長期連載エセー『「自己への配慮」と詩人像』(十七)その一
小林 稔
45 古代ギリシアの修練=修徳主義からキリスト教の服従の原則までのパレーシアの変遷
真の生(alethes bios)をめぐる古代哲学に求められていた四つのテーマが、キュニコス主義では極端化「拡大適用」とそれに纏わるスキャンダルによって、大きく変貌してしまった様態をフーコーの叙述に沿って考察してきた。四つのテーマとは、隠蔽せざる生、非依存的な生、まっすぐな生、そして主権的な生である。キュニコス主義による変容によって、前者の三つは、それぞれ、裸の生、貧しい生、獣的な生といえるものに特徴を持たされていく。つまりキュニコス主義の真の生は、プラトンやストア派の哲学と問題を共有しているが、結果として別の生へと導かれていったのである。フーコーによれば、キュニコス主義とは、「古代哲学の限界」を出現させるものであり、「哲学者がそこに自分を見ながら自分を認めるのを拒否するよう導かれる壊れた鏡のようなもの」なのである。四つ目の「主権的な生」のテーマは、フーコーによって詳しく述べられていて、前回の私のエセーで概略を示したが、ここで要約をかねてフーコーの叙述のレジュメをしておこう。
プラトンやセネカ、エピクテトスたちのストア派において「主権的な生」の概念がどのようなものであっか。二つの特徴を挙げると次のようになる。
一、「享受の次元に属する自己との肉体の創設を目指す生」であるということ。それは自分自身を所有する生である。つまり自分自身に対して主権を持ちつづけることである。真の逸楽(所有であるとともに快楽)のあらゆる原理と基礎が自己のうちに見出される生である。
二、一人もしくは複数の他者との関係に対して開かれているということ。指導、援助、霊的な助けの関係である。他者にとって自分が有益な者であるということ。それは義務の属するものであり、自己統御を他者の目前で証言すること、自己自身を享受することと必要とする人を助けることは、いわば同一の主権性の異なる側面に過ぎず、余剰ないし過剰の活動である。
このように捉えられる「真の生」のテーマが、キュニコス主義では誇大化されることによって、「キュニコス派は王であるという傲慢な言明」のかたちをとることになる。フーコーは、プラトン哲学、ストア派、キュニコス派における、政治的主権と自己自身にたいする主権としての哲学的生の人々に専念する結びつきの違いを述べている。それによると、プラトンにおいては、哲学と君主制の関係は構造上のアナロジーの形態で描かれているということがあり、理想的な地点では、哲学者が君主制を行使できるということ、つまり哲学と政治の一体化が求められているのである。ストア派においても君主制と哲学の結びつきは見られるが、ストア派では、哲学者は王以上の者、つまり自分自身を統治できるだけでなく、王の魂を管理し、指導し、先導できる者と考えられていた。たんに都市国家に生きる人々の魂だけでなく、人間一般の魂、人類の魂をも統治できる人のことであると考えられていた。キュニコス派では、「キュニコス派自身が唯一の真の王である」と言明した。実際に戴冠した王は、真の王の影に過ぎないというのである。キュニコス派は自分を、「王に敵対する王、自らの君主制の真理そのものによって政治的王制の錯覚を告発しそれを明るみに出す真の王として措定したのである。
ディオン・クリュソストモスの書物に報告されているディオゲネスとアレクサンドロス大王の出会いは有名である。同じ書物でペルシアの祭式でなされたことに言及する。「ある種の儀式に一人の捕虜を連れてきて、しばらくの間彼を王のように扱い、彼に廷臣を与え、彼のあらゆる欲求、あらゆる欲望を満たす。本当に王にふさわしいやりかたで彼を扱った後で、彼の衣服を脱がせ、彼を鞭打ち、彼をついに絞首刑に処するに至る」。これが人間たちの王すべての運命なのだとディオゲネスは語ったと、クリュソストモスは記述した。キュニコス派の王はそれらの満足、快楽、飾りを必要とせず王でありつづけるのだが、「自分が王であることを意図的に隠す王である」、さらに「自己の自己に対する執拗な攻撃」が見出されるとフーコーはいう。フーコーによれば、それは忍耐の訓練である。またキュニコス派の君主制は献身のそれでもある。それは自己の放棄という形態で他の人々に専念する。つまり犠牲的な使命ともいえる。そうした使命が闘いの形態を取るということ、論争的な特徴があるといえる。キュニコス主義における哲学的戦闘性は、しきたり、法、制度といった人間に共通する悪徳、欠点などに立ち向かうものであり、「世界を変えようとする」戦闘性、世界の中で世界に対抗する開かれた戦闘性であるとフーコーは指摘する。
使命としてのキュニコス主義
ストア派のエピクテトスのテクスト『語録(人生談義)』からキュニコス主義的主権の定義についてフーコーは考察しようとする。フーコーも注意を促しているように、エピクテトスはストア派の一人なので、そこに述べられているのは、キュニコス派の直接的表現ではなく、ストア主義とある種の形態のキュニコス主義との接点から見て容易に受け入れられるものに関する描写であることを注意しなければならない。つまり、「一人のストア派がキュニコス主義的生を、自分にとって最も容易に受け入れたもの、最も容易に認めることができたもの、最も本質的で最も純粋であると思われたもの関して描写したものであるということ」とフーコーはいう。
エピクテトスは、キュニコス主義からスキャンダラスな部分を排除し、清潔さと礼儀正しさを強調する。そして哲学的生の戦闘的実践として提示している。フーコーによると、ストア派では地位や境遇に齎される責務や義務を怠ることは不名誉なこととされていた。しかし哲学はあくまで生の選択であると考えられていたが、エピクテトスはそれを変形させたという。キュニコス主義者になろうとする者に、キュニコス派の衣服、風体、生の様式という外的な特徴を選択することを戒める。それは「見せかけの姿」に過ぎず、自分をキュニコス派と任じることはしてはいけないことであり、必要なことは神によって指名されなければならないということを述べる。神に授けられた使命は個人的にある一つの任務に縛り付けていたソクラテスのテーマとは、少し別の意味があるとフーコーは指摘する。神から指名されなかった人をその務めから遠ざけるという効果がある。それでは、指名された人と指名されなかった人とを分けるものとは何か。自分で自分をキュニコス派と認めることではなく、まず自分を試練に賭けることである。エピクテトスはいう、「自分の欲望を完全に捨て去り、きみに依存するもののみを避けるよう務め、怒りも妬みも哀れみも抱かないようにしなければならない。・・・(略)・・・きみは次のことを知っておかなければならない。すまわち、他の人々はその行動を成し遂げるために塀や家や闇によって身を守っているということ、そうした行動を隠す無数の手段を持っているということを。人は自分の戸を閉ざしているのだ。」ここには「隠蔽されざる生」の理想が見つけられるが、その原則はアナイデイア(慎みの欠如)ではなく、逆にアイドース(慎み)に直接連結されているとフーコーはいう。つまり、「哲学的生を送る者は、慎みの諸規則に従って行動する者である以上、自らを隠す必要などないからである」。自分がキュニコス派であると認めるようにするための第一の試練は、隠蔽なき生を生きることができるかという点にある。
第二の試練は、簡素化された貧しい生を生きることができるかどうかという点にある。「小さい肉体は私に対しては何ものでもないし、またその諸部分は私に対して何物でもない。死か。好きな時に、その全体でも部分でもやってくるがよい。追放か。しかしどこへ追い出すことができるのか。宇宙の外にはできない。またどこへ私が立ち去ろうとそこには太陽があるし、また月も星辰も、夢も、前兆も、神々との交わりもあるのだ。」(エピクテトス『人生談義』下、岩波書店刊からの引用)貧しい生とは混合も依存もない生のことである。「貧しさと彷徨の生の試練である」とフーコーは説明する。
第三の試練は、敵と見方を見分ける術を心得た生を送ることができるかという点である。エピクテトスのテクストによれば、キュニコス派は、人間たちに対して何が味方で何が敵かを示す偵察者(カタスコポス)であると語られる。キュニコス主義の使命は修練や訓練というアスケーシスの実践において認められるものであるとフーコーはいう。自分で自分をキュニコス派と認めるのは、キュニコス主義的生の試練の中で行なわれる。その試練の中で認められるのは一つの使命であるとフーコーは分析する。それによると、キュニコス派の考える使命とは、哲学的戦争を進める者であるということであり、自分に課す耐久である。つまり、他の人々から被りうる暴力、殴打、不正の受け入れである。殴打、侮辱、屈従は一つの訓練であり、一つの反転を伴うのである。
君自身を知るがいい、ダイモニオンの声に訊ねるがいい、神なしには着手せぬがいい、というものに神が忠告するならば、よく知っておくがいいが、神は君が偉大なる者となることを欲しているか、あるいは大いに打たれることを欲しているのだ。というのはこれも犬儒学徒には非常に上手く織り込まれているからである。自分は驢馬のごとく打たれねばならぬ、そして打たれながら、自分を打つその人たちをば、万人の父であり、兄弟であるように愛さなければならない。……犬儒学徒にとって皇帝は何であるか、総督は何であるか、あるいは自分をこの世に送ってくれて、そして自分の仕えているもの、すなわちゼウスより外のものは何であるか。(同書『人生談義』下、第二十二章)
屈従はゼウスによる訓練としての価値を持つが、さら忍耐の訓練によって哲学者と人類全体とのあいだに存在しうる人類愛的な絆、自分に害を与える人々に結びつけられているという確信が表明され強化されているとフーコーは指摘する。このような背景のもとにおけるキュニコス派の任務は、偵察者の任務であり、見張りの任務である。エピクテトスは、すべての人間は結婚しなければならないが、キュニコス派の人々は結婚しないことが必要であるという。「全面的に神に奉仕して気を散らさぬこと、つまり人々のあいだに自由に出入りして、個人的な義務にも縛られなければ、また諸々の関係にも巻き込まれるべきではないのではないだろうか」とエピクテトスのテクストでは記述されている。人間の眠りに気を配る普遍的な夜警のような者、巡回し脈をとる医師のように、とフーコーは形容する。何が善であり何が悪であるかを語る者、つまり倫理的普遍性に仕える者であるが、一つの集団の政治的普遍性ではなく、あらゆる人間の普遍性であるとフーコーは指摘する。さらに、フーコーはエピメレイアのテーマにも言及する。哲学者は人間たちの配慮に対して気を配っている、つまり人類全体に関する幸福と不幸、自由と隷属を問題にする政治的活動の、キュニコス主義哲学の任務を指摘している。「あらゆる簡素化、あらゆる耐乏、あらゆる苦痛を通して、人間たちを呼び止めて彼らがいる場所で彼らに助けを与えるというキュニコス派の一日のつらい仕事を思い起こさせるとフーコーはいう。そして「自分のすべての思考が、神々の友であり神々への奉仕である者の思考、ゼウスの統治に協力する者の思考である(エピクテトス)」ことをキュニコス派は知り、純粋なこころで眠りに憑くことができるのだとフーコーは思いを述べている。キュニコス派は生の黄昏時に、隠された君主制を越え、人類全体に対する神々の主権という真の主権の中で復活するのだ。ここにキュニコス主義の主権のテーマの反転があるとフーコーはいう。
フーコーはこの叙述の後で、講義(『真理と勇気』)で取り上げなかった草稿を載せている。要約すれば、哲学的戦闘性はキュニコス主義の発明ではなく、古代の哲学の伝統に根づいていたものである。しかしキュニコス主義の特異性とは、開かれた場で展開されたこと、パイデイア(教育)を要請しないという点にあり、しきたり、法、制度と闘う、つまり世界を変えようとする戦闘性である。さらに、このような戦闘性の中に世界に対抗する戦闘性が持つプロパガンダの実践であり、その歴史的な重要性が、キュニコス主義が組み込まれる系列に与えられるということにフーコーは注意を喚起している。すなわち、霊的闘いであると同時に世界のための闘いでもあるキリスト教の活動主義とそれに纏わる托鉢修道会、宣教、宗教改革であり、その後に起こった動き、十九世紀の革命的戦闘性を指摘する。「世界を変化させるための、別の生としての、闘いの生としての真の生」のテーマがそれらに見出されるとフーコーは主張している。
別の生に移行するキュニコス主義的生の原理
私は真の生をめぐる古代哲学における四番目の主権のテーマが、キュニコス派によって別の生に導かれたことをフーコーの指摘によって述べてきた。キュニコス主義を特徴づける主権は、政治的主権、つまり政治的主権に対し二重の愚弄を構成しているとフーコーは要約する。ディオゲネスはアレクサンドロス大王の対決で自分こそ真の王である言明する。それはアレクサンドロスの君主制の保持は、知恵の主権に過ぎないからである。それが一つ目の愚弄であり、もう一つの愚弄は、政治的君主制における富と権力を自らに与えていたのに対して、キュニコス主義の君主制は孤独の実践、簡素化の実践であったことを示したことである。そここらキュニコス主義の君主制はほんとうの君主制、普遍的君主制であったことを主張する。キュニコス派は、一日の黄昏時になって、「自分の思考が、神々の友であり神々の奉仕者である者の思考、ゼウス統治に協力する者の思考である」ことを知り、純粋な心で眠りにつくことができたのだとフーコーはいい、さらにキュニコス主義的主権の行使は二つの帰結をもたらした。一つは、主権を行使する者に至幸の生の方式を創設したということである。キュニコス派は自らの運命を肯定し、ゼウスによって導かれることを受け入れる、つまりゼウスが授ける試練、生の厳しさのすべてを受け入れることである。何一つ持たないにもかかわらず自由であるという王制のテーマである。地上の王たちのための浄福はなく、自分の運命を受け入れる者に与えられるものであるというのがフーコーのいう第一の帰結である。二つ目は、キュニコス派の主権的生が浄福の生であると同時に真理の表明でもあるということである。その真理の表明にはさまざまに異なる道を同時に辿るということがある。第一の経路においては、真理との直接的な関係である。プラトンの対話篇『ラケス』において本質的なテーマであった、語ることと生きるやり方との調和である。行いにおけるこのような合致のみならずキュニコス派には、肉体的な合致の関係もある。エピクテトスは、キュニコス主義の惨めさの誇張を拒絶する。なぜなら真理は人をひきつけ納得させるものでなければならないが、汚さ、醜さ、下劣さは人を押し返すものであるからである。したがって、キュニコス派は身体の簡素化に加え、清潔さにおいても人をひきつける真理の造形美を持つものであると主張する。フーコーがいうように、これらはストア主義的な原則に従い、キュニコス主義の肖像に規制を加えることである。つまり真理の表明のための最初の道であるとフーコーは指摘する。第二の経路においては、自己の自己に対する真理の作業が問題になる。苦難、悪徳、誘惑に対する闘いに対して敗北を避けるため、自分が取り込むことになる事柄に対して見積りをしなければならない。自己認識はそれだけではなく、自己の自己に対する絶え間のない警戒でもなければならない。自分自身の思考の夜警でなければならないということ。つまり、性急な承認、熟慮を伴わない性向、
みたされない欲望、忌避に至らない嫌悪、成果を伴わない計画がありはしないか、中傷や魂の卑しさや妬みがありはしないかなど、自分の注意と活力を集中させる。「自らの表象の流れへの絶え間ない視線であること」とフーコーはいう。これに加えられる三つ目の経路は、他の人々への監視の関係である。自分が持つ無数の目を自分自身に向けるだけでなく他の人々に対する絶え間のない視察を行なうこと。フーコーによると、ギリシア人によって絶えず批判されていたポリュプラグモシュネーというネガティヴな概念がある。それは誰のことにも口出しをする「おせっかい」のことであるが、キュニコス派は、他の人々の個別な生にではなく、人類一般に属することに専念しつつ同時に自分自身に配慮することである、したがって「おせっかい」とは区別されねばならない。フーコーは「兵士たちを視察する将官」を例に挙げて説明する。将官の視線で問題になるのは、兵士たちの個人の生ではなく、兵士が軍隊の不可欠な一部をなすために必要なもののすべてであり、将官は軍隊全体に専念している、つまり軍隊の一部をなしその責任を担う自分自身に専心しているという。このような他の人々の監視でもあるような自己の監視は一つの変化を目的とするとフーコーは指摘する、それは、個々人の行いにおける変化と、世界の一般的布置における変化である。
おお諸君、諸君はどこへ急いでいるのか。可哀そうに諸君は何をしているのか。諸君は盲人のごとくに行きつ戻りつしている、諸君は本当の道を棄てて別の道を進んでいる。諸君はゆとりのあることと幸福とをそれらのない別の処にさがし、他人が教えても信じないのである。どうして諸君はそれを外界にさがすのか。それは肉体の中にはないのだ。(エピクテトス『人生談義』下)
キュニコス派はこのように言葉の介入によって、人間たちの間違いを示す。フーコーが前述したようにュ
ニコス派は古典哲学の伝統的テーマを取り上げ直し、貨幣の価値を変えて、真の生が、哲学者を含む人間たちの伝統的な生とは別の生でしかないことを明らかにする。真の生があるとしたら、普通の人々の営む生とは全く別の生であることを明るみに出す。そして真の生の役目は自らを別の生として提示しつつ、それ以外のすべての生は誤謬であることを示すこと、つまりキュニコス主義的生を送っていない人間に対し本当の生存へとつながる生存形式へ立ち返るように勧告することは、キュニコス主義的真理陳述であるとフーコーは指摘する。しかし、少数の人たちに声をかけ納得させるのではなく、すべての人間に対して、世界全体の改革であるような生の一つの形式に言及し、彼らとは別の生を送っていることを示すのだとフーコーはいう。
フーコーは八四年の講義『真理の勇気』に取り上げることのなかった草稿を講義録に加えている。それによると、もう一つの別の世界としての真の生は、プラトンが描き出した「身体から解放された後の魂に約束された世界」とは同じではない。それは、「キュニコス主義的戦闘性がもはやまったく必要でなくなるような世界」、つまり賢者たちの世界であり、「身体、権力の行使、財産の所有のなかにではなく、自己自身のなかに探さなければならない」のが、その真の生の原則である。こうした事柄はストア主義にも属するものであるが、キュニコス主義の歴史的核を構成するものが表明されている。それは、「自己および他の人々との関係において真理を表明し真理を実践するような生となることである」、つまり「真理陳述の生は、人間と世界を変容させることを目標とする」とフーコーはいう。「キュニコス主義は哲学的学説はほんのわずかしかの濃さなったが、哲学的生に対しては特異な形態を与え、別の生に基づく生存に対して強力な執拗さを与えたので、そのご幾世紀にもわたって哲学的生の問題をしるしづけることになる」とフーコーは書き記した。
世界をめぐる形而上学的経験と、生をめぐる歴史的かつ批判的経験は、西欧の哲学的経験の生成における根本的な二つの核であるとフーコーは指摘する。しかし、世界が真理においてどのようなものかを知り語ることは最終目的ではなく、「世界が自らの真理に合流するため、世界が変貌し別のものになって自らの真の姿に到達するためには、人が自己に対して持つ関係における完全な変化と変質が不可欠である」、つまりキュニコス主義によって約束された別の世界の移行は「自己の自己への回帰、こうした自己への配慮」が不可欠であるという原理を彼らが示したのだとフーコーはいう。近代がそこから始まるというフーコーが指摘するデカルト的認識とはまったく異なる原理である。
キュニコス主義的修練主義からキリスト教的修徳主義への移行
フーコーは、ここまで述べてきたキュニコス主義的生の原理は、ストア派のエピクテトスが明らかにしたストア主義との一つの混成物であると注意を促している。それにも関わらずにエピクテトスのテクストを使用する目的は、いかにキュニコス主義が、他のさまざまな哲学、主にストア主義の哲学から借り受けたいくつかのテーマによってどのようにして取り巻かれることになったのか、またその結果、本来のキュニコス主義的学説と比較し、どのようにして混成物の形態を取ったのかをフーコーは示したかったのだという。簡単にいえば、前時代の哲学的考察のなかに次の時代の萌芽を解読し、さらに次の時代の相続を解読するという系譜学的な歴史解釈と考えてよいであろう。ともかく、ここではエピクテトスの「『人生談義』下、第三巻二十二章」の、犬儒学派に記述されている人物像にキリスト教的モデルの類似点をフーコーは指摘する。人間たちに真の生の修練的=修徳的実例を示し、自分自身に立ち返るように勧告し、彼らをまっすぐな生に置き直し、世界のもう一つ別のカタスタシスを告げる者という人物像は、一方ではソクラテスから相続されたものであり、他方では、後のキリスト教的モデルに近いものであるとフーコーは指摘する。
これらを見通した後にフーコーがさらに探求しようと望むのは、古代哲学以後の時代、つまりキリスト教時代の、生きる技法、生の形式としての哲学研究、つまり「真理との関係における修練=修徳主義についての歴史研究」である。それは「異教的修練主義からキリスト教的修徳主義への移行」の分析であるとしてフーコーはいう。まず第一は、修練=修徳の実践、忍耐の形式、訓練の様式において見出される、キュニコス主義とキリスト教との、食物との関係、食の節制との関係、食に関わる修練=修徳との関係に見出される連続性であるという。それらは後に優位に立つセクシュアリティよりも遥かに重要であった。キュニコス派の禁欲の実践は、最小の代価と最小の依存によって最大限の快楽を与える最低限の食べ物と飲み物に限定することが求められた。キリスト教徒はあらゆる快楽が制限され、食べ物も飲み物もそれ自体はいかなる形態の快楽も引き起こさないと考えていたとフーコーはいう。キリスト教修徳主義は、三、四世紀にその強度を強めたやり方で発展した、連続性と極端化が、その後の修道生活の形態内部において社会化されていったとフーコーは指摘する。しかし修道生活以前にはキュニコス主義と似たところがある。例えばスキャンダル、他の人々の意見にたいする無関心、権力に対する無関心などのテーマが見られるという。またキリスト教修徳主義にはキュニコス主義的修練主義との連続性に、動物性が表明されるとフーコーは指摘する。一糸纏わず獣のように草を食べて暮らしていたという隠者の話が、『東方の修道士たち』のテクストに見られる。しかしキュニコス主義とは異なる要素もあるという。その一つは、修徳主義者が選ぶ別の生は、この世界を変容させることを目標とせず、もう一つ別の世界への到達を目標にしていたとフーコーはいう。真の生としての別の生というテーマが、真理への到達としての他界への到達という考えを連結させたのだていたとフーコーは主張する。つまり、真の生の真理を基礎づけるものへの到達としての他界への到達であり、それはプラトンを起源とする形而上学とキュニコス主義を起源とする修練主義の合流であるとフーコーはいう。二つ目の相異は、キュ二コス主義にもプラトン主義にも見られない服従の原則があるとフーコーは指摘する。つまり、主人としての神と、人を奴隷、その僕とする者としての神への服従。主人の代理を務める人々、神からの権威を保持する人々への服従である。真の生としての別の生は、これらの服従と他界への到達と結びつけられているということをフーコーは指摘し、一般的に考えられているように、異教とキリスト教の差異は、キリスト教の修徳主義とそうでない古代の道徳の差異にあるのでなく、修練=修徳主義そのものが、異教的古代、古代ギリシア・ローマの発明品であったことをフーコーは主張している。また、古代の修練主義を暴力的で貴族的なものとして特徴づけ、魂を身体から切り離すような別の形態の修徳主義と対立させるようなニーチェの考え方は間違いであるともフーコーはつけ加える。異教の修徳主義によってキリスト教の修徳主義が成立し、他界との関係、他者への服従(神への服従と代理人たちへの服従)が打ち立てられ権力関係の新たなタイプ、真理の別の体制がキリスト教に姿を現わしたのだとフーコーは主張する。
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