■光悦村-芸術家集団
新緑というものは色々と書き立てるものがあるのだ。

光悦寺、十界大曼荼羅を奉じる寺院となっています。そして庭園に点在する茶室は古田織部、織田有楽斎、千宗旦とった茶人たちと交流を深めて造営された数かずの茶室、その意向を明治以降に再建したものがならびまして、一部は待合庵が開かれて。

三巴亭、大虚庵、了寂軒、騎牛庵、自得庵、徳友庵、本阿弥庵、こう幾つも茶室が、広い境内に佇むように点在していますのを傍目に、雄大な鷹峯の風景を見て、そして歩いてゆくわけです。光悦村、芸術家集団、なにかこう、促されるように書きたくなる。

POMERA,さて本日はこの話題、POMERA-DM200を本格的に使い始めて、半年となりました。その前はPOMERADM-100を使っていまして、ただ、バグが出るようになり、POMERA-DM-10以来、用途廃止、となりました故の交代となった。

DM-100のバグは、毎回電源を入れるたびに、新しい文書、が立ち上がってしまうので、カフェや寺院やラウンジで執筆していると、珈琲を取りに行く数分で同様の状況、保存していれば文書が消えたわけではないのでもう一度フォルダを探せば早いのですが。

真っ白な新しい文書が立ち上がる、これは席を立つというよりも、数分間でもキーをタッチしない時間があると自動で電源が消えて、新しい文書が立ち上がると同時に前の文書は消えてしまいますので、保存も保存ボタンがるわけではないので操作は煩雑だ。

予備役というか、これ、DM-100はメーカー修理に出すにも古い機種となっていますから簡単には修理に出せず、それならばと予め買ってあったDM-200を出します。まあ、DM-200も廃盤でいまはDM-250となっているのですから、DM-100は頑張ったほう。

POMERAは開いて一秒で文書を掻き始められるというのが利点で、ポケットメモライター、紙とペン、これが最大のライバルという触れ込みなのですから、フォルダを探して開いて数十秒、これを何度もやるというのではPOMERAの意味がありません。

文書を書く上で、いや発想と共に思い浮かぶ文書が書くというより描くというのが相応しいものなのですが、不思議と思い浮かんだ最良の表現は、強く印象に残ったつもりが書かずに自宅まで持ち帰ろうとすると、発想は胡散霧散していることが実に多く。

描くように記す、POMERAの利点は定型文ではまとまらない、文字通りの創作活動に向いているといえるのですが、上記の通り、毎回真っ白な何も書いていない文書を出されてしまっては意味がありません、そういう運びにて新しいDM-200の出番となった。

DM-200,前のDM-100との一番の違いは、・・・、・・・・・・、こういわれると困るところです、形状は似ているが何から何まで違う、まず、安価なプラスチック筐体が、これ金属製なのだろうか、とおもうほど傷がつきにくい樹脂製になった点とか。

リチウムイオンバッテリー内蔵でDM-100が電池式であったのと比較しますと重くなった、理由はDM-200の演算装置が高性能化しているために、消費電力が大きく、乾電池だと数時間で使い切ってしまう為、という理由ですが、重くなったのはちょっと、ね。

DM-200はCPUの性能を高めた結果電力を喰うようになった、けれども全くの文字うち装置であったDM-100と比較し、予測変換能力、書いていて単純なタイプミスを気にせず察してくれるという点で、DM-200は進化したPOMERAといえるものでした。
北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ まや
(本ブログに掲載された本文及び写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)
(本ブログ引用時は記事は出典明示・写真は北大路機関ロゴタイプ維持を求め、その他は無断転載と見做す)
(第二北大路機関: http://harunakurama.blog10.fc2.com/記事補完-投稿応答-時事備忘録をあわせてお読みください)
新緑というものは色々と書き立てるものがあるのだ。

光悦寺、十界大曼荼羅を奉じる寺院となっています。そして庭園に点在する茶室は古田織部、織田有楽斎、千宗旦とった茶人たちと交流を深めて造営された数かずの茶室、その意向を明治以降に再建したものがならびまして、一部は待合庵が開かれて。

三巴亭、大虚庵、了寂軒、騎牛庵、自得庵、徳友庵、本阿弥庵、こう幾つも茶室が、広い境内に佇むように点在していますのを傍目に、雄大な鷹峯の風景を見て、そして歩いてゆくわけです。光悦村、芸術家集団、なにかこう、促されるように書きたくなる。

POMERA,さて本日はこの話題、POMERA-DM200を本格的に使い始めて、半年となりました。その前はPOMERADM-100を使っていまして、ただ、バグが出るようになり、POMERA-DM-10以来、用途廃止、となりました故の交代となった。

DM-100のバグは、毎回電源を入れるたびに、新しい文書、が立ち上がってしまうので、カフェや寺院やラウンジで執筆していると、珈琲を取りに行く数分で同様の状況、保存していれば文書が消えたわけではないのでもう一度フォルダを探せば早いのですが。

真っ白な新しい文書が立ち上がる、これは席を立つというよりも、数分間でもキーをタッチしない時間があると自動で電源が消えて、新しい文書が立ち上がると同時に前の文書は消えてしまいますので、保存も保存ボタンがるわけではないので操作は煩雑だ。

予備役というか、これ、DM-100はメーカー修理に出すにも古い機種となっていますから簡単には修理に出せず、それならばと予め買ってあったDM-200を出します。まあ、DM-200も廃盤でいまはDM-250となっているのですから、DM-100は頑張ったほう。

POMERAは開いて一秒で文書を掻き始められるというのが利点で、ポケットメモライター、紙とペン、これが最大のライバルという触れ込みなのですから、フォルダを探して開いて数十秒、これを何度もやるというのではPOMERAの意味がありません。

文書を書く上で、いや発想と共に思い浮かぶ文書が書くというより描くというのが相応しいものなのですが、不思議と思い浮かんだ最良の表現は、強く印象に残ったつもりが書かずに自宅まで持ち帰ろうとすると、発想は胡散霧散していることが実に多く。

描くように記す、POMERAの利点は定型文ではまとまらない、文字通りの創作活動に向いているといえるのですが、上記の通り、毎回真っ白な何も書いていない文書を出されてしまっては意味がありません、そういう運びにて新しいDM-200の出番となった。

DM-200,前のDM-100との一番の違いは、・・・、・・・・・・、こういわれると困るところです、形状は似ているが何から何まで違う、まず、安価なプラスチック筐体が、これ金属製なのだろうか、とおもうほど傷がつきにくい樹脂製になった点とか。

リチウムイオンバッテリー内蔵でDM-100が電池式であったのと比較しますと重くなった、理由はDM-200の演算装置が高性能化しているために、消費電力が大きく、乾電池だと数時間で使い切ってしまう為、という理由ですが、重くなったのはちょっと、ね。

DM-200はCPUの性能を高めた結果電力を喰うようになった、けれども全くの文字うち装置であったDM-100と比較し、予測変換能力、書いていて単純なタイプミスを気にせず察してくれるという点で、DM-200は進化したPOMERAといえるものでした。
北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ まや
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