北大路機関

京都防衛フォーラム:榛名研究室/鞍馬事務室(OCNブログ:2005.07.29~/gooブログ:2014.11.24~)

【京都幕間旅情】東本願寺,平和の祈りと戦いの歴史-中世の本願寺信徒は今のロシア軍ウクライナ侵攻をどう思うか

2022-12-28 20:22:43 | 写真
■いまウクライナを想う
 今の視点ではなく信仰を問われた中世の時代であったならば、やはり戦って戦って戦い抜くのだろうなあ。

 東本願寺の信徒衆は仮にウクライナがロシアから受けたような不合理を突きつけられた際には、信仰を捨てて政府系ロシア正教に改宗するのだろうか、阿弥陀様を捨ててニコライ信仰に切り替えるのだろうか、それとも過去のように覚悟を決めて戦うのだろうか。

 京都駅前はわたしといいますか、現実世界にいきる人々からは意味不明のデモが時折溢れていまして、ロシアのウクライナ侵攻に反対するから軍事力に反対し自衛隊にも反対というよくわからないデモに反ワクチンデモ、駅員さんから警察官に私服さんまで煩わせる。

 GDPの2%を防衛費につぎ込んだら日本は現在世界七位から世界第三位の軍事大国になってしまう、アジアはどうみるか、と金額だけでアジテーションをみますと、しかし冷戦後暫くは日本はアメリカに次ぐ世界第二位だったのに、なにもなかったではないか、と思う。

 京都駅前の様子をみますと、ふと、その直前に通りがかりました東本願寺の歴史と、そして信仰は戦いであるという過去の行動というものが、果たして今の時代はどうなのだろう、忖度して阿弥陀様を捨てるのか、それとも戦うのか、と考えてしまうのですね。

 東本願寺の総門は奥に阿弥陀堂を望見させまして、ここは夕方の1730時に閉門となりますので、時報のように今日もこの時間なのだなあ、と一日の終わりを感じ入る分水嶺なのですが、その先にある京都駅でのデモといいますか路上パフォーマンスをみると、ふと。

 ロシアが訳の分からない口実で、非ナチズム化を押しつけ、非武装化と政権交代を求めウクライナに侵攻したのは二月ですが、ロシアの反ナチズム化要求は、ウクライナの何処にナチスが、鍵十字なんて対ファシスト戦勝記念館くらいにしか見あたらない、と思った。

 ただ、これを開戦の口実とするならば、仏教の梵字をロシアがナチス的だと主張することも、ウクライナに突きつけた意味不明の言いがかりよりは現実味があるものではないか、少し戦慄してしまいました。だからといって、そうなった場合、門徒信徒はどうするか。

 石山本願寺は織田信長の包囲をうけつつも五年間耐えまして、歴史をみますと自治権にちかい待遇とともに徳川家康の保護をうけ、いまでいう京都駅前に西本願寺とともに東本願寺は京都の玄関に古都の気風を放っています、しかしよくよくみると気づかされるのは。

 掘り割りは、京都の寺院としては異彩を放つほどにはっきりと明示されています、いや掘り割りと高い壁はもともと京都の寺院にあって不思議なものではなかった、豊臣秀吉の京都大改造とともに御土居が京都全体を守ったために、移築された寺院が省いただけです。

 城壁のような境界線を高らかに掲げ、確実な掘り割りは外部と遮断、実際東福寺など一部観光寺院は落書きに悩まされていますが、掘り割りを越えた東本願寺は落書きの話題はあまり、といいますか全く聞きません、平時にあっても防備を意識しているのですね。

 京都駅前の集会といいますか、スピーカーを掲げての数名十数名のデモンストレーション、もちろん本願寺とは無関係なのですけれども、防衛力がなければ石山本願寺がどうなったのかを歴史として知っていますし、東本願寺の難攻不落という構造はごらんの通り。

 現実をみることは大切でして、目を開く方法は簡単だ、京都駅前でアジテーションにて平和な日常を主義主張の押しつけでかき乱す方々は、ふと駅から五分ほど上れば現実を示してくれる堂宇があるのになあ、冬の寒さのなか、ふとそんなことを考えました次第です。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
(本ブログに掲載された本文及び写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)
(本ブログ引用時は記事は出典明示・写真は北大路機関ロゴタイプ維持を求め、その他は無断転載と見做す)
(第二北大路機関: http://harunakurama.blog10.fc2.com/記事補完-投稿応答-時事備忘録をあわせてお読みください)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

【京都幕間旅情】東本願寺,専修念仏ー日本宗教哲学転換点の親鸞さん懐かしむ信徒寄る辺は京都駅前に広がる

2022-12-28 20:00:04 | 写真
■あの御影堂を見上げて
 祈る事だけで救いがあると説いた専修念仏は価値観の多様性という日本の宗教的という以前に哲学的な転換点だと思う。

 京都、歴史都市である以前に千年間日本の首都を務めた最先端都市である、こうお話ししますが、新幹線で京都駅に到着しますと視界には直ぐ東寺の壮大五重塔が飛び込んできますので、やはりここは歴史都市なのだと思う、今の価値観や哲学に影響を及ぼしている。

 東海道本線、寝台急行銀河を思い浮かべてもらえれば良いと思うのですが、新幹線が開通する前の時代ならば、先ず京都と云えば京都駅からこの東本願寺が一望できたことでしょう、ここは下京区烏丸通七条上ル常葉町、阿弥陀如来を奉じる真宗大谷派の本山です。

 大谷本願寺として浄土真宗寺院が造営されたのは元亨元年こと西暦1321年です、鎌倉時代に浄土真宗を拓いた親鸞さん、当時の京都では専修念仏という祈る事こそ救いとの考えは異端であり迫害を受けつつ、しかし逃げ回りながら教えを説いたというのがなにか爽快だ。

 親鸞さんは結局みずからは自分の寺を造営する事無くこの世を去りましたが、一カ所に留まる事を良しとせずに、延暦寺から京都の街中へ、近江へ、そして北陸へと行脚を続けた事で本願寺教団という、社会保障という概念さえ無い時代に互助的な集団を醸成しました。

 本願寺、この巨大寺院は日本史にもたびたびその影響力を示しますが、なにしろ今の日本でも信徒は東西併せ3000万に上るというから壮大なものです、そのはじまりなのですが、もともとは寺一つ創らず全国へ布教に行脚した、親鸞さんのお墓、というものなのですね。

 御影堂、御影堂門をくぐりましてその先に見えます寺院は、御影堂そのものでして、ここは親鸞さんの御影、木造を安置する為の伽藍です。大きい、いや見慣れている故に思うのは、駅前にお西とお東に見慣れているだけで、全国を旅するとこの規模の伽藍は中々ない。

 専修念仏、祈る事こそ、この考えに至りますのは法然さんの浄土宗が始まりですが、親鸞さんは法然さんの専修念仏に民衆の救いの在り方を見い出したからこそ比叡山を降りたという歴史がありまして、いまの知恩院あたり、吉水庵にて法然さんの説法を聴いています。

 東本願寺造営は慶長7年こと西暦1602年、江戸時代の事となります。本願寺教団は、親鸞さんの時代から地域ごとの教団を造営することとなったのですが、親鸞さんの教えにあって独特であるのは地域の長をそのまま教団の長とせず、信徒は平等という戒めでした。

 御同朋、という考え方が親鸞さんの教えにあるのですが、一度は追放され、流罪にもなった親鸞さんは60歳の頃に京都に戻りまして、90歳で没するまでここ京都において文筆活動に勤しみ、没後にその遺骨は大谷、いまの大谷本廟を造営した、ここが本願寺の始まり。

 しかし、統治機構を考える場合に本願寺教団は異質な存在であることから、いまの大坂城、ここに造営した石山本願寺は織田信長と激戦を繰り広げた事は良く知られています。ただ、本願寺教団との関係を重視した事で石山本願寺の移転先に、豊臣秀吉は京都を示しました。

 後陽成天皇の勅許、豊臣秀吉は本願寺教団へ堀川六条の地域を当てたのですが、ここに徳川家康が後陽成天皇の勅許とともに造営したのが西本願寺と東本願寺です。もっとも、本願寺教団の対立を背景に、二つに二分した江戸幕府の意向、というようなものもあったが。

 京都駅前にここまで壮大な寺院がある、京都タワーさえ蝋燭にしかみえないような壮大さが有ります、拝観に際しては門限以外なにもなく拝観料さえ収めず、つまり毎日でも何度でも迎え入れてくれる、実に420年間受け継がれている祈りの場が、ここにあるのです。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
(本ブログに掲載された本文及び写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)
(本ブログ引用時は記事は出典明示・写真は北大路機関ロゴタイプ維持を求め、その他は無断転載と見做す)
(第二北大路機関: http://harunakurama.blog10.fc2.com/記事補完-投稿応答-時事備忘録をあわせてお読みください)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

岸田総理-防衛増税前に衆院解散総選挙を示唆,防衛費倍増と2024年防衛増税前に国民へ民意問う姿勢

2022-12-28 07:01:41 | 国際・政治
■臨時情報-防衛費GDP2%
 防衛費を既存予算組み替えではなく増税で賄う姿勢には前から疑問であったのですけれども。

 岸田総理は防衛増税に関する民意として解散総選挙の可能性について初めて言及しました、これは27日放映のBSTBS報道番組に岸田総理が出演した際の自身から、防衛増税が行われる2024年より前に民意を問う衆院解散総選挙の可能性に言及したものです。ただ、防衛増税については、北大路機関では継続的に2%を維持するのかは議論余地があると考える。

 防衛費について、一定期間GDP2%として建て直す必要はあると考えます、がこれは軍拡の為ではなく、ミサイル防衛という巨大事業により、既存の予算を増やさずに実施した毎年数千億円規模の負担、これにより崩壊した防衛力を建て直す為です。例えば2011年東日本大震災の頃よりもヘリコプターは相当減りました、次に震災が来るまでに元に戻したい。

 T-4練習機、製造終了から間もなく20年ですが後継機が無く最後に生産された機体についても老朽化が進んでいます。OH-6観測ヘリコプター、180機あったものが後継機なく退役しており無人機が置換える構想ですが災害派遣において、どこが被災しているかを調べる無人航空機の広範な装備は今なお行われていません。破綻している装備はまだまだある。

 RF-4偵察機は全廃、C-1輸送機は後継のC-2輸送機が配備開始されていますがC-2輸送機の輸送力が起きいという事で飛行隊定数が半数になっている、これでは有事の際に整備中の機体を除けば自衛隊全体で輸送機を数機しか即応できない、有事には大震災も含む。輸送艦と輸送艇は前の震災の際には7隻ありましたが大型のみとはいえ3隻にまで減っている。影響はおおきい。

 GDP2%、短期間でもここまで支出して防衛力を再建するか、若しくは自衛隊の任務を防衛に特化させそのほかは自衛隊以外に、例えば災害派遣を消防と自治体の専管として大災害の際に例えば消防団水防団加入を義務化するとか、救急救命士などの資格取得を大学教育で義務化するなど、任務はある故何処かが負担せねばなりません、例えばミサイル防衛は。

 核シェルターを住宅建設の際に、スイスなどが実施している様に義務化するならばミサイル防衛の支出は不要となります、核攻撃を受ける際には退避する、従来のミサイルを迎撃するのではなくシェルターでやり過ごす方式とすればよい、が、施工費だけで900万円ほど余分にかかります、つまりミサイル防衛は誰かが負担しなければならないということ。

 核シェルターを義務化し、防衛費以外の自治体負担で公共核シェルターを整備する法整備を国が行うならば、防衛費はGDP1%でも対応できるでしょう、少なくとも上記の通り破綻している防衛力を建て直した場合は、です。しかし、同様の法整備のあるスイスで新規住宅建設が低調となったように、この負担こそ国民は耐えられるのか、議論が必要でしょう。

 増税は2024年以降となる、防衛増税についてですが、考えるならば20年間のミサイル防衛により破綻した防衛力は、10年程度で建て直せます。それ以降は、防衛費を無理にGDP2%とせず、しかし無理にGDP1%に抑え込む事も無く、国土防衛費にGDP1%と別枠でミサイル防衛費を確保するならば、持続可能な防衛力整備が可能となるよう思うのですが、ね。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
(本ブログに掲載された本文及び写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)
(本ブログ引用時は記事は出典明示・写真は北大路機関ロゴタイプ維持を求め、その他は無断転載と見做す)
(第二北大路機関: http://harunakurama.blog10.fc2.com/記事補完-投稿応答-時事備忘録をあわせてお読みください)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする