1972年発売。 4枚目のオリジナルアルバム。 シングル曲「ふたりの日曜日」を含む 12曲。
この頃の天地真理は 3ヶ月ごとに シングルをリリース。その1ヶ月後にオリジナル・アルバムをリリースするという、超過密な楽曲リリースをしていた。当時のプロダクション(渡辺プロ)とレコード会社(CBSソニー)の営業政策で、会社は短期間で大きな利益、おそらく売上、利益の記録更新をしていた思う。その一方で、多くのタレントは短時間で消耗して燃え尽きてしまった。
日本の音楽やオーディオ産業の発展、成長の一過程であり、我々に夢と楽しみを与えてくれたが、二十歳そこそこの少年・少女アイドル側では黒歴史だった。