ヒーメロス通信


詩のプライベートレーベル「以心社」・詩人小林稔の部屋にようこそ。

「グラナダの夕日」後編 小林稔詩集『砂漠のカナリア』より

2016年01月06日 | 小林稔第5詩集『砂漠のカナリア』

小林稔五詩集『砂漠のカナリア』(旧天使舎)以心社2001年12月刊
第三章「アンダルシアの岸辺」

一、グラナダの夕日(続)



 実弟イスマイルの襲撃を遁れたマホメッド五世は、アンダルシアの岸辺の町に身をひそめ、
そこからアフリカのフェスの宮廷に亡命したという。イスマイルは姉の夫に暗殺され、マホメ
ッド五世がグラナダ奪還を果したのは、二十五歳のときであった。憎しみも友愛も権力も歳月
の流れに消え失せるだろうが、王の厭世が創りえた心の庭は、訪れる者に感銘を与えずにはお
かない。私たちは美の片鱗を覗き、美のヴェールを引き剥がしたならば、たちまちに血で塗ら
れた光景が見えるだろう。かつて水盤には、反逆者の生首が置かれ紅い血が噴き上げられてい
た、と後世に伝えられている。


 掘割を伝い流れ水が廻廊に立つ私の足許まで寄せている。こちらのアーチの作る闇が、中庭
の水盤に注がれる光の世界を斬っている。流れ出る水の音がいっそう静寂を誘い込んでいるよ
うであった。闇の向こうの窓からはアルバイシン地区の眩いばかりに陽光を浴びた白壁の家々
と、ジプシーの住むサクロモンテの丘が広がっていた。



    アルハンブラ狂詩 二
  
  
  現世を断った王の胸の入江に、イスラムの終焉と血縁への怨念が立

  てる流氷の軋む音を王は聞いたであろう。虫唾が走るような冷血の庭

  で、王は世界を裁いたのであろうか。だが、なんと平安で優しさに充

  ちた水の低きから低きへ流れる必然よ。廻廊の闇に身を隠して庭に視

  線を投げると光が滝のように雪崩れ込んだ。

  大理石の列柱に身体を囚われ、頬を柱にf触れ、私を窺う君。

  衣服のほころびから私が旅人であることを知る。旅への想いが芽生え

  始めたのだろうか。柱に凭れて親しい眼差しで私を見る。

  水盤から噴き上げる水が落ち、ライオンの石像の口から吐き出され、

  四方に走る直線状の掘割を伝い流れている。水路に沿い庭の中央に歩

  み寄る君と私。ためらい、はじらい、喜び、引き寄せられ、触れる背

  と背。左手は後ろ手に右手、右手は左手、指と指の間に指が絡め捕ら

  れ、躯の向きを変えて、腕と腕が互いの背を押さえると、君の頬が薄

  紅色に染まった。顎を上げ私を見つめる君の唇を、私が奪ったつかの

  間に、君は輪郭を淡くして私の躯に重なり消えた



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