昨日紹介した磐境神明神社の近くの宮内集落と穴吹川の向い側にある知野集落を結んでいる生活道で穴吹川に架けられている沈下橋であり、当ブログ主は沈下橋なるものを初めて渡った。橋上の一部には砂が溜まっていたので大水が流れた時のものとみられまさに沈下する橋である。
遠くの山の上に民家がみられるが、国道438号、439号を走っているとこのような急峻な山斜面にある民家が各所で数多くみられた。
昨日紹介した磐境神明神社の近くの宮内集落と穴吹川の向い側にある知野集落を結んでいる生活道で穴吹川に架けられている沈下橋であり、当ブログ主は沈下橋なるものを初めて渡った。橋上の一部には砂が溜まっていたので大水が流れた時のものとみられまさに沈下する橋である。
遠くの山の上に民家がみられるが、国道438号、439号を走っているとこのような急峻な山斜面にある民家が各所で数多くみられた。
うだつのある脇町から吉野川支流の穴吹川を遡って行き古代祭祀遺跡を思わすような磐境神明神社を参詣した。国道492号沿いにある白人神社からすぐの高い石段を登った丘陵に見たことがないような磐境神明神社がある。長方形状に石を積み重ね囲った磐境の中に小祠が五座祀られており南側に三ケ所の入り口が設けられているもので、社殿が造営される以前の祭祀場を思わすようなものである。
看板表示によると江戸期寛保年間(1741~1743)に白人神社奥社とされる神明山で現状の姿とは違った石垣が発見されているようである。現在の姿は江戸期後半以降に設置祀られたようで成立年代は比較的新しいが他に類例のない特殊な形態の祠のようである。