カンムリワシ、ワシは名ばかり、言うばかり

20年前探せばカンムリワシがいて、10年前そこにはカラスがいて、いま両方ともいません。よって最近ではそれ以外の話題に。

中国の横暴

2014年05月28日 21時53分09秒 | アジア

中国の「孫子の兵法」を都合良く理解する人の中には

「戦わずして勝つ」などの文言に酔ったあまり、「中国が平和国家であり続けた」と見たがる傾向が見られます。  

しかし別の見方では

中国4000年の歴史は、好戦的で内戦に明け暮れた暴力連鎖の歴史だったともいえ、むしろこちらの方が当たっています。

いや好戦的なのは昔のことだろう

という人でも、この数年来の中国共産党の好戦的な姿勢をみると「孫子の兵法」が平和主義の象徴だったという見方には疑問が生じるでしょう。

何かに洗脳されるのではなく、さまざまな見方に触れておくと、よりいい判断を下せる、と思います。

 

こんなことを主張する人もいます。

 

中国の古典では、戦争や武力行使は決して絶対的な悪ではなく、相対的なものである。いったん自分たちが行う戦争の目的が正しいと判断されれば、どんな手段を行うことも正しいことになるのだ。自分たちの好戦的な振る舞いの責任を敵に押し付ければ、戦略の選択肢は制約されず、「不正な行い」も道徳的な意図が伴えば「正しい」という理屈になる。
 
このように、中国の古典は不戦屈敵や詭道だけでなく、武力行使の重要性も認識しており、中国人にとって「正しい戦争」ならば、彼らはあらゆる選択肢を柔軟に用いるという見方もできるのだ。 : P.358 エドワード・ルトワック「自滅する中国」奥山 真司 (翻訳) 芙蓉書房 2013年11月15日第4刷発行

 

この翻訳書の日本語は

必ずしもこなれているとは言えず、読みづらいところが多々見られますし、誤植も複数個みられますが、この1~2年前までの中国を扱った最新研究とも言え、重要な論調の一つには違いないと思います。〔読みづらいのは引用した部分以外でみられます。〕

この説によるまでもなく

中国の勝手な論調で「正しい戦争」というものがあれば、どんなことでも平気で行動に移すというのは、その通りでしょう。ベトナムが何を言おうとフィリピンが何を言おうと日本が何を言おうと、「そこは中国の領海だ」と宣言するだけで、そこから出てくる論理がすべて「正しく」なり、相手が間違っていることになるからです。そこには客観性など必要ではなく、いかに勝手に論調を組み立てるか、だけが大切。こんな楽なことはありませんね(笑)。


勝手な主張
   ↓
(その反動で起こった)混乱の責任は全て相手にある
   ↓
二カ国間交渉に持込むと威嚇しやすい

 

すべての責任が、自分ではなく相手にある、とは、これまた気楽な商売ですね(笑)。

中国としては、周辺国が中国の威嚇を受け入れる(支配下に甘んじる)場合に限って、武力を行使せず指導?だけで済む、という意味でしょうか(笑)。

中国人にとって反省という言葉は存在しないのでした。自分が何をどういっても、どういう行動をとっても、これは絶対的に正しく、もしも反対する人(国)がいたら、それは間違っているのであり、自分で訂正しなければならない、という小学校高学年の児童の論理ですね(笑)。

こういうのを中華の独善といいます。「中華のお膳(ちゅうかのぜん)」ではなく、「ちゅうかのどくぜん」ですので念のため(笑)。

 

この手にかかれば


「武器さえ持たなければ侵略されない」という信仰をっもつ国は、残念ながらチベットのように悲惨な結果を生むことでしょう。

最低限の阻止力と、周辺国との連携をもっていないと、この種の独善国家の横暴を、ただそのまま許してしまいます。

ヤクザや総会屋に対しては、毅然とした姿勢と行政・司法との連携がないと、不当な上納金をぼったくられるだけ。

 

縄の皆さんが

 

先の戦禍を記憶にとどめていて、戦争や武器に対する拒否感情をもち続けていることは、十分に理解できることで賛同する人も多いのですが、それに付け加えて中国に対する毅然とした姿勢を明示すれば、この感情が初めて普遍的な主張へと発展します。

中国のあまりにもひどすぎる横暴に触れることなく「ただ戦争反対・米軍反対」だけを叫んでいるなら、

    • 威嚇されたら、何の反論もせずに、唯々諾々と従う人たち
    • まるで自分たちが、日本やアメリカではなく中国による弾圧支配を望んでいる

と受け取られてしまう危険があります。これは中国人による「沖縄の主権は中国にある」という無謀な主張を補完するものです。
  
 

私が理解している範囲ですが、沖縄の庶民たちは

  

必ずしもマスメディアが主張する公の媚中(びちゅう)志向一色ではなく、中にはまともな主張もみられ、時折相当な嫌中(けんちゅう)意見もみられます。

それはちょうど、韓国人の全てが反日だと受け止めるような一面だけを報道したがる日韓の報道社を思い出させ、韓国へ住んだことも行ったこともないけれども、実際には公の主張と庶民の考えの間には大きいへだたりも見られる、というのに似ています。

これは儒教の影響を持ち続けている沖縄と韓国の共通点で、いい意味では、先祖や親や公の決定を大切にするとも言えますが、悪い意味では、公には反論しないだけで日常生活では、かなりきつい反論を吐露したり談合癒着を厳しく批判さえして社会の二重構造が甚だしい、と言えます。まぁどこにもある程度の二重構造はあるものですが・・・・。 

 

遅くはありません 

 

沖縄から、ぜひとも必要な発言をしてほしいと思います。
時代遅れの妙な左翼主義を標榜する沖縄のマスメディアが中国の横暴を批判することなどあり得ない、と思いながら、こう書いている次第でございます(笑)。

 

念のために申し上げますが、私はどこの何の組織とも関係がない市井の人間でして、それゆえに、一定の倫理観のもとに、しかし何の束縛もなく自由に、意見を表明できます。

インターネットの世界では、私と同じような人も見られますが、「もっともそうなことを言うけれどどこかの紐付き」で主張していることが大変多い、と知っておきましょう。

私はこれからも、何の支えもなくこの自由を保ち続けることでしょう。ですから、ひとつの意見として参考程度に聞いていただければさいわいでごぜーますだ(笑)。

 


 

上記内容は、同じ著者による 2720 中国の武力行使 から引用し、それに多少加筆したものです。

〔なお上記ブログ人へのリンクは、同ブログが閉鎖される2014/11以降に切れるであろうことを前もってお詫びしておきます。〕