北大路機関

京都防衛フォーラム:榛名研究室/鞍馬事務室(OCNブログ:2005.07.29~/gooブログ:2014.11.24~)

【日曜特集】第7師団創設56周年記念行事(22)戦車前進!90式戦車と89式装甲戦闘車の協同(2011-10-09)

2022-12-04 20:22:35 | 陸上自衛隊 駐屯地祭
■90式戦車の迫力と共に
 90式戦車はもう少し短期間で生産していれば既存車輛の稼働車輛と長期改修中のと分けられたのですがと思いつつ、前回の装甲戦闘車の話題の続きを。

 数十mまで寄せなければ装甲戦闘車は、下車戦闘を行いません、自衛隊の運用はなにしろ装甲戦闘車が68両しかありませんので普及していないのかもしれませんが、基本は下車戦闘が最後の数十mまで、装甲戦闘車は機関砲3P弾のような散弾で敵陣地を制圧しつつ。

 下車戦闘の距離が長ければそれだけ火箭に普通科隊員を曝す事になる、接近し、下車戦闘は陣地の目の前、場合によっては陣地に突っ込んで後に下車させるため、掃討は数分、制圧後にはそのまま乗車する、敵陣地を制圧して部隊旗を掲げて万歳する時間はありません。

 時間は敵に有利を与える、特に専守防衛では相手に次の陣地や機動の時間を許すだけですので無意味どころか危険、こうして当面の敵を撃破してもそのまま次の状況に進むのが装甲戦闘車の戦闘です、普通科隊員も下車戦闘が最小限の時間であれば疲労も少ないのです。

 最小限度の時間であればもちろん損耗も。戦車を防衛省は300両まで削減するのだから、装甲戦闘車を600両、これでも控えめですが充足する必要はあると思う、これができないならば戦車を1000両に戻して旧態依然という古い戦闘に回帰してゆくしかなくなります。

 運動戦よりは内陸誘致戦略という、国土は焦土となりますが、敵に出血を強要する機動力とはあまり関係のない戦闘ドクトリンしか、ほかに選択肢がなくなるのですから。日本は国土が狭いのだからそうした機動戦は無い、こう思われる方もいるのかもしれませんが。

 撤退戦も考えなければなりません、機動、マニューバとは本来、不利で在れば一旦引いて迂回機動をおこなうことで逆に包囲するような、自由自在なものなのですから。一旦後退するにも、普通科の機動力が低ければ戦車だけ後退する事もできません。随伴できない。

 友軍を置いて逃げるわけにはいかない、という様な義理人情もあるのかもしれませんが、それ以前に次の包囲機動を普通科無しで行うことになるのだから。そしてこの認識は、特科部隊にも施設科部隊にも当てはまります。特に自走榴弾砲の機動力も問題ではないか。

 自走榴弾砲、まず肝要なのはいまの99式自走榴弾砲と89式装甲戦闘車の関係を見直すというか、99式自走榴弾砲を戦車の機動力に随伴できる水準に高める点でしょうか、具体的には99式自走榴弾砲は89式装甲戦闘車の共通車体、設計を応用して開発された点です。

 99式自走榴弾砲のほうが89式装甲戦闘車よりも重いのですから、89式装甲戦闘車のエンジンなどと共通化するならば機動力が低下するのは在る意味当然といえます、89式装甲戦闘車は26tで、これも現代では軽すぎるが当時では重装甲だった、そしてこの派生装備だ。

 99式自走榴弾砲は40tです。特科火砲は後方から全般支援するのだからそれほどの機動力は必要ない、この認識なのですが2000年代から転換点を迎えているといえる、それは自走火砲も戦車とともに前進しなければならないように、現代の戦場は広くなったのです。

 マニューバの範囲が戦術的に大きくなったのですね、この動きは好むと好まざると一例として無人航空機の増大が改革を促しています、従来のせまい戦域であれば簡易な無人航空機により情報優位の余地が狭くなる、戦場が狭ければ安価な無人航空機に接近される。

 間合いをつめられてしまうのですが、その行動圏外を大きく分散し迂回し、包囲機動を行い、攻撃の瞬間に戦力を集中する、このために例えばアメリカのデジタル重師団などは2000年代に既に師団の戦闘責任範囲を300km四方としています、機動力が肝要なのですね。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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【京都幕間旅情】東福寺,円爾と九条道家-紅葉木々包む伽藍は権謀術数渦巻く鎌倉時代に日本での禅宗を広める

2022-12-04 18:23:33 | 写真
■空と紅葉と東福寺の伽藍面
 伽藍面、東福寺の伽藍面といわれるのは建造物の大きさがいかにも仰々しく偉そうだという意味があるのです。

 東福寺はその伽藍の壮大さもさることながら歴史の奥行き深さもなかなかに感じ入るものが有ります、円爾が開山とらり開かれた寺院ですが、開基は九条道家となっています。この九条道家という人は鎌倉時代の将軍源頼経その実父でした、光明峯寺関白ともいう。

 興福寺と東大寺から一文字づつを冠してこの東福寺を、とはよくこの寺院の名を説明する際に用いられる説明なのですけれども、国家安泰と君臣共栄というような目的で大寺院を造営する事を思いつき、この際に中国の径山で修業し帰国したばかりの円爾に頼りました。

 禅宗寺院、当時禅宗という仏教流派は中国で生まれた最新のものであり、栄西はじめ鎌倉時代初期に日本へ持ち込まれたものです。しかし、かの空海の真言宗が結局神護寺から高野山へ遷座したように当時の京都では比叡山の天台宗が影響強かったのはご承知の通り。

 栄西の頃まで遡りますと、結局仏教寺院御体系に禅宗が入り込む事が出来たのは中国に近い九州の博多など貿易港の近くと、そして禅宗をその日本の草創期に支持したのが源頼朝、鎌倉幕府であったということは、禅宗が親しまれた事には偶然も作用したといえるのです。

 九条道家は鎌倉将軍源頼経の実父、そして太政大臣九条良経の次男でもありまして、京都における影響力を強めすために寺院造営を試みた、という背景があります。これは言い換えれば大きな寺院で影響力があれば、それは禅宗である必然性は無かったとも、いえる。

 幕府の方から朝廷へ接近しており、結果的に貴族の子弟を鎌倉将軍に迎えた、という構図もあるのですが、考えて行かなければならないのは、武家社会と武家政権という概念は、鎌倉幕府と室町幕府と江戸幕府を経て近代史は現代へ、という理解が一考の余地もある。

 摂政に関白と左大臣、九条道家はこうした官職にありますので京都と鎌倉の一つの距離感、というものを感じるところです。ただ、確かなのは利用された構図というものはあるのですが、ここ京都の東山、比叡山に繋がる立地に前主の寺院が壮大な規模で開かれたという。

 藤原頼経を4代将軍に、この要請は三代将軍暗殺という鎌倉幕府特有の暴力による解決の収拾として求められ、名を源頼経と改めた上で東下りとなりました。ただ、東福寺はこれに乗じて権力基盤、というには余りに壮大であり、完成前に九条道家は失脚、没している。

 円爾による東福寺の完成は建長7年こと西暦1255年、実に造営に19年の年月を経て実現しているのですが、興味深いのはこの巨大な寺院は鎌倉幕府の権力闘争に間接的に巻き込まれる形で、しかし日本全体に禅宗を広める象徴的な役割を果たしているのです、それは。

 建長寺、鎌倉に造営された巨大寺院はもともと東福寺を越える寺院を鎌倉に、という目的で幕府執権北条時頼により造営されました。九条道家は失脚したと前述しましたが、これは北条時頼と宝治合戦という内乱を戦い敗北してのものであり、時頼は象徴を必要とした。

 蘭渓道隆、中国のやはり径山で修業した蘭渓道隆を招いて建長寺を造営したものの、造営の翌年に円爾を招いているのですね。建長寺も今日に壮大寺院として残るものですが、結果的に日本はごく短い時期で西日本と東日本に巨大な禅宗寺院を建立するに至った、と。

 宗教と権力、この関係性は今日的な視野で中世の視野を見通す事は出来ないのですけれども、一時坐禅すれば一時の仏なり、一日坐禅すれば一日の仏なり、一生坐禅すれば一生の仏なり、権謀術数渦巻く鎌倉時代にあってある種強かにも、禅宗は広まっていったのです。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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ウクライナへ米軍余剰のAH-1S/AH-1W攻撃ヘリコプター供与可能ならば冬季戦闘は一気にウクライナ優位へ

2022-12-04 07:01:01 | 防衛・安全保障
■臨時情報-ウクライナ情勢
 ロシア軍地対空ミサイルが枯渇しているならばヘリコプターの活躍の場が生まれます、21世紀の戦争であるにもかかわらず両軍ともに殆ど空軍を活用できていない戦闘を正に転換させうる。

 F-16戦闘機がウクライナへ供与される可能性について前に幾度か紹介しました、HARM対レーダーミサイルによるロシア軍防空制圧任務としてロシアのミサイル狩りを行うとか、クラスター爆弾を、非人道的といわれてもウクライナ国内で用いるので問題は限られる、ロシア軍戦車部隊に対して投入するなど、仮に実現した場合には戦況を変えうるものです。

 しかし、いくつかの視点で難しい問題があります。それはアメリカのバイデン大統領がロシア本土を攻撃できる長距離打撃力は供与しない、としていて、HIMARSから発射するATACMSロケット弾さえ供与していないのです、F-16の戦闘行動半径はATACMSよりも長く、クリミアでもロストフさえ十分その戦闘行動半径に収めています、そしてもう一つ。

 F-16戦闘機は戦闘機そのものの操縦技術よりもシステムの運用技術に高い水準が求められます、故に地上シミュレータの重要性が高い世代の戦闘機となっている、映画の"アイアンイーグル"のように高校生が簡単に飛行機としてとばすことは出来ても、戦闘機としてシステムを使いこなすことは出来ません。しかし、航空機の供与となると別の機種が思い浮ぶ。

 AH-1W攻撃ヘリコプターやAH-1S対戦車ヘリコプター、AH-1Wは海兵隊がここ数年間で新型のAH-1Zに置き換えている機体であり、一部は改修されているものがありますが一部は用途廃止となった機体が存在する。AH-1S対戦車ヘリコプターは陸軍州兵でも退役し、森林保護局が山林火災監視用に使うなど余剰があり、これらは供与できるかもしれない。

 冬の到来で戦車が堅い地形を縦横無尽に活動できるために戦車には有利だ、こういう視点がありますが、冬は周りの気温が下がり戦車のエンジン排熱がひときわ目立つために赤外線センサーを搭載した対戦車ヘリコプターには絶好の狩り場、ロシアのように低空飛行すると撃墜されるでしょうが、NATOや自衛隊のように低く匍匐飛行すれば撃墜は困難だ。

 いままでなぜ供与しなかったのか、と訝る方もいるでしょう。しかし、緒戦の状況で供与したとしても短期間で地対空ミサイルに撃墜されていた可能性が高いのです。一方現在、ロシア軍は地対空ミサイルをかなり撃ち尽くしている、ここでアメリカが対戦車ヘリコプターをウクライナ軍へ訓練教育し供与した場合、冬季の戦場はロシアに不利となります。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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