霜恋路日記

【しもこいじにっき】
ロマンチックな名前「恋路」という場所においての出来事です。これは正真正銘本当の地名です。

俗世間の奴隷になるな!

2004-12-21 21:40:47 | 仏教/宗教
 俗世間の奴隷になるなといっても、会社におれば会社の規則を守れ、事業目標は必達成、気配りはしなさい、お客様には親切丁寧に、同僚には負けないよう自助努力をせよ、世間の常識をふまえて行動せよ。など競争社会のもまれる日常活動・生活において世間・会社の奴隷になるなといっても、自然とならされてしまう仕組み・組織となっており、会社であれば経営者は少なからずもそういう仕組みを作り管理をしやすくするのが常道である。それを敢えて会社奴隷にならない方法はあるのだろうか?

 怠け者は永遠不変に怠け者ではないのですが、ついつい怠け者と決め付けてしまいレッテルを貼ってしまいます。怠け者は今は縁によって怠け者の形になっているだけであるというのが仏教の見方という。
 人々はみんな仏の子であるいわゆる仏子と見ることが大事であると、蛙の子は蛙、仏子はみな仏の子と見るのが仏教の教えらしい。あらゆる人間が真実であり、最高の価値を持っているコレが仏の教えという。よく働く者も最高、怠け者も最高、美人も最高不細工も最高、優等生も最高劣等性も最高。といえる心持がすなわち世間から出世間となるのである。

 世間に忠誠を尽くせば会社での優等生になる努力をすればよい。世間の認める模範人間、いわゆる会社の良い子、世間の良い子になれば良いのですが。しかし、しんどいことになります。いくら努力しても自分よりもっと優秀な社員がいれば、努力が足りない努力が足りないと自分を叱咤激励しいつも満足できず焦りと叱咤での葛藤に終始し精神が磨り減り、自分を見失い。たとえ一番の業績ををさめたとしても、いつか他人に抜かれはしないかと思いながら生きる毎日はしんどくて疲れがたまって仕様がないのである。それは幸せとはいえないのである。世間や業績評価や評判をどうしても気にしてしまうことになってしまうのです。世間の怯え、会社の評価に怯え、同僚との競争の怯え、またそれらに迎合して生きる人生。こんな人生にどれだけ意味があるのだろうか?所詮は世間会社の奴隷で終わるのではないのであろうか。真に人生を生きるとは、その奴隷になるのでなくでたらめに生きる・適切に物事を処理する、自己の主体性を大事に、会社の評価等に影響をされず自分を客観的にみていく習慣をつける。
 
 いったん自分から離れ別の世界からもう一度自分を見つめて物事の行動思索をし発言具申するという意識変革を徹底することから始まるます。
 一段高いところに精神を持って行き自分を高いところからもう一度見つめる習慣をつけ自由に生きることが大切ではないかと思うのである。


高校時代時々酒臭い授業していた○川先生は、人生は「諦めが肝心”」『諦めが肝心!』と口癖のように云っていた、なにやら彼岸からの声のように思える。色紙には『休道』と記しいつも仕事人間ではなく休みの道を究めていくのも人生。いわゆる遊びの人生を究めて充実した人生を送れ!!と云うありがたいお言葉を戴いたものである。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿