■90式戦車の迫力と共に
90式戦車はもう少し短期間で生産していれば既存車輛の稼働車輛と長期改修中のと分けられたのですがと思いつつ、前回の装甲戦闘車の話題の続きを。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7f/c4/afc20d96c29a956714d0a1c55e3cd5cd.jpg)
数十mまで寄せなければ装甲戦闘車は、下車戦闘を行いません、自衛隊の運用はなにしろ装甲戦闘車が68両しかありませんので普及していないのかもしれませんが、基本は下車戦闘が最後の数十mまで、装甲戦闘車は機関砲3P弾のような散弾で敵陣地を制圧しつつ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/32/bf/b4412234304f2f48b412ef6e90975d28.jpg)
下車戦闘の距離が長ければそれだけ火箭に普通科隊員を曝す事になる、接近し、下車戦闘は陣地の目の前、場合によっては陣地に突っ込んで後に下車させるため、掃討は数分、制圧後にはそのまま乗車する、敵陣地を制圧して部隊旗を掲げて万歳する時間はありません。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0d/59/f42f3797fb9d5e830a918cc542a96e03.jpg)
時間は敵に有利を与える、特に専守防衛では相手に次の陣地や機動の時間を許すだけですので無意味どころか危険、こうして当面の敵を撃破してもそのまま次の状況に進むのが装甲戦闘車の戦闘です、普通科隊員も下車戦闘が最小限の時間であれば疲労も少ないのです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6e/82/24bb91efaefd9145024c8fcbc5dc4ed2.jpg)
最小限度の時間であればもちろん損耗も。戦車を防衛省は300両まで削減するのだから、装甲戦闘車を600両、これでも控えめですが充足する必要はあると思う、これができないならば戦車を1000両に戻して旧態依然という古い戦闘に回帰してゆくしかなくなります。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/79/5c/2a1bfb55ce02c261951bc20c438596ea.jpg)
運動戦よりは内陸誘致戦略という、国土は焦土となりますが、敵に出血を強要する機動力とはあまり関係のない戦闘ドクトリンしか、ほかに選択肢がなくなるのですから。日本は国土が狭いのだからそうした機動戦は無い、こう思われる方もいるのかもしれませんが。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/63/31/359ecdce92ef9ea8059efc4524afcc1c.jpg)
撤退戦も考えなければなりません、機動、マニューバとは本来、不利で在れば一旦引いて迂回機動をおこなうことで逆に包囲するような、自由自在なものなのですから。一旦後退するにも、普通科の機動力が低ければ戦車だけ後退する事もできません。随伴できない。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0b/35/dd4cc68bec72ec2dbda0fd7a36a06b59.jpg)
友軍を置いて逃げるわけにはいかない、という様な義理人情もあるのかもしれませんが、それ以前に次の包囲機動を普通科無しで行うことになるのだから。そしてこの認識は、特科部隊にも施設科部隊にも当てはまります。特に自走榴弾砲の機動力も問題ではないか。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/70/64/07f3e256c2fcd2ba5446c116dba37865.jpg)
自走榴弾砲、まず肝要なのはいまの99式自走榴弾砲と89式装甲戦闘車の関係を見直すというか、99式自走榴弾砲を戦車の機動力に随伴できる水準に高める点でしょうか、具体的には99式自走榴弾砲は89式装甲戦闘車の共通車体、設計を応用して開発された点です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/23/f4/6771b794e4f602fac5c27f62b0e00da5.jpg)
99式自走榴弾砲のほうが89式装甲戦闘車よりも重いのですから、89式装甲戦闘車のエンジンなどと共通化するならば機動力が低下するのは在る意味当然といえます、89式装甲戦闘車は26tで、これも現代では軽すぎるが当時では重装甲だった、そしてこの派生装備だ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4d/03/0de8bd9cd7f0c3d0d5fb7346c85e1d90.jpg)
99式自走榴弾砲は40tです。特科火砲は後方から全般支援するのだからそれほどの機動力は必要ない、この認識なのですが2000年代から転換点を迎えているといえる、それは自走火砲も戦車とともに前進しなければならないように、現代の戦場は広くなったのです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/10/78/a130e8a76d07af73daa67723f04d5d76.jpg)
マニューバの範囲が戦術的に大きくなったのですね、この動きは好むと好まざると一例として無人航空機の増大が改革を促しています、従来のせまい戦域であれば簡易な無人航空機により情報優位の余地が狭くなる、戦場が狭ければ安価な無人航空機に接近される。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0f/cc/fc72efc36cd48ea39c0c78439529bd42.jpg)
間合いをつめられてしまうのですが、その行動圏外を大きく分散し迂回し、包囲機動を行い、攻撃の瞬間に戦力を集中する、このために例えばアメリカのデジタル重師団などは2000年代に既に師団の戦闘責任範囲を300km四方としています、機動力が肝要なのですね。
北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
(本ブログに掲載された本文及び写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)
(本ブログ引用時は記事は出典明示・写真は北大路機関ロゴタイプ維持を求め、その他は無断転載と見做す)
(第二北大路機関: http://harunakurama.blog10.fc2.com/記事補完-投稿応答-時事備忘録をあわせてお読みください)
90式戦車はもう少し短期間で生産していれば既存車輛の稼働車輛と長期改修中のと分けられたのですがと思いつつ、前回の装甲戦闘車の話題の続きを。
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数十mまで寄せなければ装甲戦闘車は、下車戦闘を行いません、自衛隊の運用はなにしろ装甲戦闘車が68両しかありませんので普及していないのかもしれませんが、基本は下車戦闘が最後の数十mまで、装甲戦闘車は機関砲3P弾のような散弾で敵陣地を制圧しつつ。
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下車戦闘の距離が長ければそれだけ火箭に普通科隊員を曝す事になる、接近し、下車戦闘は陣地の目の前、場合によっては陣地に突っ込んで後に下車させるため、掃討は数分、制圧後にはそのまま乗車する、敵陣地を制圧して部隊旗を掲げて万歳する時間はありません。
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時間は敵に有利を与える、特に専守防衛では相手に次の陣地や機動の時間を許すだけですので無意味どころか危険、こうして当面の敵を撃破してもそのまま次の状況に進むのが装甲戦闘車の戦闘です、普通科隊員も下車戦闘が最小限の時間であれば疲労も少ないのです。
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最小限度の時間であればもちろん損耗も。戦車を防衛省は300両まで削減するのだから、装甲戦闘車を600両、これでも控えめですが充足する必要はあると思う、これができないならば戦車を1000両に戻して旧態依然という古い戦闘に回帰してゆくしかなくなります。
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運動戦よりは内陸誘致戦略という、国土は焦土となりますが、敵に出血を強要する機動力とはあまり関係のない戦闘ドクトリンしか、ほかに選択肢がなくなるのですから。日本は国土が狭いのだからそうした機動戦は無い、こう思われる方もいるのかもしれませんが。
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撤退戦も考えなければなりません、機動、マニューバとは本来、不利で在れば一旦引いて迂回機動をおこなうことで逆に包囲するような、自由自在なものなのですから。一旦後退するにも、普通科の機動力が低ければ戦車だけ後退する事もできません。随伴できない。
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友軍を置いて逃げるわけにはいかない、という様な義理人情もあるのかもしれませんが、それ以前に次の包囲機動を普通科無しで行うことになるのだから。そしてこの認識は、特科部隊にも施設科部隊にも当てはまります。特に自走榴弾砲の機動力も問題ではないか。
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自走榴弾砲、まず肝要なのはいまの99式自走榴弾砲と89式装甲戦闘車の関係を見直すというか、99式自走榴弾砲を戦車の機動力に随伴できる水準に高める点でしょうか、具体的には99式自走榴弾砲は89式装甲戦闘車の共通車体、設計を応用して開発された点です。
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99式自走榴弾砲のほうが89式装甲戦闘車よりも重いのですから、89式装甲戦闘車のエンジンなどと共通化するならば機動力が低下するのは在る意味当然といえます、89式装甲戦闘車は26tで、これも現代では軽すぎるが当時では重装甲だった、そしてこの派生装備だ。
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99式自走榴弾砲は40tです。特科火砲は後方から全般支援するのだからそれほどの機動力は必要ない、この認識なのですが2000年代から転換点を迎えているといえる、それは自走火砲も戦車とともに前進しなければならないように、現代の戦場は広くなったのです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/10/78/a130e8a76d07af73daa67723f04d5d76.jpg)
マニューバの範囲が戦術的に大きくなったのですね、この動きは好むと好まざると一例として無人航空機の増大が改革を促しています、従来のせまい戦域であれば簡易な無人航空機により情報優位の余地が狭くなる、戦場が狭ければ安価な無人航空機に接近される。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0f/cc/fc72efc36cd48ea39c0c78439529bd42.jpg)
間合いをつめられてしまうのですが、その行動圏外を大きく分散し迂回し、包囲機動を行い、攻撃の瞬間に戦力を集中する、このために例えばアメリカのデジタル重師団などは2000年代に既に師団の戦闘責任範囲を300km四方としています、機動力が肝要なのですね。
北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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