『はつかいち』 ぶらり

安芸の宮島の地・・・廿日市を見たまま紹介―独自の好奇心アンテナを張り巡らせて、ビビッと反応したものを紹介します。

JR宮島フェリー「ななうら丸」

2016年12月09日 | 「宮島地区」ぶらり


JR宮島フェリーの新造船である「ななうら丸」で、昭和62年(1987)2月に就航した先代の「ななうら丸」が老朽化してきたため新しく建造されたようで11月から就航しているようである。

宮島に行くときは「みやじま丸」「みせん丸」が運航していたが、帰りには「ななうら丸」「みやじま丸」が運航していた。下画像は先代の「ななうら丸」

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室浜砲台跡

2016年03月28日 | 「宮島地区」ぶらり


広大の宮島自然植物実験所用地内には明治期の室浜砲台跡が残されている。呉(広島湾)要塞を防護するために呉軍港、広島湾への進入路の一つであった大野瀬戸に室浜砲台が明治32年(1899)に設置された。
砲座、砲側庫、弾室、塁道、翼墻、胸墻、横墻、掩蔽部、送弾路などが設けられたが、室浜砲台は機能を発揮することなく大正15年(1926)に廃止され砲台、軍道などが内務省に移管されその後広大の宮島自然植物実験所の用地となっている。

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開拓地への電柱

2016年03月27日 | 「宮島地区」ぶらり


宮島西部のかつての開拓地に給電していた木電柱が山道沿いの各所にみられるが、現在通電されていないと思われるが定かではない。
国土地理院の空中写真を見ると西部地域でも各所に開拓地があったようで、以前訪れたあての木浦にも住居跡の痕跡があったのでこの付近まで電柱があったのだろうか。

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御床浦の鹿垣・猪垣

2016年03月26日 | 「宮島地区」ぶらり


昨日紹介した御床浦の開拓地跡には延々と続いた石積みの「ししがき」がみられる。江戸期の地誌に「島に、猴鹿多く・・・」とあり、宮島には猿と鹿は昔から多くいたようであるが猪は記されていない。
現在は各所で猪のヌタ場をみることができ島外から移住繁殖しているようである。開拓地跡にある石積みの「ししがき」は当初は鹿被害を防ぐために設けていたものが猪除けともなっていたのだろうか。

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宮島の開拓地跡

2016年03月25日 | 「宮島地区」ぶらり


広大宮島自然植物実験所から須屋浦に向かう途中の大江浦や御床浦などでは十数年前までは耕作されていたのであろうか農耕地跡やかって生活していた屋敷跡もみられ農機具の残骸などもみられる。
鹿や猪の被害を防ぐために金網や柵などが巡らせてあるが今は朽ちた所もあり中に鹿が入っているところもあった。

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須屋浦神社

2016年03月24日 | 「宮島地区」ぶらり


大野瀬戸に面した宮島西端にある須屋浦神社で御島巡りの第六拝所である。須屋浦神社は大きな砂州の根元に祀られており拝殿も設けられている。
七浦七恵比須は船で遙拝するのであるが陸からだと広大の宮島自然植物実験所から海沿いのアップダウンのある山道を約1.5時間歩けば到達するが、山道は整備されてない所もあり山林内をマーキングテープを頼りに行くことになる。

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御床浦神社

2016年03月23日 | 「宮島地区」ぶらり


大野瀬戸に面する宮島の西海岸にある御床浦神社で、「七里七浦七恵比須」といわれる神社で御島巡りの第七拝所である。

御床浦の岬状の岩上に祀られており大きな岩は亀甲状のひび割れがあり長い年月でバラバラの石になる前であり風化現象をみるようである。

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桜・紅葉植栽記念碑

2016年03月22日 | 「宮島地区」ぶらり


多々良潟にある植栽記念碑で碑文によると広島小林区署が明治42年(1909)3月にさくら4万2千本、もみじ4千本を植栽してこの碑を建立したようである。さくら、もみじがどこに植栽されたのかは定かでない。
広島小林区署は現在の広島森林管理署であり碑の裏面には広島小林区署の監督山林属、森林主事の名と佐伯郡大野村の造林請負人の名が刻されている。

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厳島神社の常夜燈籠

2015年11月24日 | 「宮島地区」ぶらり


何度か紹介している厳島神社の左門客神社脇に建立されている金燈籠で、文久4年(1864)に白市の鋳物師伊原惣十郎政義が鋳造したものである。金燈籠の中台部分には龍のデザインが鋳出されている。
東広島市高屋町の白市の町並みには明治期の鋳物師伊原惣十郎家の屋敷が残されており、土台の飾り金物には色々なデザインの龍が鋳出されているので型板が多くあったようである。
白市鋳物師の伊原氏については「安芸国鋳物師の鋳造活動」に詳述している。

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御手洗川の久保橋

2015年10月30日 | 「宮島地区」ぶらり


御手洗川に架かる久保橋で親柱の刻銘によると明治19年(1886)5月に架橋されたようであるが、何時の時代であろうか現在のように架け替えられている。
橋梁や橋床はコンクリート製であり親柱と高欄が当時の部材が使用されている。高欄をみると巨大な石が使用してありかつては橋床も直角方向に長石が並べられていたようである。

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三翁神社の鳥居

2015年10月02日 | 「宮島地区」ぶらり


厳島神社社務所の東側にある三翁神社(山王社)の鳥居で木造の鳥居に銅板が巻付けられているものとみられる。宮島町史には銅製鳥居とあるが銅板の継目部分と中間部分に釘の頭がみられることから木造柱に打ち付けられたものであろう。
天保13年(1842)に刊行された厳島図会の絵図に三王社の鳥居が描かれており、現在の鳥居柱と同じように継目が表されているので江戸期から銅板巻きの鳥居であったようである。

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宮島連絡船-「ななうら丸」

2015年09月30日 | 「宮島地区」ぶらり


JR宮島連絡船は連休の乗客が多い時には「みやじま丸」(上画像)、「みせん丸」(中画像)、「ななうら丸」(下画像)の三隻がフル運航されている。
この三隻の内で昭和62年(1987)2月に就航の「ななうら丸」は老朽化のため、新船建造をして平成28年(2016)11月に就航予定のようである。(JR西日本ニュースリリース)

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千畳閣の変形木根太

2015年09月29日 | 「宮島地区」ぶらり


千畳閣の床下を見ると大きな部材が使用されており丸太のままの束、大引き、根太と少し加工をした変形木根太が使用されている。
下図で上から荷重がかかると曲げモーメント図のように中央部分が最大となり大きな断面を必要とするので、変形木の根太は床からの荷重に力学的に合致した部材の使用がされているのである。

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平安壺装束と自撮り棒

2015年09月22日 | 「宮島地区」ぶらり


大聖院への滝小路を散策していると平安時代にタイムスリップしたかと・・・平安女性が外出や旅に出る時の着装という壺装束の若い二人の女性に出会った。
ところがこの平安壺装束の女性は最近外国観光客の間で流行している自撮り棒で石垣上の鹿と一緒に写真を撮っていた。

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千畳閣の柱

2015年09月21日 | 「宮島地区」ぶらり


千畳閣の縁側外周の柱以外の柱64本はすべて丸柱であるが縁側下を覗いてみると多角形の柱(上画像)のままである。丸柱は多角形柱の角を次々と削り落して丸柱としているのである。
下画像は伊勢神宮第61回式年遷宮前に丸柱を制作している途中の状態で墨打ちしたところの角を次々と削り落していき丸柱としていくのである。

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