■城郭見聞記
岐阜城に引き続き展開した彦根城は、今年が建築400周年記念ということもあり、マスコットの“ひこにゃん”が至る所に飾られ、さまざまなイベントが計画されているとの事だ。今回はイベント前夜というべき彦根城の写真を特集したい。
彦根城は1600年の関ヶ原の戦いに際して抜群の戦功をあげた井伊直政に対して、徳川家康が石田光成の居城であった佐和山城を与え、1601年に入城した。
井伊直政はその後、この彦根山に城を移築しようとしたが志半ばにして病死し、その子である井伊直継が彦根山への城郭移築を継いだ。この一大工事に初代将軍徳川家康は七カ国十二大名に彦根城の建築を支援させ、築城開始から20年という長い年月をかけ、1622年に彦根城を完成させた。彦根城は1952年に天守閣が国宝指定を受け、1951年に天秤櫓、太鼓門櫓、佐和口多聞櫓が重要文化財指定を、1956年には彦根城一帯が特別史跡に指定された。
そこで、何を以て400年祭か、という素朴な疑問が残らないでもないが、彦根城に展開したのだ。
彦根城は彦根駅から徒歩ですぐである。岐阜城も駅からすぐと聞いたのだが、結構あった。しかし、写真は彦根駅から撮影したものであるがこのように比較的近い。彦根山は標高50㍍と小高い丘で、安土城跡も比較的近い。彦根駅は新快速停車駅であるが、琵琶湖線新快速は一時間四本の内、二本は野洲止まりであるので注意が必要である。
なお、写真の道の向こう側に見えているのは護国神社である。
幕府の許可を得て彦根城の造営を開始した彦根城であるが、内堀、中堀、外堀の内、既に1950年までにマラリア撲滅という衛生的な目的から外堀が埋められてしまい、今は中堀、内堀だけを残すのみとなっている。実は1906年から中堀の一部を用いて滋賀県水産試験場の鯉稚魚放流が行われ、今に至る。写真には中堀の中に立て札が立てられているが、釣り禁止を示すもので、その周りには主というべきかかなり大きな鯉が泳いでいた。
二の丸佐和口多聞櫓、重要文化財指定を受けているものである。
井伊直孝の第二期築城工事に際して建築されたものであるが1767年に火災により焼失し1769年から1771年にかけて再建されたものである。
まさに彦根城の入り口という風格を漂わせているが、この向こうに自動車駐車場がある為、あまりうっとりとみていると轢かれるので要注意である。
向かって右側の建築物は明治初期に陸軍省により取り壊されたものの、明治維新に至るまでの開国の決断を下した江戸幕府大老井伊直弼の再評価の機運が高まり、桜田門外の変から百周年にあたる1960年に再建されたものである。
なお、石垣自体は建築当時のものが維持されている。やはり実戦を想定した城ということもあり、銃眼が設けられている。
いよいよ彦根城に入る。
新日本観光地百選の一つとして琵琶湖八景「月明彦根の古城」として知られる彦根城であるが、内堀までの道路は無料公開されており、この先が有料である。500円であるが、博物館の入場料を合わせ900円のコースもある。イベントの関係もあり修理されているところや使うことの出来ない駐車場もあるので、注意が必要である。
彦根城天守閣に登る道は四箇所あるとされるが、そもそも城郭の石段は攻城戦に際して突撃破砕線の構築を目的とするものが多く、必然的に段差などが不規則であったり、角度や斜面が急変するものもあるという。小生の感覚では天守閣内部の方が急であったこともあり、この石段はPC持参の小生にとっても厳しいものではなかったが、名古屋城と異なりエレベータはない。ご老体には堪えている、という感じの方々も散見した。
天秤櫓、これも重要文化財指定を受けている。
豊臣秀吉が建築した長浜城大手門を移築したものであると伝えられ、丁度天秤のような形状をしている為この名前がつけられたとされる。1854年に石垣の大修理が行われており、これにより東西の石垣の形状がやや異なっているという。なお、写真の橋梁は木造で、有事の際には焼却し敵の侵入を阻止するという。
天秤櫓を越えて更に天守閣への石段を進む。石段の間隔が最初に挙げた写真と異なるのがお解かりいただけるだろうか。
なお、写真撮影のたびにこの時期の日照不足から生じる淡い写りと枯れた木々には閉口してしまうが、この彦根城は桜の名所であり梅の名所である。もう間もなく、この城は花々により美しく彩られることになる。まあ、暑い夏季は撮影への労力に閉口するのだが。
太鼓櫓、天守閣に至るまでの最後の櫓であり、これもやはり重要文化財指定を受けている。
この太鼓櫓という呼称は、かつてここに太鼓が置かれ、入城者などを場内に知らせたことに端を発するとされる。ここからは彦根市内を望見出来る。そしてこの櫓を越えるといよいよ天守閣が目に入る。この櫓の内部は現在一般公開されており、全国の城郭についての写真展示などが行われている。
彦根城天守閣。
国宝指定を受けている。
天守閣は1606年に完成したもので、大津城の天守閣を移築したものといわれている。一般に公開されており、天守閣からは琵琶湖から長浜や大津、琵琶湖の島々などを望見する事ができる、筈なのだが当日はやや靄がかかっていたのが残念であった。
天守閣を別方向から見たもの。
彦根城の石垣は“ごぼう積み”と呼ばれる彦根城独自のもので、一見粗雑に見えるものの頑丈なつくりであるとされている。
また、天守閣は規模こそ他の城郭と比べ、やや小さいものの屋根の組み合わせが巧みであり、この独特な配置の部分が彦根城の特色といわれている。
天守閣と石垣を入れつつ、広大な琵琶湖の眺望、彦根城は広大であり、その一周は現行の中掘だけでも4kmに達する。
この他に天守閣内部や庭園である玄宮園などの撮影も行ったが、これを掲載すると更に長くなってしまう為、掲載は次回以降にお伝えしたい、お楽しみに。
HARUNA
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