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【M-5撮影特報】阪神基地サマーフェスタ二〇二四,イージス艦まやDDG-179(2024-07-14)

2024-07-18 20:00:44 | 詳報 陸海空自衛隊関連行事
■DDG-179-MAYA
 阪神基地サマーフェスタへ行って参りました。

 海の日三連休、という事で色々考えたのですが不思議と海の日には京阪神地区では艦艇広報などは行われなかったものの、海の日三連休中日の日曜日には阪神基地サマーフェスタ、大阪港護衛艦いずも一般公開が行われるという。ならば、行くしかない。

 まや。山陽本線摩耶駅のはなしではなく、今回の阪神基地サマーフェスタは横須賀からイージス艦まや入港と一般公開が行われる、ということで個人的に注目していたのですが、わたくしとしては稀有なことに一人巡りではない撮影紀行となりまして。

 阪神基地サマーフェスタまや一般公開、179の艦番号はイージス艦が173の護衛艦こんごう、こんごう型護衛艦から始まりまして、あたご型となり続いて第三世代のイージス艦、というところ。アメリカ風に言えばフライトⅢというべきかフライトⅡAか。

 まや型ミサイル護衛艦一番艦まや、二番艦として建造されていました護衛艦はぐろ竣工とともに海上自衛隊のイージス艦はミサイル護衛艦の定数8隻をすべてイージス艦により統一できることとなりましたので、まや建造は自衛隊にとり悲願でした。

 こんごう竣工が1993年ですから既に31年前であり、旧海軍の戦艦金剛が明治時代の戦艦故に太平洋戦争では最古参の戦艦となっていたしたけれども、イージス艦こんごう運用期間もそんな感じになっている、ひと昔は護衛艦の寿命は32年だったのだ。

 8隻、というのは海上自衛隊の水上戦闘艦部隊の主軸となっています護衛艦隊、その護衛艦隊を構成する機動運用部隊が4個護衛隊群となっていまして、計画では各護衛隊群にミサイル護衛艦を2隻配備することとなっている、これも冷静に計算してのこと。

 ターターシステム艦、海上自衛隊の艦隊防空艦は1963年竣工のミサイル護衛艦あまつかぜ以来、たちかぜ型、はたかぜ型、とターターシステムを採用してきました。2隻のターターシステム艦が右半分と左半分を防空する、というような運用が想定されて。

 ミサイル時代、しかし、冷戦時代にソ連が超音速爆撃機バックファイアに超音速対艦ミサイルを搭載して運用するようになりますと、ターターシステム艦と各護衛艦の艦砲などによる防空戦闘では生存性が厳しく、個艦防空ミサイルなどにも限界がきまして。

 イージス艦は、海上自衛隊がオペレーションリサーチの先に導入を決断したものでした。これ、もともとはアメリカが開発する際、1944年マリアナ沖海戦を研究した際、小沢提督の日本艦隊が仮に飽和攻撃を仕掛けてきた場合を検証したのがはじまり。

 マリアナ沖海戦は、アウトレンジ攻撃に拘り、偵察機の索敵情報と索敵線の延伸を背景に不確かな情報でアメリカ艦隊が二群に分かれていると分析し、攻撃隊を二分してしまい更に逐次攻撃を行った為、攻撃機20機程度を逐次投入する事となっている。

 しかし、マリアナの七面鳥うちと揶揄された艦隊攻撃がもし、日本の9隻の空母が一斉に航空部隊を突入させた場合はどうなるかという結果を研究しますと、今の防空システムでは不十分、として自動化され組織化された艦隊防空システムが開発開始され。

 イージスシステムまで、タイフォンシステムや3Tシステムなど幾つかの道を経て完成したという。今年はマリアナ沖海戦から80年を経ることとなりまして何か複雑な気分なのですが、イージス艦まや、阪神基地にたたずむその雄姿を見上げたのでした。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ まや
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