原川末地区の最奥部付近の分かれ道で左側が広島県道294号線、かつて石州往還の楢原越え(泉水峠)道であった。右側は石州往還の大沢越え道と葛原越え道があった。
ここ出合には茶屋があったものとみられ小名(地名)茶屋が江戸期の地誌絵図にみられる。楢原越え道を進むと楢原(玖島)には宿屋など集落があり、平谷の出合で大沢越え道と合流していた。
原川末地区の最奥部付近の分かれ道で左側が広島県道294号線、かつて石州往還の楢原越え(泉水峠)道であった。右側は石州往還の大沢越え道と葛原越え道があった。
ここ出合には茶屋があったものとみられ小名(地名)茶屋が江戸期の地誌絵図にみられる。楢原越え道を進むと楢原(玖島)には宿屋など集落があり、平谷の出合で大沢越え道と合流していた。
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