ひーさんの散歩道

道には、様々な歴史や文化が息づいている。
歴史に触れ風景に感動し忘れていた何かを探したい。

二宮神社/神戸(二宮さん・正勝さん)

2019年11月08日 21時27分24秒 | 近畿の散歩道
ジャニーズで「嵐」の愛称「ニノ」こと、二宮 和也さんのファンには聖地のようです。

今回は訪問した順番では無く、数字の順にアップさせていただきました。



二宮神社

正勝吾勝勝速日天忍穂耳尊・應神天皇
  (マサカツアカツカチハヤヒアメノオシホミミノミコト)長い名前なので、略称でオシホオミ(忍穂耳)ですかね。
この意味は?「正しく吾は勝った。速やかに勝った神霊である」。オシは「多し」で「多くの」、ホは「秀(ホ)」であり「穂」でもある。ミミは霊力のある様を表し、それは聖徳太子を「豊聡耳(とよさとみみ)」と呼んだなどという故事にも表れている。要するに、誓約(うけい)でスサノオはこの子をはじめとする男五神を生み、姉のアマテラスに対して「勝った、勝った」と喜んだのだ。
つまり、スサノオが男神を生めば、自分に邪心のない証明となるという誓約だったことになる。
ところが、この五神はアマテラスの玉の緒から生まれたのだからアマテラスの子とされ、スサノオの剣から生まれた宗像三神と交換させられてしまう。 なぜなのだろう? この後は割愛させていただきます。 結論:アマテラスの長男であり、天孫降臨するニニギノミコトの父にあたる。


鎮座地:神戸市中央区二宮町3-1-12
由緒 (二宮神社の説明書による)
 当社の御祭神正勝吾勝勝速日天忍穂耳尊は、天照大御神の第一位の御子神であり、困難を極めた天孫降臨では、舞台裏を指揮し、努力によって幾多の障害を勝ち進み、御子神である瓊瓊杵尊を高千穂の峰に天降る
りさせられた神である。
この神を主祭神としてお祭りする社は全国的にも数少なく、神戸市内では、北区の杉尾神社と当社のみであるという。
 当社の創始に関しては、余りにも古く詳らかではないが、摂政元年、神託により神功皇后が生田の大神を祀りし折、大神に縁ある八柱の神々を祀る宮に巡拝され、二番目に当社に参拝したことから、社名を二宮神社と称するようになったと伝えられる。

 降って貞観年中(859~)には、生田の大神の鎮まる砂山が大水害に遇い、一時当社に難を逃れたそうで、境内には、大神の御神体を奉安したと伝える御幸石が実在する。
その後当社は、源平や南北朝、戦国更に、大東亜戦争と、生田の戦災を被り、昔日を偲ばせるのは、樹齢七百余年を数える欅のみである。 江戸時代から明治の頃には、旧葺合区内の全神社を合祀し、葺屋之荘総鎮守を冠したが、後年各村の繁栄に伴い、神々を元の地へとお返しし、現在では生田北向八幡宮のみ、合祀神として
お祀りしている。

  





裏口です。というか北野の一宮から下りて来るとこちら側が最初に目に入りここから入ってしまいました。




中に入ったのですが、他にも参拝者がいたのでお参りして出てきました。
小さな部屋におつられていました。










近くの商店街・・・





コメント (5)   この記事についてブログを書く
« 一宮神社/神戸 | トップ | 三宮神社/神戸 »
最近の画像もっと見る

5 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
次は三ノ宮〇〇? (クロンシュタット)
2019-11-12 04:32:11
嵐といえば、皇居前での歌唱ですね。
雅子さんは嵐にも、パレードにも、泣いていました。
あれで随分と国民の人気が上がったのではないでしょうかね。
パレードの終盤の青山通り、よく仕事で歩く通りです。

最近も「長距離散歩」を続けてまして、
ふらふらとたどり着いた先が、禅林寺でした。
森鴎外(墓碑は森林太郎)と太宰治が眠る場所です。
誰でも使えるトイレがあるので、便利な場所です。


クロンシュタットさんへ (ひー)
2019-11-12 21:27:39
そうですね。自分もTV見ていましたが、なぜかウルウルしていましたよ。
不思議なものです。日本人なんですね。
象徴とはいいますが、日本人の心の中は違います。K国人にはわからないでしょうね。
特にあの議員さんあれを見たら天皇の力を知るはずです。 まぁ、K国では放送しないでしょうけど。 今がチャンスですから、竹島も合わせて返してもらうように交渉すればいいのに! 
昔、上野の近くに泊った時旅館の一部に森鴎外が住んでいたという家だったか部屋だったかがあったと記憶しています。
三連泊の死が戸をしていて更新していませんが、次回は三宮ですね。
Unknown (りひと)
2019-11-13 14:49:08
ふふふ、二宮って大昔から出会った神社になぜか二ノ宮だけないって思った所がありそこからかなり二宮って聞くとテンション高くなって調べてきましたよ。
神奈川県二宮も地震が多かった時代でもまた千葉の方でもハマった時あります。

でのこの前こちらの記事拝見してオシホミミ!っあってあそうだったんだあと納得しましたよ。勝も耳も追っている神のキーワードです。近江とか伊豆とかには結構いるように思いますよ。結構出会いました。

嵐のニノのファンがやって来るんですね!それなら神様も喜んでいるでしょうね。ニノって色だと黄色だったかな?

神さんで言うとこの神のおかげでうちはかなり助かる事も多いんですよね。10年以上前に近江の多賀大社で神様おみくじでオシホミミが関係者に出て謎の多い神でびっくりしたんですがどうも助けられて来てるようにも思います。で父の方もなので多分ひーさんもいいご縁になるといいですね。多分男守ってくれるように思います。この神さんもニノのおかげで注目されていくと平和になるんじゃないかな?

で境内社の白い蛇の方も気になっております、というのもこの夏白い蛇ばかり回っておりました。で龍より辰なのかな?東京にもいると守って貰えるんですけどね。
二宮行きたくなりますね。

なんか世の中正しいのに負けてしまう事が人間の社会では多いんで、正勝さんに応援して貰っていい世界を作っていけたらいいですね。

そうそう木簡の講座に行ってきましたけど、多賀城からも出ているようですよ。拠点での関わりはあるって宮城凄いですよね。アレ多賀が近江と宮城と一緒ですね。長屋王のもかなり面白かったんで今寝れないくらいです。文武天皇がどうも父の関係では出てくるんで長屋王と文武が血が繋がってるように思うんですよね。軽と根子も探索キーワードですので。藤原麻呂の家系も気になりました。

ニノが普通に結婚も出来てなによりです。人間として自分で人生の岐路を選択して歩めるって普通だけど出来にくい事もあります。良かったですね。結婚してもファンはその人の幸せを応援するでしょう。

オシホミミはどうだったのか?それも昔から気になっている事。神様も今から幸せになれるといいですよね。
久々に調べたくなりますね。多賀城の木簡も。
りひとさんへ (ひー)
2019-11-14 19:51:20
そうそう、木簡の件は地元の新聞に掲載されました。
多賀城跡で出土し奈良時代に「鎮守府」が置かれていたことを裏付ける大事なものでした。
文献では伝えられていましたが、その証拠が発見されたのです。
多賀城の鎮守府は蝦夷に対する軍政府。「続日本紀」に存在を示す記述があったのですが、物証が無かったのです。
多賀城の業務内容の一部が判明したのは貴重な成果だったようです。
昔の(NHK)歴史番組で歴史学者が一番怖いのは「考古学者」だと言っていました。 どんなに文献を出しても読んでも、考古学的に証拠の遺物が出てくれば一気に歴史はひっくり返るからです。
この時の木簡は多賀城という国府があり、間違いなくそこに鎮守府が置かれていたということですね。
鎮守府は今の軍隊ですが、子供の頃住んでいた住所には「鎮守」がついていました。 その頃の住所は、「八幡字鎮守」です。 それが区画整理のために無くなり、1丁目、2丁目と変わってしまったのです。
土地には歴史があり、そこの背景は地名で表していたりします。 それを無くすことに腹立たしく思ったものです。 多賀城については記事にしたいことが沢山あります。まだまだこのブログは続きそうですね。
二宮・・・確かに一之宮は各国にありますが二宮は少ないし今まで気づいていませんでした。全国の一宮は回りたいと思っています。 ここの地域には八の宮まであるのですが、次回の三宮神社までは市内にありますので行けましたが、それ以降は時間が必要ですね。
やはり、ここで一番気になったのは、白龍大神です。
あそこが一番大事に思いました。
楠・・・のコメントにあった・・・・・今テレビで朝から大変みたいなので記事覗いてみましたよ。
少なくてもこの方はみんなに慕われてもいるし・・・
誰でしょう?
ここ数日職場に3泊してほとんど情報がありません。
ヒントだけでも・・・・。
たねきさんへ (ひー)
2019-11-23 20:15:46
以前にコメントいただきましたかね?
わざわざ情報ありがとうございます。

私のHPはご覧になったことがありましたでしょうか?
無ければ、ぜひご覧ください、
同じタイトルのFC2のHPです。

コメントを投稿

近畿の散歩道」カテゴリの最新記事