北大路機関

京都防衛フォーラム:榛名研究室/鞍馬事務室(OCNブログ:2005.07.29~/gooブログ:2014.11.24~)

航空防衛作戦部隊論(第四七回):航空防衛力、戦略航空拠点成田国際空港の有事運行構想

2017-02-28 22:37:12 | 防衛・安全保障
■戦略航空拠点成田空港
 戦略航空拠点成田空港、前回は年々深刻度を増す大陸からの軍事圧力へ戦闘機増強など軍拡に頼らない手法での防空能力強化の方法論として、戦闘支援物資の集約拠点へ国際空港応用という視点を示しました。

 成田国際空港の国際航空貨物の取扱量は世界有数の規模を有しています。戦略航空拠点としての成田空港の役割は、アメリカ空軍横田基地が有する輸送拠点としての機能と重なるもので、我が国は専守防衛を国是として武力紛争は甘利多くの頻度や回数を想定していません、大きな戦略空輸拠点を自前でぃつ用としない状況は平和を意味するのですが、この前提条件が変化しつつある現状へ対応できなくなるならば、それは問題です。この為、膨大な貨物を一手に担う横田基地のような規模の貨物取扱拠点となる航空基地を有していないのです。

 南西諸島防空作戦や北海道方面への軍事的攻撃が現実のものとなり、更に限定紛争という域を超え紛争が長期化した際に、日本本土の重要防空施設等が攻撃の対象となる可能性があります、逆に言えば中国空軍が1700発もの射程1500km巡航ミサイルをミサイル爆撃機より運用する意味は本土への攻撃を企図していると考えざるを得ず、しかし、我が国は平和憲法を掲げ国際紛争を解決する手段から戦争を捨てた平和国家であることを逆手に一方的に国土を戦場とする恫喝に屈する事は出来ません。

 さて、この状況を想定しますと、南西諸島有事や北海道方面への脅威増大を想定し、確実に後方といえる安全地域は、成田空港が挙げられます。関西国際空港や中部国際空港は連絡橋という脆弱性があり、巡航ミサイル等での精密攻撃へ問題があります、福岡空港は南西諸島有事が西方有事として拡大した場合には巡航ミサイル飽和攻撃を受け無力化される危険性があり、千歳空港は北方から牽制を受けた場合に防空作戦のみで機能が限界に達する可能性があります。

 成田空港は、内陸部にあり潜水艦などからの巡航ミサイル攻撃を受けにくいという利点、また、航空自衛隊第1高射群のペトリオットミサイルにより航空機及び弾道ミサイルに対して、及び陸上自衛隊第2高射特科群と高射教導隊の03式中距離地対空誘導弾による航空機及び巡航ミサイル攻撃への防御力、強力な地対空ミサイルにより防空が達成されている我が国で最も重厚に守られた首都圏外縁に位置します。

 首都圏への物資輸送拠点ですが、一方航空旅客輸送に関しては東京国際空港、即ち羽田空港があり、有事の際には民間空港など発着施設を有する滑走路は基本的に攻撃対象となるため民間の国内線輸送は大きく制約を受ける事で、羽田空港へ国内国際線を一時的に一部を集約する事は出来るでしょう。一方、成田空港は千葉県にあり、この地域での物資集約を理由とした国際人道法違反の人口密集地域への無差別攻撃を回避できるという視点も挙げられます。

 成田空港より、方法として考えられる輸送体系ですが、先ず成田空港へ貨物機や旅客機の貨物区画等を用いて物資を集積、航空機部品やミサイル備品及び緊急調達したレーダー等の電子機材や場合によっては陸上及び海上装備の互換性ある装備品の航空輸送を実施し、貨物ターミナルを通じ全国の基地や分屯基地等へ航空自衛隊の輸送機、若しくはトラック輸送や民間協力企業、場合によっては鉄道貨物輸送も併用し、分配する方法を採ります。

 第一線基地への輸送に関しては、C-1輸送機、C-2輸送機、C-130H輸送機、CH-47輸送ヘリコプター、米軍の支援を受けMV-22可動翼機等による空輸支援を末端輸送にも通るという選択肢も挙げられるでしょう。膨大な貨物を一手に担う横田基地のような規模の貨物取扱拠点となる航空基地としての成田空港ですが、平時から航空自衛隊成田拠点航空施設、としておくことは想定していません、あくまで有事の際に輸送拠点として用いられる機能を法整備する、また、利用する図上訓練や可搬式の事務施設等を用意し対応する、という水準を想定しているもの。

 他方、日本へ直接脅威を及ぼす様々な事象、その筆頭として航空攻撃による日本本土攻撃を示していますが、併せて大量の航空物資輸送を必要とする事態として巨大災害への対処能力という視点も忘れてはなりません、膨大な貨物を一手に担う横田基地のような規模の貨物取扱拠点となる航空基地は、巨大災害などでの救援物資調整などに寄与する施設ですので、必要性は少なくは無いでしょう。

北大路機関:はるな くらま
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【検証:JR北海道危機02】報道“JR北海道、全路線の半分「維持困難」”と北日本交通事情

2017-02-27 23:23:31 | コラム
■乗って残そうJR北海道
 乗って残そうJR路線、という標語は足を運べば全国津々浦々で目にする標語ですが、昨年日本経済新聞にも“JR北海道、全路線の半分「維持困難」”との報道があり、大丈夫なのでしょうか。

 JR北海道が危殆に瀕している、j-castニュースが2017/1/25日付で報じた“北海道のJR全線、3年後には運行不可能「JR北海道試算」報道の衝撃”との報道と昨年衝撃を与えました日本経済新聞が2016/11/18日付記事“JR北海道、全路線の半分「維持困難」”という二つの報道を視れば、例えば舞鶴線の“乗って残そう舞鶴線”程安穏とした状況ではない。

 しかし、注意しなければならないのは表題の衝撃に対して本分全体を読む重要性です。“北海道のJR全線、3年後には運行不可能「JR北海道試算」報道の衝撃”、といいましても前線廃線というわけではなく、抜本的な廃線と列車運行合理化を行わなければ、JR北海道全体の車両稼動率が破綻し、運行する事が出来なくなるとの実情を提示したに他なりません。

 JR北海道が全線で危ない、という表題から、まだ北海道新幹線があるので大丈夫さ、という視点と、北海道新幹線も運行はJR北海道、それでも札幌市営地下鉄と札幌市電に函館市電が残る、とか、第三セクターで路線だけは大手私鉄並みに長い北海道ちほく高原鉄道があるので大丈夫とか、調べたら廃業していたとか、道南いさりび鉄道がある、等混乱する。

 全路線の半分「維持困難」、という先行報道がありましたので、これが即座に全線維持困難である水準まで追い込まれているのかと問われれば、現時点ではそうでは無く列車維持の方に全体のしわ寄せがくる、という表現が為されており、線路の維持が困難となる訳ではありません、しかし、究極の対処法として赤字が大きな全路線の半分を廃線とすれば済む。

 単独経営により維持可能な区間は、JR北海道によれば、道南から道央へ青函トンネルを経て港町函館から港町小樽を経て道都札幌に至る路線、同線の長万部から工業地帯室蘭を経て港町苫小牧を経由し道都札幌に至る路線、道都札幌から北海道第二の都市旭川を経て道北の名寄に至る路線、道都札幌を道東へ畜産の拠点帯広を経由し港町釧路に至る路線など。

 維持困難な路線は、道東地区では釧路から根室に至る路線と釧路過多網走に至る路線、道北地区では名寄以北の稚内までの路線と旭川から北海道を縦断し網走までの路線と旭川から沿岸部の留萌に向かう全線、道央地区では苫小牧から襟裳方面の様似へ向かう全線と富良野へ向かう旭川や滝川と新得からの全線、札幌北方を滝川に向かう全線、これらが危い。

 廃線とすればすべて解決か、と問われますと、稚内と名寄の宗谷本線積層赤字区画は183kmと非常に長く路線バスでの代替は困難です。同じく網走や北見を結ぶ釧網は166kmと網走を旭川に結ぶ234kmを路線バスで代替するのも困難でしょう、苫小牧を襟裳に向かう日高本線も146km、札幌の北方を走る札沼線も76kmあります。一挙に廃止すれば混乱必至だ。

 これまで北海道で廃線されたのはJR発足間もないころの天北線の音威子府を日本海側へ稚内を結ぶ149km全線廃線、名寄本線の道北名寄をオホーツク海側へ遠軽まで138kmを結ぶ全線廃線、深名線の道北深川から幌加内を経て名寄へ向かう121kmの廃線、緩慢な廃線としまして池田と北見祖結ぶ140kmの池北線第三セクター化を経ての廃線、などなど。

 これまでの廃線路線は、このほか標津線や幌内線と松前線に歌志内線と昨年の留萌本線がありますが、路線は全てバスに転換されると共に、バスは拠点駅まで迂回する事になるものの連絡し、実質的に代替路線がありました。しかし、今回の経営困難の発表は、代替路線となる多くの路線も危機に曝されている事を示し、影響は重大と云わざるを得ません。

北大路機関:はるな くらま
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【日曜特集】第2師団創設63周年旭川駐屯地祭【6】道北旭川の守り作戦(2013-06-09)

2017-02-26 21:41:10 | 陸上自衛隊 駐屯地祭
■第2師団迫力訓練展示
 第2師団創設63周年旭川駐屯地祭、第六回は前回に引き続き旭川駐屯地祭訓練展示、攻撃前進の状況を紹介しましょう。

 機械化普通科部隊、第3普通科連隊の96式装輪装甲車が砂塵と共に前進する。//第2師団、旧陸軍の第7師団がこの旭川に配置された意味は地名からも視てとれます、北海道の地名はアイヌ語に由来するものが多いのですけれども、諸説はありますが、これは日に波打つ川というチゥッペ、が日を旭日と置き換え、あさひかわ、旭川となりました。

 戦車連隊の迫力、第2戦車連隊の90式戦車が普通科部隊と協同し攻撃前進を開始した。//そしてこれは旭川の地形が北海道最大の盆地である上川盆地に位置し、多くの河川が合流している地形をとなっている訳です。上川盆地の旭川市周辺で合流する河川は石狩川に牛朱別川と忠別川や美瑛川、と多く立地上はこの河川交通を利用しやすいという部分がある。

 第2戦車連隊は5個中隊の戦車を有し、各普通科連隊へ戦車中隊を配属して尚2個中隊が独立大隊として行動可能だ。//更に盆地は地形上、緊要地形をその周辺部に多く含みます、それだけではなく、道北南部にある旭川は道央とを結ぶこの回廊を構成しており、その上で北海道東部の地形は太平洋とオホーツク海に日本海に突き出す地形となっている、こうした地形の特色があるのです。

 96式装輪装甲車、通常搭載する96式自動擲弾銃に代え空包射撃可能であるMINIMI分隊機銃を搭載している。//この地形を防衛する事が北海道全域を北方からの侵攻に対して備える上で有利であるのですが、これに合わせ1891年には屯田兵、開拓へ軍が参画する明治時代独特の手法ですが、この駐屯が始まり、1898年には鉄道省が、漸くというか鉄道を旭川駅まで北上させました。

 第2飛行隊のUH-1J多用途ヘリコプター支援下で戦車連隊が前進する。//北海道防衛は今日に至るも重要度が高い我が国防衛の最前線となっていますが、これは式典の参加車両と式典の規模が何よりも物語っているものがあります。一方で、北海道の過疎化の進展を見ますと、自衛隊駐屯の経済的な意味の大きさも垣間見えるようにも思える。

 旭川の飛行場地区にて、ここまで立ち上る土煙が戦車の迫力を引き立てる。//第2師団は戦車連隊を有していますし、特科連隊は全て自走榴弾砲を装備し、普通科連隊には装甲中隊を奥、自衛隊の一つの理想的な編成となっています、訓練展示においてもその能力は如何なく発揮され、偵察部隊と拘束部隊の支援下で機動打撃により撃破しました。

 戦車に随伴する機会か普通科部隊が重迫撃砲中隊陣地を超越し戦闘加入する。//軍都、というと大時代的な響きですが、この1898年の旭川駅開業が師団の歴史と密接に繋がっています。当時の帝国陸軍は師団が隷下に2個旅団を隷下に置き、各旅団に2個歩兵連隊を配置していました、連隊の下には大隊が置かれ規模は今の普通科連隊よりも大きい。

 訓練展示の緒戦を担った74式戦車は完全に支援手に回っている、長砲身の105mm戦車砲が勇ましい。//鉄道の早い時期の整備、その上で物流が頻繁に軍需輸送という形で確立する事となり、そして師団長の地位とも無関係ではありません。師団長は大日本帝国憲法施政下において勅任官です。勅任官は天皇陛下から直接着任を命じられる官吏となります、この地位は高い。

 99式自走榴弾砲が支援を継続する、連隊は本部を旭川に置き一部大隊を道北の駐屯地へ前方展開させている。//勅任官という当時の日本の高級官僚制度上での位置づけは非常に大きな地位を占めるもので、府県知事は当時、判任官でした。判任官は官吏制度上、天皇陛下から任官を命じられますが、直接任官を宮城で陛下の御前に命じられるのではなく、大きさが分かるでしょう。

 戦車と共に特科部隊は突撃発起の最終弾射撃へと待機する。//勅任官の師団長と判任官の知事、官吏制度では憲法上、師団長の方が知事よりも上であった訳ですね。そして勅任官となると鉄道でも御客様、ではなく閣下と呼ばなければなりません。ちなみに、官吏になるには普通に旧制中学から学校を卒業して進む、実力主義です。

 普通科部隊が戦車と特科部隊の支援下、いよいよ敵前へ達した。//帝大や陸士海兵は誰でも受験でき、この部分において学力知力優秀でさえあれば、身分の格差はありませんでした。閣下、といいますと平成の日本では親しみを込めての知人や友人間の愛称で冠せられることが多いのですが、当時の閣下となりますと、やはり違う。

 第一線へ、続々と戦闘加入する普通科部隊、第2師団全ての普通科連隊には装甲車中隊が置かれており、戦車部隊と連携が可能だ。//閣下とよばれるほどですから、権限も地位も大きなものでした。旭川の歴史と閣下、ですが、この大きな部分は閣下となると、鉄道の移動にも二等車ではなく一等車が必要となります。一等車といいますと、単純に今日のグリーン車、とは実のところいえないものです。

 90式戦車と96式多目的誘導弾システムの協同、ある意味理想的な長距離打撃力と直接交戦能力の高い装備の協同だ//実は今日のグリーン車は明治時代の二等車にあたります、普通車として普通列車や急行列車に三等車がありましたから、区分としてグリーン車は二等車、と。一等車ですが、これは駅のみどりの窓口、は当時ありませんが、駅の切符売り場では入手する事は出来ません。

 下車展開、普通科部隊は直接占領された我が領土の奪還という最終段階を担うが、それは隊員個々人が敵の銃火へ直接さらされる瞬間でもある。//一等車に乗車するには鉄道省に直接手配を要求し一等車を連結し運行していました、当時列車にはボーイが乗車し、格式あるサービスを供していましたが、他の乗客もお隣が閣下では中々気が休まりません、そういう意味での貴賓車としての一等車、といえるでしょう。

 突撃支援、最終弾を撃ち終える、最終弾落下と同時に普通科部隊は銃剣を先鋒に突入する、白兵戦の始りだ。//勅任官の任地である旭川、一等車を運行する、つまり優等列車が明治時代の早い時代から整備されてゆきます。尚、昭和期に輸送効率化の観点から第7師団長がグリーン車に当る二等車利用として妥協、これにより旭川への一等車全優等列車連結は終止符となりました。

 普通科部隊が突入、敵を殲滅し状況は終了となった、実戦もこれほど上手く展開するのが理想、そのための準備を怠らない。//その上で師団本営と膨大な軍需輸送という輸送需要、旭川はこの軍隊が持つ交通に併せて物流の中で市街地を拡大させ、更に軍需輸送を背景とする鉄道交通の拠点化は北海道の第一次産業品の流通拠点となり、あさひかわ、軍都としての端緒から成長を続けたのでした。

 状況終了、展開した高射特科部隊も撤収を開始する、ここからも撮影するには絶好の状況が続きます。//旧陸軍の編成、今でいうところの四単位師団にあたりますが、歩兵連隊は地域司令部としての側面を持っており、連隊は地域ごとに配置され、明治時代当時我が国は徴兵制を採っていましたので連隊は、連隊区地域内での警備から徴兵や兵站など全般を担っていました。

 訓練展示が完了した後、会場では案内放送が始まりますが、写真には音声は写りませんので部隊と車両を動く様子を最後まで撮影します。//北海道内の連隊区は旭川連隊区、札幌連隊区、函館連隊区、釧路連隊区、以上四連隊区に区分していまして、主力を旭川へ置いていた訳です、こうしますと必然的に北海道北部への物流確保が必要となり、この地域へも比較的早い時期に鉄道線が整備されてゆきます。

 90式戦車と74式戦車、雪を冠する大雪山を背景に戦車の撤収気道を撮影しました。//旭川駐屯地祭、この年は75式自走榴弾砲最後の年度という事でしっかりと装備品展示も散策し、北鎮記念館の見学や護国神社も参拝も経て土産物を抱え旭川から札幌へ戻る事となりました。もちろん、利用するのは普通列車ではなく、特急スーパーカムイを利用して。

 99式自走榴弾砲、そしてこの年が最後の参加となりました75式自走榴弾砲の撤収、今日的に貴重な情景です。//特急スーパーカムイ、JR北海道が誇るエル特急です。特急ライラックと特急スーパーホワイトを統合し2007年に誕生した新千歳空港札幌と旭川を結びます。運行本数は毎日20往復以上となっていまして、北海道第二の都市旭川と道都札幌の輸送需要へ対応するもの。

 75式自走榴弾砲、2-4-12は第2特科連隊第4大隊第14中隊、を示す。特科中隊が非常に多い編制ですね。//旭川からは深川と滝川に砂川と美唄を経て岩見沢ののちに札幌、滝川や美唄に岩見沢という自衛隊駐屯地の街を繋ぐ特急でもあります。防寒構造の窓の関係から少し眺望には難色があるのですが、他の車両より良い。旭川駅は阪急三宮駅を思い出す規模の高架駅でした。

 冷戦時代の最も緊張状態が高かった1980年代までに数を揃えた75式自走榴弾砲、役目を99式自走榴弾砲に移し、この瞬間も北方からのロシアの軍事圧力へ備えています。//789系1000番台電車が主として用いられており、789系は電化路線にて営業速度140km/hという最高速度を誇ります。車内は特色あるのがグリーン車を連結していないもので、代わりにUシートというワンランク上の快適な座席を指定席として用いている点でしょうか。

 87式自走高射機関砲、ロシアのウクライナ東部紛争介入とクリミア武力併合をみていますと、北海道のこの防備は冷戦後の今日でも無駄ではないことが分かります。//戦後北海道の優等列車は準急石狩号が1951年に運行開始され、1956年に準急アカシヤと準急かむい号も運行開始、1961年には待望の特急おおぞら号が運行開始され新急行オホーツク号も誕生しました、特急運行開始まで道内移動は文字通り簡単ではなかったとのこと。

 99式自走榴弾砲、非常に長い52口径の砲身が見える、前述の75式自走榴弾砲が配備されるまで、北方領土を射程とするソ連軍の122mm野砲や152mm野砲に射程が及ばず打つ手なしでしたが、75式自走榴弾砲と後継99式自走榴弾砲は充分対抗できる性能をもつ。//おおぞら号運行開始から始まり、北海道内は特急列車が多数運行される現在の運行網が構築されるようになりました。札幌旭川間137kmを85分で結ぶ為、スーパーカムイ最大のサービスはその速度といえる。こうして第2師団創設記念行事、行事撮影は完了しました。

北大路機関:はるな くらま
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【くらま】日本DDH物語 《第四回》 五〇年代の将来警備艦試案,原子力ヘリコプター巡洋艦

2017-02-25 21:12:45 | 先端軍事テクノロジー
■原子力ヘリコプター巡洋艦
 日本海軍の第二復員省再編と海上保安庁や海上警備隊を経ての海上自衛隊創設の草創期、部外研究として様々な模索が為されていまして、草創期の将来警備艦試案というものを掘り下げますと、かなり驚かされるものが少なくありません。

 はるな型ヘリコプター搭載護衛艦以前には海上自衛隊では何度か航空母艦建造計画がありました、構想研究では海上自衛隊の海上警備隊からの改編間もない時代に将来の警備艦として対潜戦闘中枢艦という部外研究があり、対潜情報を処理するコンピュータを搭載し数日間に渡り継続的に原子力潜水艦を追尾できるよう複数のヘリコプターと長大な航続距離を持つ艦が考えられた。

 海上自衛隊の草創期、造船側から提示された内容を艦船研究家で海軍造船士官であった堀元美氏がまとめた“現代の軍艦はいかにして造られるか 将来の警備艦”において、将来護衛艦の概略は海上自衛隊将来任務を対潜戦闘に重点を起き、太平洋戦争におけるシーレーン防衛体制の破綻を強く反省し、大国からの中立を可能な限り維持しつつ、しかし太平洋戦争後の進駐体制を安全保障の基盤としてアメリカの同盟国としての不可思議な中立体制を目指す中で任務集約が求められます。

 必要な防衛基盤にシーレーン防衛を掲げ、そのために必要となる水上戦闘艦象を模索したものでした。留意したいのはこれが部外研究として造船側から提示されたものであり、海上自衛隊が具体的に構想したものではなく、当時の海上警備隊からの海上自衛隊への組織改編ののちの状況では、仮に本試案が政策として討議された場合でも実現は相当先になるであろう点です。

 将来の潜水艦脅威は、原子力潜水艦によるシーレーン攻撃へと展開するもので、これは潜水艦の重要な潜行時間を原子力機関以前には延伸するのに蓄電容量の条件に大きく縛られるものであり、長く潜水し任務に当たるためには潜水艦を保有する各国はほぼ必然的に潜水艦の原子力化を志向するものであり、各国の潜水艦建造が実際問題、進んでいました。

 アメリカが初の原子力潜水艦ノーチラスを竣工したのち、イギリス海軍でも初の原子力潜水艦ドレットノート計画が進む時代、同時に日本に向き合うソ連海軍でも原子力潜水艦建造が大きく進展している、という脅威を明確に認識した上での運用研究でした。造船側は、ヘリコプターによる対潜掃討任務を将来の対潜水観戦等の重点として既に構想していまして、ヘリコプターを搭載する母艦、として新装備を集中運用する態勢を構想しています。

 ヘリコプター集中運用、“現代の軍艦はいかにして造られるか 将来の警備艦”では空母ではない官邸から運用される航空機ということでヘリコプターを示すと考えられるのですが、それもヘリコプター空母のようなものではなく、数機程度のヘリコプターを搭載し集中運用可能である水上戦闘艦を中心に潜水艦を追跡する護衛艦数隻を併せて指揮統制し同時にヘリコプターも管制する旗艦としての任務を既に想定していました。この部分を見ますと、ヘリコプター搭載護衛艦はるな型の輪郭が彷彿とされるよう。

 ヘリコプター搭載護衛艦はるな型にいたる海上自衛隊運用基盤の概略が既に造船側により予見されていたといえるやもしれません。勿論この時代は草創期の海上自衛隊、アメリカ海軍から中古の艦隊駆逐艦引き渡しが始まった段階であり、海上自衛隊の主力はいまだに護衛駆逐艦の中古艦艇と上陸用舟艇を改修した上陸支援艦改造の警備艇主力の時代でした。

 ヘリコプターによる対潜掃討という任務区分は既に1940年代にアメリカ海軍おいて初期のヘリコプター、草創期の機材にありがちな洗練されていない、金属骨組に回転翼とエンジンを装着し、今日的に見ればひどく不格好で、安定性に欠け、搭乗員は寒風と波浪に忍耐を求められる、しかし最新装備の評価試験への乗員個々の熱意により模索されていました。

 興味深いのは、この草創期の技術にてソナーをヘリコプターから吊下し音響索敵をすでに実施しており、波浪と回転翼の騒音のなかでも、海面下に吊下しソナー機構は予想以上に潜水艦など海中の音響を捜索できたといいます。ヘリコプターは大戦中に当時の短距離離着陸機にあたるオートジャイロを類型が分離したばかりながら有用性は認められています。

北大路機関:はるな くらま
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平成二十八年度二月期 陸海空自衛隊主要行事実施詳報(2017.02.25/02.26)

2017-02-24 20:25:01 | 北大路機関 広報
■自衛隊関連行事
 プレミアムフライデー、金曜日に仕事を早く切り上げ文化に旅情に散財へとの政府の新しい試み、当方の周りでは盛り上がりはいま一つですが、皆様いかがお過ごしでしょうか。

 今週末は久々に自衛隊行事、木更津航空祭という千葉県木更津の自衛隊行事が行われます。プレミアムフライデーにあわせ、少し遠出してみるのもどうでしょうか。また、横浜の磯子で建造進むヘリコプター搭載護衛艦かが、満載排水量27000tの威容を対岸の磯子海釣り公園から望見し、その後に横須賀を散策するという紀行もいいかもしれません。

 木更津航空祭2016が明日土曜日に行われます、2017年ですが2016年度の木更津航空祭です。千葉県木更津、中央即応集団隷下の第1ヘリコプター団と、東部方面航空隊隷下の第4対戦車ヘリコプター隊、ヘリコプター70機が集中する陸上自衛隊最大規模の航空部隊駐屯地で、その大編隊飛行迫力は陸上自衛隊の航空部隊重視方針を具現化する壮大な規模です。

 第1ヘリコプター団は中央即応集団隷下のヘリコプター部隊でCH-47輸送ヘリコプターを4個飛行隊の32機もの多数を集中運用しており、CH-47のような重輸送ヘリコプターは高価で、世界でもアメリカの第159航空旅団と並び最大規模の航空部隊ですが、第159航空旅団が予算均衡法に基づく予備役部隊となり縮小編成化され、世界最大規模といえるもの。

 東部方面航空隊第4対戦車ヘリコプター隊は映画シンゴジラでも活躍したAH-1S対戦車ヘリコプターを運用する方面隊直轄の航空打撃部隊です。離陸の突風は編隊規模に相応しい迫力ですが、大編隊の航過飛行は一回のみ、確実にカメラに収めたいですね。編隊飛行に訓練展示の他、抽選600名の東京湾体験飛行、先着1000名の地上滑走試乗等盛りだくさん。

 さて、撮影機材の話題、ミラーレフ一眼vs一眼レフカメラ、ミラーレス一眼の致命的な弱点は、電源の稼動時間でしょう。一眼レフならば自動電源オフ機能を設定する事で電源が落ちた場合でも、被写体が突発的に見えた場合にカメラを構えシャッター部分を押し込むことで自動的に電源が復帰します、これが、電源操作に囚われずに即座に一枚目を撮影する迅速性に繋がっている。

 デジタル一眼レフについては、その競合相手が機械式を含む一眼レフカメラでしたので、電源と最初の一枚までの所要時間をフィルム式からデジタルカメラへ取り込むまで、求められる要求性能の水準がそれはそれは厳しい要求があり、これを乗り越えて現在の性能に追いついている訳ですが、ミラーレス一眼は開発当事者の意見等を見る限り、求められる高性能の方向が違います。

 一眼レフカメラの利点はここにあるのですが、ミラーレス一眼ではまず、電源が入っていない場合、電子ビューファインダーは構えても何も見えませんし、液晶もかまえただけで自動的に電源が復帰するほど、長時間待機態勢を取れる電池は開発されていません。長時間、撮影の際に半日丸一日電源を入れられればよいのですが、予備電池だけで膨大な量に。

 仰々しくミラーレフ一眼vs一眼レフカメラとしましたが、共にデジタル一眼レフとかデジタルミラーレスという単語を用いずカメラとして呼称して意味が通じるようになり、かつてのフィルム式カメラかデジタルカメラか、の議論を通り越したことは、技術の趨勢を感じるものですが、ミラーレフ一眼vs一眼レフカメラ、展開はどうなるのでしょうかね。

■駐屯地祭・基地祭・航空祭
・2月25日:木更津駐屯地創立48周年記念第44回木更津航空祭…http://www.mod.go.jp/gsdf/crf/heridan/index.html

■注意:本情報は私的に情報収集したものであり、北大路機関が実施を保証するものではなく、同時に全行事を網羅したものではない、更に実施や雨天中止情報などについては付記した各基地・駐屯地広報の方に自己責任において確認願いたい。情報には正確を期するが、以上に掲載された情報は天候、及び災害等各種情勢変化により変更される可能性がある。北大路機関
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防衛大綱改訂を前倒提案 “新たな段階の脅威” 自民党国防部会 長期政策今世紀四度目改訂

2017-02-23 20:42:50 | 国際・政治
■中期防衛力整備計画完成待たず
 自民党国防部会と安全保障調査会は北朝鮮の核とミサイル開発を“新たな段階の脅威”と位置付け、防衛計画の大綱改訂を前倒しとする提案を行いました。

 産経新聞が今月18日付にて報じたもので、今回はこの点を考えてみましょう。北朝鮮の核開発とその運搬手段である核開発に対して、防衛鋭角の大綱を改定する場合、想定されるのは現在のミサイル防衛能力が海上自衛隊護衛艦隊のイージス艦6隻と更に建造が決定した2隻を加えたイージス艦8隻、航空自衛隊のペトリオットミサイルPAC-3を含めた高射群体制では不可能となっているという状況認識の下での施策となるのでしょう。

 弾道ミサイル迎撃能力特化のTHAAD高高度防衛ミサイルを導入する新たな高射部隊の新編に関する部隊改編、敵基地攻撃能力による複数の核攻撃へ対抗するF-35戦闘機部隊の増強や巡航ミサイルトマホークの検討等、防衛計画の大綱は単純な装備計画ではなく部隊や新任務など防衛戦略の長期的改編を背景に実施される為、以上施策が考えられるでしょう。

 防衛大綱、十年単位の長期的な防衛計画を画定し、その上で五年単位の中期防衛力整備計画を建て、具体的な毎年の防衛予算へ反映してゆくのですが、1976年防衛大綱は冷戦時代一杯に対応する文字通り長期的な防衛政策の指針となりました、が、冷戦後はほんとうに長期計画とは言えないほどに転々と方針転換がおこなわれまして、特に部隊規模と予算規模がそのままの状況で任務だけ増えているのですから、混乱は否めません。

 冷戦後の脅威変化を受けて部隊のコンパクト化に踏み切った1995年防衛大綱は妥当なものでしたが、そのあとは長期政策を見据えていません。 弾道ミサイル防衛、2004年にミサイル防衛を行うための予算をその時点の防衛予算に盛り込むためには重装備を縮小する必要に応じて実施、しかしその見通しが甘かった為、南西諸島へ及んだ中国の圧力へ対応する従来型脅威への対応強化が求められます。

 財政難下、2009年にミサイル防衛の他にせめて潜水艦を増やそうとなり重装備が必要な大陸からの軍事圧力の増大が始まった為即応武器重視への転換と重装備のさらなる削減を実施、2013年には重装備を北海道に集約して有事の際には南方に急げばいいという移動手段を考えない手段で更に重装備を削減しつつ戦闘機と護衛艦を一割増やす施策を行いました。

 北朝鮮への弾道ミサイル防衛へシフトして以降中国の南西諸島への圧力を受けつつ、現政権は統合機動防衛力、と格好いい言葉で実態を濁しますが、大戦末期の本土決戦における沿岸配備師団新設よりも追い込んだ状況で、財政難の下で弾道ミサイル防衛という非常に費用を要する施策を展開しつつ予算を微減し一年程度乗り切る展望の翌年微減、その後も微減に漸く微増へ展開した事で成果として安全保障重視手段を誇示している状況です。

 しかし、脅威の全体が増大しているのですから、防衛費を増大するか、国民有事負担を願うか、選択が必要です。前述の通り、長期的な施策を具現化するために5年単位の中期計画を立てているのですから1976年防衛大綱のような20年30年先を見越すのが理想で、せめて10年さきの脅威に対応できる、重厚な防衛力を整備するべきでしょう。 逆に、多少の状況変化、特にこの十年単位の周辺国脅威増勢と圧力増大を受け止め、十年先の脅威を想定すべきです。

 防衛大綱改訂について、これらを踏まえた上で強調したいのは、安易に長期計画を転々と変える、いわば短命内閣時代の日本の指針のような弊害を避け、第一に統合機動防衛力の完成に要する装備体系、潜水艦や早期警戒機と空中給油機の増勢、コンパクト護衛艦整備や機動連隊に必要となる機動戦闘車の定数整備、F-35戦闘機充足を急ぐ方が優先度が高い。

 第二に既存の脅威が転換しているのではなく二方面化、三方面化している認識の政策への反映を新しい大綱に盛り込まなければなりません。北方方面の脅威増大と千島列島への師団計画、ロシア軍が進める対アメリカ戦略千島列島戦力再配置の一環で、超音速対艦ミサイルの配備に続く千島列島への防衛力強化です。新大綱へは北方への抑止力強化が盛り込まれなければ意味がありません。

 中期防衛力整備計画と防衛大綱、1995年、2004年、と10年先を見越す事が出きませんでしたが、2009年の防衛大綱は中期防衛力整備計画一期で完結する前に改定を迎えました、そして2013年には中期防衛力整備軽悪さえも未達成のまま再整備しまして、現状、右往左往が如く、求める防衛計画を途中で転々とさせ税金を無駄遣するように思えてなりません。

 防衛予算の中で大陸から脅威増大が南西諸島に及ぶと共に対領空侵犯措置任務増大は西日本へ及び、2015年以降北方地域での脅威が再活性化していますのでこれ以上の重戦力削減は出来ない実情もあります。大前提として平和憲法の下、主戦場は我が国土に求める受動的防衛戦略を国是とする日本、本土防衛の備えが冷戦後の変容を前に蔑ろになっています。

 南西シフトというよりも北方の脅威が増大し、特にロシアのアメリカへの接近領域拒否戦略整備が日本本土への脅威を増大させている状況はシフトしているのではなく北方と西方に脅威が増えている状況、ここに弾道ミサイル防衛を加えた場合、それこそ防衛予算が全く足りていませんが、有事の際にできない状況を言葉で塗布してできる、とするよりは現在の予算ではできない為、国民の負担、戦災戦禍を我慢するか充実した防衛力整備かの選択をお願いする事が当局者と為政者の義務と考えます。

北大路機関:はるな くらま
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【京都発幕間旅情】明石城、山陽道隣接の錦江城は連郭梯郭混合式平山城による鎮西の城郭

2017-02-22 20:54:28 | 旅行記
■明石城,日本城郭探訪紀行
 京都発幕間旅情、週間の幕間に当たる水曜日に旅情を巡らす本特集の今回は明石城、別名錦江城の城郭探訪記を。

 明石城、新快速が京都から大阪と神戸三宮を経て臨海部に差し掛かると明石海峡大橋が望見でき、それが徐々に近づくと共に明石駅へ、明石駅は新幹線西明石駅に近く西明石駅と京都とは普通列車が往復する為なじみがありますが、電車の車窓から明石駅隣にお城がある事に気付くものでしょう。

 このお城、映画の舞台になっています。十三人の刺客という、片岡千恵蔵と嵐寛寿郎主演作品がありまして、将軍徳川家慶弟の暴君明石藩主松平斉韶暗殺という老中の密命に集った十三人が大名行列を待伏せるという壮大なテーマの作品で、木曽落合宿での戦闘は報道撮影の手法を大胆に映画に取り込んだ邦画全盛期最大との迫力として過言でない。

 明石藩主松平斉韶は映画が創作で将軍の血縁者でも参勤交代中に襲われる事も、異常性格でもなく、普通の名君だったとは後で歴史に詳しい御仁に聞いたお話ではありますが、明石城、映画をNHK-BSで放映されたのを契機に行ってみたいなあ、と思うに至りました、所謂聖地巡礼的な、ね。

 明石城、兵庫県立明石公園を構成する城郭で喜春城や錦江城とも呼ばれるこのお城は、日本標準時間の明石、山陽本線明石駅のすぐ隣にいちしています。山陽本線日程近いという地形から分かる通り、此処は江戸時代から山陽道に隣接する明石城は鎮西の城郭として重要視されていました、確かに、山陽本線と山陽新幹線を眼下に収め四国への明石海峡大橋も望む、今も交通の要衝です。

 鎮西の城郭と云えば国宝姫路城が最初に思い浮かぶ要衝ではありますが、江戸時代には西国大名への警戒と共に明石は海峡を隔てて淡路島とその向こうにある四国とともに、丹波地方や但馬地方ともつながり、本州島最狭部の一つとなっていて、重要度が分るでしょう。

 築城は1618年で二代将軍徳川秀忠より築城命令が信濃松本藩小笠原忠真に下り、8万石から10万石の明石藩主として入域、海を一望する人丸山を城郭とする事としました。この築城造営は堅実に行われ、幕府に評価された小笠原忠真は豊前小倉15万石に移封されました、築城に尽力した明石城、小笠原忠真は参勤交代の際にでも再度望見できたのでしょうか。

 天守閣は造営されませんでしたが、火砲発達への天守不要論が採られた為ではなく本丸四隅東西南北に三重櫓四点が造営、連郭梯郭混合式平山城方式を採用し、火力拠点となる櫓を20カ所と、対攻城防御点となる門を27カ所配置し、天守閣は大阪城の様に火力目標となる為に排した、実戦重視の設計を期しました。

 巽櫓は船上城からの移築という。船上城は播磨国明石の明石川河口西側に面した沿岸防備城郭で三木城主別所氏の支城として造営、巽櫓は豊臣秀吉治世下の国替で拝領した高山右近による船上城拡大で建築、江戸時代に播磨が姫路藩所領となった際に移築されたという。

 坤櫓は伏見城からの移築とされます、移築に移築を重ねた点で造営を急ぐ防衛上の要求が垣間見えます。伏見城の築城は1618年といいますので秀吉の伏見城は既に1600年の伏見城の戦いにて鳥居元忠が立て籠もるも石田三成の猛攻を受け炎上し落城、その遺構も江戸時代初期に破却され、不要となった資材を移築したものが坤櫓だとのこと。

 しかし、この明石城、城主は頻繁に変わるという歴史があります、小笠原忠真の後、松平氏は七年で美濃加納藩へ、続く大久保氏は十年で肥前唐津藩、松平忠国は30年で大和郡山藩、本多政利藩政失敗で三年後陸奥岩瀬藩、1682年の松平直明氏以降漸く安定し明治維新まで藩政は続きました。

 さて。一国一城の城主となるならばどの城がいいか、とは歴史好きの酒場談義では一つの定番ですが、夢は大きくエレベータもある大阪城、やはり国宝姫路城、地価が高い江戸城址、となりまして、しかし最後は中心部で通勤に便利な二条城、とか必然と話が流れてゆきます。

 一刻一条の城主になっても通勤するのか、という視点はさておき、通勤に便利な城郭、となりますと筆頭、のぞみ号停車の山陽新幹線ホームからほぼ隣接する福山城、そして新快速停車駅明石駅に隣接する明石城、となる。交通が便利ですが、城郭そのものも伏見城、三木城、高砂城、枝吉城、船上城の資材が流用され城郭、風情を楽しめる城といえるでしょう。

北大路機関:はるな くらま
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南スーダン人道危機 UNMISS自衛隊PKO部隊派遣と内戦第三勢力出現に問われる国連姿勢

2017-02-21 21:51:50 | 国際・政治
■危惧される人道危機の放置
 南スーダン内戦は三年目を迎えました。自衛隊がPKO部隊を派遣する南スーダンは、AFPやBBC,F2等海外報道では既に南スーダン内戦という状況を報じています。

 現在、南スーダンでは国民の半分が食糧不足に陥り、既に南部一部地域で飢餓状態が発生、国連はこの数年間で初めての飢餓による人道危機を宣言しました。内戦により経済は破綻し物流が停滞していますが、特に南部のユニティ州では支援を受けられず、国連人道問題統制事務所はこの地域への食糧供給停止への政府の妨害を停止するよう要求しています。

 マシャール前副大統領とキール大統領の民族の違いから300万の国内難民と150万の隣国への難民、中部の穀倉地帯へ戦場が拡大する徴候がある為、今年に入り隣国ウガンダへの難民は45万名にも達しました。南スーダンでは南部を中心に食糧人道支援の国連協力団体職員が南スーダン軍により移動妨害事案もあり、民族間対立激化の様相を呈してきました。

 南スーダンから陸上自衛隊を含む国連PKO部隊の全面撤退を、敢えてのこの状況で英断し、全面的な経済制裁による南スーダン人道危機への介入へ、国連と我が国が求められる姿勢は変化しているのではないでしょうか。現時点で、南スーダンへの武器禁輸など幾つかの国連制裁決議案に対し、PKO部隊へ南スーダンからの圧力を危惧し我が国政府は慎重です。

 内戦は激化様相をみせています。北部アッパーナイル州などで数週間の間に2万名程度の国内難民が発生、その中政府も揺るいでおり、国軍副参謀総長トマスシリロスワカ中将がキール大統領の命令を実行する事が出来ないとして辞任、ガブリエル労相が今週スーダンへ亡命しマシャール前副大統領への忠誠を表明しました。更に第三の勢力としてタバンデン第1副大統領が第1副大統領派反政府行動を開始、キール大統領率いる政府軍へマシャール前副大統領派とタバンデン第1副大統領派が対立しています。

 前副大統領派のT-72戦車が首都に到達したものの政府軍のMi24攻撃ヘリにより撃退された状況を、自衛隊が戦闘と表現し市ヶ谷に報告したものの、政府が戦闘ではなく衝突、という表現を行った点と矛盾し、PKO協力法に基づく戦闘ではなく表現として戦闘のよう、と言い返させ問題が生じている状況は広く報じられていますが、自衛隊派遣に際し首都ジュバの治安は維持されている、との説明に終始する現状も、破綻しつつあるのではないか、と。

 南スーダン自衛隊派遣、戦車も対戦車ミサイルもヘリコプターも迫撃砲さえもない現状軽装備のPKO部隊を派遣しているのですが、単純に自衛隊だけを撤退させるならばPKO任務がそのまま破綻する可能性が高くなり、特に自衛隊宿営地が南スーダン唯一の国際空港外郭防衛線を担当している為、自衛隊だけを単純に撤退する事は、UNMISSPKO部隊13000名を見殺しにするが自衛隊の方が優先なので国連は日本を尊重して他のPKO部隊とは異なる特別扱いを要求する、という発言に他なりません。

 しかし、国連でのUNMISS終了を調整するとなれば話は違います。自衛隊派遣している故にこの人道危機国家の独裁政権への制裁決議に参加できない我が国、そろそろPKO全ての任務を終了し、全面制裁に移行するべき時期が来ているのではないかと思う。単純に、戦闘地域なので撤収、というのではなく、現大統領はPKO部隊へ戦車部隊や攻撃ヘリ部隊を周辺に展開させる示威行動を選択肢として持ち、PKOへ部隊を派遣する日本とともにインドや中国、それに韓国など各国の制裁を回避しているように構図が成り立っている。

 国連PKOは2002年の東ティモールPKO以降、国連安全保障理事会の国連憲章七諸措置に基づく決議を根拠として実施されていますので、今後状況が悪化し続けた場合、UNMISS任務が当初の南スーダン独立に伴う国家創造の支援という任務から、南スーダン内戦の鎮定による人道危機解消への強い施策、コンゴPKO任務や第二次ソマリア平和執行任務の二の枚となりかねません。国連は重装備の派遣を各国へ求めていますが、我が国は応じていない為、不測の事態に巻き込まれた場合でも国連は、重装備派遣に応じなかった日本に責任がある、としかねない構図もあります。

 勿論、現在の国連PKOが2002年以降の大きな変革の最中にあり、紛争が完全に停止した状態で投入される1992年から2002年までの国家創造型PKO任務から、国連憲章七章措置に基づく事実上の国連軍型部隊による戦争外軍事任務としての国家創造という必要ならば求められる措置も辞さないという方式へ変容していますので、将来的に防衛計画の大綱などへ、装甲戦闘車の広範な配備を来ない不測の事態へ備える施策を行うか、日本は今後PKOと世界の平和へは関与しない姿勢を採るか、輸送機を大幅に増強し輸送支援等の後方支援へ転換するかなど、選択肢は求められるでしょう。

 さて、提案として三行半を示した背景です。今回のUNMISS任務を終了し自衛隊を撤退させたうえで南スーダン政府への宥和的な姿勢を切り捨てるべき、との提案ですが、視点として、日本が本来PKO部隊を派遣しないのであれば必ず実施していたであろう対南スーダン武器禁輸措置など、人道危機を回避する手段を執れない、いわば、自衛隊をPKO協力法に縛り、重装備を派遣できない枠組にて各国が内戦状態とする地域へ派遣し、この危機の当事者でありながら解決策を自ら封じている状況から一歩引く方が、長期的な人道上の好影響に繋がるのではないか、という視点に基づくもの。

 PKO部隊を人質の様にして経済制裁から逃れるともとれる南スーダンの状況、必要ならばPKO部隊を撤退させ、勿論、このPKO部隊撤退に伴い南スーダンの内戦は首都ジュバへ戦線が拡大する非常に取り返しの取れない状況となる可能性は否定できませんが、この状況のまま推移すれば飢餓が進行します。飢餓状態を放置して更に取り返しのつかない状況に陥る前に、PKO部隊を日本も含め一旦撤収させ、各国が身軽となった上で経済制裁を行い現政権へ最大の圧力をかける示唆、これは仮に実行せずとも危機感を南スーダン政府が認識するだけでも、状況好転へ寄与するかもしれません。

 危惧される人道危機の放置、故に、UNMISS任務そのものを、南スーダン建国に伴う新国家建国支援という国連安保理決議自体が破綻しており、南スーダンという国家そのものが破綻国家状態にある事から、PKO部隊をすべて撤退させたうえで国家承認取り消しという厳しい制裁措置を含めた内戦終結を日本が中心となり取り組む、との施策に転換する時期が来ているようにも思えます。劇薬のような施策ですが現状、PKOが破綻しかかった国家を延命し人道危機を見過ごしている状況よりはまともでしょう。

北大路機関:はるな くらま
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トランプ大統領のISIL攻撃を大統領令!シリアへアメリカ国防総省が陸上戦闘部隊派遣検討

2017-02-20 22:01:02 | 国際・政治
■大統領令,ISILを殲滅せよ!
 トランプ大統領は去る1月28日、シリアイラクの過激派組織ISILについて、その殲滅に関する具体策を30日以内に提出するよう、国防総省へ大統領令を発令しました。

 米軍地上部隊のシリア派遣、アメリカ国防総省が実施を検討している事がCNNにより報じられました。地上部隊の派遣規模については明確に示されていませんが、特殊部隊のような小規模な部隊の派遣に留まらず、戦線を担当できる程度の地上戦闘部隊の派遣を検討しているとされ、これはトランプ新大統領によるISIL掃討に関する大統領令を受けての国防総省が示した具体的施策といえるでしょう 。

 シリアへは現在、少数の特殊部隊が越境作戦を展開中です。シリア領内での作戦は、シリア政府の受け入れ態勢がなく、ロシア軍がシリア国内において対ISIL作戦を含めたシリア内戦介入を実施中であり、ISILの勢力が維持されているシリア国内は2011年より自由シリア軍などによる民主化運動を端緒とした大規模な内戦が展開中であり、安易な介入はシリアの独裁政権と位置づけるアサド政権を支援するとして慎重にさけられてきました。昨今ISILはフィリピンなどへ浸透徴候があり、日本にとっても無関係ではありません 。

 イラク国内においてはアメリカ軍は地上部隊を派遣し軍事顧問の形をとり、イラク政府軍の対ISIL作戦を支援しています。これは現在のイラク政府軍がアメリカ軍によりイラク戦争後に再建されたもので、イラク撤退はオバマ政権時代に行われている為、アメリカ軍が展開する基地施設やインフラ面が整備されていた為です、しかし、シリアに対しこうした基盤は無く、シリア政府とアメリカ政府の支援協定もありません、この為、現在の枠組ではアメリカとシリア軍の協同作戦は現実的ではない 。

 ISIL掃討作戦は、ISILの策源地がIS,つまりイラクとシリアに存在する訳ですから、双方ともに同時に無力化し、武装闘争を停止させなければ解決の余地はありません。しかし、イラクとシリアでは政治体制が異なり、イラク政府はフセイン政権時代であればシリアのアサド政権との協力委関係の可能性は充分残りましたが、ISIL制圧を口実としてシリア政府の軍事力による民主化へ転化する可能性がシリア政府により警戒されている事から、問題は複雑です。

 アメリカ軍地上部隊のシリア派遣について、アメリカ当局者の話としてCNNが報じたところでは現時点で協議中としたうえで、NATO同盟国であるトルコに隣接するシリア北部地域のクルド人部隊への現在NATOが実施している軍事顧問派遣と武器要求などによる強化、また、ペルシャ湾岸のクウェートを拠点としてイラク北部経由でのシリア南部からのISIL掃討作戦、などが考えられる、とのこと 。

 トランプ政権ではISIL掃討へ地上部隊派遣を含めた積極的な対応を模索していますが、オバマ政権では慎重に地上部隊派遣を避け、航空攻撃を中心とした支援を実施してきました。この理由についてですが、ISILは市街地に立てこもり住民を盾とした戦闘を展開しています、ドアtoドアの戦闘と云いまして、住宅街やビル街等は一軒一軒ではなく一部屋一部屋敵を相当して進まなければならう、米軍の誇る最新装備を十分生かすことはできません 。

 オバマ政権が地上軍派遣を忌避した背景に、同様の戦闘様相となったイラク治安作戦のでの教訓があるのでしょう、イラク戦争はイラク政権を機械化歩兵師団と海兵師団により瓦解させるまでは迅速に進展したのですが、その後の武装勢力との戦闘による戦死者は、イラク政権を瓦解させ首都占領までの戦死者を30倍も上回る戦いとなりました、砂漠にて武装トラックで米軍のM-1戦車に対抗する事は難しいですが、建物に入った米軍のM-4カービン銃へAK-47小銃で対抗する事は可能です 。

 さて。日本の対テロ作戦への協力が求められる可能性についてですが、日本国内でのISIL協力勢力への取り締まり強化の法整備や、東南アジア地域でのISIL勢力浸透などの徴候に対する法執行機関間の連携強化などの協力は求められる事が考えられます。また、PSI拡散防止イニチアチヴに基づく大量破壊兵器拡散阻止枠組から、例えばISILによる日本国内と周辺を用いた武器密輸等があれば法執行機関による取締りを求められるでしょう 。

 しかし、自衛隊のシリアイラク派遣要請となりますと、能力として難しく、また法整備上でも不可能でしょう。例えば補給艦派遣等は考えられますが、戦線はイラク北部山岳地帯とシリア山間部であり、2001年同時多発テロを契機としてアラビア海のアルカイダ勢力通行遮断を目的としたアラビア海対テロ給油任務とは、そもそもISILが洋上での連絡線を有しておらず、状況が異なります。仮にあるとして、シリアに隣接する地中海への有志連合空母部隊への補給程度、これも要請されるかは微妙です 。

 イラクシリアへ、輸送ヘリコプター部隊の派遣要請は、可能性として残ります。自衛隊の空中機動部隊は、国土の地形から重視され器材も充実していますし、山間部での任務にヘリコプターは不可欠です。過去、アフガニスタン介入の際、守屋防衛事務次官時代に非公式に輸送ヘリコプター部隊のアフガニスタン派遣と輸送支援要請があったとされますが、法的に不可能として大きな議論とはなりませんでした 。

 自衛隊の陸上戦闘部隊がこの地域へ派遣されるのでは、との危惧を持たれる方がいるかもしれませんが、実際には遠い将来に復興人道任務としてPKOが派遣される可能性を除けば、戦闘任務では派遣される事は考えられません。何故ならば、自衛隊は国土防衛を想定した編成であり、NATO部隊程英語力が重視されておらず、運用の共通化も例えば自衛隊の1尉が米軍中隊を指揮したり、米軍少尉が自衛隊の小隊長を担える程、進んでおらず、共同作戦は難しいのです 。

 安全保障協力法制に基づく駆け付け警護ですが、シリア内戦以前には自衛隊はゴラン高原へPKO兵力引き離し監視任務として部隊を派遣していましたが、現時点でISILの支配地域付近では自衛隊はPKO任務を実施していません。例えば、日本国内の在日米軍基地がテロ勢力により攻撃を受けた場合、自衛隊が警察の銃器対策部隊を支援する形で駆け付け警護に近い任務が行われる可能性はありますが、これは治安出動の枠組です。

北大路機関:はるな くらま
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【日曜特集】アドミラルパンテレーエフ舞鶴寄港【3】将来戦へ対応する改修(2012-08-30)

2017-02-19 22:07:00 | 世界の艦艇
■ロシア駆逐艦舞鶴親善訪問
 ロシア駆逐艦アドミラルパンテレーエフ舞鶴寄港一般公開特集、第三回の今回が最終回となります。

 アドミラルパンテレーエフ、満載排水量8400tとカーラ級巡洋艦と並ぶ巨大な船体を採用していますが、これまでに紹介しました通り、決して無駄に大きいのではなく2機のヘリコプターを搭載、対潜打撃力と外洋作戦を意図した結果の大型艦となった事が分ります。

 旧ソ連がアドミラルパンテレーエフを含むウダロイ級駆逐艦を建造した少し前、アメリカ海軍でもスプルーアンス級駆逐艦として満載排水量8040tという非常に大きな駆逐艦を建造、これも必要な外洋航行能力と優れた対潜機材を搭載した帰結として大型化しました。

 そして、アメリカのスプルーアンス級駆逐艦は新開発のイージスシステムを搭載した派生型としてタイコンデロガ級ミサイル巡洋艦を誕生させましたが、ウダロイ級は対潜重視の設計ながら2010年代に入り3K96リドゥート艦対空ミサイルを搭載、防空艦となります。

 防空能力について、近代化改修により3K96リドゥート艦対空ミサイルへの換装が進む、ロシア版ペトリオットミサイルの派生型、アメリカ製スタンダードミサイルの様に射程に応じミサイル長が類型化され200km型から20km型まで搭載能力に応じ選ぶことが出来ます。

 3K96リドゥート艦対空ミサイルは50km型が搭載されているとされ、これにより西側のターターシステム艦と射程で同程度、高い艦隊防空能力を有するに至りました。ウダロイ級建造時期、ソ連海軍は防空艦へ、全く異なるソブレメンヌイ級を建造したのは前述の通り。

 ソブレメンヌイ級という別の艦型をミサイル駆逐艦としていたのは搭載していたシチルシステムが大型であり、ウダロイ級へシチルシステムを搭載し艦隊防空用の艦対空ミサイルシステムを搭載するなら、11000tのスラヴァ級ミサイル巡洋艦規模となっていたでしょう。

 ソブレメンヌイ級はミサイル駆逐艦となっていますが、シチル艦隊防空システムに加え、SS-N-22サンバーン超音速対艦ミサイルを搭載し、水上打撃力を極めて重視した設計となっていました、サンバーン、ソブレメンヌイ級の艦橋基部左右の大型発射器に収められる。

 SS-N-22/P-270サンバーン超音速対艦ミサイル、モスキートミサイルとも呼ばれますがラムジェット推進により高高度をマッハ3で飛行し目標付近から超低空へ移行し突入する強力な対艦ミサイル、射程は250km程度となっています。強力ですがその分本体が大きい。

 SS-N-22/P-270サンバーン超音速対艦ミサイルを搭載すればSS-N-14/RPK-3対潜ミサイルを搭載出来なくなるため、片方のみ、艦隊防空艦であるソブレメンヌイ級は前者と艦隊防空ミサイルを、対潜艦であるウダロイ級はSS-N-14/RPK-3対潜ミサイルを選択した訳です。

 しかし、ウダロイ級はSS-N-22/P-270サンバーン超音速対艦ミサイルを搭載出来なかったものの、SS-N-27カリブル/クラブ巡航ミサイル搭載の近代化改修が2010年代に入り実現した事で、カリブルは亜音速巡航ミサイルではありますが長距離対艦打撃力を得た訳です。

 SS-N-27カリブル/クラブ巡航ミサイルはSS-N-22/P-270サンバーン超音速対艦ミサイルよりも新しい分かなり小型ですから8040tのウダロイ級へも搭載出来た訳です、ウダロイ級は更に3K96リドゥート艦対空ミサイルを追加搭載できました、船体の余裕故といえます。

 SA-N-7/ 3K90ウラガーン/ガドフライ、ソブレメンヌイ級が搭載する艦隊防空ミサイルですが、形状がアメリカが開発し海上自衛隊が、あまつかぜ、たちかぜ型、はたかぜ型に搭載したスタンダードSM-1単装発射装置Mk-13と非常に似ており模倣した点が読み取れます。

 ウダロイ級は大型のSA-N-7/ 3K90ウラガーン/ガドフライ搭載を行う余裕がなかった為、個艦防空用の3K95/SA-N-9キンジャールを搭載した訳ですが、艦隊防空用艦対空ミサイルも技術開発を経て3K96リドゥート艦対空ミサイルでは小型化し、その搭載が叶いました。

 ウダロイ級は対潜艦ですのでヘリコプター運用能力を重視しています、ソ連海軍では18機のヘリコプターを搭載する1960年代のモスクワ級ヘリコプター巡洋艦建造以来、一隻の対潜掃討艦で広範囲を哨戒できる為、艦載ヘリコプターによる対潜哨戒を重視してきました。

 艦載機としてKa-27を2機搭載しています。二重反転ローターを採用するカモフ社製ヘリコプターで4tまでの貨物や人員輸送機は16名を搭載可能ですが、全長は11.3mと、同程度の搭載力をもつ自衛隊のSH-60Kが全長19.8mに対し非常にコンパクトな機体が特色だ。

 Ka-27対潜ヘリコプターは、APR-2対潜魚雷1発を搭載可能で、若しくは機内へ対潜機材を収容しソノブイ36本を搭載する事で対潜哨戒任務へも対応します。機体が非常にコンパクトですが、格納庫も更にコンパクトで二機搭載する格納庫としては驚きを禁じ得ません。

 ヘリコプター格納庫は飛行甲板から半甲板低く位置していまして、二機のヘリコプターを右舷左舷へ収納すると共に中央部分へ発着管制施設が配置されています。ただ、ソブレメンヌイ級等は半入れ子式格納庫を採用しており本型の整備性は比較的高いといえましょう。

 Ka-27対潜ヘリコプターの搭載は、海賊対処任務や人道支援任務など2000年代に入り急激に増大した任務への対応能力を強化しました、16名もの兵員を輸送出来ますし、2機を搭載している為交替により継続的に飛行させる事が可能、本艦の運用多用途性を高めました。

 総合的に考えますと、ウダロイ級はソ連崩壊後、非常に厳しい経済情勢化にあっても維持する事での費用対効果が高い艦艇と評価され、維持される事が早い時期に発表されました、12隻のうち、それでも4隻は除籍されましたが、それでも全体としては多数が維持される。

 ガスタービン推進による整備性の高さ、航空機運用能力による汎用性の高さ、外洋効能能力の大きさ、それに副次的なものですが重武装による砲艦外交的な本型の形状は少なくなった、ソ連時代の威光、ソ連時代の遺構でもありますが、を発揮できた部分があります。

 基本能力の高さがありますが、そして設計の余裕により大型対潜艦としての設計当時は想定されなかった二つの任務、艦隊防空能力が新型ミサイルの小型化により、水上打撃力が巡航ミサイルと艦載システムの小型化により、それぞれ実現し、多用途艦となったかたち。

 それでも旧式艦であることは否めません、一番艦竣工は1980年、ヘリコプター搭載護衛艦くらま、よりも古く、海上自衛隊で12隻が建造された護衛艦はつゆき型護衛艦よりも古いのですが、ロシア海軍はソ連崩壊後の混乱から立ち直りつつある中、完全ではありません。

 リデル級原子力駆逐艦としてウダロイ級とソブレメンヌイ級の後継艦へ8隻の11000t型原子力駆逐艦を建造する構想がありますが、設計開始が2018年であり建造は更に後、就役は2030年代前後となる可能性が否定できず、アドミラルパンテレーエフは当面現役でしょう。

 ロシア艦の居住性等は公開されませんでした、しかし、案内と警備の水兵と海兵さんは丁寧で、基地を出た後、舞鶴市内で同じATMの前に並んだり、何故かビールをレストランで何杯も乾杯したり、記念写真撮ったり、ささやかながら日ロ友好を高める事が出来ました次第です。

北大路機関:はるな くらま
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