セロー225ツーリングに行きたい

終末ライダーの終末ツーリング
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近所20200622

2020-06-22 | 知多半島
カメラはオリンパスのOM-1です。

ようやく基本的な使い方が分かった感じです。
まだできとしては大したことはありません。


















































師崎の閉院した渡り廊下の医院



ストリートビューだとこんな感じです。






写真を撮っているときに高齢の女性から声をかけて頂きました。
産まれからずっと師崎で暮らしている。
この医院が閉院して随分と経つとのこと。
医院は昔は産科もやっていた。
外科もあり入院も出来たそうです。
ここは漁師町なので事故などで外科の需要もあったのでしょう。

閉院してしばらく経ちますが、元は病院なので造りがしっかりしているのでしょう。
荒れ果てた廃屋という感じはないです。


昔の話を聞かせて頂きました。



戦時下の昭和17年、女性がまだ母親のお腹にいて間もなく産まれるという時のこと。
母親は子宮に筋腫があって手術をしなければならない。
田舎の外科医では難しい手術なので帝大病院(※1)の医師じゃないとむり。
母親は名古屋までの長時間の移動に耐えられません。
今なら高速道路やドクターヘリで救急搬送もある。

そこで帝大病院の医師を名古屋の熱田(※2)の港からポンポン船(※3)で知多半島の先っぽの師崎まで来て頂いたそうです。
解説:当時の鉄道は名鉄の常滑駅、知多鉄道(現名鉄)の河和駅、国鉄の武豊駅が終着駅になります。
   師崎にもっとも近いのは河和駅です。
   河和港から船を使えば良いのでは思いますが、ある理由でできません。
   当時の河和港は旧海軍に接収され民間の船は停泊できなかった。
   常滑港もしかりで、武豊港に至っては近隣に中島飛行機の工場があったので民間は絶対に近づけない。

手術に際して同意書を求められ嫁ぎ先と実家の親の印鑑が必要とのこと。
実家は県内ですが師崎とは遠く、戦時下で移動もままなりません。
そこで実家の親御さんは自転車で印鑑を運んだそうです。
未舗装の凸凹道を昔の自転車で走るのは大変です。
<画像はネットより借用>



大手術だったそうです。
まだ胎児だった女性は一旦母親の胎外に出され、筋腫を切除したのちに胎内に戻されたとのこと。
その後無事に産まれたので、今こうやって女性と話ができています。



そんなこんなで30分くらい話をしたでしょうか。
バイクに乗らない人や無縁の人とツーリングの道中で話すことが多いです。
ライダーさんと話すと基本はバイクとツーリングの話なので堂々巡りになってしまいます。
会話に入れず、その場から逃げてしまいます。




※1:名古屋帝国大学、現在の名古屋大学付属病院
※2:旧東海道の七里の渡しの東側の起点
※3:焼き玉エンジンの船











レンズ
単焦点
28mm 広角
50mm 標準
90mm ポートレート・マクロ
100mm 中望遠

ズーム
28mm-70mm

これからは行き先で持って行くレンズを決めます。
知多半島は28mm-70mmだけで身軽に
海や山は28㎜と100㎜でダイナミックに
街と人とネコは50㎜と90㎜で身近さを
これが絶対ではないですが無駄に荷物を増やす必要もありません。
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