■岡崎の真正極楽寺を巡る
岡崎の界隈は年齢を重ねるとともに見え方が変わってくるように思えるのですが最初の散策は若いころいや幼いころからの方が趣き深い。

総門から眺めます真如堂、赤門とも親しまれる不思議と敷居ない寺院の総門は元禄時代の西暦1695年に造営されました。この妙は神楽岡吉田神社が御山の西側に鎮守していまして、神々が真如堂を拝観に参る際、躓く事の無いようにとの元禄時代の価値観とされています。

真如堂、ここは京都市左京区浄土寺真如町に鎮座します天台宗の寺院で、正式には真正極楽寺といい、山号は鈴聲山、永観2年こと西暦984年に造営された寺院です。寺名は極楽寺と名乗る寺は多いがここが正真正銘の極楽の霊地、正真正銘の極楽の寺との由来がある。

円仁、当寺の開基は永観年間、霊木を彫りました阿弥陀如来を奉じるべく堂宇を建てたのが御山のはじまりとされていまして、真如堂はもともと本堂を示す名であったとつたわる。岡崎の地は少し起伏と京都大学の広がる学びと哲学と科学の地に静けさは一層際立ちます。

三重塔は文化年間の西暦1817年に造営されたもので平安朝の頃のものを再建、多宝塔は本瓦葺であり30mの高さで印象付けるものです、囲む木々は櫻に椛と季節折々の情景を醸すもので、塔を見上げる位置にお休みどころの長椅子と屋根の庵があり、ここも空気が澄む。

洛東の隠れ寺、観光過多と呼ばれた時代は2010年代の一億総観光時代として日本は勿論世界中の観光客を招きましたが、急ぎ過ぎた時代であったようにも思いまして、寺院というものは早歩きで廻るものというには、湛えた千年を超える歴史は抱え込めないようおもう。

うなずきの弥陀、とします御本尊を奉じています。本尊阿弥陀如来像は女人を救う仏、女性の信仰を集めた寺院です。こうして開かれた寺院は、しかし不思議と長椅子と腰掛ける配慮が点在していまして、住職の方々の、御寺を巡る心構えに応え合せをしているような。

本堂は享保2年こと西暦1717年に再建されたのが現在の本堂となっています。七間四面総欅の本瓦葺入母屋造となっていまして、建材には寄進者が先祖代々菩提の為と記されていて、享保年間の頃から庶民に親しまれ寄進により成立っていた事を端的に示すようにも。

本堂内部は夕刻の夜の帷とともに戸張が閉ざすまで自由に拝観へ開かれています外陣、金箔の天蓋や瓔珞が厳かな静けさを醸し祈祷や修行に祈り進める内陣、そして信仰の願いのみ受け入れる御本尊の阿弥陀如来が鎮座しました須弥壇の内々陣、こう分かれています。

須弥壇の内々陣、見上げる外陣には転々と座布団が置かれていまして、本堂には様々な風と木々との音、お香と様々な歴史とともに積る不思議な香りが雰囲気の文字の意味を示すが如くの風情を湛え、一息つく、この語源を反芻するように触れ、時を過ごす事が愉しい。

内陣との結界には、早春に大涅槃図、晩秋に観経曼荼羅が飾られていまして、そして内陣左脇にあります仏間には、中央に文殊菩薩像が、そして両脇に天台大師像と伝教大師像が祀られ、浄土宗の開祖法然上人や浄土真宗の開祖親鸞聖人とも所縁ある歴史を感じられる。

本堂の欄間には八仙過海、中国の神話を象る風情が。三重塔、山門、元三大師堂、鐘楼、こう京都府指定文化財が並ぶところです。御寺そのものは永観年間の建立ながら、江戸時代の“新しい”建物が並ぶのは複雑な歴史、創建の地からここに至る歴史を秘めています。

洛東の隠れ寺、普段の静けさながら紅葉の季節と桜花の季節には観桜行楽に、といいたいところですがコロナ時代、COVID-19感染拡大を契機に桜花の季節も紅葉の時節も幕間のような静けさが戻りました。不思議な日常、これもまた新しい愉しみなのかもしれない。
北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
(本ブログに掲載された本文及び写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)
(本ブログ引用時は記事は出典明示・写真は北大路機関ロゴタイプ維持を求め、その他は無断転載と見做す)
(第二北大路機関: http://harunakurama.blog10.fc2.com/記事補完-投稿応答-時事備忘録をあわせてお読みください)
岡崎の界隈は年齢を重ねるとともに見え方が変わってくるように思えるのですが最初の散策は若いころいや幼いころからの方が趣き深い。

総門から眺めます真如堂、赤門とも親しまれる不思議と敷居ない寺院の総門は元禄時代の西暦1695年に造営されました。この妙は神楽岡吉田神社が御山の西側に鎮守していまして、神々が真如堂を拝観に参る際、躓く事の無いようにとの元禄時代の価値観とされています。

真如堂、ここは京都市左京区浄土寺真如町に鎮座します天台宗の寺院で、正式には真正極楽寺といい、山号は鈴聲山、永観2年こと西暦984年に造営された寺院です。寺名は極楽寺と名乗る寺は多いがここが正真正銘の極楽の霊地、正真正銘の極楽の寺との由来がある。

円仁、当寺の開基は永観年間、霊木を彫りました阿弥陀如来を奉じるべく堂宇を建てたのが御山のはじまりとされていまして、真如堂はもともと本堂を示す名であったとつたわる。岡崎の地は少し起伏と京都大学の広がる学びと哲学と科学の地に静けさは一層際立ちます。

三重塔は文化年間の西暦1817年に造営されたもので平安朝の頃のものを再建、多宝塔は本瓦葺であり30mの高さで印象付けるものです、囲む木々は櫻に椛と季節折々の情景を醸すもので、塔を見上げる位置にお休みどころの長椅子と屋根の庵があり、ここも空気が澄む。

洛東の隠れ寺、観光過多と呼ばれた時代は2010年代の一億総観光時代として日本は勿論世界中の観光客を招きましたが、急ぎ過ぎた時代であったようにも思いまして、寺院というものは早歩きで廻るものというには、湛えた千年を超える歴史は抱え込めないようおもう。

うなずきの弥陀、とします御本尊を奉じています。本尊阿弥陀如来像は女人を救う仏、女性の信仰を集めた寺院です。こうして開かれた寺院は、しかし不思議と長椅子と腰掛ける配慮が点在していまして、住職の方々の、御寺を巡る心構えに応え合せをしているような。

本堂は享保2年こと西暦1717年に再建されたのが現在の本堂となっています。七間四面総欅の本瓦葺入母屋造となっていまして、建材には寄進者が先祖代々菩提の為と記されていて、享保年間の頃から庶民に親しまれ寄進により成立っていた事を端的に示すようにも。

本堂内部は夕刻の夜の帷とともに戸張が閉ざすまで自由に拝観へ開かれています外陣、金箔の天蓋や瓔珞が厳かな静けさを醸し祈祷や修行に祈り進める内陣、そして信仰の願いのみ受け入れる御本尊の阿弥陀如来が鎮座しました須弥壇の内々陣、こう分かれています。

須弥壇の内々陣、見上げる外陣には転々と座布団が置かれていまして、本堂には様々な風と木々との音、お香と様々な歴史とともに積る不思議な香りが雰囲気の文字の意味を示すが如くの風情を湛え、一息つく、この語源を反芻するように触れ、時を過ごす事が愉しい。

内陣との結界には、早春に大涅槃図、晩秋に観経曼荼羅が飾られていまして、そして内陣左脇にあります仏間には、中央に文殊菩薩像が、そして両脇に天台大師像と伝教大師像が祀られ、浄土宗の開祖法然上人や浄土真宗の開祖親鸞聖人とも所縁ある歴史を感じられる。

本堂の欄間には八仙過海、中国の神話を象る風情が。三重塔、山門、元三大師堂、鐘楼、こう京都府指定文化財が並ぶところです。御寺そのものは永観年間の建立ながら、江戸時代の“新しい”建物が並ぶのは複雑な歴史、創建の地からここに至る歴史を秘めています。

洛東の隠れ寺、普段の静けさながら紅葉の季節と桜花の季節には観桜行楽に、といいたいところですがコロナ時代、COVID-19感染拡大を契機に桜花の季節も紅葉の時節も幕間のような静けさが戻りました。不思議な日常、これもまた新しい愉しみなのかもしれない。
北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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