北大路機関

京都防衛フォーラム:榛名研究室/鞍馬事務室(OCNブログ:2005.07.29~/gooブログ:2014.11.24~)

【京都幕間旅情】仁和寺,紅葉は鮮やかさ増す太陽と巡る-数多時代劇に描かれた情景と共に想う江戸東京との縁

2022-12-14 20:22:11 | 写真
■金堂は照らす陽光に輝く
 金堂や経蔵の紅葉がここまで鮮やかな瞬間というのは驚きでした。

 阿弥陀如来を本尊として奉じます寺院、12月初旬までの紅葉の季節は落葉の季節という木々の冬支度を終えてしまったのですが、素晴らしい情景と情感を示します。風景と伽藍に心打つ、その打ち方も、言葉にする事が難しいとされる仏教の受け止め方といえます。

 仁和寺の風景は多くの方になにか懐かしさを感じるところなのかもしれません、日本の原風景が此処にあるとも言いませんし、懐かしさというにはこうした巨大寺院は全国にある訳でもない、するとこれは既視感、というものなのでしょうか、いや既視感だとおもう。

 金堂と五重塔は、思い返しますと剣客商売や暴れん坊将軍など多くの時代劇に江戸の一幕として登場しています。遠山の近さんや必殺シリーズにも何度も出ている風景ですので、昨今は伝七捕り物帳はじめBSデジタル放送は朝昼に晩にと時代劇再放送の大盤振る舞い。

 忠臣蔵、今年の十二月は松平健さんが大石内蔵助を演じるテレビ朝日二〇〇四年版の忠臣蔵が本日先程まで一挙放送されていましたが、この撮影にも仁和寺、こうなんといいますか時代劇を、お祖父さんお祖母さんと小さいころ一緒に見ている際、親しんだ光景の一つ。

 江戸じゃないわ京都よ騙されては駄目、みんな目を覚まして、と思われるかもしれません。しかし、江戸といいますかこの寺院は不思議と徳川将軍家と関わりのある寺院といえるのです。御室御所と云う通り、この寺院は皇族が出家した際に入内する寺院、格が高いのだ。

 明治維新までは門主の住職にあたる門跡はみな皇族でした、いや例外はありまして、鎌倉時代の実力者九条道家の子法助、そして自ら日本国王を名乗った足利義満の子法尊は門跡を務めているのです、逆に言えばそれほどに敷居が高い寺院、中央からは重視されている。

 応仁の乱、しかし毎度と云いますか京都の歴史の御決りのはなしなのかもしれませんが、これがはじまると早々に東軍の攻撃を受け焼かれ伽藍は全焼しています。中央というのは幕府と朝廷を示すものですが、逆に言えば統治機構が不安定な時代には厳しかったという。

 徳川家光に、漸くと云いますか仁和寺の再興の機会に恵まれます。幸いなのは応仁の乱により焼ける前、御本尊だけは避難に成功しています。応仁の乱は殺戮が目的なのは緒戦のみ、近所で動員された足軽たちの戦争ですので放火掠奪が主体、ここが変に幸いしました。

 豊臣秀吉の時代から寺領安堵という財政支援はあったのですが、もともとは巨大な寺院ですので100石や500石では再建できないのです、この為に丁度京都上洛の最中でした将軍徳川家光に、仁和寺第二一世覚深法親王が直接仁和寺の再興を願い受け入れられた歴史だ。

 寛永年間の御所建て替、徳川家光はこの御所の建て替えに際して旧御所の建物を仁和寺に移築するよう命じまして、御所の紫宸殿と清涼殿、そして常御殿など仁和寺に下賜されることとなりました。移築に際し仏教建築の意匠に出来るだけ変えたともいわれるのですが。

 時代劇にて江戸の風景として示される事のある仁和寺、江戸じゃないわ京都よ騙されては駄目、と思われる方もいるのかもしれませんが、結局この仁和寺を再建したのは徳川家光の支援、この歴史的背景を視れば、江戸の勧善懲悪ものの時代劇に協力する背景が、とも。

 仁和寺は宿坊の方の、なんといいますか過剰勤務訴訟という話題もあります民法上の不法行為の関係もあります寺院ですので撮影に際してはいろいろと話があるのでしょうけれども、時代劇に描かれるには、徳川家光の頃から東京、いや江戸との繋がりが、あるのです。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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【京都幕間旅情】仁和寺,紅葉の極彩色包む御室御所は光孝天皇勅願の西山御願寺から始まる衣笠山麓の壮大寺院

2022-12-14 20:00:34 | 写真
■宇多法皇の御室御所
 紅葉の季節というと長い様でそう長くは無くどう巡るかを考えつつ秋の一時を考えるものです。

 仁和寺、おむろ桜が有名な仁和寺ですが桜の落葉は椛や楓に銀杏の紅葉よりも遥かに速いものの、その御室桜の木々が冬支度を終えてしまった後の仁和寺には、その深い歴史と広い境内とともに奥深い紅葉の彩が、見上げる衣笠山を借景に広がっているのです。

 御室御所、こうしょうされます仁和寺は京都市右京区御室大内の、きぬかけの路を金閣寺から龍安寺と等持院など延々散策していますと広がりまして、その途中に三万の学生が研究と探針を広げる立命館大学の巨大なキャンパスよりも、広々と寺域を湛えている。

 真言宗御室派の仁和寺はかつて法皇となった出家後の宇多法皇が門跡を務めた事から御室御所、こう称されるようになりました。あの御室桜も、元々高貴な方の頭上に広がるのは畏れ多いということで、低い桜の品種を交配した非常に低い桜花が咲く、そんな寺院です。

 太陽というのは気まぐれ、といいますか文字通り数分の時間により傾いていってしまいます、傾く、これは日没が早いという晩秋から冬を思わせる表現と思われるかもしれませんが写真を撮影するという上ではおもしろい効果も生むのですね、その一つが過剰露光で。

 紅葉、これは要するに椛や楓のいろづきとなるのですが、真上から直射日光となりますと、どうしても下の方まで梢に太陽の光は及びません、薄くなっている葉とはいえ、日光は遮るものですから、しかし太陽が傾くと、思いもしない小枝にも太陽の光が届き輝く。

 逆光でも紅葉や桜花については、透き通るように色彩が強調されますので、逆に美しい場合がある、なかでも新緑と紅葉については過剰露光となりますと逆に太陽の光が強調される、というのがおもはゆいところです、しかしこの太陽の光は刻々と移ってゆくのです。

 数分というものが本当に大事、と思うのは散策していますと先ほどまで陰でどんよりとしていた角度のところがほんどうにルビーの宝石のように輝いていたりしますので、一辺倒のまわるだけの拝観ですと気づかないというかくどや情景、いや絶景がこれほどに多い。

 西山御願寺、もともと仁和寺は光孝天皇の勅願で造営が始りました西山御願寺という名の寺院です、その造営は仁和2年の西暦886年に始まったということですが、晩節を悟り出家を志していたその光孝天皇は翌年崩御、残念な事に落成を見前に崩御してしまいました。

 宇多天皇が継いだ皇位とともに西山御願寺はその翌年仁和4年、つまり西暦888年に落成式を迎えています。そして元号から仁和寺としました、こうした経緯があります寺院ということで、宇多天皇は法皇宣下と共にこの仁和寺の住職となり、高い格式の寺院となった。

 仁和寺、おむろ桜の季節だけは、寺に入る際に拝観料を納めることとなるのですが、そのほかの季節には宸殿と書院、そしてその前に広がる庭園についてだけは拝観料が必要なのですが、国宝に指定されています金堂はじめ、五重塔などは自由に拝観者へ開かれている。

 金堂に手を併せ拝みますとともに拝観の順路と歴史を思い浮かべますと、考えてみると東寺も清水寺も東福寺も大徳寺も、京都の寺院は本堂にあたる建物というものは拝観料をほぼとっていないのですよね、清水寺も本堂は受付の前、拝めるといえば拝めるのです。

 五重塔、此処を見上げます一角には休憩所が用意されていまして、屋根も在れば自販機もある、しかしその一角では巨大なテレビモニターが用意されていましてお寺の歴史などを紹介している、成程なあと感心したのは、これが現代の布教なのかもしれないという点なのだ。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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防衛費GDP2%-岸田総理"震災復興税""建設国債"転用検討,無理な増額よりも当面防衛力建直しに傾注しては?

2022-12-14 07:00:09 | 国際・政治
■GDP2%は持続的施策か
 無理な負担を続ければ必ず反動が来ます、諸外国にはGDP2%を支出している事例はありますが各国は防衛費の歳出における比率を高めた結果であり単に増税したわけではありません。

 防衛費GDP2%問題について、岸田総理は消費税については社会保障目的税である為に流用できないとした上で、東日本大震災復興特別税の流用を検討開始しました、また、建設国債の活用も検討するとのことです。いや、震災復興特別税こそ目的税ではないかと思いますし、なにより次の震災の懸念があるからこそ全国の原発が動かせず今に至るのですが。

 ミサイル防衛、この新任務が付与され毎年数千億規模の費用を防衛費を増額せず捻出する為に、自衛官の大半を非正規雇用として募集を難しくし、防衛装備品調達を生産ライン維持困難か不可能な水準まで後退させ多くの防衛産業が撤退乃至撤退検討を始め、装備維持費を削り過ぎた為に折角調達しても低稼働率の装備が増えている、問題の原点はここです。

 防衛産業維持へ補助金という構想も出ているようですが、例えば戦車の工場を維持出来ない理由は戦車や装甲車両の調達数が少なすぎる為であり、補助金を出して工場を維持出来れば更に調達を削れると早合点するような施策はまさに本末転倒であり、補助金が無くとも1990年代の調達数に戻せば、辛うじて生産ラインは維持できる点を忘れるべきでない。

 任務が増えたのに増えた任務分の予算を確保しなかった、問題の根底は此処にあるのですから、ミサイル防衛の費用を予算に加えれば、GDP2%まで上げずとも対応できる部分は多いのではないかと思う。勿論、20年間にわたりミサイル防衛事業の影響を受け調達できなかった装備を調達する必要がありますので、短期的には相応の反動はあるのですけれども。

 GDP2%,いままでは1%であるから負担感が低く抑えられていたといえるのですがGDP2%というならば、自衛隊反対か賛成かという哲学論争から一歩出た、どういう防衛力が必要なのか、逆の表現ではどういう分野の防衛力を省いても国民は“その時”に忍耐を果たせるのか、という議論が必要となるのかもしれません。そして予算の効率的な運用なども。

 反撃能力として数兆円という多額の予算を投じるが、例えばF-15戦闘機の後継にF/A-18EやF-15EX等打撃力の強い機体を導入すれば反撃能力を整備せずとも航空打撃力で代替できるのではないかとか、高性能無人機を大量に導入する案よりも今迄通り戦闘ヘリコプターを揃えた方がよいのではないか、などなど賛否に留まらない議論が、必要となるように思います。

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