『はつかいち』 ぶらり

安芸の宮島の地・・・廿日市を見たまま紹介―独自の好奇心アンテナを張り巡らせて、ビビッと反応したものを紹介します。

彫刻「調べ」

2023年02月13日 | 「廿日市市周辺部」ぶらり

 

昨日は尾道市御調町出身の彫刻家圓鍔勝三の晩年の作品を紹介したが、以前にも紹介した広島赤十字・原爆病院のアトリウムロビーに展示されている彫刻「調べ」は昭和9年(1934)に制作されたようで圓鍔勝三の初期作品のようである。

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壁面彫刻「はつかいち今昔-21」

2023年02月12日 | 「廿日市地区」ぶらり

海辺

和合

深山

豊穣

楽楽

はつかいち文化ホール「さくらぴあ」の壁面に張り付けられている「はつかいち今昔-21」と題した壁面彫刻で「海辺、和合、深山、豊穣、楽楽」の5場面が表されている。

平成9年(1997)10月に廿日市ライオンズクラブ、廿日市市管理職等親交会により寄贈されたようで、制作は尾道市御調町出身の彫刻家である圓鍔勝三の晩年の作品のようである。

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「神鴉」モニュメント

2023年02月11日 | 「廿日市地区」ぶらり

 

 

広電宮島線の廿日市市役所前(平良)駅前のロータリーに厳島神社の鎮座伝説に由来する「神鴉」モニュメントが建立されている。神鴉伝説は厳島神社をはじめ大頭神社、宮内天王社、阿賀速田神社などでみられる。

平成19年(2007)10月27日に廿日市市市制施行20年記念、廿日市ライオンズクラブ25周年記念で、廿日市ライオンズクラブによって建立されている。

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陶壁「躍動」

2023年02月10日 | 「佐伯地区」ぶらり

 

友和市民センターのアプローチ壁面に設けられている陶壁で「躍動」と名付けられている。陶銘板によると昭和61年(1986)3月に広島ひかり園の人達により制作され戸屋野窯で焼成されたようである。

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野外彫刻「朝の詩」

2023年02月09日 | 「廿日市地区」ぶらり

 

 

JR宮内串戸駅前のロータリーに松本隆司制作の「朝の詩」と題した彫刻が設置されている。昭和63年(1988)4月3日に宮内串戸駅が新設開業しており、開業記念で廿日市ライオンズクラブが寄贈したようである。

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毘沙門堂

2023年02月08日 | 「廿日市地区」ぶらり

 

 

 

地御前の余田公園脇にある毘沙門堂で本尊の毘沙門天立像が祀られている。江戸期の地誌に「往古神宮寺と申ス寺有之由申伝ヘ、毘沙門堂御座候」と記されている。仁安3年(1168)の当社(厳島神社)神殿舎屋等色目事-外宮分(地御前神社)の中に五間四面拝殿神宮寺一宇がみられるが何時頃廃寺になったのかは不明である。(町史附録絵図)

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絵葉書で廿日市ぶらり-西尾商店第四製材工場

2023年02月07日 | 「廿日市地区」ぶらり

 

現在市役所がある地にあった西尾商店第四製材工場で、画像右側向うに先日紹介したかつての藤掛尾城跡の山がみられる。昭和5・6年(1930・31)頃に太陽コルク工業合資会社がこの地に移設されコルク製造がされており、昭和40年(1965)頃に製造中止されたようである。

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有福温泉

2023年02月06日 | 旅行

 

 

 

 

久しぶりに江津市の有福温泉に向い、温泉街の高台にある御前湯に入浴し英気を養った。御前湯は昭和4年(1929)に建築されたようでアーチの窓や入口などモダンな西洋建築風の外観で、中に入ると昔懐かしい番台があるなどレトロ感のある建物である。土曜日であったが入浴者は2~3人と閑散としていた。かつて広島バスセンターから有福温泉行きの広電バスがあったが何時ごろまであったのであろうか。若い頃職場の慰安旅行で当温泉に宿泊したが、当時は大変賑わっていたことを思い出したのである。

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七尾について-七尾陣

2023年02月05日 | 「廿日市地区」ぶらり

 

戦国時代桜尾城の友田興藤を攻撃するために山口の大内義隆は七尾に陣を張っており、厳島に社参して七尾の陣に帰っている。また七尾より外宮に参詣しており、後に義隆は藤懸、七尾より佐東銀山城に移っている。これらから中世の七尾は藤懸城(藤掛尾城)から越峠尾城一帯であったものと思われる。(赤丸内)戦国時代の七尾位置が忘れられ江戸期に七ツの尾が付いた城や七ツの尾根などと作り変えられたようである。

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七尾について-七ツ尾

2023年02月04日 | 「廿日市地区」ぶらり

芸州吉田行程記-福尾氏蔵

 折敷畑山合戦図-廿日市市教委蔵

芸州吉田行程記によると藤掛尾城、上ノ尾城、笹尾城、桜尾城、岩戸尾城、海老尾城、エビカ城の七ケ所を七ツ尾というとある。また古戦場である折敷畑山より連なる峰々七つの尾根を七ツ尾としたものとみられるものに毛利元就、隆元連署感状に「折敷畑七ツ尾合戦之時」や大内盛衰記に「七ツ尾に備え二ノ尾、三ノ尾、四ノ尾、五ノ尾、六ノ尾に打向う」などとある。

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七尾について-七尾城

2023年02月03日 | 「廿日市地区」ぶらり

 

昨日紹介した七尾中学校の校名の由来は、桜尾城を中心とした七つの尾が付いた城があった(赤印ケ所)から名付けられたようである。江戸期の芸藩通志に桜尾城、岩戸尾城、篠尾城、谷宗尾城、宗高尾城、藤掛尾城、越峠尾城の七所を七尾城と称すとある。

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七美会展

2023年02月02日 | 「廿日市地区」ぶらり

 

 

七尾中学校アートの同窓会「第5回七美会展」が今夏に開催されるようである。七尾中学校の美術部で昨日紹介した吉野誠先生の指導を受けた方々有志で立ち上げた実行委員会が主催で開催されるようで、現在七尾中学校同窓生の出品を募っているようである。(七美会)

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原爆死没者慰霊碑

2023年02月01日 | 「廿日市市周辺部」ぶらり

 

 

光禅寺参道入口脇に建立されている原爆死没者慰霊碑で、看板表示によるとこの慰霊碑をデザインしたのは、遥か昔、当ブログ主が七尾中学校時代に教えて頂いた美術の吉野誠先生とのことであった。慰霊碑は人間が合掌をした像を表現しているようである。

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