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北大路機関

京都防衛フォーラム:榛名研究室/鞍馬事務室(OCNブログ:2005.07.29~/gooブログ:2014.11.24~)

【京都幕間旅情】光悦寺,江戸時代の芸術一大拠点に想う文章を書くという事と描くという事

2025-05-07 20:25:05 | 写真
■光悦村-芸術家集団
 新緑というものは色々と書き立てるものがあるのだ。

 光悦寺、十界大曼荼羅を奉じる寺院となっています。そして庭園に点在する茶室は古田織部、織田有楽斎、千宗旦とった茶人たちと交流を深めて造営された数かずの茶室、その意向を明治以降に再建したものがならびまして、一部は待合庵が開かれて。

 三巴亭、大虚庵、了寂軒、騎牛庵、自得庵、徳友庵、本阿弥庵、こう幾つも茶室が、広い境内に佇むように点在していますのを傍目に、雄大な鷹峯の風景を見て、そして歩いてゆくわけです。光悦村、芸術家集団、なにかこう、促されるように書きたくなる。

 POMERA,さて本日はこの話題、POMERA-DM200を本格的に使い始めて、半年となりました。その前はPOMERADM-100を使っていまして、ただ、バグが出るようになり、POMERA-DM-10以来、用途廃止、となりました故の交代となった。

 DM-100のバグは、毎回電源を入れるたびに、新しい文書、が立ち上がってしまうので、カフェや寺院やラウンジで執筆していると、珈琲を取りに行く数分で同様の状況、保存していれば文書が消えたわけではないのでもう一度フォルダを探せば早いのですが。

 真っ白な新しい文書が立ち上がる、これは席を立つというよりも、数分間でもキーをタッチしない時間があると自動で電源が消えて、新しい文書が立ち上がると同時に前の文書は消えてしまいますので、保存も保存ボタンがるわけではないので操作は煩雑だ。

 予備役というか、これ、DM-100はメーカー修理に出すにも古い機種となっていますから簡単には修理に出せず、それならばと予め買ってあったDM-200を出します。まあ、DM-200も廃盤でいまはDM-250となっているのですから、DM-100は頑張ったほう。

 POMERAは開いて一秒で文書を掻き始められるというのが利点で、ポケットメモライター、紙とペン、これが最大のライバルという触れ込みなのですから、フォルダを探して開いて数十秒、これを何度もやるというのではPOMERAの意味がありません。

 文書を書く上で、いや発想と共に思い浮かぶ文書が書くというより描くというのが相応しいものなのですが、不思議と思い浮かんだ最良の表現は、強く印象に残ったつもりが書かずに自宅まで持ち帰ろうとすると、発想は胡散霧散していることが実に多く。

 描くように記す、POMERAの利点は定型文ではまとまらない、文字通りの創作活動に向いているといえるのですが、上記の通り、毎回真っ白な何も書いていない文書を出されてしまっては意味がありません、そういう運びにて新しいDM-200の出番となった。

 DM-200,前のDM-100との一番の違いは、・・・、・・・・・・、こういわれると困るところです、形状は似ているが何から何まで違う、まず、安価なプラスチック筐体が、これ金属製なのだろうか、とおもうほど傷がつきにくい樹脂製になった点とか。

 リチウムイオンバッテリー内蔵でDM-100が電池式であったのと比較しますと重くなった、理由はDM-200の演算装置が高性能化しているために、消費電力が大きく、乾電池だと数時間で使い切ってしまう為、という理由ですが、重くなったのはちょっと、ね。

 DM-200はCPUの性能を高めた結果電力を喰うようになった、けれども全くの文字うち装置であったDM-100と比較し、予測変換能力、書いていて単純なタイプミスを気にせず察してくれるという点で、DM-200は進化したPOMERAといえるものでした。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ まや
(本ブログに掲載された本文及び写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)
(本ブログ引用時は記事は出典明示・写真は北大路機関ロゴタイプ維持を求め、その他は無断転載と見做す)
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【京都幕間旅情】光悦寺,鷹峯を望む寺院はゴールデンウィークにも静寂に包まれている

2025-05-07 20:00:15 | 写真
■洛北は静かな寺院にて
 この当たりならそれ程混雑しないとは思っていたけれども誰もいないとは思わな過多。

 光悦寺、静かな寺院にて、実のところ北大路機関の重要な執筆は寺院で、行っているといいたいけれどもそこまで寺院も寛容ではないというか調子に乗り過ぎてはいけないということで踏み込んでは書いていないけれども、着想の場が寺院であったりは、する。

 鷹峯を望む寺院は、数多茶室が点在する風光明媚な場所となっていまして、ここはPOMERとかを持ち込みますと、絶好の執筆場所、といいますか文章が沸き起こる様に生まれてくる、そんな場所なのですね、特に何より人が少ないのだから。

 北区鷹峯光悦町、標高はやや高いところにあるのですが、山門のすぐ目の前まで市バスが運行されていますので、もちろん徒歩で行くことも簡単で、佛教大学の千本北大路から、歩いても30分ほど、45分見ておけば間違いないという近い場所で。

 本阿弥光悦の寺院、光悦寺とは本阿弥光悦さんの寺院であることを示します。あの本法寺にて商家の長男坊という生まれの豊かさを切り離して芸術の道を志したとともに、徳川家康に重用され江戸時代初期を代表する芸術家となりましたのはご存じの通り。

 寛永の三筆の一人ともいわれまして書流光悦流の創始者でもあり、陶芸家としても歴史に名を残し、白楽茶碗の銘“不二山”光悦七種、これは国宝に指定されるとともに数寄者という様々な文化に造詣が深く、日本文化の形成に寄与しました。

 不二山、国宝指定されているのですが、このほかにもとうげいとしましては、黒楽茶碗の銘“雨雲”光悦七種、黒楽茶碗の銘“時雨”光悦七種、赤楽茶碗の銘“雪峰”光悦七種、黒楽茶碗の銘“加賀”光悦七種、空母や駆逐艦のような名の陶器は重文指定されています。

 光悦寺はその本阿弥光悦の隠居所となっていまして、徳川家康にこの一帯の地を隠居所として願ったところ、与えられたという。日蓮宗の寺院となっていて、街かナにある本法寺を本山としていました寺院で創建年は明暦2年こと西暦1656年という。

 ゴールデンウィークなので、ゴールデンウイークらしいことをしたいのだけれども、ゴールデンウイークと無関係にいろいろやることが蓄積していまして、でも多少はゴールデンウイークらしいことをしなければ、気分が滅入って逆に非効率になりかねない。

 鷹峯散歩は、こういう状況で、遠すぎないが気分転換できる静かな場所、という事で選んだのですけれども、驚くほどに人が居なかった、京都の古刹は混雑する印象があるかもしれませんが、ほかの拝観者は入れ違いに二人、庭園を見ていると他に一人いたくらい。

 光悦村、本阿弥光悦さんはこの界隈に親族知人芸術家など百名単位で集住してもらいまして、自分の流派に拘らない様々な芸術家を招き、京都における一つの文化拠点を造営したという。それはこの静けさを見ますと何か納得するものが生まれてきまして。

 江戸時代には追剥辻斬りと、案外治安が悪い立地らしい、標高がありますので、意外と爽快感が同じ北区かとおもうほど広がっていまして、船岡山なんかを遠望しますと、案外上ってきたものだなあ、そういうような素朴化感慨に浸ることができる。

 光悦寺は、その創建が本阿弥光悦の没後となっていまして、本阿弥家が去りますと次第に荒廃してゆきましたが、寺そのものは残った為に大正時代に大きく再興することとなりまして、不思議な静寂と新緑の満足感を湛えて、静かにたたずんでいるのですね。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ まや
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【京都幕間旅情】今宮神社-桜花,新緑迎えた京都のGWゴールデンウィーク祭事の数々

2025-04-30 20:25:38 | 写真
■京都の祭事
新緑を迎えた京都の話題を。

今宮神社のさくら風景、そしていまはもう新緑となっているのですが、新緑の季節と共に明日から五月、五月連休、つまりGW,ジョージワシントンではなくゴールデンウィークの季節がいよいよやってきて、祭事が始まる。

祭事、小さな祭事、とおもっていますと、しかし冷静に日本全国の祭事を比較していますと、同じものを行うにはおおきな住民組織などが必要となるものがあり、小さいように見えても一つ一つは大きいものといえる。

さくらの情景とともに、そう、五月ですから祭事の季節、そこでゴールデンウィークには京都市内で、どのような祭事が執り行われるか、市バスとかの広告にでているような有名な祭事の話題を纏めてみました。

今宮祭、GWの祭事といいますと、ちょっと考えていきますと、5日の月曜日にここ今宮神社にて今宮祭が執り行われまして、神輿や八乙女行列の巡幸が5日の1300時から、この今宮神社を出発するのですね。こんな感じで。

稲荷祭の還幸祭、伏見稲荷大社の神輿行列の神事が、いまは近鉄東寺駅近くの御旅所に鎮座しています神輿が神社に戻ります祭事が3日土曜日に行われます、御旅所を出ますのは1400時、1600時に伏見稲荷大社へ。

下鴨神社流鏑馬神事、馬上から的へ矢を射て当てる勇壮神事が、3日土曜日に行われます。この祭事は葵祭の前儀式と位置づけられていまして、1300時から開始される、騎馬の祭事がいよいよ始まるのですね。

歩射神事、こちらも下鴨神社にて、こちらは5日に執り行われる神事です。弓は武器であると共に弦は音を奏でる神具ともなっていまして、5日の1100時から、弓の音を鳴らして邪気祓いを行う神事が行われるのです。

八大神社神幸祭、5月4日と5日に剣鉾を先頭に執り行われる、一乗寺あたりでとりおこなわれるひとつの祭事で、4日に宵宮祭が夜から始まりまして、そして5日は朝から神幸祭を行うこととなります。

さんよれ祭、鷺森神社、あの修学院の近くにあります鷺森神社にて行われる舞楽奉納の神事が4日と5日におこなわれます、さんよれ、とは巡幸の祭のかけ声となっていまして、奇祭のような京都の祭事の一つ。

賀茂競馬、5日月曜日に執り行われる神事で、1093年から1000年近い伝統の行事、競馬とかいてくらべうま、と読む。有料観覧席が用意されているのですけれども、満員になると直ぐに受け付け終了となる故に注意を。

京都には小さな祭事はもっとありますし、ゴールデンウィークの後にも日常的に祭事が執り行われていて、そのひとつひとつが町衆、というよりもいまは市民や住民、支えられて伝統行事を継承しています。

連休に京都散歩、もちろん昨今は外国人観光客増大に大阪関西万博のあおりを受けて宿泊施設不足が顕著化していますが、日帰りでも新幹線をつかえばかなり遠方から、京都の伝統の一端を、みることができるでしょう。

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【京都幕間旅情】今宮神社-桜花,いまは八重桜散り際の季節に長い桜の季節を考える火山噴火と気象の影響

2025-04-30 20:00:08 | 写真
■冷夏か猛暑か
八重桜が最後の華やかさを誇るところですが。

今宮神社のさくら風景、いまはもう新緑なのですが八重桜の名所ではまだその桜の季節を延長していまして、今年は涼しい、やはりフンガトンガフアパイ火山の噴火がようやく成層圏まで影響したのかな、と。

御霊信仰の神社ということですから、流石にこの気象を天変地異と捉えるとか、平癒鎮定を願う祭事というのを開くべき云々という考えは持たない一方、御霊信仰以外、この数年の夏などの季節をどう受け止めるのか。

この季節の涼しさ、いや、昔は梅雨冷えという単語がありましたので、明日から五月というのは昨年は冷房が活躍し始めていましたが、これは異常気象なのか平常回帰なのか。異常が日常のようになっているゆえ。

御室桜と八重桜はこの北大路機関創設当時には四月下旬に満開と見所、と言う印象がありましたので、これくらいの季節、五月初旬は気持ちの良い晴れ空という印象があり、この涼しさとこの桜の景色はどうなのだろう。

フンガトンガフアパイ火山、トンガ王国の島一つ丸ごと吹き飛ぶとともに、その猛烈な気圧変動で日本本土まで津波がおし寄せたことはまだ記憶すると共に、当時、そのテフラの影響を考えさせられたものでした。

テフラ、火山性堆積物、火山性エアロゾル、肉眼では見えにくいものの夕日が妙に赤くなったりという気象条件で確認でき居るものが成層圏に上がりますと、太陽光を遮断して一時的な冷夏になるという事象があり。

ピナツボ火山、思い出すのは1992年にフィリピンのピナツボ火山が最大規模の噴火を引き起こし、在比米軍のクラーク空軍基地やスービックベイ海軍基地が火山灰により閉鎖、在比米軍が全面撤退することとなった。

平成のコメ騒動という米不足が発生しましたのは、その翌年の冷夏がありましたことを思い出します。そして、原因は多少異なる、昨年の南海トラフ注意情報による買いだめがありましたが、今もコメ不足となり。

コメの生産量は充分あるという農林水産省の推計値が実は間違っているのではないかという抽出算出方式への疑義はありますが、こうした状況で昨年までの酷暑、猛暑の先の熱さがあったわけで、不安要素はきりがない。

エイヤフイヤヨークトル火山の噴火の際には別に冷夏は来なかったではないか、こういう反論はあるかもしれません、あの、欧州全域の航空輸送を阻害したアイスランドの巨大火山による火山灰の被害を思い出しますが。

冷夏か、猛暑か、それとも平常化なのか。例年は三月の内にさくらの季節が終わってしまう状態を常態として受け止めていたような心象はあるのですけれども、例年よりも遙かに長いさくらの季節をみると、考えてしまう。

トバ火山やラキ火山、浅間山もふくめるべきかどうかは意見がわかれるところでしょうけれども、一定以上の規模の火山噴火がありますと、その先の異常気象というものを、どうしても心配してしまうのですよね。

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【京都幕間旅情】今宮神社,紫野御霊会さくらの咲く季節やすらい祭と五月連休の今宮祭

2025-04-23 20:25:04 | 写真
■観桜も静かに自由気まま
 この静かな社殿もあと一週間しますと祭事の季節を迎えるのですね。

 今宮神社、静かなさくらの名所の一つとおもう。実は京都には、というよりも実でも何でもないものの、数多さくらの名所がありますので、混雑するのは有名どころの一部だけ、ただ、みんな有名どころは押さえたいので混雑するという。

 観桜も自由気ままな撮影を好んでいまして、逆に酔客に絡まれるような花見はどうしても避けたいというところが。なぜならば、仕事の関係上で幾度か東京の上野公園などの観桜に参加した事が、大昔ですよ、ありますが、確実に酔客に絡まれていまして。

 東京嫌い、というわけではないのだけれども、なんでわざと靴を何度も踏もうとする若い女性とか、とおせんぼしてわざとぶつかって喧嘩を吹っかけてくるのかと思い、みなさんは花見よりも喧嘩や因縁を愉しんでいるという、あんな花見は、いやだなあ。

 紫野御霊会、今宮神社の始まりとなりました御霊会は朝廷が執り行った御霊会とはなっていましたが、その祭事を主導したのが町衆という点で特筆すべき出来事だったといいます。その示すところは平安遷都から二百余年を経て町衆の力強さを意味するのでしょうか。

 疫神社、さて、御霊会がなぜこの地で執り行われたのか、というところなのですけれども、もともと当地には素戔嗚尊を祀る疫神社が鎮座していまして、この疫神社に疾病払いという祈願がありましたので、その先にこの地での御霊会がある、という。

 大己貴命、事代主命、奇稲田姫命、社殿にはこの三柱を祀っています。三柱、大己貴命、事代主命、奇稲田姫命、その読み方は平仮名ですとこんな感じ、おおなむちのみこと、ことしろぬしのみこと、くしなだひめのみこと、こう読みます。

 本殿は明治35年こと西暦1902年の再建となっていますが、三柱を祀る社殿ということで屋根が複雑な櫓の構造となっていまして。ここに境内の桜の木々が並ぶ様子と、さくら以外の花々とで彩る様子に、三柱、という神社のそのものを示したようで。

 さくらの咲く季節、こういう情景は年に一度の、きわめてわずかな期間のお楽しみとなっていますが、今宮神社はこの桜の季節と、あとは縁日のほかは、お祭りの際に、一杯になるという神社であります。そして御霊会を起点とする祭事は今も続きます。

 やすらい祭、京都三大奇祭の一つに数えられる祭事は、四月中旬に執り行われまして、第二日曜日、第1師団祭行くかどうかという雨模様の中に執り行われましたが、夜須礼祭とも記します行事がひとつ、そしてもう一つは、来週行われる、今宮祭という。

 今宮祭は、今宮神社の氏子衆が永らく二条城あたりから北側全域という広い地域にありましたので、特に西陣織の西陣もその氏子区域となっていまして、要するに産業奨励のようなかたちでかなり大きな催事として今日にも維持されてます。

 祇園祭と並ぶ規模の祭事であった、こう呼ばれている今宮祭は、今日の規模から見ますと祇園祭のような山鉾巡行こそありませんが祭の行列はかなり長く、北大路通を交通規制して行われます、この際には境内も活況に包まれまして、紫野一帯が活気に。

 紫野御霊会の系譜から成る疾病払いの伝統行事、もういま時分は既に桜の季節は新緑の季節となっている訳ですけれども、着実に暖かい日と寒い日の循環は、温さから暑さ熱さを感じる季節へと移ろう、そんな季節を桜の先に見えるのですね。

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【京都幕間旅情】今宮神社,京都のさくら名所数あれど,やはり静かなところでさくらを見上げたい

2025-04-23 20:00:54 | 写真
■今宮神社は北大路通り沿い
 今回は少し前に撮影しました話題ですが。

 京都のさくら名所数あれど。やはり静かなところでさくらを見上げたい。もちろん、活気ある風情というところは好きなのですけれども、賑やかすぎますと写真も落ち着いて撮影できない、写真を落ち着いて撮影できれば、そのあとゆっくり見上げられる。

 京都市北区紫野今宮町、北大路機関というわけなのですから北大路通沿いの情景を紹介しよう、という訳では必ずしもないのですけれども、この北大路通は北大路大宮あたりから千本北大路にかけて、緩やかな、自転車だとやや急な、上り坂がはじまります。

 今宮神社、今回散策の様子を紹介しますのは、この北大路通の上り坂、中盤当たり、そう、登ってゆくと左手に船岡山という、織田信長を祀る建勲神社を頂に祀ります山が見えたあたり、北大路通の右手に、やや大きな鳥居が二車線道路で迎えるところにある。

 北大路機関だから、というわけではないのですが、北大路通のほか、地下鉄北大路駅の北口、北揃いの地名の北口、その目の前の通りがまさに今宮通でして、ここから今宮通を西進しますと、ちょうど今宮神社の参道にもいたるところでして。

 さくらの社殿、というわけではないのですが、それでも境内には少なくないさくらの木々が植えられていまして、こと、本殿前の桜と、いや、拝殿の周りをぐるりつつむような桜並木と、そう、点々と確かなさくらの木々が並ぶのが、今宮神社の静けさを醸す。

 歴史ある社殿がひろがる。北大路機関なので北大路通沿いの神社を紹介したという訳ではなく、ここは、もう少し多くの方に詣でてほしい、というほど静寂に、言い方を換えれば閑散としているのです。もちろん今宮祭の時には非常に活況に包まれますが。

 御霊会の社殿である、平安朝の頃、疫病を鎮めるための御霊会を開いた社殿の一つである、こう紹介しますと、まあ、COVID-19新型コロナウィルス感染症の最も厳しい時代は過ぎましたものの、昔から歴史は繰り返している事を実感できる社殿の一つと気づく。

 三密を避けているから閑散としているのでは、なんていう言葉もありましたが、そう、ここは疾病払いの社殿でもあったのです。そして歴史は繰り返すといいますが、疾病と日本の、いや人類の歴史を物語る様に、長保3年と深い歴史を誇ります。

 神泉苑、上御霊神社、下御霊神社、八坂神社、朝廷が御霊会を開く社殿といいますと、こういったところが挙げられます。上御霊神社と下御霊神社といいますと、まさに御霊会、というその名の通りの神社という印象で、八坂神社は祇園祭の社殿ですね。

 長保3年、西暦としますと1001年となっていまして、京都には数多い、千年以上の歴史を誇る神社となっている。その起源は正暦5年こと西暦994年の疫病大流行に際し、朝廷が神与の神輿を二つ造り、船岡山、前述の船岡山山頂に安置したのが始まり。

 幣帛、神輿を安置する、というのはちょっと意味が分からないように思われるでしょうが、科学の黎明期よりも前の時代、疾病や日照りや台風に地震と落雷などは、この世に未練を残して没した人々の怨念が引き起こしていると考えられていた故でして。

 今宮神社の始まりは、疫病を受けての平癒を祈願して、船岡山の山頂に安置した二つの神輿から。それは最初は運べる神輿から始まりましたが、千余年を経て、いまこの社殿は大きく広がり、春には桜の花々が、包んでいるのですね。

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【京都幕間旅情】平野神社-桜花,AIの人工学習と著作権-普及過渡期の若年利用を念頭に

2025-04-20 20:00:58 | 写真
■平野神社2025
 平野神社は散々特集しているので歴史的な話題は充分使い果たしているのでなにかとAIの話題ばかり使い続けているのですが。

 AIの人工学習について。平野神社と云えばAIの話題と進めているこの特集ですが、人工学習が今後どのような問題をはらむのかという視座について。実は昔、わたしがここで撮影した写真を別のWebサイトに盗用されたことがありまして。

 写真を膨大な数を使っていましたならば、どうしてもそういうことは発生するのですが、第三者が盗用して無断転載した写真を、パブリックドメインだと誤認しておそらくは悪意無く、二次盗用する出来事が今年に入り、ありました。

 安倍総理の近くで撮影した思い入れある構図でしたので、すぐにこれ、北大路機関で発表したものだ、と気づき、匿名で掲載した方に聞きますと、別のところで拾ってきたという、その写真に北大路機関ロゴはありませんでしたが。

 構図を含めて著作権だ、という判例が、”沈黙の艦隊訴訟”という、とある漫画家の方が大御所の方の写真の構図をそのまま描画して裁判になり、結局構図も著作権の範疇に含まれる、という写真家には大きな判例を残していました。

 盗用の可能性となりかねないことは、劇画”ゴルゴ13”をNHKがアナザーストーリーという番組で紹介した際に、プロダクションの資料室が有していた膨大な資料の中に、二次使用を念頭としたものなのか不安な資料が多数出ていまして。

 人工学習の場合はどうか。Webの約款などで人工学習に利用する、という明示があって了承していサービスを受けている、という逃げ道はあるのかもしれませんが、利用者と提供者の力関係について法廷で争った場合は、不確定要素も。

 写真を人工学習されるリスクとともに、人工学習をどの場所で行ったのか、不法転載先であるのか正規の手続きを経た場所であるのかを、AIの人工学習を行った当事者を探すことが不可能であれば、それだけで係争の余地は出てきます。

 デジタル盗用の問題は既に、この分野で先進的阿アメリカでは先進的故に既に、クリエイターのイラストがAI学習され構図や色調を盗用されているとして人工学習結果から省くよう顕在化している問題ではあるのですが。

 日本の高度成長を支えたのは欧米よりも遅れた労働基本権と過剰労働に法的未整備の欠缺を利用した生産性からのし上がって、中国や新興国に抜かれているのは法整備があったのだから同じ轍を踏むのか、という論調は聞きました。

 AIの授業よりも著作権の授業を行う必要があるのではないか、という視座と、それを行った場合は萎縮が先行して技術の停滞を生むという視座と、著作原意街にも労働基本法と税法など含め六法を中等教育で行うべきという視座と。

 不法行為、知らずに不法行為を行うようになってしまう、一応学校でイケナイこととして学んだものの罰則まで深く斟酌せずに便利なガジェットの使用法として日常化してしまい、あとで不法行為を問われる結果になるということも。

 AI,結局、個人が使える段階まで普及しつつある一方、個人が使うからこその免責についても個人に求められる段階まで責任を持たなければならない、Webを通じ世界と繋がる以上、この視座も忘れず億必要があるのかもしれませんね。

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【京都幕間旅情】平野神社-桜花,AIとの付き合い方-AIにどこまで個性を持たせることが出来るのか

2025-04-17 20:11:31 | 写真
■桜吹雪が舞う様子
 京都ではさくらはいま仁和寺の御室桜が満開を迎えた頃合いですが。

 平野神社、といえばAIの話題、桜吹雪が舞う様子から、ふと、最初の掲載は急速に普及を始めていたAI,なにしろAIの定義に当てはまるものならばAIとなのっていないものまで含めていた喧騒の中で最初に平野神社の写真とともに語りましたが。

 エキスパート判断システム、日本の場合はAIという単語が定着する前から、例えば2004年に初飛行した三菱重工のSH-60K哨戒ヘリコプターが搭載しているエキスパート判断システムなどは、20年以上前ですがAIを搭載した戦闘情報システムでした。

 ただ、昨今のWeb検索においても、AIが生成した文章を最初に検索結果へ載せるなど、いや、その定義ではなく、とか、反論したくなるものの、普及させようとしている努力とともに、実際普及していることは見て取れるのですけれども。

 AIの普及という側面を考えますと、なによりも大きいのは、個人が利用することになり、しかも文字情報はそれほどサーバーを圧迫しませんので、記事点数といういみで膨大な数の情報が、いま以上に溢れてしまう、ということでしょうか、それも玉石混淆の。

 ブログ文章をAIで作成、という広告が表示されるようになりました。これなどは、結局、アクセス数を稼ぐアルゴリズムを応用して手間を掛けずに自動的に文章を作成し表示し続けるという内容なのか、執筆補助を含んでいるものなのか。

 AIにどこまで個性を持たせることが出来るのか、例えば北大路機関は既に膨大な数の話題を紹介していますが、これを学ばせることで、榛名研究室、摩耶研究室、違いにあった文章を作成することが出来るのか、という素朴な疑問が湧く。

 人工学習を閉鎖的な既存データ、文字情報とともに、撮影した画像から撮影場所や撮影対象を類推して作成するならば、補助的には機能するのかもしれませんが、結局、集約を目的とした文章を造ることが目的ではない場合はどうするべきか。

 危惧することはそれよりも、ブログ文章をほかの方がAIで作成していて、そうした膨大なAI記事の中に重要な情報が埋もれるという、既に顕在化している検索性への意味の無い文章の中への埋没のほうが、影響は大きいのかなあと思う。

 執筆補助は、AIに要求する際に、誰彼の文章のように、と支持することにより論調を似せることは出来ると思うのですが、論調を似せると同時に、ほかの方の論調を模倣しないように留意しなければ、それは盗作にもなってしまうわけで。

 法的な関係性として、まあ、我が国の場合はWeb検索の検索結果の表示が著作権法に抵触するかを議論しすぎて検索技術の普及におくれをとった1990年代の苦い経験はあるのですが、人工学習は場合によっては盗作となる留意が要る。

 問題は、最近になって、テレビ映像を勝手にWebに上げるのは著作権法違反、というテレビコマーシャルが繰り返し行われているように、意味を知らないまま不法行為や違法行為が若年層を中心に定着してしまう恐れです。

 AIとの付き合い方、まだ文章を任せるには至らないという認識なのですが、法的なグレーゾーンを行う方が増えてしまうことにより、AIを利用していない表現者、というべきでしょうか、弊害を及ぼすことは、不安でもあるのですよ、ね。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ まや
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【京都幕間旅情】平野神社-桜花,AIは桜吹雪の夢を見るか-"贋作師からの問い-"本物"をめぐる思索"考察

2025-04-16 20:25:36 | 写真
■AIは桜吹雪の夢を見るか
 AIの将来性と限界を考える観桜の際のひとりごと。

 AIは桜吹雪の夢を見るか、結局のところAIを搭載したガイノイドが開発されて、人間と共に生活し喜怒哀楽を分かち合うようになって初めてAIは桜吹雪の夢を見るように考えるのです、そういう意味で喜怒哀楽というものはまだ先で。

 表面上の情報しか入手できないために、内部的な分析を行うことが出来ず、内部的な分析を行った情報をもとにした論文を模倣して係数や代入する部分を切り替えて繕うのが、今のところ限界である、こういう印象はないでもない。

 贋作師からの問い-"本物"をめぐる思索、NHK-BSスペシャルで先日こんな番組がありまして、録画しておけばよかったなあ、というのは、"俺は本物が欲しい・・"という名台詞を残した某アニメのヒロイン役の声優さんがナレーションしていて。

 アニメの話は、まあ、いい。このドキュメンタリーは贋作絵師のヴォルフガングベルトラッキ氏が、贋作を日本を含め世界中に売るとともに、"絵を買うのは教会に通うのと似ている、信じるかどうかだ"というお話をしていたのですね。

 本物か贋作か、日本国内のとある自治体美術館に贋作の疑いがある作品がありまして、この真贋判定は難しく、結局贋作の元の作者の作品複数と対象をAIにより判定させ、タッチから贋作かどうか判断を委ねる研究者の試みが映された。

 絵画、過去の筆のタッチの流れなどからAIは判断に困っている様子をドキュメンタリーは描いていましたが、やはりなあ、とおもったのは、絵しかAIはみていないというところでして、ここに美術評論家の厳しい一言が示されています。

 画家が描くさいの背景、画家はどのような環境で育ち、どのような体験を重ね、どのような喜怒哀楽と、師事した画家や教育の専門性やほかの画家からの影響、家族や社会や環境や政治や恋や失恋や天候さえ影響されて、描くということ。

 俺は本物が欲しい・・・、というアニメの台詞よりもNHKのドキュメンタリーでは美術館の型が、本物が欲しいと云うよりも贋作だとショックだ、という言葉を、これはいい絵だとおもいます、という言葉で濁していましたが。

 AIは結局のところ、そこまで踏み込むことは出来ていない。いや、疑似空間に紀元前ころからの地球そのものを大規模に再現して、その画家の生涯さえ追体験するほどの仮想空間が出来れば、また話は違ってくるのかもしれませんが。

 地球史を仮想空間に再現する、なにか、そのナレーションの声優さんが過去に出演して、じゃあ歌うね?という言葉を残してサクッとやられてしまったアニメーションの新章を思い浮かばせる内容ではあるのですが、まだ今の技術は難しい。

 アニメの話は、まあ、いい。大切なことだから二度かきました。記憶媒体の性能向上を考えますと、デジタルカメラやタブレット端末にテラバイトの先のペタバイト単位のメディアが開発される日は遠くないのかもしれません。しかし。

 経験や感情といった喜怒哀楽をAIが理解し経験を蓄積する、模倣ではなく体験を共有できる時代はいつごろになるのか、そこまで進んで初めて、AIは模倣を脱する、桜吹雪の夢をみるようになれるのかもしれません。

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【京都幕間旅情】平野神社-桜花,AIは桜吹雪の夢を見るか-SFの世界がここまで予想できなかったという二〇二五年

2025-04-16 20:00:06 | 写真
■AIは桜吹雪の夢を見るか
 平野神社の先週撮影しましたわだいを。

 AIは桜吹雪の夢を見るか、二年ほど前に生成AIが本格的に個人利用が可能な水準となって普及の萌芽が始まった時節、今年は初詣の機会とこうした視座に依拠しまして平野神社なのに扱っている話題はAIという不思議な記事を掲載し始めまして。

 人工知能、こうした表現はSFの世界では既に1950年代から有りましたが、現実の物として普及するまでには時間がかかったと思う半面、SFがAIを語っていた時代は、現代の水準まで情報通信技術向上を予測できていなかった。

 IT革命という表現は森政権時代の、もう森政権というものを実感として知っている方々は中堅という世代になっていますが、その情報通信技術は確かに発展していまして、こうしてWeblogのような個人の情報発信が容易となり。

 Weblogを一例としてあげましたが、生成AIはこの二年間で非常に発展を遂げまして、特に描画などの技術は二年間で、模倣能力が際立って高く、輪郭などのデッサンをAIから手書きで学ぶという不思議な時代となっていますが。

 SFの世界がここまで予想できなかったというのは、AIは対等か上位という存在である、つまり法人規模とか行政単位で使うものという認識がありましたが、個人が使役できる水準まで短期間で普及したというのはSFを超えていて。

 情報過多、他方、これは予想できていたことですが、AIが様々な情報を短時間で、模倣して文章でも描画でも音声さえ描写してしまうことになり、ただでさえ情報過多の時代に、更に情報が洪水を起こしているのかな、という。

 Webに掲載される多数の情報を、AIが量産することにより、WebにおけるAIの生成した情報が溢れてしまい、AIを用いた検索技術の高さというのは多言語且つ高精度という話ですが、不要な情報の取捨選択が逆に難しくなっている。

 検索しますと、意味の無い情報が大量に上位表示されまして、あれはおそらく閲覧数に応じた広告収入を見越しての表示なのでしょうが、似た単語でも全く意味が異なる情報を羅列し、10年前と比較し検索精度は低下しました。

 草創期の時代、アメリカのとある新聞社が投資情報について人間ではなくAIに執筆させるようにした結果、一日あたりの記事数は80から3000まで増加したということですが、誰が読むのかについて触れていませんでした。

 記者の執筆は必要な情報の取捨選択を行い、その記者が実名で報じるわけですから、記者の個性、この記者ならばこういう話題、と定評も悪評も立つのですが、AIの場合はまず当然ですが、個性を発揮できる段階には至っていない。

 3000も経済関連記事を凄い、と評判を立ててあげたいのですが、考えて欲しいのはスクロールして読む側の立場でして、10記事1ページとして仮に次へのクリックを毎日300回も続けられるでしょうか、一週間2100回だ。

 記事に責任を持てなくなるとともに、そういった新聞社がWebで数十社がAIを利用して記事を作成しますと、毎分数百の記事が飛び交い、読む側は、それこそAIが任意に表示した記事しか読まなくなる、いや、読めなくなるわけすね。

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