肌の色を揶揄することには、問題があります。
大坂なおみ選手には「漂白剤」が必要と……漫才コンビが差別発言で謝罪:bbc 2019年09月26日
2019/09/29 19:29:48視聴では
「大阪選手は日焼けしすぎ」と、字が間違っていましたが、主張内容には頷けます。
ただ、日本だけではないと思いますが
- 一流では尊重しながらも
- 日常的に国籍違いを差別
これが問題でしょうか。
我が家の古代遺跡から「大坂」を検索してみました。
赤穂藩が吉良家から受けた(塩の)恩義を裏切ったことが忠臣蔵の原因なのに、なぜ一方的に吉良上野介が悪役に仕立てられ、討入つまり、なぐりこみをかけた浪士たちは義士と仰がれるまでに人気が高まったのだろうか。その理由の一つは、大石内蔵助が、武士同士の義理は欠いても、商売上の信用を守ったからである。・・・・・・・・
幕府は赤穂藩の現金回収に失敗してがっかりしたが、商人や民衆は赤穂藩の誠意に対して、感謝の気持ちをけっして忘れなかった。大坂で「仮名手本忠臣蔵」の芝居を打つとかならず大入になったという。これは、大坂の商人が感謝の気持ちから、席を買いきって空席を満たしたからである。:P.107-108 樋口清之「逆・日本史2」祥伝社
秀吉が、石山本願寺の跡地に、大坂城という城郭を建てたのである。: P.208 司馬遼太郎「十六の話」中央公論社
当時の刊本のうちもっとも美しいものは、京の豪商、角倉素庵の依頼で本阿弥光悦が板下(はんした)を書き、装飾にも心をくだいた、いわゆる「光悦本」だろう。光悦によって、謡本をはじめ『方丈記』『新古今集』など、さまざまな古典が美しく複製されたが、なかでも絵入りの『伊勢物語』刊本(1608年)は清彩を放っている。市販を主目的としたらしい本が刊行され始めるのは1609年からで、この年には、中国の詩文の代表作を収めた『古文真宝(こぶんしんぽう)』が上梓されている。刊本への需要がようやく高まり、京、大坂あるいは江戸などの大都会で、利にさとい連中が印刷に目をつけ始めたのであろう。・・・・・・
挿絵のこともある。17世紀初頭にもっとも喜ばれたのは、「奈良絵本」の影響もあって、美しい書体で書かれ、ふんだんに挿絵を使った本であったらしい。文章を活字で印刷したものに挿絵を加えることも、もちろん不可能ではなかったが、そうなるとやはり、文章と絵をまとめて1ページごとに1枚の板木に彫ってしまうほうが簡単である。そして、この板木単位の印刷技術が1620年代にひとたび確立してしまうと、それからあとの多くの日本文学は、もう挿絵なしには考えられないほどになってしまった。:P.9-12 ドナルド・キーン「日本文学史 近世編1」徳岡孝夫訳 中公文庫 2011年1月25日初版発行
表題とは関係がありませんが
日本古来の文学が、伝来した版下印刷技術によってよみがえってきたのでしょう。
この場合、古来の日本文学がよかったのか、それとも海外の印刷技術がよかったのか、それぞれに愛好者がひいきにするでしょうが、巧みに利用した業者と、それを許した政治環境がよかったとは言えます。
そういう目でみると
今の韓国では、巧みに利用する業者とそれを許さない政治環境が災いしており、この点に関するかぎり残念なことに韓国は日本の400年前より劣っていると言えます。
よく「政治問題」と「経済問題」はわけて考えるべきだという人がいますが、その人も都合がいいと「政治問題」をからめて言うのでした。
「内政干渉」もそうであり、都合がいい場合は「内政干渉」を指摘するのですが、自分が他国の「内政干渉」をしていると気がついていません。ようするに都合よくとらえているに過ぎないのです。
さてさて、皆様はどう思われますか。