デビュー曲「裸足の季節」から8枚目「赤いスイートピー」にプラス4曲。
帯に「青いページに綴った心のダイアリー、いまあなたに届けます…聖子。」 なるほど、ジャケ写真の背景、ブルーのサマーセーター写真、そして帯と ライトブルーに統一した涼しいパッケージ。このアルバムの発売が1982年7月1日であるから、この清涼感は分かる。
このアルバムはCD、CDプレーヤーが登場する直前のアナログ・レコードの最高峰、高音質を突き詰めたソニーのマスターサウンド・シリーズの1枚。 レギュラー盤 2,800円に対して、これが3,000円であったので、これは「買い」だった。
CDと比較しての、このLPの心地よさ、これは何もにも代えがたい。
1981年発売の3枚組 ベストアルバム。
引退後(一時)に、デビュー曲「狼なんかこわくない」から、その時点でのラスト・シングル「バーニング・ラブ」までの16曲に加えて、アルバムからの曲を加えた全42曲を収録。
聴き直して、またこの時点から40年以上の人生経験を積んでも理解らないのが 1980年の「春ラ!ラ!ラ!」の伊藤アキラの詩。
・春というのは三人の日と書きます
ここまではOK。次からが?となる
・あなたと私と そして誰の日?
・あなたが好きになる前にちょっと愛した彼かしら
・会ってみたいな久しぶり
・あなたも話が合うでしょう
もう???の世界。
彼とのデートに元彼も一緒の3人! そして「話が合うでしょう」とは。
わがまま、自己中心の極み少女の世界としか解釈できない。
男として 「勘弁してください」 の世界。
1980年発売のスパイロ・ジャイラ(Spyro Gyra)の2枚目のアルバム。
当時流行のフージョンの中でも、特に印象の深いアルバム。カセットテープに録音して、クルマのカーステレオで繰り返し聴いた。
同時期に渡辺貞夫は「カリフォルニア・シャワー」「モーニング・アイランド」、日野皓正は「シティー・コネクション」 他にもキーボードの本田竹曠とサックスの峰厚介達によるネイティブ・サンというグループも活躍。 FMラジオからは絶えずフージョンが流れていた。
このLPを聴き返すと、一音一音が耳からアタマに流れて、気がつけば身体が動いている。不思議な音楽だ。
1980年前後の10年で、フージョンという音楽の金鉱が掘り尽くされたのだろうか。恐竜の絶滅のようにフージョンの衰退は早かった。
1983年発売の麻丘めぐみの3枚目のライヴ・アルバム。
3枚目なのに 何故アルバム タイトルに「たった一度のリサイタル」とあるのか?
さらにここには黒歴史がある。 実はこのアルバムは1975年発売の2枚目ライヴ・アルバム「20歳 麻丘めぐみリサイタル」の再発売盤である。 今ならリイシューとか横文字であっても 再発売を示す代物だが、このアルバムにはこの記述なし。 そしてとどめが、ライヴ・アルバム 1枚目は1973年発売の「夢ひらくリサイタル」があり、これをもっても「たった一度のリサイタル」とは言えない。
40年前はおおらかな時代であった。 タイトルを変えた再発売盤に「たった一度のリサイタル」といつわっても問題とはならなかった。
3枚目なのに 何故アルバム タイトルに「たった一度のリサイタル」とあるのか?
さらにここには黒歴史がある。 実はこのアルバムは1975年発売の2枚目ライヴ・アルバム「20歳 麻丘めぐみリサイタル」の再発売盤である。 今ならリイシューとか横文字であっても 再発売を示す代物だが、このアルバムにはこの記述なし。 そしてとどめが、ライヴ・アルバム 1枚目は1973年発売の「夢ひらくリサイタル」があり、これをもっても「たった一度のリサイタル」とは言えない。
40年前はおおらかな時代であった。 タイトルを変えた再発売盤に「たった一度のリサイタル」といつわっても問題とはならなかった。
1986年発売の 堀ちえみの おそらく 9枚目の ベストアルバム。
タイトルどおり、1982年デビューから1986年までのシングル曲を集めたアルバムになっている。 気になるのは タイトルの末尾の「 I 」。すなわち、この時点で この後「 II 」 を出すことを考えていたのか? 実際に 19年後の2005年にCDで「シングルス II」が発売されているが、こんな先のことを見越してのタイトル決定は考えにくく、タイトルの「 II 」これは悪ノリのタイトルのような気がする。
デビュー曲から順に収録されており、聴き進むにつれて堀ちえみのミドルティーンから二十歳までの歌唱力の広がりと女性としての成長、人間の厚みを増していく様がうかがえる。