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科学的とはどういう意味か

2011-08-21 20:48:54 | 書籍

化学的とはどういう意味か
名古屋大工学部で元助教授にして小説家の森博嗣氏の、科学的思考力、文系・理系の違いについて考える著書。

自分のような理系人間には「そうそう!」という内容。本著の主旨でもあるのですが、世の中の人達を「文系」「理系」に分けてしまうのはあまりにも乱暴で、そこは数学や物理の嫌いな官僚や教育者が作った教育システムの弊害なのだと思う。実際、技術が好きな文系の人もいるし、文学な好きなエンジニアだってたくさんいる。ただ、著者が言うように、『文系の人が「理系の人間は変わっている」と思っているほど、理系の人は「文系の人間は変わっている」とは考えない。』と言うのは感じます(理系人間が変わりすぎなのかもしれませんが...)。

著者の思いは、(ちょっと偏っているとは思いますが)そんな科学離れの思考停止の社会のままでは、国家として良くないと言うもの。

確かに、過程よりも結論、裏付けよりも感情論ばかりの世論、報道においては、国民の思考は停止していて、結果、政府やメディアに振り回されてしまいます。

とは言え、今から国民総科学者なんて無理だし、今さら微積分を解いたってなんの意味もありません。著者は科学的であるためにまず身近なところから始めようと説いています。物事を疑うこと。割り切っているという自覚を持つこと。面倒なことに慣れること。

本著の締めくくりにもあるように、『科学は発展しすぎた、科学が環境を破壊し、人間は本当の幸せを見失っている、という指摘はよく聞かれるところである。しかし、この場合の「科学」とは、そのまま「社会」や「経済」と言い換えてもほぼ同じ意味であり、単に諷刺的姿勢で、警告を発している気になっているだけの物言いである。』核兵器や原発事故だけを取り上げ、核技術が全て悪だと言うのはナンセンスであり、そうなると思考が停止し、極論では包丁や花火だってNO!となってします。

要が、何事にもリスクがあり、それを誰が負い、どれくらい許容できるかを広く開示し議論すべきだと思います。そしてそのために科学は必要であり、リスクを減らせるのもまた科学なのです。


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