エセー「自己への配慮と詩人像」(六)その2、『ヒーメロス』14号2010年6月
小林稔
34 『ソクラテスの弁明』とパレーシア
弁論術批判
告訴人たちの告訴状が述べられたと思われる直後、それに対するソクラテスの弁明から始まる。冒頭から弁論術に否定的なソクラテスが描き出される。告訴はわれを忘れるほどの説得力がみられた、しかし本当のことは何もなかったとソクラテスは述べる。ソクラテスは、自分は弁論家のように美辞麗句を使わないし、下手な言い方をするかもしれないが、私から真実を聞かれるだろうと五百人のアテナイ市民に語るのだ。ソクラテスを告訴している人たちには二通りいる。永い時間をかけてソクラテスを中傷してきた人たちが以前からいて、最も信じやすい十代の少年たちに噂を吹聴し信じ込ませているとソクラテスは言うのだ。
諸君の大多数を、子供のうちから、手中にまるめこんで、ソクラテスというやつがいるけれども、これは空中のことを思索したり、地下のいっさいをしらべあげたり、弱い議論を強弁したりする、一種妙な知恵を持っているやつなのだという、何ひとつ本当のこともない話を、しきりに聞かせて、わたしのことを讒訴していたからなのです。(『ソクラテスの弁明』18B)
中傷され信じ込まされてきたものを取り除かなければならないとソクラテスは考えるが、法廷の場で短時間にそうするのは難しいことだと述べる。もう一通りの告訴人たちは最近ソクラテスを訴えた人たちであり、最初に述べた告訴人たちから吹聴された人たちである。ソクラテスは、まず以前からの告訴人たちに弁明をする。ソクラテスは他の人たちから何らかの知恵を持っていると思われていることは確かなことであろうと考える。
ところで、『賢者と羊飼い』で中山元氏は、「ソクラテスの演説の背景にプラトンはそのさまざまな対話編において、ソフィストたちの弁論術に絶えず批判を展開していたという。例えば『パイドロス』では、弁論術を教える教師たちは「真実らしきものが真実そのものよりも尊重されるべきであることを見抜いた人たち」であるとソクラテスは述べ、さらにパイドロスの口を借りて弁論術を次のように批判している。
将来弁論家となるべき者が学ばなければならないものは、ほんとうの意味での正しいことがらではなく、群衆にー―彼らこそ裁き手となる人たちなのですがー―その群衆の心に正しいと思われる可能性のある事柄なのだ。さらには、ほんとうに善いことや、ほんとうに美しいことではなく、ただそう思われるであろうような事柄を学ばなければならぬ。なぜなら、説得するということは、この、人々になるほどと思われるような事柄を用いてこそ、できることなのであって、真実が説得を可能にするわけではないのだから、ということです。(『パイドロス』200)
当時のソフィストたちによって教育されていた弁論術の一端をこのような文面から知ることができるのである。一方、パレーシアは率直に語ることを意味しているが、パレーシアがそのまま真実なのではない。『真理とディスクール』でフーコーは、「パレーシアにおいては、語り手は発言する主体であると同時に、発言されたことの主体でもある」ので、「わたしはこう考える者である」という形になる。「パレーシアでは、語られたことに対する語り手の姿勢は、特定の社会的な状況に、語り手と聞き手の地位の違いに結びついている」と分析している。このことからパレーシアには語り手にとっての危険が絶えず存在することになる。「パレーシアテース(パレーシアをする人)は「あることが真理であることを知っているために真理を語る人である」とフーコーはいう。ギリシアではデカルトが考えるような明証性という経験によってではなく、「パレーシアという発言する行動そのものによって」考えることが真理になると考えら
れる。真理の獲得が問題にならないのは、「語る主体がある道徳的な特質をそなえていれば、真理を所有
していることが保証されたから」であるとフーコーは述べる。道徳的な特質をそなえていることがパレーシアの前提条件なのである。さらに勇気がパレーシアテースの証になる。多数と意見が異なることを語るのはリスクを引き受けることになるからである。したがって王や僭主はパレーシアを行使できないことになる。『ソクラテスの弁明』のソクラテスのように、生命の危険を賭けてするパレーシアでは、自分を偽って生きることではなく、真理を語る者であることを他者との関係で選んだといえるのだ。したがって、フーコーはパレーシアは真理を語る者と真理を聞く者との「ゲーム」として捉えているのである。語り手は聞き手より低い身分にあること、また批判する機能をもっていること、そして真理を語ることがパレーシアに求められていたのである。弁論術がプラトン‐ソクラテスの伝統において、いかに批判の的になっていたかは先に述べたが、パレーシアにとっても対立概念であることに変わりはない。プラトンの書物で問題になったレトリック(弁論術)とパレーシアの対立は、その後数世紀にわたって、哲学の伝統に受け継がれることになったとフーコーは指摘する。(このエセーではすでに考察を始めているが、時代的にはヘレニズム・ローマ期から古代ギリシアに戻ってパレーシアの発生と変遷を考えている。)
デルポイの証言
ソクラテスは自分が人間教育をして金銭をもらい受けているという噂を法廷できっぱり否定し、もしほんとうに人間教育というものが可能ならそれは結構なことであると述べる。ここでソクラテスは何人かのソフィストたちの名を挙げ、自分にそういう知識があったならするところだが、自分にはそういう知識がないので人間教育なるものはしていないと明言する。それでは「君が仕事としているのは、何なのだ」という質問に直接答えることなく、デルポイで受けた神託の話をすることになる。
わたしに、もし何か知恵があるのだとするならば、そのわたしの知恵について、それがまたどういう種類のものであるかということについて、わたしはデルポイの神(アポロン)の証言を諸君に提出するでしょう。というのは、カレイポンを、たぶん、諸君はごぞんじであろう。あれはわたしの、若い時からの友人で、あなたがたの多数とも、同じ仲間に属し、先年はあなたがたといっしょに、国外に亡命し、またいっしょに帰国しました。そしてまた、カレイポンがどういう性質のものだったかということも、諸君はごぞんじだ。あれは何をやりだしても、熱中するたちだったのです。それでこの場合も、いつだったか、デルポイへ出かけて行って、こういうことで神託を受けることをあえてしたのです。それで、そのことをこれからお話しするわけなのですが、どうか諸君、そのことで騒がないようにしていてください。それはつまり、わたしよりも誰か知恵のある者がいるか、どうかということを、たずねたのです。すると、そこの巫女は、より知恵のある者は誰もいないと答えたのです。(『ソクラテスの弁明』21)
ソクラテスには神の言おうとすることが謎であった。自分は知恵のある者と思ったことはないが、神が嘘をつくことも考えられないからである。その後、ソクラテスはどのような行動をしたか。彼は世間で知恵のある人と思われている人を一人ひとり訪ねたのである。しかしソクラテスには彼らが知恵のある人たちとは思えなかった。彼らにそのことを伝えるので、彼らから憎まれることになったのだとソクラテスは考えたのである。
この人間より、わたしは知恵がある。なぜなら、この男もわたしも、おそらく善美のことがらは、何も知らないらしいけれども、この男は、知らないのに、何か知っているように思っているがわたしは、知らないから、そのとおりに、また知らないと思っている。だから、つまりちょっとしたことで、わたしのほうが知恵のあることになるらしい。つまりわたしは、知らないことは、知らないと思う、ただそれだけのことで、まさっているらしいのです。(中略)……名前のいちばんよく聞こえている人が、神命によってしらべてみると、思慮の点では、まあ九分九厘までは、かえって最も多く欠けていると、わたしには思えたのです。これに反して、つまらない身分の人が、その点むしろ立派に思えたのです。(『ソクラテスの弁明』21~22)
次の部分で興味深い話が語られる。自分より知恵があると思い、作家(詩人)を訪ねていったが、彼らの作品が何を言おうとしているのかをソクラテスが尋ねると、作家よりもその場にいた他の人たちのほうがよくその意味を語ることができたのであった。「かれらがその作品を作るのは、自分の知恵によるのではなくて、何か生まれつきのままのものによるのであり、神がかりにかかるからなのであって、それは神の啓示を取りつぎ、神託を伝える人たちと同じようなものだということです」とソクラテスは語るのである。作家は自分が知恵のある者であるということを、他の事柄についても信じ込んでいることに気がついたのであった。最後に訪れたのが手工者たちのところである。技術上の仕上げが上手にできるからといってそれ以外の大切な事柄についても知恵ある者と勘違いしていたとソクラテスは語るのだ。彼らのもっている知恵を自分はもっていないが、彼らの無知ももっていない。このままでよいのか、それとも彼らの知恵と無知を両方もっていたほうがよいのかソクラテスは考え、そのままにしておくのがよいと考えたのである。神だけがほんとうの知者であり、人間の知恵はまるで価値のないものだということを、あのデルポイの神託は伝えようとしているのかもしれないとソクラテスは考えた。つまり人間の知恵は実際には何の
値打ちもないものだと知った者=ソクラテスが知恵ある者と神は伝えたかったのだと悟ったのである。人間は無知である。ソクラテスは自分が無知であることを知っている。ソクラテスを語るとき、「無知の知」として引き合いに出されることで有名である。中山元氏は『賢者と羊飼い』で、ソクラテスは政治と芸術と技術の三つの分野において真の意味での賢者は存在しないことを確認したのだと指摘する。それぞれの分野の知恵あると思われている人々を調べ上げて反感をもたれ、中傷され、噂が広まったのだとソクラテスは語るのであった。
告訴状の論議
ソクラテスを法廷に立たせたメレトスの訴状は、「青年を腐敗させ、国々の認める神々を認めず、別の新しい鬼神(ダイモーン)のたぐいを祭るがゆえにという訴え」であった。これらのことにソクラテスは弁明をする。青年たちを善い方向へ導くのは誰かをソクラテスはメレトスに尋ねる。メレトスは答えられないでいる。メレトスがこのことに関心を持っていなかったことを明かしているではないかとソクラテスは述べる。苦し紛れに法律とメレトスは答えるが、法律を最初に直接知るのは誰かとソクラテスが聞き返すと、裁判委員とメレトスは答える。すべての裁判官がそうするのかという質問にそうだとメレトスは答える。ここにいる傍聴人もそうするのかという質問にそうだと答える。自分を除くすべての人が青年たちを善い方向に導くということに結論する。例えば馬について言えば、誰か一人を除いて善くするといえるか。実際は多くの人は悪くし例外的に馬事に明るい少数者だけが善くすることができる。同じように青年たちをただ一人の人だけが悪くし、他の多くの人が利益を与えることになる。事実はそうではない。実際は馬事に明るい一人、あるいは少数の人が善くし、大部分の人は悪くするのではないか。青年に対しても同様で、一人が害を与え、他の皆が利益を与えるなら、とても幸福なことだ。したがってメレトスは青年のことなど一度も心配したことがないことを示しているとソクラテスは訴える。また「自分といっしょにいる者から利益を受けるよりも、むしろ害を受けることを欲する者がいるだろうか。」とソクラテスが尋ねると、メレトスは「いない」と答えた。ソクラテスは若者たちを故意に悪くしているのかという質問にメレトスはそうだと断言する。いっしょにいる誰かを悪くすればその者から何か悪いことを受け取る危険がある。しかし彼らの誰もわたしを訴える者がいない。だから害を与え腐敗させていないことになるか、もし悪化させたとしても本位ではないかのどちらかであるから、メレトスはどちらにも嘘をついていることになる。不本意の誤りであれば、法廷ではなく個人的に諭すべきだとソクラテスは述べる。
メレトスの訴状には「国家の認める神々を認めるなといってほかの新しい鬼神(ダイモーン)のたぐいをおしえているからだ」という訴えがある。日輪は石、月輪は土だと主張しているといってソクラテスを訴えているが、それはアナクサゴラスの間違いであることをソクラテスは明かす。鬼神を認めていることは間違いない。鬼神は傍系の子供である神の子の存在は信じて神を信じないということはありえないことだと反駁する。したがって罪を犯したものではないことをソクラテスは主張し、自分に罪を負わせようとするのは多くの人々の中傷と嫉妬であると述べる。
もし君が、少しでも人のためになる人物なら、いやしくもことを行なうに当たって考えなければならないのは、それが正しい行いとなるか、不正の行いとなるか、すぐれた善き人のなすことであるか、あしき人のなすことであるかという、ただそれだけのことではなくて、生きるか、死ぬかの危険も勘定に入れなればならないなどと思っているのだとしたらね。(中略)……知を探し求める生き方をして行かなければならないことになっているのに、その場において、死を恐れるとか、何か他のものを恐れるとかして、命ぜられた持ち場を放棄するとしたら、とんでもない所業になるでしょう。そしてその時こそ、神々の存在を認めない者として、わたしを裁判所へ引っぱり出すのが、真実の正当性をもつことになるでしょう。(『ソクラテスの弁明』28B~29)
知を愛し求めることを放棄すれば許すというのなら断る。自分が命に従うのは、むしろ神に対してである。ソクラテスは、たましいができるだけすぐれたよいものにする(自己への配慮)ことを人々に説いて廻ることをやめないのは神の命令であるからだと語る。
なぜソクラテスは公の場で国家社会に提案しないのかという問題が残る。それに対してソクラテスは、鬼神(ダイモーン)からの合図があり行為を止めようとするのだという。この話はプラトンの対話編によく現れる。鬼神がソクラテスに現われるときは否定的な声となって行為に反対するのである。ダイーモンが反対する理由をソクラテスが考えてみると、正義のために身を滅ぼしても闘うのは私人としてあることが必要であることであった。そこでソクラテスはかつての政務審議会の議員になったときの経験を語る。ある裁判の議決でソクラテスだけが反対し、死刑を恐れて賛成するよりは、法律と正義に与して危険を冒さなければならないと考えたのである。事実危ういところで殺されそうになったのである。「公の仕事に従事するとして、善き人にふさわしい仕方でこれに従事し、正義に助勢して、当然またそうであるように、このことを一番大切にしたとするならば、わたしはこの年まで生きのびることができただろうと、そもそ
も諸君は考えられるでしょうか。」とアテナイ人に問いかける。正義に反することは何事においても譲歩したことがない。また誰かの師になったこともないと述べる。それにもかかわらず、ソクラテスの周りに集まり長い時間を過そうとする人たちがいるのはなぜか。彼らは知恵をもっていると思っている人が、調べられ、そうでないことを明かされるのが面白いからであるとソクラテスはいう。私がしているのは神から命じられたことであると語る。もし青年たちを腐敗させたというなら、年月が過ぎて、若いときに悪いことを勧められたことがあるのに気がつくであろう。当人からも家族からも仕返しをしようとする者はいないのである。この法廷に証人としてきている人たちはソクラテスを助けようとしている。メレトスが訴える、青年たちを腐敗させたという主張は虚偽であるとソクラテスは述べた後、有罪か無罪かの投票がなされたが、わずかの差で有罪と票決した。さて刑量を決めることになる。メレトスは死刑を求刑している。利益を得ず自己への配慮を人々に説いただけの貧しい私にどのような刑が至当なのかとソクラテスは問う。禁固刑や罰金支払いや国外追放や沈黙などを挙げるが、どれ一つ受け入れられるものはない。おとなしく沈黙を守ることは神への不服従になるので不可能だとソクラテスは考えたのである。したがってソクラテス自身の口から自分を死刑にするしかないと告げられる。「わたしを死刑にしないでおくことはできない」と。
自己を配慮しないソクラテス
ソクラテスは陪審員である五百人のアテナイ市民に向かっていう、わたしを死刑にすることは、私の損害であることよりも、あなた方自身の損害になるほうが大きいと。わたしの弁明はわたし自身のためではなくアテナイの市民たちのためなのである。「有罪の評決をして、せっかく神から授けられた贈り物について、あやまちを犯すことのないようにというためなのです。」と述べる。次に述べられる「あぶ」の比喩は有名である。神はソクラテスをあぶのようなものとして付着させた。どこへでも人の後を追いかけ、説得することをやめない。「眠りかけているところを起こされる人たちのように腹を立てて」有罪にし、ソクラテスを殺してしまえば、これからの一生眠り続けるだろうと述べる。フーコーは『主体の解釈学』において自己への配慮の三つの注意事項を述べている。一つは自己への配慮を人々に説いて廻るのは先にも触れたように、神によって彼に委ねられたものであったことである。二つ目はソクラテスが他人のことを気づかうのは、あきらかに彼が自分のことを気づかわず、利益の上がる、有利な、他の一連の活動をないがしろにしてのことであるということ。三つ目は、同胞の目を覚まさせる者の役割を演じているということである。そして自己への配慮の問題はキリスト教の始まりまで引き継がれているとフーコーは指摘している。テクストの中で、ソクラテスは「自分自身のことはいっさいかえりみることをせず」と述べている。報酬を受け取ることもせず要求もせず貧乏であることが神に遣わされたことの証明であるというのである。
わたしはどういう了見によるにもせよ、その生活はじっと静かにしているようなものではなかったからというので、何の刑を受け、何を支払ったら、至当だということになるのでしょうか。わたしはしかし、大多数の人たちとは異なり、金銭を儲けるとか、家業をみるとか、あるいは軍隊の四季や民衆への呼びかけに活動するとか、その他にも、国家の要職につくとか、また徒党を組んで、騒動を起こすとかいう、いまの国家社会に行なわれていることには、関心をもたなかったのですが、それはそういうことにはいって行って、身を全うするのには、自分は本当のところ、まともすぎると考えていたからです。それで、そこにはいって行っても、あなたがたのためにも、わたし自信のためにも、なんの利益もあるはずのないようなところへは、わたしは行かないで、最大の親切とわたしが自負するところのものを、そこへ行って、各人に個人的につくすことになるような、そういうところへ赴いたのです。つまりあなたがたの一人一人をつかまえて、自分自身に気をつけて、できるだけすぐれた善い者となり、思慮ある者となるようにつとめ、自分にとってはただ付属物となるだけのものを、決して自分自身に優先して気づかうようなことをしてはならないし、また国家社会のことも、それに附属するだけのものを、そのもの自体よりも先にすることなく、その他のことも、これと同じ仕方で、気づかうようにと、説得することを試みていたのです。すると、このようなことをしてきたわたしは、何を受け取るのが至当でしょうか。何かよいことをでなければなりません。アテナイ人諸君、もしも本当に、至当の申し出をなすべきだとすればです。(『ソクラテスの弁明』36B~D)
「自己に専念せよ」というソクラテスの、自分を犠牲にすることで、つまり自己を配慮せず行動することで生じる矛盾を考えなければならない。『ソクラテスの弁明』のテクストには解決の糸口が描かれていない。フーコーは『主体の解釈学』で、師の占めるべき位置であることを示唆するだけである。自己への配慮の問題はヘレニズム・ローマ期や初期キリスト教へと引き継がれていくが、プラトン‐ソクラテスのテーマは、哲学者の生のあり方とエロス論において解決されるであろう。(このエセーでは章を改めて論述する。)
死への旅立ち
ソクラテスが有罪になり死刑になるのは、法廷での弁明が失敗したからと思われるだろうが、そうではない。他の人ならするであろう泣き喚くことはわたしにふさわしくないことであり、卑しい行いだとソク
ラテスは考える。「裁判の場合にしても、戦争の場合でも、わたしにかぎらず、他の誰でも、死をまぬかれるためには、何でもやるというような、そうゆう工夫は、なすべきものではない」とソクラテスは語る。死をまぬかれるより、悪化(堕落)をまぬかれるほうがずっとむずかしいという。そしてソクラテスは自分を有罪の投票をした聴衆に向かって言う、「人を殺すことによって、人が諸君の行き方を間違っていると非難するのをやめさせようと思っているのなら、その考えは間違っている。…(中略)むしろ他人を押さえつけるよりも、自分自身を、できるだけ善いひとになるようにするほうが、はるかに立派で、ずっと容易なやり方なのです。」と述べ、無罪の投票をした聴衆には、「死ぬことが災悪だと思っているのなら、そういうわれわれすべての考えは、どうしてもまちがいでなければなりません。なぜなら、例の神の合図(ダイモーン)が、わたしに反対しなかったということは、わたしのまさにしようとしていたことが、何かのために善いものでなかったら、どんなにしても、起こりえないことだったのです」と語るのである。
さらに死は無と同じで何も感じないことなのか、それとも、たましいが別の場所へ移動することなのか。前者であれば、夢を見ないほど熟睡した夜と、全生涯の昼と夜を比較し、この夜よりもっとよく、楽しい昼と夜がどれほどあったかを考えたら、多くの人は数えるほどしかないであろう。したがって死が眠りのようなものであるとしたら、生涯の全時間はこの一夜より長いようには思われないから、儲けものであるとソクラテスはいう。後者であるなら、旅に出るようなもので、ハデスに行き着けば、自称裁判官から解放され、言い伝えにある本物の裁判官が見られるのなら、すばらしい暮らしになるであろう。不正の判決で殺された昔の人たち出会えるのだからである。そこの人たちを、誰が彼らの中の知者と思っているがそうではなかと調べ暮らすことは最大の楽しみである。オデュッセウスやシシュポスなどと親交を結び、吟味することは計り知れない幸福であり、そこでは、もう死ぬことはないとソクラテスは語るのであった。
ソクラテスは「デルポイの証言」を確かめるために、政治家、芸術家、技術者のもとを訪れ、彼らは自分を知恵ある者と信じていることを否定した。中山元氏によると、これらの行為は政治的なパレーシアではなく、道徳的なパレーシアであり、「神が語る真理でもなく、書物に書かれた真理でもなく、教師から伝授される真理でもなく、生きたソクラテスとの対話のうちで、自分についての真理を自覚するようになっていたのである」と述べている。青年たちとの会話でソクラテスはいつも、「無知であること」を聞き手に気づかせる。『アルキビアデス1』においても例外ではなかった。むしろ自己への配慮を相手に求めるための前提であったのである。デルポイの神託として神殿の敷居に刻まれていたという「汝自身を知れ」の銘は「自己自身に配慮せよ」とつがいのように古代ギリシアでは考えられていたとフーコーが指摘していることは、このエセーの初めに述べたことである。
35 プラトン対話編『ラケス』における道徳的パレーシア
真実の言説を獲得するには、主体と真理の間に強い結びつきがなければならず、保存し必要なときいつでも語ることができるようにすることが求められたが、ヘレニズム・ローマ期では、師から弟子に伝えるという点で技術的かつ倫理的な問題が生じてきたとフーコーは指摘する。両者に要請されるものは異なるのである。弟子に課せられるのは沈黙であり、師には何をどのように語るべきかが要請される。ここでパレーシアが師に求められているのである。ソクラテス‐プラトンの伝統では、パレーシアとレトリックは対立するものであったことは先に述べた。話し手が一人で長時間話すレトリックの装置に対して、ソクラテスは対話という技術を使っている。プラトン以後も数世紀にわたってこの対立は受け継がれたとフーコーは述べている。
プラトンの対話編『ラケス』におけるソクラテスのパレーシアを見てみよう。息子の教育をしてくれる者を探している二人の人物、アテナイ名家の出身のリュシマコスとメレシアスがまず登場する。彼らはラケスとニキアスという別の二人の市民に息子の教育者のことで相談する。リュシマコスとメレシアスは社会的に何も貢献しなかった人物たちである。名門の出でありながらなぜ重要な役割を果たさなかったかを自問したとき、教育が欠けていたことに気づいたのである。この時代にはソフィストと自称し若者に教育を施そうとする多くの人々がいた。彼らが教えるのは弁論術である。政治的な制度と決定について真理を語ることのできるパレーシアテースが政治的な分野で求められていたので、教育の分野でも真理を語る教師が求められていた。相談役の一人、ニキアスは重要な政治指導者で、戦場で勝利を収めることのある将軍である。もう一人の相談役のラケスは有名な将軍ではあるが政治的に重要な役割についていない。リュシマコスとメレシアスはステシレオスという甲冑技の教師は息子たちの教師として相応しいかを相談する。相談されたニキアスは、戦闘の技術が上手いのでステシレオスという教師を褒めるのだが、ラケスは、ステシレオスは戦闘で実際に勝利を収めた経験がないという理由で反対する。彼らは教師を誰にするか決
定できずにいたが、ソクラテスに考えを聞こうという考えに全員が合意したのであった。
ソクラテスは当然、教育は魂に関わる事柄であることを指摘し、教育は技術の習得ではな意ことを指摘する。息子の教育者を探していたリュシマコスとメレシアスは自分たちに欠けていた教育を息子に与えようとしていたのであったが、その教育とは軍事上、政治上の技術の習得であった。魂の教育を主張するソクラテスとは合うはずがない。しかし、自己への配慮なしによい政治家になることはできないというプラトンの主張をもって、この対話編は技術の教育から魂の教育へと転回していくのである。相談役のニキアスにはソクラテスと対話した経験が以前にあり、彼の語る言葉からパレーシアスとしてのソクラテス像がうかがえるとフーコーはいう。
ニキアス「誰でもソクラテスのすぐ近くにあって、そして近づいて彼と話をするなら、その人は、そのなんですよ、たとえ何か他のことについてその前に話を始めたにしても、彼によって言論を以って引き回されて、遂には自分自身について、どんな仕方で現在生きているのか、またどんな仕方で過去の生活を生きてきたか、それらを説明することにならぬうちは、やめて貰えない、しかし陥ったら最後、ソクラテスはそれらをことごとく十分にそして立派に試験してみるまでは、その前にその人を手放しはしないということをね。……(中略)……もしひとが、そんな目にあわされることを避けず、むしろソロンの言葉に従ってそれを喜んで、生きているかぎり学ぶことを善いことと認めるなら、そして人は将来の生活のために、もっと心を用いるところがなくてはなりません。……(中略)……さっきから承知していたのです。ソクラテスが傍らにいるなら、話はわれわれの若者たちについてではなく、われわれ自身についてされることのなるだろうことをですね。だからこれは私の言ったことですが、私のほうとしては、ソクラテスの欲する仕方で、彼との話に時を過すことに差し支えはありません。」(プラトン『ラケス』山本光雄訳)
このように、ソクラテスのパレーシアの特徴の第一は、一対一で面と向かってする個人的な関係でなされるという点にある。第二に聞き手はソクラテスに導かれ、自分自身についてどんな仕方で生きているか過去はどうであったかなど、自己についてのロゴスを語る営みを始めることであると、フーコーは指摘する。ソクラテスは相手に自分の生を語ることを求めるが、自分の生涯に起きた歴史的な出来事を語るのではなく、自分の語ることのできる理性的な物語(ロゴス)と、自分の生き方の間に、ある種の関係が構築されていることを示せるかどうかが重要であるとフーコーはいう。つまりロゴスと生き方が調和しているかどうかである。ソクラテスの役割は、このテクストでは「試金石」という言葉で描かれていて、生き方とロゴスが調和しているかどうかを調べる視点から、ソクラテスとのパレーシアを描き出しているとフーコーは分析する。ラケスはニキアスと違ってソクラテスの対話の経験はなく哲学的な議論を嫌う実践的な人物として描かれている。しかしラケスはかつて自らが指揮した軍でのソクラテスの勇気ある行動を目撃しているので、理論と実践が調和しているソクラテスを知っていた。したがって、ソクラテスとの対話をする用意ができていることを語る。ソクラテスが生の試金石であることを決定できるのは、ロゴスと実践の調和している人物であるとラケスが認めたからである。
対話編『ラケス』の眼目は、副題にあるような「勇気について」の定義を考察するものではなく、つまりロゴスに関わる定義を求めるのではなく、生における道徳的な生き方と自己を配慮する気遣いこそが重要であることを明らかにすることにあると、中山元氏は指摘する。
これまで「自己に配慮せよ」と人々に機会あるごとに伝えていたソクラテスの使命は、人が自己に配慮することを気づかせることであった。ソクラテス自身は自己に配慮しているのかという疑問があったが、『ラケス』で描かれるソクラテスでは十分に自己に配慮している姿がうかがえるといえよう。生とロゴスが調和していると認めたからこそ、ラケスはソクラテスとの対話を受け入れ、生に吟味をしようとしたのである。ソクラテスと比べることで試験されるのだ。しかし中山元氏は、『ラケス』に描かれたソクラテスは、どこか「神の賜物」として行動している印象があり、自己の配慮を薦めるソクラテス自身の自己の配慮がされていない、つまり自己の配慮を無にしているように見えると指摘している。一方、ソクラテスはエロースの道、相互的な友愛の関係において、それは解決しているのではないかとする。中山氏は、プラトンは友愛とエロースの関係性のなかで道徳的なパレーシアを展開しているとして『賢者と羊飼い』の「エロースの弁証法」で、プラトンの対話編『饗宴』と『パイドロス』に見られる二つの異なるエロス論を進めている。自己への配慮を説くソクラテス自身が自己の配慮を無にしているという「パレーシアの逆説」は、友愛とエロースの関係における道徳的パレーシアのあり方に解消していると中山氏は主張する。このプラトンの二つの対話編は、私にとって青年期から生の里程標となっていたものである。再度読み直し、パレーシアという視点から考察を進めてみたいと思う。
参考文献
ミシェル・フーコー『主体の解釈学』(二〇〇四年筑摩書房)・ミシェル・フーコー『真理とディスクール』(二〇〇二年筑摩書房)
中山元『賢者と羊飼い フーコーとパレーシア』(二〇〇八年筑摩書房)・マルクス『エピクロスの哲学』(一九七五年大月書店)
プラトン『ソクラテスの弁明』・『ラケス』・『パイドロス』(プラトン全集一九八六年岩波書店)
小林稔第八詩集『遠い岬』以心社2011年刊より
アナムネーシス(想起)
ある日、石畳の路地に正面から風がやってきて
昔の情熱をさらっていった。
時間は記憶から血をぬいて、少しばかりの骨を路上にさらした。
いったい私は何をしようとしていたのか
こんなに長い歳月をかけて。
神経のように迷走する人生の道半ばで、繰りかえし聴いていた楽曲が
――コノ哀しみハ何処カラキテ、何処ヲタダヨイ、何処ニムカウノカ
という問いを湧き立たせ、私の胸ぐらをつかんで道に叩きつけた。
彼方から波がしきりに寄せる
やりそこねたことを霧散させるように。
だが消えてしまいそうな現在(いま)の思いを
かつての光と絶望をひきつれ
残された独居で、ひとり書き留める。
私にとって、生きるとはイデアの階梯を昇りつめることだ。
少年の美を捉えた瞬時の想起(アナムネーシス)、つまり肩甲骨のむずがゆさ。
時間をふりかえることは神々への道を辿ることだ。
とにかく私は詩人の道を歩んできた。
――背後で侮蔑と嘲りの声。
荷物と慣習をひとつひとつ棄てこの断崖に立った。
空を仰ぎ息を吐くと、波が岩塊に砕け飛沫をくり返す。
(涙を止めることができない……)
絶望に打ちひしがれているのではない。
私のこころは歓喜で震えているのだ。
小林稔五詩集『砂漠のカナリア』(旧天使舎)以心社2001年12月刊
第三章「アンダルシアの岸辺」
一、グラナダの夕日(続)
実弟イスマイルの襲撃を遁れたマホメッド五世は、アンダルシアの岸辺の町に身をひそめ、
そこからアフリカのフェスの宮廷に亡命したという。イスマイルは姉の夫に暗殺され、マホメ
ッド五世がグラナダ奪還を果したのは、二十五歳のときであった。憎しみも友愛も権力も歳月
の流れに消え失せるだろうが、王の厭世が創りえた心の庭は、訪れる者に感銘を与えずにはお
かない。私たちは美の片鱗を覗き、美のヴェールを引き剥がしたならば、たちまちに血で塗ら
れた光景が見えるだろう。かつて水盤には、反逆者の生首が置かれ紅い血が噴き上げられてい
た、と後世に伝えられている。
掘割を伝い流れ水が廻廊に立つ私の足許まで寄せている。こちらのアーチの作る闇が、中庭
の水盤に注がれる光の世界を斬っている。流れ出る水の音がいっそう静寂を誘い込んでいるよ
うであった。闇の向こうの窓からはアルバイシン地区の眩いばかりに陽光を浴びた白壁の家々
と、ジプシーの住むサクロモンテの丘が広がっていた。
アルハンブラ狂詩 二
現世を断った王の胸の入江に、イスラムの終焉と血縁への怨念が立
てる流氷の軋む音を王は聞いたであろう。虫唾が走るような冷血の庭
で、王は世界を裁いたのであろうか。だが、なんと平安で優しさに充
ちた水の低きから低きへ流れる必然よ。廻廊の闇に身を隠して庭に視
線を投げると光が滝のように雪崩れ込んだ。
大理石の列柱に身体を囚われ、頬を柱にf触れ、私を窺う君。
衣服のほころびから私が旅人であることを知る。旅への想いが芽生え
始めたのだろうか。柱に凭れて親しい眼差しで私を見る。
水盤から噴き上げる水が落ち、ライオンの石像の口から吐き出され、
四方に走る直線状の掘割を伝い流れている。水路に沿い庭の中央に歩
み寄る君と私。ためらい、はじらい、喜び、引き寄せられ、触れる背
と背。左手は後ろ手に右手、右手は左手、指と指の間に指が絡め捕ら
れ、躯の向きを変えて、腕と腕が互いの背を押さえると、君の頬が薄
紅色に染まった。顎を上げ私を見つめる君の唇を、私が奪ったつかの
間に、君は輪郭を淡くして私の躯に重なり消えた