の形而上学』p83

 

書かれている主旨もさることながら、井筒氏の叙事詩的文体に私は感じ入る。井筒氏の三十代に書かれたという『神秘哲学』を読んだ時の感動は晩年の文体にも少しも失われていない。

『起信論』の「心真如」もそれと全く同様に、一切事物の窮極原因として、それらの中に本体的に存立しているという。つまりその窮極原因から、意味分節意識の創造性の働きで、存在分節単位としての「有」が数限りなく現象してくるというのだ。

 

 

次回第六回

「空」と「不空」について。

 

 

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