北大路機関

京都防衛フォーラム:榛名研究室/鞍馬事務室(OCNブログ:2005.07.29~/gooブログ:2014.11.24~)

【日曜特集】第7師団創設56周年記念行事(23)機甲師団戦力一端示す訓練展示は突破で状況終了(2011-10-09)

2022-12-18 20:02:53 | 陸上自衛隊 駐屯地祭
■前進よーい!前へッ!
 戦車の全力の突進と云うのはなかなか本州の駐屯地ではこの広さが無い為に限られた式典会場では見られないところですが、北海道では毎回のように機械化部隊の威力を見直すものです。

 第7師団の訓練展示、いよいよ90式戦車が一斉に突入し当面の敵を撃破するべく進んでゆきます、考えてみればこの当時の自衛隊は防衛大綱の戦車定数が600両、冷戦時代の1200両からはそうとう減ったという印象ながら、こうした分りやすい防衛力を整備していた。

 防衛力を再編する、これも財政再建と共に様々な分野へ防衛力整備が求められる時代には必要性は理解できるのですが、将来の予算効率化の為には思い切った投資が必要となります。ただ、投資を認められない事で効率化を進められない、こうした状況が有る様おもう。

 現代の師団は担当範囲が広い、自由自在に動くことでこの範囲で優位を握るという。デジタル重師団の発想は一種いきすぐ多発想、認識先行なのかという疑義は2003年のイラク戦争において第3歩兵師団、名称は歩兵師団ですが重師団編成、20年近く前の話ですが。

 第3歩兵師団のイラク戦争、この威力で考えを改めさせられました。いや、NATOはこの転換に素早く追随する、1990年代にNATOの多くの国々は師団編成を旅団編成へコンパクト化させたのですが、これでは対応できないとして大型師団への転換を開始するのですね。

 旅団の時代、こう思われていたのですがイラク戦争で大型師団の威力が確認された、すると2010年代にNATOは複数の旅団を隷下に持つ数万の人員を有する師団へ改編している。NATOで評価すべきは冷戦時代に装甲戦闘車のような装備を冷戦後に増やした事です。

 マルダーとウォリアー、イギリスが1980年代中期に導入しましたが、1960年代から装備を進めたドイツ連邦軍を例外として、概ねM-113装甲車のような機動力も火力も想定していない箱型の装甲車で妥協していた点です、あのような箱型の装甲車も有用なのですが。

 フランスのAMX-10Pはどうかと反論があるのかもしれませんがあれは機動力の面からも装甲戦闘車ではなく装甲車に小口径機関砲を載せたといういわばM-113に機関砲を載せたAIFVに近いもの、マルダー装甲戦闘車のような戦車に随伴できるものは例外的といえた。

 これが冷戦後、一気にスウェーデン製CV-90装甲戦闘車やスペインオーストリア共同開発のASCODウラン/ピサロ、イタリアはダルドとフレシア、フランスはVBCIと一気に装甲戦闘車の流れが進んだのですね。人命第一という訳なのでしょうが、強力な装備という。

 装輪装甲車も従来は装甲トラックの延長線上のような扱いから、大口径機関砲にさえ耐える重い車両に転換していまして、ドイツのボクサー装輪装甲車は720hp、フランスのVBCIも550hpという、まあM-113装甲車の300hpとは比較にならぬエンジンを搭載している。

 機動力の概念が一段進んだ、ということなのでしょうね。これは過去の歴史、そう戦艦の歴史と名に遭重なるようなものを感じるのです、海軍休日のあとの戦艦の歴史に似ている、減らしたのは冷戦後の平和の配当かワシントン海軍軍縮条約かという違いはあるのですが。

 冷戦後とワシントン海軍軍縮条約五、戦車が減った点と戦艦が減った後、いわゆる高速戦艦以外の戦艦はポストワシントン条約時代には列国、つまり条約対象国ではぼぼ消えました、例外は戦艦ニューヨークくらいでしょうか、30.5cm砲を搭載していた古い戦艦です。

 条約前には最高速力が15ノット前後の戦艦も多数あったのですが、逆に20ノット以上を発揮する高速戦艦が新戦艦の時代にあっては低速戦艦に区分されるようになっています、また、主流であった12インチ主砲の戦艦も一気に淘汰され、新時代を迎えたという構図だ。

 これからみると日本の装甲車は当時海防戦艦などを運用していた時代のものを見返るような、そんな構図に近い、こうした認識が必要なのかもしれません。99式自走榴弾砲の話に戻しますと、装甲戦闘車から重い自走榴弾砲を開発するよりは逆の発想で装備が必要だ。

 戦車に随伴できる自走榴弾砲を先に開発し、その巨大な155mm砲塔を50mm機関砲塔に、いや40mmでも35mmでもいいのですが置き換える、車体構造が自走榴弾砲と装甲戦闘車の共通性を認識した設計ですので、こうした逆転の手法が必要でないか、とおもう。

 戦車に随伴できる自走砲を装甲戦闘車に転用するならば戦車を凌駕する機動力を発揮できる。ただ、予算的に難しいならばフランスのVBCIのように、もう不整地をあきらめる、諦めるとはいかないまでも不整地で随伴できない距離は装輪装甲車として運用を工夫する。

 装輪装甲車は不整地で随伴できなくとも路上で高速を発揮する、戦車と一時的に離隔が生じるのは致し方ないが追いつけないよりはましだろう、こう妥協するところでしょうか。三菱の機動装甲車は性能面でなんとかVBCIの水準にあります、そしてこれ興味深い点が。

 装甲機動砲から装甲車を生むという点で、イタリアのチェンタウロ戦車駆逐車と共通点を見いだすことができるかもしれません、105mm砲を搭載した装輪戦車と当時呼ばれたものですが、1992年ソマリアPKOでは武装勢力がT-55戦車などを装備していた際注目された。

 イタリア軍がチェンタウロを派遣した、そしてあの105mm砲は喧嘩を売ってはいけない感じを醸せたことで、逆に比較的軽装に見えたアメリカ軍が喧嘩を売られることとなった。これはアメリカ軍の威光が通じなかったことで有名ですが、イタリアは別の位置にあった。

 ソマリア、なにしろ当時に国連の政治局にいらした方のお話を聞きますと、ソマリアでは国連の威光もなにもなく、国連が壴率とかいう理念ではなく逆に国際連合を知らない、UNマーク中心に近い方に当てた方が勝ちと逆に国連マークをみると発砲する馬鹿がいたほど。

 軍人でも自衛官でもないのに戦闘をかいくぐった経験をお聞かせ頂いたことがあります、そんな凄い人を教授にしていたあの大学は凄いや。閑話休題、チェンタウロはその車体設計から後部を兵員輸送室に転用できるとしてフレシア装甲戦闘車が開発されているのです。

 もっとも、フレシアの試作車が手狭であるとして車体を一部拡張しまして、この大きい車体ならば120mm砲が搭載できるぞと、チェンタウロ2が開発されているのですが。予算がないのならば数をそろえることを第一に機動装甲車に機関砲を搭載したもので代用する。

 パトリアAMVが次期装甲車として採用されましたがそれでもそうとう予算が必要で覚悟は必要だが、覚悟できないならば自衛隊の人数を増やすしかない、消防団のように善意とやりがいの強制を突きつける選択肢も考える必要があるが、これはもう近代国家ではない。

 99式自走榴弾砲の後継車両から89式装甲戦闘車の後継車両を開発することができれば、特科火砲定数と必要な装甲戦闘車の数を考えれば1000両程度の量産が可能となります、量産効果と整備補給の共通化、という部分も可能でしょう。そしてもう一つ、別の装備も要る。

 砲側弾薬車は現在73式牽引車の派生型としていますが、これも機動力が低い、やはりこちらも車体を車体の取得費用が高くなるのは受け入れて、共通車体を考えるべきだとは思う、現実をみれば後継となります共通装軌車両は、防御をかなり抑えている、費用とともにね。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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【京都幕間旅情】サンダーバード号京都駅到着と東海道新幹線大規模遅延,考えさせられる迂回路

2022-12-18 18:27:01 | コラム
■北陸新幹線延伸
 サンダーバードの新塗装ももう見慣れましたね。

 北陸新幹線完全開業と成ればサンダーバード号も新幹線らいちょう、となるのでしょうか。一方で北陸本線の大半の路線が第三セクターとなるのですが、新幹線が運転できなくなった場合に並行在来線と云うものがなくなる訳ですので、大丈夫か、ともおもうのです。

 東海道新幹線は本日1300時頃、三河安城駅付近での架線損傷を受け1700時過ぎまで実に四時間、運転を見合わせたとのこと。実は本日新幹線を利用する予定がありましたが、雪の予報により延期した事が、良かったのですが、停電の新幹線、大変だ、と心痛む。

 北陸新幹線が全線開通となれば、迂回路となりうるのだろうか。今の時点では東海道新幹線が動かない場合には代替交通手段といいますと旅客機、となるのですがなにより東京大阪間、羽田と伊丹を結んだジャンボ旅客機は既に退役しており、輸送力は格段に違います。

 寝台特急も含めてですが、新幹線が開通したのちも2000年代までは長距離列車と云うものはかなり残っていました、はくちょう、という大阪と青森を結ぶ昼間特急というものもあったというからある種驚きの長時間乗車となるのですが、これが今は基本的に一本のみ。

 迂回路、熊本地震では九州新幹線が運休した際並行在来線の鹿児島本線が第三セクター化されてしまい迂回路として利用できず、二週間に渡りあの規模の地震としては異例の規模の九州南北交通遮断となった事を思い出します。迂回路、経済効率だけでは整備できない。

 並行在来線、第三セクターとはいえ将来的に維持できなくなれば貨物列車など貨物鉄道も維持できなくなります。日常と云うものは微妙な均衡の上で危なくも成り立っている、広い視野で鉄道と云うものを考えて行かなければならないのだな、とはホームで思う事です。

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防衛力は柔軟性を!自衛隊は陸海航空自衛隊であって対中自衛隊と対朝自衛隊に対露自衛隊であってはならない

2022-12-18 07:00:29 | 国際・政治
■脅威に柔軟対応こそ重要
 政治が求める能力をその権限を逸脱しない範囲内において実行する能力が求められています、その任務は状況により柔軟に変化し何れも対応する事が求められる。

 自衛隊は陸上自衛隊と海上自衛隊と航空自衛隊であって、対中自衛隊と対朝自衛隊に対露自衛隊であってはならない、航空自衛隊が航空宇宙自衛隊に改称するかどうかは別の論点としまして、自衛隊という組織は脅威に柔軟に対応できるべく汎用性の高い防衛力を整備する必要があり、脅威の概要を日本が一方的に画定することは間違いだとおもうのです。

 脅威のあり方、ある程度の方向性と想定にもとづくオペレーションリサーチは必要だとは考えます、しかし、この程度の脅威があるのでこうすることで勝つことができるためにこれとこの装備にこの訓練を、と勝利への方法まで主導権を握れると考えることは怠慢です。北朝鮮の軍事力や中国と有事の際の作戦、平時から画定するには無理があるよう考えます。

 政治が任務を決定する、これがシビリアンコントロールの鉄則であり、文民統制は間違えても文民といいますか軍人ではない官僚が決められるものではなく、官僚も軍人と同じ官側の人間であり最終的な決定は、官僚人事が選挙で決まるような制度とならない限り、最高裁判事のような、こうならぬかぎり政治がすべてを決定すべき命題です、責任と共に。

 しかし、その上で、北朝鮮に対してはこうした打撃力が必要だ、とか、その上で台湾有事や中国との関係とを考えれば上陸することはないだろうからどのようなミサイルの種類が必要で、と画定するのではなく、航空打撃力や機械化部隊や水上戦闘艦部隊を整備した上で、政治が求める任務に部隊と装備を組み立てるという体制が自衛隊の然るべき姿と思う。

 画定された任務しか想定しない装備体系や部隊体系であれば、突発的な任務を用いられた場合、わかりました即座に対応するために五年間時間をください、来年度の概算要求に盛り込みますので会議の準備を日程調整します、こう融通の利かない組織になってはならないのです。これは一種、戦前の日米が考えた同じような作戦計画ににているともいえます。

 オレンジプラン、あ号作戦、日米ともににたような作戦計画を画定していましたが、実際に始まってみますと戦争の形態が当初想定よりも全く異なるものとなっていました。反撃能力よりも航空打撃力、北大路機関が提示しました背景にはこうした認識があり、機械化部隊を全国に配備すべきと繰り返すのも、新しい88艦隊構想も、この理念に基づくものです。

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