『はつかいち』 ぶらり

安芸の宮島の地・・・廿日市を見たまま紹介―独自の好奇心アンテナを張り巡らせて、ビビッと反応したものを紹介します。

信州ぶらり-8

2011年05月16日 | その他

 

長野県上田市の上田城下町を通過している北国街道沿いの柳町の町並みで伝統的な町屋が残されている。

ここの町並みにみられる袖うだつの小屋根は屋根勾配なりに設けられており、先の海野宿でみられた水平小屋根の袖うだつとは異なった特徴ある袖うだつである。

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信州ぶらり-7

2011年05月15日 | その他

 

長野県上田市にある上田城で「真田太平記」や「十勇士」の物語でよく知られた真田氏の居城であった。

広島城で金箔瓦が出土したことが以前新聞で大きく報道されていたが、ここ上田城でも金箔瓦が出土しているようである。金箔瓦を大阪城や聚楽第で使用した豊臣秀吉との政治的な関係が窺われるのである。

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信州ぶらり-6

2011年05月14日 | その他

 

長野県東御市にある江戸期の北国街道沿いの海野宿町並みで、重要伝統的建造物保存地区の選定を受けている趣のある町並みである。

町屋で画像のような二階部分が跳ねだした出梁造りや海野格子、本うだつなどやいろんな形の袖うだつなどが各所にみられる。宿場と養蚕で栄えた特徴ある町並みである。

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信州ぶらり-5

2011年05月13日 | その他

 

長野県小諸市にある江戸期の北国街道沿いの小諸宿本陣で問屋をしていた上田家が本陣をも経営していたようである。

街道に面して2階部分は出梁で持出し壁面には連続した格子窓を設けて、大きな切妻屋根と深い屋根の出、看板を取付けたとみられる小屋根が特徴的である。広島地方では見られないような建物である。

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信州ぶらり-4

2011年05月12日 | その他

 

長野県小諸市にある小諸城大手門で慶長17年(1612)に仙石秀久が築城した時代の建築で国の重要文化財に指定されているようである。

小諸なる古城のほとり=?島崎藤村とうすら覚えであったが、この城を訪れてみて島崎藤村が小諸で過ごしこれらの詩集が生まれたことがわかったのである。

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信州ぶらり-3

2011年05月11日 | その他

 

長野県須坂市にある市民交流施設、旧上高井郡役所で長野県内では唯一の郡役所建築のようである。

大正6年(1917)に建築された擬洋風建築で正面玄関の車寄せと上部のバルコニー、その上部の円弧を用いた切妻破風など特徴あるデザインである。かつて廿日市にも擬洋風の佐伯郡役所があったが取壊されて久しく記憶から遠去りつつある。

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信州ぶらり-2

2011年05月10日 | その他

 

長野県佐久市にある龍岡城五稜郭で5つの稜が突出た擬洋式の城郭である。函館の五稜郭はよく知られており日本で2つしかない幕末期の城郭である。

城跡周辺を探訪しても全体像はつかめないがGoogle Earthの画像をみると星型の五稜郭がよくわかるのである。現在城跡は田口小学校用地として使用されている。

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信州ぶらり

2011年05月09日 | その他

 

当ブログ休止中に娘と孫が長野に帰ったのに付いて行き各地を放浪したのでネタ切れを補うために紹介します。

上画像は明治9年(1876)に建築されたという松本市の旧開智学校で訪れたことがある方もあるかも知れません。下画像は擬洋風学校で最も古いという明治8年(1875)に建築された佐久市の旧中込学校で何れも重要文化財に指定されているようである。

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宮島SAスマートICアクセス道路の今

2011年05月03日 | 「廿日市地区」ぶらり

 

宮島SAスマートICへのアクセス道路の拡幅が計画されていたが、一部で仮囲いの工事と木材の伐採工事が行なわれている。

廿日市市のデータによると一日平均2600台前後の利用があるようで、離合も難しい道路であり拡幅工事がいつ完了するのだろうか。仮囲いの内側には山藤が咲いているがここも拡幅掘削されるので今年が最後の花見である。

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家納喜がみられる看板

2011年05月02日 | 「廿日市地区」ぶらり

 

西広島バイパス速谷交差点近くにある小料理屋の看板に廿日市の銘酒であった懐かしい家納喜の名が残されている。家納喜は平成12年(2000)に廃業されている。

物入れを整理していると家納喜の清酒二級酒紙コップ30本入りのダンボール箱がみつかった。当ブログ主関係者は酒には縁が少ないので箱のみ他の品物と一緒に持ち帰ったものとみられる。

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山沿いに残る石州往還

2011年05月01日 | 「佐伯地区」ぶらり

 

大町地区の山沿いに残る石州往還道の跡で、廿日市から原、玖島、多田、吉和を通って匹見方面につながっていた道である。

江戸期から車社会になる昭和初期まで何百年間も利用されていた道は全く使用されなくなっても痕跡は残るものだ。

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