goo blog サービス終了のお知らせ 

北大路機関

京都防衛フォーラム:榛名研究室/鞍馬事務室(OCNブログ:2005.07.29~/gooブログ:2014.11.24~)

【G3X撮影速報】小牧基地航空祭二〇二五【3】UH-60救難ヘリコプター救難展示開始(2025-03-01)

2025-05-22 20:12:46 | 陸海空自衛隊関連行事詳報
■gooブログ
 かっこいい飛行展示と救難飛行展示の写真と共にですが語るのはまあしばらくはこんな感じです。

 gooブログのサービス終了、しかし考えると漸くgooブログの特性を活かした掲載とともに、多少昔よりはつまらなくなっているだろうけれども、Weblog北大路機関というものを持続的に掲載してゆく流れを掴んだところなので、ちょっと残念ではある。

 カテゴリごとの、またハッシュタグによる記事の区分、このあたりは全部、移転先では維持できないのだろうなあ、と思うと少し残念です。いまこの記事、記事そのものをクリックすると、下に過去10記事を最初の写真一枚とともに並べて掲載する機能がありますが。

 gooブログ以外にもそうした表示性能はあるのかもしれませんが、自衛隊関連の速報機時では陸海空が10枚に集まるように、京都の風景の写真では春夏秋冬を10枚で俯瞰できるように、鉄道車両だと色合いで決めるか、向きで決めるかを考えて掲載します。

 インスタグラムのように正方形にしか写真は縮小表示されませんので、ああアタマが写真からきれちゃった、とかそう、残念に思うことがあるのだけれど、うまく表示されて10並ぶと、ああ、それなりに仕上げられたのだなあ、と自己満足するのですけれども。

 はてなブログに移転予定ですが、そもそも、ブログ、最近はよそ様のブログを見る機会がありませんし、ブロガーと横文字ひとくくりにされるけれども、横のつながりというのは、 ブロガー同士、日本では交流するところってどんなところがあるのでしょうかねえ。

 ミルブロガーという、ロシアではロシアウクライナ戦争の重要な情報源、バイアスはかかっているということは理解するのですけれど、ブロガーという単語がこう言うところで出てきますと、ブログという概念は残っているのだなあ、となにか考えさせられるのですが。

 インスタグラムで写真を掲載する、YOUTUBEで行事の動画を公開する、結局自衛隊関連行事といいますか、写真を撮影して公開する場というものは多彩化する一方、此処に持論を指し込む余裕というものは、というよりも文字離れとなっているような残念な。

 Twitter、いまのXでユーザーとしてアクティヴユ-ザーのかなりの部分が日本人、とはイーロンマスク氏の過去の発言にありましたが、日記始め我が国では文字を記して発表する文化があった、活字でやっていける人口と裾野がかなり広かった、というのだが。

 文字離れが進めば、活字や出版と購読というものを支える層まで構成して一つの体系というものを維持することが今後難しくなるのか、若しくはSNSにそういった長文を示す別の場所があって文字文化は廃れていないのか、その余裕がなくなっているのか、などなど。

 YAHOOブログの廃止が四月でしたか、いくつものWeblogが無くなると共に、掲載が滞った、若しくはアクセスを管理人が放棄したものの大量のデータを有するサイトなのはそのまま消えてゆくのですけれども、膨大なものの中にこそ有用なデータもある。

 サービスが終わる前は、それこそWikipediaにも載らないような詳細だけれども価値ある人が見つけなければ余り意味の無い、けれども人によっては重要なデータ、というものの価値を気づきにくい、いつの間に消えている、という文章というものもまた多い。

 Weblog移転準備は着々と行わなければならないのだけれども、同時に区分を広げて、最終的にデータを残せるような枠組みを構築することは、難しいですし煩雑だけれども、管理人としてやっておかなければならないのだなあ、とおもうのですよね。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ まや
(本ブログに掲載された本文及び写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)
(本ブログ引用時は記事は出典明示・写真は北大路機関ロゴタイプ維持を求め、その他は無断転載と見做す)
(第二北大路機関: http://harunakurama.blog10.fc2.com/記事補完-投稿応答-時事備忘録をあわせてお読みください)
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【G3X撮影速報】入間基地航空祭二〇二四(7)D計画!このままでは11月18日にgooブログは消えて無くなってしまう!(2024-11-03)

2025-05-18 20:00:10 | 陸海空自衛隊関連行事詳報
■入間航空祭
 航空祭の写真を整理しつつブログ移転準備の話題を。

 D計画、北大路機関の移転作業は"日本沈没"からとってD計画、と命名して準備中というところ。D-1計画として第一段階に移転先を探すと並行して移転しきれないデータの取りこぼしのないように保存作業、つまり一時退避場所を確保する作業をおこなっている。

 D-2計画は、移転そのものの計画です。日本沈没の大変動のように、このままでは11月18日にgooブログは消えて無くなってしまう!、田所博士のような台詞がまあ、湧いてくるわけですよ、田所雄介博士というか小林桂樹大好きなものですから。

 田所博士と渡老人の日本沈没、映画の台詞に"早くなったんじゃな!"という台詞がありますが、10月1日にはgooブログの記事新規投稿が不可能となりますので、移転先へ確実なデータのバックアップを行ったならば果敢に決断しなければ成りません。

 D-2計画、移転するだけならば簡単だろう、と思われるでしょうけれども、移転に数日間を要します、するとその間の予備ブログを第二北大路機関とは別に構想していて、長文で写真はそれほど必要としない記事は北大路機関とともに二重掲載も含め考えています。

 第63北大路機関か、第3北大路機関か、第7北大路機関か、中部方面北大路機関か、北大路機関六甲防衛センターか、新北大路機関か、堀川機関か、北山機関か、大宮機関か、鞍馬口機関か、予備ブログについてはまだ名称は検討中という段階なのですがね。

 note、北大路機関の移転先は、はてなブログを予定しています、Amebaブログは、親類が南方でアメーバ赤痢にやられていたりするので、さすがになあ、と。はてなブログ、1文字かえれば、はるなブログ、うん、いいじゃないですか多少は頃が合っているし。

 第二北大路機関は、いずれFC2ブログサービスについてもどうなるかわかりません、FC2ホームページサービスが終了する際にFC2ブログについても近くなくなるのだろうなあ、と考えていますので、悲観的ですけれども多角化しなければ生き残れない。

 ただ、gooブログ、そのブログユーザーの数はいま移転しているところも多くなっているはずなのですが、gooブログユーザー数全体で見てみると、毎日40くらいづつ増加傾向にあるのですよね、無くなるにもかかわらず、全体では増えているということ。

 サービス終了を延期するということ、一週間二週間程度ならありえるのかもしれませんが、サービス終了の流れそのものは変わらないでしょうから、増加傾向のまま、放置されているブログは百万単位で消えてしまうのだろうなあ、と考えるのですよね。

 ocnブログが廃止された際に、そのまま移設されずに消えたブログはどのくらいあるのだろうか、今考えると2014年のocnブログ廃止の頃には移転するだけで手一杯でしたから、そこまで考える余裕はなかった、アクセス解析さえ引き継げていないのですし。

 D計画、D-1計画がまだ道半ばというところですが、福岡駐屯地祭、大津駐屯地祭など、gooブログの廃止が決定した後で行われている行事は速報だけのせていますが、紹介についてはgooブログでは掲載せずに、移転した先で行おうと考えています。

 Weblog,これはSNSの一種ではあるけれども、たぶんもっとも長文を掲載するのに適した媒体なのだろうと考えています、しかしサービス終了の流れがある中で、どのようにデータを残して繋いでゆくか、ちょっと頭が痛いけれども、大事な問題なのです。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ まや
(本ブログに掲載された本文及び写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)
(本ブログ引用時は記事は出典明示・写真は北大路機関ロゴタイプ維持を求め、その他は無断転載と見做す)
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【G3X撮影速報】岐阜基地航空祭2024(6)gooブログサービス終了と移転準備の狭間で(2024-11-17)

2025-05-17 20:25:17 | 陸海空自衛隊関連行事詳報
■岐阜航空祭2024
 航空祭の話題ですがこうした写真の方を今後も残すために現在の状況についてお伝えを。

 gooブログサービス終了を前に北大路機関では移転準備に大わらわです。ここで航空祭の写真と共に今の移転準備の概況について。まず、データを移転する前に保存することが先でして、移転できるデータと出来ないデータが在る故にこの作業は必至です、必死ともいう。

 北大路機関は2005年7月29日にOCNブログとして創設されました、いや、正確には北大路機関というのは大学の安全保障研究会ですのでその創設が2003年、2005年7月29日はWeblog北大路機関の創設となっていますので、20年以上も長い期間が続いています。

 毎日二回更新となったのは2022年のロシアウクライナ戦争勃発とともに、臨時情報として戦況分析をはじめたためで、この戦争がここまで長引くとは考えていなかったのですが、時事情報はよほどの緊急時以外は朝の記事に纏めよう、こう相成りましていまにいたる。

 毎日更新、当時は難しかった、インターネットの回線がPHS回線でADSLも入れていませんでしたし、公共無線LANサービスも2005年は、それこそ20年前の世界、したがって古い記事ほど軽く、当時は数日に一回程度の更新でしたので、今考えると牧歌的でした。

 9600ほど、移転しなければならない記事は一万の大台こそ超えていませんけれども、年内にはこの大台を超えるものとなっています。これだけの記事数、gooブログサービスによれば移転には数日間を要するといわれています、しかもどれも長文で写真も多いのですから。

 移転できないデータに、15200ほどありますコメントが含まれます。これも北大路機関の重要な構成要素、というよりもWeblogというものはこのコメントにより伸びてきましたものですから、新サービスへ移転できないと言って自然削除をまつ選択肢はありません。

 コメントをどのように残すか、現在考えているのは第二北大路機関のほうに移設するという考えですが、FC2ブログについてもいつまで残るのか分からない、すると、まずWebだけではなくデータとして手元に、Wordに貼り付けるでもして残す必要があると考えている。

 写真が膨大ですので、一ヶ月分のデータをWordに写真ごとはりつけるだけでページ数が凄いことになります、文字数考えると凄いことになる、これとは別に北大路機関以外のところに14173字から18417字程度の投稿小説を毎週1~3本程度合間合間に書いているのだ。

 北大路機関、OCNからgooブログへ移転する際に消えたものとして一定以上の長文の記事は規定内しか移転できていないなど、消えているデータはかなりあります、ブログ書籍化を勧められますが、毎日2000文字をほぼほぼ20年間、そんな、全集じゃあ在るまいし。

 アナログな手法とともに保存している、こういう実情です。保存さえしておけば、文字データだけならば軽いですし、写真についても、こういう写真が欲しい、というような要望がありましたら、まあ、ある程度は対応できます、そのための作業が続いているかたち。

 Weblogというサービスは、今年に入っても複数が消えています、文字データだけでもJPEG画像データとして、ほかのSNSなどに貼り付けて残す事も考えましたが、これですと検索性が悪い、noteのようなSNSと併用して保存することも考えていますけれども。

 このまま消えるつもりはないのですが、兎にも角にも、渡にも書くにも、と云ってしまいそうな並行作業で進めています。サービス終了まではもう少し時間がありますので、記事掲載を継続しつつ、消えてしまうデータの無いように慎重に保存を進めているのです。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ まや
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【G3X撮影速報】バーデンヴュルテンベルクF222日本寄港(4)ドイツ海軍は再び大洋に向かうか(2024-08-22)

2025-05-11 20:25:23 | 陸海空自衛隊関連行事詳報
■バーデンヴュルテンベルク
 バーデンヴュルテンベルクの特集は今回が最終回です。

 ドイツ海軍のバーデンヴルテンベルク。これだけ大きな水上戦闘艦なのだけれども対潜装備を全く搭載しておらず、水上打撃力も平均的でしたので、これでは北東アジアでは無理だなあ、と言う印象でしたが。

 ニーダーザクセン級フリゲイト、今後ドイツ海軍は満載排水量10400tの防空艦6隻の水上戦闘艦建造を開始し、従来のバルト海での防衛とNATO支援のためのお付き合い的な外洋作戦能力という部分から転換を期す。

127型ミサイルフリゲイト、続いてドイツ海軍は満載排水量10000tの防空艦5隻を量産する計画で。SPY-6レーダーを搭載しVLSを64セル搭載、リュッチェンス級駆逐艦以来の有力な防空艦となる見込み。

 バーデンヴルテンベルクは、水上戦闘艦の中でも非対称の戦いや地域安定化作戦などを想定した一種の戦力投射艦という位置づけであると、その装備から理解できます、特に長期航海、乗員のみ交替という仕様からも。

 しかし、ドイツ海軍は外洋海軍へ回帰するという考え方はあるのだろうか。第一次世界大戦まではドイツ海軍は紛れもなく世界第二位、ジュッとランド海戦などで世界の雌雄を競った海軍ではあったのですが。

 ビスマルク級戦艦などは第二次大戦前にその回帰を目指したものなのかもしれませんが、艦隊を支える水雷戦隊や、1940年代の海戦に不可欠な航空母艦を揃えることが出来ず第二次世界大戦に突入している。

 グラーフツエッペリンのような未成空母の事例はありましたが、よしんば完成していたとしても2隻4隻10隻が艦隊を組んで戦う海戦が太平洋で常態化した時点では到底、艦隊建造が間に合いません。

 通商破壊が限度であり、制海権そのものを掌握するシーパワーの前提からは離れ、テルピッツ提督が唱えたような艦隊現存主義のような、マカロフ提督の海軍戦略のような運用しか選択できない状態でしたが。

 ニーダーザクセン級とF127型フリゲイトがある程度数が揃った状態では、ドイツ海軍は再度七つの海へ、外洋海軍への道を、勿論数の上からはNATOの一員という限度はあっても、回帰するのだろうか、ということ。

 ブランデンブルク級フリゲイトとザクセン級フリゲイト、ドイツ海軍には性能面では極東まで展開できる水上戦闘艦が複数在りまして、実際過去に来日したことはあるのですが、それほどの頻度ではありません。

 ザクセン級などは竣工当時、それなりに大きい印象があったのですが、しかしよくよくみてみると、もがみ型護衛艦と満載排水量で同程度です。グローバルな作戦を担うにはちょっと心細いということなのか。

 10000t級大型水上戦闘艦が11隻揃う時代となりますと、ドイツ海軍の外洋作戦能力は北大西洋から太平洋を含むグローバルな作戦能力を備えることとなりますので、その展開はちょっと愉しみに待っています。

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【G3X撮影速報】練習艦隊江田島出航二〇二五【2】練習艦隊就航をつつむ恵みの雨(2025-03-14)

2025-05-11 20:00:14 | 陸海空自衛隊関連行事詳報
■雨天下の艦隊出航
 山火事が相次いだこの春を思い返しますと恵みの雨というべきなのかもしれませんけれども。

 幹部候補生課程修了者が交通船にて艦隊へ旅立って行く様子が、この対岸の高台からも見えるところとなりました。いよいよ練習艦隊出航、なのですけれどもさて、雨模様は本降りとなってきた、午後までもつはずだったのに。

 今年の練習艦隊江田島出航は天候の面で近年まれに見る悪条件が揃ってしまったことは、撮影する側において課題を残しました。まず雨天、これは天気予報などでもともと悪天候らしいと予測できたのですが。

 雨天と共に風が強かった、この条件は、まあCOVID-19の関係で自衛隊行事が行えない数年間を挟んだ後、自衛隊行事の規模縮小に見舞われて、行事撮影の機会が減った実情はあるのですけれども。

 突風と雨天、しかもここは地形が眺望という部分からは素晴らしいのですが、突風にとっては吹き上げるか吹き下ろすか、すると撮影には苦労します、何しろこの日は傘をさして撮影しているのですから。

 傘は、航空祭では周りに多大な迷惑となりますので、エプロン地区では傘を禁止しているところがほとんどですが、公民館前の空き地のようなところで後ろに人が居ないとなりますと、安易に使ってしまった。

 雨粒はレンズに張り付く、張り付くともう広角では写真に雨粒が写ってしまうため、しかも布で拭いても細かい雨粒が残り続けるために気象条件が同じ状況では撮影が続行できなくなる難物となっていまして。

 G3Xと7Dを連結して撮影する、この状況では昔、2006年の第7師団祭の豪雨を教訓に導入した防滴機材は両方を護ることは出来ず、するとかた手落ちで片方だけ雨天の際には撮影していました。

 富士総合火力演習の2019年などは後半が雨天でしたからG3Xはその時点でカメラバックにご帰還、早引けとなりまして防滴カバーを取り付けていたEOS7Dだけで撮影を続行したものなのだが。

 公民館の前なのでひさしがあり、ここでレンズを交換しつつそのままでは撮影できないので撮影適地まで15m前進して撮影し、という一進一退のような撮影を行ったのですが、やはり風が強く。

 G3Xはレリーズで撮影しているのですが、その際に使うのが左手、そして傘を差すにも左手を使い、結局吹き飛ばされないように強く握るともうG3Xを操作できず、ここでレリーズの誤操作をしてしまう。

 誤操作というのはレリーズが連写モードに手動ロックしていることを気づかず、G3Xの仕様上撮影できなくなるところを延々気づかず隔靴掻痒のまま撮影することになるのですが、これは未熟というものなのか。

 艦隊出航はいよいよ、というところなのですが、いまふりかえると、これは未熟だったなあ、と言う雨天の撮影手順を再検討せねばならない悪戦苦闘はこの写真を撮影した15分ほど後から始まるのですね。

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【G7X撮影速報】桂駐屯地創設70周年記念行事(4)自衛隊行事撮影に関する備忘録(2024-12-01)

2025-05-04 20:00:01 | 陸海空自衛隊関連行事詳報
■桂駐屯地
 観閲行進の撮影は列車を撮影するような感じで流れを読んで編成写真のように。

 鉄道写真と似た感覚がある、若しくはわたしは撮影しないけれどもF1などモータースポーツの位置取りと似ているのかもしれない、自衛隊行事を撮影する際に留意するのは撮影位置です。ここを誤ると間延びした写真ばかりになってしまって、ちょっと寂しい。

 撮影位置の確保、やみくもに最前列を確保すればよいといえば、必ずしもそうではなく、そして混雑している場所が良い撮影位置かと問われればそうでもない、素晴らしい撮影位置が部隊入場の時刻になっても数名しか居ない、いや無人という事だってあるのです。
 駐屯地の一般開放されている地域を少し見まわしてみる、一番良いのは、観閲行進を真正面に近い角度から撮影できる位置を探すことです、それならば道路の真ん中だ、と油断していると観閲行進最初に部隊旗を掲げた82式指揮通信車に轢かれるのでお勧めできない。

 観閲行進は指揮官に対して左方向から右方向へ進みます、敬礼するためにこの角度は基本となっています。すると、駐屯地祭で開放されている区画は、式典会場の四隅に対して一辺だけか、二辺開放されているか、三辺開放されているのか、これをまず最初見てみる。

 行進の経路が緩やかに蛇行しているならば、ここが狙い目です、一枚の写真に真正面から、鉄道写真という表現をしましたのはこの為なのですけれど、先頭の装甲車から後続の装甲車まで、ややカーブがありますと、一枚に連続して撮ることができる、迫力もふえる。

 迫力、という言葉ですが、この定義は、“写真に余分なものが映りこまない”という条件を“できるだけ多くの人員と車両を映す”という手法で両立させた場合のもの、と考えています。単純にたくさん車両を入れるために広角レンズを使っても画の大半が地面と空では。

 観閲台の向かい側で撮影しますと、観閲行進は思い切り望遠で寄せて2両だけ撮影するか、観閲台全体を入れてたくさんの車両が映りこむのだけれども写真の四割が空で四割が地面で一割が群衆と肝心の行進は写真の一割、というのではあまりに迫力がないと思う。

 そんな場所はない、と思われるかもしれませんが、探すと案外ある。那覇駐屯地や帯広駐屯地に真駒内駐屯地や豊川駐屯地、旭川駐屯地に守山駐屯地と駒門駐屯地と明野駐屯地などなど、部隊広報の視点からは、何もそんな遠くから撮影しなくとも、という立地で。

 駐屯地の一部が盛り土で高くなっているところはないか、隊舎の玄関など一段高い場所が解放されているところはないか、厚生会館のあたりで観閲行進の経路を一望できるところはないか、スタンド席から離れているが行進の経路を見ることができる直線はないか。

 この撮影ですが、やはり200mmクラスの望遠レンズでは、APS-Cのように写真換算で320mmになる普及型のカメラを含めて、望遠レンズが多少ないと厳しい、できれば70-300mmくらいのズームレンズが必要です。ただ、昨今普及によりそれほど高くない。

 広角レンズしか持っていない場合は、これは18-55mmとか15-45mmとかのレンズを示すのですが、その場合はあまり遠い位置から撮影しますと、今回紹介した視点では余分なものが多く映ってしまいます、その場合は逆に観閲台付近で撮るしかないのだけれども。

 撮影位置を最初にどう選ぶか、この最初の一歩の時点でけっこうその日の撮影成果というものは左右されてしまうように思います。ただ、難しく考えずに邪魔なものが視界に入らず、撮りたいものを撮影するところで遮るものがない場所を選べば、案外正解なのですね。

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【G3X撮影速報】小牧基地航空祭二〇二五【2】航空祭の華はC-130H編隊飛行とKC-767空中給油展示(2025-03-01)

2025-04-27 20:00:25 | 陸海空自衛隊関連行事詳報
■航空祭飛行展示
 ブルーインパルスがやってくるだけで五万人は来場者がふえるという。

 小牧基地上空にC-130H輸送機の編隊が飛来します、そして今年の小牧基地航空祭は主役がC-1輸送機、退役が間近となっている入間基地からのC-1輸送機の地上展示で、文字通りこの共演を見られるのは今年最後、競演というような編隊飛行はできないか。

 C-1輸送機は輸送航空団編成時代にはこのC-1輸送機も小牧基地へ配備されていました、立川輸送航空隊、自衛隊の輸送機部隊は自衛隊創設と同時に新編された立川輸送航空隊からはじまりまして、1958年に新設の美保基地へ輸送航空団が新編されています。

 3機編隊のC-130H,この3繋がりという訳では無いのですけれども、小牧基地というのはいまでは輸送機という印象の基地ですが、もともとはF-86D全天候戦闘機、アフターバーナーを備えた最初の自衛隊戦闘機でレーダーを備えた初の自衛隊戦闘機の基地でした。

 第3航空団の小牧基地、もともとこの航空団は松島基地で新編されましたがF-86D最初の飛行隊は、岐阜基地の第101飛行隊であり、この飛行隊が編成完結後に小牧に移駐し、続いて1959年、小牧で第102飛行隊は編成されると、航空団司令部も小牧基地へ。

 三沢基地へ第3航空団が移駐したのは1978年であり、三沢基地はそれまで北部航空方面隊司令部と第81航空隊を置き、輸送機部隊である第1輸送航空隊が新編されたのは意外にも1978年という、戦闘機の代わりに輸送機が来たという歴史があります。

 第1輸送航空隊が新編当時に運用していた輸送機がC-1輸送機で、1981年からC-130H輸送機の配備が開始されますと、小牧基地へ集中配備されるようになり、今日に至ります。もともとC-1は沖縄返還前の要求仕様で、航続距離が不足したという背景もある。

 航空救難団飛行展示の開始です。この小牧といえば厳しい訓練で知られる救難教育隊の基地、という印象がありますが、意外にもこの小牧での救難教育隊は、1959年航空救難隊小牧救難分遣隊創設から始まりました、そう、伊勢湾台風のあった年ですね。

 浜松基地に救難教育隊はありまして、それが1971年に救難教育隊が浜松基地から移転、逆に小牧救難隊はこの1971年に浜松へ移転しまして浜松救難隊となった、F-86D戦闘機が配備されていた、ということを踏まえますと何故か納得できてしまうのですが。

 UH-60J救難ヘリコプターとU-125救難機、といいたいところですが、U-125救難機は用途廃止で形式消滅が決定しています。ただ、わが国は世界でも稀有なほどに、戦闘機訓練空域が全て海上に設定されている、つまり航空救難は海上が主戦場というもの。

 U-125救難機、日本以外に訓練空域が全て海上の国、となりますとシンガポールあたりでしょうか、と調べてみますと、あの国は戦闘機訓練をアメリカ本土で実施しているため、海上だけという国は見つからず、ニュージーランドは戦闘機を持っていません。

 UH-60Jよりも素早く遭難現場に駆け付ける任務、将来的には無人機がU-125の後継機になるという話も側聞するのですが、まず、U-125を全廃しますと操縦士も居なくなるわけで、そこでMQ-9あたりを導入して上手くいかなかった場合はどうするのか。

 カミカゼ特攻機の時代は終わったのですし、繰り返すように訓練空域がすべて海上という稀有な国家なのですから、LR-2でもT-400でもいいので、もう少し救難というものを政治は直視する必要があるのではないか、こんなこと思ったりするのですね。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ まや
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【G3X撮影速報】入間基地航空祭二〇二四(6)懸念の海上自衛隊C-130R輸送機問題(2024-11-03)

2025-04-13 20:25:22 | 陸海空自衛隊関連行事詳報
■C-1とC-130R
 桜が散っている荒天という本日は大阪関西万博の公開が始りましたところですが悪天候でブルーインパルスはキャンセルされてしまいまして、そんななか航空自衛隊の話題を。

 C-1輸送機、海上自衛隊のC-130Rが思いのほか稼働率が低く6機全てが飛行不能という状況になる報道を見ていますと、退役したC-1輸送機は耐用年数上限に達していても機体寿命は若干残っている機体があり、暫定的に移管しては、と思うのです。

 退役したC-1輸送機、海上自衛隊が利用する、もちろん耐用飛行時間を考えますと、特に作戦輸送には対応しません、業務輸送に限って限られた飛行時間で運用することとなるのですが、いまのままC-130Rが飛べない状況ではどうにもなりません。

 海上自衛隊の視点に立つならば、後継のC-2輸送機は大きすぎるという意見があるようですが、それならば、例えばP-1哨戒機の貨物輸送型を開発するという選択肢があるでしょうし、しかしけれども繋ぎの航空機はなんとなれ必要ですから。

 C-130R,後継にC-130の最新型を、という声は当然出てくるのでしょうけれども、予算面ではかなり厳しくなっていまして、現在C-130J-30の取得費用が1機2億6000万ドル、C-130Rと輸送力は同じですので後継は6機揃えるとなると。

 C-130後継機、こういう検索ワードで北大路機関を訪問されるかたが増えているようでして、航空自衛隊のC-130にかんする記事のアクセス数がこのところ増加傾向にあるというのは、海上自衛隊のC-130Rの稼働率に関する報道ゆえなのでしょう。

 C-130Jがここまで価格高騰するという状況は見えていなかった、いや、機体自衛装置の追加など、確かに性能が向上していることは認めるのですが、空輸能力ではC-2輸送機2機の輸送量をC-130輸送機で輸送する場合は4機必要となります。

 C-2輸送機は調達費用は230億円、インフレなどにより297億円に価格が高騰していますがC-130J-30は今のレートですと、1ドル145円ですので377億円、C-2輸送機8機分の空輸能力をC-130J-30で輸送する場合は6032億円となります。

 6032億円と2400億円と比較しますと、海外装備は安価、というものは、サオダケ980円!20年前のお値段ですが、という状況になります。もっとも、20年前の取得費用を上げますと、例えば先日話題のC-17輸送機は650億円だったわけですけれど。

 手頃で使いやすい輸送機、ということを考えて敢えて割高でもC-130J-30を取得する予算を通せるのか、それとも思い切って大型だがC-2輸送機を調達するのか、それともいっそエアバスC-295輸送機かボーイング737-800BCFカーゴ機でも選ぶか。

 GEキャピタルアビエーションが退役したボーイング737-800を旅客機から貨物機に改造して、アマゾンなどにリースしていることは一時期話題になりましたが、貨物輸送に拘るならばそういう選択肢も海上自衛隊にはあるのかもしれない。

 しかし、C-2輸送機をみていますと、国産機のコストは、結局軍用機でも冷戦時代のような大量生産をアメリカが行っているわけでもないのですから、日本で造っていると行っても、量産規模は小さくとも人件費の低さなどが利点となりうる。

 入間基地航空祭というものを写真で振り返るとともに、なぜか輸送機という転移街では共通点のない海上自衛隊のC-130Rの話題を中心に扱うこととなりましたが、国産機、国内要求を考えると、好い選択肢だ、とおもうのですよね。

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【G3X撮影速報】第10師団創設62周年記念行事(6)守山駐屯地訓練展示完了(2024-10-13)

2025-04-12 20:24:10 | 陸海空自衛隊関連行事詳報
■普通科部隊!前へ!
師団祭の特集は今回大団円へ。

第10師団、正面装備の重要性を冷戦時代の水準まで戻すべきではないのか、ロシアウクライナ戦争において痛感するのですが。少子高齢化の時代に在って、しかし防衛力整備の重要性を同時に突きつけられている時代です。ただし。

正面装備の重要性は少子高齢化時代だからこそ人命を充分安全に任務遂行できる状況としなければならないのであって、装甲化を押し進めるとともに無人アセット装備の充実、対抗する電子戦装備の強化などなど、必要があるのでは、と。

即応機動連隊型の、連隊戦闘団を小型化したような自己完結型の編成の部隊を、師団は五個連隊、なにしろ"五角形"をしめすペントミック編成を採用したのだから、そして旅団は三個編成、という基幹部隊編成を考えた上で。

普通科部隊の装甲化を思い切って押し進める、国内にこれだけ建機メーカーが林立しているのだから、設計と製造計画でリスクを排除するならば、まだ国産装備による一種の景気刺激を併せて装備調達を進められる状況があります。

戦車について。ウクライナの戦場においてフランスの供与したAMX-10RC装甲偵察車が甚大な被害を受けている現状をみますと、16式機動戦闘車について、どこまで現代戦闘に対応できるのかが未知数という素朴な疑問がありますが。

機動戦闘車は戦車ではない、ということは陸上自衛隊自身が強調しているもので、初期の善通寺や富士学校での行事では機動戦闘車は陣地に、展示用の簡易の、陣地戦闘を念頭に訓練展示をおこないその運用特性強調していました。

偵察用には用途は充分あると思うのですが、せめて偵察戦闘大隊以外の車体だけでも共通戦術装軌車両のものにきりかえて、多少の防御力を付与するとか、イタリアのチェンタウロ2のように大口径砲を載せて交戦距離を伸ばす必要が。

パラダイムシフトが起きているのだから防衛力もこれまでの削減一辺倒、そして予算を増やした分、使いにくい反撃能力整備に偏重するのではなく、抑止力というものの意味と限定戦争対処をもう少し留意する必要を感じるのですね。

反撃能力整備については、反対や懐疑論を示すと、国士気取りの文章を読めない方々に恫喝の書き込みを受けるのですが、平時から使いにくいもの、つまり離島が侵攻された場合でも、射程から使いにくい装備だ、という事情がある。

現在配備開始されたものでも北京まで届くものがありますが、離島が戦場となる限定戦争においていきなり使ってしまいますと簡単に全面戦争の入り口を潜ってしまいますから、それよりは限定戦争を拡大させない装備が必要です。

10式戦車を安価な装備というわけではないのですが、二個中隊程度の戦車大隊であれば国家財政を逼迫させるほどではありませんし、繰り返すように少子高齢化の時代、前の大戦のように国民を動員して消耗させることなどできない。

師団祭に、数年前はそこそこの数の74式戦車とか、その十年前にはかなりの数の対戦車ミサイルや火砲が参加していましたので、これがなくなってしまった現状と国際ニュースを見比べると、ちょっと大丈夫なのか、と思うのだ。

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【G3X撮影速報】岐阜基地航空祭2024(5)温故知新のカメラという話題(2024-11-17)

2025-04-06 20:00:13 | 陸海空自衛隊関連行事詳報
■異機種大編隊
 異機種大編隊の写真と共に貴重なC-1FTBの銀塩カメラでの写真が古いものしか残っていない事に気づきました。

 写真撮影とともに、年々カメラは新型が出てくるのですが、カメラに動画撮影機能を求める方が居るとか、いやむしろ動画配信の関係でソレが一丁目一番地になるとかで、カメラに余分な性能が多くなったように思うのです。

 高性能化は、歓迎するべき点なのかもしれませんが、結局カメラとして使いたいものですから使わない動画機能を如何に誇られても、その分カメラとしての使い勝手が悪くなるばかりでは本末転倒ではないか、と憤ったり。

 自衛隊行事撮影では流石に、其処まで踏み込むことはしませんが、いっそ趣味のために割り切れる半導体を使っていないカメラとか、そんなものを飼ってみようかと真剣に考えるところなのですが。

 CANON-AE1、ちょっと考えるのは露光だけ自動化されたようなカメラで練習して、いずれは露光計測機をミラーレス一眼に任せて、フィルム、つまり銀塩カメラのほうへ回帰してゆく選択肢をちょっと考えていて。

 ミラーレス一眼、自衛隊行事でそんな銀塩カメラの使い方をしている方は今のところ見ませんが、ミラーレス一眼で先ず決定的瞬間が来る前に撮影して露光、絞り数値からシャッター速度まで試験する方法があるという。

 考えてみると、これは正解というか、要するにISO感度とあわせてある程度間違いの無い数値をミラーレスで試験画像をとることはできるわけでして、その上で本命は銀塩でしっかり記録する、ということですね。

 AE-1いいな、と思うのは露光は自動でやってくれるという点、レンズはマニュアルフォーカス、だけれどもデジタル一眼レフを使っていますので、状況次第ではマニュアルフォーカスで撮影することも多いのだ。

 CANONの全盛期はいつなのかは議論の余地が分かれるところですが、AE-1は見た目がカメラっぽい、変な未来性を想定していない、ずっしりとした所有感を刺激するような形状となっていて。

 カメラ、もちろん使いこなせないと単なる調度品になってしまうのですが、マニュアルフォーカスを使いこなせるわけですから、現像の手間をなんとか勤勉にしてゆくならば、あっていいのかなあとおもうのです。

 マニュアルフォーカスですが、ミラーレス一眼用のレンズを中心にこの性能がかなり軽視されているように思うのですよね、それはカメラそのもののAF点を増やすことでごまかそうとしているようにも見えるのですが。

 フィルムそのものがかなり高額になってしまいましたので、そしてカメラ店を名乗るところでもフィルムを置いていないお店がでていますので、完全に趣味にはなっているのですが、完全には規格は消えないように思う。

 レンズ規格がころころかわるなかで、温故知新ではないですが、そんな関係でこんど、まだ残っているカメラを四条とか河原町で、また考えて、さて購入に向かうのか、今回も様子見になるのか考えつつ散歩してみたい。

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